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2008年7月27日 (日)

無差別殺人と「愛」のない親の責任

近年の無差別殺人などのことに対して女性弁護士は、99%は本人に責任があるとしても1%は社会に責任があると言ったと書いてあった。
正直こんなことを書かれると、「おや」と思わないだろうか。
社会に責任があると言っても、本来生まれ育った家庭で教育され、そこで社会に適応出来る人間に育てたのではなかったろうか。
だから、不祥事を起こすと「その昔」父母が出来て「こんな子供に育ててしまった責任を痛感します」と言ったものだった。
ところが、ここのところの無差別殺人を起こした子供の親子関係や家庭を見てみると、そんな親の責任を「痛感する」など言ったことがない。
はっきり言って、弁護士が言うようには、社会に1%の責任もない。
社会に適応出来なかった育て方をした家庭、親の責任である。
なんと言っても、人間のアイデンティティは15歳までに確立すると教育学で教わった。
20歳過ぎの大人を改めて教育するなど中々出来はしないのだ。
近年の問題は、本来人間の人生の内で「一番幸せな時代」、子供時代を「幸せの時代」として過ごしてこなかった人々が多いことだ。
それは、ひとえに「親」の責任放棄と共に、無責任そして、親自身が子育ての「何たるか」も分からずという社会現象だ。
そこにあるのが、モンスターペアレントなり、子育て放棄の人々と言うことになる。
高度成長期、父親は7-11で働き、子供の顔も見たことはなく、幼児の顔を見たら泣かれたという笑い話があった。
そして、待っていたのは熟年離婚、定年と同時に離婚届に判押させられたなどという話が後を絶たなかった。

今は、逆に母親も働き、子供は保育園で育てられ、例え熱があっても「しらばっくれて」そのまま保育園に渡したりして育児放棄。
子供は、物心ついたときから母親に抱かれることもなく、小学校と進み、福島瑞穂氏よろしく18歳になったら家族の解散式をする?
又は、白石真澄教授のように大学に進学したら、纏まった「4年分奨学資金」を渡して「縁?」を切るのか、いずれにせよ世の中子供に冷たい母親というものがいるものだ。

人間には、動物本能として子供を育て、その育つ姿を見て、一人前になることを喜ぶ本能がある。
しかし、人間本能の退化かもしれないが、それをそうと思わない人達がいる。
はっきり言って、動物にも劣るというものだ。
かって、「早く結婚して子供を作ってください」とあるボランティアグループが独身女性に呼びかけた。
その時の言いぐさはステレオタイプで、「ならば子育て出来るように保育園を作ってください」だった。
地方だから、保育園に対する切迫需要はなく、その上改善されたもののその人物は「新聞を見たら」未だに独身だった。

昔から、拒食症や過食症というのは、「愛情」の不足と言われている。
だから、医者に言わせると「恋愛」をしたりすると一時的に改善されるという。
そして、その様に親に愛されたことが無くそのまま成長すると、結婚して子供を産んでも、子供をどの様に愛して良いのか分からないという。
そんな場合、又自分と同じように「愛」のない子供を再生産する。
その昔の米国フォークデュオ・カーペンターズのボーカル、カレン・カーペンターは、兄に恋人が出来た途端、拒食症に見舞われ亡くなったのは有名だ。
愛のない家庭というのは、なぜか
拒食症や過食症どころか、統合失調症の発症も促すという。

だからなのか、宗教の基本というのは全て「人間愛」である。
それに対する共産主義は、人間愛を攻撃しての組織愛。
愛のない人間というのは、凶暴になるというのは、レーニンを見れば良く分かる。

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