« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

2008年11月30日 (日)

第59回群馬県書道展・表彰式開催される・写真集

第59回群馬県書道展・表彰式が平成20年11月30日(日)高崎市の高崎ビューホテルで午前11時から開催された。
開会の言葉、(社)群馬県書道協会副理事長・柳井和翠・表彰部長の挨拶で始まる。

‥‥ということなのだが、表彰式の裏方としては始まる約1時間前の風景から見てみよう。

表彰式の受付もまだまだ閑散として、役員、審査員の先生方の名札もあまり減っていない。

大部混んで来ました。
会場で、先生の先生の先生ぐらいの先生とお話をしていたりします。そのぐらいの先生だと、全国レベルで指折り数えるくらいですから、結構恐縮した様子。
その他、何年か前の山﨑種二記念特別賞を貰った先生も見えています。
又、賞状と筒を持っている人は、「秀作」という賞をもらった人達。
副賞は、見せてもらったら、キュービック型(さいころ型)のガラス文鎮でした。小生が「秀作」を貰ったときは、副賞もなく賞状も金の枠のない簡素なものでしたね。

表彰式直前となるとこの様に混んで来ます。
本当のことを言うと、こういう風に「賞」を取れるときと言うのが一番嬉しい時でした。
やっと賞をもらって「秀作」で受付で賞状を貰うより、「特別賞」なら‥‥受付をするだけ。
これも小生の時は、賞状を入れる筒もなく「秀作」は式が終わってから貰いました。正直言って、まだ「秀作」をもらっているうちは「委嘱作家」という無鑑査までは遠い道のりです。
委員‥審査会員までは本当は、気の遠くなるような道のりなのです。
誰も言いませんが。
今回委嘱大賞をもらった人で、近代詩文の委嘱作家の先生は、委嘱歴36年か39年とか言っていました。
‥‥でもあと3年しないと委員になれません。
2.主催者挨拶。
(社)群馬県書道協会会長・水谷龍雲先生 他

3.審査報告
第59回県書道展・審査部長
(社)群馬県書道協会・下谷洋子理事が審査報告をしています。

4.授賞
昔は、表彰式ではなくで「授賞式」と言いました。そのうち「県庁」レベルからクレームがついたのか「表彰式」になりました。
授賞式は、公募優先という原則から第1位は、知事賞です。

さすが、知事賞だと華やかな出で立ちです。
特に、「受賞者代表謝辞」などは非常に目立つので、着物だと華やかで良いです。
近年は、賞状と盾になりました。
昔は、トロフィーが表彰台の横に並んでいて、いかにもでしたが、最近は箱入りのままです。

小生などが知事賞をもらったとき、副賞(トロフィー)の他に賞状額をもらいました。
賞状額が付いてきたのが上位3賞位だったか、2賞だったか記憶にありません。
今回見てみると、盾が無くて賞状額のみの場合のあるようです。
尚、名札があるのは上位4賞までです。
作らなかったのは、ケースと手間、費用の関係ですけどね。

それにしても、今年は表彰式の風景がくすんでいます。なんでこうも溝鼠色なのでしょうか。
うちの社中の委嘱大賞受賞者に、「結婚式のパーティ」に行く感じに装ってこい‥‥ダメでも「花ぐらい」つけてこいと注文しましたが、来てみたらPTAの「保護者会」以下でした。
お通夜に行くのではないのだぜ‥‥‥まったく!!
まだ若いのだけどね‥‥‥
主催者側の賞状介添えが着物なのに、貰う方が「地味」ではねぇ‥‥

星野聖山先生の特別賞です。
但し、群馬県から直接出る「賞」の場合‥‥公募は全て本名表彰するのと同じに雅号を使いません。

受賞者代表謝辞、第4部の近代詩文の知事賞の受賞者。

表彰式が12時30分に終わって、13時から祝賀会です。
参加者385(?)名強だったか、大盛況です。
先ほどまでの、表彰式受付がそのまま祝賀会受付になっています。
次回は、祝賀会を特集。

ほんのさわり‥‥

何やら30年前なら振り返って見てしまいそうな奥様方でした。
皆様、ラウンド40の手習いだったのでしょうか。
基本的に、「道」と付く習い事というのは、良いところの「奥様」「お嬢様」に決まっていると言われます。
何と言っても、お金と暇がかかります。
そしてその上に、努力と才能。
そして、そしてもっと掛かるのが時間と「運」。
これはどこの世界でも同じかもしれませんが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月29日 (土)

上毛新聞コラム「視点」・核家族の視点でしか捉えられない金融機関支店長

上毛新聞コラム「視点」・核家族の視点でしか捉えられない金融機関支店

上毛新聞という地方紙のコラムに「視点」という記事がある。(http://www.raijin.com )
このコラムは、毎日輪番で決められた人たちの記事を掲載している。
http://www.raijin.com/news/kikaku/opinion2008/opinion20081128.htm

2008/11/28の記事は「車で5分」「お年寄りの目線考えて」と題して金融機関・某中金の支店長M氏が2年前単身赴任直後の回想を書いている。
そこで、前橋市内の中心部というマンションに引っ越してきて照明器具がないことに気がついて、管理人に電器屋の場所を聞くところが副題にあるとおり「車で5分」である。
「車で5分」とは、「ヤマダ電機だかコジマ電器」まで「近くにあるよ。車で5分くらいだから」ということで、本人は「単身の私は車を持っていない。従って『車で5分』と言われて途方に暮れる。」というのである。
歩いて5分なら400m程度だが、車で5分なら平均時速30kmとして2.5km。東京なら環状線の一駅程度。東京人なら歩いてゆける距離だし、必要とあらばタクシーで行くことだって出来る。
それがなんと「歩いてゆける近所の商店街に電器屋はないですか」と空洞化してシャッター通りになった街を歩き回ったという。
見つけたのは「おてんとさんも沈みかけた。」というが7月だから何時なのかわからない。しかし、シャッター通りの閉店は夏ならまだ陽の明るい夕方6時。一方、電器量販店は夜10時くらいまでやっている。

そこで今の感覚なら、そして金融という庶民に関わる職業人なら「クルマ社会だから」ガソリンが高くて大変だったろうとか、クルマの維持費が家計にひびくとか書きそうなものだ。11月下旬に新聞各紙に一面広告で揮発油税、ガソリン税の不合理について意見広告がなされたはず。
ところが、それに続くことは「これからクルマを『卒業』してしまうお年寄りがもっと多くなったらどうするんかと。」なのである。
そして、事例が群馬・前橋のお年寄りの意見ではなくて「亡くなった私のばあちゃんが言っていた。」事なのである。
筆者は東京出身ということだから「ばあちゃん」も東京人なのか、少なくとも上州人でないことは確かだろう。
その「ばあちゃんは、近所に大型スーパーができても。頑(かたく)なに近所の商店街で買い物を続けていた。」と続く。
だから「これからもっと増えるであろうお年寄りの目線で考えると商店街の復活は急務なのかもしれない」としめる。

ここから考えられることは、東京人というのは地方に来ても「東京の感覚」は抜けないと思うことだ。地方の「ばあちゃん」は、そして特に上州人の「ばあちゃん」はこの支店長が言うほど「頑なに近所の商店街で買い物を続け」ない。
車に乗って、どこまでも出かけるし、それも適わないときは息子や娘に頼むと言うこともするものだ。
「お年寄りの目線」とはいうものの、商店街の商店主は郊外に住居を移して住んでいないし、当然ドーナツ状態の空洞化で商店街に人がいない。
「愛妻が言っていたこと」のお年寄りのための自助努力‥‥でも、「商店街の個人商店」が成立し得ないシャッター通りではいずれにせよ絵に描いた餅である。

そして、「相手の目線を徹底的に大事にして知恵を尽くす‥‥ということかもしれない。」と「きれい事」で最後に結ぶが、金融機関の支店長としてどう考えても「相手の目線を徹底的に大事にして知恵を尽くす」ということが言葉の端端から感じられない。
なぜなら、未だに群馬の感覚でなく東京人の発想でしか物事を感じられないからである。
所詮、東京から地方に赴任してきた人物というのは、常に米国人がどこへ行っても米国流を押し通すのと同じように、どこへ行っても東京の感覚でしかものを見られない、判断できないというのを露骨に現してしまったものだ。
そして、年寄りは「独立して住む」という核家族の感覚にとらわれ、家族、子供などの支援という視点が抜けているのはなにやら妙な気がするというものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月28日 (金)

素人の博打のババを引かされた日本経済の憂鬱

素人の博打のババを引かされた日本経済の憂鬱

産経新聞は、農林中金の平成20年9月中間決算で「保有有価証券の含み損が3月末の4306億円から1兆5737億円へと拡大。」と報じている。
思えば、昨年「証券化商品への投資残高を7兆円まで拡大」と広言していたとブログ
「低金利。日本金融機関・米国への資金提供の入れ込(2008.7.20)」
で既にエントリーしている。
プログでは触れいてないが、実はサブプライム問題が顕在化して「割安になった証券化商品を買いあさった(読売新聞)」。それも為替リスクを無視してのことだったはず。
又、その後の後追いブログ
「3000億円増資報道・解体か存続か事実上の破綻に近い?農林中金(2008.10.28)」
「3000億円増資報道・事実上の破綻に近い?農林中金 その2(2008.10.29)」
である程度その農林中金という農水省の天下り機関である実態を書いている。
そして今回は、
「財務基盤を強化するため、各地の農協などへ出資を求め年度内に1兆円超の増資計画も正式発表した。」
「上野理事長は、当面は海外重視の運用を見直すが、『グローバル化の流れは変わらない』と述べ、市況が回復すれば再び海外で積極投資する考えだ。」
と報道され、さすが元官僚の無責任体制というものを思い知らされるものである。
なぜなら、今後損失は拡大する傾向にありしかも、安易な海外投資に対する反省がない。
その上、「公的資金に頼るつもりはない」と逃げを打っている。
それは、もし金融機能強化法によって「資本注入」されるとするならば、例え「旧法で注入の条件としていた再編促進や経営責任の追求」が求められなくとも「道義的責任」から理事長の引責辞任は当然だろう。
しかも退職金なしで。
2008/11/27報道各社が「田母神前空幕長に退職金手続き 防衛省」と7000万円弱の退職金が支払われると非難している。
しかし、大損失した農林中金の(天下り)理事長の年俸が約4100万円だと聞かされれば、田母神前空幕長の退職金など安いものではないか。
ここで、理事長はこの大損失にも係わらず、「海外で積極投資」をうたっているからその責任など当然取るはずがない。管理職が責任を取らないから担当者もお咎めなしだろう。
なんとも無責任体制とはこのことだ。

一方、「サイゼリヤ・140億円のデリバティブ損失で連続ストップ安、見えぬ底」ともある。これは、「円相場が豪ドルに対して円安に振れれば支払金額が軽減されるスワップ取引を証券会社と結んでいた。ところが、実際には大幅な円高となり、その評価損は他通貨を含めて140億円に達しているという。」という円安が当分続くと思い込んだ誤りに基づくものだ。
同じ様なものが、「駒沢大、155億円損失」‥「「スワップ取引」と呼ばれる3つのデリバティブ(金融派生商品)契約。‥‥問題のデリバティブ取引は、主に金利などを交換する「金利スワップ」と「通貨スワップ」の2種で、昨年度、外資系金融機関2社と契約」
その他にもいろいろ報道されたが、探すのも面倒なのでこれのでとするが、どうして日本円は円安のままで推移すると考えたのか実に不思議だ。
少なくとも1年前の段階ではサププライム問題が顕在化して早晩金融バブルは弾けると想像出来たはずではないか‥‥今から見れば結果論だが。
実は、あのFXで巨額脱税の主婦は、脱税の摘発もあって7月にFXを手仕舞いし、又あの秋葉原のビルをキャッシュで一棟買いした「誤発注で大儲けした個人投資家」も株安を見越してそれなりに手を打ったに違いない。
機関投資家という一応プロが痛い損失を被る中、一部のセミプロ(?)投資家は上手に売り抜ける。
この人から考えれば、「機関投資家というプロ」が素人で「セミプロ個人投資家」が玄人ということになる。

さて、2008/11/28の読売新聞朝刊に日本銀行が発表した「10月の金融政策決定会合」の議事要旨が掲載されていた。読売新聞の見出しでは「『市場との対話』懸念残る」と批判的に書かれている。今のマスコミ経済人の論調は、「ゼロ金利政策」への回帰要望なので予想されたことではある。

産経新聞では「田村編集委員」が

イ)「日銀は日本の好機をつぶすのか」(11/22 20:53)
ロ)「円高を加速させる『ゼロ金利回避』」(11/23 09:37)

で日銀政策を批判しているが、世界経済の潮流を無視した事実誤認を繰り返している。
以下 イ)の論調から

1)日銀のかたくなな政策が国際的な金融政策の潮流変化についていけず、円高を加速させているためだ。

‥‥‥はっきり言って、今の円高が日本が「ゼロ金利政策」にせず、日本経済を魅力的にしなかったからと批判しているようだが、誰が見ても「円キャリートレード」の解消だくらいのことは素人でも分かる。
そして、ドル札を過大に発行すればドルの価値が下がるのは経済の常識というものだ。

2)急激な円高は株価の急落を誘い、大手金融機関を資本不足に追い込み、企業の収益力を奪う。                  

‥‥‥株価の急落は円高の影響ではなく、投資銀行などのファンドの解約による換金売りというのは同じく常識で、本来円安になるはずがそれよりも円買いの圧力が強いことを意味している。それだけドルが弱いということだ。
そして、企業の収益力を奪うというが、米国経済が失速して購買力もローンの組めない状態であれば、消費社会の米国へ売り込むという長年の「ビジネスモデル」が崩壊したということで、トヨタやソニーが減益になっても円高というより販売不振である。

そして、トヨタ自動車は欧米に対して、「ゼロ金利ローン」で車を販売するという暴挙に出そうな情報がある。それが出来るならは日本でやるのかといえばやらないだろう。
それだけ、日本で儲けて諸外国で安く車を売るというビジネスモデルは限界だと言うことだ。

3)「日銀が円資金を市場に出し渋るのは、ゼロ金利を避けるためだ」と市場関係者の多くがみている。「ゼロ金利」になると、短期金融市場機能での日銀の影響力は大幅にそがれ、金融調節の妙味がなくなる。日銀のエゴがゼロ金利を拒む。

‥‥‥とやっと、本音が出た。
ところが「ちょっと待てよ」なのだ。
なぜかといえば、日本が「ゼロ金利政策」を実施して、果たして景気は良くなったのかということだ。
事実は、過去ブログでエントリーしたとおり、企業は高金利時代に借りた資金の返済に追われ、「ゼロ金利政策」が終わる頃には持っていた資金を使い果たして倒産の憂き目を見るか体力を消耗した。
銀行は、金を借りる優良企業が減り、又金融庁が債権を厳しく査定して企業から貸し剥がしを促進した。
貸すリスクを取るならば、海外の投資ファンドに安い金利で貸し込んだのが「円キャリートレード」。
事実は、「ゼロ金利政策」というのは、「デフレ脱却の触れ込みながら」国内から資金流出を招き日本経済のデフレを促進したにすぎなかった。
論者は、そんなことを無視して尚も日銀批判を続けるのだが、もし今「ゼロ金利政策」に回帰したとしても、世界経済を見れば景気が上がるとはだれ一人思わない。
そして、まだ日本から米国へ資金をつぎ込めと主張して止まない。
それはこのくだり‥‥

「1987年10月19日の株価大暴落「暗黒の月曜日」以降は日米金利差を縮小させないために利上げできず、結局超金融緩和の中で株と不動産のバブルが膨張した。」
「『為替相場』と『日米金利差』は日銀にとって禁句だ。」

以前から言うように、日本の金を米国に注ぎ込むことによって、米国は返す予定もない借金の上にドル高好景気となり、日本は自身の金を貸した「おこぼれ」をもらうという自虐。
結果、日本から資金が無くなりデフレスパイラルに陥ったということである。
そして、この論者というのは日本は「デフレ不況」に陥っていなかったと思っている節がある。

「金融危機が世界的デフレ不況に転化し、日本も巻き込みつつある現在と、その恐れが皆無だった20年前とは状況が完全に異なる。」

冗談ではないぜ、日本は世界がデフレ不況に転化する前から「デフレ不況」だ。
好景気なら、とっくの昔に政策金利はサププライム問題以前の米国並みの5%にはなっている。
そして、日銀がもし再び「ゼロ金利政策」をして景気が上がらなかったとき、この「論者」はかっての帝国陸軍参謀殿のように「なぜだ!オカシイ」「経済が間違っている」と言うのだろうか。
ロ)の論調で、

「日米の逆金利差はさらに広がりそうだ。円高は一層加速しよう。」

と金利差一本やりで、米国のサププライム問題による不良債権処理とその過程によるドル札増刷を全く無視している。
そして、不思議なことに「円キャリートレード」の不合理さ、金融バブルの発生の原因の一つということを全く無視している。
無視するのは、「円キャリートレード」問題を出されると、「ゼロ金利政策」回帰という論調が根底から崩れる事につきる。
その上、論調の冒頭

「円高に歯止めがかからない。原因は、ヘッジファンドなどの円買い戻しにあるといわれているが、実は現象に過ぎない。」

と述べいるのにもかかわらず、

「ヘッジファンドも日本の金融機関から借り入れた円資金を『巻き戻す』。国内外で円売り、ドル買いを仕掛ける勢力はいなくなり、一方的に円買い・ドル売りが進む。」

と逆のことを言っている。

はっきり言って、自分の論理が実体経済と合わないのに認めようとしないで自説を力説する。
しかも、過去の経済政策を顧みようとしない。
本当に何度も言うように、帝国軍人の戦略のなさと戦術の稚拙さを思い起こさせるものだ。
あの愚劣な作戦、インパール作戦は、現地の司令官が反対したために、更迭までして参謀本部が敢行した、単なる後ろに回り込む作戦。
日本の経済政策があの「インパール作戦」とならないように望むだけというのが僅かな願いというものではある。

イ)論文
【円ドル人民元】日銀は日本の好機をつぶすのか
11/22 20:53
世界金融危機はつい最近まで「日本の好機」のはずだったが、一挙に危うくなってきた。日銀のかたくなな政策が国際的な金融政策の潮流変化についていけず、円高を加速させているためだ。

 米低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)危機による打撃が比較的軽いとみられてきた日本の金融機関も大手企業も財務体質が良好だった。だが、急激な円高は株価の急落を誘い、大手金融機関を資本不足に追い込み、企業の収益力を奪う。

 現在の円高・ドル安の実相は金融現象である。ドル金利よりも円金利が高くなる日米の金利差逆転で、円の魅力が実力以上に増したからだ。日銀は政策金利を10月末に0・2%引き下げたあと、0・3%の水準を維持しようとして市場への資金供給を増やさない。これに対し、米連邦準備制度理事会(FRB)は金融危機に対応するために巨額のドル札を刷っては短期金融市場に流し込んでいる。FRBの市場誘導金利は年1%で、日銀の政策金利0・3%より高いが、為替相場に影響する市場金利は今月に入って米国で0・3%を下回るケースが増えている。米国は欧州とともにデフレ不況の深刻化を防ぐために、一段の利下げと量的緩和に踏み切る見通しで、日米の逆金利差はさらに広がりそうだ。そうなると、円高は一層加速しよう。

 「日銀が円資金を市場に出し渋るのは、ゼロ金利を避けるためだ」と市場関係者の多くがみている。「ゼロ金利」になると、短期金融市場機能での日銀の影響力は大幅にそがれ、金融調節の妙味がなくなる。日銀のエゴがゼロ金利を拒む。

 不可解なことに、日銀にとって円相場と株価は考慮外のようだ。金利据え置きを決めた21日の政策決定会合は「経済・物価の見通しとその蓋然(がいぜん)性、上下両方向のリスク要因を丹念に点検しながら、適切に金融政策運営を行っていく」とした。物価と景気動向に注意するというのは、昔からの日銀の常套(じょうとう)句である。危機対応しなければならないというのに、まるで平時モードそのものである。

 日銀が国際的な協調行動を警戒する背景には、1985年9月の「プラザ合意」の後の苦い経験がある。円高・ドル安進行阻止のために何度も米国との協調利下げに追い込まれた。1987年10月19日の株価大暴落「暗黒の月曜日」以降は日米金利差を縮小させないために利上げできず、結局超金融緩和の中で株と不動産のバブルが膨張した。日銀内の異論は封じ込められ、金融引き締めのタイミングを失した。以来、「為替相場」と「日米金利差」は日銀にとって禁句だ。

 金融危機が世界的デフレ不況に転化し、日本も巻き込みつつある現在と、その恐れが皆無だった20年前とは状況が完全に異なる。日銀が「独立性」を生かすために、国際協調に背を向け、日本経済が死に瀕するようなら、本末転倒もはなはだしい。(編集委員 田村秀男)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
ロ)論文
【国際政治経済学入門】円高を加速させる日銀「ゼロ金利回避」
配信元:SANKEI EXPRESS 11/23 09:37
円高に歯止めがかからない。原因は、ヘッジファンドなどの円買い戻しにあるといわれているが、実は現象に過ぎない。真因は急ピッチの日米金利差縮小にある。最近は米金利が日本より低くなる金利差の逆転が起きている。米連邦準備制度理事会(FRB)が金融危機に対応するため、巨額のドル資金を刷っては短期金融市場に流し込む量的緩和に伴って、短期市場金利が大幅に低下している。対照的に日銀は円資金の供給量を抑えて市場金利が政策金利(年0.3%)を下回らないように金利操作している。米国や欧州はデフレ不況突入を防ぐために、さらに利下げに踏み切る見通しで、日米の逆金利差はさらに広がりそうだ。円高は一層加速しよう。

 ■相場左右する日米金利差
 米国の高い金利と日本の低金利という日米金利差が円ドル相場にどう響くは、グラフをみれば一目瞭然(りょうぜん)である。日米金利差は日銀が「ゼロ金利政策」を打ち切った2006年7月をピークに縮小し始めた。金利差の縮小がはっきりした07年6月から円高方向に振れ出した。米国発グローバル金融危機の発端は07年8月の米低所得者向け高金利型住宅ローン(サブプライムローン)危機勃発(ぼっぱつ)だが、円はその2カ月前に円安の底を打っていた。

 日米金利差が円ドル相場を左右する傾向は1980年代後半から一貫している。機関投資家やヘッジファンドなど投資ファンドが比較的低い円資金を日本で調達して円を売りドルを買って、より高金利のドル資産で運用して収益を稼ごうとする。それは「キャリートレード」と呼ばれる。

 ■「ミセス・ワタナベ」
 数年前からは、海外で「ミセス・ワタナベ」と総称される日本の個人投資家が「外国為替証拠金取引(FX)」に参入するようになった。最大で手持ち資金(証拠金)の200倍ものドルを買い、円安・ドル高と日米金利差で収益を容易に稼ぐことができた。これも一種のキャリートレードである。FX取引仲介業界によれば、FX取引が盛んなときには1日で3兆円分もの円売り・ドル買い介入効果が見込めたという。

 「ミセス・ワタナベ」と海外の市場関係者から呼ばれたのは、家庭の主婦までが手を染めるまでFX取引が一般化したことが背景にある。日本人の姓に多い「渡辺」を引用したわけだ。実際には5割以上が会社員で、多くはインターネットを駆使してFX取引している。読者のなかにはそんな「FXプロ」もいらっしゃるだろう。

 ところが、ここへきての急激な金利差縮小と円高で、FX取引で痛手を受けている個人投資家も多いようだ。特に金利差が開いている間は、多少の円高になっても金利差益で損失をカバーできたが、今はその逆である。日米金利差は解消、逆転したからだ。個人を中心としたFX投資家はこうして退場を迫られている。ヘッジファンドも日本の金融機関から借り入れた円資金を「巻き戻す」。国内外で円売り、ドル買いを仕掛ける勢力はいなくなり、一方的に円買い・ドル売りが進む。

 ■忘れられた本来の使命
 現在、米国の短期市場誘導金利は年1%で、日本の政策金利0.3%とはまだ差がある。ところが実際の市場金利は今月に入って米国で0.3%を下回るケースが増えている。日銀は10月末に0.2%利下げしたあとも0.3%の水準を維持しようとして市場への資金供給を増やしていない。米FRBは欧州とともに近く一層の金融緩和に踏み切る情勢で、日銀が現行の金融政策を続ける限り、日米金利差逆転が定着しそうだ。その結果、円高・ドル安にはずみがつくのは必至だ。

 現在の円高・ドル安は日米の金融政策のずれから生じた金融現象なのである。日本の金融機関や産業界は、世界金融危機による直接の打撃は米欧に比べて少ないとみられてきたが、円高に伴う企業収益の大幅減と株価の急落で、金融機関は株式の含み益を喪失、企業の資産も損なわれている。

 日銀はゼロ金利回避により金融市場への影響力を保持しようとしているが、日本経済の安定という本来の使命を後回しにしている。その結果、健全だったはずの日本の金融・産業界が金融危機に引きずり込まれ、死屍累々(ししるいるい)という最悪の事態になりかねない。
 (特別記者・編集委員 田村秀男/SANKEI EXPRESS)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月27日 (木)

大月隆寛・【コラム・断】で自爆する・マスコミへのおもねり

産経新聞の【コラム・断】何をしたかったのか?(2008.11.26 03:19)
というコラムで、今更ながら例の田母神俊雄・前航空自衛隊幕僚長の投稿論文問題に触れている。
それで、なぜ今頃というのか又は掲載が今頃になったのかと思えば、掲載が今頃になったのかも知れない。
それにしても、その文面を見てみると確実に投稿論文「全文」を読んでいないとありありと分かる。
何故なら冒頭で「そこまでやるなら、普通クーデターでしょう。」と何やらビント外れの書き出しだからである。なぜピント外れなのかと言えば、投稿論文は「歴史に関すること」で自衛隊・自衛官等には何も触れていないからだ。
はっきり言って、「歴史」を書いて「クーデター」という物理行動へとは、普通どう考えても結びつかない。何と言っても「行動せよ」という「アジ」論文でもない。
多分、認識は「朝日」「読売」などの新聞報道の範囲に留まる。
そして、そのマスコミは一様に「侵略戦争でなかった」、「村山談話に反する」であって、論文全文に踏み込むものはなかった。
要するに、田母神論文を一切読ませないように「封印する」というのが、国会参考人質疑でも堂々と委員長から述べられたことだ。
そして、その封印という作業は、テレビ放映にNHKは参加せず、新聞各社で論文全文を掲載したところはない。朝日、毎日新聞などが、ほんの数行引用したくらいだったはず。

大月隆寛(札幌国際大学教授)は、藪にらみの意見を得意とするところなのだが、文章の基本の「原文の当たらない」という欠点が露出した。多分こう言うのは性格なのかも知れないが、学者としては失格の部類としてか思えない。
かって、子どもの修学旅行に行かせる金が(もったい)ないから、修学旅行に行かせなかったと同コラムで書いた事があった。
こういう種類の人物は、自分可愛さで自分に対しては無駄遣いしたりするタイプだから、他人のことが分からない。
そして、売文業としてマスコミの動向に敏感に反応して「左翼か変人」を装うのはけしからぬことだ。
それにしても、軍人と自衛官の区別のつかないのがこういう売文業にもいるのか、その振りをするというのは日本人の良くないクセだ。
日本の言葉で言う「自衛官」とは、「官吏」であって「警察官」「消防官」「裁判官」‥‥と数多くある「役人」の一種だ。
それを軍人と便宜上「言い換え」区別するというのが戦後「欺瞞」である。
だから本来、海上保安庁という国境を越える警察権を行使する「行政機構」は「軍隊」でなくてはならないが、これも「官吏」という枠内にいる。
その結果、「海上保安官」は拿捕されて捕虜になっても「軍人」ではないので、かってに処刑されても法律上保護されないという欠点がつく。
そして、
「政府見解はもとより、あなた自身の職務として最前提となってきたはずの米軍との信頼関係を損ないかねない発言をあえてしてまで、果たしてあなたは何をしたかったのか?」と全く無知なことを暴露してしまったのは、またまた痛かった。
米国も当時日本と同じように、コミンテルンの被害を被ったという共通認識があれば、田母神俊雄論文もあながち「米国非難」ではない。

正直言って、「何もわからぬこちとらシビリアンとしては。」といいながら、その「シビリアン」以下で、家庭の幸せも願わず、かつ子どもの幸せをも奪う非情さ。
情けない人物というは、田母神俊雄氏ではなくてこの「大月隆寛」その人であろうということを暴露してしまった「自爆」だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月24日 (月)

蘭亭序を中心として‥碑法帖入門・伊藤滋先生講演

平成20年11月23日(日)、上野の精養軒で伊藤滋先生による講演会があった。
演題「碑法帖入門・蘭亭序を中心として」
蘭亭序は、あの「蘭亭序」の話である。
確か、この夏には東京江戸博物館で中国から臨模本の展示があって、大盛況だったと思う。
今回は、「蘭亭序」の拓本や臨模本を比べて年代が新しいとか、拓本を又石に彫って拓本を取るとかそう言う中国の訳の分からないことを説明した。

兎に角、蘭亭序と言うものは、真筆が存在しないで全て模造品が出回っている。
その上、その蘭亭序を石に彫って、拓本にしたものが何種類もあり、事実「宋時代」以降にしか遡れないから妙なものだ。

そして、その拓本自体に違うものが結構ある。
兎に角面白いのは、その拓本、臨模本の時代を遡ることも本物であるかも一切確かめようがないという。
そこで、時代を確かめるため押してある「蔵書印」で古いと見るしかないという。

拓本も何種類もあって、このうち二つずつが同じ石からのものと言うことを示したもの。

拓本の取り方、印面の部分の石の堀方に新旧の区別が付く。

拓本も、その前のものの拓本を元にして、石に彫って又拓本を作るとか。

それで、拓本に押されていた印を見てみると、同じ印のはずなのに微妙に違うということが分かる。
早い話、印も偽造されたのかも知れないということもある。
いずれにせよ、中国では偽物文化が盛んだから金儲けにたくさん複製品が作られたというのだろうし、多分現在でも作られている。
講演は、何やら興味を持って2時間半程度の講演を終わり、蘭亭序の本を売っているというので2000円で購入してきた。
綺麗な拓本の写真があって、こんな安い値段で販売出来るのも拓本本体を持っているからなのだろうと思われる。
今年の、春先香港、クリスティーズで「蘭亭序」の拓本が販売されたという。
買ったのは、日本の女性だそうで約5000万円とか。
但し、今まで見る蘭亭序とは、大分趣が違う写真が紹介された。

その後3時30分から上野精養軒の場所を変えてレセプション。
それにしても、休日は精養軒も人が多い。

よく知った顔を見るけれど、結構知らない人も多い。

2年前は、何かの関係からか、レセプションに出なかった人が多く料理が大量に余ってしまったことがあった。
そこで食い意地を張って、ピラフの中の「貝」を食べたら、火が良く通っていなくて??翌日から熱を出して3日間寝込んでしまったことがあった。
今年は、貝類は出でいなかったが、なるべく注意して食べたというもの。

なんというか、あまり食べないうちにお腹が一杯になり食べられないというのは困りもの。
又、今年は結構人数も多かったのが、少し気がついたらほとんど食べ尽くされていた。

今年は、不思議と最後のコーヒーとアイスクリームが早く出で、3時30分開始から1時間程度でレセプションが終わってしまったのは、帰る方としては有り難かった。
というよりも、料理が終わったと言うものだろう。
それにしても、上野精養軒のパーティ料理は結構美味しいのでいつも楽しみにしているものではある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第40回日展・第5科・書を見る。

平成20年11月23日(日)は、新国立美術館の開館に合わせて9時30分に東京駅に到着して、何とか10時に間に合った。
日展を見るためなのだが、実は2年振りである。
なぜなら、日展が東京美術館から新国立に移った昨年は様子が分からなかったから、行かなかったからである。
それが今年は、画材屋に行ったら前売り券が売られていた。
前売り券というと、以前都美の時は、JRの券売り場で売られていたが、今回は800円で地下鉄の通路で前売り券が売られていた。
だから、当日会場の入り口で1200円の当日券を買っている人など見たことがない。
自分は、幾らで買ったのだろうか、多分700円。
多分というのは覚えていないし、領収書もなかったからなのだが‥‥

日展というと、写真がない。
何故かというと、休祭日は写真撮影は禁止、平日でも撮影許可がいる。
しかし、有料の毎日書道展であっても、書道関係というのは写真撮影はどこでも「可」というのが言わば常識である。
確かに、「絵画」など勝手に写真を撮られてしまえば、「絵はがき」「図録」などが売れないから経営上問題があるだろう。
それにしても、未だに「絵はがき」を売っているなど、旧態依然としているのは「日展」ならではなのかも知れない。

それでも都美の時、知り合いの書家の作品があったので「目を盗んで」デジカメで撮ったことがある。
何故なら、休日だと行っても、「書」の平入選の場所などほとんど人っ子一人いないところだからだ。
それが、どこからとも無くあの青の制服を着た「おばさん」が飛んできて、一くさり「休日は撮影禁止」ですと怒鳴られたことがある。
規則は規則だからね。
しかし、書道関係だと非常に奇異である。
実は、結構見ていないところでカメラでパチパチと記念撮影というのは日展5科ではたまに見ることがあるからだ。

さて、都美から新国立になって展示スペースが多くなったと思ったら、どうもそうではないらしい。
何故なら、依然展示スペースの割り振りは都美時代とあまり変わらない気がしてならない。
新美というのは、各階に大きく分けて3大展示スペースがあって、必ず1階の三分の一は新美の企画展。
だから、1階は2スペース。2階は3スペース、3階は、講堂を挟むために2ないし1スペース。
そして、1科日本画と2科の洋画で1.5ずつ使い、工芸と彫塑で2使うと、5科の書は相変わらず1スペース。
そこに1000点以上(公募入選970点9.17%)、日展の総入選数の72.82%が展示されるから相も変わらず見苦しい展示だ。
今年は、1科の日本画(入選率34.85%)の展示などは素晴らしい展示で、洋画(24.75%)もそこそこ、彫塑(64.02%)も同一フロアでの展示になったから結構見栄えがする。
一方、入選率が8%前後だった5科は、新美になってから9%前後になったから展示数が200点ほど多くなった。
いずれにせよ、毎日書道展などに比べたらわかりにくい展示だ。
特に、特選が25室という出口のところにある。
しかも、審査員、役員、委嘱と入選、新入選などキャプションは全て同じ色の「明朝体」のパソコン打ち出し。
この文字が小さい、見にくい。
その上、説明が「写植」のようなもので益々貧弱。
作品はどうなんだ‥‥‥早く言えば、全く同じ。
何年も同じ。多分、数年前の作品を持ち寄っても同じ展覧会が出来てしまうくらい同じ。
しかも、特選‥‥といってもどこがの作品と違うのか、一般人ならというか我々でも区別が付かない。

毎日系だと、創作が強いからそれなりに作品の善し悪しが判る。
ところが、日展、読売系という先生とそっくりのコピーを書かない限り入選はしない。
‥‥ということであれば、書道界の内情というものは大方想像が付く。
はっきり言って作品ではなくというか、作品では優劣の区別が付かないから、人物で序列をつける。
いろいろ複雑な人間関係の上に成り立つのが「特選」という賞というものだと言うことだ。

ならば、書だけかと言えば、「絵画」の世界だって同じだと聞く。
「特選」を取るためには、「師系列」要するにどこの先生の「会」に所属するのかというのが条件だそうだ。
そう言えば、日展の洋画‥‥版画の「ジュディ・オング」。
今年は、この名で出でいた。但し、一番最後の方の部屋の末席の場所だった。

この長い列は、レストランに入るためのもののよう。
やはり連休は大混雑だ。
書道は、不思議と毎日展より少ない気がするが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月22日 (土)

第49回群馬県書道展 開幕・オープニング

2008年11月22日、第49回、群馬県書道展が開幕した。
そして、朝9時30分から「開幕式」が行われた。

今日も天気がよい。
しかし、写真を撮るとなると逆光になったりして結構難しいことになる。

この開幕式には、来賓、主催者は基より、運営委員の先生方、その他大勢の参加者があった。
続いて、理事長の小此木草卿先生の会場紹介の後、各部の審査主任の先生による解説が行われた。

少し奥へ行くと、マイクの電波が届かないために言っていることが聞き取れない時があった。
又、当番審査員の先生方の展示してあるところと、知事賞などの最高賞の展示してあるところが違うために入り口が狭くてよく見えない。

解説の最後は、「山﨑種二記念特別賞」の解説。
星野聖山先生が直々に、説明された。
その他の会場風景は、こんなもの。
写真は、南の通路側の展示スペース。

最後に、中年のおばさんが、年寄りばかりが目立つ中で、背が高くて小顔の女性がいたので事業部長、県文化事業団文化振興課長(?)とともに写真を撮ってみた。
山﨑種二記念特別賞選考との時に、濃いねずみ色のスーツの秘書さん二人のうちの一人かと思ったら、どうも「群馬県」の関係者の様に見える。
隣の長髪の人物が文化振興課長だとすれば、同様に事業団関係者なのかも知れない。
正直言って、美術館の職員の人は結構ラフな格好だったりするし、IDカードを首からぶら下げている。

‥‥よく聞いたら、名前だけ聞いていた県庁の担当の「M主幹」の人でした。

最近、臨時のバイトさんか秘書さんかと思ったら、そうでない人もいてよく分かりませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月21日 (金)

群馬県書道展覧会・陳列作業終了

2008年11月22日オープニングを迎える群馬県書道展の陳列作業が始まった。陳列は、同時に2会場で行われ第一会場である群馬県立美術館では、午後4時に一応の終了を見た。
しかし実際は、夕方5時近くまで最終的な準備も含めて行われた。

昔の陳列作業は、各団体からの応援で行われていたが、女性が多いのと高齢化のために、最近ではシルバー人材センターの人が手伝うようになった。
このシルバー人材センターの人以前は、人材派遣会社から派遣してもらって行うことがあった。
そのときは、夕方3時、4時に終わっても朝8時に安中から出発する時間から計算され、終わり時間は6時頃で1展覧会で100万円単位の費用が使われたと様な気がする。
そして、昨年まで「前橋のシルバー人材センター」からの派遣だったのが、県の美術館は高崎市にあるために高崎の方を使うことになったという。
そのためかどうか知らないが、不慣れなために今回は陳列移動のためだけで多くの破損があったと言われている。
そう言う作品の破損というのは、展覧会に付きものなのだか、主催者としては頭の痛い問題である。
何故なら、ほんの少しの注意でほとんど防げるからである。

いずれにせよ、21日は良い天気になった。しかし、午後から大分風が出てきた感がある。
展覧会が始まると直ぐに、12月。
11月はこれから毎年何もしないで終わるのかと思ったりして。

県立美術館の改装で驚くほど明るくなった。
見た目の印象でも、すっきりした感じがある。
そして、入り口の奥の改装した床は、何やら新国立美術館の床に似ているように感じた。
22日からオープンだが、県立美術館の2年間に及ぶ改装で、レストランが変わってしまった。
それにしても、毎回おにぎり弁当を食わされるというのも、味気ない気がする。
レストランでもっと旨いものはないのか‥‥
‥‥と思ったりする。
カレー定食がコーヒー付きで1000円というのも東京銀座のランチタイムを思えば随分と高いと思うものではある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月20日 (木)

日本経済が回復しない訳・「納得する」仕組みの脳構造の欠陥

日本経済が回復しない訳・「納得する」仕組みの脳構造の欠陥

2007/02/03産経新聞・【正論】東京大学教授・松井孝典「納得する」仕組みをどう作るか
‥‥という論説があった。
その要約は‥‥‥

科学というのは、このような「分かる」という認識の世界である。
信じるのはこの意味で「納得する」の分かりやすい例である。

とのことで分かるとおりである。
その「納得する」仕組みとは、当時の小生のブログでは「『分かる』と『納得する』の定義をし、その上で確立された事柄はそのまま信じろと『衆愚』を主張している」と書いた。ここでは、この「納得する」仕組みを別の言い方で解き明かしてみたい。
この松井先生が言う「納得する」仕組みとは、教科書に書いてある事、又は「政府見解」などの件は、国民の英知を集めて説いたものだからそのまま「信じろ」と言うことである。
だから、その教科書や「政府見解・方針」の中身は詮索せず、そのまま受け入れろと言うことでもある。
ところが、昨今のサブプライム問題に端を発した世界同時不況は、正にその「納得する仕組み」の破綻であると言える。
なぜなら、サブプライム関連の住宅証券は、格付会社がAAAの評価をしたから「安全確実」と誰もが信じて投資したのだが、その中身は誰も知らなかった。
これは、それこそ「納得する仕組み」では身の破滅である事を表している。
一方、日本経済を見てみれば、欧米に留学して欧米流の経済学のスペシャリストになった学者は、その経済学理論に対して一切の疑問を挟まない。
すなわち、教科書の中身は疑わない。そうは言うものの、その教科書に書かれているものは「例外」なのかもしれないと言うことだ。
かっ て、遺伝の教科書として1865年に発表されたメンデルの法則というものを習った。しかし、そのメンデルの法則の例というものは「例外の特殊例」であるこ とも一緒に習ったのを記憶する。普通一般に自然現象などを数式等に表すことがある。しかし、その数式に当てはまるのは、その数式が生まれた環境によるもの で、環境が違えば意味がない。
ところが、「教科書」に誤りがないと錯覚するとそんな原則も無視する。
なぜなら、「分かる」というその教科書に書いてある事を疑うのを嫌うからだ。

そして、「納得する」という「教科書」をしっかりと身につけ学歴社会という階段を上り詰めたのが「中央官庁の官僚」や「経済学者」ということになる。
昔で言えば、幼年学校、士官学校、陸大と卒業して参謀本部入りの軍人官僚である。
当然その教科書に書いてあること以外では何をやって良いのか分からない。
だから、もし日本に本当の経済学者がいるならばあの「失われた10年」から学んで新しい「経済学」を構築しているはず。
現在そんな経済学が出来たとは聞き及んでいない。彼ら経済学者は自らが学んだ「教科書」から離れられず、今社会現象を説明できずにいる。

この松井先生は、その「正論」の最後で、

「今、日本で必要なことは、したがって『分かって』もらうための仕組みではなく、『納得して』もらうための仕組みを考えることなのである。その納得する仕組みは、風土と歴史によって異なる。
わが国独自の、その様な仕組みをどう構築するかが問われているといってもよい。」

と実に曖昧なことを言っている。
と ころが、そこでよく考えてみれば、実は「納得する」というのは、本来狩猟民族の理解であり、「分かる」というのは自然を相手にする農耕民族の思考回路であ ることが分かる。そう言う農耕民族的の「分かる」世界に、「納得する」という観念の指導者が出る場合、非常に問題が多い。
何故なら、その様な「分かる」世界では「失敗したときの」フィードバックがないからだ。そして、狩猟民族は、「納得する」という一致団結した統制を取ると共に、失敗したらその指導者を交代させ、「失敗の理由」をフィードバックする新陳代謝がある。

週刊新潮 [ 2008年11月27日号]
あとの祭り/なぜ、田母神論文が生まれたか・渡辺淳一

を見てみると、日本占領下の戦後教育の成果というものが良く出ていることが示されている。
何故なら、渡辺淳一氏は、典型的な「納得する」教育を受けている。
それでいて、その認識がないままに、自分の「体験」すら物事を分析出来ず、誰かに言われた短絡した思考・評価でしか「体験」を説明出来ないという欠陥に陥っている。

その他のことは、前回のブログ
「産経・正論「分かる」と「納得する」の言い回しの理解」
http://pub.ne.jp/Indianinkworld/?entry_id=530782
に譲るとして、今いる自分の環境も経済も分析出来ずに日本はどうしたものか。
考えてみれば、麻生総理がG20に行って言ったことは、「1000億ドル(10兆円)」をIMFに供与すると言ったのみで、何をどうするのかは全くの人任せ。
そして、今日本にも世界同時不況が押し寄せてきても、なすすべもない日本経済ということを見れば、既に「納得する」世界の脳構造は崩壊したといって間違いない。

どどのつまり、「失われた10年」を経験しても何の成果も理論も上げられなかった経済学者、政治家達というのは、もはや日本を託すのには適しないと言わざる終えない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山﨑種二記念特別賞 群馬県書道展覧会

群馬県書道展はいよいよ明日陳列、22日のテープカットになった。
総出品点数2,518点、入選率90%、特別賞は入選点数の4%、秀作は10%という結構厳しい審査になった。
公募は、1.955点の搬入、入選1,759点、委員309点、委嘱作家254点で部門としては、第1部漢字、第2部かな、第3部墨象、第4部小字数・近代詩文、第5部篆刻となっている。
又、今年の委嘱大賞の先生は、1部から4部まで、各部3.3,3,1人になったが、詳しくは21日か22日の上毛新聞紙上に掲載される。
さて、今年の山﨑種二記念特別賞は、星野聖山先生と決まった。
星野聖山先生は、慶応大学講師という肩書きのもと、月刊「聖筆」という書道雑誌を企画編集されている。
群馬県での賞としては、群馬書道奨励賞、上毛芸術奨励賞(上毛新聞企画)その他、上毛書道30人展運営委員などをなされ、残すは、この山﨑賞を残すのみというものだった。



今回、の山﨑種二記念特別賞の候補となった時には、「他の追従を許さず」の絶対的な候補と噂されていた。
そして、誰が見ても星野先生の作品が圧倒的であるのは、候補作品を見て見てれば明らかではないか。
裏を言えば、この山﨑賞の候補者はどこの公募展でも同じように、どちらかと言えば作品よりも人物を先に選択する。
だから、良い作品が出で来るとは限らないというのは常識である。
一方、作品で選んだのなら中々候補も決められないのかもしれない。
そして、星野先生の場合、「近代詩文」という群馬県展としては出品点数少ない部門でありながら、山﨑賞を近年量産している部門である事が功を奏した感じがする。
それだけ、候補者を選考するときに、賞を取れそうな先生を選考しやすいのかもしれない。
あくまで、想像であるが。
しかし、小生にとっては、今回は妙な副産物が出来てしまった。



見ての通り、レンズが出たまま戻らなくなり購入して4ヶ月でただのゴミになってしまったGRIIである。
早い話、この写真を撮っている最中に落としてしまったと言うこと。
結構高く付いた写真というものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月19日 (水)

第59回群馬県書道展・審査終了

11月22日から開催される群馬県立美術館展示室・全館を使った第59回群馬県書道展の審査が終了し、審査結果が出品者に発送された。
昨日18日審査結果は到着したと思われる。(メール便)
今年の、入選率は出品点数の多少の減ためにわずか上がって、90%ということらしい。
なんだ90%かと思うと実際は大間違いで、会友という15回入選者が無鑑査扱いのために実は非常に厳しいことになっている。

しかも、臨書の細字などを書いた作品は軒並み「落選」と言うことになったという噂である。
そして、そういう社中はある特定の団体だったりすると落選率は30にも40%にもなりうる。
一節には、「臨書作品」は展覧会作品に向かないといい、基本は「創作作品」と言う人もいる。
ここのところが、臨書作品を中心とする、いわゆる「学生展」との大きな違いであり、一段と高いハードルになっている。

県立美術館も例のアスベスト問題で、2年間をかけて改装して一番違うのが「照明」が明るくなったということだ。
しかし、見ての通り審査員の先生というのはベテランの先生方で、とっくの昔に「老眼」になっている方々。
遠くから見たら、何も見えないだろうとは偏見?を持った自説ではある。
賞は、委嘱作家(無鑑査)を対象にした委嘱作家大賞、公募を対象にした知事賞以下がある。

実際のどこの展覧会でも公募の最高賞・知事賞というのが「花」で、今年の表彰式謝辞は、近代詩文書の部だという。
一方、委嘱作家大賞というのは、この賞をもらって3年後に審査会員即ち、展覧会・委員に推挙される。
今回も、委嘱作家歴・苦節19年という人もいて、難関さを思いやられるものではある。
そして、最後の賞。
山崎種二記念特別賞は、19日に山種美術館の方から審査員が来て決定される。
18日に搬出となる県美術展の山崎種二記念特別賞は、公募の知事賞・陶芸に贈られたが、書道は時の「当番審査員」を中心とする中から選ばれるというのが、暗黙の了解になっている。
出品要項では、公募を含めた全ての出品者の中から選出ということなのだが、先生を差し置いて弟子が賞を取ることなどあり得ない書道界だからこんなことになる。
一方美術の方は、県美術会よりも遙かに上のランクに属する先生が公募で出品することもあり、一概に公募のレベルが低いというわけではない。
だから、かって人間国宝の竹細工の先生が、群馬県内に居を移したので「礼儀として」出品したという例があった。
しかし、美術の工芸専門家は彫刻、陶芸などの先生が中心。
見事に「落選」させて、大恥をかいたということもあったらしい。

いずれにせよ、19日には書道の「山崎種二記念特別賞」が決定する。
ちなみに、小生などの弱小社中(出品点数ではなく‥…充分多いが)では縁のない話であることは間違いない。

事務局も、狭い無窓居室の穴倉に美術関係の先生と同居だと息苦しく、毎日辛い日々が続くものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月18日 (火)

地方を犠牲にして、大都市・大企業だけ栄えた国の経済の終焉

地方を犠牲にして、大都市・大企業だけ栄えた国の経済の終焉


今日の新聞社説を読むと、「国内総生産(GDP)実質成長率は、年率換算の前期比でマイナス0・4%だった。連続のマイナス成長は、ITバブルが崩壊した2001年以来のことである。」とある。
しかし、今までの実感として景気が良かったのか??と訝るものである。
なぜなら、地方ではあの「住専処理」から一貫してマイナス成長だからだ。
しかも、あのなんでも中国へ、中国へ工場進出と地方にあった工場は閉鎖され、その下請け企業は廃業するか、親企業の後に従って中国へ工場進出するしかなかった。
そう言う地方の犠牲の上に東京という「景気の良い都市」が存在して、中央官庁の経済関連役人やら、学者が好景気を謳歌していた気がする。
いずれにせよ、バブルの頃から地方に何か波及してくるときには「景気が弾けた時」で、見たことも聞いたこともない東京のマンション業者から「投資向けのマンション」を買いませんかという電話がかかってくる。
そのうちにそんな電話も掛かってこなくなったと思ったら、街の真ん中の大きな邸宅の持ち主が「相続破産」寸前で投げ売りしてマンションが出来るという。
ところが、あの改正建築基準法のお陰で建築確認が遅れ、そして不動産バブルが弾けたのか、今や邸宅の跡地には雑草が蔓延る空き地になってしまった。

この様に地方から国の政策を見ていると、国内景気を良くしようなど何も思っていない事がありありと分かる。そして、大企業は海外生産、海外工場進出で国内の雇用は益々細り、例の低所得者層という人達を創出させた。
確か、バブルの頃には自動車工場などに期間工として勤め、月額4-50万円も稼いでいたのも実は彼らだった。

そして、借金をしてものを買いあさっていた米国民は、今や借金も出来なくなって現在の景気減退と言うことになったが、そもそも彼らに借りた金を返すのかという疑義がある。
金を借りたら、返さずそのまま逃げてしまうと言われる中国人と同じように、金を借りても返さなくても良いのなら金を貰うのと同じ。
こんなのであれば、誰だった金を借りものを買う。
しかし、日本人というのは元来借金が嫌いな人種で、今でも買い物は「いつもにこにこ現金払い」と言うのが普通だ。
だから、日本人というのは金がなければものは買わないし、買うとしても値崩れして周回遅れの製品を買ったりする。
今、内需拡大と経済評論家、マスコミ、チーフエコノミストは言う。
ところが、庶民から見れば高給取りの連中のくせに金のない「庶民に金を使わせる気か」と怒鳴りたくなる。
この様に日本の政策というのは、国民を犠牲にして金を外国に貢ぐようなことをしていた。
その貢がれた金で米国は借金をし、又その金で日本の土地を買い、企業を買った。
これこそ、日本人の自虐の最たるものだろう。
しかも、そんな日本から工場を海外に移して利益は、日本に持ち込まない大企業と米国への資金供与を目的として低金利政策を続けたのなら、日本政府当局というのは国民の敵のようなものだ。

ここで国の成り立ち、国家としてなすべき事の基本を考えてみよう。
国家の目的の第一は、国民の安全保障と国民の利益。
それと当時に国民を豊にすることだろう。
よくよく考えてみれば、米国は「強い軍隊と強いドル」を希求し、同じく中国もロシアもEUも多かれ少なかれ似たようなものだ。
振り返って、日本を見てみれば、日本は軍隊を持たず「事実上の警察予備隊」という軍隊でない軍隊を持ち、最近では「昨年9月、談合や情報流出など相次ぐ不祥事の再発防止のため設立された防衛監察本部」という組織が思想統制をして、思想的に弱体化させるという。
経済では、世界でも珍しい「紐付き」でないODAで金だけ出して、その途上国に日本の国連常任理事国入りを反対されたり、又は、謝罪に謝罪をして「国軍」を削減したり‥‥
一方、金を出せ、技術をだせと言われると金も技術も何の制約もなしに出して、逆にその成果は教えられないと言われる。

この様に最近では、日本は国民を守るための「軍隊」に対して「守るべき国はない」と公言してはばからない。
又、国民の金は国外へ持ち出して「円安にして高いものを買わせ」、国民の財布には「金がない」のにもっと出せと増税するという。
福祉も大切だが、福祉重視の国は日本とは大きく違うと言う事をひた隠しにして、その福祉という「ばらまき」のみ強調している。
正直言って、映画の題名ではないが「わたしは貝になりたい」
‥‥とは地方に住む国民にとって、今の自虐政府という悪夢が通り過ぎるのを待っていると言うことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月17日 (月)

水と緑と詩のまちが泣く・街路樹伐採・前橋市

11月も中旬になって、周りの木々の紅葉もだんだんと綺麗になった。特に今年は、赤や公孫樹(いちょう)の黄色には目を楽しませることもある。
結構小道など綺麗なものだ。
しかし、こういう広葉樹というものは、夏には木陰を作り、今散々言われている「二酸化炭素」吸収には効果がある。
そして、不思議なことに紅葉というのは、色々な場所で時期というものがある。
ところが、最近国道などの街路樹では紅葉が見られない。
なぜならば、10月下旬から木々の剪定に入り、紅葉して落ち葉が落ちる前に刈り取ってしまうからだ。
落ち葉が、下水路をふさぐという色々な理由があるのは確かだが、味気ないことだ。

ところが、そんな車が多く通らないようなところでも異変がおきていた。
それは、前橋市立図書館の駐車場だった。

驚くべき事に、あるはずの樹がない。
この場所の過去の写真を見てみれば明らかだろう。


この写真は、2003年12月に余りに綺麗だったので撮っておいたもの。
逆の方角から見ると。

この銀杏の木は、いつ頃からあったのか記憶がない。すくなとも20-30年以上前から同じ状態であったはず。
この駐車場が出来る前は「逓信病院」が戦後あって、その後空き地だったのだがその頃にあったのかも分からない。

そして、この銀杏の葉は、結構近所の人が掃いていたりするのだが、今や無残なことになってしまった。

切り株の後も新しい無残な銀杏の木。
これは、落葉する前に切ってしまおうという意図が見え見えだろう。これでは前橋市のキッャチフレーズ「水と緑と詩のまち」が泣くと言うものだ。


無残な切り株が並ぶ。

よく見れば分かるように、街路樹や木々が恐ろしく少ない。
そう言えば、群馬県庁の周りの樹齢100年を超える「厩橋城」からの木々を一時の行事のために一斉に切ってしまった。
それは、国民文化祭というのが、群馬県で行われたときで、そのイベント用に巨大スクリーンを設置するのに松の木が邪魔だったからであると言われる。
そして、一部を伐ると不自然と用もない全部の樹をきってしま伐ってしまった。
その時の小寺知事は、その後の5選を目指した知事選で落選し、その報いを得たが木々は戻らない。
小寺元知事などのように旧自治省出身の落下傘政治家は、地元の伝統文化を破壊するのが通例で、戦後は県庁のある場所の厩橋城の遺稿は徹底的に破壊された。

それにしても、小さな木々だと言っても、市民に楽しまれた樹を単なる役人の都合で伐採するというのは、前橋市というのは地球温暖化阻止を唄っていながら、実はそんなことは「関係ねぇ」という役所だと言うことがよく分かる。

そしてこの美しい風景は二度と見られないのである。
2003年12月2日撮影。

露出時間 : 1/125秒
レンズF値 : F4.9
ISO感度 : 100
Exifバージョン : 0220
オリジナル撮影日時 : 2003:12:02 10:01:33
対象物の明るさ : EV6.8
露光補正量 : EV0.0
開放F値 : F2.8
レンズの焦点距離 : 24.00(mm)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

‥‥暗澹たる気持ち‥‥‥文藝春秋2008 12月号立ち読み「世界同時不況 日本は甦(よみが)えるか」

文藝春秋2008 12月号立ち読み「世界同時不況 日本は甦(よみが)えるか」
‥‥暗澹たる気持ち‥‥‥
文藝春秋で「世界同時不況 日本は甦えるか」と題して高橋洋一/榊原英資/竹森俊平/渡辺喜美/水野和夫/田村秀男/宮崎哲弥(司会)が話し合っている。
1-「失われた十年」再び来たる 2-株安・円高地獄の脱出策は? 3-「アメリカ金融帝国」没落す 4- GMがトヨタに買われる日
と大上段に振りかざして、「未曾有の経済危機の核心を七人のエキスパートがえぐる」としているのだが、はっきり言って従来の経済談義の枠から出るものではなかった。
特に、高橋洋一氏など小泉内閣の総理秘書官で、いわゆる米国式な視点で日本経済を作り直そうとした意見は、どうもしっくりゆかない。
はっきり言えば今の現状に合わないというか、悪いことを言えば「旧帝国陸海軍の参謀殿」というかって応用の利かない戦術しか提示出来なかった、経済議論でしかない。
しかし、同じ様な米国経済ベッタリの竹森俊平氏(慶応大学教授)や水野和夫(三菱UFJ証券)、ベッタリでもないとしても同じ傾向のある田村秀男(産経新聞論説委員)氏は意見が合うようだ。
違うのは、経済はド素人という渡辺喜美と、榊原英資(元財務官)。
そして、特に突出して話を主導しているのが高橋洋一なのであるが、榊原英資が持論を展開するとほとんど理解出来ないと言うか、頭が受け付けない様子が見て取れる。
榊原英資の持論というと、以前エントリーしたのを再掲してみると‥‥

地方紙に「にっぽん診断」というコラムがあった。
「円安バブルの崩壊」「個人投資家にツケ回る」としてあの榊原英資(元財務官・早稲田大学教授)が述べている。
「‥‥ 極端な円安が今、崩壊した訳だ。長く続いたゼロ金利、低金利の異常さが今になってやっと認識され始めたのだ。『デフレ脱却』を旗印にゼロ金利継続を主張した小泉・竹中路線とそれにそこそこ付き合ってきた日本銀行の誤りのツケを、‥‥円安バブル崩壊のコストは極めて重く日本経済にのしかかることになろう。」

この文藝春秋誌上では、ゼロ金利政策、低金利政策を早く止めて政策金利を2.0%程度にしておけば、利下げ余地もあって日本経済にとって良かったと述べいているに留まる。
一方、高橋洋一氏は、今後「ゼロ金利政策」に移行し、且つ「量的緩和」を推し進めれば景気は回復すると広言して止まない。
そして、「ゼロ金利政策」は効果がなかったではないかと反論すると、「量的緩和」をしても翌日には「金」を引き上げたと日銀の政策を批判する。
しかし、実際は「量的緩和」をして金融機関に「金」を積み上げても、借りる企業はなく単に金融機関のみに金が集まって、市場には流れなかった。
そして、逆に企業は持てる資金、資産を食い潰して「高金利時代」の借入金の返済に充てたわけで、市中の「金」マネーサプライは減少したはず。
実際データーを見てみると(日銀・量的金融指標(市場規模・残高等)/通貨・マネーサプライ (1998年4月から2008年4月まで))
「ゼロ金利政策」を実施した1999年2月から半年以上経った1999年12月から一般企業で急速に資金力が減り、事実上のゼロ金利政策が解除される年の2006年の3月頃には最低値を記録して以後多少の微増がある程度である。
(但し、何の指標で見るかで異なるが)
こんな風に、「ゼロ金利政策」というのは経済に関して意味がなかったし、水野和夫の様に、例え高金利にしても「金を借りている人」にしか影響が出ないと単純に考えている人物もいるから‥…といっても水野和夫氏は、中国経済信奉者だから日本経済はどうするのだと言うものであるが‥‥

最後の方になると、高橋洋一氏などが主張する「マクロ経済」ではなくて、これからは「ミクロ経済」だと榊原英資氏に言われると、その内容も少々雑であったが、やはり頭が全然受け付けない様子であった。

景気を良くする、経済を良くするというのは、国民に「金を持たせる」か「国民の資産」を公平に増やすと言うことにつきる。
その典型例が日本のバブル経済だったのだか、その簡単な原理が分からないのが、ここに参加した「七人のエキスパート」という人達の大半の様だ。
国民の7割が資産(?)として所有している不動産の値上がりは、心理的に国民に「小金持ち」の感覚を与えたし、事実土地を売れば一生食えるというにわか土地成金も出現した。それが回り回って株、債権になってきた。
それを潰したのが、いわゆる米国経済至上主義者であり、マスコミ、官僚達の共産主義思想による「土地所有」アレルギーだった。
そしてもう一つ米国にやり玉に挙げられたのが、「マル優」と日本の貯蓄信奉。
批判されるや税金を取りたい国税は率先して「マル優」を廃止、国は機関投資家に毎月米国国債を幾ら買ったか報告させた。
その米国国債は、やはり米国の差し金によってのその後円高による為替差損で大損をして、証券、生保の破綻の遠因になった。
そして、その手が使えなくなれば、低金利として米国債権へ投資させた。

要するに、日本の国内から金が消えて無くなるというのは、デフレ不況。
今の日本政府の遅い対応、物事の本質を理解していない経済対応は、益々日本経済を混迷させるとしてか思えない。

「良い円高」と「悪い円高」との議論を文藝春秋ではしていたが、実際は「良い円高」しかあり得ない。
何故なら、円高は輸入大国でもある日本では直接国民のふところ具合に影響する。
それに対し、輸出企業のトヨタ、ホンダ、ソニーというのは、ドルを円換算しての話であって、日本企業というより世界に工場を持つ世界企業。
幅広く、国民の隅々まで「円安」の影響は及ばないのは常識ではないか。
米国が「強いドル」を主張したのと同じように、日本も「強い円」を必要とするというのは当然ではないか。
しかし、旧帝国軍人の海大、陸大出の参謀殿が考え方の転換が出来なかったように、欧米に留学して博士号まで取って、頭が日本経済から離れてしまった人物には、もう日本経済を論じて欲しくない思いがする。
戦前の参謀殿の失敗は、もうゴメンであるというのが、偽らざる意見である

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月14日 (金)

日本国憲法に軍隊の規定がない・シビリアンコントロールの無意味

日本国憲法に軍隊の規定がない・シビリアンコントロールの無意味

先の田母神俊雄・前航空幕僚長更迭問題から、シビリアンコントロールと言うものが問題になっている。
このこと(シビリアンコントロール)に関しては、読売新聞が1面(2008/11/14・13版・12解説)を割いて、「基礎から分かる文民統制」と題して解説している。
そして副題は「運用基準 明確性欠く」なのである。
面白いことに、「導入の経緯」「問(Q)」‥‥という小さい囲み記事が「文民統制」という問題点を指摘してしまっている。
そして、その他の大きな記事、解説というのものは実は本質を突いておらず、自衛隊に対する「軍事」アレルギーやその場限りの「ご都合主義」、その存在の法的な意味合いを全く無視している議論である。
問題点は、
としていわゆる箸の上げ下ろしまで厳しく「統制」、「規定」している制度を「文民統制」と又曲解している始末であることを暴露している。
一方、その囲み記事ではまず経緯から‥‥
元々GHQの占領下、(朝鮮戦争の脅威から)警察予備隊の創設に係わって、米軍軍事顧問団の幕僚長から「シビリアンコントロール」を指示されたという。
そして、この「シビリアンコントロール」は、「文官統制」と訳され、この訳の曲解が「文官(官僚)」と「武官(軍人)」ということで、「官僚」が制服組をコントロールすることと解釈した。
結果、「政治による軍の統制」であるはずのシビリアンコントロールが、長い間、防衛省の官僚(背広組)が自衛隊を統制することとされてきた。‥‥中略‥‥他国では類を見ない形が続けられてきた。」
そして、最後に憲法に触れ、
そもそも日本国憲法は「戦力」を持たないと明記されているため、軍隊を統制するための詳しい仕組みが必要なかった。」
「日本国憲法66条2項で大臣について文民規定を設けているほかは、憲法にはシビリアンコントロールに係わる規定はない。」と憲法上自衛隊は軍隊ではないと述べてしまっている。
続けて「欧米では、議会に軍事に関する基本権や統帥権があることが憲法に規定されているのと比べて大きい違いだ。」と書く。

メインの解説で今は、防衛省の‥‥「背広組(官僚・事務官)も制服であれ、国民に対して直接責任を負い得る立場にない」と統制する側でないとのことになっている。
又、憲法論に戻ると‥‥というか、この自衛隊に関して述べると必ず憲法が絡んでくる。
解説では、「文民」規定について、「内閣法制局資料」によればと‥‥
(イ)旧陸海軍の職業軍人の経歴を有するものであって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの。
(ロ)自衛官の職に在る者‥以外のもの
としているとある。
これは、その昔法学の講義で「憲法論」を習うと必ず教えられることではあったが、実はこの解釈というのは矛盾する。
何故なら、今は旧職業軍人などという人は存命ではないし、元将校であっても召集・志願で軍事になった人は中曽根元首相(元海軍主計将校・少佐)を見れば分かるとおりその経歴は影響ない。
「軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの。」というのは、問答無用であると同時に、逆に憲法に違反する。
又(ロ)の項目も、官僚である「自衛官」のまま国務大臣に成れるわけはないからこれも矛盾する。
そして、憲法上「文民」という言葉は出で来るが、対比する「軍人」という言葉が出てこない限り日本の国には「軍人」は存在しない。
こういう憲法上の制約がある上に、自衛隊は軍隊と規定されていないし、事実上の自衛隊の職務執行は警察の域を出ていない。
法治国家である以上、法律に縛られるし憲法に規定縛られる。
かって、社会党が自衛隊は憲法違反であると主張したが、軍隊とすれば憲法違反だが「自衛隊」という「専守防衛部隊」であるから憲法違反ではないと逃げ切ったはず。
そして、集団的自衛権も行使出来ないし、イラクでは銃の使用は本人の意志に任せるという具合だった。
よくよく考えてみれば、今の自衛隊は「軍隊でもないから」派兵はされないし、不審船や海賊は警察組織の「海上保安庁」。国内の凶悪事件は「警察庁・警視庁」として、学生運動、赤軍派の闘争の治安維持で殉職したのは「機動隊」。
だから、事故で死ぬ以外自衛隊というのは非常に安全な武力組織である。
この前、海上自衛隊の特殊部隊が訓練中に亡くなった事件があったが、早い話自己満足の無駄。
何故なら、今の状況では100%実戦に投入される見込みはない。
何せ今や警察組織にテロ特殊部隊が存在する。

そんな、戦争にも警備行動にも出動せず、出動は災害派遣と雪祭りの雪集めと雪像づくりというのが自衛隊の実態である。

はっきり言って、何が「文民統制」だと言うものではないか。
憲法という法律上「軍人」が存在しない以上「文民統制」も当然憲法上存在しない。
しかも「軍隊」でもない「軍隊もどきの」自衛隊を軍隊として見立て、「軍隊として」外国から行動を余儀なくされると、今度は「軍隊ではないとして」その「軍隊としての行動」に足を縛ってきた。
その様にして、「軍隊たるべきこと」を阻止していた自衛隊を、時として「軍隊」呼ぶのは、如何に「軍隊アレルギー」、ご都合主義年か思えない。
読売新聞も、例のナベツネに迎合して「文民統制」について拳を振り上げたものの、調べれば時の政府、官僚の「ご都合主義」との実態の真実に揺れて、囲み記事で暴露している。ここで本来自衛隊という存在を考え直すべきだが、「やぶ蛇」になるために左派マスコミ人、民主党も実は田母神俊雄・前航空幕僚長問題は、なるべく避けて通りたいことなのではないかと考えたりする。
よくよく見れば、自衛隊問題を今でも頻繁に報道しているのは、バックファイヤーを繰り返す読売新聞だけというのは面白いものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

麻生総理・金融サミットに出向く哀れさ漂う

麻生総理・金融サミットに出向く哀れさ漂う

麻生首相の金融サミット出発は、不出来な子どもの親と知らずに保護者会に出て行く父親のようなもの‥‥と誰かいわないのだろうか。
そして、そんなときは母親は自身の子どものこと百も承知ながら、黙って旦那を送り出すのだ。

日本経済が‥‥「失われた10年」を経験した‥‥からこそ経済に成功したというのは虚構である。一方、この「失われた10年」という日本経済政策の失敗が金融投資バブルということの遠因になったとの反省もなく、「責任も資格もある」という。
「違った意味での責任」はあると思うが資格があるとも思えない。
そして、国際通貨基金(IMF)への最大1000億ドル(約10兆円)規模の資金拠出とは何を意味しているのか麻生総理は理解しているのだろうかと言うものだ。
国際関係で言えば、最大1000億ドルの資金拠出は、IMFは日本が事務局長を出して牛耳ると言っているようなものだと言うことだ。
そして、その資金の使い道はどうするのか、従来の米国流で行くのか、又は修正された米国流でゆくのかもはっきりしていない。
元々「失われた10年」の検証も「責任者追求」となるためにまともに出来ない日本である。
だから、「失われた10年」が作られた責任者もそして、その原因もヤミに封印した。
不思議と、これは旧帝国海軍の提督などのと同じ神経だ。
それは、失敗は覆い隠し、提督として不適にも係わらす年功序列で人事を行い又失敗するという繰り返しだった。そして、失敗してもその責任は問われないという二重の不思議さがあった。
だから、「失われた10年」の責任者未だに日本の国の中枢に居残っているか、隠然たる影響を及ぼしている。
おまけに、「逆噴射」よろしく失敗の原因も確かめないで行動を起こそうとするという不思議さである。
日本と言うのは、戦後GHQ(占領軍)の政策に協力し、自らの地位を守るために今までの議論から変節した学者、文化人がいた。
その人達は、GHQに協力する見返りに高い地位に返り咲いたり、又はその地位を守った人達だった。
その戦後が終わって独立すると、今度は自分の変節を覆い隠すように自説以外は「異論」として排除した。
そう言えば、「村山談話」以外は認めないと同様に異論は排除するというのが、日本のマイコミ、野党、与党の一部の皆さんであった。
みんな根っこは同じだとつくづく思う。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年11月12日 (水)

名もない自分の家系のルーツを探す

名もない自分の家系のルーツを探す

先週法事があった。
法事あったからと言っても、今や遠縁になってしまった親戚からのものである。
実際は、伯父、従兄弟の何回忌というものだったが、それに合わせて墓の改装をするという。
要するに、寺の住職が代わって(田舎だけど)広い土地の墓地を退かせて、跡を切り売りしたいらしいと言うこと。
そして、実際は移った先の墓地というのもその親戚が前の住職の時に、金を出して買った土地を寺に寄贈したのだとか。いろいろとあるものだ。
それで、その墓を移転するに当たって、位牌と墓石を照らし合わせて先祖の家系図を作ったと渡された。
まあその家は、元をたどれば清和源氏だし、武田信玄の室であった「於琴姫」はその家系からで出いると家系図にある。
当然、武田氏とは姻戚にあり、一時期「油川氏」と言ったようだ。
実際は、「於琴姫」の世代から3代下がる人物からその寺に墓石があるという。
そして現在の当主はそこから数えて13代目という。
その家系図を見ていると、昔従兄弟が「分家」の方が実は正当性があるといっていたことに思い当たることがあった。
それは、分家に別れた後二代に亘って、不思議と血統が絶えて分家から二代養子、養女が本家に入っていることだろう。
一方、分家はいっぺんも血統が絶えていないということだ。
そしてその分家といっても分家に別れたのが宝暦(1751)年間のころというから、分家とて意外に古い。

確かに、そんな古い家で江戸初期の寛文(1661)年間まで武士であったのが、その後武士を止めて土着し、平農分離されていなかったという真実は面白いところだ。
これを土佐では「郷士」といったらしいし、あるところでは「地侍」といったらしい。
関東ではどうなのかは良く分からない。
この江戸初期まで武士で一定の勢力を持っていたと言う野城の様な屋敷が、埼玉のある地方に残っている。
今は、崩れ落ちそうな長屋門が幾ばくかの面影を残すが、草に覆われて見る影もない。
屋敷の廻りの堀は、「市有地」だとして埋め立てられ道路となり、戦後二回の相続で3000坪あった土地、どれだけ残っているのか。
しかし、その「山」といわれた竹藪や庭は手をつけられた様子はない。
なぜかと言えば、そこにどんな生物や植物があるのか分からないかである。
一種の自然の宝庫が街の中にあるというところのようだ。
そして、樹齢5-600年を超す樹木を伐採する勇気というものは誰も持ち合わせていない。

その長屋門の天井には、昔見たときは船が何艘も乗せてあり、奥の米倉や物置の軒先にも船があった。何故海もない内陸部に船、と思うが昔は荒川の氾濫が凄く、その屋敷の高台にあった裏屋という屋敷の離れまで水が来たと母から聞いたことがあった。
兎に角、昔の屋敷は自給自足が出来るもので、北西には竹藪。
東には川から屋敷に水を引き入れて、生け簀があり、畑がありというものだった。
今では、門の内側にも入れないそうで人が住まなくなった家というものは、あっという間に廃墟と化す。

一方我が家の家系図は‥‥といっても、戸籍謄本から分かる範囲でしか分からない。
しかし、古い戸籍謄本を家中探し回り、それを見ながら家系図を作ったらなんと半日かがってしまった。
それも、父母から聞いた知識があったから容易であったはずで、妻、子どもでは中々実態が掴めないかもしれない。
名字は、地域に特徴的な名字だから、清和源氏系とほぼ推定はつく。
そして、埼玉の川越から明治維新年に、城主松平氏と共に当地前橋(厩橋)に来橋し、そのまま移り住んで、ほぼ大きく住んでいるところは変わらない。
ならば、間違いなく自称源氏の末裔と言いたいところだが、うちの家系も移り住んでから実は2代で本家が途絶え、分家から家督相続をして今に至っている。
なんと言うことはない、埼玉のある「大越」(今は加須市内)と通称された家系の傍系に血筋から見ればなっているということである。
その家系が明治以降、歴史上わずかに登場するのは「私立埼玉英和学校??」という一族を通わせるための中学校を作ったことぐらいではないか。
それは、今の埼玉県立不動岡高等学校になっているはずなのだが、ほとんど知られていない。それは兎も角も、その我が家系の分家というのも、古くはなくて埼玉から祖父が養子に来て分家したものだった。
そして、その「大越」とは小生の父母の時代までは交流があり、戸籍謄本からその名前に聞き覚えのある名が出で来るが、今は誰も知らないというものだ。

正直言って、自分の家の家系のルーツなど、「どうでもいいよ」というものではないか。そして、家系に歴史上有名人がいるわけでもなし、又居たとしても歴史の中に埋没している。
但し、どうも母方から見ても父親から見てもいわゆる「源氏」という系統に入るというのは間違いない。そして関東ではごくありふれた家系というものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

田母神俊雄・前航空幕僚長の参考人招致で思う危険な歴史の流れ

田母神俊雄・前航空幕僚長の参考人招致で思う危険な歴史の流れ

この「参考人招致」は端的に言って、無意味な政治ショーだったと言って過言はない。
しかしも国民から見て、日本の歴史感はいつの間にか20年も反転してしまったかのと思わせるものがある。
少なくとも、この四半世紀にはソ連の崩壊があり、日本国憲法の(日本の要人、政治家が白を切っていた)成立過程が米国の公文書館から明らかになり、暗号文書、未公開資料が明らかになった。
しかし、そう言う歴史の流れを無視する又は、否定するというのが、以前から述べている読売新聞の読売的日本の歴史観であり、監修した保坂正康氏など。
そして、「田母神俊雄・前航空幕僚長」問題で問答無用と一番激しく批判しているのが不思議と「読売新聞」であると言うことにある違和感がある。

そして、その理由の最たるものの一つが、単に自身の保身でしかないというのは、悲しいことではないか。
なぜなら、もし最新の新事実を採用してしまえば、自己の主張する歴史観の否定に繋がり、著書は紙くずとなるというからだ。
たとえば保坂正康氏などの似非保守派という人物がなぜ、「ナショナリズムの昭和」(諸君)という連載をしているのかと思ったら、同じ雑誌「諸君12月号」で西尾幹二氏が「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」で書いている。
それは、「論座」、「現代」、「世界」という「左寄り」の雑誌が衰退して廃刊になり、今や「文藝春秋」と「中央公論」が最左翼の座を占めたという。
そう言えば、「諸君」も(株)文藝春秋の発刊。
以前から雑誌「文藝春秋」というのは、何か奥歯に物が挟まったというか「言うべき事を言わない」雑誌であると思っていたから、最近ではあまり読んでいなかった。

そして思い起こされるのは、同じような現象が政治の世界にもあった。
元の社会党というのには、左派、中間派、右派という派閥があった。
もっとも保守に近かった党員は、当時の民社党へ分裂したから社会党右派といっても、南京大虐殺の碑を当時の中国の地方政府の反対を押し切って、自費とカンパで建てるような人達だった。
それが時代の流れによって、社会党左派は新社会党などに分裂した後消滅し、右派は民主党に合流して、残った当時の土井委員長(参議院議長)などの社会党中間派というの最左派になってしまったというのは歴史の流れだった。

ところが、前航空幕僚長の参考人招致の様子をWeb版の新聞で読んでいるとそんな社会の流れというものが何もなかった様だ。
そして、不思議なことに田母神俊雄・前航空幕僚長を参考人招致で読んでいながら、思ったほど発言させず、又「論文の内容」の一つさえ触れないという異常なものだった。
北沢俊美・参院外交防衛委員長(民主党・旧社会党系)は、

「本日、参考人に出席を求めた趣旨は、国民の代表機関たる国会の場において政府に対し、この問題をただす一環として招致したものであり、決して本委員会は、参考人の個人的見解を表明する場ではありません。参考人におかれてはこの点を十分に理解し、質疑に対し、簡潔にご答弁をいただきますようようお願いをいたします。」

と実は田母神俊雄・前航空幕僚長に発言させないように仕向けている。
一方、

「昭和の時代に文民統制が機能しなかった結果、三百数十万人の尊い人命が失われ、また、国家が存亡の淵に立たされたことは、忘れてならない過去の過ちであります。国家が存亡の淵に立った最初の一歩は、政府の方針に従わない、軍人の出現と、その軍人を統制できなかった政府議会の弱体化でありました。こうした歴史を振り返りつつ、現在の成熟した民主主義社会の下において、国民の負託を受けた国会がその使命を自覚し、もって後世の歴史の検証に耐えうる質疑をお願いする次第であります。それでは質疑のある方は順次、ご発言をお願いします。」

という北沢俊美の歴史観に基づくと宣言している。
なぜなら、日本人の「三百数十万人の尊い人命」をひっくるめて「忘れてならない過去の過ち」と過去の日本を守ろうとして戦った日本人を非難している点では無かろうか。
そして、「国家が存亡の淵に立った最初の一歩は、政府の方針に従わない、軍人の出現と、その軍人を統制できなかった政府議会の弱体化でありました。」ということは一面的で、「軍人が悪」いという東京裁判的歴史観と言える。
これは「ニュールンベルグ裁判」ではドイツ国民と「ナチス」を分離して、「ナチス」だけを裁いたことを、単に日本の東京裁判に導入したにすぎない。
しかも、ドイツでは、ベルリン裁判ではなく「ニュールンベルグ」というナチスの発祥地で行ったものであるというのことを、多分理解していないのに違いない。

そして、質問自体が基本的な事実に踏み込まず、概念的なものになってしまったと言うのは、民主党でさえ、「茶番劇」であることを認識すると共に「中国・韓国」に対する「忠誠心」を現したものだと言える。
【民主党・犬塚直史氏の質問】で

「しかし、今おっしゃったような侵略の定義は、一国の憲法を超えた問題。立法府の議題だということをご認識いただきたい。外から見て、国会がしている議論に歯がゆい気持ちをお持ちになるかもしれない。ただし、立法府で決まったことについては行政府が粛々と実行していく、という国家運営の基本をないがしろにするような言動について、私は田母神氏の個人的思想信条についてうんぬんするつもりはないが、しかし、この件への政府の受け止め方は軽すぎる。首相のぶらさがりの答弁も、非常に軽いことをおっしゃっておられる。防衛相は、今回の田母神氏の言動は3権分立という原則に対する重大な挑戦だとは思われないか。」

多分国民から見れば、「歴史認識」と言うものを政治で規定する。
それも国会で否決されて、閣議決定という裏技で発表規定された「村山談話」。
要するに、犬塚直史氏の言う「三権分立」に反して行政が独走したのが「村山談話」という、以後の国の政策を「思想」規定する政策である。
そして、「村山談話」に関して国会決議として、又選挙をしたとは認識していない。

だから、その「村山談話」は、閣議決定という枠を越えた越権行為ではないかというものだ。
しかも、その政府見解が「歴史的事実」であるとは言い切れない場合、「歴史認識」は個人に任せるべきことのはず。そして、その政府の権限を越えた見解を歴代政府が、なぜ守ってきたのか。
この事なかれ主義というのはどうしよう無いと共に、早々と中国へ行って「村山談話」を継承すると言ってしまったのは、麻生政権の大失点であるに違いない。

そして、参考人招致の議論が深まれば深まるほど、「民主党」という党には日本の国を任せられないと思う感情が強くなる。
なぜなら、法治国家である以上制約が多く、軍隊でもない自衛隊に「言論統制」まで行って、自衛隊を弱体化させる腹があるようにしか見えない。
多分、ことが起きたときには「戦わず」後ろの安全なところに隠れて、自分を守れ、「重要人物だから守れ」と主張するのが彼らかも知れない。
かって、ペルーの日本大使館占拠事件での日本大使は、平時には尊大で威張ってばかりいたが、テロリストに占拠された途端何の役にも立たなかったという事実がある。
そして、

河村官房長官「当然、自衛隊が厳格な文民統制の下にあるわけでございます。そのことを考えますと、自衛官の場合には、特に、航空幕僚長のような幹部がその立場において見解を公にする場合、これは文民統制との関係、あるいはその社会的影響、こういうものをしっかり十分考え、考慮すべき、当然そういうことだというふうに思います。やはり、ノブリスオブリージュといいますが、高い地位にある方は、非常に社会的責任が大きい。そういうことをしっかりわきまえて対応していただく。これもシビリアンコントロールの一つの根幹にある考え方だと思っておりますので、今回の問題が不適切だといわれるその所以だというふうに考えております。」

誰もが河村官房長官の言葉を聞いて「大笑い」したかも知れない。
なぜなら、自衛隊の高官に対して「ノブリスオブリージュ」たどいう。
普段から日陰者扱いして、いざ有事というときにはイラク派遣の時と同じように「自衛官本人の意志での発砲」というのは変わっていないだろう。
撃たれてから、応戦する。
今の軍隊というのは、撃たれたときは全滅する時だというのは常識ではないか。
まさか、日露戦争時代の武器を進攻する敵が使うと思っているのだろうか。
その上、自衛隊員に対して、「政府見解という自虐史観」を教育として「強制」する。
それに反することは、「言論統制」として取り締まるというのでは、自衛隊という頭のないサイボーグを作っているようなもの。
逆に言えば非常に危険な軍隊と言うことになる。
たとえば、ある政党が偶然政権を取り、反対派の要人を全て抹殺するという暴挙のクーデーターに出たとき、防ぎようがない。
しかも、その時の自衛隊はシビリアンコントロールによる絶対命令ということになる。

多分、民主党も自民党の人達もあまりに、シビリアンコントロールにも、軍隊と言うことにも無知蒙昧であるというのは、国民から見て情けないの一言に尽きる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月10日 (月)

景気と金利水準には、極大・極小がある。

社会主義的経済対策しか思いつかない日本の憂鬱


景気と金利水準には、極大・極小がある。

日本の景気対策というと「生活支援定額給付金」などという単に金を国民にばらまくという「社会主義的景気対策」ばかり出ている。
一時期では、同じように「公共事業」というやはり「社会主義的景気対策」だったが、必要なところは大方やり終わってしまった。
だから、今や「公共事業」という土木作業は、やるところを探して「不要」「不急」と言うところしか投資するところがなくなってしまった。
この公共事業というのが、道路特定財源そのものと言って良い。そして、「不要」「不急」であるからこそ、余ってしまうと言うことになる。
さて、景気対策というのは日本だけではなく、EUなどの欧州も考えるようになった。
「欧州景気の悪化を裏付ける経済指標が相次ぎ、域内の政策当局が景気テコ入れへ目の色を変えている。欧州内の中央銀行は6日、一斉に政策金利引き下げを決めた。ドイツやフランスは財政支出や減税も駆使した景気対策を打ち出した。」(日経新聞2008/11/9社説)

ここで、欧州は金利を引き下げる余地が残されていたから余裕を持って引き下げることが出来た。
一方、日本は超低金利であるためにその余地がなく、0.2%引き下げたことに対して、「経済マスコミ」からは非難囂々(ひなんごうごう)だった。
そこで考えられるのは、批判することの何を持って批判するのかと言う事ではないか。
批判は、金利を下げて低金利にすれば、貸出金利が下がると主張するのだが、実際にこれが何を意味しているのか理解しているのだろうかと訝るものである。
いわゆる経済学で言えば、低金利にしてその低金利のために貸し出しが増え、市中に金が出回ると言うことで景気を刺激すると言うのが目標の筈。
ところが、不思議なことに「景気を刺激する」事ではなく、「利下げ」を目標にしてその結果どういう事になっているかは無頓着のように見える。
「景気循環論」で言えば、金融機関からの融資が多い不動産業が「利下げ」に一番反応して動き、それに連れられて建設業が動きと言う具合に裾野の広い産業からじわりと景気循環する。ところが、その「金利」に一番敏感な不動産と言うところを「攻撃・貸渋り」で止めてしまったのがあのバブル以降の景気対策の失敗たった。

そうでないとしても、利子というものには限界がある。
なぜなら誰でもタダで金を貸すわけではないと言うことであり、リスクを取るという事であれば、精々貸し出しは3%程度が限度というものかもしれない。
それが、日本の金融機関が米国などの投資銀行に金を貸したのは、リスクゼロという事が前提で低金利で金を貸したのであって、低金利だからといって日本国内に1%以下で貸したわけではない。
地方紙に「にっぽん診断」というコラムがあった。
「円安バブルの崩壊」「個人投資家にツケ回る」としてあの榊原英資(元財務官・早稲田大学教授)が述べている。
「‥‥極端な円安が今、崩壊した訳だ。長く続いたゼロ金利、低金利の異常さが今になってやっと認識され始めたのだ。『デフレ脱却』を旗印にゼロ金利継続を主張した小泉・竹中路線とそれにそこそこ付き合ってきた日本銀行の誤りのツケを、‥‥円安バブル崩壊のコストは極めて重く日本経済にのしかかることになろう。」

‥‥と榊原英資氏は無意味だった『デフレ脱却』を旗印にゼロ金利・低金利継続政策を批判している。
榊原英資氏は書いていないが、景気刺激のためには市場・市中にいかに金が流通しているかという事を金利との関係で考える必要がある。
高金利になれば、誰も金を使わずに銀行に預け、マネーサプライは減少すると思われているのは当然だが、逆にゼロ金利・低金利政策でもマネーサプライは減少するというのは、日本経済の「失われた10年」実験から明らかになったはず。
要するに、マネーサプライはある金利水準で極大又は、極小になりそれ以外ではマネーサプライは減少すると言うことだ。
だから、好景気を維持するにはある程度の金利水準が必要である。
それが、どのくらいなのかは研究してみないと分からないが、直感で見ると欧州では多分3
%前後程度なのではないかと思う。
なぜなら、ユーロ圏の実質経済成長率がマイナス0.5%、英国がマイナス1.3%になったとしても金利は3%に止めている。
一方、米国は2%程度なのかもしれない。
この差というものは、国民の貯蓄率に関係してる様に思うが、多分日本は4-5%程度と高い可能性がある。

もしそうであるならば、日銀は早めに政策金利を上げて少なくとも欧州並みにしておくべきであり、逆に言えばこれ以上の「利下げ」は日本の景気低迷を長引かせる可能性がある。
そして、日本政府は日本の潜在的な消費行動を見誤っているのは間違いない。
なぜなら、2008/11/9原宿にオープンしたH&Mに2000人も若者が並び、一人10万円、20万円もの買い物をしている事が報道されているからだ。

要するに、ものを買わないような人達に「金」を配っても何の意味がないと言うことだ。そして、ドイツでは車が売れなくなったから
「ドイツは設備投資や新車購入を促進する政策減税など6兆円規模の成長・雇用促進策を決めた。」(同)
‥‥と言うように、「新車購入を促進する政策減税」という内需拡大に力を入れ始めている。
日本の社会主義的な手法によって、経済を破壊し、同じ社会主義的な手法によって、効果もない政策で経済を立て直そうというのは、国民にとって憂鬱な日々でしかない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 8日 (土)

亡き筑紫哲也氏とは、ジャーナリストではなく新聞社の社員出身が正しい?

亡き筑紫哲也氏とは、ジャーナリストではなく新聞社の社員出身が正しい?

筑紫哲也氏が亡くなったのは、7日の報道を見て知っていたが、2008/11/08のスポーツ報知(報知新聞)の一面が筑紫哲也の死亡記事とは‥‥
まるで、筑紫哲也氏が追加のノーベル賞でももらったのかと訝るものだった。

そして、27面には「代わりの人いない」として鳥越俊太郎、武田鉄矢、広島・松田元オーナー、大田元沖縄県知事、草野満代キャスター、辻元清美、吉永小百合、立花隆という人達が発表したようなコメントが載っている。
立花隆氏のコメントは、新聞各紙も同じ、大田元沖縄県知事の発言は「琉球新報」が同じ文面で報道しているから元はここなのか。

いずれにせよ、当たり障りの無いと言うかかなり思想のよく似た人達の意見ばかりのようだ。そして、吉永小百合氏の様にどう考えても「社交辞令」の様なものもあり、辻元清美衆議院議員の様に政治的なつながりというのもある。

日本人は、故人に対する批判はあまりすることは少ない。
亡くなれば皆良い人‥‥とは、日本人特有なものだろう。
一方、大陸系の中国では、墓を暴いて鞭で叩いて打つ壊すとか、抹消してしまうということも歴史書には書かれている。
ヨーロッパ人も同じようにフランス革命の後、ブルボン王朝、カペー家、その他王族と見られる墓は全て暴かれて、棺も破壊され消滅した。
ルイ16世、マリーアントワネットでさえ空き地に放り投げられて棺に入れらること無くそのまま埋められた。
だから、日本人というのは本当に優しい民族である。
しかし、この筑紫哲也氏というのは、そう思っていなかったらしいことが、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で見ると良く分かる。
それは、筑紫哲也氏の批判のオンパレードである。

そして、いかなる批判も無視して、自分が言った批判も自身には適用しないとか、自身が絡んだ事柄に対してしらを切るとか見苦しい面が多々見られた。
大きく批判されたことと言えば、
中島清成氏(76=元日刊スポーツ新聞社)の追悼文で‥‥
「テレビでの、彼の至高の発言は、TBSの社員が旧オウムに情報を流し、不幸な悲劇が起こった時、『TBSは死んだ』と自らの番組で言い放ったことである。新聞記者だからこそ、言えたのだ、と私は思う。」
普通ならそれで「NEWS23」番組を降りるというなら話は分かる。
しかし、「TBSは死んだ」と言いながら自らは知らぬふりをして居残った。このことに対して批判を浴びたが、「蛙の顔に水」というヤツだった。
そして、筑紫哲也氏が「拉致問題」に対して非常に冷淡であったと言うことはよく知られたことである。
一方、週刊金曜日での問題が起きたとき、週刊金曜日の編集委員であることを隠して論説したりやりたい放題だった。

この様にして、筑紫哲也氏を見てみてるとテレビへの「出演」ということに対して非常に執着心が強く、自身の信念などかなぐり捨ててでも今の地位を守るという姿勢が見える。
江戸時代の武士がプライドを保つために、「食わねど高楊枝」と「やせ我慢」をしていたのに対し、「やせ我慢」という言葉など皆無というのは、この様な人物ではないか。

はっきり言って、
「キャスター筑紫哲也は、最後まで、言論の魂、新聞記者としての志を胸に刻んで、この世を去った。(元日刊スポーツ新聞社編集担当取締役中島清成)」
というのは大嘘だ。
新聞記者としてのプライドなどなく、新聞記者でもなかったのではないだろうか。
正確に言えば、新聞社の社員だったというのが本当だ。
そうでなければ、あの「執着心」と言うものに説明が付かない。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 7日 (金)

言論・思想統制強める「前航空幕僚長の論文」

言論・思想統制強める「前航空幕僚長の論文」

田母神俊雄前航空幕僚長が歴史認識に関する論文を発表し、更迭された問題で、強力に言論統制、思想統制が強まっている。
そして、新たに就任した外薗健一朗空幕長が記者会見で(7日)
「田母神氏の論文について外薗空幕長は「政府見解と異なる意見で国民の信頼を揺るがしたことを真摯に反省し、心よりおわびしたい」と謝罪。歴史認識については「政府見解と同じだ」と述べた。」
こんな風に、いわゆるイエスマンを航空幕僚長に据えた。
「また、歴史認識が問題となった田母神氏の後任に外薗氏を任命するにあたり、外薗氏の過去の言動について確認したことを明らかにしました。」と報道されている。
しかし、こんな人事は中国を喜ばせるだけと「週間新潮」で書かれる始末。
(中国だけが大喜び!「空幕長のクビ」が飛んだ論文「日本は侵略国家であったのか」の中味)
一方、2008/11/07朝の文化放送で佐藤優氏は、内容の「思想・信条」ではなく、懸賞論文という「賞金」のかかるところに応募したことを問題にすべきという。
しかしも滑稽だったのが産経新聞
【正論】東洋学園大学准教授 櫻田淳 空幕長論文の正しさ・つたなさ
この中で、旧帝国陸軍の例を引いて
「振り返れば、終戦時の陸軍大臣であった阿南惟幾には、二・二六事件の折、陸軍幼年学校校長として全校生徒を集め、『農民の救済を唱え政治の改革を叫ばんとする者は、先ず軍服を脱ぎ然る後に行え』と厳しく訓示したという挿話が伝えられている。『軍人勅諭』にも『世論に惑はす政治に拘らす只(ただ)々一途(いちず)に己か本分の忠節を守り…』という訓戒がある。」
と書いている。

要するに、戦前の「軍隊」という組織でも「思想・信条」と言うものに対して統制が出来なかったと言うことを記す事実であって、言論統制とシビリアンコントロールとは別なものであるということが良く分かる。

そして、日本国憲法第には、
「第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」
「第19条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」
「第23条 学問の自由は、これを保障する。」
とある。
このことから分かるように、自衛官の「思想・信条」によって「懲戒」するという行為は憲法違反に当たる。
本来憲法の原則は、一般国民と軍人を分けるということが原則である。
そして、一般国民は憲法に従い、軍人は憲法に規定された軍法に従うということになっている。
このことが混同されると、戦前の軍務大臣現役制という出鱈目なことになる。

そして、軍人は軍法によらなければ、戦争で人を殺せば殺人罪になる。
ところが、日本には憲法上軍隊は存在しない。自衛隊は法律上「警察予備隊」にすぎない。
なぜなら、軍法が存在せず、自衛隊がイラクに行ってた時も、危険と思われても銃を撃てなかった。
よくよく見てみれば、集団的自衛権も行使出来ない。‥‥理由は、軍隊でないからである。
以上のことから、自衛官は「軍法会議」で処罰出来ず、憲法の規定の下「思想・信条」を差別することは許されない。
又、学問の自由は保障されているから、歴史観として「村山談話」を強制することは出来ない。

それで、この「前航空幕僚長の論文」の中身には踏み込まないというのが、識者の常識になっていることは、海幕長や佐藤優氏が中身に言及しなかったことでも分かるもの。

そして、朝日新聞が「前空幕長、一般誌へ投稿呼びかけ 4年前、隊内雑誌に(2008年11月7日15時6分Web版)」
「2004年に航空自衛隊の隊内誌で、防衛論や歴史観の持論を展開したうえで一般雑誌への投稿を呼びかける文章を書いていたことがわかった。」
「文章は、空自幹部らが購読している『鵬友(ほうゆう)』の04年7月号に掲載された。当時は、幹部自衛官を教える統合幕僚学校の校長だった。」
「その中で『これまで我が国では反日的言論の自由は無限に保障されていたが、親日的な言論の自由は極めて限定されていたような気がする』『(南京大虐殺が)無かったことが真実であることは今では十分すぎるほど分かっている。その意味で我が国にもようやく本当の民主主義の時代がやって来たと言えるのではないか』と主張していた。」

これは以前から報道されていたことで、「前航空幕僚長の論文」というのは以前からよく知られた「持論・思想・信条」であったことが分かる。

浜田防衛大臣は6日の参議院外交防衛委員会で、
「今回の件の重大性を考えれば、退職金の(懲戒免職として)自主返納ということで、わたしとしては本人の判断を待ちたい」などと馬鹿げた事を言っているが、それが憲法違反であることが気づかないのは愚かだろう。

もし、本当に更迭したかったら自衛隊を軍隊にして、軍法会議で裁くべきだ。
もしそれが出来ないのなら、憲法に従うしかないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

行政改革消極派麻生総理の真骨頂「廃止」が一日で「統廃合」に後退

行政改革消極派麻生総理の真骨頂「廃止」が一日で「統廃合」に後退

麻生首相は、昨日6には「国土交通省地方整備局と農水省地方農政局を原則全廃」と言っていたものが、一日経ったら「統廃合」に切り替わっていた。
もともと官僚に対する行政改革には消極的な総理だから、そう言うことは納得なのかも知れない。
2008/11/07の文化放送でこの問題を取り上げ、官僚が言うには「廃止」なら大変だが、「統廃合」なら容認と言っていた。
要するに、統廃合なら全く変わらず、看板を掛け替えるだけというわけだ。
よくよく見れば、国民金融公庫だって、何回も看板を掛け替えるだけでそのまま残っている。
しかも、今はどんな名前なのか分からず仕舞いであるほとだ。

それにしても、農水省地方農政局というのは、もとの食糧事務所。
米のヤミ米統制と検査をしていた機関。
米は自由に売れることになったから、不要になり、少しは人数が減ったかと思えば減らずになんと「職員数は1万6000人」。
逆に増えているというのはどういう事だろうか。
こんな機関を廃止しないでどうするというのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

為替介入を主張するホンダ・福井威夫社長の経済感覚

為替介入を主張するホンダ・福井威夫社長の経済感覚

「トヨタ、営業利益が7割減に…09年3月期決算見通し」とは、今日の読売新聞他各新聞社の記事である。

「国内製造業で売上高トップのトヨタが業績の大幅下方修正を迫られたことは、企業業績の悪化が深刻化しつつある現状を浮き彫りにした。」

と書かれている。
元々、日本では景気低迷と車の維持費に膨大に税金がかることから、少なくともその抵抗で車の買い換えのサイクルを増してきた。
誰だって、買うときの経費が下がればこの時と思うが、今更大枚を払って買い換えても何のメリットはない。
これが以前から言っていた、景気対策としての車に関する減税なのだか、どうも実現しそうにもない。
一方、日経新聞には、‥‥

ホンダ社長「為替介入当然やるべき」国内で輸出車減産 ‥
ホンダの福井威夫社長は6日の新車発表会で、為替相場の動向について「為替が安定しないと(業績)回復のきっかけがつかめない。政府は動かないとダメで各国との協調介入も当然やるべきだ」と述べ、政府は為替相場を早期安定化に尽力すべきと強調した。

‥‥‥とある。
こう言うのを余程のノーテンキというか、「馬鹿抜かせ 」と言うものだ。
なぜなら、為替介入というのは日銀か政府が米国債か、あの米国の資産担保証券(ABS)や債務担保証券(CDO)を買うということであって、この時期こんなものを買えるはずもない。
しかも未だに「円キャリー取引」の逆転現象が生じて急激な円安には戻りそうもない。
要するに、今円ドルの介入というのは無理な話だ。
何と言っても、米国がドル紙幣を増刷し、一方日本の円は増えていないから相対的にドルが安くなると言うのは誰でも分かる経済原理だ。
なぜ日本の経済人は「内需拡大」と言わないのだろうか不思議なものだ。

その上、米国では今までなんでもローンで買い込んでいたのだが、そのローンがクラッシュしたのだから今後も中々車も売れるわけがない。
あのアイスランド経済破綻のその後‥‥の記事が大きく報じられたコラム記事(読売夕刊2008/11/03頃) の写真には、一見テレビのマイホームドラマに出てきそうな広い居間に大きな液晶テレビ。
品の良い身なりをした夫婦が新しそうなノート型パソコンを見入っている姿だった。
振り返って我が身を見れば、狭いマンションの居間にまだ25インチのブラウン管テレビ(を見ずに)ではなく、15インチ液晶テレビ。
服装は着古したユニクロ‥のユニクロ崩れ、ローンは嫌いで借金はないとはいうもののどう見たって貧相ではないか。
こんな財布の紐の固い連中に物を買わせようというのが、実は最近の商法はずたろう。
何と言ったってゼロ金利同然で、利子はほとんど無し。
余裕資金などあり得ないのだ。
あのライブドアとフジテレビとの文化放送株でもめたとき、時のトヨタ自動車社長、日本経団連会長の奥田碩(ひろし)氏は、トヨタ自動車が持っている膨大な文化放送株はライブドアとフジテレビどちらにも売らないと公言した。
そして付け加えて、売るときはこの件が収まったときに少しずつ売る。
ところがどっこい、その様に高値安定させたまま最高値で(ライブドア側)に売り抜けた。(報道による。トヨタ自動車の持ち株売却後、その分程度がライブドア側で増えた事実から推測。)
よくよく見れば、庶民には出来ない結構きたないことでもやるというのはが彼らの本質。
ここで国民に負担をなど言うのが大間違いだ。
ホンダなど元々米国では米国生産が主。
何を甘えているのかと言うものだろう。

そして、最近の日本株の様子を見ると、日銀が利下げをした効果など全く雲散霧消した。何と言っても、再三言うように利下げによってマネーサプライが減るのが大きい。
政治は、未だに経済問題ではなく、10月末に突然発狂したかのような自民党、野党、マスコミの前航空幕僚長の更迭問題。
朝日新聞は、

「『4幕僚長、国会同意人事に』民主が法改正案提出へ」と書く中で、「国会が幕僚長候補の所信を聴取したうえで同意・不同意を判断すれば、田母神氏のような政府見解と異なる信条を持つ人物の起用を防ぐことができ、文民統制の徹底につながると判断した。」

と口を滑らせてしまった。
それは、「(田母神氏のような政府見解と)異なる信条を持つ人物」ということである。

浜田防衛大臣は6日の参議院外交防衛委員会で、
「今回の件の重大性を考えれば、退職金の自主返納ということで、わたしとしては本人の判断を待ちたい」
そのうえで、浜田大臣は、懲戒処分ではなく定年退職とした理由について、
「懲戒手続きを行いたかったが、懲戒免職という形をとろうとすると、手続きに10か月以上かかる場合がある。今できる一番早い処分ということを考えて、今月3日の定年退職ということにした」と述べたが、嘘も方便というところだろう。

防衛省は、「信条」を理由として「懲戒処分」をすることが出来ないとして「定年退職」させたのであったはず。
それは、もし「懲戒免職」とすると憲法との絡みから裁判で100%負けるからである。
もし勝てるとするなら、軍法会議でしかない。ところが、自衛隊は「警察予備隊」で軍隊ではないから軍法会議はない。
そして、軍隊でないものは憲法の枠内にあって、何人犯すことが出来ない。
浜田防衛大臣というは、全くノーテンキだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 6日 (木)

次期花子 RC版 到着Justsystem

「次期花子 RC版」テストにご協力ください
というメールを元に申し込んでおいた「次期花子 RC版」が届いた。

 「次期花子 RC版」CD-ROM発送のご案内とご利用について
このたびは、「次期花子 RC版」テストにご応募いただき、誠にありがとうございます。
本日、2008年10月29日より順次、「次期花子 RC版」CD-ROMをご登録住所に発送しております。
お手元に届きましたら、CD-ROMに同梱のセットアップ手順に従ってご利用のパソコンに導入し、ご試用ください。
┏━━━━━▼次期花子 RC版 テスト 障害報告窓口はこちら ▼━━━━━━┓

 http://www.justsystems.com/jp/services/rc/hanako/form.html?m=h29a01

 【障害報告受付期間】
  2008年10月30日(木)~2008年11月12日(水)
 
 【次期花子 RC版 ご試用期限】
  2008年12月31日(水)まで

┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
それで届いてびっくりした。


なんと郵送できた袋からCDが落ちるそうなほど破れていた。
中身は、なんと言うことではないが、こんなもの。



結果は、その後にするが、「花子」というと結構使ったことがないという人が多い。
よく分からないDTPソフトと思われているらしい。
しかし、雑誌でWordでここまで出来ますという特集で雑誌の一ページの様な記事を見ることがある。
よくよく見て見てれば、ほとんどWordの画面に貼り付けてあるというもの。
花子なら、はじめからそうだから「ここまで出来ます」と言うより、そんなことは当たり前だと言うことに尽きる。
そう言えば、三四郎などはExcelを使い慣れると「むむ~~」と思ってしまうこともある。
又、三四郎よりLotusの方が使いやすい気がする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

消費低迷と言いながら地方は、冬対策で泣きの大出費

消費低迷と言いながら地方は、冬対策で泣きの大出費
悲しい顔

新聞では、百貨店で売り上げが伸びないと報道されている。
地方では百貨店などで定価販売で買う人などはおらず‥‥と言ってもバーゲンだから、いや潰れてモールへ買いに行ったと言うところかも知れない。
但し、そんなものは今すぐ買わなくても命に関わることではない。
しかし、東京から一歩離れた地方、冬になれば道が凍結するかもしれないところは、これからスタッドレスタイヤを購入するシーズンになった。
今、カーショップやタイヤセンターというタイヤを売っているところは、「予約受付中」との幟が目立つ。
こんな時は、まだまだタイヤもあるかなと言うところだ。
10年も前に車を取り替えたとき、ホイールとスタッドレスタイヤまで新調すると「福沢さん」が10枚近く消えたことがあった。最近は早期割引だとそこまでは行かないとしても結構良い値段だった。
それて、雪が降ったら出かけないようにしようとか、チェーンで誤魔化そうとかで2年ほど経った1月中旬、大雪になってしまった。
ところが、こんな1月になるとメーカーにも在庫がないし、ましてホイールが見つからないことがある。結局中古アルミホイールを探して装着したが、結構良い値段になったことがある。

いずれにせよ、12月にでもなると装着できるタイヤがないなどと言う事もしばしば。
それで、11月の初旬に予約して確保と言うことに。
それでどんなタイヤ‥‥225/55R17‥‥!!はっきり言ってこんなタイヤサイズなどカーショップのチラシでは見たことがない。
セールキャンペーン(25%引き、プラス5%引き、プラス4000円キャッシュバック)だった店に寄って見積もりを取ってもらうと、ヨコハマアイスガードIG30‥17インチアルミで値引きして後でなんと\159,410ブラス\4000円キャッシュバックで\155,410円。
アルミも大したことはない典型的な安物タイプのものでこれか‥‥

そして、今年は「業界に追い打ちを掛けそうなのが暖冬。」と呼ばれているのだが、暖冬の時にほど「里雪」型という平地に降る雪が増える。
こんな雪が降ったら、あと道が凍り付いて朝晩は怖くて走れない。
ものは命あっての物種だから、スタッドレスタイヤ買わなければと思うが、手がでないと言うもの、
なんと言っても、当地は空っ風で有名で普通は雪など降らない地域。
もっとも、ネットで探せば同等品以上のものが12万円(送料込)である。
色々思案のしどころと言うが、残された時間は少ない。
なぜなら、スタッドレスタイヤというのは、一般的に多く売られているものは別として早い者勝ちという代物だからだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 5日 (水)

オバマ米大統領選勝利・戦後世代大統領を分析する

オバマ米大統領選勝利・戦後世代大統領を分析する

米大統領選は、バラク・オバマ上院議員(47)の圧勝の結果に終わった。
ジョン・マケイン上院議員(72)は、やはり年齢という部分が大きなハンディだったのではないかと思う。
テレビカメラから、写真から見れば白髪頭で多少髪の毛の薄いマケイン上院議員には、どう見たって若さを感じられない。
そして、米国大統領のジンクスは薄毛、禿げ頭の大統領候補は大統領になれないと言うものがある。例外はあのアンゼンハワーEisenhower大統領のみである。
そして、女性副大統領候補としてペイリン・アラスカ州知事(44)を指名したが、仏のサルコジの物まねに引っかかるほど脇が甘くて、結局何の役にも立たなかった。

それで、従来の共和党政権では日本を重要視してきた経緯がある。
しかし、民主党政権では思いつくのは、あの日本嫌いだったローズベルト大統領や、最近では日本を無視したカーター、同じく同盟国パスして米中で物事をまとめようとしたクリントンなど‥‥、民主党政権は日本にとって疫病神である。
それは、あたかも米中で日本に対して封じ込め政策を行うようなものであった。
一方、今の日本は10月末の前航空幕僚長の「論文投降問題」程度で揺れてしまうほど、60年前の呪縛から逃れていない世代が政府を牛耳っている。
ところが、仏のサルコジをはじめとして戦後世代の指導者というのは、日本がかって米国と戦争をしたと言うことを忘れている。
今の感覚で言えば、日本というのはよい子ブリッコの「堅物国家」、脅せば金を出す国家としか見ていない。
よく、フランスが米国に対してきついことを言っても、許されるからと言っても、日本には許されない。
なぜなら、米国にはフランスが送った「自由の女神」がある。
それは、米国の独立戦争は、時の国王のルイ16世の支援なくして成り立たなかったと言うことである。
もっとも、お陰でヒットラーの傀儡であるビシー政権が成立しても、戦勝国として国連で常任理事国に居坐っていられるということになっている。

日本では、不思議なことに米国の政権は民主党がとる事を歓迎している。
それは、共和党政権は「戦争」をする政権だ‥‥民主党は鳩派政権だと思っているのかもしれない。
しかし、大きな対戦としての対日戦争、続く朝鮮戦争、ベトナム戦争も全て民主党政権の時に起こっている。
だからといって、今度のオバマ氏が「熱い戦争」を起こすという可能性は多分ない。
それは、今緊急の課題は経済問題だからだが、「経済戦争」という冷たい戦争は起こす可能性はある。
そして、初めての黒人の大統領と言うことになるが、あの米国国務長官コンドリーザ・ライス氏を見ても分かるように多分アジア問題に関しては詳しくもなく、興味もないかもしれない。
そうであるなら、アジア問題に関しては従来の民主党のブレーン方針に任せると言うことも大いにある。
そして、白人でない政治家の通例通り革新的なことは一切せず、従来からの民主党路線で政治を行うというのは間違いないことだろう。
もしそうであるならば、多分日本は覚悟してかからないとトンでもないことになる。

今後どのような展開になるのか、朝鮮問題と経済問題がその答えを出すと言うものだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

一国の指導者、外交官に求められるもの

産経新聞のWeb版2008/11/05に【優先席から】評論家・金美齢 「結論ありき」の豪遊批判というコラムがあった。
中身の中心となるところは、

「最近の麻生太郎首相に対する「夜の豪遊」批判も、世襲、金持ち、贅沢(ぜいたく)、従って「庶民の苦しみを理解できない」と一部のメディアが野党を巻き込んで「初めに結論ありき」のキャンペーンである。社会全体が不況に苦しんでいるご時世に夜な夜な高級レストランやホテルのバーに出没するのはいかがなものか、と問われれば、多くの庶民が「許せない」という。半径100メートルの周囲にしか興味がない者にとって、一国のリーダーがどれだけの重荷を背負っているのか、想像する気もなければ、理解しようと試みたこともないだろうから、当然の成り行きだ。」

と言う部分なのだが、この「夜の豪遊」批判を巻き起こしたのが、「質問者は、北海道新聞の比較的若い女性記者」とブログ暴露していたのが産経新聞の福島香織である。

北海道新聞と言えば、左翼的色彩の強い新聞社として有名である。
確か、以前(1999年9月2日‥農水省記者クラブ(農水省建物内)での定例の事務次官会見。)中川氏が農水大臣だったときに日章旗を共同通信記者(朝日新聞は未確認)と一緒に記者会見場から持ち出したのが北海道新聞の記者だったと記憶する。

こういう記事を見ると、フランス革命(大革命)やロシア革命前後の欺瞞を見る思いがして実に面白く感じるものだ。
それはなぜかと言えば、ロシア革命で労働者のための政府と協調しておきながら、レーニンは貴族出身であるし、その他の指導者達の中にも労働者階級は存在しなかった事ではないか。
同じく、大革命では、思想の違いによる殺し合いだけでなく、ブルボン王朝の墓、その他の王族の墓までも暴いて破壊した革命後。
ナポレオンが帝政を敷き、外交は貴族出身のタレーランに頼らなければならなかった事を見ると、世界の指導者というのはなまじの庶民では勤まらないという事がよく分かる。

金氏が

「現に、ナポリサミットで、村山富市首相(当時)はディナーを欠席した。気おくれしたのか、体調を崩したのか、理由がなんであれ、一国を代表して出かけたのに職務を全うすることができなかった。」

とあの歴史上で「野合政権」と揶揄された村山政権の一国の首相とは似ても似つかない姿が目に浮かぶ。
確か、阪神大震災に対して、「なにせ初めてのことで‥…」との言葉をはいた報道には国民として卒倒しそうなものではあった。
そして、その首相としてあるまじき村山政権が残した残滓があの「村山談話」だと言うのは何というブラックジョークではないか。

そして、質問した記者の女史は、少なくともワーキングプアと呼ばれる年収200万円以下の社員でもないと言うのも同じくブラックジョークである。   

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 4日 (火)

ジャーナリスト・東谷暁氏に異議あり

ジャーナリスト・東谷暁氏に異議あり

産経新聞Web2008/11/04「【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁 枠組み抜け出せない日本」と題して、東谷暁氏が記事を書いている。
東谷暁氏とは、最近では雑誌「正論」で「日本経済の突破口」、「寸鉄一閃」という記事を連載している。
しかし、今現在のところ11月号では専門外の筈の「パール判決書」で小林よしのり氏に噛みついたり、その他八木秀次氏に言いがかりを付けたりと支離滅裂な大活躍をしている。
そして、現在発売中の雑誌「正論12月号」では、小林よしのり氏に「寸鉄一閃(11月号)」で本論の「パール判決書」とは別の論点でケチをつけ、本題の「パール判決書」に触れないとやり込められている。
この東谷暁氏の論調については、以前訳も分からぬ参考文献の抜き出しばかりで文章を構成していると批判した。
一方、経済問題に関しては、未だに小泉政権の構造改革と郵政民営化を強く非難するのが持論となっている。
ところが、小泉政権の郵政民営化とは元々小泉氏が常々言っていたとおり、郵便貯金の絡む第二の国家予算となっていた「財政投融資資金」の問題であった。
これが役人の裁量だけで運用されて、天下り法人への無駄な補助金として、又再現もなくODAとして使われた。
それの尻ぬぐいするのは、国家財政の危機としてとらえたからである。
その上、構造改革は小泉政権以前に、為替、貿易、防衛問題と絡めて脅されて約束させられた案件である。
不思議なことに、東谷暁氏というのは、こういう事情は一切無視する傾向がある。

さて、【今日の突破口】ジャーナリスト・東谷暁 枠組み抜け出せない日本」の記事では、小泉政権の経済政策を批判しなから、
(http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081104/plc0811040304004-n1.htm)

「米 国の証券取引委員会(SEC)は9月30日に時価会計の適用緩和を打ち出し、10月の先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)でも凍結が示唆された が、欧米で議論が始まったのは、実は、いまから半年以上も前のことだった。それは当然のことだろう。不況期に時価会計を継続すれば破綻(はたん)企業が続 出する。過去においても、ルーズベルト大統領が就任後すぐに行ったのは時価会計の凍結であり、高橋是清蔵相も国債への時価主義適用の停止を断行した。」

‥‥と書いて、小泉政権で時価会計の見直しをしなかったことに対して

「小泉政権のある経済閣僚経験者は、日本の不況が続くなかで時価会計の見直し論が出てきたとき、そんなことは世界の恥だと思ったと回想録に書いている。」
として、
「し かし、国際規約といえども危機に際しては、世界に日本の事情を説明することで、弾力的な運用をすることが可能だったはずだ。それをしなかったのは、定めら れた枠組みを金科玉条のごとく崇拝する、日本の政治家や経済学者の奇妙な性癖のせいといってよい。」こんな風に批判している。

我々の一般庶民ならともかく、一応ジャーナリストと名前が付いている人物がこんな認識なのかと唖然とする。
なぜなら、日本がバブル崩壊の後の後遺症と共に、その経済政策の失敗から未だに内需主導型の経済に移行できていないとき、米国では今で言う債権バプルで好景気だった。
当然、今のEU、金融立国を打ち立てたアイスランドの惨状を見ても分かるように、当時は大好景気だったはず。
それは、当然時価会計やBIS規制は、当然のように機能していた時代。日本だけが経済政策の失敗で不況だから「時価会計やBIS規制」を見直すと言うことなど出来るはずもない。
そして、BIS規制自体、日本がバブル経済で浮かれていたときに、日本の官僚が当時の「株高」から何も考えずに歓迎した結果だったはず。

そして、お笑いなのは「高橋是清蔵相」の話。
「時価主義適用の停止を断行した。」と書かれているが、いわゆる経済の主導を握る米国が「不況なら」許されることで、日本単独で許されるはずがない。
まして、東谷暁氏が言うように、「国際規約といえども危機に際しては、世界に日本の事情を説明することで、弾力的な運用をすることが可能だったはずだ。」
として、実行していたら日本の銀行は国際決済を停止させられて海外で活動できなかったことは間違いない。

近年「『国連』という錯覚」‥日本人の知らない国際力学‥‥内海善雄著
を読むと、東谷暁氏のようなノーテンキな思考回路では到底認められないと言うことがよく分かる。
はっきり言って、東谷暁氏にはもう訳の分からない「戯れ言」はもういいと言いたい。
そして、常に過去を振り返って批判ばかりするものの、それでは将来の経済の方針はと聞けば、「米国経済に毒された」マスコミと同じように‥異口同音に‥‥「日銀の利下げ」しかいわない。
そして、それしか考えが浮かばないというのは、多分東谷暁氏が大嫌いであろう旧帝国軍人参謀殿と同じ思考回路であると言って間違いない‥‥のではないか。

ここで少し補足をしてみたい。
なぜなら、産経新聞のWeb版に書かれた事は、雑誌「正論」12月号の
「日本経済の突破口」第6回の前半に書かれていることとほとんど同じであるからである。
そこで

「いまだにサッチャー改革やレーガン革命が無条件に正しかったと論じる日本経済学者や政治学者およひ評論家は少なくない。しかし、その内実について検討することなく称賛するのは、‥‥以下略」

といかにも日本が「レーガン」の政策を真似して実行した風な書き出しだ。
ところが、日本では官僚の抵抗と、社会主義に傾倒した政治家によって「サッチャー改革やレーガン革命」などどちらかと言えば一つも実現していない。
実現したのは、日本は米国に対する金、技術その他の「みつぐ君」となることぐらいであって、逆に、バフル潰しという社会主義的思考が蔓延して、失われた10年を創出させると共にも増税路線となった。
東谷氏は、レーガノミックスによって、「福祉国家に傾斜したアメリカを自由主義に戻した」と評価しているのではなく「酷評」している。
思想的に、民主主義的というよりも社会主義的であり、反米思想で塗り固められたような経済論評というのは、実は迷惑至極である。
それならばいっそこと、米国的経済思想も捨ててしまえばよいものを、後生大事に抱えているようなのでいつも議論は支離滅裂で何がいたいのか分からぬ案配だ。

但し、おまえは頭が悪い‥‥と言われてしまえば、それまでというものではある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 3日 (月)

フジ系『いいとも!』森大衛氏が武田双雲氏の書を大批判・酷評

フジ系『いいとも!』森大衛氏が武田双雲氏の書を
添削指導で大批判・酷評

森大先生も、とうとうやってしまいましたね。
何やらメールで送ってきた文字の採点をしたら、なんとあの大「NHK」の大河ドラマの題字を書いた「武田双雲」御大のものだったとは‥‥
“たけしママ@小学校教員”という人からのメールで引っかかったと言え、事実採点してしまった。
これは、「日刊サイゾー」というよく知らない雑誌のブログで紹介されているもの。
いいとも!』書道家・森大衛が武田双雲をブログで添削指導!?

事実森大衛氏のブログ
「書道家 森大衛の“書道神経を磨け”」笑っていいとも!達筆王の真面目ブログ
の2008年11月3日‥「あ」「い」「お」「ひ」「る」‥でその事実を知って、驚愕している。

‥‥
確かに赤い線が書いてあるのはおかしいとは思ったから、
本人ではなく「そういう教材があるのかな?」と思ってました。
でも、教材なら正しい例も出てるはずだから、
「わざわざ森大衛が直す必要はないのでは?」と思いつつ、
「森大衛と知り合いって言うだけで子供達が書に真剣に取り組むようになった」
という話を多くの先生達から聞いているので、
「森大衛が的確に添削披露することでさらにやる気になってくれるかな?」
と思って好意的に掲載しました。
その送られてきたデータが、武田君のものだったとは…
‥‥‥‥‥‥‥中略
でもね、ハッキリ言います。
今朝サイトで見た“おはスタ”の字は「本当に武田君?」って思うほどショッキングでした。
「あ」「い」「お」「ひ」「る」以外も、残念なものだらけ…
それは全国どこの教員、書道家、習字教室の先生に尋ねられても明らかでしょう。

書写的指導と、書芸術的指導の違いはキッチリはわきまえるべき。
これは明らかに書写的指導でしょ?
書芸術的なものを目指しているなら、僕には“かっこわるいっ書”の方が愛おしく感じます。
僕も表現方法として“かっこわるいっ書”的な字を書くことも多々ありますからね。

僕が知らない人のメールを真に受けたのは甘かったのかもしれません。
しかし、指導者として目の前にある誤ったものに的確なアドバイスをするのは使命ですから、
今回あらためて武田君が書いた指導者としてのひらがな自体に対する謝罪はするつもりはありません。
彼が公の場に指導者のお手本として掲載した意図をこちらが聞きたいくらいです。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
以前から、森大衛氏は武田氏に対して、スタンスが違うと暗に批判していました。
しかし、こんなことになるのかと世の中面白いもの。
確か、新聞に載っていたのは、あの共和党副大統領候補サラ・ペイリン・アラスカ州知事が、フランスのサルコジ大統領の物まね引っかけ偽電話に騙されたという報道があった。
そして、変な本音を暴露されたと報道された。
世の中、いろいろ面白いものがあると思う昨今ではある。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

株、債権に期待出来ず、内需主導での景気回復として不動産の次に来るもの

株、債権に期待出来ず、

内需主導での景気回復として不動産の次に来るもの

「きしむ暮らし」‥‥「通知書1通『派遣』クビ」という記事は、2008/11/03読売新聞朝刊の記事である。これは、日本の輸出産業の基幹の一つである自動車産業の人員削減の一幕である。
近年の自動車産業というのは、世界中に工場を持ちそこで組み立て生産をしている。
しかし、今でも主要部品として3-40%程度は日本国内から、場合によっては車そのものを輸出することもある。
今日の読売記事以前にも、この秋の金融恐慌で仕事が減ったという記事には不思議と自動車産業が多い。
バブル以前では、不動産、建築という住宅産業というものが景気の底上げに貢献した。
その理由は、いわゆる大家族から核家族化への流れで住宅を必要としていたからで、今でも続くというものの「バブル潰し」のために今や見る影もない。
その崩壊は、「景気循環の輪」を断ち切ると共にデブレスパイラルに導かれたことで、今でも「羮に懲りて膾を吹く」状態になっているのは、金融機関による不動産業への貸し剥がしを見れば明らかだ。
さて、その不動産の次に来るものというのは「車」であることは、以前でも米国の例として述べたようである。
しかし、日本では車は贅沢品という元々の思想の元にかけられた税金、そして取れるところから取れと考え出された揮発油税などによって高負担を余儀なくされて、事実上制限されている。

本来日本経済は、国内景気を刺激して内需主導を喚起すべきであったのだが、日本の金融政策担当者、マスコミはあの「ハブル潰し」と全く同じ思考回路で日本経済を潰した。
なぜなら、米国経済の指標には、「不動産で持つ資産」と「預金、貯金で持つ資産」が入っていないからだ。
米国経済での資産とは「株、債権で持つ資産」のみであって、あのメリルリンチが山一証券の後を継いで日本に進出したとき、全財産を預けてくださいというのは「株、債権」だった。
結果、予定の「株、債権」が集められず、又資産として集められた「株、債権」は株安、債券安で元値の半分として戻された筈なのは「苦笑」を禁じ得ない。
映画で見ると、ジェームズ・ディーン主演の「『エデンの東』(East of Eden)1955」。
確か、その中で米国の大恐慌の遭遇して全財産を無くしてビル上から自殺する「父親」が出で来る。
今回の金融恐慌でも米国で同じ様な自殺者が出たという報道もあったが、日本では聞いたことがない。
一方、日本では発注ミスで22億円を一瞬にして稼いだ個人トレーダーが秋葉原のビルをキャッシュで90億円で買ったという話が出でいるくらいである。

その内需を無視してまでも何とかここ数年日本経済が一部回復したというのは、米国の「借金経済」を元にした金融バブルであったことは誰の目に見ても明らかである。
その間、日本は「預金、貯金で持つ資産」を低金利政策として目の敵にして来たというのが事実である。
そして、「預金、貯金で持つ資産」よりも株、債権へと金を海外のより高い利子を求めて債権を買わせる事をしてきたことも事実である。
そして不思議なことに、今回の利下げに関してマスコミ論調では、

「日銀は量的緩和に歯止めをかけゼロ金利を避ける、というのが今回の利下げの真相なのである。とすれば、日銀は自身の利害を優先して危機対策という大局を見ない、狡(こす)いやり方ではないか。」(産経新聞・【円・ドル・人民元】「狡(こす)いぞ日銀」2008.11.2)

と金利の下げ方のタイミングと利下げ幅の不満をぶちまけているものがある。

冗談言っちゃいけないよ‥‥とは庶民の意見だろう。
この利下げで、日本国民の懐に転がり込む利息約1兆円という金が少なくとも1年以内に消える。
一方、利下げによって貸出利子はほとんど変わらないのが普通だ。なぜなら、変動金利型ローンでも根拠となるのは長期金利。
貸し出しは、新規の貸し出しに限るからである。
マスコミは利下げ、利下げと叫ぶが、結局日本の内需の足を引っ張っている。
今まで、10年以上低金利政策を続けながら、いっこうにその低金利の効果が生まれないのならどういう理由なのか考えたことがあるのだろうか。

先の大戦中、陸海軍の参謀殿が敵に「見破られてしまった作戦」に対して、なぜその作戦が上手く行かないのか「(陸大・海大で習ったことに反して)おかしい」と連発しながら、またも同じ作戦を繰り返すというのに似ている。
海軍ではと思うこともあるかも知れないが、ほとんど戦果も上げられずに撃沈されてしまった潜水艦でもそうだった。しかし、戦後まで生き残った潜水艦もあった。
その艦長は、陸大・海大も出でおらず、生き残った理由を簡単に述べた。
それは、「昼間浮上して、夜間潜航していた」ということにすぎない。
潜水艦は、夜間浮上して充電するが、これが夜間戦闘機の標的になった。月夜などだと海面に浮上している潜水艦はよく見えるそうだ。
学校で習ったことが、実地体験で違っていても「理論が正しく現実が異常だ」というのは元々その理論が間違っていると普通なら考える。
しかし、その様に考えないのが頭が硬直した学校秀才という人達だろう。
だから、日本にはノーベル経済学賞をとる人物が生まれないというものだ。
まるで、今の小学生の勉強を見るようである。

今内需拡大を叫ぶが、政府の掲げる景気対策の内容が批判を受けるのは、この金融恐慌、株安に対して影響が出なかった国民、産業に対して金をばらまこうとしているからだ。
特に、公明党などはかっての「地域振興券」の失敗を反省していないなど政権政党にあるまじきだ。
内需拡大とは、金を使えば使うほど減税効果があるということにつきる。
金のない人に金を使わせるというのは、米国のサブプライムローンと同じで破綻を招く。やはり金持ちに金を使わせるしか、そうでなくとも小金持ちに金を使わせるしか今の内需拡大はないというのが間違いない事実だろう。

取りあえず、車の購入に関して大幅な優遇措置でもすれば、古い車を買い換えるという需要も生まれる。
何と言っても、あと3年経てば10%の消費税となるとなれば、日本経済の破綻は目の前に迫っている。
まだ余力のあるうちに、又商品が売れずに在庫処分をしているうちに、耐久消費財を買って、10年後に備えるという庶民のいると言うのは間違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (2)

2008年11月 2日 (日)

横田由美子氏の大人の対応とは、体制に対する「事なかれ主義か?」

横田由美子氏の大人の対応とは、体制に対する「事なかれ主義か?」

産経新聞Web版で「【断 横田由美子】お子ちゃまな大人たち」というのがあった。
中身は、「橋下徹大阪府知事」や「中山成彬前国交相」を“お子ちゃまな政治家”と揶揄しているのだが、それでは「横田氏」がいう「大人の政治家」というのはどういうものか聞いて見たい気がする。
・「府内の高校生グループと意見交換。」では、「高校生グループの言動には、知事と対立する大人たちの影響がうかがえた。」と書きながら、「それでも、弁護士で「大人」でもある知事が高校生を論破している姿は見られたものではなかった。」と書く。
・「陸上自衛隊伊丹駐屯地で開かれた記念行事に出席。」で「国防とは何ら関係のない私憤を、現場で任務にあたっている隊員の前で晴らす必要があったのか。こちらも疑問がぬぐえない。」と個人レベルの「私憤」に落とし込んでいる。
・「中山成彬前国交相が日教組批判発言が原因で大臣職を辞任したことは記憶に新しい。日教組が問題を抱えている組織であることは間違いない。だが、問われたのは、中山氏の場を読めない態度ではなかったか。」と別の矮小化として描く。

こういう風に見てゆくと、横田氏と言うのは「波風を立たせず」無難にことをすすめてゆく、時としては「事なかれ主義」、「長いものには巻かれろ」的という「誰かに頼らなければ活きて行けない」弱い立場というのが良く分かる。
その上、世代間のズレ、思想の違いか今の日本の現状に疑問を思っていないようだと言うより、現状肯定派なのではないかと思わせるものがある。

今の日本の現状は、大新聞社にしても「共産主義者」と明かした戦前の隠れ「共産主義者」が未だに社主として居座っている。
その上、その歴史観を社主のお気に入りの御用評論家保坂正康氏を使って監修させ、その歴史観を押しつける。
そして、その新聞社の戦後民主主義者的歴史観以外は、「事実誤認や、歴史家の多くが採用していない見方。」として、検証もなく切り捨てる。

一方、安倍政権の時はマスコミ、新聞メディア、官僚など日本国中の左翼勢力が露骨な攻撃に打って出た。
国民から見れば、日本と言うのは未だに得体の知れない「体制」に支配されていると感じたものだ。
それで、従来からの日本の節操としての「大人の対応」として、黙って任せて良いのかという危機意識生まれてきたのは間違いない。
小泉政権、安倍政権で一瞬断末魔の叫びを上げたような「戦後民主主義者」達が、福田政権で息を吹き返し、今や日本を何十年か前に引き戻そうとしている。

そんな危機感は、いくらなんでも「大人の対応」をするには限界を超えたと言うものではないだろうか。
そして、今高校生レベルでもネット上の「コメント書込」の「アラシ」が行われている現状を見れば、高校生を単なる「子ども」として扱うことが如何に愚かであるかということではないか。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
  【断 横田由美子】お子ちゃまな大人たち
2008.11.2 03:23(産経新聞)
このニュースのトピックス:橋下府政
 橋下徹大阪府知事が「教育」をめぐり暴走を続けている。
 10月26日にも体罰を容認するかのような発言をして物議を醸したが、その3日前には府内の高校生グループと意見交換。財政再建の一環として打ち出された私学助成の削減に異を唱える彼らを「日本は自己責任が原則」とやりこめた。また、こうも主張した。
 「義務教育が終わったら子供扱いしない」。高校生グループの言動には、知事と対立する大人たちの影響がうかがえた。それでも、弁護士で「大人」でもある知事が高校生を論破している姿は見られたものではなかった。
 同じ週には、陸上自衛隊伊丹駐屯地で開かれた記念行事に出席。「口ばっかりで、人の悪口ばっかり言っているような朝日新聞のような大人が増えれば、日本はだめになる」と、祝辞で述べた。
 国防とは何ら関係のない私憤を、現場で任務にあたっている隊員の前で晴らす必要があったのか。こちらも疑問がぬぐえない。
 最近、衝動的で思慮が感じられない“お子ちゃまな政治家”が増えている。
 中山成彬前国交相が日教組批判発言が原因で大臣職を辞任したことは記憶に新しい。日教組が問題を抱えている組織であることは間違いない。だが、問われたのは、中山氏の場を読めない態度ではなかったか。その後も、次期衆院選不出馬を撤回してみたりと、迷走を続けた。
 選挙権を持たない子どもたちだって、自分たちの代表として政治家の一挙手一投足を見つめていることを忘れないでほしい。(ルポライター)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

パソコンの寿命3年はこんなものかいなぁ

パソコンの寿命3年はこんなものかいなぁ

今から10日ほど前の10月中旬、事務所のデルのノート型パソコンを起動した。
WindowsXPのロゴが出て起動して、一旦暗くなりそこからブルーの画面か出て‥‥となるはずが、暗くなったまま。
一方ウェーブ音が聞こえて、フリーズではないことは確認出来た感じなのだが、一応強制終了して、再起動しても同じ。
こういうことが起きると、一瞬真っ青というのが最近の事情。
なぜなら、事務所と自宅にあるパソコンで「まともなもの(正常に動くもの)」が少なくなっているからである。
液晶との接続がダメなのか、液晶モニターに繋いでみたら普通に使える状態になった。
それにしても、「WindowsXPのロゴが出て」というのだから液晶パネルとの接続ではないから‥‥と考えは保留とした。
なんだか知らないが、最近修正プロクラムというものが多くなって、酷いときにはパソコンから目を離したら、DVD+RDL書き込み中に突然再起動してしまったことがある。
これで、高価なメディアを単なる廃棄物にした。

その後、週末自宅のノート型パソコン(ダイナブック・2年使用約1800時間、1350回起動)を使っていて、一旦終了して再起動したらなんと同じブラックアウト症状。
「WindowsXPのロゴが出て」その後液晶が真っ暗。
それで今度は液晶モニターを蛍光灯の明かりでよく見たら、液晶がうっすらと見える。
これはバックライドが消えているだけか‥‥と。
それで、うっすらと見える液晶モニターを見ながら、数日前の復元ポイントを探して再起動。
実は、これでなんなく元に戻った。
しかし、数日前のデスクトップはこんなものだったかなと多少違和感があったのは事実。

これで気をよくして、今度は事務所のデルのもう一台のノート型パソコンを同様にやってみた。
しかし、全くの徒労、無駄。
そして、ATI Mobility Radeon X300から見てみてると、パソコン液晶パネルとは接続されていないと出でいる。
これはどういう事なのかなぁ‥‥と思う。
ちなみに、そのパソコンは
DELL Inspiron 6000
motherboard ID:DMI Chipset:Intel Alviso i915PM
CPU:Mobile Intel Pentium M、【Dothn】 1600MHz(12×133)…Max1800MHz
memory バス:199.49MHz……通常 約800MHz……
Dual Channel DDR2 SDRAM…128bit
Memory:256MB×2(DDR2-400 DDR2 SDRAM 200MHz)=512MB
Hyundai HYMP532S64P6-E3
Video Adapter /PCI Express×16 :ATI Mobility Radeon X300 128MB GPU Clock 300MHz
Disc drive :Hitachi HTS548060M9AT00 /Travelster 5K80/2.5゛ 60GB 5400rpm 8MB ultraATA/100
Optical drive: Sony DVD+-RW DW-D54A( 2005_7_25)
購入してから、3年と3ヶ月経ってしまったが、起動時間は散々直そうと思って、動かした後でたったの536時間、起動回数523回。
これは自宅で普通に動かしていれば7-8ヶ月の時間。
事務用なら2-3ヶ月というところ。
早く言えば初期不良のうちのようなもの。
実際の使用時間が少なかったのは、外へ持ち出すために使っていたものだからだ。
実は2年の延長保証と盗難保険までとって於いたが、不思議とこういう保険というものは無駄に終わる典型というものだ。
元々液晶が暗くて使いにくかったものだが、とうとうかなり遅いデスクノートになってしまった。

拡大すると‥‥


デスクノートと言えば、事務所で使っているこんなものがある。
motherboard Aopen/W3DPE/WIST :Chipset Intel Brookdale i845PE
Intel PentiumⅣa 2400MHz(4.5×533) Northwood
Memory :512MB(DDR SDRAM)
Video Adapter :nVIDIA GeForce4 440 Go 64M
Disc drive :ExcelStor J360 / 60GB 7200rpm
Optical drive: Slimtype Combo LSC-24081M
Windows 2000Sp4(up date) 15inch/XGA TFT
これはもう7800時間程度のもので、自宅のダイナブックの計算で行けば8-9年ぐらいなのだが、2003年6月製で事務用だから5年間動いたもの。
但し、最近デスクノートの液晶パネルのヒンジが壊れ、OSの再インストールを迫られる環境になったが、パソコンのハード的には故障はない。

一方、Soltec SL-K8TPro-939(2004_11_30)の事務用のデスクトップに関しては、いつ起動しなくなるのかという毎日になっている。

パソコンの寿命というのは、ハード的な問題、ソフト的な問題を考慮すると、順調に使えるのは3年といったところのようだ。
以前は、HDDがダメになることが多く、3台のデスクトップが2年で使い物にならなくなった。
こう言うとき、メーカー製というものはどうしようもなく、又30GBというHDD全盛の過渡期の上、チップセットが悪名高いものだったからそのままになっている。
その他、自宅にはSONY VAIO Note PCG-F50ABPという1999年製のノート型パソコンがある。
これはOSがWin98SEと言うもので、ネットワークに問題があって結局WinMeにアップグレードして何とか使えていた。しかし、最近ではフラウザーを立ち上げても遅くて使い物にならなくなった感が強い。
まあ、HDDが熱で少し崩れているとは言え、良く保ったものだと思う。
これで必要に迫られて外に持ち出すのは、自宅のダイナブックの方になるがこれも何年使えるのかと最近は正にうら寂しくなる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »