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2008年11月12日 (水)

名もない自分の家系のルーツを探す

名もない自分の家系のルーツを探す

先週法事があった。
法事あったからと言っても、今や遠縁になってしまった親戚からのものである。
実際は、伯父、従兄弟の何回忌というものだったが、それに合わせて墓の改装をするという。
要するに、寺の住職が代わって(田舎だけど)広い土地の墓地を退かせて、跡を切り売りしたいらしいと言うこと。
そして、実際は移った先の墓地というのもその親戚が前の住職の時に、金を出して買った土地を寺に寄贈したのだとか。いろいろとあるものだ。
それで、その墓を移転するに当たって、位牌と墓石を照らし合わせて先祖の家系図を作ったと渡された。
まあその家は、元をたどれば清和源氏だし、武田信玄の室であった「於琴姫」はその家系からで出いると家系図にある。
当然、武田氏とは姻戚にあり、一時期「油川氏」と言ったようだ。
実際は、「於琴姫」の世代から3代下がる人物からその寺に墓石があるという。
そして現在の当主はそこから数えて13代目という。
その家系図を見ていると、昔従兄弟が「分家」の方が実は正当性があるといっていたことに思い当たることがあった。
それは、分家に別れた後二代に亘って、不思議と血統が絶えて分家から二代養子、養女が本家に入っていることだろう。
一方、分家はいっぺんも血統が絶えていないということだ。
そしてその分家といっても分家に別れたのが宝暦(1751)年間のころというから、分家とて意外に古い。

確かに、そんな古い家で江戸初期の寛文(1661)年間まで武士であったのが、その後武士を止めて土着し、平農分離されていなかったという真実は面白いところだ。
これを土佐では「郷士」といったらしいし、あるところでは「地侍」といったらしい。
関東ではどうなのかは良く分からない。
この江戸初期まで武士で一定の勢力を持っていたと言う野城の様な屋敷が、埼玉のある地方に残っている。
今は、崩れ落ちそうな長屋門が幾ばくかの面影を残すが、草に覆われて見る影もない。
屋敷の廻りの堀は、「市有地」だとして埋め立てられ道路となり、戦後二回の相続で3000坪あった土地、どれだけ残っているのか。
しかし、その「山」といわれた竹藪や庭は手をつけられた様子はない。
なぜかと言えば、そこにどんな生物や植物があるのか分からないかである。
一種の自然の宝庫が街の中にあるというところのようだ。
そして、樹齢5-600年を超す樹木を伐採する勇気というものは誰も持ち合わせていない。

その長屋門の天井には、昔見たときは船が何艘も乗せてあり、奥の米倉や物置の軒先にも船があった。何故海もない内陸部に船、と思うが昔は荒川の氾濫が凄く、その屋敷の高台にあった裏屋という屋敷の離れまで水が来たと母から聞いたことがあった。
兎に角、昔の屋敷は自給自足が出来るもので、北西には竹藪。
東には川から屋敷に水を引き入れて、生け簀があり、畑がありというものだった。
今では、門の内側にも入れないそうで人が住まなくなった家というものは、あっという間に廃墟と化す。

一方我が家の家系図は‥‥といっても、戸籍謄本から分かる範囲でしか分からない。
しかし、古い戸籍謄本を家中探し回り、それを見ながら家系図を作ったらなんと半日かがってしまった。
それも、父母から聞いた知識があったから容易であったはずで、妻、子どもでは中々実態が掴めないかもしれない。
名字は、地域に特徴的な名字だから、清和源氏系とほぼ推定はつく。
そして、埼玉の川越から明治維新年に、城主松平氏と共に当地前橋(厩橋)に来橋し、そのまま移り住んで、ほぼ大きく住んでいるところは変わらない。
ならば、間違いなく自称源氏の末裔と言いたいところだが、うちの家系も移り住んでから実は2代で本家が途絶え、分家から家督相続をして今に至っている。
なんと言うことはない、埼玉のある「大越」(今は加須市内)と通称された家系の傍系に血筋から見ればなっているということである。
その家系が明治以降、歴史上わずかに登場するのは「私立埼玉英和学校??」という一族を通わせるための中学校を作ったことぐらいではないか。
それは、今の埼玉県立不動岡高等学校になっているはずなのだが、ほとんど知られていない。それは兎も角も、その我が家系の分家というのも、古くはなくて埼玉から祖父が養子に来て分家したものだった。
そして、その「大越」とは小生の父母の時代までは交流があり、戸籍謄本からその名前に聞き覚えのある名が出で来るが、今は誰も知らないというものだ。

正直言って、自分の家の家系のルーツなど、「どうでもいいよ」というものではないか。そして、家系に歴史上有名人がいるわけでもなし、又居たとしても歴史の中に埋没している。
但し、どうも母方から見ても父親から見てもいわゆる「源氏」という系統に入るというのは間違いない。そして関東ではごくありふれた家系というものだ。

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