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2008年11月14日 (金)

日本国憲法に軍隊の規定がない・シビリアンコントロールの無意味

日本国憲法に軍隊の規定がない・シビリアンコントロールの無意味

先の田母神俊雄・前航空幕僚長更迭問題から、シビリアンコントロールと言うものが問題になっている。
このこと(シビリアンコントロール)に関しては、読売新聞が1面(2008/11/14・13版・12解説)を割いて、「基礎から分かる文民統制」と題して解説している。
そして副題は「運用基準 明確性欠く」なのである。
面白いことに、「導入の経緯」「問(Q)」‥‥という小さい囲み記事が「文民統制」という問題点を指摘してしまっている。
そして、その他の大きな記事、解説というのものは実は本質を突いておらず、自衛隊に対する「軍事」アレルギーやその場限りの「ご都合主義」、その存在の法的な意味合いを全く無視している議論である。
問題点は、
としていわゆる箸の上げ下ろしまで厳しく「統制」、「規定」している制度を「文民統制」と又曲解している始末であることを暴露している。
一方、その囲み記事ではまず経緯から‥‥
元々GHQの占領下、(朝鮮戦争の脅威から)警察予備隊の創設に係わって、米軍軍事顧問団の幕僚長から「シビリアンコントロール」を指示されたという。
そして、この「シビリアンコントロール」は、「文官統制」と訳され、この訳の曲解が「文官(官僚)」と「武官(軍人)」ということで、「官僚」が制服組をコントロールすることと解釈した。
結果、「政治による軍の統制」であるはずのシビリアンコントロールが、長い間、防衛省の官僚(背広組)が自衛隊を統制することとされてきた。‥‥中略‥‥他国では類を見ない形が続けられてきた。」
そして、最後に憲法に触れ、
そもそも日本国憲法は「戦力」を持たないと明記されているため、軍隊を統制するための詳しい仕組みが必要なかった。」
「日本国憲法66条2項で大臣について文民規定を設けているほかは、憲法にはシビリアンコントロールに係わる規定はない。」と憲法上自衛隊は軍隊ではないと述べてしまっている。
続けて「欧米では、議会に軍事に関する基本権や統帥権があることが憲法に規定されているのと比べて大きい違いだ。」と書く。

メインの解説で今は、防衛省の‥‥「背広組(官僚・事務官)も制服であれ、国民に対して直接責任を負い得る立場にない」と統制する側でないとのことになっている。
又、憲法論に戻ると‥‥というか、この自衛隊に関して述べると必ず憲法が絡んでくる。
解説では、「文民」規定について、「内閣法制局資料」によればと‥‥
(イ)旧陸海軍の職業軍人の経歴を有するものであって、軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの。
(ロ)自衛官の職に在る者‥以外のもの
としているとある。
これは、その昔法学の講義で「憲法論」を習うと必ず教えられることではあったが、実はこの解釈というのは矛盾する。
何故なら、今は旧職業軍人などという人は存命ではないし、元将校であっても召集・志願で軍事になった人は中曽根元首相(元海軍主計将校・少佐)を見れば分かるとおりその経歴は影響ない。
「軍国主義的思想に深く染まっていると考えられるもの。」というのは、問答無用であると同時に、逆に憲法に違反する。
又(ロ)の項目も、官僚である「自衛官」のまま国務大臣に成れるわけはないからこれも矛盾する。
そして、憲法上「文民」という言葉は出で来るが、対比する「軍人」という言葉が出てこない限り日本の国には「軍人」は存在しない。
こういう憲法上の制約がある上に、自衛隊は軍隊と規定されていないし、事実上の自衛隊の職務執行は警察の域を出ていない。
法治国家である以上、法律に縛られるし憲法に規定縛られる。
かって、社会党が自衛隊は憲法違反であると主張したが、軍隊とすれば憲法違反だが「自衛隊」という「専守防衛部隊」であるから憲法違反ではないと逃げ切ったはず。
そして、集団的自衛権も行使出来ないし、イラクでは銃の使用は本人の意志に任せるという具合だった。
よくよく考えてみれば、今の自衛隊は「軍隊でもないから」派兵はされないし、不審船や海賊は警察組織の「海上保安庁」。国内の凶悪事件は「警察庁・警視庁」として、学生運動、赤軍派の闘争の治安維持で殉職したのは「機動隊」。
だから、事故で死ぬ以外自衛隊というのは非常に安全な武力組織である。
この前、海上自衛隊の特殊部隊が訓練中に亡くなった事件があったが、早い話自己満足の無駄。
何故なら、今の状況では100%実戦に投入される見込みはない。
何せ今や警察組織にテロ特殊部隊が存在する。

そんな、戦争にも警備行動にも出動せず、出動は災害派遣と雪祭りの雪集めと雪像づくりというのが自衛隊の実態である。

はっきり言って、何が「文民統制」だと言うものではないか。
憲法という法律上「軍人」が存在しない以上「文民統制」も当然憲法上存在しない。
しかも「軍隊」でもない「軍隊もどきの」自衛隊を軍隊として見立て、「軍隊として」外国から行動を余儀なくされると、今度は「軍隊ではないとして」その「軍隊としての行動」に足を縛ってきた。
その様にして、「軍隊たるべきこと」を阻止していた自衛隊を、時として「軍隊」呼ぶのは、如何に「軍隊アレルギー」、ご都合主義年か思えない。
読売新聞も、例のナベツネに迎合して「文民統制」について拳を振り上げたものの、調べれば時の政府、官僚の「ご都合主義」との実態の真実に揺れて、囲み記事で暴露している。ここで本来自衛隊という存在を考え直すべきだが、「やぶ蛇」になるために左派マスコミ人、民主党も実は田母神俊雄・前航空幕僚長問題は、なるべく避けて通りたいことなのではないかと考えたりする。
よくよく見れば、自衛隊問題を今でも頻繁に報道しているのは、バックファイヤーを繰り返す読売新聞だけというのは面白いものだ。

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