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2008年12月28日 (日)

syuun の不思議な少年時代 その20

syuun の不思議な少年時代 その20

第2部-2
syuun の不思議な少年時代を再開します。
種々な理由で中断していました。又、今後は支障のない場合は名前を実名にすることがあります。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
桃井(もものい)小学校の6年生
昭和38年、ちょうど東京オリンピックの前年に当たる。
だから、何やらあわただしい雰囲気が漂っていたが、別に地方では何事もなかった。
少なくとも、当時の少年の耳に残った事は何もなかった。
但し、ラジオからはコニーフランシスの「ボーイハント1960」や「カレンダー・ガール1961」の歌が流れていたりはした。
今で言うシャッター通りなどという言葉など信じられないほどアーケート街は繁盛し、既製服など無かったくらいだから、服の生地を売る店や呉服店の繁盛していた。
今スズラン百貨店となった店は、当時10年ほど前に古着屋から出発して、アーケード街にいくつかの店舗を持つ巨大店に発展していた。
季節の変わり目にいた、傷痍軍人の身なりをした「物乞い」もほとんど見なくなり、時として見ても、「偽物だから」と警告する人がいた。

新しい担任の教師は、国語の教師で山田先生と言った。
顔は面長で、メガネを掛け、黒い髪にポマードをつけたオールバック。
上履きのスリッパは古い靴のかかとをはぎ取ったような革のスリッパ。昔は古い靴が使えなくなったらこの様にして使ったのかも知れない。その後は初めからその様なものがあった。
映画俳優のカーク・ダグラスのようにあごが二つに割れていて感じはよく似ていた。
どちらかと言えば二枚目の方だろう。
年齢的には、もう教頭、校長にでもという感じだった。それが何故教頭、校長にもならず一介の小学校教師なのかというと、噂では結核の持病があって長期休職していたらしいという事だった。
そして、もう一つの噂は昔の「勤評」(勤務評定)反対運動をやり過ぎたという話はあったが、あくまでも憶測の域は出ていなかった。
その「結核の持病」の方は本当だったらしく、その後退官したあと程なく結核でなくなったとは四半世紀後に同窓会の後に知った事だった。
いずれにしろ、かなり古いタイプの教師であった感じがした。
だから、一旦怒鳴ると大音声で凄い迫力があった。
そして、今までのN.Y先生のようにある特定の児童のみ重要視するというのではなく、児童一人一人に役目(役職)を与え責任を持たせたりした。
そして、6月の小学校最後の一泊の修学旅行「江ノ島鎌倉」から帰ってきてから、何やらクラスの微妙な雰囲気というものが理解出来るようになってきた。
クラスのK.N君は児童会長で既に人気者であった上に、何か目に見えない取り巻きグループを形成してしていた。
Kは、クラス一番の美少女M.T嬢をつけ回していたし、一方、M.T君(男)は「理科が得意」という事にいつの間にかなっていて、山田先生は理科はMが得意だから、Mに答えさせるという風にしていた。
ところが、そんな事に踊らないのがMで、別に理科か得意であったわけではなくたいして勉強もせず成績も良くなかった。
但し、このM.T君とは群馬県立前橋高校1年の時同じクラスになった。
当時の群馬県立前橋高校の偏差値は、偏差値が公表される前の話で20年後に偏差値を見たら72だった。当時偏差値があったなら偏差値75はあったに違いない超々難関校であったことは間違いない。(現在は68)
クラス会で逢ったときは、M.Tは県庁の職員になっていて同期のA.T嬢によれば幼稚園で一緒になったとか‥‥
しかし、一回クラス会に出できただけで二度と参加する事はなかった。

修学旅行「江ノ島鎌倉」には、当時の羽田空港の見学とか、鎌倉の大仏とかの写真が残っている。
この修学旅行の時は梅雨だから、例年雨にたたられ江ノ島についたときは夕刻で、雨に霞んだ江ノ島は見えなかった。
そして、今から思えば特徴的だったのは「米」を持っていった事だ。
何故なら、米は統制が残っていて、普通に買える米は「ヤミ米」といっていたからだ。
しかし、行った旅館側では今は必要ないと受け取らず、そのまま持って帰ってきた記憶がある。戦後の残滓というものは、まだまだ残っていた。
その残っているものには、その時の修学旅行「江ノ島鎌倉」の旅行記がある。
その旅行記というのは、実は母によって完全に添削されて直された曰わく因縁のものなのだが、今読み返してもどこを直されたのか見当も付かない。
そして、その内容に少し因縁をつけてきたのが例の「ジャイアン」事T.Tであり、完璧なまでに仕上げてきたのがK.N君の旅行記だった。

その旅行記を見た母は、完璧すぎると驚嘆したが、実はK.Nには「姉」という2歳年上の家庭教師がいた。
小生が、前橋高校に通っていた1年時に、群馬大学教養部(桐生)の数学教師遠山教授による「数学教室」というのがあった。
これは、前橋の中心部に近いところにあった「洋裁学校」を日曜日の午前中だけ使って、手弁当に近い形(経費は数百円だった。)で毎週朝6時30分から始めたものだった。
ここには、前高、前女の高校生が集まって簡単な講義を聴いた後、45分で大学入試問題を解き提出するというもの。
その時の満点常連組が当時前橋女子高校3年だったK.Nの姉であったことが判った。
K.Nと比べて大柄で顔が小さく上背は多分165cm以上?といったタイプだった。
後に当時の「女の東大」といったお茶の水大学に現役で合格したほどの才媛であったから後から思えば当然というものだったろう。

そして、その他の男児というのはまだ目立たない存在で、逆に女児のA.Mとか超美少女M.T、もう一人の中学・高校時代には「こけし」の異名をとったM.T嬢などか成績優秀の上、女性としての「芽」を出し始めたところだった。
ちなみに、その3人は全て後に前橋女子高校に進学した。
前橋女子高校とて、中学のナンバースクールの進学校でもトップクラス、場合によっては学年主席でないと入学出来ない難関校だった。

こんな風に、夏休み前は順調に何の「苛めも・偏見もなく」進んだ。
学校の授業は新鮮で、正に乾いたスポンジに水を吸い込むようだっが、その19に書いた通り夏休み以降次第に微妙な変が現れてくる。

いずれにせよ、小学校の6年生というのは人生における一つの原点であると今でも思う。
何故かというと、子供時代‥児童からもう少し大きい少年、青年へ‥‥そして、自己確立(アイデンティティの確立)への転換点だからである。
又、それは一般的な物の見方なのであるが、小生にとっては「悪夢からの脱出」を意味した。
悪夢とは、小学校4.5年の時代であって、絶対にあの時代には戻らないと覚悟と強い意志持ったものだからだ。
事実として、小学校4.5年の時代というのは、身体、頭脳の停滞期であり、自分の能力は計れなかっただけでなく、分かりきった事を試した時期でもあった。
「分かりきった事を試す」というのは、大学時代同じ事をやった同期生がいて、やはり納得がいったと面白い事を言った。
そんな事は子供時代に全部やったとは言わなかったが、言葉に出たのは「当たり前だ」だけだった。
考えてみれば、当時の水準として両親はどちらかと言えば年寄りだし、兄とは年が離れすぎて相手にならず、何もかも自分で試してみなければならなかった。

そんなふうに小学校6年生活が始まったのだが‥‥、
四半世紀経ってクラス会という事で過半の人達と再会し、当時口も聞かなかった、目立つ事もなかった人達と親交を深める様になろうとは思いもよらなかった。
そんなクラス会の幹事として同窓会を主催したのも、実はこの小学6年の時に「芽」があった。
やって欲しい事があっても、誰もやってくれないのなら自らが「率先してやれ」という事である。そうすれば、そのメンバーから外れる事はないし自分が苦労する気なら何でも出来る。
そして、そんな能力という「芽」が僅かに潜んでいそうだと気がついてのがこの歳だった。
そのクラス会後に、親しくなった一人が、ブログEntry「友人の葬儀で『弔辞』を読み思うこと」で書いた「岸君」であって、小学校3年から6年まで同じクラスにいながらほとんど話をした事がない。
しかも、6年の時には「視界」から完全に消え、今でも当時の岸君の記憶は一切無い。
記憶がないといえば、その他今では一番親交が厚い4人も似たようなもので記憶としては、柔道で鍛えて暴れん坊の例の「ジャイアン」そのままだったTぐらいなものである。
そして、この桃井小学校6年から中学校へ進学するのだが、当時県下でも有数の進学校だった前橋市立第一中学校(当時ダントツの前橋では随一)とランク落ちの第三中学校、そして別格の群馬大学学芸学部附属中学校と別れる事になるのは昭和39年。
即ち東京オリンビックの歳となる。

つづく‥‥

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