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2009年3月 3日 (火)

第43回前橋市民展・書道部門

第43回前橋市民展が平成21年3月1日をもって閉幕した。
書道部門が最後の順番だったから、3月2日の撤去搬出と相成った。

市民展も回を重ねるごとに、書道部門に限らず何やら作品の質が落ちてきたように思える。
それは、上手な人が無鑑査になり、(審査)委員になって、という循環違いないのだが、何やら憂いを思うものである。
はっきり言えば一時期のような爆発的な絵画、書道人口の増は見られない。
特に指導者が少ない日本画などは、消滅の危機に迫っている。
20年前には、4-50点の出品だったのが今や半減しているのである。
洋画は、高校で油絵などを習うためにそこそこの人員は確保しているようだ。
しかし、高校生が最高賞を取ってしまうほど、その作品の傾向というものが画一化されている可能性がある。

そうであるならば、書作品はより画一化されているか‥‥、
伝統書の「漢字」部門は、毎年同じ傾向の、同じような文字が並ぶ。
こんなことを言うと、日展の展示を言う様なのだが、実を言えばある一定の「手本」というのが出品者の中で廻っていると言うことである。
だから、毎年同じように作品が出る。

それで審査する方はどうするのか、審査員でないからわからないがより手本に似ているか、間違いはないかなのだろうか。

しかし、A先生が言うように展示会場は迷路である。
はっきり言って、何の脈絡がないように展示されている。
理由は、単に展示スペースがないということだけなのである。
それにしても市民展というのは、「官展」なので「雅号」を一切使わない。
だから有名な先生でも本名でキャプションが作ってある。
名前を見ても実感が湧かないということがある。
はっきり言って、誰の作品かわからないこともある。
群馬県展の場合、公募は「本名」、委嘱作家(無鑑査)以上は「雅号」という決まりがあって、賞状にもその通り書く。
但し、山﨑種二記念特別賞だけは、県庁が絡むので「本名」。

新傾向という「前衛書」と「近代詩文」「少字数」という部門では、「前衛書」に文字性が多いので、線書きのように見える作品が多い。

審査員(委員)となると、0.5平方と決まっているので、色紙程度か小さめの額作品が多い。

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