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2009年3月

2009年3月31日 (火)

未だに「日銀の量的緩和政策とゼロ金利政策」 を待望する無策の経済論

未だに日銀の量的緩和政策とゼロ金利政策

を待望する無策の経済論

近年日本にも再び不況風が吹くようになって、日本の政策はこれで良かったのかと「失われた10年」以降の経済対策について分析がなされている。
「『100年に1度』の経済災禍」が起きると、円安バブルが弾けて輸出産業は大打撃を受けた。それで経済人は円安誘導を主張し、円高が悪いという論調も多かった。
しかし、その円高とは無理な円安に揺れた、揺れ戻しであることが判った。
又、金融収縮によって円安にして輸出したところで物は売れないと言う事があきらかになり「円高」是正の論調も下火である。
もっとも、経済評論によって、今まで長く続いた「円安」というのは日本が低金利政策を続け世界に「金」を供給することによる「円安バブル」だったと言う事が明白になったのは随分前のことである。

円は世界中が高金利政策を取っている時に、日本独自の低金利によるために、例えば、あの金融バブルで崩壊状態になったアイスランドでは、円のローンを組むのが常識だったほどだ。

斎藤精一郎氏・(日経BizPlusコラム)第83回「経済政策の『万能神話』を斬る――L型の長期不況に真っ正面から備えよ!」(2009/03/30)
‥‥で、斎藤先生は、
「日 本経済は02年2月から07年10月まで戦後最長の景気回復を実現したが、それは95年9月以降の日銀の長いゼロ%台金利政策の効果でも、02年以降の不 良債権処理スキームの効果でもない。この回復の最大の要因は、本コラムで過去何度も指摘する、03~07年の『牛(=米国)に引かれた世界同時好況』によ る目覚ましい外需拡大だった。」
と結論づけている。
だから、金融バブルが弾けると「外需依存型」日本経済は「『本物の内発的な回復力』に乏しいことが露呈されてしまった。」
日 本のバブル崩壊による日本の経済対策というのは、逐次投入による財政政策であって、欧米諸国は、「日本の轍を踏まず」と日本の失敗を鏡としているのだが、 「大々的に未知な政策が繰り出されていけば、経済を本来向かうべき方向から逸脱させるリスクも大きい。」と警告している。
そして、いわゆる「学校秀才」が習った経済理論から逸脱した政策をした場合、その効果に関して彼らは予想も付かない。
そ の例として、「長期のゼロ金利政策や量的緩和策は、過剰な円安を惹起(じゃっき)させ、日本の企業を過度な輸出依存症に陥らせるリスクを伴う。現に非伝統 的な金融政策が日本経済を過度の輸出依存体質にし、その結果、今次危機で日本経済は過剰な衝撃を受けているではないか。」と述べている。

日本のバブル崩壊のための経済対策として行われた‥‥
ゼロ金利政策、量的緩和策、財政出動による公共事業などは、無意味だった。
無意味な経済実験と言う事である。
それで、日本政府のエコノミストは無意味だった「ゼロ金利政策、量的緩和策、財政出動による公共事業」をどうするのかと言う点で事実上の思考停止をしている。
産経新聞2009.3.28 「【主張】21年度予算成立 「デフレ」脱却をゴールに」では、
「金融がグローバル化した今日、円資金の国際的影響力は想像を絶するほど大きい。円資金は2,001年から米住宅金融の呼び水となった半面、その供給を絞った2,006年から米住宅市況が崩壊し始めたことはデータの上で証明されている。」
‥‥と低金利政策による円安と資金供給が米国の金融バブルの遠因になっていることを明かしながら、以下のような矛盾した論調を繰り返している。

「米国の金融危機対策と連動させ、日銀が量的緩和政策とゼロ金利政策に転換すれば、米金融市場の回復を早めよう。」

「日銀の量的緩和政策とゼロ金利政策」は、過度の円安バブルとその円安に便乗した「日本の企業を過度な輸出依存症」に陥らせたのは間違いなく、これが「内需主導」への転換を遅らせている原因でもある。
先の社説によると、
「デ フレ病だと自己診断すれば、初めて有効な処方箋(せん)が書ける。個人消費を中心とした需要の回復である。中途半端で小出し、ごく一部の層だけが受益する 対策では意味がない。たとえば国民1人当たり100万円の還付金、あるいは大型減税といった大胆で満遍ない消費刺激策を一気呵成(かせい)に実行してはど うだろうか。」

と書くのだが、そんなことなら金利を上げて「金」をばらまけとなぜ言わないのか。
今や金利は、金の貸し借りとは関係ないところにきている。
多分、こういうのはケインズ理論に合わないのだろうが、既に「日銀の量的緩和政策とゼロ金利政策」は、ケインズ理論の埒(らち)外にあると言う事を肝に銘ずる必要があるのではないか。

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2009年3月28日 (土)

第5回壮玄会かな書道展 を見る

第5回壮玄会かな書道展が2009年3月27日から29日まで、前橋市民文化会館小展示ホールで開かれている。
壮玄会は、前橋市在住の吉田壮峰先生の社中展である。
出品者は、数えると33名で、目録には34点しか書いていないが、実際には100点以上の作品が飾られている。

かなの書展というのは、何時も華やかで見る目を楽しませる。
やはり、平安朝の王朝文化、日本文化の繊細さというのは「かな文字」に限る。

妙義山美術館からの帰りに寄ったから、夕方になってしまったが、観覧者が絶えない盛況な展覧会であった。

書作品の傾向としては、「吉田壮峰流」と称している通り、いわゆる「日展・読売系」、「毎日系」、「あきつ会系」とも一線を画す書風になっている。
元々関西の「かな作家の巨人」の系譜と言われているが、元の先生が亡くなってしまったためにそのままになっているとか。
強いて言えば、毎日系の「かな」の日書美に作風が似ているかもしれない。

中央に小品が並ぶ、時たま昔見知っていた(?)名前を見つけるのは興味深い。
かな作家は、雅号をつけず本名の人が多い。やはり雅号はかな作家に似合わないか?

いずれにせよ、「柔らかさ」王朝文化の「華やかさ」が全面にあふれ出る展覧会であった。
解りやすく言えば、展示会場そのものが一つの作品と言うべきか‥‥と言うところなのである。

今、壮玄会は中央の展覧会から離れで独自の書風に挑んでいるらしい。
群馬県書道展や前橋市民展ではお馴染みの社中だが、昔は中央展の表彰式で同じ式次第に名前が載った人がいた。
中央書展の無鑑査の頃で、小生は平の「特選」なのに、最高賞の「院賞」だったと記憶する。
その後、その人物は諸般の事情から書から離れて、最近又始めるようになったとか。
書の世界というものは、色々なことがあるものよ。
そのまま続けていたらどうだったろうかと思ったりする。

そしてその書作家の名は、案内状の後ろの方にあった。
意図して後ろにあったのではなく、表示順で名前が偶然に後ろの方に位置したらしい。
これも、面白いものだと思う。

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2009年3月27日 (金)

SONY・70-300mmF4.5-5.6G SSM

初めてのGレンズSAL70300G

SONY・70-300mmF4.5-5.6G SSM

昨年の正月に、コンパクトデジカメ(リコーR7)を買いしばらく使ってきた。
それで荷物が減ったとばかりゴールデンウィークにTDA、TDSに行って写真を撮ってきたらピンボケばかりだった。
L版程度なら目立つことはないが、試しにA4に焼いてみたら後ピン。
画面一杯に人物が描写されていても、どこにピンが来ているのか解らない。
元々、暗いところに弱い上にノイズが大きく、又スキー場にでも行ったら液晶が完全に見えない代物だった。
昨年春に発売されたFinePix F100Fdなどは、ほとんど全ての面でR7を上回っているから技術の進歩とは驚く。(もっとも、F100Fdは、R7の後継機R8の時代の製品だが)
以前に使っていたコンデジというのは、コニカのKonica Revio KD-510Z(平成15年)の500万画素。
出てくる画像は、ガチガチの補正された鮮やかなものの、最近の流行ではない。
今までは、デジ一眼レフを中心として最終機種としてPENTAX K10Dを使っていたのだが、カメラ自体の反応が良くない。
そんなこんなでα7D、αSweetDの後継機が安くなるのを狙っていたところ、昨年5月にSONYα700+VGC70AMのセットが格安で売っていた。
だからこの時点では、VGC70AMという希望小売価格: 36,750円(税抜35,000円)と言うものがタダで付いてきた様なものだった。
つい最近では、限定とはいうもののこれにSAL16105(DT 16-105mm F3.5-5.6)希望小売価格: 73,500円(税込)が付いて対して値段は大して変わらなかった。
そういう風に安くなると言うのは仕方がない。
もう既に生産を中止したと噂に聞いた製品だ。

‥‥それでカメラボディは新しくなったものの、レンスがない。



24-105mmF3.5-4.5(D)

ミノルタ時代にα7のレンスキットとして発売になった24-105mmF3.5-4.5(D)。
α7Dの時にレンズセットとして発売されたタムロンOEM・17-35mmF2.8-5.6(D)、KonicaminoltaAFズーム28-70mmF2.8(D)その他タムロン、トキナー、シグマなどDレンズ非対応のものばかり。
何とか誤魔化して、24-105mmF3.5-4.5(D)を使いづけていた。

近距離はよいとしても一旦望遠となると、平成14年に買ったTAMRON AF28-300XR LD Aspherical [IF] MACRO (Model A06M)。


こういう銀塩時代のものは、デジテルカメラとなるとどうも相性が悪い。

平成13年に買った金のリングの付いたTAMRON SP AF24-135 50周年記念モデルもDレンズでないので実際は使い物にならない始末。

同じく使い物にならないのが、トキナー・AT-X 242AF (コニカミノルタ用)、トキナー・AT-X 235AF PRO (コニカミノルタ用)。

今あまり使っていないPentaxの方はAPS対応のmc PENTAX-DA55-300F4-5.8EDというものがあるのだが、SONYではレンスは一本もなし。

それで、今回奮発して買ってしまいました「G」レンズ。
理由は、楽天のポイント、期間限定ポイント溜まったのと、マップカメラで安く(限定30本)で売ったからである。
しかし、限定30本といいながら一旦売り切れとなった後復活して、1か月も売るのは本当に限定と思う始末。
事実ペコちゃん(フジヤカメラ)でマップより1,000円安く売っている。
多分メーカーの在庫処分でいくらでも出で来るのかも知れない。

兎にも角にも、初めてのSONYレンズ、Gレンズを買った。

それもネット上で評判の良いSAL70300G・SONY・70-300mmF4.5-5.6G SSM。(2008年 3月28日発売)
まあ騙されたと思ってとはいうものの「G」レンズだから悪くないはずと半信半疑。
SSMとは、超音波モーターのことで、ミノルタ系がボディ内モーターを使っているのにこのSSMだけはレンズモーターというわけ。

フィルター径は、62φでTAMRON AF28-300XRのものを流用。
それで、試し撮りをしてみると、噂通りの驚愕画像。

この中央部分を等倍にして見ると。


こんなもの。

メーカー名 : SONY
機種 : DSLR-A700
ソフトウェア : DSLR-A700 v04
露出時間 : 1/320秒
レンズF値 : F13.0
露出制御モード : プログラムAE
ISO感度 : 200
対象物の明るさ : EV9.4
露光補正量 : EV-0.3
開放F値 : F4.5
自動露出測光モード : 分割測光
レンズの焦点距離 : 70.00(mm)
レンズの焦点距離(35mm) : 105(mm)
シーン撮影タイプ : 標準
コントラスト : 標準
彩度 : 標準
シャープネス : 標準

SSMは、それほど強力というわけでもなく遅めだが、静かだから許せるというもの。
フルサイズである上に、新開発のレンズというものは驚き。
多分、SONYの思惑なのか、廉価版。
廉価版とはいうものの、定価で希望小売価格: 110,250円。
プラスチックの塊にしては、良い値段をするがレンズとしては秀逸である。

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2009年3月26日 (木)

卒業式シーズン・最近の小学校の卒業式 風景

2009年3月24日は、住んでいる地域一斉の小学校卒業式だった。
紹介する小学校は、群馬県で一番早くできた伝統校である。
その名は、桃井小学校。

近年は、小学校への入学には「入学服」と言って、ブレザータイプの上下お揃いだったりする。
それも入学式しか着ないから全くもったいないものだ。
かといって、昔も白衿の付いた紺の服を着たような気がする。
そして、最近は「卒業服」というのがスーパーなどで売られていて、「なんちゃって」制服なのだ。
スーパーの卒業服は大方10000円前後で、あまり素材も良いものではなかったりする。
実際のところ、中学生になると制服があって体操着までそろえて、一揃いで90000円近くもする。
その伝統のある「ダサイ制服」に比べればかなり今風である。

卒業式は10時からなのだが、保護者は9時半から受け付け45分まで控え室で待つ。

この部屋というのは、コンピューター室なのだが富士通の直ぐにでも毀れそうな機種が並ぶ。
その上、キーボードはノート型パソコン配列のミニときているから面白いものだ。

さすが年度末の平日とあって、父親は数えるほどしかいない。

この写真は、卒業式が終わった後のもの。
良く「君が代」を歌わないとか、起立しないとかという報道があるが、別に違和感もなく最初に全員起立で「君が代」斉唱。
次に、校歌斉唱。

卒業式の後半に歌を歌ったのだが、何やら知らない様なもので「仰げば尊し‥‥」は歌わなかった。
但し、小学校では歌わないかもしれない。

それにしても、来賓祝辞に卒業生の鈴木貫太郎元総理の言葉ばかり(2回?)出で来る。
他の有名人もいるはずだから、何か無いのかと思ったりもする。
毎年使い回しの祝辞なのだろうね、新しい人が出で来ないのは。

卒業生42名。
その内転出3名、二つの中高一貫校へ各1名の2名。
どうと言うことはない、後の37名が同じ中学(1)へ進学する。
卒業生など、昔から見れば一クラス分だ。
それで、昭和32年に分離した「中央小学校」と近々統合されることになっている。
‥‥「中央小学校」は廃校。

小生頃は220人程度もいて三分の一は他の中学(3)へ、そして4%ぐらいが附属中学へ進学した。
本当に一生お別れになってしまった同級生も多い。
それに比べれば、大した感慨もないだろう。

卒業式が終わって、6年生は一旦教室に戻って12時過ぎにランドセルを背負って、校門を出る儀式がある。
それで本当の卒業というものだ。
それまで保護者は待っている。
そして、校門を出た6年生は、校門へ引き返すことなく裏門から校庭に入る。

自分たちの昔の卒業式はどうだったのだろうか。
本当はほとんど記憶がない。
その頃は、体育館など無かったから、大きな講堂と言うようなところに多分、クラスの代表が集まって貰ってきたと言うものだろう。何と言っても人数が多い。
そして、卒業証書は担任の先生から貰った。
だから、解散はクラスごとだ。
終わったところは、急に「ざわざわ」と賑わいが起き、そして静かになる。
うちのクラスはなぜか一番最後だった。
それは、先生が中々現れなくて卒業証書が貰えなかったのだ。

記憶に残っているのは、先生が校門まで送ってきて、一旦校門を出ろという。
古いタイプの先生だから、そして、戻るなと「厳命」する。
そしてほんの一瞬の別れを惜しんだのは、校門の外だった。
写真も撮るような時代ではないから、目に残るのは校門のところに立った同級生達。
そして、次々と姿を消す友達達。
そして最後に数人を残すのみとなって、自分も校門を後にした。
何と言っても、以後厳しい中学生活が待っていた。感慨に耽っているときではなかった時代だった。

それに比べれば、最近は感慨がない。裏門から入ってきて、全員の集合写真。
写真館のお姉さんがニコンのD200でバチバチ‥‥

女の子など、もう先生と身長も変わらないし、「なんちゃって制服」だからランドセルが妙に違和感がある。

但し、男の子は不思議とまだ幼い顔をした子供が多い。

お母さん方も先生と写真を撮ると言うのだが、何やら卑猥に感じるのは妙な気がする。
そして、4月以降も制服が違うだけで同じクラスになるかも知れないというものだ。

2009年3月25日の中学区域の防犯会議では、もう一つの中心部の小学校から30名前後(中高一貫校へ数名転出)と南部の新興団地の小学校から87名程度が同じ中学へ進学するという。
だから、中学1年生は凡そ155名の生徒数になる。

聞くところによると、その中学で過半を占める事になる小学校からの進学者に問題が多いという。
今日の会議でも、昨年一年間で「万引き」1件、その他小さな事件があったという。
その上、夏休みなど学校が休みになると、児童が一人で残されるような家庭が多いという。
昔は、そう言う児童を「鍵っ子」などと言って、決して珍しくなかったのだが、最近ではそう言う子が「悪さ」を覚えるらしい。

実際、中学の勉強という競争は既に始まっている。
春休みの春期講習というのは、学習塾にとって新中学生の囲い込みの時期。
だから、春期講習は「問題集」だけ又は、一切無料など言う学習塾は珍しくない。
半額程度の料金を取る学習塾は、小学校からの「特進クラス」中心のレベルが高いもの。
新たな新中学生はあまり必要としないと言うようなところだ。
そんなところは、よくよく見ればほとんど宣伝もしないし、入学パンフも遅い。

しかし、実際は子供と塾の相性というのがあって、ダメだった子供は一切の塾を辞めて通信教育にしたという事も聞く。
自分の昔を考えてみれば、塾に行っても先生は「解らなかったら質問しろ」。
それで、質問したら、「教科書をよく読め」だから話にならなかった。
もっとも、中学ではろくな塾がなかったから一般的な塾には行っていなかったが。

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2009年3月25日 (水)

占いで見る・元モー娘。藤本美貴と「品川庄司」庄司智春の結婚

占いで見る・元モー娘。藤本美貴と「品川庄司」庄司智春の結婚

元モー娘。藤本美貴と「品川庄司」庄司智春が婚約(産経新聞他2009/03/24)と報道されている。
藤原紀香の離婚報道から又再燃してしまった「占い」なのだが、「品川庄司」の品川祐は知っているが、庄司智春(33)の方は知らなかった。
しかし、調べてみたら顔は「クイズ!ヘキサゴンII」でおなじみの顔だった。
一方、藤本美貴(24)というのは知ってはいたが、最近落ち目の「元モー娘。」というのは誰だったか覚えていない。はっきり言えば美人だかもしれないが、あまり特徴がない。
こういう手の歌手というのは、いずれ消えて行く芸能人に多いのような気がする。
ある意味芸能人の限界を感じている年頃だろう。
但し、藤本美貴と言う人物は占いで見ると「人気運」と言うものを備えていて、芸能人としてやって行ける才能があるようだ。
但し、男女間の関係となると微妙にネットリ感のある人物ではある。
こういう人物というのは、悪い意味ではなく何かと結婚となるトラブルを起こす可能性がある。
二人の関係であの「一目惚れ運」があるか見てみると、そう言うことはなさそうだ。実は、藤本美貴から見れば庄司智春というのは、見た目で見れば本来タイプではない。
その藤本美貴のタイプではない二人が結婚まで決断するというのは、二人の関係において
引き合う「最良の星」を持っているからである。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

藤本は「私藤本美貴は、庄司智春さんと婚約致しました。お互いを理解して支えあい、成長させてもらえる人と出会えて、凄く幸せです!皆様、これからも2人を温かく見守って頂けると幸いです」コメントした。(産経新聞)

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
それが、藤本美貴のコメントの現れている。
一方、‥‥‥‥‥

庄 司も「この度、私、庄司智春は歌手、藤本美貴さんと婚約する事になりました。彼女の優しさと真っすぐな性格に惹かれ、約二年のお付き合いをして結婚する事 を決めました。これからは二人で幸せになれるように手を取り合って協力して頑張って行きます」と幸せいっぱいのコメントを発表した。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
何か微妙に違う感じがしてならない。
年齢差があるのが原因?、確かに実際の年齢差というのは9歳あるのだが、芸能人の24歳は、一般人の34歳程度には精神年齢が高くなるからあまり原因がないかも知れない。

さて、結論を急ごう。
今年の結婚への決断というのは、庄司智春の年運もまだ今年の内は強く、藤本美貴の年回りも良いと来ているからと言うものだろう。
実際単なる占いではそうだ。
しかしもこの二人の関係というのは、本来「最良の星」を持つ二人の関係で良いはずなのだが、本来出会わない筈なのだ。
出会わないというのは、同じ時間空間を共有しない。住む世界が違う。
即ち、一般に言うすれ違い夫婦というものなのだ。
互いに仕事を持てば家に帰ってくる時間が違い、もし藤本美貴が専業主婦をすれば庄司智春が家に寄りつかない関係だ。
それでも、「年齢差」「外国人」など特殊な関係にあるときは、何とか乗り越えられないとはないかも知れない。
ところが、上述したように「年齢差」の影響は出ない。
その上悪いことに、前世で夫婦でない。
別に、前世で夫婦でなくとも今世で夫婦という者はありうる。
たとえばあのWBCのMBP松坂氏の様にである。
いわゆる特殊運というものだ。
今回の、藤本美貴氏と庄司智春氏の結婚に関しては、そんな互いに引かれ逢う最良の星を持っているために、「一目惚れ運」などがないのが藤原紀香と陣内との関係より強い。

しかし、同じように3年以内に破綻と言う可能性もかなり強い。
それは、庄司智春氏の運勢が変わり、庄司智春氏自身氏が決めることでもある。
二人の関係を決めるのは大強運の持ち主、庄司智春であると言うことだ。

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2009年3月23日 (月)

運勢で見る藤原紀香・陣内智則氏の離婚の総括

運勢で見る藤原紀香・陣内智則氏の離婚の総括

「藤原紀香さん・陣内智則さん、離婚届出す」(読売新聞)と報道されて実際は20日に離婚が成立したらしい。
占いという運勢論で見ると陣内智則氏がいわゆる0学占い出言う「中殺界」という運気の下がったときに偶然結婚と言う事になったのだが実はあまり関係がない。
なぜなら、元々二人は前世では夫婦ではないからだ。
一応、同じ時間を共有する仲間だから結婚ということも出来たのだが、運気多少落ちた陣内に対して、藤原氏主導で自らの強い運気だけで結婚を進めた失敗がある。
藤原氏だけが運が良くても、陣内氏が潰れるのである。

しかもはっきり言って、藤原紀香の「一目惚れ」結婚というのは結婚に関しては「忌み嫌う」行動なのである。
なぜならこの「藤原紀香の一目惚れ」というのは「悪魔の誘い」という勘違いであるからだ。
万が一星が隣り合っていたなら、そうとも言い切れないところがあるのだが、藤原と陣内の持つ星との関係は単なる「友人」でしかない。

年を取って分別が出来る頃になって、誰だって見とれているだけの美女から突然言い寄られたら一旦身を引くと言うのが普通だろう。逆の立場なら女性は余程のことがない限り寄って行かない。
但し、それが遊びなら別の話だが‥‥

はっきり言えば、関係が出来ても「遊び」にしかならない関係なのに結婚してしまったということだ。
生まれたときから一途にやるべき道を進んできた多少強運を持っている藤原と幸運を頼りにして独特な世界を築いてきた人気取りの人物とでは所詮違いすぎる。
その上藤原の28日生まれという特殊運を制するには、陣内では運気が弱すぎだ。
もし結婚を成功させるのなら、藤原氏に陣内のサポートに廻れと言った。
それは100%不可能だろう。
不可能であれば結婚は無理だったと言う事だ。

それでも、究極の策として「子供の運」に頼るという便法を用いる「運づくり」の方法があったのだが、それも成功しなかった。
子供は神からの授かり物というものなら、神は「藤原、陣内」を夫婦として認めなかったということだ。
理由は、藤原の人物眼に関する幼さによる目の狂い、「悪魔の誘い」に乗ったからとしか言いようがないか?
そして、それを示すように「易断」による関係の否定が続くのであった。

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2009年3月22日 (日)

ほくほく線で行く富山

この彼岸の時期に、富山に用事があって約6年振りに特急「はくたか」に乗った。
「はくたか」は北越急行の「683系はくたか」「スノーラビット(エクスプレス)」 (SRE)で 6年前に乗った車両とは雲泥の差だった。
前回乗った車両がどんなものだったか覚えていないが、何やらスピード感があって又トンネル内に入ると衝撃音が奔ったものだった。
それが、683系ではまるで新幹線の様にスムーズかつスピード感がない。



ウィキペディアで調べてみたら485系という昔の東海道線を走っていた車両のようだった。2005年に681・683系に運用車両が統一とあって、やはり新型だった。
「681・683系は在来線最速の160km/h運転が可能であり、681系は長大トンネルでの高速運転に対応して気密性や戸閉め装置の強化が図られている編成の限定運用となっている。また683系は「はくたか」使用車以外は160km/h対応は準備工事にとどめてある。」(ウィキペディア)



越後湯沢はスキー場の筈なのだが、もう彼岸なので雪がないのかという感じだった。
実際、雪を見たのはほとんどこの辺くらいから山間程度。昔、直江津などは豪雪地帯と言われたものだったが、今回見るところ雪の影形もなかった。



直江津では、快速列車というのが入線していたのだが、関東ではあまり見た事がない車両。
昔の特急だったのかなと思わせた。



関東では、新特急という快速並みに遅い特急など随分安っぽい車両だった。
今回の連休の合間の土曜日。
ほくほく線「はくたか4号」は、結構空いていた。
昔の何やら緊張感漂う列車の旅と言うより新型車両になったために、余裕、リラックスしたものだった。
それにしてもこの「はくたか」というのはのんびりしている。
湯沢から車両に乗るときに別に機械にキップを通すわけでもなく、又車内検札に来るわけでもない。
高崎線の新特急「あかぎ」だと停車駅ごとに何回も検札に来る。但し、ほとんど自由席なのだが。
そして、車内販売もありきたりのもの。
駅での停車時間は直江津で2分停車他1分停車で下りるわけに行かないところだ。
以前は、昼飯はどうしたものだろうかと考えている内に富山に着いてしまった。
富山駅は何やら改修工事をやっているようで、駅ビルの二階へ行けばそのまま行けるのは帰りの時に分かったが、工事現場の様なところを通って改札を出た。
それにしても、関東の様に機械での改札がないから何やら妙な感じだった。
富山駅は、改札付近はあまり変わらない気がしたが、6年前では土産物が1階だった。



それにしても、富山には路面電車があったのだっけと今頃気づいた。



昔、都電が走っていた頃の電車の音は大きかったが、今では静かなものだ。
都電が走っていた頃、東京の親戚の家に泊まりに行き、始発の路面電車が走り出すと目が覚めたものだった。


EU仕様の車両もあるようで‥‥それにしても連休の合間で車が少なかった。
そして、帰りは2009年3月22日の13時50分富山発のはくたか15号。
JR西日本の681系0番台「ホワイトウイング」 (WW)



彼岸の連休帰りに当たって、大混雑だった。

乗った車両は5号車。
土日の5号車は、指定席なのだがそれが分からなかった乗客が結構乗り込んできた。
だから、指定席車両の通路には指定席券を持たない乗客。
そして、空いている席には乗客が乗ってくるまで勝手に座る状態だった。
それにしても酷かったのは、6号車が喫煙席の自由席。
通路、デッキに人が鈴なりだったから6号車の煙が5号車に流れ込む始末。
これでは、禁煙席の意味がないと言うものだ。
そして、丁度小生の隣の席が空席だった。
空席なのは途中の駅から乗ってくる乗客がいるからなのだが、大きな旅行バックを持った爺様が勝手に座った。
座っている本人も停車駅ごとに座席を外してという何やら居心地の悪いものだったが、隣の小生も気になって居心地が悪い。
その席も1時間ほどしての直江津から女子大学生風の女の子が、小さな鞄一つで乗り込んで来た。
座るや否や、イヤホンをしてニンテンドーDSをし始めた。
ケーム内容は何だったのか、良く分からない。
その内「ポン、ポン」という打撃音の変わったかと思ったら、卓球になっていた。



直江津から北越急行ほくほく線に入るのだが、線路の音が違った。
要するに新幹線の音。
詳細を見たら、その様な高規格になっているとのこと。
これで160km/hが出せるわけだ。
とにもかくも、夕方4時近くに越後湯沢着。
終点で大勢降りるから大混雑。案内では16時04分の新幹線かあったのだが、乗れるはずもなく16時08分の「MAXたにがわ418号」。
それにしても、「駅すばあと」だと04分は出で来ない。
始発だから、何とか1階席の自由席で帰路に。
ちょっと席を立ってデッキに出で見たら、先ほど隣の席に座っていた女子学生らしき若い女性が佇んでいた。
今風の「決まった身なり」で、一瞬分からなかった。
今から又東京へ戻るのか‥‥‥
別に小生は女ではなかったが、あんな頃があった。
若かった遠い昔。
今こうした毎日を過ごしているなど当時は想像も出来なかった。
いずれ、夢破れて郷里に戻るようなことがなければと祈るのみである。

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2009年3月21日 (土)

50年遅れた経済学で景気浮揚を試みる日本の惨状

50年遅れた経済学で景気浮揚を試みる日本の惨状

米連邦準備制度理事会(FRB)は18日、金融政策を決める連邦公開市場委員会(FOMC)で、今後半年間に中長期の国債を最大3000億ドル(約29兆円)を買い取るとともに、現在0-0・25%に設定しているフェデラルファンド(FF)金利の誘導目標を据え置き、事実上の「ゼロ金利政策」を維持することを決めた。(産経新聞Web)

米国は、なぜか「ゼロ金利政策」を続ける様なのだが、どう見てもこの政策の効果がない。
なぜなら、「ゼロ金利政策」の実行に関して米国の経済学者は経験も又、学校で習ったこともないはずだからだ。
それで日本と言う「米国経済学の実験場」での「ゼロ金利政策」を手本として、日本流なら何とかなると思っているのかも知れない。
ところが、日本のバブルは「不動産」という実体のある金融資産を元にしたものなのに、米国は「債権」という実は紙に印刷されたものでもなく単に、パソコンに数字が並ぶようなものだ。
要するに実態がない。だから「ゼロ」と言うこともあり得る。
一方、実態がある不動産は、例え価格が極めて安くなっても原野商法でもない限り「ゼロ」にはならないし、山林は兎も角もしかるべき土地なら利用も出来る。

それでも日本は、高値の不動産を差し押さえ競売で叩き売って、損失を処理した。
その不良債権の処理というのは、地方の零細不動産屋にまで及び、バブル時代に大儲けしたような不動産屋はとっくの昔に丸裸にされて破綻し、破産した。
競売、任意売買、整理で結果として、安い不動産がで廻ったためにそれに連れて土地が下がり、下がる土地は誰も買わないから益々下落。
資産デフレに陥ったままと言うのが今の現状だ。
だから日本は不良債権を精算するにあたり、「ゼロ金利政策」で国民に払われるべき利子が銀行救済として金融機関に流れた。
その額は、10年間で凡そ600兆円から1000兆円と言う額だ。
今でも「低金利政策」が続くのだから今は1000兆円を優に超えているはずだ。
これだけの資金を国債ではなく国民の金で償却に廻したと言うことは、米国でFRBが「米国債29兆円購入」と言っても焼け石に水。
完全に処理するためには、日本のように1000兆円以上必要だ。しかし、これを米国債で賄う事は出来ない。
結局、米国ではAIGやGM、シティくらい潰して世界中に負債を背負って貰わなければ立ち直れない。
米国というのは、日本経済の実験をつぶさに見ているはずなのだが、見ているのは「債権」だけで米国経済の指標にない「不動産」、「預金金利」と言う視点を全く無視している。
日本の様な失敗を恐れて、支援を続けているAIGやGM、シティだか、遠からず限界に来る。
米国も「試験秀才」の経済学者が思考停止してしまったためにこんなことになってしまったが、日本の惨状は更に酷い。

その酷い認識というものは、日本と言うのは「貿易輸出国」であると言う認識だ。そこに抜けているのは日本は米国に次ぐ第二の消費国という視点である。
米国がダメなら日本へといつこの間には、H&Mが、そして同じく衣装品通信販売会社が日本進出をした。
車だって、ドイツのVWが「欧州車、本気の日本攻め VWが新『シロッコ』発売(産経)」
「欧州の自動車各社が日本市場に相次いで新型車を投入し、冷え込みが続く需要を積極的に掘り起こす戦略を本格化する。」
「メルセデス・ベンツやBMW、アウディが相次いで新型車を発表。5月にはプジョーの新型車「308CC」が投入される。」
「ウディは、今後、都市圏の店舗を増やしていく計画だ。世界的な自動車の販売不振を背景に、販売網のリストラを進めるメーカーもあるなか、アウディの日本法人は『多くの顧客層を取り込むチャンスを広げていく戦略をとる』と明快だ。」

諸外国から見れば、有望なのは日本しかないのは間違いない。
何と言っても、日本人は金の支払いがよいから信用があるというものだ。
しかし、日本政府は日本経済の内需拡大を模索していない。
未だに「景気循環論」でも考えている愚かな経済学者はいないだろうが、バブル経済崩壊の時は、当時の経済企画庁では「景気循環論」で固まっていた。
長官は故高原須美子氏だったと思うが、退官後の講演会では唖然とする「耳学問」の不見識さで驚いたものだった。
なぜなら、不動産が低迷して不景気になっているのに「総量規制」には賛成という立場であり、「不動産は価値が無くなればよい」という意見だった。
これは当時の建設経済研究所常務理事・長谷川某氏と同じ考え方なのだが、今なら「冗談」のような話だ。

日本経済を巡っては、この様に日本の経済学者、シンクタンク共に日本経済の根幹について認識していなかった。
今の現状を見れば、未だに「米国の模範解答」を待っているという状態だと想像が付く。
なぜなら、「ゼロ金利政策」で景気浮揚出来なかったのに、未だに「ゼロ金利政策」を続けようとしていることだ。そして、米国も古い経済観念をもって「ゼロ金利政策」に突入している。
経済というものは「ゼロ金利政策」や「量的緩和によるマネーサプライの増減」と言うのでは全く意味がない、と言うことに気がついていない。

日本に金融資産が1500兆円あると言うのなら、好景気にするには単に利上げしてやればよいことだ。
3%で45兆円。その内9兆円が税金としての取り分だ。
世の中に、35兆円の金がばらまかれ税として9兆円の税収があれば、消費税をゼロ、相続税をゼロとしてやって行ける。
当然、円高で安い商品が日本中に溢れ、消費税ゼロだから安くなる商品に殺到する心理の日本人なら、景気は回復する。
そして、景気が回復すれば、企業も多少高い利子でも充分支払えるというものだ。

但し、金利を上げて好景気にするには早期にする必要がある。
なぜなら、景気低迷が長引くと消費経済という国民の意識が戻らない。
国民無視の政治を繰り返している、今の官僚資本主義国日本には無理な相談なのかも知れない。

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2009年3月19日 (木)

占いによる藤原紀香、陣内智則の離婚報道に思う

占いによる藤原紀香、陣内智則の離婚報道に思う

藤原紀香、陣内智則の離婚‥‥
結婚の時の過去エントリーを探してみた。
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の結婚はなんでー??」2006.11.15
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の12月結納・入籍報道」2006.12.4
「〈占〉女優、藤原紀香と陣内智則の「年内(入籍)はない」2006.12.6
「〈占〉女優、藤原紀香と陣内智則の12月10日結納」2006.12.11
「〈占〉藤原紀香の結納返し「パネライ」の時計」2006.12.12
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の2月25日の結婚」2006.12.13
「〈占〉モテ男・陣内智則(の女性遍歴・田丸麻紀・及川奈央・森下千里)」2006.12.14
「〈占〉藤原紀香と陣内智則のフロリダ婚前旅行を切る」2007.1.5
「〈占〉藤原紀香と陣内智則のフロリダ婚前旅行 その2」2007.1.7
「徳光和夫司会の披露宴は8割離婚・和田アキ子言明」2007.6.6
「〈占いも〉ハッピーハッピーの名前の下品さ」2007.6.12

ここで延々と藤原紀香、陣内智則はいつ離婚するのかと言う暗示をかけていたのだが、和田アキ子氏がいう「徳光和夫司会の披露宴は8割離婚」というのは図らずも当たってしまった。
ブログエントリーでも書いたが、和田アキ子氏というのは神がかり的で、恐ろしいほどの「直感力」の持ち主。やはり間違いはなかった。
又、「〈占いも〉ハッピーハッピーの名前の下品さ」2007.6.12の項目で
「実は、藤原紀香だってそうだ。陣内との間に子供が生まれて、初めて『神様』が夫婦と認めたと言うことだ。これは、前世で夫婦でない場合の特徴だ。」と分析している。
藤原紀香が仕事を辞め、陣内氏のサポートに廻ればという趣もあるが、陣内智則氏よりも藤原紀香氏の方が芸能界では格上。
最近やらない派手婚で藤原紀香は、ランクアップして仕事が増えたということがあった。
実際は無理な話なのだが、なんと「東国原英夫宮崎県知事(そのまんま東)」の実例もある。
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の2月25日の結婚」2006.12.13
のエントリーでは、「兎に角、なるべく早く二世を作り『運勢』の転換を図るのが先決だろう。」と助言をしておいたが、藤原紀香氏には助言をする「占い師」が付いているようで無視されている。

元々の結論は
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の結婚はなんでー??」
のエントリーで「『蒙乱の卦』‥‥大凶。やめておいた方がいいね。」で結論づけているのだが、種々の条件で易断をすればするほど悪い卦が出るというのはやはり結婚は無理だった。
結婚を続けると言うなら、先に言った通り藤原紀香は一旦仕事を辞め、サポートに廻り子供を作ってと言うのか正しかった‥と言うよりそれしか道はなかった。
しかし、実際は全く逆なことをやったために陣内智則氏は大化けせず、単なる人騒がせな結婚に終わったと言うものだろう。

順調に結婚生活をおくる人の関係というのは、どこかに良い卦が出るものだ。

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凶悪殺人事件の厳罰主義は民主主義の成長過程か

凶悪殺人事件の厳罰主義は民主主義の成長過程か

近年凶悪な殺人事件が多発している。
そして、その裁判の結果というものはほとんどの場合「過去の最高裁判例の永山基準」、1人殺せば無期懲役、2人殺せば死刑と言うものだった。
しかし、その基準に従わない極悪な殺人事件で、2人殺したのに高裁まで無期懲役で最高裁で差し戻しされた例の母子殺人事件や、今回の「闇サイト事件殺人事件」などがある。近年の特に凶悪な殺人事件に関しては、世論では厳罰主義が主流になって来ている。
「闇サイト事件殺人事件」など死刑判決というのは、妥当であろうし裁判員制度になれば益々厳罰主義になってくると言うのは模擬裁判からでも明らかだ。
日本の刑法や少年法など欧米の刑法に比べて厳しくないと言われてきた。
以前に報道された英国での話。
詳細は忘れたが11歳の少年二人が幼児を連れ出して鉄道の線路にくくりつけて殺すという殺人事件があった。
日本では未成年と言うことで今でも、刑に服すことはなく名前すら変えて成人して社会復帰するが、英国では厳罰に処したという。
日本での、凶悪犯罪に対する厳罰主義というのは、従来からでは考えられない凶悪な犯罪が起きていると言う現実がある。
何の遺恨もなく、無関係な人を殺傷する人物が出るというのはどう考えても日本の国の劣化を思わざる終えない。
少なくとも昔の教育を受けた人物というのは、「行ってはいけないことの節度」というものはわきまえていた。
ならばその昔には「危険な人物」がいなかったのかと言えば、今と同じように存在していた。
子供時代でも、精神力の強い子供、腕力の強い子供は武器としての「刃物」などは持たなかった。
ところが、気が弱く、腕力の強くない子供は必ず「刃物」を持って突然振り回すと言うことをした。そんな子供が問題にならなかったのは、その子供を監視する子供がいて必ず押さえたからだ。
同様に、町内の「危険人物」は町内で監視され危険を未然に防いだ。
しかし、今の日本にはこんな「防波堤」はなくなった。
子供が減り、兄弟姉妹が切磋琢磨して人生勉強する機会はなくなった。よくよく見てみれば、凶悪事件の犯罪者はいわゆる戦後第二世代だ。
親自体が戦後教育として、「君が代」や国旗に反対したり、そして日本の歴史を暗黒の歴史と見て、日本と言う国を「守る」と言う愛国心を持たなくなった世代。
戦前の日本人は「悪人だ」。
日本人は悪かったと自分たちの祖先を誹謗する学者、識者、国会議員は後を絶たない。
だから、日本の国会を見てみれば、「田母神問題」で日本人としての「劣化」が極に来ていると言うことを思い知らされた。

今でも国民が支持する総理には、小泉元総理が挙がる。国民は、今でも官僚統制の打破と規制緩和というものを望んでいる。
そして、ルールを破ったものには厳罰を科すというのは自然な流れだろう。

一方で、小泉改革で権限を削減された官僚達は、その戦後第二世代が中央官庁の課長補佐などになって、今やより酷く日本に新たな規制をかけ続けている。
それは、日本人は「悪人だ」という日本人性悪説としか思えないことだ。
要するに、今の国民は「信用出来ない」。信用出来るのは「役人だけ」??
オヤこれでは、今のお役人さんがもっとも嫌いな「帝国軍人」と同じだ。
日本人というのは、神道を見れば分かるように「性善説」に立つ国民性がある。
欧米の「旧約聖書」から発する宗教観から見れば欧米人というのは「性悪説」だ。

フランスでは大革命(フランス革命)の時、ブルボン王朝やその王朝に係わる王族の墓を暴いて破壊した。だからルイ14世など肖像画でしか分からない。
同じように中国では、歴史上でも先の王朝の墓を暴いて破壊するなど言うのは珍しくなかった。
日本では、死ねば「神様」となって墓に線香や花を添えることがあっても、暴いて破壊すると言うことは聞いたことがない。

別の見方をすれば農耕民族は「性善説」、狩猟民族というのは「性悪説」であるようだ。
そこで、「旧約聖書」では「性悪説」の人間と神とが「契約」を結んで、「善」とする。
その契約を破ったの人間は、「塩」に変えられると言うのも聖書にあったはず。
だから民主主義国家として発展すれば「契約」の概念から「厳罰主義」になるのかも知れない。
一方で、社会主義化すると、人間は完全な「性悪説」「人間不信」の様なものだから、「悪」を起こさないように「規制」という網をかけて雁字搦めにする。
ここでの厳罰主義は、足を踏み外すような素振りをしただけで厳罰を科する。
よくよく見れば、現在の中国の言論規制と数々の制約、他国に対する挑発など正にその通りだ。
これから見れば日本の規制緩和というのは、民主主義の基本であることだ。
大きな政府は、必ず国民を身動き出来ないような統制を加えてくる。
なぜなら、政府官僚に反逆出来ないようにである。
あの「人権擁護法案」というのは正に国民を監視し、縛る国民への罠というものだ。
即ち、絶対主義的共産主義への道と言うことだ。

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2009年3月17日 (火)

公明党景気対策・アナログテレビを2万円国が買い取る案一夜で撤回

公明党景気対策・アナログテレビを2万円国が買い取る案一夜で撤回

「第2の定額給付金」と言われた買い取り案は、いわゆる公明党の「結果の平等」主義に葬り去られた。
本当のところ、あの「定額給付金」より初めからこちらの「買い取り策」の方が経費がかからず景気対策になったろう。
やり方だって、カメラ製品(たとえばSONY http://www.sony.jp/dslr/cb/index.html)が良くやる「キャシュバックキャンペーン」のやり方を利用すれば大して経費はかからないはずだ。
家では地デジ液晶TVを買ってしまったというのなら、他の電気製品なら良いとすれば不公平感はなくなる。
そうすると、「地デジ対応テレビを購入済みの人との公平性の問題や、買い取り策の実施まで消費者が買い控えて年度末の商戦を冷え込ませる懸念があると指摘した。(山口那津男政務調査会長)・産経新聞」と指摘するが、期間を遡って適用すればよいこと。
手続き上はどうにでもなる。
再三言う様に、耐久消費財を買わない人達に金を配っても景気対策にならないと言うのは分かりきった事だ。
家でも、VHSビデオが壊れたからDVDレコーダーを買う??
ここで、2万円の「買い取り策」があるのならいっそのこと液晶テレビもと思ったが、一晩で取り下げたから、何とか使えた古いVHSビデオに入れ替えるだけにした。

日本の景気対策というのは、何やら何の役にも立たないことばかりだ。
高速道路の割引きと言っても、ガソリン税を安くすれば済むこと。
日曜日の渋滞の中わざわざ遠くへ行く人もいないだろう。省エネ、地球温暖化など叫んでいるのに車を使わせようというのだから矛盾している。
省エネ、地球温暖対策ならドイツの様に古い車を新しい車に買い換えることを支援しても良い。しかし、そんな話は出で来ない。
車を買い換えるというのは、単に新たな税負担を背負うから国は事実上の税を直接払うということはない。
いずれにせよ、国民一律に金をばらまくと言うほど非効率な事はない。
こんな非効率な発想こそが、元々何も自分では消費しない中央官庁の「官僚」と言う人達が考えることだ。
よって、官僚のメシの種の「税金」の減額、減税による景気対策と言うことは一切出で来ない。
減税せず取り立てた金をばらまくというのは、バラマキには「バラマキ」の方にメリットがあるからだろう。

それにしてもEUなども最近利下げに移った。
利下げすれば景気が上がる?と言う神話は、とうの昔に潰えているのに利下げに走るというのは、「米国のマネ」をするというのが世界の金融担当者の常であることを暴露してしまった。
しかし、彼らはゼロ金利政策下の経済というもの検証していない筈、少なくとも誰も学校で習っていないはずだ。
学校で習っていないことは、お手本となる誰かのマネをする。
経済の先生の「米国のマネ」をするというのは、日本でも同じことだ。

日本がゼロ金利政策を行ったために、長期デフレから抜け出せないだけでなく国民から過大な資産が消えて亡くなったと言うことを誰も検証していないのだろうか。
デフレになったり、景気が悪くなると言うのは単純には流通している金が、又は国民の資産が目減りしたということに尽きる。

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2009年3月16日 (月)

モラル・ハザードを生むAIG存続

モラル・ハザードを生むAIG存続

「再建中の米AIG幹部・賞与6億円」と読売新聞(米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版))が報じている。
「約400人の幹部社員に対する2008~09年の2年分のボーナスとして計4億5000万ドル(約440億円)の支給を計画していると報じた。」
「08年分のボーナスとして、5500万ドル(約53億円)が昨年12月に、1億6500万ドル(約162億円)が今月13日にそれぞれ支払われたという。」
このボーナスが「主に、AIGが巨額の損失を抱える原因となった金融商品を担当する部門の幹部向けに支給された。」というから盗人に追い銭というものだろう。

ここで考えられるのは、なぜAIGを破綻させなかったのかと言うことだ。
破綻させれば、保険の支払いも減額され当然AIGの元幹部に対するボーナスもなかったかも知れない。
それだけでなく、AIGが販売していたのは「金融機関が保有する住宅ローン担保証券などが債務不履行を起こした際、その元利払いを肩代わりする金融派生商品『クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)』」。
こんな米国の金融不安の元凶になったような証券なら、いくら損失が膨らむのか分かったものではない。
「政府による支援額(計1733億ドル=約17兆円)のうち、54%に当たる937億ドル(約9兆1000億円)を欧米の金融機関への支払いに充てたと発表した。」とAIGは発表したが、保証を受ける方も結構虫の良い話だ。
早く保証して貰ったもの勝ちとはこのことだろう。
米連邦準備制度理事会(FRB)のバーナンキ議長は3月3日、
「追加支援を決めた米保険大手AIGについては、『基本的には巨大な保険会社に付随したヘッジファンドだった』との認識を示した上で、『多くの無責任な賭けをし、巨額の損失を被った』と批判した。」とするが、ヘッジファンドならなぜ破産させて整理しないのか。
「シティバンク」は政府管理下の銀行になったが、これも本来整理して破産させるべきなのだろう。
多分そうでもしなければ、米国の経済不安は解消しない。

それにしても、米国では破綻しているような金融機関などを政府管理下に置いて保護したために、非常に妙なことになった。
それは、AIGの元幹部を見れば良き分かることだが、AIGが破綻しても一生遊んで暮らせるくらいの巨額のポーナスを受け取って破綻した責任など何も取らないからだ。
他にも、リーマンショックの絡んでその原因を作った人々は、米国政府の救済合併などによって、上手く逃げた遂せた人々が多い。
今回の米国を端にする金融不安は、実際のところ「責任者」が責任も取らず、巨額な金を持って逃げしてしまったと言うことではないだろうか。

昔から、欧米では必ず不都合の責任者をあぶり出して責任を取らせると言うのが伝統だった。
だから、Nuremberg(ニュールンベルグ)裁判でナチスを裁き、責任者が明確でない日本では「責任者をでっち上げて」責任を取らせた。

日本の場合、官僚というのは重大な権限を行使するのにその責任を取らない。
実際、日本では政治家でさえ責任を取らない無責任体制だから物事が改まらない。

米国も今回に限っては「無責任体制」になってしまった。
誤りの責任を取らせないと言うことは、そのものから離脱出来ない。
もし最後までそうだとすると、この不況は中々収まらないだろう。

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2009年3月13日 (金)

第12回 艸玄会書展 開催

第12回 艸玄会書展が、2009年3月13日から15日までの3日間、前橋市文化会館小展示ホールで開催されている。
艸玄会書展は、隔年で開催されているもので、艸玄会の会員は群馬県書道展・委嘱作家以上、前橋市民展審査員以上の人達を原則として会員としている。
要するに、会員は世間一般に言わせれば書道の先生に位置する。
そして、この展覧会では会員の他に、孫弟子、ひ孫弟子‥‥という準会員の人達も若干出品している。
従って、社中展と言えばその先生に連なる全ての人が参加するという展覧会とは多少異なる。
‥‥‥‥‥‥‥
又、艸玄会とは、大澤雅休先生の高弟であった横堀艸風先生の社中である。
横堀艸風先生は、既に亡くなられて10年以上も経ち、その弟子が続けて会を運営している。



大澤雅休先生とは、前衛書、墨象という分野の草分けである。
日展5科に関しては、日展委嘱の時に遺作が陳列拒否という事態になって、その後日展から現代書系が全て抜けた原因を作った。
その時の作品は、佐久市美術館にある。
今なら前衛書ではなく、一字書とも見られるもので時代も変わったものだと思う。
さて、その大澤雅休の流れを汲む「艸玄会」であるから、「前衛書、墨象」が中心に飾れている。



実際、漢字条幅作品や近代詩文などもあり、一般の書展とは一風趣を変える。
大展示ホールの方で、「第27回一線美術会」という洋画の展覧会をやっていて、美術関係の人達も多く訪れる書展となっている。



正面中央が横堀艸風先生、又両側が後の会長大倉洞雪、副会長井田彰風先生の遺墨になっている。
話によると、横堀艸風先生の作品は親族が書道をしなかったために、作品が散逸してあまり持っている人がいないとの話。
書作品はあっても、「前衛書」の作品はよりない、見つからないのが現状の様だ。



今回の展覧会ではテーマを「花」と決めて、「花」作品を色紙大で書いている。
花は、花を題材にした「花」の文字でも、文中に花があっても、「絵」でも良くバラエティに富んでいる。



従い、漢詩の「漢字」、「かな」、「一字書」、「前衛・墨象」あり。



今朝、早々と(社)群馬県書道協会会長・水谷龍雲先生がお見えになったようである。

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2009年3月12日 (木)

「無利子非課税国債」、政府紙幣発行の景気対策の大笑い

「無利子非課税国債」、政府紙幣発行の景気対策の大笑い

自民党の「政府紙幣・無利子国債発行を検討する議員連盟」は、与謝野財務・金融・経済財政相に、相続税免除条件付「無利子非課税国債」の発行を求める緊急提言を提出した。
(読売新聞)
この政府紙幣発行、相続税免除条件付無利子国債発行というのは、元々産経新聞に田村某産経新聞特別記者氏が寄稿し、同一内容を雑誌「正論」の3月、4月号にも述べていることである。
ここで、自民党議連では「政府紙幣発行」を「実質的に日銀が無利子国債を直接引き受けることと同じだ。(読売新聞2009/03/12朝刊)」として最終的に「政府紙幣は非現実的」と避けた。
一方、「無利子非課税国債」は、自民党議連が「眠る資金活用」として提言している。
「与謝野財務相は議員らに、『日本は1500兆円以上の個人金融資産があるが、60歳以上に集まっている。本当に必要な人に(政府が)お金を使えるようにしないといけないという同じ問題意識を持っている』と語り、提言を前向きに検討する考えを示した。」(読売新聞Web版)
「正論4月」号p94「オバマ神話が崩壊しても慌てるな・危機を好機にできる日本の力」で田村某氏は、「政府紙幣の発行」にご執心のようで政府紙幣が発行された時の効用を説いている。
その目的は、「紙幣増発が高すぎる円相場を下げ、デフレを止める。」とある。
この田村氏が思い描いていないのが、「政府紙幣」をどの様に使うかである。一応米国のオバマ政権のように「環境問題、太陽光発電」などを述べているが、所詮米国の受け売りのようなもの。発想が貧困なのである。
実は、この田村氏も口が滑ってしまった様に、「政府紙幣発行」も「相続税免除条件付無利子非課税国債」も結果として「赤字国債を増発」せずに金を出すと言うことである。
はっきり言って虫の良い話。
しかも、「政府紙幣発行」も日銀が最終的に引き受けなければ「流通しない」。
なぜなら、銀行で預金の出来なければ換金も出来ないからだ。
早い話、国が発行した「商品券」の様なもの。日銀券と替えることが出来るならば当然日銀に集まるというものだ。
景気対策だと言うのなら、今回の「定額給付金」の様に20兆円もばらまけばよいが、最終的に赤字国債と同じになる。
どう考えても、自民党の議連と同じ結果だ。
万が一、上手く流通して「インフレ」になれば一番困るのは年金生活者の「お年寄りだ」。年金は、おいそれと上がらないし、虎の子の金の預金利子はゼロに近い。
この政策で、政治はやれないだろう。
そして、相続税免除条件付無利子国債について‥‥‥‥‥‥
「相続税に悩んでいる高齢者らに無利子国債を買ってもらい、その代わり相続税を免除する」と述べているもの。
自民党議連でも述べている通り、相続税財産の6割以上が株と不動産である。
現金で何億円も持っている人などは極めて希な人達だろう。
議連では、土地や株を売り払って「無利子非課税国債」に変えられたら困るという提言があるが、普通「株」と言えば自社株である。
中小企業のオーナー社長なら株を売るわけに行かないし、使っている土地をも売るわけに行かない。そして、土地を担保に銀行から借金をして金を回しているから、相続税としての金などない。
こんな対策を打って景気対策になるかと言えばなるはずがない。
なぜなら、本当にすべきことをこの二つの対策で逃げているからだ。
早い話、逃げているものの代案というわけ。
薬でも、「ゾロゾロ品」が本物より効き目が悪かったり、効かなかったりすることがあるが、政策も全く同じ。

要するに、「政府紙幣発行」とは公定歩合、政策金利を上げて預金者に利子を付けること。
又、「無利子非課税国債」とは、相続税の廃止である。

だから本当の景気対策というのは、「利上げ」と「相続税の廃止」と言うことになる。
今の共産主義型の官僚政治体制だと、どう転んでも政策としてあり得ないことだろう。

しかし、こんな政策の代案しか浮かばないというのは、雑誌「正論」に掲載している「試験秀才と謎解き秀才(伊藤貫)」を読むとなるほど、なるほどなのである。
「試験秀才」とはいわゆる「学校秀才」のことで、現代なら東大卒の中央官庁の官僚。
戦前なら、幼年学校、士官学校、陸大出の参謀殿と言うことになろう。
昔から、実業世界では東大卒が役に立たなくて、官僚や銀行、マスコミ、一部の民僚化した大会社などにしか存在しなかった。
昔から営業はいわゆる当時の三流大学出、技術は地方の旧帝大か駅弁大学出に決まっていた。
経済では、米国や英国に留学して、旧陸軍参謀の様にMBA、博士という参謀肩章をつけて物を言っているが、誰もノーベル経済学賞を取った人はいない。
「試験秀才と謎解き秀才」で「日本社会には『謎解き秀才』タイプの人材があまりにも希少と感じる。」とある。
理系では、「学校秀才」というのはほとんど通用しないから、「謎解き秀才」も多いのだろう。
しかし、「結果が曖昧」な文系の経済、政治の世界というのは、米国の「模範解答」の復唱又は、「中国の模範解答」の復唱でしかものを考えない人物が多すぎる。
この田村某氏も与謝野財務相も「模範解答」派であることが、今現在の日本の苦境を浮き彫りにすると言うものだろう。

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2009年3月11日 (水)

「1円スタート」オークション、【1円オークション】に参加してみた

「1円スタート」オークション、【1円オークション】に参加してみた

2月下旬、最近SDカードを購入している楽天店の業者から「 数量限定・1円スタート・スーパーオークション」というメルマガが配信されてきた。
丁度その時ブログエントリーで紹介している通り、その業者から「東芝 4GB Class4SDHCカード 」東芝パッケージ品と言うものを買ったばかりで、そのままにしておいた。

それが興味本位に【1円オークション】を覗いてみると、1月に「東芝製 4GB SDカード 20MB/S超高速クラス6」OEM品を1,280円送料別のものが、700~800円内外で落札されていた。
700円なら送料300円を入れても、1,000円。2個落とせれば850円、3個落とせれば800円という計算。
少なくとも1,500円程度の金額を払い通常の品を買うよりは大分お得なのである。

何日か分の過去データーを検証してみると、【1円オークション】ではある程度の金額で入札すれば必ず落札出来ることが分かる。
それがSDHC Class6 4GB OEMならば700~800円内外、SDHC Class4 8GBOEMならば1,000~1,300円と言うところ。
ここで値幅が大きいのは、1,000円を超えると100円単位の入札巾になるからである。

そこで今回は、SDHC Class6 4GBOEM品を選んで「ゲーム感覚で」入札に参加することにした。
入札は、オープンで入札値動きが分かるもの。
そして、価格は楽天の購入場面で、入札上限を決めておくもの。
そこで、通常712~800円で落札されている価格から大幅に安いものを選んでみた。
入札終了まで後30分。
入札最高額609円で値動きは止まったまま。
これで落とせれば、過去最低価格を更新するのではと淡い期待を持ってなのだが。
入札終了まで後15分、5分となっても同じ。
3分前で619円(最低10円刻み)を上限にして入札。
619円が最高値になった途端に更新して見ると、終了時間延長で8分に。
‥‥と突然700円の入札。
それに連れて701円の入札が続く。
仕方なく、700円強で入札するとまたもや5分終了時間延長になったが、そのまま終了。
取りあえず、最安値とはいかず‥‥と言っても200円も違わないのであるが、安い金額で落札は出来た。
品物は、以前購入済みのものと同じで実際の測定でもほとんど同じ。
国内向け東芝パッケージ品(SD-C04GT6 (4GB))は、通販価格で送料を含めると3,500円でも買えないからお買い得。
逆に海外版と言われる東芝SDHC Class6 4GBのパッケージ品は「偽物疑惑」があって、2000円程度で売られていても怖くて手が出せない様なもの。
但し、東芝 8GB Class4SDHCカードだと、もともと高速ではないから、敢えて偽物を作る必要もないし、本物も偽物も同程度の速度を出す。

さて、この【1円オークション】の値動きを毎日眺めていると何やら妙なことに気づく。それは、余りに安い金額で落札されそうになると終了ギリギリになって、通常の金額に近い、高い金額で入札される例があることだ。
そうすると、楽天システムからその金額に釣られて、他の入札金額が上昇する。
又、同様に「安い金額で落札されそうになると」終了時間延長が続き、過去の例だと40分も延長になったものもあった。
だから、宣伝文句「なんと1円で手に入る・・・!!!」というのは、ほとんど嘘に近い。

かといって、安値で落札されることもある。
東芝製 4GB SDカード 日本製 超高速クラス6仕様 日本製 553円、時間延長なし。
東芝製 8GB SDHCカード 10MB/S高速クラス4仕様 日本製 940円、時間延長なし。

と言うこともあった。
取りあえずお遊びで、そして通常価格より安く買えると言うのがミソというものだ。

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2009年3月10日 (火)

規制と利権というゾンビが蔓延る日本の憂鬱

規制と利権というゾンビが蔓延る日本の憂鬱

近年小泉改革を失敗だったと批判人達が絶えない。
中には「反省文」という自己批判の書物をしたためる人物もいるから「それこの通りだ」と益々拍車をかける。しかし、小泉内閣の根本をなすものは、小泉内閣以前から延々と続いてきた「官僚統制」政治、官僚利権の打破である。
だから、当然成り行きとして安倍政権では官僚の本丸までも攻撃することとなった。
そのためか、官僚組織からのリークとしか思われない「安倍政権潰し」の情報が流れた。
だから、「小沢潰し」として、漆間巌官房副長官の発言とされる「自民党の方にまで波及する可能性はないと思う」と述べた政府筋などが、官僚の感覚でなされるわけだ。(会見では否定)
小泉内閣で郵政民営化をする意味というのは、郵政にまつわる多くの利権の打破と、第二の国家予算とも呼ばれた財投資金が、官僚の手に握られていたからである。
このことは小泉氏が常々言っていたこと。
郵政利権の一部は、例の簡保の宿を見てみれば良く分かる。
ところが麻生政権では、小泉、安倍政権の規制緩和でなりを潜めていた官僚利権というゾンビが復活した。
安倍政権時代の「建築基準法の厳格化」、麻生政権の「改正薬事法の新施行規則第159条の14」など一見誰が見ても反対出来ないような法律を作って、規制を強化し官僚利権を拡大させている。
そして、マスコミや評論家は貧困者を救済せよ、「自己責任」は誤りだ。‥‥と大きな政府。即ち社会主義化を求めている。だから、この前まで消費税を10%に増税して社会主義的な政策を推し進めて、社会福祉、税金を払わないような人々に施すという。
もっとも、その議論では日本はサププライム問題で被害をあまり被らないという前提での議論でだったかも知れない。今消費税を10%に増税して、内需による景気回復など100%あり得ないから政府も一転して増税とは言わなくなった。
只、マスコミでは、不勉強にも未だにスウェーデン型の社会保障などと言っている。
そのスウェーデンが日本のGDPの十分の一、そして、社会保障充実型間接税のEUは、間接税とは関係なく外貨を武器輸出で稼いでいるとは言っていない。

小沢一郎氏の「政治資金規正法違反」問題なども、政党助成金を貰って死滅したかと思われた政治利権というゾンビを思わせる。
今はこのような「旨い汁を吸う」ゾンビと言うものに、国民は大きな嫌悪感を抱いている。なぜなら、不正利権というのもは学校で教えられた正義の「民主主義」と言うものに反するからだ。
そうすると日本は、民主主義国家か?と問われてしまう。
そして、本当に民主主義国家なのか。
民主主義の大原則の学校で教わった「多数決」は守られているのか?

そんなことは全く守られていないというのは、国民が良く分かっていることだ。
なぜなら、GHQの占領後、日本は「民主主義国家」に生まれ変わったと宣伝された。
民主主義国家だから日本国憲法を公布して、言論の自由保証するとした。
しかし、占領下では「言論統制」と「検閲」が公然と行われ「民主主義国家」など絵に描いた餅だった。
報道機関、言論は、独立後も「民主主義国家」だと宣伝し続け、日本国憲法は日本の国会で発議、発布された自主憲法だと強弁した。
全ての嘘を覆い隠すためか、政府の公式見解である名称、大東亜戦争を太平洋戦争に改め、支那を中国とし、条約の都合の悪いところは違う「訳文」で誤魔化した。
だから、延々と続く戦後の歴史というものは、嘘に塗り固められたものだった。
そして、もう一つの嘘というのが、本来国民の代表者が法律を作って国民に規制を促す筈の民主主義が、国民の代表者でない「官僚による国民」への規制に変わっていたこと。
国民の代表者でない官僚が、規制をして国民を縛る。
しかし、その失敗の責任は取らない。
その最たるものが、バブル崩壊の切っ掛けを作り失われた10年ならぬ、20年を創出された「総量規制」。
日経・Biz Plus「ニュースを斬る シリーズ 変なニッポン 1 医薬品ネット規制に潜む厚労省の裁量(2009/03/06)」というのがあった。
「第1回医薬品新販売制度の円滑施行に関する検討会」の様子が書かれているが、読むだけで憤懣もの。
「医薬品のネット販売を規制する」立場の「医薬品の販売等に係る体制及び環境整備に関する検討会のメンバー15人」の薬剤師業界対「ネット業者」3人。
検討会のメンバーは、(財)日本薬剤師研修センターに最終的ら絡むという。
(財)日本薬剤師研修センターは、常勤の専務理事・厚生省医薬安全局安全対策課長だった平山一男氏、その他理事には元厚生労働省大臣官房審議官、生活衛生局長が在籍。
「児玉理事が会長を務める日本薬剤師会の理事には、元厚労省医薬局食品保健部基準課長や、元厚生省医薬安全局安全対策課長の名が連なり、薬剤師コミュニティーと厚労省との間には、強いパイプが厳然と存在していることが分かる。」

規制をすることによって天下りなどの役所側の利益と、その規制によって利益を得る利益団体が「規制」を推進したことが分かる。

そして、日本には「官僚」という役所は国民の声というものは都合か悪ければ「無視する」のだと言うことが良く分かる。
それは、以前から報道されている通り、「通信販売への規制に関する意見」として規制「反対意見が全体の約97%に当たる2303件である」のに握りつぶすと言うことだ。
‥‥‥‥‥‥‥
■4カ月放置されたパブリックコメント
「彼らがおかしいと思うのは、自らの生き残りのためだけではない。行政の最大の受益者、国民を無視した政策プロセスを、厚労省が進めているからだ。」
■反対の署名は70万件を超える
 省令とは真逆の結果。にもかかわらず、厚労省は強行突破した。パブリックコメントに関する規定が載る行政手続法には、こうある。
 「命令等制定機関は、意見提出期間内に命令等制定機関に提出された命令等の案についての意見を十分に考慮しなければならない」
(日経・Biz Plus)

官僚主導によって、国民を規制する。
そして、それが国民の意思でなく、例え失敗であっても官僚は責任を取らない。
日本の国のゾンビは、近年益々復活してきた。
そのうえ、なぜかマスコミはそのゾンビに対して気がつかない振りをしているというのは、GHQ占領下の言論統制が未だに続いていると思わざる終えない。

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2009年3月 8日 (日)

女性の特質を無視する女性化学者の「男女共同参画」談義

日本化学会「化学と工業」2009年3月号Vol62-3に‥‥
「女性化学研究者・技術者のワークバランス」
「日本化学会男女共同参画推進委員会が目指すもの」

という「委員長の招待席」というコラムがあった。
コラムと言っても、変形A4型冊子の3ページを割くほどの堂々としたものである。
ここで「男女共同参画」と言う言葉が出てくると、又例のあれなのかと言うと正に紛れもない。
なぜなら「なぜ、いま、男女共同参画なのか」という書き出しを見れば、単なる人数合わせの「男女共同参画」だと言うことが良く分かる。
その書き出しはこうである。
「最近、新聞や雑誌で『男女共同参画』という用語をよく目にします。“女性小国”として世界に知られる日本がようやく男女平等社会を目指し始めたのです。‥‥‥」
中略
「日本では、この数値目標が2005(平成17)年の男女共同参画基本法(第2次)の実現目標『2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%にする』として、ようやく日の目を見たのです。いま、“202030”は、男女共同参画のキーワードの一つになっています。」
それで、日本化学会の場合は、全理事27人中1名。
「30%は夢の数値と言えます。」と言うのだが、女性正会員数の割合が8%と言う数字でどう考えても無理な話だ。
続いて、学生会員に占める女性割合は19%でその人達が正会員になって活躍することを期待するという。
期待するのはかってだか、実際その様には行かないと言うのが実態なのではないかと思う。先ず第一に、学生会員の内のほとんどは企業に勤めると学生会員を止めると言うことである。
なぜなら、日本化学会に関する企業ならば会社が加盟しているために個人加入する必要がないことと、日本化学会に関係しないところならば会員でいる必要がないと言うことである。
そして、委員長の世代では工学部に占める女性の割合は、一学年で0~10というのは相場であり偏差値が高い方に行くほど0に近い。
そして、研究者になるのはわずかな例外以外、皆無に近い。
理由は、多くの男性の中で女性1人くらいだと良くもてると言うことだ。
又、噂に聞いたのは、当時の名古屋工大には女子学生がいなかったのだそうな。

理学部化学科、農学部農芸化学科と言っても、学部全体数が少ないだけでなくやはり女子学生が少なかった。
理由は簡単である。
親元を離れて就職しなければならなかった、そして仕事がきついイメージの上に待遇が良くなかったことにつきる。
当時、地方のトップ高校で主席1番でも、地元の教育学部に進学して小中の義務教育の先生になったのである。
そして、教師になれる安定した職場環境があったし、一般公務員に比べ待遇が良かった。
それが、今は地方では教員の職がない状態になって、高校でトップなら医学部へ進学するようになった。
東大だとか有名私大に進学するのは、二番手以下である。
なぜなら、今や東大や京大を出でも「お笑い芸人」や「タレント」になる有様だからだ。
弁護士‥‥と言っても、今は年収200万など当たり前の世界。
医者なら地元に住めて、その上勤務医で最低年収1200万。
場合によっては税抜きでだ。
‥‥と言うわけで、医者の世界に女性進出したお陰で女医が結婚と共に開業して、病院を去るような事になって医師不足に拍車をかけたのかも知れない。

一方、旧国立大学、特に駅弁大学の理・工学部は今や女子学生で一杯だ。‥‥と言っても昔に比べての話。
なぜなら、この手の「駅弁大学の理・工学部」。
その昔、共通一次試験と呼ばれた試験が始まる前の「一期、二期」と呼ばれた頃は偏差値で60~65~67もあったところが軒並み偏差値50。
聞けば、「駅弁大学の理・工学部」に進学すると、馬鹿にされる世の中になったと言うのだ。今や、理系よりも文系の方が、そして旧国立より公立の方が偏差値が高いという全く逆の現象になった。‥‥有名私大と比べてはお話にならないが。

こんな今の風潮から見れば、今後女子の学生会員が大学の研究者として残るというのはごく希だと推察される。
要するに、正会員として残らない。
もし、この委員長の思惑通りにふやしたがったら、化学者の待遇を劇的に改善するしかない。
年収1000万以上の上に、地元勤務。
こんなことは、まあ100%あり得ない。
なぜなら、化学者と言いながら資格を持った専門職でなく、所詮労働者であるからだ。
その資格というのは、単に化学系の大学を出たという程度。
薬学部を出で薬剤師の資格を持っていた方が何倍も有効だ。但し薬学部は6年生になってしまったが。

そして、著者の委員長氏は、化学に留まらず「研究者に占める女性割合の国際比較」で日本は最下位(13%)だと述べている。
表を見てみれば、最上位からラトビア、リトアニア、ブルガリア、ポルトガル、ルーマニア、エストニア、ロシア、スロバキア、クロアチアまでが40%を越えるところ。
見てみれば、旧共産国だったりロシアから独立した小国だったりする。
いっそのこと割合でなく人数で示して欲しいものだという「割合」の魔術というものだ。
しかも、近年この国々からノーベル化学賞などを取った人はいない。
ノーベル賞というのは、ほとんど米国でその中に幾人か混じる程度である。
だから、ここの挙げた「研究者」の多くが学者と言うより「教師」に近いのではないかと思われるものである。
実際の統計というものは良く分からないが、科学、技術の分野では性別よりも「実力」であって、実力がないのに「指導的地位」につこうとすると、‥‥
「早大松本教授のIUPAC副会長辞任と本会の対応について」と日本化学会誌「化学と工業」Vol59.8August2006/の「お知らせ」に掲載されている様なことになる。
(2006年6月28日に日本学術会議を通じて、国際純正・応用化学連合(IUPAC)副会長辞任。女性として初めてのIUPAC会長に就任する予定であったというから結構大事件。
尚、IUPACは、世界66か国が加盟する化学の世界組織であり、この分野では「国連」に相当する。松本教授は研究費流用事件から、論文捏造まで発展していろいろと疑惑がもたれる人物である。)
過去のエントリー
(言語能力と実験研究‥女性科学者の擬問http://pub.ne.jp/Indianinkworld/?entry_id=266592)

本コラムでは、女性がどの時期に子供を産んで子育てをしてというシミュレーションをしているが、かなり無意味に近い。
なぜなら、著者の様に優秀な研究者がいたとしてという前提の元、多くのハードルがあるからである。
そして、米国の女性研究者にも触れているが、女性の体力の差というものは、欧米人とは大きい。
又且つ、研究者というのは所詮体力勝負だと言うことにつきる部分には不思議と言及していない。
まあ、言及すれば「男女共同参画」という趣旨に沿わないという訳なのだろうか。

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2009年3月 6日 (金)

アドレスV125G快走中‥でも花粉症でお休み

アドレスV125G快走中‥でも花粉症でお休み

「バイクで脳トレ」川島教授が世界初の研究結果報告‥‥という報道があった。
これは、ヤマハ発動機の依頼で東北大学川島隆太教授(加齢医学研究所)が
「『バイクに乗ると若く見える』『バイクに乗ったら若返った』というような声を聞くが、これを科学的に検証できないか、というヤマハの要望が発端になった。」と言うことで、実験してみてわかったことらしい。
結論は
「結果は、自動二輪を生活のなかで使用すると、さまざまな認知機能が向上することがわかった。特に記憶力や空間認識力が上がる。また、メンタルヘルスに関するアンケートを行なっても、ストレスが軽減し、精神的によい状態に変移したという。これによってバイクを2か月間使用した被験者は、体調がよくなったり、ミスが減ったり、なにごとにも楽しめるようになったそうだ。」
と言うことらしいが、「体調がよくなったり、ミスが減ったり、なにごとにも楽しめるようになったそうだ。」と言うことは実感としては分からない気がする。

自動二輪と言っても、今小生が乗っている原付二種という高速道路に乗れない機種とその上の軽二輪では違うし、スクーターとスポーツバイクでも違う。
頭が活性化する~とは、どうも事務所などでパソコンを打ってる時の感覚とはどうも違うようだと感ずることぐらい。
なぜなら一日散々事務作業した後に、バイク(スクーター)に乗ってもその疲れを持ち込まない。わかりやすく言えば、バイクにまたがった途端に「シャキ~~ン」とするのである。
そもそもバイクに乗り始めたきっかけというのは、ホンダ・ストリームという3輪バイクが出たのが元。
今では、ピザ屋のバイクとしてお馴染みなヤツと同じなのだが、あの形の原型。
50CCの原付のストリームが、最高速度50km/hしか出ない代物で危険きわまりない上に、鉄道を超える陸橋など登り切れないというものだった。
原付が二段走行を強いられる道交法が施行されるのを期に、自動二輪に移行してスズキのGF250Sというスポーツバイクにも乗っていた。
それにしても、この頃のスポーツバイクというのは車高が高くて足つきが悪い。
結局2ストのリード90という原付二種を近所の足にしていて、今アドレスV125Gと言うところなのだが、スポーツバイクに又乗りたいという衝動に駆られるというものである。
早い話、アドレスV125Gだと前車についてゆっくり走っていると、追い越しを掛けられる。
兎に角、バイクで追い越しを掛けられるほど危険なことはない。
なぜなら、追い越しを掛けられているのを発見するのは、車が真横に来たときがほとんど。
ついうっかり、車線変更でもしたらそれで「お陀仏」。
こんな事にならないように、教習所では「死なない」運転を教わるのだが、やろうと思っても出来ないと言うのがバイクの性能によるもの。
大型バイクだと危険だというのは大間違いで、危険回避のための担保としてある程度の馬力のあるバイクが求めらる気がする。

そう言えば、この前車庫からアドレスV125Gを出したとき、立ちゴケしてしまった。
サイドスタンドをかけたのだが、押し出した勢いで戻ってしまったと言うわけ。
ダメージは、左のブレーキレバーを折ったのが最大で、ほとんど気づかないようなキズ。
下が土だったら何ともならなかったのだろうなとも思ったりする。

昔から、バイク・スクーターを買って何ヶ月もしないうちにどこか痛めると言うのが不思議にある。
GF250Sでは、土の上に置いてサイドスタンドが土にめり込んでミラーを割ったし、リード90では、精々10Km/h程度の速さでうっかり縁石に乗り上げて転倒。
これでミラー取り付け部が曲がって、その後無惨な姿で乗り終えてしまった。

こんな事は、大学時代クラブの先輩がバイクについて語っていたことと同じだった。
「気分良く乗っていられるのは精々半年。」
アドレスV125Gも立ちゴケで、一応これで「厄」が落ちたかなという気がする昨今である。

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2009年3月 5日 (木)

日本の景気対策の見窄(みすぼ)らしい有様

日本の景気対策の見窄(みすぼ)らしい有様

例の定額給付金の財源関連法案が衆議院で再議決され「国民1人あたり1万2000円が順次、各自治体から支給されることになった。」
こんな「定額給付金」で景気対策になるというのは無意味だというのは世論では常識になっているところである。
まして、税金も払わない、定住もしていない所謂ホームレスにまで支払われるとなると、景気対策ではなく単なる「生活補助」と言うもの。
国を作っているものの基本は「税」である以上税を払う人に還元と共に、「金」を使って貰うと言うのが(景気対策として)正しいのではないだろうか。

車が売れないと言うので、自動車会社で色々な特典を提示しているが精々100,000円止まり。ドイツの様に「スクラップ奨励金」と言って、「1月末から、旧式車を最新の排ガス規制対応車に買い替えた場合、2500ユーロ(約30万円)の補助金支給を開始。」という大胆なことを政府がやるような感じはない。
フランスでも給付があったようなのだが、日本では「よい子ブリッコして」ハイブリッド車などの高価な車にだけは多少安くするという程度。
ところが、このハイブリッド車が廃棄されるときの多分高額な処分費などはそのままの感じなのである。
実際、電池がどのくらい持つのかと言うと実際の耐用年数から見て新車で買って5年か。古くなれば電送系統から漏電するのでどこまで使えるのか不明。
そして、月に1000km乗らない人にはハイブリッド車などは無用の長物だろう。
だから実際東京のサンデードライバーなど必要ない。
EU諸国では、日本のように自動車重量税などかかったりしないから現金支給と言う事になろうが、日本なら自動車重量税、自動車取得税、そして消費税くらい負けてやれば大した手続きなしで景気対策になる。
車‥‥例えばトヨタのVitz RSだと1,638,000円だが、今流行のナビ、ETCその他を入れてやれば361,200円にもなって総額1,999,200円。これに税金保険料他233,970円で‥‥…
なんと2,266,170円。
これは、多少高すぎる車設定とオプションと値引きなしだから、実際は200万円ぐらいというものだろう。
ここで、自動車重量税、自動車取得税の合計が126,900円。
消費税が95,200円。
合計で、222,100円と言うわけだ。
それに、地方によっては100,000円の補助金がついてやっとドイツ並み。
日本の景気対策というのはお寒い限りだ。
「定額給付金」ではなく10,000円以上で使える消費税無料券でも配って、家電、地デジなどでも消費して貰えば良いと思うのだが、減税というのは官僚の大嫌いだ。
なぜなら、車関係の税金を減税してしまえば、車にかかる税金がこれだけ高いと言うことが実感として国民に浸透する。
次回、元に戻すという増税するときに国民から反発が出ると言うのを恐れると言うものだ。

それにしても、国内消費拡大が第一の優先課題であったはずなのに、昨年から消費税値上げばかり言っていたのは、どういうのだろう。
消費税値上げは、消費を冷えさせて景気の足を引っ張る筈なのだから不思議なものだ。
それは、間違いなく、政府は「景気判断を間違えていた」というのは紛れもない事実。
新聞マスコミも「消費税値上げ」を明言するのがよいとしていたが、もしそうなったら新聞マスコミでさえも、購読中止やCMの引き上げなどは避けられないことは分かっていなかったのだろうかと不思議に思う。
但し、いつも言うように新聞各社論説委員氏は、高給取りで我々庶民とは住む世界が違う。
彼らが住む高層ビルの天界から下界を覗いて物を言っているようなのは、常々感じることだ。

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2009年3月 3日 (火)

東芝製SDHC Class4海外版SD-K04G検証

東芝製SDHC Class4、海外版SD-K04Gを買って見た。
品物は、写真の通りのパッケージ品で上海の業者の保証が付いている。

前回のパルク品はどう見ても「風」が悪かったが、今度のものは海外版とはいえ正規品。
価格は税込み798円。送料210円というもの。
今度も2個セットで買ったから、事実上903円。
今回東芝製にしようと思ったのは、例のトランセンドのSDHC  Class6 4GBを完全に止めてこれに切り替えようと思ったからである。

トランセンドのSDHCも半年前に買ったから、1枚2,000円近くして、それでも安いと思ったのだが、今は780円。
電気屋で買うと1,280円程度になった。
このSDHCがカードリーダーの相性なのか、パソコンとの相性なのか具合が良くない。
そんなところである。

早速ベンチマークを取ってみると………

--------------------------------------------------
CrystalDiskMark 2.2 (C) 2007-2008 hiyohiyo
      Crystal Dew World : http://crystalmark.info/
--------------------------------------------------

   Sequential Read :   19.126 MB/s
  Sequential Write :   10.902 MB/s
Random Read 512KB :   18.899 MB/s
Random Write 512KB :    1.923 MB/s
   Random Read 4KB :    3.202 MB/s
  Random Write 4KB :    0.018 MB/s

         Test Size : 100 MB
::Comment::winXP
TOSHIBA SDHC CLASS4  4GB‥‥1枚目

--------------------------------------------------
CrystalDiskMark 2.2 (C) 2007-2008 hiyohiyo
      Crystal Dew World : http://crystalmark.info/
--------------------------------------------------

   Sequential Read :   18.485 MB/s
  Sequential Write :   10.387 MB/s
Random Read 512KB :   18.274 MB/s
Random Write 512KB :    1.887 MB/s
   Random Read 4KB :    3.020 MB/s
  Random Write 4KB :    0.017 MB/s

         Test Size : 100 MB

::Comment::VISTA
TOSHIBA c4 SDHC 4GB   VISTA‥‥2枚目

こんな感じなのだが、環境が違うので誤差が出た。
転送速度は高速のClass6と変わらず、書き込みも多少遅い程度。
しかし、コンデジの転送に関係するRandom Write 512KBで4倍以上の差が出ている。
参考にClass6の場合
OSHBA SDHC 4G class6  白(SD-F04G)
   Sequential Read :   18.917 MB/s
  Sequential Write :   14.873 MB/s
Random Read 512KB :   18.795 MB/s
Random Write 512KB :    8.630 MB/s
   Random Read 4KB :    3.625 MB/s
  Random Write 4KB :    0.154 MB/s

そして、同価格帯であるトランセンドでは、
トランセンドSD HC6_4GB Win VISTA
   Sequential Read :   16.142 MB/s
  Sequential Write :    8.991 MB/s
Random Read 512KB :   15.992 MB/s
Random Write 512KB :    1.489 MB/s
   Random Read 4KB :    3.542 MB/s
  Random Write 4KB :    0.016 MB/s

この様に、全体的に東芝製に劣る。
トランセンドのCPは、CFカードでは高かったがSDHCあまり良くない。

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一太郎2009 重い、使えない その2

一太郎2009。
これはどうも失敗作だったようだ。
なぜなら、バックアップのために定期的な保存をするときに、一時的に「一太郎2009」がハングアップする。
その間1秒もないのだが、文章を打ち込んでいるうちに一瞬キーボードを受け付けなくなる。
フラウザーを起動して参照しながらだと、「一太郎2009」を選択して戻るときに1秒くらい「一太郎2009」が認識しないことは以前述べた。
これは、「一太郎2009」のハグなのかどうかはわからないが酷いものだ。

それで、「手」のマークが「I」の様になって文字が打ち込めるまで一瞬待つことにした。
しかし、これは何やら使う気をそぐもの。
IEだと、たまにフリーズすることがあって、そんなときは不思議と時間が掛からないことがあった。
しかし、他のフラウザーだとそんなことはないから、「一太郎2009」は改善されない。
Justsystemのメーカーの方も、こんな動作が鈍いことなどは、気づいているはずなのだか、小生が使っているWinXPではテストしなかったのだろうかと思う。
VISTAに「一太郎2009」を入れて確かめてみる??
しかし、XPでダメでVISTAならまともに動くと言うのでは使い物にならない。
今後、この状態が続く様なら、最終的に「一太郎2009」を2008に戻す算段をしなければならないと思う。

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雑誌「諸君!」の意図的・休刊疑惑はありや

雑誌「諸君!」の意図的・休刊疑惑はありや

今日のニュースには、「文芸春秋のオピニオン誌の月刊「諸君!」が、5月1日発売の6月号で休刊することが3日、分かった。」(産経新聞)
「諸君!」と言うのは、実は最近書店で売っていないことが多い。
あっても1冊か2冊程度。
この現象は、ここ2-3年のことなのである。
この手の保守派の雑誌というのは、最近では公立図書館にも置いてあるようになって大分普及してきたように思う。
しかし、本屋に売っていないのであれば販売部数が増えるはずがないと言うものだろう。
ここで穿った見方をすれば、発行部数を徐々に減らして意図的に廃刊したのではないかという疑惑だ。
なぜなら、本家「文藝春秋」は元々保守派の雑誌と言う事になっていたが、左派系の雑誌が廃刊になったために今では、保守派の最左派、左派論壇と呼ばれるようになってきた。
この様な疑似保守派、左派系論壇の特徴というものは、物事を大上段に取り上げるものの最後は尻つぼみで結論を言わないというところにある。
だから、「それでなんだ」と問い詰めたいところなのだが、結局曖昧にして逃げしてしまう。
残るのは、大上段に構えた中身の伴わない「見出し」だけである。これではゴシップ週刊誌と同じではないかと言うものだが、「文藝春秋」も似たようなところがある。
それに比べ「諸君!」は、はっきり物を言う雑誌というか、はっきり物事を言う論者の文章が掲載されている。
そうは言うものの保守派と今では似非保守派と変貌した論者のまだらな論壇である。
「諸君!」でも以前は「保守派」として通用した人達が、時代の変化、又隠されていた真実が明らかになるにつれ「左派人士」に数えられるようになっている。
以前は、秦 郁彦氏なども「諸君!」に保守派論客として登場して喝采を博したものだが、よくよく読み返してみると本当は妙だったりする。
そのためか、その人達の追求が昨今「諸君!」(例、「田母神俊雄=真贋論争」を決着する / 秦 郁彦 西尾幹二)紙面でもなされている。
そして、保守派論壇誌でありながら「保阪正康  ナショナリズムの昭和(41)」という昭和史の虚構を掲載し続けているというのは実に妙であった。
保阪正康氏の「ナショナリズムの昭和」が虚構であるというのは、マッカーサーによる検閲によって言論統制されていた新聞、雑誌を端にして論考をしているからである。
そしてその検閲に協力するか、GHQの検閲を恐れて事実をねじ曲げた世情、政治をそのまま昭和の「本当の歴史」として綴っている憤懣さに尽きる。
これは、西尾氏が批判している秦 郁彦氏などと同じトラウマに毒された人物で、同じ様に新たに明らかになった歴史的な事実を無視する。
それで、日本に不都合と思われるところは、不確実なものまで積極的に取り入れる姿勢である。これは、正に東京裁判史観というものなのだろう。

こんな風に穿った見方をするとすれば、今では論壇「左派」になってしまった「文藝春秋」の政治認識に対して、「諸君!」は右に寄りすぎていると思ったのではないかと言う事だ。

実際、「諸君!」を出している文藝春秋社というのは、妙な会社だと思ったもので、休刊、廃刊となれば、やはり「諸君!」論調には耐えられなかったかと思うものである。

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第43回前橋市民展・書道部門

第43回前橋市民展が平成21年3月1日をもって閉幕した。
書道部門が最後の順番だったから、3月2日の撤去搬出と相成った。

市民展も回を重ねるごとに、書道部門に限らず何やら作品の質が落ちてきたように思える。
それは、上手な人が無鑑査になり、(審査)委員になって、という循環違いないのだが、何やら憂いを思うものである。
はっきり言えば一時期のような爆発的な絵画、書道人口の増は見られない。
特に指導者が少ない日本画などは、消滅の危機に迫っている。
20年前には、4-50点の出品だったのが今や半減しているのである。
洋画は、高校で油絵などを習うためにそこそこの人員は確保しているようだ。
しかし、高校生が最高賞を取ってしまうほど、その作品の傾向というものが画一化されている可能性がある。

そうであるならば、書作品はより画一化されているか‥‥、
伝統書の「漢字」部門は、毎年同じ傾向の、同じような文字が並ぶ。
こんなことを言うと、日展の展示を言う様なのだが、実を言えばある一定の「手本」というのが出品者の中で廻っていると言うことである。
だから、毎年同じように作品が出る。

それで審査する方はどうするのか、審査員でないからわからないがより手本に似ているか、間違いはないかなのだろうか。

しかし、A先生が言うように展示会場は迷路である。
はっきり言って、何の脈絡がないように展示されている。
理由は、単に展示スペースがないということだけなのである。
それにしても市民展というのは、「官展」なので「雅号」を一切使わない。
だから有名な先生でも本名でキャプションが作ってある。
名前を見ても実感が湧かないということがある。
はっきり言って、誰の作品かわからないこともある。
群馬県展の場合、公募は「本名」、委嘱作家(無鑑査)以上は「雅号」という決まりがあって、賞状にもその通り書く。
但し、山﨑種二記念特別賞だけは、県庁が絡むので「本名」。

新傾向という「前衛書」と「近代詩文」「少字数」という部門では、「前衛書」に文字性が多いので、線書きのように見える作品が多い。

審査員(委員)となると、0.5平方と決まっているので、色紙程度か小さめの額作品が多い。

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2009年3月 1日 (日)

西尾幹二氏、秦郁彦氏の偽善「歴史家」の素性を看破する

西尾幹二氏、秦郁彦氏の偽善「歴史家」の素性を看破する

雑誌「諸君」4月号に「田母神俊雄=真贋論争」を決着する / 秦 郁彦 西尾幹二 」と言う特集があった。
このページはなんと4ページ分まで「諸君」4月号のHPに掲載されている。

ここで、秦氏は田母神氏の論文の「ルーズベルト陰謀説」について一笑に付している。
それに対して、西尾氏は状況証拠を突きつけて行くのだが、秦氏は「開戦をあと1か月延期すれば、フリーハンドの日本はどんな選択もできたし、当分は日米不戦ですんだかもしれません。」という。
この歴史上のifに対して西尾氏は異議を唱えて、「最後にやらなくてもいい原爆投下まで敢行したことを思えば、アメリカの、破壊への衝動というのは猛烈、かつ比類のないものであることがわかります。」と反論する。
この点、秦氏と言うのは歴史から何も学ばないというか、国というものの普遍的な性格というものを何も学んでいないようだ。
なぜなら、その後の米国の政治としての戦争の歴史、そして今批判しているイラク戦争を見てみれば、秦氏のノーテンキさが良く分かると言うものである。
その無神経なノーテンキさが何に由来しているのかと言うことは、西尾氏の追求で次第に明らかになるが、単純に言えば「日本は攻撃的人種」、米国は「平和主義者の聖人」というもの。
正に、洗脳教育の賜が根幹をなしている。
だから、秦氏は「もし日本側、枢軸国が勝っていたら、東京裁判と似たような戦争裁判をやっていたでしょう。あるいは、日本人による恣意的な、人民裁判に近いような形になったかも知れない。」という。
続けて、「東京裁判の最中、これといった日本国民の反発は見られませんでした。」と言ってしまう。
西尾氏は、「日本人の方が不公正なことをすると決めつけるのはどうしてですか。」と反論するも反論記載はない。
秦氏と言うのは、歴史上の事実であっても自分の都合の悪いことは黙殺するという傾向があるようである。
なぜなら、東京裁判中の世論の反発がなかったというのは厳重な「言論統制」によるもので、特に東京裁判と憲法問題に関しては厳重に行われたことは教科書にも載っていたことである。
そして、それに反すれば学者と言えども更迭され、それが恐ろしくて憲法擁護の日本国憲法論や歴史学が構成され、戦後60年も経っても継承されてきたのは明らかだ。
そんなことを歴史家である秦氏が知らないはずはない。無視するのは都合が悪いからである。
同じように都合が悪いのは、日英同盟が結ばれた経緯だろう。
なぜなら、北京の55日で有名な義和団事件で各国軍隊、海兵隊が北京に進軍するが、進軍する時の略奪が酷い。
特に酷かったのがロシア軍で、軍隊が間に合わなかった。
その中で、略奪一つなく速やかに進軍して当然一番早く北京に到着したのが日本軍であった。その規律正しい日本軍の態度が日英同盟の基本にあった。

次に、西尾氏は、「ヴエノナ文書」による米国政府の内部に浸透した「コミンテルン」に言及するが、秦氏は「「ヴエノナ文書‥‥決定的な証拠は何もないのです。」と又言い切ってしまう。
そして、状況証拠を突きつけられると「歴史学の専門的見地からいえば‥‥‥ほとんど価値がない‥‥」と逃げる。
西尾氏は、「その歴史学的見地というものを私は信用していない」と反論する。
そして、「張作霖爆殺事件」について言及して関東軍特務機関河本大作大佐が真犯人だとはわかっていないという。
ところが、秦氏は「河本大作大佐が何者であるか、隅々までわかっていますよ。」と又断定する。
ここまで来ると、秦氏と言うのは歴史分析というものにダブルスタンダードを使っていることがわかる。
なぜなら、河本大作大佐が「張作霖爆殺事件」の犯人であるとは、本人が言っている訳でもなく、そうではないかという憶測だからだ。
この「張作霖爆殺事件」と言うものは、「満洲某重大事件」とか「張霖某事件」とか実際は呼ばれて、昭和40年代前半に何回もNHKで検証ドラマが行われた。
そして、初めはNHKでも張霖某重大事件の首謀者は不明とナレーションがあり、その後には関東軍特務機関の仕業と噂されているになり、最近では河本大作大佐の仕業と言い切っている。
簡単に言えば、東京オリンピック以降とはいえ「張作霖爆殺事件」当時の状況をよく知っている人達が生きているときは従来からの見解を踏襲しているのである。
又、「関東軍特務機関河本大作大佐真犯人説」は東京裁判から後の話である。そして、今現在に至っても真犯人は不明な事件であるはずだ。
それを「河本大作大佐が真犯人」と言い切ってしまうというのは、語るに落ちたとは秦氏のことだろうと言うことがわかる。
そして、この秦氏と言うのは、以下のようなきれい事を言って自己を正当化する偽善者であることが分かる。
「プロの歴史研究者は、史実として認定できないものは全て切り捨てて、取り得えず棚上げにしておきます。」
ここからは、西尾氏も腹を立てたようで‥‥
歴史に「善悪の判断」をしているとか、歴史の悪いところばかりを取り上げて、良い部分を無視するとか、‥‥ととどめを刺す。
後は、秦氏が全面逃げを打って、聞く耳持たずのいわゆる「戦後歴史観」の言いっぱなし。

結局、秦氏の馬脚が全部ばれてしまった顛末。
全くお粗末な秦氏でした。

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2009えとの現代書「丑」展をみる

2009えとの現代書「丑」展 という変わった名称の展覧会が前橋駅前の「ライフアップ スクウェア アイズ」で2009年3月1日まで開かれていた。


(外観)
参加者は、書、木工、陶芸という人達なのだが、群馬出身者として真下京子先生が中心的に活動している様に思える。
作品展は、えとの現代書展と名を打っているから、「丑」を題材にしてアート作品を展示している。


(入り口周辺)

展示室は、1階の一部と2階の回廊、個室を展示会場として、建物の部屋の中に「書」がアートとして成り立つのかという模索展示である。

この場所での展示を見るのは2回目なので、なるほど言う感じで、普通の展覧会の様に「見てくれ」と強制されないのが見る方としては楽な気がする。
本日は最終日で、13時30分からギャラリートークをしたはずなのだが、実は市民展の作品研究会とその後の所用のため参加しなかった。
‥‥と言うより、後から案内状を見て確認した。

こういう雑然として何もない空間に並べられる作品というのは、余程自己主張の強い作品でないと雰囲気に負けてしまう。
一方、部屋の個室には、落ち着くような作品でないと疲れてしまう。

そんな感じで、作品と展示の部屋を選んでいるという面白い展示なのである。
それにしても、やはり真下先生の作品は冴えている。

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