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2009年5月17日 (日)

県展事務局員7年間を思い出してのぼやき その1

県展事務局員7年間を思い出してのぼやき その1

(1年目・一年生の頃)

今年の4月末の昭和の日を以て、県書道展事務局員を退任した。
思えば7年前、協会でパソコンを買った(リース)ものの使える人がいないので誰か探していた。
‥‥と言うので白羽の矢が立ったと言うものであったが、その実「えらいこと」になった初年度であった。
前橋テルサで行われた前橋市民展表彰式の時、当時の会長二年目迎える次年度に西林先生が「それでは事業部長に言っておくから」ということで、新人部員として第52回群馬県書道展から参加することになった。
そして5月の連休中直ぐに、榛名湖温泉レークサイドゆうすげ(公営宿舎・高崎広域市町村圏振興整備組合設置)で事業部会議がとりおこなわれた。
会議は午後4時からとはいうものの、書道協会事務所に迎えのバスが来ると言うので、3時頃出向いて40分ほどで湖畔の旅館。
行ってみると、既に先に来ている先生がいて会場作りとしてテーブルを持ち出したり、他の部屋から座布団を運んだり‥‥
‥‥と勝手知ったる何とやらで初心者としては見守るしかない雰囲気だった。
昨年69歳で定年を迎えた樋田先生が仕切る中、参加者は、会長、理事長他、新旧事務局員など20名近く。
はっきり言えば、ほとんど知らない顔ばかりで、退任は定年となった(?)第1部の先生と家庭の事情で退任する第2部の若い(?)女性。
新人は、小生と第2部の女性の同じく二人。
今度会計をすることになったと挨拶する清水心齋先生(現・理事)。高校の非常勤講師も終わった頃だったのか、今思うと思いっきり若かった。
県展事業部長は、小此木草卿先生(現・副会長)。
その時参加した事業部の男性陣と言えばその他は、金井如水先生(理事・次長)くらいだったろうか。
退任に当たっては、退任者に天田理事長(当時・現会長)が条幅作品を「プレゼント」していた。
兎に角、何が何だか分からない内に会議が終わるのだが、今から思えば日程調整やら住所の確認ぐらいなもので、実際の事務に入ればどうでも良いような事ばかりだった。

その会議が終わると宴会。
昔の国民宿舎だったかと思わせる珍妙な料理ばかり。
宿泊費が精々当時数千円だった公営宿舎だからロクナものは出ないとはいうものの、逆に何か貧しさを感じてしまう飽食の時代になったものだ。
だから宿泊、料理はC又はDクラス、但し温泉だけはAクラスと言うところだった。
ここで3年会議をやった後、伊香保温泉の天坊へ代えてしまったのは宿泊費が8,000円近くになり、宴会となるとプラス2,500円で10,000円を超えてしまうためだろう。(推測)
近年の温泉旅館というのは9,800円など当たり前になった。

そんなこんなで、方針が決まり動き出すのだが、書道協会が導入したパソコンというのは、2000年製・富士通のノート型パソコンFMV。
例のWindowsMeといういわく付きのOEM搭載の物だった。
しかし、Windows98SEのSONYのVAIOを使っていた当時の小生から見れば一世代後。
CPUはCeleron500程度、メモリー64MB。当時は、当然ネット環境は導入していないから、不具合のアップデートもそのままという代物。
実は、昨年春書道協会も光電話に変更すると共にネット環境になったのだが、その時初めてこのFMVでIEが立ち上がった。
それにしてもこのブローバンドの時代にあまりにも遅いパソコンというものは今では使い物にならないが、リースが切れた今でも年間1万円と少しを払って置いてある。
それが現事務局長の専用というのだから、使いにくいだろうね。
液晶は暗く見づらいし、2時間も使うとフリーズして今までの努力が水の泡になる。
それを防ぐには、仕事が一段落する度に再起動させるか休ませる必要があった。
しかし不釣り合いだっのが、RICHOのIPSiOのA4レーザープリンターNX71。
こんな中途半端なプリンターでも多分79,800円くらいで買ったのだろう。
当時は、A3モノクロプリンターというのは楽々100,000円以上した。

そのパソコンを使うのは、実際のところ県展が始まってからのもので、始まる前は自宅で私用のデスクトップパソコン(EPSON EDi Cube TP830AV・2001_01)での作業が中心だった。
但し、一年目は安定性を考えて古いSONYのVAIO・PCG-F50ABP(Celeron500(MHz)/Coppermine128  440BX AGP・2000_03)を持ち込んでいた。

「その(予め)やってもらいたいこと」とは何かというと、委員(審査)と委嘱(無鑑査)の出品受付表を作ってくれと言う作業。
今までは、約600人以上の人の名前住所その他を手書きで作っていたのだそうな。
ところが、作れと言っても何も資料がないし渡されもしなかった。
作った元の資料と言えば、なんと昨年出品者に配られた図録(出品者名簿)、それも小生の手元にあったもの。
はっきり言って、事務局にパソコンがまともに使える人が当時ほとんどおらず、パソコン事務のなんたるかを理解している人達はいなかったのではないかと思う。

(以下 その2)

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