県展事務局員7年間を思い出してのぼやき その2
県展事務局員7年間を思い出してのぼやき その2
出品受付表の難作業。
県展の公募と同じよう形式で、委員、委嘱作家の名簿を作る。
これは、Excel2000で印刷物と同じような表を作るのだが、Excelの表というのは作った人でないと中々使えないというものである。
なぜなら、マクロまで組むと言うことはしないでもマクロ直前、マクロにしても良いようなところまで作り込むと言うのが普通だからである。
そして、その規則、プログラムを改編や、エラーが出ないようにとんでもないところにプログラムを書き込み、その上見えないように消してしまう。
実際、作った本人が直そうと思って探すのに苦労するところである。
但し、後々考えて複数シートは使わずなるべく単純に作ったのだが、入力規則などは後から削除する様な羽目になった。
「出品受付表」の作成は、事前に何の打ち合わせもなく作る。
こちらとしても省力化と言う事で、第52回県書道展図録(出品者名簿)をOCRソフトを買って、スキャンして取り込んだ。
ところがこれが結局変換できない文字、間違いなどかあって一から入力した方が簡単だったかも知れなかった。
兎にも角にも、何十枚にも及ぶ出品受付表が出来、県展の事務作業が始まるのだが、書道協会のPCにはワープロソフト「一太郎」は入っていない。
書道関係でなぜ「一太郎」を使うかというと、当時は第4水準までのフォントは入っていなくとも第3水準くらいまではあった。
最近、一太郎2007から2008に移る段階で書道で使うフォントが減らされる様な妙なことが起きているがWord2000を使うよりは随分とマシだった。
それで最初の1年は自分のSONY・VAIO・PCG-F50Aを持ち込んでの作業になった。
いずれにせよ事務の最初の日、言われたのが事業部の「名札」2つを作ってと言う事で面食らった。
作業は、「県書道展概要」という新聞発表原稿の作成だった。
そこで渡されたのが、擦れたようになったコピーの冊子。
何と貧弱な、今で見れば取りあえず作りましたと言うようなものだった。
パソコンではなくてワープロ専用機で作られたものだから、正に手書き感覚とでも言うべきものだった。
齋藤虚風先生から聞いたところによれば、清水心齋先生と毎日夜9時頃まで掛かって作り上げたのだという。
そんな難作業だったので、「身体が持たない」と定年を待たずに退職したと言うことだった。
だから、事務作業が始まって清水心齋先生から「手伝おうか」と言ってくださったのだが、ワープロ専用機で作られても後でパソコンに変換できないからお断りした。
実際、ワープロ専用機とパソコンでは勝負にならないほどのスピードであった。
それでも、ワープロ専用機による手作業のような「概要」を一から作り直すのは結構手間な作業だった事は間違いない。
なぜなら、仕上がると隣に座っている西林先生に一々点検して貰う。
そして、こんなことが三度、四度あって一枚が仕上がる。
その繰り返しだから、実際の数倍の仕事量というのが「概要」作りだった。
出品状況の概観は、従来の概観の方式ではなくエクセルの表計算を使い、実際手書きで表として張り出している表をそのまま再現した。
これは今現在、(社)県書道協会総会・県展資料として毎年掲載されている原稿そのままである。
こんな感じで、朝9時に事務作業を始め昼食で10分ほど休み、夕方5時まで休みなし。
それでも、作業は間に合わない日々。
これが約一週間、いや10日。
さすが、10日目には限界が来てしまった。
限界が来た頃には、開幕となりボチ、ボチと用があって閉幕と成った。
そして、県展事務所の引き上げの日は、東京で院展一般公募の審査があり、審査部委員の仕事と重なり欠席。
本業の仕事の業務を二週間も休んで県展事業部に参加したのだが、本業の仕事が出来ないから、結果として部分業務撤退を余儀なくされるなど散々でもあった。
この県展事業部に誘われたのは、実はその時より10年近く前だった。
当時としても、遊んでいるわけでもないから、月の半分を休むというのは出来ない相談だったろうし、ワープロ専用機でポチポチやるような作業ではやらない方が良かった。
院展審査部委員一年生の時、初めて使うパナソニックのワープロ専用機で受賞者名簿を作らされたことがあったが、名前が中々変換しないのには閉口したものだった。
そして、宿にワープロ専用機を持って帰って、朝方2時になっても未完で終わらなかった。
いずれにせよ、こういう県展事業部の作業というものは、民間感覚とは違い能率良く早く出来れば、それだけ日当が少ないというお役所仕事。
その昔、会社で仕事を早く仕上げたら、嘱託で職場にいた元役所の吏員になぜ早く仕事を終わらせるのかと怒られたものだ。
役所では、早く仕事を終わらせたら「やる仕事がない」と言うものだろうか。
言うのは、ある一定の時間を決めてその中でゆっくり、正確に、丁寧に仕事をするのだそうな。
‥‥役所の公務員の仕事というのはそう言うものかとつくづく思ったものだった。
そうして、実は県展事業部も同じようなものなのだが、発表期限やらの日程があるから実はそうも言えない。
それにしても、一生懸命やればやるほど報われない「やりきれなさ」というものを、嫌でも味わったものだった。
こういう体質というのは、時代の要請に対応できないこの県展事業部の特質だったのかも知れない。
しかし、一年目で全てのデーターをパソコンに振り替えた。
来年の作業というものは、50%に半減する。
実際そうであるならば、万々歳なのだか翌年、平成15年、第54回群馬県書道展では委員・委嘱のキャプション(名票)を作ると言うことになった。
それも、小生只一人でである。
以前手書きをしていたときには、10名近くが1-2日かかって書き上げていた作業である。
以下 その3・第54回群馬県書道展顛末。
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