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2009年5月24日 (日)

県展事務局員7年間を思い出してのぼやき その4

県展事務局員7年間を思い出してのぼやき その4

山﨑種二記念特別賞

以前は、「山種記念特別賞」だったような気がするのだが、ここ数年前からこの名前になった。だから、全て新しい名称で通すことにする。
小生が事業部員になった時、誰が山﨑種二記念特別賞を貰ったのか、というのは結構思い出せないことがある。
名前は思い付いても、作品は覚えていないなど色々である。昔の資料を見ていたら53回展では北村白琉先生だった。
表彰式での着物姿を覚えているのだが、事務が忙しくて作品は覚えていない。
それで古い写真を見たら、90×90のこんなものだったのかと思わせるものがあった。
なぜなら、1.1平方米(12平方尺)以内なら他の部門と同じように2尺×6尺でも出品できるはずで、大きさ的に見劣りするのである。

この春の書道協会の総会によると、山﨑種二記念特別賞は今年度から12月に絵画、写真部門と一括で審査したいと「山﨑」側から要請があったような趣旨が説明された。
正確には、県から言われたらしいのだが、これは、山﨑種二記念特別賞が県書道展から分離されると言う事。
審査する方としては、秋から3回も群馬に来るよりも1回で済ませられればその方が手間が入らないと言う事なのだろう。
近年、書道に限らず美術、写真部門も高齢化しているように思える。
県美術展では、入選を厳しくしたら応募者が激減したという話を聞いたことがある。そして、美術、写真に限らずクラブに入るか、先生の社中に入らない限り入選もおぼつかない時代ともなると上位入賞者というのは、限られている。

書道部門もあらかた名前の知れた先生は山﨑種二記念特別賞を貰い、又は運不運があって、年齢制限とやらに阻まれて貰えなかった先生もいる。
なぜなら、初期の頃は年齢制限50歳までだった気がするからである。それが直ぐに60歳までになり、今は65歳までと言う事になったらしい。
実を言うと、師の横堀艸風先生が、当初40歳までを想定していたと話していたことを聞いたことがある。

では実際の山﨑種二記念特別賞は何かと言えば、書道関係では毎年同じような先生の作品が入れ替わり立ち替わり、交代で審査に登場する。審査する方から見れば新しい・新鮮な作品はほとんど出で来ない。
元々伝統書だともっと酷くて、出で来る作品が全部同じ傾向と言う事もある。こんな場合だと審査などしたくない気持ちにもなるのではないかと思う。
しかし、県書道展では4部門から出で来るから多少毛色が異なるのが救いというものだ。

それでも、県展では新人が出で来ないし、部門によっては当番審査員にならなければ候補にしない場合があるなど、本来の趣旨「広く公募し、一般、委員、委嘱を問わない」と言う趣旨には逸脱する。
それだけでなくその当番審査員の候補のうちも、かっての大社中(出品点数の多い社中)に限定されるから、より候補者が限定されることもある。
その作品の質ではなく、出品点数の多いところでないと「賞」が来ないと言うのは、公募展の毎日書道展に限らず「商売」の展覧会では常識になっているのだが、県展という「官展」でも同じ傾向と言う事は解せないものである。

そんなことで、「山﨑」側が展覧会を全て見て、候補を独自に選定して「山﨑種二記念特別賞」と言うのならそれなりの評価が得られそうなのだが、そんな手間をかけるはずがない。
実際はどうでも良いような「審査」なら1回でという「手抜き」に間違いないのだろう。その兆候は、山﨑種二記念特別賞を授賞した作品は全て、群馬県に預けたままである事からも良く分かる。

いずれにせよ、群馬県書道展と切り離されれば、上毛新聞社が主催している「上毛文化賞」や、高崎信用金庫が主催する「群馬書道大賞」と同じ扱いになる。
実際は、「上毛文化賞」も「群馬書道大賞」もどういう基準で選考されるのか訳の分からない賞であることは確かである。
但し、上毛新聞社の「上毛文化賞」は、美術・工芸、音楽部門などは、ほとんど30歳前後、又は30代のの若手芸術家を選考しているから、それなりに意味がある様に思える。
ならば、書道はというと30代などヒヨコというもので、未だに「四十、五十はハナタレ小僧」という始末である。
そして、県展で委員(審査会員)の賞がないとするならば、いっそのこと年齢制限なしに作ってしまえばよいこと。
どこの書展でも「ご苦労様」賞というものはあるものである。
しかし、書展に限らず公募展というのは結構やっかみの世界。
そして、何の楽しみもない年寄りのやっかみというものほど始末が悪いものはない。

それにしてもいつも妙な官僚主義というか、官僚主義的「クソ」まじめさというのが前橋市民展。
2009/05/23に「前橋市民展一般公募出品者の資格について(確認)」という通知が委員(審査会員)に届いた。
要するに在勤、在住を守れと言うことなのだが、厳密には大学生もダメというもの。
元々事務局が前橋市の吏員で、市の金を使うと言うことから仕方がないものとはいうものの、県書道展では在住の書団体に所属すればよく、美術展は出身なら良かったような気がする。
実際、各県の県展レベルではその県出身、住んだことがあるなどの縁故者の出品を認めているところが多い。
5月に前橋市に富士見村が統合となって、書道人口も若干増えるという見込みなのだが、書団体では1団体程度。
はっきり言って、たかがしれているのである。

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