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2009年7月 3日 (金)

D'Artagnan(ダルタニャン)物語「二十年後」の背景とあらすじ その3

D'Artagnan(ダルタニャン)物語

第2部 「二十年後」の背景とあらすじ その3

第1部の三銃士が終了して、20年後は「フロンド乱」が背景にあるのだが、多少補足しないと20年の狭間は埋められない。
そもそも三銃士に登場するルイ13世というのは、先王のアンリ4世が1810年に暗殺されるという事から始まっている。

 1610年5月フランス国王アンリ4世(アンリ・ド・ナヴァール)が暗殺され、8歳のルイ13世は、即座に高等法院の親裁座で母マリ・ド・メディシスを摂政にした。

注 ☆ 一説には、マリ・ド・メディシスが暗殺に絡んだと言われている。王妃の位を取得した直後であった。又、これには、マリ・ド・メディシスが嫁いでくる直前に暗殺されたアンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレも絡んでいる。

 摂政マリ・ド・メディシスがフランスを主導することになって、寵臣として登場するのは侍女のレオノーラとアンクル元帥である。
 アンクル元帥は、王妃マリ・ド・メディシスが結婚の時に家臣団一員としてフランスに付いてきたコンチーノ・コンチーニという貴族である。
 侍女のレオノーラと結婚しその力を使って王妃から800万エキュを貢いでもらった。そしてピカルディーのアンクル侯爵領を買い三年後1613年には元帥まで昇進した。
 1614年、先王アンリ4世の集権化政策の反動から大貴族の不穏な動きが続き、このアンクル元帥などの寵臣政治に対する不満が引き金になって、王権は全国三部会の開催を余儀なくされた。
 その全国三部会・第一身分(聖職者)の代表として、リシュリュー司教(アルマン‥ジャン・デュ・プレシ・ド・リシュリュー・男爵)は登場し注目され、摂政マリ・ド・メディシスの側近となるのであった。
 そして1616年には国務卿・外交・戦争担当となった。
  1617年ルイ13世はクーデターを起こし、アンクル元帥コンチーニ(摂政マリ・ド・メディシスの愛人)を粛正(暗殺・衛兵隊長ヴィクトリ)し摂政マリ・ ド・メディシス一派を追放した。又パリでコンチーニの妻レオノーラ・ガリガイは魔女として処刑された。…レオノーラ・ガリガイは処刑する理由がなかったの で魔女とした。
 次に国王の寵臣・宰相(級)として権力を握るのはリュィーヌ公爵である。国王軍最高司令官にもなったが、軍人・政治家としては無能であった。
 時は、前世紀からの宗教戦争に続き、〈前王アンリ4世がプロテスタント(のちに改宗)であった〉ハプスブルグ家の覇権に抗していた勢力争いの時代である。
 1620年国王とマリ・ド・メディシスの和解(アンジュの和解)がなり、マリ・ド・メディシスを通してリシュリューは国政に参加している。
 しかし、同年ルイ13世のベアルン遠征によって宗教戦争が再燃する。
 ベアルンのプロテスタントを駆逐した後プロテスタント派の諸侯・諸都市と攻防を繰り返す中、当時蔓延していた熱病により司令官リュィーヌ公爵が死ぬ。(戦死)
 1622年リシュリューは枢機卿に就任。
 1624年宰相(国王の忠実な主席大臣)となった時、39歳。国王ルイ13世24歳。
そうして、実際の実権を握るのは1630年「裏切られた者たちの日」に勝利してマリ・ド・メディシスを追放してからである。
 さて、三銃士はこのリシュリューは枢機卿の40-43歳までの期間の話である。
 即ち1625年からラ・ロシェルのプロテスタント軍攻防戦が終わった1628年になる。

1635年ハプスブルク家に対抗して30年戦争にフランスは直接介入。
1648年ウェストファリア条約。
1659年ピレネー条約でフランスとスペインの戦争も終結。

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