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2009年7月

2009年7月31日 (金)

第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会  1

第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会

 

その1

2009/07/19
第1回目の揮毫会が国立新美術館講堂で13時から行われた。
揮毫者は、
○荒井智敬(漢字)
○佐藤有苑(漢字)
○種家杉晃(漢字)
○福富玲茜(篆刻)
○榎 秀郎(刻字)
○工藤永翠(前衛)

の各先生であった。

この揮毫会というのは、どうも昨年の第60回展から行われるようになった様で、それ以前というものは記憶にない。
兎に角、昨年はオープニングから音と光を合わせたパフォーマンス書道があって大変盛り上がった「揮毫会」であった。
それだけに、昨年の揮毫者は大変だったろうと今から思う。
‥‥というのは、今年の揮毫会というのは、非常に地味な感じがしたからである。
当然、パフォーマンスも何もなく、淡々たる中で徐々に人が集まり始まった感がある。
昨年は、開始の前に来ても黒山の人だかりで中々見るのも難しかった。
それで今年は、1時間前に来たら観客はほとんどおらず、30分前でもがらんとしていた。
それはそれは、拍子抜けであった。
そのために、揮毫者のところへ行って色々見てきたのであるが、大方筆一本(?)持って行けば揮毫が出来る体制になっていたようだ。

だから、各種の紙、何種類もの墨滴、印泥、墨を入れる桶、文鎮その他は予め用意されていた。
しかし、初めての墨や紙で揮毫すると言うのも中々勇気が要る。
小生など、紙も墨も選びに選ぶ方だと墨滴など危なくて使えない。
実際その辺のところをどのようにしたのかは良く分からない。

そして、揮毫会では、「1作品」を書けばよいと言われていたそうだ。
昨年は、何も言われていなかったのか2作品目を要求されて、躊躇していた揮毫者もいた。



最初は、漢字の荒井智敬先生。

最初だから、昨年のような緊張した雰囲気が漂っていたが‥‥



二作目は、筆を2本もっての揮毫。


手元がよく見えないので拡大してみると。


完成作品。


全く鮮やかな手さばきの名人技でした。
そして、雅印の鈴印の仕方など正直言って唸らせるほどの上手さ。
ちゃんと二度押しをしていました。
小生にはどうも上手くできない鈴印。
恐れ入りました。

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2009年7月29日 (水)

毎日書道展・国立新美術館・陳列終了

毎日書道展・国立新美術館・陳列終了

2009年7月28日、毎日書道展の国立新美術館での陳列が終了した。
これで陳列部委員の仕事は全部終わり、そして毎日書道展は自分の中で終わってしまった感じがする。
毎日書道展は、新美術館で今年は特別展示「篆刻家 松丸東魚の全貌」を行った。
特別展示は、新美術館になってからだから3回目になるのだが、兎に角凄いと思う。
今回の特別展示も充分「入館料」を取れるような企画。
それが出品者、招待券を持っていれば無料で見られるというのは、展覧会を見るだけでなくても正に感動ものだ。
その上実際は、席上揮毫2回、ギャラリートークあり、鑑賞会ありと盛りだくさん。
そして、毎日展に逢わせて開かれる個々の展覧会などが目白押し、だから7月は展覧会、毎日展漬け。
‥‥とは言っても席上揮毫も一回行けるのがせいぜい。
結構もどかし限りなのである。

陳列最終日の28日朝、地下鉄で国立新美術館に来ようと思ったら結構大変だった。
なんとそれは、地下鉄千代田線・乃木坂駅で人身事故。8時過ぎから霞ヶ関で振り替え運転だった。
実は列車放送が良く聞こえなかったので、国会議事堂前まで行って気が付いた次第。
直ぐに動きそうだったので待ったのだが、「現場検証」という放送があって結局、そこから銀座線に乗り換え「青山一丁目」まで行って大江戸線で六本木まで。
余分な時間と、100円多く掛かってしまった。
今から考えれば、霞ヶ関まで戻って日比谷線で六本木なら早くて、安く行けた。
まあこれも経験である事よ。

そんなわけで、新美術館に着いたのは10時少し前。
陳列作業の分担振り分けに丁度間に合って作業には支障は無かった。
いずれにせよ、陳列作業というものは何回やってもサイズの違う作品や「かな」の細字などが複雑に絡み合って、中々上手く行かないものである。
それにしても、三年前の国立新美術館開館当初の混乱を思うと随分スムーズになった気がする。

昼食というのは、都美ではレストランでの特別料理だったのだが、昨年は全部お弁当だった。
それが今年の新美では14日の陳列替えではB1のレストランで、スープカレーの様なもの。
21日は、同じレストランに入ったものの「弁当」。そして、28日はシチューの様なものだった。

Volvicは飲まずに毎回持ち帰ったが、塩分が強いと封を切りたくなる気がする。
そんなこんなで、大方展示も終わり時間が来て解散となった。

陳列は、これで終わりですから来週は来ないようになど冗談を言って、辻本陳列部長の挨拶。



それにしても、終わって又来年「ネ!」なんて7月の七夕ではあるまいし挨拶をしての別れ。
昨年までは、宴会があったから少しは「打ち上げ気分」もあったのだが「水分」を全く取らずに、エレベーターに我先にと駆け込む始末。
お陰で、夕立が降る前に帰ることが出来た。

家に帰ればいつもの現実が待ち構え、作品制作の期限が迫る。
何やら「祭りの後」の様な虚脱感のそこそこに月末の忙しさに翻弄される毎日である。

Just MyShop(ジャストシステム)

製品写真
それにしても、Justsystemのアウトレットで買った499円のメンブレンキーボード( [処分品]UAC メンブレン109日本語PS2キーボード UACC-6868/PS2)今までのキーボードと位置が違うところがあるので打ち間違いが多い。
499円だからしょうがないが。

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2009年7月27日 (月)

燦華展・念(おもい)PART II

燦華展・念(おもい)PART II

下谷洋子・千葉蒼玄・秋吉久美子
燦華展が東京・銀座・鳩居堂画廊4Fで平成21年7月21日(火)から26日(日)まで開催された。
案内はがきには、「屏風による作品表現」とあって、数点の屏風作品が展示されている。


一応作家を紹介しておくと‥‥

下谷洋子先生
(財)毎日書道会評議員・毎日書道展審査会員
(財)書道芸術院評議員・書道芸術院常任総務
(社)全日本書道連盟評議員
かな書道作家協会常任理事
(社)群馬県書道協会副理事長・以下略。

千葉蒼玄先生
毎日書道展前衛書部審査会員
(財)書道芸術院評議員・書道芸術院展事務局長
(社)全日本書道連盟評議員・以下略

秋吉久美子先生
毎日書道展審査会員
回瀾書道会理事審査員
かな書道作家協会常任理事
(社)全日本書道連盟会員・以下略



全作品写真が掲載されているパンフレットがあって、最後に「合作」というのがあった。
ところが、この作品を見逃している気がしてならない。
それで、撮影した写真を全て当たってみたが何故か撮っていない。全くなんとしたことかな・なのである。

展覧会の雰囲気は、小生としては、宝石貴金属店に間違って入り込んでしまった「田舎もの」の感じである。
皆キラキラと光って、まばゆいばかり。
特に、2009/07/21・毎日展の陳列を終わった後に、菜っ葉服の様な姿で入り込むと益々場違いの感じが強い。
精々カメラバックを下げているのが関の山というもの。

偉い先生に名刺をもらっても、「裏」に書歴が書いてあったりして、頭がボーっとしている状態だと結構失礼していた感じがする。‥‥後で思うと。

列車の時間があったので、早々とおいとましたが、竹橋のアートサロン毎日を廻ってこの銀座まで来ると言われた太田先生(宮城県仙台)は果たして間に合ったか。
そんな気持ちを残して、地下鉄銀座線の入り口から地下道に入って、有楽町駅を目指した。

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2009年7月26日 (日)

NHK名将の采配「アウステルリッツの戦い」

名将の采配「アウステルリッツの戦い」

(第5回 アウステルリッツの戦い2009/07/21 NHK総合 24:10〜24:39)

第5回は、Napoleonのアウステルリッツ(Austerlitz)の三帝会戦。

NHKの名将の采配「アウステルリッツの戦い」は、例によってジオラマによって説明するのだが、そのジオラマの粗雑さはどう見てもアウステルリッツ東方の戦闘地図を描き出しているとは思えない。
番組では、大筋として兵力約8万の同盟軍に対して、ナポレオン軍7万。
アウステルリッツ村西方にナポレオン軍が南翼を手薄にして展開しているのを確認して、同盟軍が仕掛けた。
後は、大方史実に基づいた筋道なのだが誰もが違和感を覚えたのは、あまりに単純すぎる上に攻め手の同盟軍が「お馬鹿」に見えてしまうことではないだろうか。
前回「名将の采配・第4回 真田昌幸“懐の深さ”が勝利のカギ」でも述べたように対戦する相手の将軍などは決して凡庸ではない。
従って、アウステルリッツ(Austerlitz)の三帝会戦も同盟軍はいわゆる正攻法を行ったに過ぎないと言う事なのである。

そして、ゲストの森永卓郎、松嶋尚美にナポレオンの作戦を答(とう)のだがあまりに前提が粗雑だと答えようがない感じがする。
一節には「お間抜けぶりも堂にいって」ともあるがそうではあるまい。
その様に、実際はNHKの名将の采配「アウステルリッツの戦い」はかえって会戦をわかりにくくする。
1805年11月ナポレオン軍は兵力5万を背後連絡線の防衛に残して、主力約15万をもってオーストリアへ侵攻した。ウィーン占領。
クトゥーゾフ大将(Mikhail I.Kutuzov)(アウステルリッツ(Austerlitz)の三帝会戦の事実上の総指揮)のロシア軍は、決戦を回避して退却。
1805年11月15日ナポレオン軍は、ウィーンに兵力2万を残しロシア軍に対処するためにウィーン北方約112キロのブリュン(Brunn)に結集。
ナポレオン軍兵力約6万5000。
NHKの名将の采配でもナポレオン軍の進撃速度が速いと指摘されていたのだが、実際10月4日から11月19日までの46日間に約800キロを進撃した。‥‥17キロ/日。
このために、実際戦闘に参加できる兵力は約三分の一に減少すると共に、ナポレオン軍は相当に疲れていると言う事が同盟軍(兵力約9万)に知れ渡っていた。

ナポレオン軍はプラッツエン(Pratzen)高地を一旦確保するが、同盟軍が進出してくるとあっけなく放棄して、ナポレオン軍はアウステルリッツ村西方3.2キロの地点に1個師団がが布陣。主力をブリュン東側、南翼を薄くして展開。

プラッツエン(Pratzen)高地を確保した同盟軍は、斥候による報告によって南翼を攻撃することに決定。これは、正攻法である。
要するに、直ぐにプラッツエン(Pratzen)高地を明け渡してしまったナポレオン軍の戦意は少ないと判断し、急に撤退したナポレオン軍の陣形の意図を読み取れなかった。

NHKの名将の采配では一切述べてないのだが、この地方特有の気象現象がある。
それは、朝方靄(モヤ)、霧かが掛かると言うことである。
その朝靄を利用して同盟軍は、夜明けと共にフランス軍南翼にブックスヘウデン軍の主力を投入。
ナポレオン軍は、残存兵力をこのモヤを利用してダヴー元帥(Louis N.Davout)軍を配置。
スルト元帥(Nicolas J.Sout)旗下・第四軍団のルグラン師団軍8,500、ダヴー元帥軍8,000。合計16,500で攻撃を食い止める。
朝9時までに同盟軍の約三分の一の兵力が投入され、更に多くの部隊がフランス軍陣地前を横切り南下。

実際、このフランス軍南翼が崩壊すれば、ブリュンへの背後連絡線が遮断されナポレオン軍は包囲される。
それで無理にでもフランス軍南翼を攻撃して、大量の軍隊を投入した理由が分かる。
ここで、ナポレオンが普通の名将であれば、スルト元帥の中央主力からフランス軍南翼へ兵力が逐次投入されて、フランス軍南翼の防衛にあたることになる。
結果、数に優る同盟軍に押されてフランス軍の壊滅。
正攻法で見れば、同盟軍の完全勝利である。

そこで、ナポレオンは同盟軍の主力がフランス軍南翼に投入されたのを見て、同盟軍の分断作戦を開始する。
ナポレオン軍中央、スルトの第四軍団17,500がプラッツエン高地を目指して、クトゥーゾフ隊16,000に突撃。
クトゥーゾフ隊は、プラッツエン高地を下りて反撃、同様にバグラチオン隊18,000、リヒテンシュタイン公ヨハン4,500の騎兵隊が、街道側よりそれぞれランヌ元帥の第五軍団13,000、ミュラ元帥の騎兵隊5,500を攻撃。

午前十時ごろ、スルトはプラッツエン高地を占領。
高地奪還のために同盟軍は、コンスタンティン・パーヴロヴィッチ大公旗下ロシア近衛兵8,500を投入。
フランス軍は、スルト軍団に続行していたベルナドット(Jean Baptise J.Bernadotte)元帥旗下第一軍団10,000などが遮断。そのまま同盟軍の間隙から真東に攻撃して、バグラチオン隊を包囲攻撃。
ブリュン~オルミュッツ街道に展開していたランヌ軍団は、進んで同盟軍の退路を遮断。

午後1時すぎ連合軍中央と右翼は退却を開始する。
フランス軍南翼を攻撃していた左翼のブックスヘウデン軍は取り残され形となり孤立。
既に残存同盟軍を撃破したフランス軍と、プラッツエン高地からの砲撃によりブックスヘウデン軍は降伏。一部は氷ったテルニッツ湖から脱出しようとし、数多くのロシア兵が、フランス軍の砲撃で氷を割られ数多く溺死。

孫子の兵法に「山の上に陣を置いてはいけない」「陣は山を背にして敷け」と言うのがあったかどうかよく覚えていない。
只、三国志で諸葛孔明が馬謖に軍を任せる時、山の上に陣を置いてはいけないと厳命したのにもかかわらず陣を置いて全滅したということがあった。
何故なら、山の上に陣を敷いても戦う時には山を下りなければならず、不利だと言うのかも知れない。

いずれせよ、アウステルリッツ(Austerlitz)の三帝会戦では、ナポレオン軍がある程度戦意を喪失しているという前提の元になされている上に、実際ナポレオン軍は先制攻撃を控えている。

アウステルリッツの三帝会戦というのは、心理作戦を導入した近代戦だったと言う事だ。NHKの名将の采配では、ここまで読み取れなかった気がする。

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2009年7月25日 (土)

東京都美術館としばしのお別れ・毎日書道展

東京都美術館としばしのお別れ・毎日書道展

2009/07/17・第61回毎日書道展の都美での展示は撤去作業終了で終わった。
来年度から2年間東京都美術館は改装になってお休みだから、毎日書道展は暫し都美陳列とはお別れである。
今年度の毎日書道展は、陳列の効率化と今流行の経費削減から書団のお手伝いの人をほとんど用いずにベテランの委員で陳列作業を行った。
その効果はてきめんで、細かい指示をせずとも作業は劇的に進む。
逆に言うと、今度は作業が進みすぎて陳列の業者の方が間に合わない次第になる。
都美では、業者も長年の経験からそれなり準備をしているのだが、国立新美術館では見ているところによると毎年微妙に改良されて陳列方法が違う気がする。
国立新美術館が出来てからの毎日書道展の陳列というのは、陳列作業のトップを走っている最先端のものだろうと思う。
今後改装されたり、新しくできたりする美術館は国立新美術館と同じ形式の展示方法を踏襲する可能性があるから尚更である。
名票を貼るコマンドタブは、昨年の国立新美術館展示2回目から。
今年も同じコマンドタブを用いたが、地方展では初回の「ひっつき虫」が価格も安く便利で多用している。

いずれにせよ、陳列委員の大活躍で都美陳列が終了した訳だが、毎日書道会事務局から「お疲れさん」と言う事で撤去日に簡単な宴会を催してくれた。


毎日書道会より

都美のレストランは上野精養軒だから、結構美味で色々と堪能したいところなのだが、不思議と食べられないものでみすみす手を付けないものも沢山あった。


陳列部長の辻元大雲先生から乾杯の挨拶。

その上、宴会が遅れて始まったために列車の時間を見越して、早々と退出してしまったのは何やらもったいなかった気がしないでもない。

そう言えば、昨年と今年最後の「アイス」が出てくるまで残っていなかった。

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2009年7月24日 (金)

秋葉原・散策 その3様変わりの秋葉

秋葉原・散策 その3 

様変わりの秋葉


秋葉原は、ダイビル、UDXなどが出来て大きく変わったのは何年か前の感じのだが、あの事件以降規制が厳しくなって秋葉原駅前などには、チラシ配り一人見あたらない。

特に、あの雑踏を象徴する秋葉原デパートか潰れて、建設中だと駅南に出でゆく気もしない。
秋葉ヨドバシなどは、何時も通りなのだがよくよく見るとバスタクシー乗り場横にセブンイレブンがあったりする。



中央通りの方と言えば、建設中だった「ベルサール秋葉原」(住友不動産秋葉原ビル)という建物が出来て又大きく変わってしまった。
「ベルサール秋葉原」というのは、「神田明神通り」と「中央通り」の交差するソフマップの向かい。
なんと「ニッピン」の向かいで「ニッピン」の看板がよく見える。

30年も前に、この「ニッピン」にK2の244というスキーを買いに来たとき、何もなくて寂しい事務所・倉庫街だった。

そして、ここの西裏通りは、以前海賊版ソフト売りの中国人学生が昨年まで、立っていたと思った。そのほか妙な露天商などもあった。
こういう何か危ない人達がいなくなったのは、見通しが良すぎて何やら落ち着かない感じがするからかも知れない。

ラオックスが潰れてその隣は駐車場になり、小さな店が無くなって、秋葉原がどのように広がったのか良く分からない。

例の「あきばお~」にまで引き返してくると、何時も「中国語の歌」が「おかえりなさい」にかき消されている理由が良く分かった。
引いてみたら、二階が「メイド喫茶・アニメーションスタジオ」関連だった。


平日でも2人程度のメイド姿の女性が看板を持ったり、チラシを配っている感じだったが、休日ともなると大部派手な事をし始めているようだ。
そして、何か目立つのはカップルだったり、女性の姿。こう言うのは余り秋葉には似つかわしくない。

もっとも、20日の秋葉原UDXの西通路ではフリーマーケットが開かれていた。
何か思うのは、秋葉原は電気街から普通の繁華街へ変わってきているのかという感じではある。
そして、何か足りないと思うのは、秋葉ヨドバシ並のヤマダ電気の店舗かもしれない。
なぜなら、秋葉ヨドバシというのは、ヤマダ電機ほど飲料が安くないからかも。

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2009年7月23日 (木)

伊呂波書の会創立20周年記念事業書作展

みちのくの書人達・書作展

伊呂波書の会創立20周年記念事業書作展という「みちのくの書人達」という書展が開催されている。
アートサロン毎日・平成21年7月20日~26日

みちのくの書人達は、「伊呂波書の会」東京展と言うのかも知れない。図録に恩地先生が「東京展」と書かれていた。
「二十周年を迎えて」のところに会長である坂本素雪先生の言葉がある。



それは「
伊呂波書の会」の成り立ちに関することで、この書作展が理解できるというものだろう。
その部分の全文を抜き出してみると‥‥
「‥‥前略‥‥諸会派の垣根を乗り越えた研究会にし、既成概念の払拭、幅広い作風と筆法の習得など、勉強会も回を重ねて二十年が経過した。苦しみと喜びは計り知れないが、この世界に身を置いたことに生きがいを感じている。
『書は芸術であるか』‥・伊呂波書の会の研究テーマであり、指針でもある。‥‥後略‥‥」

こういう成り立ちであるために、作品は漢字、かな、大字書、現代詩文書、前衛書など多彩である。
しかも、メンバーは坂本先生を代表として・青森県から16名、岩手県から4名、宮城県から6名、神奈川から1名総勢、27名の出品であった。

小生がお伺いしたのが、初日20日のお昼過ぎ。
写真で見るように大盛況で実際作品に近づけなかった様なこともあった。

尚、出品者は、
(青森)
坂本素雪、矢越郁也、菊池千喜、寺尾蓬雪、宮本紅雪、川村祥香、布施瑞弘、浅利祥紫、古谷天岳、木村素風、工藤永翠、井戸向溪雪、銭谷雪蘭、須藤明美、市川紫泉、田澤館楓
(岩手)
小原華杏、橋本祥汀、及川祥空、熊谷祥仙
(宮城)
菊池杏仙、武山櫻子、岩崎陽光、佐々木一峰、鈴木英晴、山田翠香
(神奈川)
善波美香
以上の出品者で29点。
ちなみに、工藤永翠先生は、今年の第61回毎日書道展・会員賞受賞者。


坂本先生の書作。

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龍龍会書展

龍龍会書展

その後日談
龍龍会書展では、非常に力の入った大きな作品で驚いたのだが、その理由を20日に石川昇玉先生から聞いた。
それは、稲村龍谷先生が全員に2×8(60cm*240cm)サイズの印を彫ると言われたからだと言う。

小生などは、最近印が小さくなって4分・12mm程度になっているが、2×8用だとかなり大きい。
逆に言えば、印の大きさに合わせて作品が出来たという案配らしい。
それで何故か「力」の入った展覧会になってしまったとか。
又、駒崎先生の「印」は作品に合わせて稲村先生の印を鈴印したとのこと。
それにしても、朱文、白文を取り混ぜて種々彫りわけ、同一人物の作家の作品に思わせないのはサスガとの評判であった。

以下再掲しておく。
会長・中村雲龍先生、副会長・稲村龍谷先生。
この二人の先生の雅号から「龍龍会」と名付けたのだそうな。
正確には、「出品目録」として記載してある。転載してみると‥‥
昨年(2008)の8月、第60回記念毎日書道展の受賞者による第23回中国へ書の研修視察団・訪中旅行が企画されました。
会名については、団長および副団長の雅号に共通する『龍』により『龍龍会』と名付けました。
ここに、帰国の報告にかえて、帰国展を開催させていただきます。

展覧会は、団長および副団長他、会員賞参加者8、毎日賞参加者10、U23毎日賞1の21人、21点。
会員賞参加者・
池谷天外(独立)、石川昇玉(日書美)、大平邑峰(書芸院)、駒崎流芳(日書院)、鈴木大有(創玄)、野瀬雋水(芙桑)、前田龍雲(書芸院)、森桂山(創玄)
以下省略。
会場に着いたのは、春洋会書展からだったので午後4時をだいぶ過ぎた頃だったか。
真ん中の椅子に、稲村先生が座り、大平先生も見えた。
出品者の印は、稲村先生が全員に刻して鈴印したと聞いていたが、駒崎先生は「私のは自分のもの(稲村先生の作)を‥‥」と言っておられた。
そうすると、龍龍会書展の案内状の文字は、中村先生、印は稲村先生と言う事になろう。
そして、印は、「白文」だから、作品に鈴印してある印も見たところ「白文」が多かった。
会場には、女性もいて取りあえず何も感じなかったのだが、後日駒崎先生によると、大平先生の奥様も見えてましたとのこと。
全く気づかず、今になって思えば恐縮するところである。
夕方、17時が迫り会場にテーブルが搬入される。
レセプションが始まる。
呼ばれてもいない上に、タダ酒を飲むわけにも行くまい。
だいいち春洋会でもう腹は満腹状態。
ほうほうの体で、会場から地下鉄の駅に走り込んだ。考えてみれば結局写真一枚も撮らなかった。

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2009年7月22日 (水)

燦華展・下谷洋子・千葉蒼玄・秋吉久美子‥‥‥抄

燦華展が平成21年7月21日(火)から26日(日)まで開催されている。
東京・銀座・鳩居堂画廊4F
下谷洋子・千葉蒼玄・秋吉久美子



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みちのくの書人達・書作展・抄

伊呂波書の会創立20周年記念事業書作展という「みちのくの書人達」という書展が開催されている。
アートサロン毎日。
平成21年7月20日~26日

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2009年7月21日 (火)

毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会第61回展・抄

毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会第61回展・抄

毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会が今年も行われた。

詳細は、その内書くとしてこんな感じ。

二人目、漢字作品の完成。


篆刻による模範作成、完成までを説明。


刻字作成の手順などの実地。

前衛書の揮毫完成作。

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2009年7月18日 (土)

玉松会13人書展・ 龍龍会書展

玉松会13人書展

龍龍会書展

玉松(たままつ)会13人書展と龍龍会書展が2009/07/13~19まで開催されている。

玉松会13人書展は、銀座のロイヤルサロン(日産ギャラリー横のサッポロ銀座ビル6F)。
龍龍会書展は、竹橋のアートサロン毎日

玉松会13人書展

出品者は、石井明子、奥田瑞舟、加藤紅樹、黒川江偉子、小島孝予、山藤美知子、髙橋松延、田村澄子、中川春香、平川峰子、見越雪枝、安田啓子、和気しげ代の各先生。

夏の暑い時期、一瞬の清涼を感じる展覧会である。
‥‥とはいうものの、夏のこの時期には恒例となっている展覧会。

この展開も、夏が来たと思わせる様になった。13日の初日は、毎日書道展の表彰式の翌日。
遠方より又、種々の先生方が観覧されている。

石井先生と大阪の砂本先生が見えています。


村野先生と遠くに町田先生の後ろ姿が‥‥‥

龍龍会書展

会長・中村雲龍先生、副会長・稲村龍谷先生。
この二人の先生の雅号から「龍龍会」と名付けたのだそうな。
正確には、「出品目録」として記載してある。転載してみると‥‥
昨年(2008)の8月、第60回記念毎日書道展の受賞者による第23回中国へ書の研修視察団・訪中旅行が企画されました。
会名については、団長および副団長の雅号に共通する『龍』により『龍龍会』と名付けました。
ここに、帰国の報告にかえて、帰国展を開催させていただきます。

展覧会は、団長および副団長他、会員賞参加者8、毎日賞参加者10、U23毎日賞1の21人、21点。
会員賞参加者・
池谷天外(独立)、石川昇玉(日書美)、大平邑峰(書芸院)、駒崎流芳(日書院)、鈴木大有(創玄)、野瀬雋水(芙桑)、前田龍雲(書芸院)、森桂山(創玄)
以下省略。
会場に着いたのは、春洋会書展からだったので午後4時をだいぶ過ぎた頃だったか。
真ん中の椅子に、稲村先生が座り、大平先生も見えた。
出品者の印は、稲村先生が全員に刻して鈴印したと聞いていたが、駒崎先生は「私のは(稲村先生の作)自分のものを‥‥」と言っておられた。
そうすると、龍龍会書展の案内状の文字は、中村先生、印は稲村先生と言う事になろう。
そして、印は、「白文」だから、作品に鈴印してある印も見たところ「白文」が多かった。
会場には、女性もいて取りあえず何も感じなかったのだが、後日駒崎先生によると、大平先生の奥様も見えてましたとのこと。
全く気づかず、今になって思えば恐縮するところである。
夕方、17時が迫り会場にテーブルが搬入される。
レセプションが始まる。
呼ばれてもいない上に、タダ酒を飲むわけにも行くまい。
だいいち春洋会でもう腹は満腹状態。
ほうほうの体で、会場から地下鉄の駅に走り込んだ。考えてみれば結局写真一枚も撮らなかった。

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Firefox 3.5.1 でも WindowsXPでは起動で大差

Firefox 3.5では、  WindowsXPでは起動に時間が掛かり使い物にならないと書いた。
それがFirefox 3.5.1になったのだが、どうであろうか。
以前のデーターでは、

WinXP環境での起動
○AMD Athlon64 3000+ Winchester(Soltec SL-K8TPro-939デスクトップ)環境では、なんと起動に約2分(1分50秒)も掛かる。
ちなみに、
GoogleChromeは、約5秒。
Internet Explorer8.0は、約10秒
Sleipnir2.8.5は、約4秒
その他
Intel CoreDuoT2300(1.66GHz)‥東芝DynaBook AW6(2006年製)
約3分。
Mobile Intel Pentium M、【Dothn】 1600MHz(Dell Inspiron 6000・4年前のノート)
約1分
だった。

 

今度のFirefox 3.5.1でもう一度起動時間を計ってみた。
PCは、東芝DynaBook・Intel CoreDuoT2300(1.66GHz)。

○Firefox 3.5.1‥‥‥43秒(90秒・メモリーclearの時)←←3分より短縮。
○Google Chrome‥‥5秒
○Internet Explorer8.0は、約10秒
○Sleipnir2.8.5は、約15秒(30秒・MemoryClearの時)

但し、一旦起動させて終了後、再度起動させると2-3秒で起動するようになった。
起動は早くなったが、IE8並になるのはいつか。
まだまだ、相当起動が遅いFirefox 3.5.1だった。

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2009年7月17日 (金)

鈴木美潮のdonna 「『書道家らしくない』双雲さん」

鈴木美潮のdonna

「『書道家らしくない』双雲さん」

読売新聞2009/07/14夕刊掲載「鈴木美潮のdonna」というコラムがある。
鈴木美潮という読売新聞文化部のカリスマ記者氏は、どうも思い込みが激しい人物としてコラム「鈴木美潮のdonna」を散々やり玉に挙げたことがある。
「思い込みが激しい」とは何かと言えば、公平に物事をバランス良く書くのではなく、ほんの一部のことを以て全てとして書いてしまうところである。

以前「鈴木美潮のdonna」を批判したのは、
読売新聞2月6日版、鈴木美潮どんなdonna・「生みたい人が産めてない現状」に対して、
2007.2.13のエントリー
検証・鈴木美潮記者の「選択的夫婦別姓に寛容さを」

2007.2.7のエントリー
柳沢厚生労働相発言その後と少子化対策

この「生みたい人が産めてない現状」では、鈴木美潮記者は、
「内閣府が1月末に発表した世論調査によると、夫婦が別々の姓を名乗ることができる選択的夫婦別姓制度について、法改正容認派が前回調査から減少し、賛否がほぼ拮抗(きっこう)する結果が出たという。」
と述べるのだが、実はこれは嘘であった。
以前のエントリーの一部を再掲してみると。
実は、
1,選択的夫婦別姓制度・容認派‥‥36.6%‥‥‥鈴木記者
2,選択的夫婦別姓制度.積極・反対派‥35.0%
3,「夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきだが、結婚前の姓を通称として使えるよう法改正することはかまわない」条件‥‥反対派‥25.1%
即ち、選択的夫婦別姓制度反対派は‥‥‥60.1%である。

このように実は世論は、賛否が拮抗する関係ではない。
これを平成13年の調査で逆転したと宣伝して、国民を騙そうとしたのが法務省の官僚達である。
そしてその証拠は以下の調査。

平成13年調査では、
1,選択的夫婦別姓制度‥‥容認派‥‥‥42.1%
2.選択的夫婦別姓制度積極‥‥反対派‥29.9%
3,選択的夫婦別姓制度‥‥条件反対派‥23.0%
即ち、選択的夫婦別姓制度反対派は‥‥‥52.9%である。

平成8年調査
1.選択的夫婦別姓制度‥容認派‥32.5%
2.選択的夫婦別姓制度‥反対派‥39.8%
3.「夫婦は必ず同じ姓を名乗るべきだが、結婚前の姓を通称として使えるよう法改正することはかまわない」選択的夫婦別姓制度‥‥条件反対派‥‥‥‥‥22.5%
要するに夫婦別姓反対派は、62.3%である。

こんな風に、調べれば直ぐに分かることであるのに、何故か人の言うことをそのまま信じて記事のする。
どう考えても、「裏」を取らないのは新聞記者としては失格だろう。
そして、このエントリーは、読売新聞の「鈴木美潮のdonna」にトラックバックさせたのだが、最近見たら「意見」どころかトラックバックの出来ないようになっていた。

さて、今回の「書道家らしくない」双雲さん
この記事も実は大笑いなのである。
そして、鈴木美潮記者の例の「裏」を取らない、思い込みの記事に終始しているというのは救いようがない。
「CS放送日テレG+の『どれどれトーク』に、書道家の武田双雲さんに来ていただいた。」(放送は17日午後10時)ということに対しての感想である。
その感想を端的に表しているのが「『書道家らしくない』双雲さん」なのである。
そ れには、「とにかく、打ち合わせから、爆笑続き。書道家を志したきっかけから、インタビューに来る記者についてのエピソードまで、話が面白くて飽きない。 こちらも調子にのって、筆で文字を書いて変身する今年のヒーロー、『侍戦隊シンケンジャー』の話まで持ち出し、盛り上がってしまった。」
とあるのだが、武田双雲氏が『書道家らしくない』というのは、多分的確な判断だろう。何故なら、武田双雲氏は「書家」「書道家」ではなくて単なる書パフォーマーであるからだ。書は芸術だ、「本格の輝き」などと言ってる書作だけを評価するニヒルな書道家とは大違いだろう。
鈴木美潮記者は「多くのテレビ出演など、『従来の書道家らしくない』活動に批判も多いという。だが、多くの人に書の魅力を伝え、書で人を幸せにしたいと語る双雲さんにはそんな批判に負けず、頑張ってほしいと強く思った。」と書いている。

正直言って、読売書法会・読売書道展を抱える読売新聞の名前が泣くというものではないか。
文化部である以上読売書道展にも関わっているだろうが 、読売新聞新聞紙上を見てみると読売書法会・読売書道展の人達はないがしろにしている風がよく見える。
何故なら、そう言う公募展に出品もしていない書家として大した実績もない、武田双雲氏や紫舟氏が読売新聞上で題字を飾ったり、記事になっていたりする。
女性の紫舟氏に至っては、毎週金曜日の夕刊で文字と毎回同じ「印」を拝見する。
その印面たるや見るに堪えられないもので、毎日書道展・特別展示・篆刻家・松丸東魚の全貌の「本格の輝き」を見れば、その稚拙さと言うものは素人でも良く分かる。

武田双雲氏にしろ、紫舟氏にしろその文字を見ると、筆を強く押しつければ強い線が出ると勘違いしている。そして、その勘違いの筆法に抑揚がない。

鈴木美潮記者は、今国立新美術館で開催されている毎日書道展を見た事があるのだろうか。
見た事があれば、松丸東魚先生の作とまでは行かなくとも素人でさえ直ぐに分かる。

こんな稚拙な書道家を大読売新聞の紙面上に掲載して、「本格の輝き」の読売書道展の人達を登場させないというのは、読売新聞の記者は読売書道展の書家を軽んじているのではないかと推察できる。

実際、その兆候というのは読売書法会・読売書道展の文字が新聞紙面上に載るのは、その展覧会が行われている前後のほんの僅かな1-2回しかないことからも見て取れる。

こんなことなら、いっそのこと読売書法会・読売書道展の「読売」の文字を下ろしてはどうか。

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2009年7月16日 (木)

2009夏・春洋会書展 「ことばとかたち」銀座・文藝春秋画廊 

2009夏・春洋会 書展

「ことばとかたち」
  2009/07/13~18まで

今年も、春洋会の「200X夏」の書展の時期が来た。
不思議なことに、この春洋会書展を見ると「夏だ」と感じるから不思議なものだ。
会場にお邪魔したのは、初日13日。

まだこの時には梅雨は明けていないとはいうものの、暑い夏の日差しが燦々と注いでいた。

何時も、毎日書道展の表彰式の翌日に絡んだ展覧会日程だから、全国から観覧者が多く見える。
特に初日は人をかき分け、かき分けという雰囲気である。

午後3時からのオープニングパーティーには、種々の人達が参集して大賑わいだった。

毎日書道会の寺田先生他、各種の書団体、出版社。
川崎白雲先生の縁故者、中国大使館の関係者、そして、元駐アイルランド大使で恩地先生の教え子でもあるという林景一・内閣府官房副長官補など多彩な出席者。

香川倫子先生の挨拶の後、大阪よりの小伏竹村先生の乾杯で宴会に。
そして、恩地先生が、林景一元駐アイルランド大使が書いた
「アイルランドを知れば日本がわかる」(角川ONEテーマ21)
を紹介した。

この林景一元駐アイルランド大使のお陰で、書道芸術院創立60周年記念のアイルランド展がなされ、大成功のうちに終わったことは恩地先生、林先生が述べたとおり。
そして、ここに集まった全員に本を差し上げようと思ったが集まらなかったので、と言うものの30-40冊の本を配った。
小生は、運良く前の方に居たために頂けて感激している。
尚、楽天ブックスの書評では高い評価を得ている。
是非購読されたい。

4時には、竹橋のアートサロン毎日で行われている「龍龍会書展」のためにやむなく退出。
駒崎先生と約束した時間に間に合わせた。

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2009年7月15日 (水)

「真田昌幸“懐の深さ”が勝利のカギ」 名将の采配・第4回

NHK・名将の采配・第4回

「真田昌幸“懐の深さ”が勝利のカギ」

2009/07/15放送・

以前テレビ批評で話題になっていた「名将の采配」と言うものを何とか忘れずに見てみた。ゲストは、清水圭、高橋和。
高橋和とは、良く分からなかったのだが将棋番組にNHKお気に入りの解説者として出ていた「女流棋士タレント」と思い出すくらい。
最初はアシスタントの単なる元「お天気お姉さん」かと思った感がある。
しかし、今回はこの一見ノーテンキな無知を装ったゲスト、清水圭、 高橋和が「名将の采配」の番組をぶち壊した感がある。
何と言って、初めから真田昌幸なんて知らぬと「ドッ白け」なのである。
清水圭は、その上無理に何やら台本通り忠実に馬鹿を演じてるように見える。
そして、城攻めの家康方・鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉は兵約7,000。真田方は兵約1,200人‥‥‥フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。
‥‥と放送で真田方と徳川方の兵力の差を聞かれるのだが、高橋和に至っては、兵力差を将棋の駒の差で言うバカバカしさ。
少なくとも、戦力は兵力の比の二乗に比例するくらい言えなかったものか。
だから、平地で対戦した時の戦力差は1対10~34倍になる。
しかし、城攻めの場合は3倍ないし4倍の兵力が必要と言われているから、7,000でも実は充分ではない。
何故なら、戸石城の信幸、矢沢城の昌幸の従兄弟矢沢頼康の出撃も許してしまうからである。
但し、NHKの筋書きでは、真田信幸、幸村が斥候隊兵300となって、徳川方を城に誘い込む事になっている。

そして、その何も知らないはずの清水圭、高橋和が不思議なことに、名将真田昌幸の策をことごとく見抜いて行く。
そして、今流行の「バカタレント」宜しく、ハイタッチだ。
これは、NHKが筋書きを書いた「馬鹿タレント」風の味付けに違いないが、何か視聴者を馬鹿にしているのではないかと思えてくる。
それだけでなく、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で見る、この「第一次上田合戦」・神川合戦の模様は、NHKの城攻めの状況と微妙に違う。
はっきり言えば、徳川方の攻め手が甘すぎる。
NHKの城攻めだと、名将と謳われる徳川家康の旗本衆の「鳥居元忠、大久保忠世、平岩親吉」の立場がない。
名将を破ったのだから、真田昌幸は希有な名将・策士と謳われたのであって、NHKの説明だと城攻めの家康方が間抜けとしか見えない。
それにしても毎回清水圭、高橋和のノーテンキな無知に付き合わされなくて良かった。
そして、日本人は、平和呆けで如何に軍事音痴になってしまったのかつくづく思わせるものがある。
次回のNapoleonの「アウステルリッツの戦い」をどう説明するのか見物である。

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2009年7月14日 (火)

展覧会が熱い

12日より、毎日書道展、玉松会、春洋会、龍龍会などの展覧会を観覧してきた。
この3日間、梅雨明けしたかのような東京。
東京も熱かったが、展覧会の熱気も熱かった。

12日の東京都美術館での毎日展陳列では、目の回るような忙しさと足の裏が「ぱんぱん」に腫れる痛さ。
帰ってみれば、17,000歩。


12日、東京都美術館陳列替え・全体集会・空席が目立つほど人数が少ない陳列委員。

13日の国立新美術館では、都美での疲労がたたって良い作品も見ていられないつらさ。
それでも、六本木、銀座、竹橋と精力的に廻り、14,000歩。


14日 新美術館陳列替え・まだ仕事前で笑顔の余裕がある。

14日新美術館陳列替えを終わって帰ってみれば、12,000歩。
やはり都美の陳列が大変だったと言う印象か。


14日、陳列替え終盤・業者の陳列作業を待つ。

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2009年7月12日 (日)

前橋七夕祭りと昔今の「片原饅頭」

7月9日より前橋市の三大祭りの一つ「前橋七夕祭り」が始まった。
前橋の三大祭りとは、1月9日の「初市・だるまの市」。
7月の「七夕祭り」、10月の前橋祭りである。

この三大祭りのうちいつも雨にたたられて散々だったのが、この七夕。それは、まだ梅雨明け目前だから仕方がないと言うものの、梅雨の晴れ間というものもある。
そして、この七夕に続いて、実は8月に花火大会がある。
それがどういう事か、ここ5-6年七夕祭りに雨が降られたことがない。前日雨にたたられても、当時になると小雨になり薄日が差したりする。
丁度今の高木市長に代わってから、偶然に雨に降られていない感じた。同じく不思議なことに花火大会で夕立に逢うこともない。

2009/07/11は、何やら薄日が差す日和で、大勢の人が出た。
いつものシャツター通りが人混みで埋まる。これだけ人が出れば、商店の人も張り合いがある感じはする。
最近出来ている○○モールというのは、本来こういうアーケード街の筈なのだが。

今日は、小中学生も部活帰りで、浴衣姿は少ないが明日の日曜日はたくさん出るだろう。

アーケード街から外れて振り返ると、前橋に初めて出来たデパートの荒れた姿が目に入る。
3階建ての1-2階までに、初めてエスカレーターが出来たと子供の時に記憶する。
当時のデパート名は「アサヤ」といった。
その後、貸しビルになっているが裏から見るとみすぼらしくなっている。

裏通りをぐるりと廻ってみると、右側の近代的な再開発ビルと左側の昔ながらの建物が並ぶ。
正面のコンクリート作りの建物は、洒落た本屋だった。丁度神田(東京)の古本屋街の一画にあるような。
それがある時潰れてしまった。
その後何になったのか忘れたが、凡そ20年も前のことだったかも知れない。
それから、今までのように空き家になっている感じがある。

交差点に来ると、「片原饅頭」というかっては「前橋名物」の酒まんじゅう屋の姿がある。
「片原まんじゅう」というのは、昔手のひら大の大きな饅頭で、薄皮饅頭。
一見タダの「酒まんじゅう」の様だが、中のあんこが透けて見えた。そして、そのあんこが多く美味しかった。
その後二回りも小さくなったが、「薄皮饅頭」だけは変わらなかった。
それが何時の頃からか、薄皮饅頭ではなくなって単なる「あんこが多い」酢饅頭になり、後継者がいなくなって閉店した。
長男は小生と前高同期、東大へ進学して大学教授になった人物。
よく知っていたけど、甘い物を食べなくなった時代の趨勢というのは仕方がない。
実は、店が閉店する頃に「片原饅頭」に弟子入りして「ノウハウ」を全て学んだ人が、「酒饅頭屋」を起こしてその味を残している。
もらって食べた見たら、閉店間近の「片原饅頭」の味がした。

この片原饅頭というのは、今でも「和菓子」を製造している会社が元々譲ったという。(正確には覚えていない)
そして、片原饅頭には本店というのがあった。
今では有料駐車場になっているところの国道17号沿いにあって、同じ「酒饅頭」を売っていたのだが、それは「薄皮饅頭」ではなかった。
その昔、「片原饅頭」を買うには予約して、その時間に行かないと買えないという大人気だった。
それで急に買って行こうとすると間に合わないから、その本店の方で買ったことがある。
記憶では、値段は同じか少し高く、坂下の「片原饅頭」に遠く及ばなかった、只の「酒饅頭」だった。

片原饅頭の変遷を考えてみると、大判の酒饅頭が中型になった頃だったかも知れない。
それは、作っていた職人が止めて大判の酒饅頭が作れなくなったのかどうかは知らないが、兎に角職人が変わった。
次に、もう一度小さくなった時は、「薄皮饅頭」ではなくなっていた。
その薄皮饅頭というのは、皮の上下はオブラートを重ねたように薄く、黒いあんこが見えたもの。時として、その皮が破れてあんこが見えていたものもあった。
その技術というものが継承されなかったのは、聞くところによると店の主人は職人でなく、女将さんは「売り子」だったことだ。
やはり伝統技術というものは、家族で守らないと継承されない。

もし、家族が職人であったなら、今でもあんこが見える薄皮饅頭として「片原饅頭」は前橋名物として食べられたかも知れない。
人を雇って事業を行うというのが、いかに難しいかと言う事だろう。
小さな会社というものは、そこで使う免許、資格というものは全て社長が持っていて成り立つ。
免許を持っている人を雇って事業をやるなど、今ではあり得ないだろうが昔は多かった。

そして、その当時大人気で冠婚葬祭の引き物としてもてはやされたのが、アーケード街の入り口の煎餅屋・萬栄堂だった。不思議なことに、亡き父の同級生だった。
有名だったのは、「瓦煎餅の三山煎餅」。
三山は、赤城、榛名、妙義の山の絵が刻印してあった。

その店も、アーケード街から出で国道に店を構え、その後どうしたのか分からない。
街の変遷は何か残しておかないと薄れてしまう。事実、「片原饅頭」が二つあったことさえ誰も知らない。
最近は、無駄にも街の写真を撮っておくと結構記念になったりする。

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2009年7月11日 (土)

ヤマダ電機探訪・ノートブックバッグ(Lucerne)

今週のお買い物・ヤマダ電機探訪・

ノートブックバッグ(Lucerne)

「夏のボーナス特別ご優待セール」とは、ヤマダ電機より携帯電話に配信されるメールである。
もとより、今週は LABI1高崎1周年記念と称して大きな広告が入ってきた。
電気などの広告は、ビックカメラも先週に続きこの週末にも入ってきたのだが。
携帯電話のメルマガは、「7/10-7/16の期間中、ヤマダ電機店内にはご招待会員様だけの特別価格が満載!。
当社指定の家電小物・パソコンサプライ・オーディオサプライ小物も特別割引クーポンでさらにお得!」
と言うもので、ヤマダ電機の携帯Webサイトで特別割引きクーポンが表示される。
但し「ご招待会員特別価格は店頭にて表示してありませんので~」とかあって特別大物は店頭の隠し表示、家電小物に関しては携帯サイトの「特別割引対象商品」と言うのもの。
しかし、Webを探してというのも面倒というか単に一回りして別のものを買って来てしまった。
考えてみれば、以前封書でポイント会員に「特別割引対象商品」と言うのがあったのが携帯サイトに移動したようなものだと後で理解した。
携帯メールなら費用も掛からないし、Web接続料も持ち主負担だ。
ヤマダ電機LABI1高崎のパソコン関連小物のところを見てみると、カタログ落ちしたバッファロー RUF2-Sシリーズ高速USBメモリー1Gなどは今や500円。
それにしても、 LABI1高崎の地下のコンビニというか食料品スーパーの飲み物は安い。
アクエリアス2Lは136円だし、コカコーラ1.5Lは、149円の10%ポイント還元(20p)だった。
直ぐそばのビックカメラの広告に載っていた別の日の日替わり商品のマウス980円。

どこかで見た事があるものは、「バッファローコクヨサプライ【ビックカメラ・ベスト電器オリジナル】USB接続レーザーマウスBSMLU1SVBB」、以前買ったオーム電気の投げ売り品と同じだった。
ネットのビック特価では1,780円(税込)ネットポイント「10%」( 178P )サービス。

又、イトーヨーカドーでは、「超特価市」だか何か分からないが冬物を500円、700円とかで売っていた。
しかし、何処の倉庫からでできたものか、と言うような妙なものばかりで今更と思う。
そして、夏の撥水加工の背広は2着で15,000円だった。
夏物の背広というのは、痛まないから何年も前のがあるなと思うと中々買うと言う気になれない。実際、年を取ると背広なども着なくなった。

それで今度はネットでパソコンバックを探してみた。
パソコンバックと言うのは実は古いものを結構持っているのだが、昔の12インチ・14インチタイプが入るのがほとんどで、最近主流の液晶15.4型ワイドのパソコンが入るものをあまり持っていない。
丁度入るのが、以前ケンコーのアウトレットで買ったタムラックのパソコンバック。
これは、非常に丈夫に出来た製品だったが結構大きい。
そこで、手頃な大きさのものを探していたのだが、見つけたのは「Swiss・Travel・Product社製」のノートブックバッグ(Lucerne)と言うものだった。
これは、サンワサプライで専売しているような感じなのだが、「サンワサプライ」で売っているものは「イーサプライ」でも売っていてこちらの方が安い。
例えば
サンワサプライ・
ノートブックバッグ(Lucerne)【WEB限定商品】

販売価格7,980円  (税込)  送料込‥‥現在・ポイントアップ    10倍 790ポイント

イーサプライ・
スイスの伝統と誇りが生んだ【スイストラベル ノートブックバッグ(Lucerne)】
当店通常価格8,380円 (税込)価格6,480円 (税込) 送料込 残り4個です。
現在・全商品ポイント10倍。

そう言うことで、イーサプライの全商品ポイント10倍で買ってみた。

商品は、ヤマト運輸で大きな箱で直ぐに届いたのだが、写真で見るより実際はかなり小さい。
サイズ:外寸/400×340×135mm 、内寸/394×314×67mm
機能:ノートパソコン収納部(15インチワイドサイズまで対応・保護用クッション張)
とある。

心配になって、実際にDell  Inspiron 6000を詰め込んでみた。
入れると余裕で入るが、電源ケーブルははみ出す。
この電源などは何処に入れるかというと、マチが充分あるので詰め込める。

その他の小物はどうするのか何やら余裕がない気がしないでもない。

縦方向に多少余裕があるので、入れて見たところ。

電源ケーブルを入れて閉めたところ。

作りとしては、質感は6,480円 (税込)とは思えないの様な重厚な作りでしっかりしたもの。
製品自体は中国製だか、スイスの会社の製品だけあって割合と精密な感じがする。


赤いフタを開いてみると多少ごわごわしたしっかりとしたつくり。
携帯電話その他を収納できるところ。

赤いフタの部分の内側はビニールコートがしてあって防水になっている。

パソコンを出すと、何やら一泊旅行ぐらいならこれでもOKという感じ。
フタ側のマチはベリクロになっていて広げられる。
又、「雨からパソコンをまもる弱防水性や外部からの衝撃吸収性」とあるように、結構固いパットが周辺に入っている。

裏側の様子。
バッグ背面には、トロリーバッグと連結可能なキャリーサポーターを装備」とあって、最近のバックには共通なもの。但し、見たとおり広いので細いキャリーだと調子が悪そう。

思ったより小さく、質感の良いパソコンバックというのは中々少ないが、これは及第点だろう。

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2009年7月10日 (金)

故障していた・DELL Inspiron 6000 復活

故障していた・DELL Inspiron 6000 復活

デルケア- 4年保守のお陰で、液晶が壊れていたInspiron 6000が保証満了1か月を切るところで修理から戻ってきた。
佐川急便が取りに来た「引き取り修理」からカッキリ1週間。元通りどころか何やら性能アップで戻ってきた気がする。
修理は、「ビデオカード」と「パームレスト」交換。
元々の不具合は「液晶画面」が写らないという症状だから、予想通りそんなものだと思っていた。
  (それで想像するとグラフィックの「ATI Mobility Radeon X300 128MB」あたりかも知れない。なぜなら、液晶モニターは非接続になるし、IEの表示に横線が入っている様な妙なことがある。「パソコンの寿命と延長保証 その2」のエントリー)

只、「パームレストの開閉センサー破損」というのは知らなかった。
知り合いに聞いたら、この「パームレスト」は欠陥部品だったらしいと言う話。
お陰で、キーボードなどほとんどの部分が新品(??)になって戻ってきたと言う事だ。
キーボードなど下の分解写真を見ると余り関係ないように見える、実際交換したのかどうかは不明だがあまりに綺麗すぎるので新品のよう。

今まで、「536時間、起動回数523回」だったから今度戻って来たので毎日起動させて、様子を見ることにした。
HDDの故障ではないから、起動させたら修理以前の画面が出てきたのには驚いたものだ。
何故なら、こういう場面では「Windowsの再インストール」というのは常識と思っていたからで、メーカーだとリカバリーで大方戻ってくる。
しかし、HDDが原因でない時はそのままと言う事も多い。Motherboard 交換なら普通は、「Windowsの再インストール」。
設定は、デスクトップ画面が「初期設定」に、妙だなと思いながら久々見る超細密の解像度1920×1200。
ネットワークはそのまま繋がりどこを直したのかという感じではある。
解像度1920×1200ではさすが文字が小さすぎて使い物にならない。
最終的に1280×800に解像度を落としたが、以前の液晶(15.4インチTFT Dell UltraSharpTM WUXGA 液晶ディスプレイ)に比べニジミが少ない
そして、明るい。
よく見ると、今度の液晶は明るく正に「UltraSharp」で、古いタイプの液晶に比べて少し表面がギラギラする感じがある。
これでは、修理項目で液晶画面の交換とはなっていないが、どう見ても交換したとしか思えない。

良くなるというのは、良いことで多分不良品だったのかも知れない。
取りあえず起動してから、エージングの代わりにWindowsUpdateを繰り返して、OSの更新をしてみた。
交換部品は「ATI Mobility Radeon X300 128MB・M22」なのだが、以前の製品にはM22の表示はなかった。(記憶違いか?)

ここで、「HWiNFO32 Version 3.00-305」というソフトを使って、データーを調べてみた。「Motherboard ---------------------------------------------------------------
[Computer]
  Computer Brand Name:                  Dell System Inspiron 6000
[Motherboard]
  Motherboard Model:                     DELL 0X9238
  Motherboard Chipset:                    Intel 915PM (Alviso-PM) + ICH6-M
  Motherboard Slots:                      1xPCI Express x16
「ATI MOBILITY RADEON X300 [DELL] -------------------------------------------
[General Information]
  Original Device Name:                   ATI Mobility Radeon X300 (M22)
  Device Class:                           VGA Compatible Adapter
  Bus Number:                             1
On Board Device -----------------------------------------------------------
  Device Description:                     ATI MOBILITY Radeon X300      
  Device Type:                            Video Adapter
On Board Device -----------------------------------------------------------
これから見ると、ATI MOBILITY Radeon X300というのはOn Board Deviceと言う事になっている。
早い話、マザーボートにonチップで乗っている。
それで、以前のデーターからみると、Motherboard ModelがDMIとしてか出なかったものがDELL 0X9238になった。
だからか、他の無線ランと接続する時新たにIDを入れてやらなければならなかった。

この様に、二つの部品の交換と表示されているもののVideo Adapterの交換に付随してMotherboard の交換、液晶モニターの交換までなされている感じである。
いつも、修理というのは実際どこまで修理しているのかというのは中々分からない。
それはカメラの場合と同じで、昔銀塩カメラのビックミニ(コニカ BiG mini)が故障した時、「重修理」と言いながら交換部品なしだった。実は、中身を総取り替えという感じだった。

これで、又Inspiron 6000もしばらく使える。
しかも今まで以上に快適となると、何やら儲かったという印象と買った時の部品が悪すぎたと思う。
以前、買って液晶が暗くてがっかりした印象は解消された感がある。
あの液晶だと、少し明るいところだとほとんど見えないものだったからだ。
だから「15.4インチTFT Dell UltraSharpTM WUXGA 液晶ディスプレイ」とはなんだったのか、正に不良品だったと言う感がぬぐえない。

日経トレンディのWebにこんな記事があった。
2005年03月01日
Sonoma対応のお買い得ノート「Inspiron 6000」 その説明は以下の通り。

「液晶は、解像度が1280×800、1680×1050、1920×1200の3種類から選べる。1つ上の解像度へはそれぞれプラス5250円でアップグ レードできる。今回試用した1920×1200の液晶は、発色は悪くなく、暗部で黒つぶれするような感じはなかった。パームレストは広さタップリで、キー タッチは若干固めだ。」

別のところにはこんな記事がある。
「◆ 液晶の質 ツルピカタイプではありませんが、ドット欠けもなく明るさ精度発色共に十分で、VAIO Z505を隣に並べてしまうのが可愛そうなほどです。WSXGA+の解像度はメインのデスクトップのUXGAにも負けず劣らず快適です。
試しにアスベクト比を固定して1280x1024を表示してみたところ、思ったよりピンぼけは少ないように感じました。ムービーやDVDの再生も不快に感じるほど反応が遅いと言うことはなく、ゲーム中も応答速度が気になることもありません。」
その他、分解したものにはこんなもの。

これから見ると今度の修理で正常に戻ったわけだ。
今から思えば、「天板の色を変更できるカラーキット」を外して点検すべきだった。
なぜなら、カラーキットの下の天板にキズか付いていた。
これを元に、液晶交換を申し出たら壊れなかったかも知れない。
なぜなら、「ATI Mobility Radeon X300」が壊れたのも液晶が原因と言うこともあるからである。

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2009年7月 9日 (木)

秋葉原・散策  その2

秋葉原・散策  その2

秋葉原という街は、あっという間に変貌するのだが、今や電気街、電送パーツの街という感じはない。
特に、大型ビルが出来ると空白というか妙な空間が生まれ、秋葉原特有のごみごみした雰囲気が消える。
新宿都庁周辺の様な人工都市では、何やら落ち着かないというのは人間心理だろう。
いわゆる電気製品というものは、ある種の専門店も成立している、しかし、総合電気販売は、今やあの「ヨドバシ秋葉」に譲った感がある。
一般的な電気製品は、ヨドバシなら豊富にあるし知識を持たずにでも多少安心感がある。但し、ネットで安い価格の相場を見てしまうと別世界と思えることもあるし、時としてネット価格よりも安い製品に当たったりするから不思議な世界。
他方、秋葉原本来の小さな店というのは、専門店化してその入り口店頭に、マウスやキーボードなど、型遅れ品や販売しているメーカー名など見た事も聞いたこともない製品が並ぶ。知らないメーカーなのに何故か日本語表示だったりして。
中には、日本のメーカー品のOEMの元だったりすることもある。
それにしても、最近はそんな店に「若い女性」が何か買いに来ていたりして妙なものだ。

最近のパソコンのみならず技術変化の波は速くて、店頭の数百円のマウスを買って来ても快適に使えるとは限らない世界になった。
「あきばぉ~」などで見ていたらDVD-R4.7GB50枚のスピンドルを6~700円で買っていた人を見た。
一枚あたり12~14円と言うところなのだが一枚30円出せばThat's太陽誘電のアクアホワイト・ワイドプリンタブル。
約34円出せば録画用 DVD-R・CPRM対応。
約36円出せば データ用DVD-R4.7GB光沢・耐水ワイドプリンタブル50枚スピンドル。
大した値段の相違がないのなら信頼すべき生DVD-Rを買うと言うのが常識なのだが、未だに安さだけでと言う人もいる。
しかし、ヤマダ電機でこの春に三菱化学メディアのHAPPYシリーズ(DHR47JP50H3 (DVD-R 16倍速 50枚組) )というスピンドルのものを買った。
これは、安かったから買ったのだが、秋葉だと1枚20円の口。
但し、レーベル面への印刷は、低価格の誘電製の「アクアホワイト・ワイドプリンタブル」に比べれば圧倒的に優れている。
実は、誘電の「アクアホワイト」は低価格製品特有と思われる様に品質が落ち、その特にレベル以下の「悪いもの」は本来白地に赤の印刷が、「白地に黄色」になっているから要注意だった。
ちなみに、不良品の現状はスピンドル50枚中、16倍速「アクアホワイト」の「白地に赤」はレーベル面に印刷漏れの穴があるものがあり、「白地に黄色」は書き込み停止したものがあった。

この、三菱化学メディアHAPPYシリーズ、パソコンで調べると「三菱化学メディア」ではなくて、アジアのどこか他社製品の記号が出る。
最近はインドでも作っているから本当にDVD-Rメディアの出所は分からない事がある。
多少ビクビクしながら使っていたら、50枚中半分を超える頃から多少エラーがで始め、三分の二を過ぎた頃から書き込みに入れないメディアが出だ。
以降最後の10数枚のうち、書き込めても読めないメディアが3枚に1枚。最後の10枚のところでは3枚に2枚だった。
正に、スピンドルの底の方に不良品を混ぜて価格を下げたとしか思えない製品。
やはりDVD-Rのメディアというものは、メーカーで選ぶべき。
多少の心配は防げるというものだろう。

さて、今頃の上京というのは何かと言えば、「毎日書道展」の陳列が始まったからである。今年も陳列部の委員なのである。
平成21年7月7日(火)は、東京都美術館と国立新美術館との同時陳列という離れ業の一日。
陳列の委員を大増員したそうだ。
いつもの通り、朝9時に東京都美術館講堂前に集合。



実は、上野駅に8時15分頃について都美北口で8時30分には待っていた。

今年の変化の兆候というものは、国立新美術館の入館証の一件だった。
昨年までは入館証を事前に送ってきたのだが、今年は誰にも送ってこなかったと異口同音。
シール貼りに参加した先生によると国立新美術館で貰ったよと入館証を見せてくれた。

以前は一斉に講堂に入ったのだが、今年は(陳列)「チーフ」の先生は先には言ってくださいと‥‥何やら事前説明でもあったようだ。
いずれにせよ、今年は東京都美術館と国立新美術館の陳列共に「チーフ」になっいないので気が楽である。特に国立新美術館の場合、かなり気を遣う。
東京都美術館講堂での打ち合わせでは各部の先生の紹介の後、陳列部長の辻元大雲先生が陳列手順と今年の陳列作業の変更点を説明した。
何か聞いていると、こんな「公募展覧会」でも経費節減の嵐が吹きまくっているようだ。



今日の陳列では「講堂の席に空席があるくらい少なくしています」という。
その上、例年陳列の後に行われていた「宴会」は今年はやらず、「お手伝い」の人には例年通りの記念品と「交通費」の一部を出すと言う。
又、各社中のお手伝いの人は大幅に削減して、7日の陳列と20日(?)にしか来ません。その他は、「増員した陳列委員でやって貰う」という。

陳列の後の宴会がないと言うと、早く帰れて良いと言う先生もいれば、一杯飲めないのが寂しいと言う先生もいる。
まあ確かに、散々汗をかいた後に口を潤すぐらいの水分は欲しいものだ。

しかし、陳列というものは毎年手順が微妙に変わったりして、又詳細の部分は忘れたりして色々ミスをしたりする。
こういうところのポイントは、全体会で担当役員の先生が説明しておかないと妙なところで失敗したりする。



うちの班というのは、チーフ他委員4名、お手伝い数名の陣容。
又二班に別れて、K.R先生とお手伝い2名で一部屋を担当。
K.R先生は、昨年は新美でチーフだったよなと思い出したりして。
それにしても副部長のN先生は遅れて未だ来ない。
良く見知ったN先生が身体の調子が悪くてと何やら登場したのが2~3部屋終わった頃か。

我々の部屋は、全棟調整と副部長が始めに「確定」を出したところなので、順調に進み、お昼の12時には1部屋分は完成。



普通だと、このお昼頃から業者が陳列し始め昼過ぎの2時頃には、過半の展示が終わりかける。ところが、今年は二カ所同時陳列だから業者も二手に分かれて陳列が進まない。
3時半になったところで2部屋取りあえず陳列が終わりかける状況だが、全体はいっこうに進まない。



都美は、5時には締まってしまうし4時半までには地下へ荷物を取りに行かなければならない。
要するに、取りあえずの陳列というのは4時過ぎまでと言う事になる。
「業者が、深夜にやるのだよ」とある先生が言っていたのだが、同時陳列というのは実にやっかいな仕事だった。

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2009年7月 7日 (火)

秋葉原・散策 その1

半年ぶりの秋葉原・散策

今日久しぶりに上京したので東京・秋葉原に寄ってみた。この前行ったのが今年の2月だった気がするのだが大して記憶がない。
それは何故かというと、あまり変化がなかった様に記憶するからである。
半年前までは駅前にメイド姿のチラシ配りなどが沢山いてと言う時だったが、その後は2-3人いる程度だった。
今日行ってみてあれと思ったのは、秋葉原駅の電気街口が又工事をしている。以前の南方向の出口・ラジオ会館側は通路になっていて、ダイビル側に出た。
タダ黙々と歩く人達の後ろを付いて、中央通りを横切り昔のヒロセ無線の横を抜けるとあの「あきばぉ~」。
いつもの通り雑然とした趣だが、「いらっしゃいませ」「お帰りなさいませ」メイド喫茶の常套句を黄色い声でスピーカーから流す。
その前には、結構美人のメイド服を着たお姉さんがチラシを配っていた。
店頭には、どこ製なのか分からないマウスが沢山。
ロジクール製だって2006年のロゴが入っていたりしていつ頃の性能のものか不明。
その昔は良くここでUSBメモリーを買ったのだが、最近はデーターをネット上のサーバー(InternetDISC)に保存するので大して必要なくなった。
16GBのUSBメモリーを買ってどうするのかいささか疑問なものだ。デジカメ写真を保存する??それなら安くなったHDDなら1TBで10,000円しない。
その他に買っていた物と言えば、DVD-Rのメディア。
ついこの前にはヤマダ電機の店頭と変わらなくなっていたのが、今日見たら「太陽誘電データ用 16倍速DVD-Rワイドプリンタブル50枚アクアホワイト」が1,487円程度だった。
でも「データ用 DVD-R 4.7GB 光沢・耐水ワイドプリンタブル50枚スピンドル
DR-47WKY50BN」が1,799円だったのは安かったよな。
このあきばお~を横左手に見て、富士電機の正面の路を西に入ってい行くと秋月電子がある。
しかし、角のラオックスは工事用のフェンスで囲まれて閉店。その西隣に沢山あった店はほとんどなくて広い時間貸し駐車場になっていた。
近年無線もやらなくなったから、秋月電子で何か買うと言うこともなくなった。
NicCd電池も今やエネループで間に合っているし、電子工作をしなければテスター、工具も要らない。
秋月電子を左手に、通り越してもう少し行ったところの角の「東映‥‥」最近はバーゲン品は店の外に、中はパーツ屋になったが店の配置が変わっていた。
最近はもそこそこ使うそうなマウスは1,280円位するなと見つつ、キーボーをみる。
パンタグラフ式で1,580円程度。(実はこの価格は一般的な価格だった。)
直進して国道17号へ出で、ぐるっと廻って元に戻る。
ラオックスの壁には「一太郎2007」の広告がある。こんな古くからダメだったのかな。
富士電機から来た道と交わる交差点で道北へ渡ると、昔キーボードを買った角の店がケーム屋になっていた。中にはメイド服の女性がいるが。
工事中だったビルが出来て、ニッピン横の路も何やら明るくなってしまった。
ニッピン横の路との交差点には、良く中国人の「海賊版ソフト」売りがいたものだか、今はメイト服のお姉さんがチラシ配り。
フリージア電気の液晶モニター専門店を通り過ぎ、そのままぐるりと廻ってみてもまた「あきばお~」が2軒あるだけでなのだが、皆似たようにものを、似たような価格で売っている。
帰りに、最初の「あきばお~」まで来たらメイド服のお姉さんが代わっていて、2人になり、一人の少しは見られる美人さんの方と外人さんを入れて写真を撮っていた。
もう一人のメイド服のお姉さんに写真を撮らせるという裏技は「金髪外人」がいるからだろう。
この手の写真というのは、最近煩くなっている様な気がするが、良く分からない昨今である。

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2009年7月 6日 (月)

ロジクールWireless Mouse M305 PC マウス考

今更ながら PC マウス考、ロジクール M305

最近何やらマウスを買い換えた。
よくマウスを買い換えるのは、古くなったからとか、解像度、光学マウスからレーザーマウスへの変換などの理由。
もう一つはノート型パソコン用のワイヤレスマウスが、幾らも使わないうちに壊れワイヤレスマウスが無くなったことなど。
考えてみれば、昔のトラックボール型から光学マウスに代わりレーザーマウス、Bluetooth® マウスと進歩している。
約10年前のトラックボール型時代というのは、ゴムのボールにゴミが付いて動かなくなるというトラブルがあった。
それが光学マウスが出てその心配が吹き飛んだのが何時だったのか。
多分2000年には出でいた。但し、そう言うものの初期版は4-5,000円もした。



その初期型を随分使ったのだが、この光学型が安くなるにつれてデザイン、機能面で買い換えて行くことが多くなった。
それがいつの間にか一斉に買い換える時期に来たのは、解像度・分解能が400dpiから600にそして、800dpiになったからである。
要するに、ノート型パソコンの標準が1,280×800になるにつれ最低でも800dpi~1,000dpiになった。
実際持っているものでは、800→1,200→1,600へ切り替えられるものもある。
実は、今でも使えている少し古いサイワサプライのGlanzHR(MA-G3BL)という製品は、400→600→800dpiと切り替えることが出来る。(使用感は最低だか)


印字が出来るマウス・未使用品


当然、800dpiで使っているのだが、800以上だと1,000で1,200でも1,600でも感覚的に大きく違わないというのは面白いものだ。
但し、広い画面では歴然とした差がある。


トラックボール式・エレコム製のパケージ品とゾロゾロ品。

事実最近のデスクトップでは24型ワイドの液晶モニターは、解像度 : 1920×1080(HD1080)で販売価格(税込)\25,360(アナログRGB / デジタルDVI-D(HDCP対応) / HDMI )で売っている。
こんなものなら、1,600dpiくらい入りそうである。

先日のエントリーでヤマダ電機のワゴンセール・無線マウス980円。
BUFFALO BLMU-WN/Sシリーズ、これが「27MHz無線接続‥約1m通信」「分解能800dpi」「レーザー式」「アルカリ単4×2本」と言う仕様。
エレコムの「M-DY1URシリーズ」あたりの製品。
これも「27MHz無線接続‥約1m通信」「分解能800dpi」で「光学式」と言うものがあった。
この手の「27MHz無線接続」ワイヤレスマウスというものは、余程のメーカー品でない限りほとんど使いものにならない。
こんなものを安さに釣られて買っても使えないと言うのは全く無駄である。
そして、BUFFALO、エレコム、サイワサプライ‥‥などパッケージ屋の製品などは実はどこで作られいているか分からない。
今はほとんど例外なくMade in Chinaであることは確かだが。
そして、分解能800dpiというのはいささか型遅れの製品である。

初期の無線式マウス

そんなこんなで、10年間で生き残っているマウスというものは数が少ない。
それで現在使っているマウスを書き並べてみた。
1,シグマA・P・Oシステム販売  Grig SLACDIBK (ブラック)(購入価格3,480円)
  検出方式1600/1200/800dpi 切替レーザー式センサー・有線
2、シグマA・P・Oシステム販売 FaVlio SLAFURO(廃盤品)(購入価格1,979円・秋葉)
    900dpi レーザー式センサー・5ボタン・有線
3、シグマA・P・Oシステム販売 Steelo SMBM(廃盤品)(購入価格?円)
  600dpi 光学式センサー・有線
4、サンワサプライ・GlanzHR(MA-G3BL)(廃盤品)
  800/600/400dpi 切替光学式センサー・有線
5、オーム電気 PC-SML181(購入価格500円・ベイシヤ)
    1600dpi レーザー式センサー・有線(廃盤品)
6、ロジクールWireless Mouse M305(購入価格2,420円)(送料込み)
    1000dpi 光学式センサー・2.4GHz帯ワイヤレス方式(2.4GHz ナノレシーバー)

このうちロジクールは、今年の春4月発売の新製品で価格コムで「売れ筋ランキング・ 注目ランキング・ 満足度ランキング」1位という三冠を獲得しているもの。
オーム電気のPC-SML181は、ベイシアで特価500円で投げ売りされていたもの。
サンワサプライの製品は、処分品を2台買って壊れなかった1台。
他のシグマA・P・Oシステム販売のものはヨドバシで買った1番以外バーゲン品、型遅れ品。
それでも丈夫だったり、何やら使い勝手が良くて今でも使っているもの。

色々調べると、マウスで使い勝手がよいものの第一は、ロジクール、マイクロソフトなのだそうな。
確かに、普通マウスの保証というのは6ヶ月なのだがロジクールのM305は3年。
サンワサプライのGLanz LSW(MA-LSW4DS)・分解能800dpiは、サンワサプライの通販で買った(読者様限定闇市セール)現行商品だったが、何もしないのに突然使えなくなった。
価格コムの掲示板を見ると2-3ヶ月で使えなくなったという書き込みが多い。
うちで使っている時は、たまにノートに繋いで使っていたもので、出先で使おうと思って取り出したら使えなかったという曰わく因縁のもの。
その時、シグマA・P・Oシステム販売  Grig SLACDIBKをヨドバシ電気秋葉で買って帰った記憶がある。
無線のものというのは、予備マウスが常に必要というものを感じだ時だった。



まあ、サンワサプライ製品というのは常に三流商品で、形だけはロジクールや、マイクロソフトのコピーに近いものがあるから要注意である。
昔は、その他エレコム、アーベル、ロアス、SONYなどを使ったことがあったが、今の新製品を見てみるとみんな同じように見えるというのは妙なものだ。
もっとも、昔のパソコンに同梱してあったNECのものと同じものが台湾製であったし、富士通と同じものもあった。
違うのはロゴに印字があるかないか。

今回は、サンワサプライのGLanz LSW(MA-LSW4DS)に代えて、2.4GHz帯ワイヤレス方式(2.4GHz ナノレシーバー)のものを購入しようと評判の高いロジクール製にした。



ここで、光学式とレーザー式の違いがあって、レーザー式の方が1,000円高く又 分解能800dpiという一世代前の仕様。
掲示板に寄れば、光学式とレーザー式もあまり変わらないという話で最新型のWireless Mouse M305にしてみた。

使い勝手は、光学式なのにレーザー式とあまり変わらない性能なのには驚いたものである。古い光学式だと専用のマウスパットがないとひくりとも動かなかったのに、最近のものは性能が良くなった。
重さは単三乾電池1個入れるために重いが、逆に軽すぎてぶれる心配がない。
クリック感、操作感といいやはり有名専用メーカーのものは違うと実感するものである。但し、シグマA・P・Oシステム販売のものもそこそこにた感じ。
シグマA・P・Oシステム販売の製品は、たまに投げ売りされているので狙い目ではある。

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2009年7月 4日 (土)

Firefox 3.5  WindowsXPでは使い物にならない

Firefox 3.5  WindowsXPでは使い物にならない

Firefox 3.5が米国時間6月30日にリリースしたので早速Firefox3.0から切り替えて導入してみた。
Firefox3.0 は、既にGoogle ChromeやInternet Explorer(IE)8.0、IE8のエンジンを使うSleipnir2.8.5に大幅に水を空けられるほどの相対的な低速になってしまったと最近感 じでいた。だから何やら遅く感じたFirefox3.0も3.5になって使い続けられるかと思ったのだが‥‥
なんと言っても最近検証してみると、GoogleChromeやInternet Explorer8.0、Sleipnir2.8.5、Firefox3.0の中では実はSleipnir2.8.5が一番高速であった。
それで、Firefox 3.5にバージョンアップしてどうかというところだったのだが、実はFirefox 3.5はほとんど使い物にならないほど起動が遅い事が分かった。
DynaBookを使っていたときは、Firefox 3.5が起動していないのではないかと何回もクリックしてしまったほどだ。
それで他の作業をしていると、やおら幾つもFirefox 3.5が起動して後味の悪いものになった。ノート型PCだからそうかと思ったら、Athlon64のデスクトップもPCがフリーズしたかと思うくらい遅い。
それで一応時間を計ってみると‥‥

WinXP環境での起動
○AMD Athlon64 3000+ Winchester(Soltec SL-K8TPro-939デスクトップ)環境では、なんと起動に約2分(1分50秒)も掛かる。
ちなみに、
GoogleChromeは、約5秒。
Internet Explorer8.0は、約10秒
Sleipnir2.8.5は、約4秒
その他
Intel CoreDuoT2300(1.66GHz)‥東芝DynaBook AW6(2006年製)
約3分。
Mobile Intel Pentium M、【Dothn】 1600MHz(Dell Inspiron 6000・4年前のノート)
約1分
だった。
その他、Windows Vista環境の(デスクトップ)では
Intel Core2Quad Q6600(2.40GHz・ASUS P5Q-E)では2-3秒という感じでストレスは感じない。
このデスクトップは、2008年製のかなり高速なものでネットゲームも可能なもの。
こんなもので起動が速いのは当たり前というものだろう。

それではと「起動するスピードを上げる」ソフトというものもあると言うが、「簡単に言えばFirefoxを常駐化させるソフトみたいなもの。」で中々使い勝手が良くないし、パソコン起動時では余り意味がない。

その上、DynaBookやInspiron 6000などでは起動してからも中々安定せず、全て完全に読み込むまで動作が緩慢なときがある。
デスクトップでは、そこまでの遅延はないがGoogleChromeやInternet Explorer8.0、Sleipnir2.8.5に比べて明らかにパフォーマンスが低い。
こんなものなら、IE8やSleipnir2.8.5を使っていた方が何倍も使いやすい。
結局、今までメインとして使っていたFirefoxをSleipnir2.8.5に切り替えると言う結末になった。
なんと言っても、起動に分単位掛かるのでは使い物にならない。

Intel CoreDuoT2300・1Gのメモリーを積んだDynaBookAW6がPentiumMで512Mbしかメモリーを積んでいないInspiron 6000に大幅に負けている。
PentiumMがパフォーマンスがよいのか、ATI Mobility Radeon X300 128MBというビデオカードを入れているからなのかは良く分からないところである。

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2009年7月 3日 (金)

D'Artagnan(ダルタニャン)物語「二十年後」の背景とあらすじ その3

D'Artagnan(ダルタニャン)物語

第2部 「二十年後」の背景とあらすじ その3

第1部の三銃士が終了して、20年後は「フロンド乱」が背景にあるのだが、多少補足しないと20年の狭間は埋められない。
そもそも三銃士に登場するルイ13世というのは、先王のアンリ4世が1810年に暗殺されるという事から始まっている。

 1610年5月フランス国王アンリ4世(アンリ・ド・ナヴァール)が暗殺され、8歳のルイ13世は、即座に高等法院の親裁座で母マリ・ド・メディシスを摂政にした。

注 ☆ 一説には、マリ・ド・メディシスが暗殺に絡んだと言われている。王妃の位を取得した直後であった。又、これには、マリ・ド・メディシスが嫁いでくる直前に暗殺されたアンリ4世の愛妾ガブリエル・デストレも絡んでいる。

 摂政マリ・ド・メディシスがフランスを主導することになって、寵臣として登場するのは侍女のレオノーラとアンクル元帥である。
 アンクル元帥は、王妃マリ・ド・メディシスが結婚の時に家臣団一員としてフランスに付いてきたコンチーノ・コンチーニという貴族である。
 侍女のレオノーラと結婚しその力を使って王妃から800万エキュを貢いでもらった。そしてピカルディーのアンクル侯爵領を買い三年後1613年には元帥まで昇進した。
 1614年、先王アンリ4世の集権化政策の反動から大貴族の不穏な動きが続き、このアンクル元帥などの寵臣政治に対する不満が引き金になって、王権は全国三部会の開催を余儀なくされた。
 その全国三部会・第一身分(聖職者)の代表として、リシュリュー司教(アルマン‥ジャン・デュ・プレシ・ド・リシュリュー・男爵)は登場し注目され、摂政マリ・ド・メディシスの側近となるのであった。
 そして1616年には国務卿・外交・戦争担当となった。
  1617年ルイ13世はクーデターを起こし、アンクル元帥コンチーニ(摂政マリ・ド・メディシスの愛人)を粛正(暗殺・衛兵隊長ヴィクトリ)し摂政マリ・ ド・メディシス一派を追放した。又パリでコンチーニの妻レオノーラ・ガリガイは魔女として処刑された。…レオノーラ・ガリガイは処刑する理由がなかったの で魔女とした。
 次に国王の寵臣・宰相(級)として権力を握るのはリュィーヌ公爵である。国王軍最高司令官にもなったが、軍人・政治家としては無能であった。
 時は、前世紀からの宗教戦争に続き、〈前王アンリ4世がプロテスタント(のちに改宗)であった〉ハプスブルグ家の覇権に抗していた勢力争いの時代である。
 1620年国王とマリ・ド・メディシスの和解(アンジュの和解)がなり、マリ・ド・メディシスを通してリシュリューは国政に参加している。
 しかし、同年ルイ13世のベアルン遠征によって宗教戦争が再燃する。
 ベアルンのプロテスタントを駆逐した後プロテスタント派の諸侯・諸都市と攻防を繰り返す中、当時蔓延していた熱病により司令官リュィーヌ公爵が死ぬ。(戦死)
 1622年リシュリューは枢機卿に就任。
 1624年宰相(国王の忠実な主席大臣)となった時、39歳。国王ルイ13世24歳。
そうして、実際の実権を握るのは1630年「裏切られた者たちの日」に勝利してマリ・ド・メディシスを追放してからである。
 さて、三銃士はこのリシュリューは枢機卿の40-43歳までの期間の話である。
 即ち1625年からラ・ロシェルのプロテスタント軍攻防戦が終わった1628年になる。

1635年ハプスブルク家に対抗して30年戦争にフランスは直接介入。
1648年ウェストファリア条約。
1659年ピレネー条約でフランスとスペインの戦争も終結。

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2009年7月 2日 (木)

D'Artagnan(ダルタニャン)物語あらすじ その2

D'Artagnan(ダルタニャン)物語

第2部 「二十年後」の背景とあらすじ その2

後にフロンド(Fronde)の乱と称されるフランス全土を、混乱の内戦状態になった出来事がある。
それは、リシュリュー枢機卿が亡くなり5ヶ月後、1643年5月フランス国王ルイ13世が亡くなる。そして、その後のフランスの権力闘争がフロンド(Fronde)の乱であると言える。

そもそもリシュリュー枢機卿は、スペインのスパイと思っていたアンヌ・ドートリッシュに気を許さず、アンヌ・ドートリッシュの追い落としを計っていた。
事実、王妃の側近シュヴルーズ公爵夫人は、スペインとのスパイ行為を見咎められて逃亡する始末。
そのために慧眼なリシュリュー枢機卿は、死後に於いても王妃アンヌ・ドートリッシュにフランスを任せない施策を考えていた。
その施策は、国王ルイ13世はその死を悟ったときに、王国総代官は弟のガストン・ドレルアンとした上で死後の複数摂政体制を宣言したことである。
しかも念の入った通り、複数摂政体制の宣言は高等法院(パルルマンParlement)の高官を王宮に呼び寄せ、王妃アンヌ・ドートリッシュと共に連署させたた上高等法院に登記させたのである。
わかりやすく言えば王妃アンヌ・ドートリッシュは摂政と言いながら摂政会議の1メンバーにすぎない事を宣言させてたのである。

しかし、リシュリュー枢機卿が自分の後釜にとイタリアから呼び寄せた小貴族出身のマザランを国王の死後に摂政の諮問会議メンバー即ち宰相にするときから、色々な問題が噴出してきたのである。
国王ルイ13世崩御後に実は、13世によって追放された人々が戻ってきた。
シュヴルーズ公爵夫人(摂政アンヌ・ドートリッシュの腹心)、マドマモアゼル・ド・オットフォール(ルイ13の元愛妾・摂政の友人)、ラ・ポルト(摂政の侍従)、セヌシー夫人(いずれもスベイン書簡事件の関係者)などである。
そして、マザランと摂政アンヌ・ドートリッシュはただならぬ関係になっていたという。

 パラチナ選帝候妃(当時美女として令名の高かったアンヌ・ド・ゴンザク)の「回想記」では「ついに結婚するところまでいってしまった」と述べている。
但し、マザラン枢機卿は神父・聖職者であり当然結婚出来る関係ではなかったのであるが、サント・オーレール伯爵の「マザラン伝」によれは、大衆世間一般は「摂政と枢機卿との正規な結婚よりも、むしろ両者の愛人関係にたいして、より寛容だった。」ということである。
 即ち「婚姻を秘密にしたのは、スキャンダルの無限な拡大を避けるという政治的な理由によったものである。」尚、晩年摂政は、ヴァンサン・ド・ポール神父(後に聖人に列せられた)とも密接な関係にあった。

その結果として、1643年5月14日国王が崩御すると王妃アンヌ・ドートリッシュはその翌日5月15日(18日という説もあり)高等法院に出向き、親臨法廷で王の遺言(宣言)を取り消しその絶対権力の自由裁量権を宣言したのである。
即ち事実上のクーデターである。
従って、このころのフランスはほとんど無政府状態であった。

しかし、権力を笠に着て金を貯め込んだリシュリュー枢機卿とその金庫番のマザランに対して世間の怨嗟の念は強かった。
その第一段階として・「高等法院」のフロンド(Fronde parlementaire)が起きる。

ここで三銃士の物語に戻ると‥‥

小説「三銃士」では、
1648年8月26日国務会議は、高等法院の有力メンバーの評定官(判事)ブルーセル(Pierre Boroussel・当時72歳・伯爵相当)を逮捕したことからフロンドの乱が始まる。
(本来なら王令により逮捕されることはない…)
………2日後に釈放されるが以後歴史上には登場しない。
そして、およそ5年(1648~53年)にわたる「フロンドの乱」は、この小説「三銃士」では第一段階の「高等法院のフロンド(Fronde Parlementaire)」で終わってしまっている。
その上に、パリ市民に国王の寝姿を見せる行(ぐたり)は第二段階の「貴族のフロンド(Fronde Princie're)」の時期に起きたことである。
この様にして小説では史実のつかみ取り状態になっている。

事実、フロンド乱というのは、多大な混乱状況で一口では言い表せない事が多い。
そして、以前述べたように一兵士に過ぎないダルタニャンは、物語の表舞台には登場しないのである。

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2009年7月 1日 (水)

D'Artagnan(ダルタニャン)物語「第2部二十年後」の背景とあらすじ その1

D'Artagnan(ダルタニャン)物語

第2部 「第2部二十年後」の背景とあらすじ その1

ダルタニャン物語第2部は、三銃士の事柄があってから20年後の話になる。
小説では、主人公ダルタニャンは、単なる一兵士「士官」にすぎず大きな活躍というものではない。

その第3巻は20年後であるから、1648年フロンドの乱が始まった頃の時点である。

物語は、今後の小説の中で登場する人物の説明で過半である。

フ ロンドの乱の背景説明から、ルイ13世が崩御した後の混乱。マザランの暗殺計画による結果、ボーフォール公の逮捕・投獄。シュヴルーズ公爵夫人、オート フォール夫人の追放。そしてロングビル公爵夫人(Longueville,Anne-Geneveve de Bourbon-Conde,Duchesse de)の愛人となっているデルブレー神父(アラミス)のこと。いろいろな出来事を大后、アラミスの言葉として繰り返し説明している。

物語の背景となるフロンドの乱の混乱は既にパリで起き始めており、パリの街を巡視するためにマゼランは当番の銃士隊「黒組」(黒馬の)の指揮官ダルタニアンに護衛を頼む。(2夜の巡視)
この巡視によってダルタニアンの軍人としての優秀さを認めたマザラン枢機卿は、三銃士が活躍した真相を探るためにローシュフォール伯爵をバスチーユ要塞(監獄)から召還する。
ローシュフォール伯爵はかってリシュリュー枢機卿の腹心だったからである。
召 還したローシュフォール伯爵に、マザラン枢機卿はリシュリュー枢機卿と同じ忠誠を求めた。しかし、ボーフォール公爵への忠誠を崩さなかったため再びバス チーユ監獄へ戻されることになった。そして戻される時パリの混乱を利用して逃走に成功する。(パリ市民・プランシェ・元ダルタニアンの従僕の助力)
一方近づくフロンドの乱の混乱に備えて、ダルタニアンはマザラン枢機卿から昔の三銃士をも昔のように腹心の部下になるように要請され、旧友を訪ねる旅に出る。

旧友三銃士を捜しあぐねたダルタニアンは、偶然出会ったプランシェの情報からバザン(アラミスの従者)を探り当て、ノワジー・ル・ロワの村へ向かう。
そこでマルシャック公爵(後のラ・ロシュフーコー公爵・ロングビル公爵夫人の愛人・歴史上の)の刺客に追われているデルブレー神父に出会うことになる。
しかもアラミスは5歳も年齢を誤魔化して、当時の社交界で一二を争うといわれる絶世の美女・ロングビル公爵夫人の愛人になっていたのを見いだした。
アラミスはレス大司教補派即ちフロンド派であった。このため勧誘を諦め、ポルトスの元へと向かった。(10デルブレー神父)

ロングビル公爵夫人の容貌・人物について、小説では
「… ロングヴィル夫人という名前を聞けば、考え込まざるを得ない。王国きっての名門の出だし、宮廷でも1.2を争う美人。好きでもない老人のロングヴィル公爵 と結婚したが、まず最初にコリニーとの仲が怪しいという噂が立てられた。そのコリニーは、夫人のことからギュイーズ公といざこざを起こし、新王宮前の広場 で決闘して一命を失った。それから、弟のコンデ公と姉弟以上に親しすぎるとかいう評判もたてられて、気の小さい宮廷人たちの眉をひそめさせた。それからま た、こんな噂もあった。あんなに仲のよかった姉弟が、いまでは互いに心の底から憎しみあうようになり、ロングヴィル夫人は、ラ・ロシュフーコー老公爵の長 男マルシャック公と気脈を通じ、老公爵と自分の弟コンデ公と仲たがいさせようとしている、と取り沙汰されていた。」
「……ダルタニアンはロングヴィル夫人の大きな青い目、金色の髪、品のよい顔立ちをはっきりと見とどけることができた………」

さて、ポルトスは持参金付きの大金持ちの未亡人と結婚したが、その未亡人に先立たれ大金持ちになったものの名誉・男爵位が欲しくてたまらない。そこでそれを餌にダルタニアンは仲間に引き入れることに成功した。
ポルトスの説得に成功したダルタニアンは気をよくして零落しているだろうと思うアトス・ラ・フェール伯爵の元へ向かった。
ラ・フェール伯爵はブロワの近くブラジュロンヌに伯爵領(ブラジュロンヌ伯爵領)を相続しそこに住んでいるという。
訪ねてみると、大貴族ラ・フェール伯爵はダルタニアンからみれば信じられないような城・大豪邸に多くの召使いとラウル(ブラジュロンヌ子爵)ともに暮らしいた。
高位貴族と思われる訪問客も絶え間なくその上にラ・フェール伯爵は、ますます元気であった。
近所に住むラウルの幼なじみとして7歳になるラ・ヴァリェール嬢(後のラ・ヴァリェール《女》公爵夫人)を登場させている。
足を挫いた様子、母親がサン・レミ夫人(父親は執事)といいプロワ城のオレルアン公爵夫人の侍女であることを後の物語の伏線として紹介している。
アトスの説得に失敗したダルタニアンにパリへの至急帰還状が到着し急遽バリへ戻る。

パリへの至急帰還はマザランがボーフォール公のヴァンセンヌ監獄からの脱獄を杞憂したからである。
まだ30歳にもなっていないボーフォール公は、アンリ4世の孫即ち王族である。
正確には、アンリ4世と愛妾ガブリエル・デストレ(ボーフォール(女)公爵夫人、モンソー夫人)の孫である。
ガブリエル・デストレは、アンリ4世の時代の絶世の美女である。
下級貴族出身であるガブリエル・デストレの姉妹は皆美女で次々と愛妾にされているが、ガブリエルはアンリ4世の絶大な寵愛のため王妃の位を要求した。
古来愛妾が王妃になった例はなく、女性に弱いアンリ4世はもう少しで王妃にするというところであった。
よって、ガブリエル・デストレは暗殺された。……まだ23歳を少しすぎたころであった。
マリー・ド・メディシスが正規の王妃として嫁いでくることが決まりかけていたからであった。
……というわけでボーフォール公(ヴァンドーム家)は、まかり間違っていればルイ14世である。
ボーフォール公は、後に述べる陰謀に加担したとして1643年に逮捕投獄されたのであるから投獄されて5年になる。ここで愛人であったモンバゾン(Montbazon,Duchsse de)公爵夫人の援助で脱獄に成功する。(18ボーフォール公)
モンバゾン公爵夫人とは、シュヴルーズ公爵夫人の若い義母であり、ロングビル公爵夫人と並び称される宮廷一の美女である。
このときはパリ追放の憂き目にあっていた。

ボーフォール公が脱獄の準備をしている間に、ラ・フェール伯爵とブラジュロンヌ子爵はシュヴルーズ公爵夫人に面会する。(22マリー・ミション、旅先での一夜)
大 貴族であるラ・フェール伯爵をシュヴルーズ公爵夫人が知らないというのも不思議な話であるが、相変わらずの美しいブロンドの髪と生き生きとした大きな目の 公爵夫人と会う。いい年をしながら未だに色気たっぷりで気品の高いのシュヴルーズ公爵夫人にラウル(ブラジュロンヌ子爵)は大后様と間違える始末であっ た。
ラ・フェール伯爵はラウルの就職(仕官)…コンデ大公旗下の軍へ入隊するというを頼みを聞いてもらいパリを後にする。
ここにこのような記述がある。
「…… でも、ちょっと待ってちょうだい。義母モンバゾン夫人がロングヴィル夫人と仲違いしているので、わたくしはいまのところ大公の御覚えがよろくないのです。 でもマルシャック公爵にお願いしてみたら……ええ、そう、伯爵、それがなりよりですわ。………この若い子爵をロングヴィル夫人に推薦してくださるでしょ う。夫人から御令弟の公爵に(コンデ大公をしめす)手紙を書いてもらえば、………」
この辺の事情は、5年前に遡るが小説には書いていない。(後に解説する。)
実はボーフォール公の逮捕のきっかけとなった実話がありこれがこの第3巻の伏線になっている。これがわからないとこの第3巻は全くよく解らないといったところである。

物語はその後スカロン神父のサロンでシュヴルーズ公爵夫人から紹介状を受け取る。(23スカロン神父)
一方ダルタニアンはボーフォール公脱獄の報を受け、追っ手としてポルトスと従者全4人で追跡する。
追いついたものの相手は50人の軍隊その上アトス、アラミスが指揮を執り到底相手になるものではなかった。

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コニカ BiG mini・ミノルタAF MAC TELE QDジャンクカメラ購入記

カメラ大中古市in前橋 ジャンクカメラ購入記 その2

ジャンクカメラの点検 
コニカ BiG mini・ミノルタAF MAC TELE QD

昨日100円から300円のジャンクカメラを点検して、完動品と確認したのがこの「コニカ BiG mini・ミノルタAF MAC TELE QD」。不思議なことにどちらのカメラも持っている。
当然新品で買って、箱も説明書も全部あるもの。
そして不思議もにどちらも購入後修理に出していた。
コニカ BiG miniは、1年と1ヶ月後に起動不能となり修理費10,000円程度。ミノルタAF MACTELE QDは、レンズに接着剤が付いていた。これは保証内。
それで、今でも完全に使える元々持っている二つのものと比べてみた。

コニカ BiG mini

色違いで、シルバーとブラックの違い。
持っているシルバーを出してきたら、日付が消えていた。
これは、手元のCR2025を入れ替えて表示。ジャンク品は何か艶がなく指紋がベタベタつきそうな感じ。
これは、持っているものと何ら遜色なく普通に使えた。
違うのは、何やら汚れているかなと言うぐらい。


日付、フィルムカウンターも正常。
これで300円は安かった。

次に、ミノルタAF MAC TELE QD

中央に置かれいてるのは、2CR5というリチュウーム電池。これが結構高い。
左のストラップがあるのが元々から持っていたもの。
実は、旅行に3-4回持っていたくらいしか使っていない新同品に近いもの。
20年も経つものだから、新同品というのは言いがかりで、完動品と言った方が正しい。
ジャンク品は、その完動品に比べ正面から見たところ、プラスチックにテカリが出て多少風が悪い。
しかし、多少のスレがあるものの大きな傷などはない。
大きな欠点と言えば、ストラップが切られていることだろう。
だから元々持っている完動品と間違いは、写真ではストラップがあるかないかの違い。

ジャンク品の方はなぜストラップを切り取ったのか不思議なものだが、これは取り替えられない。

日付の液晶表示も正常。
ジャンク品の方は、電池を開けてみたら「塩」を噴いていた。但し、塩はフタについていたので拭き取って影響なし。
手持ちの使い古しのCR2025と入れ替えて何やらまともそうに見える。

使い勝手の部分では、故障しているのはフィルムを取り出すところのバネ。
ジャンク品はバネが壊れて、押し下げて開け、戻して閉める事になっている。
しかし、良くこんなところが壊れるとは不思議に思う。
以前買ったジャンクでもここは壊れていなかったし、ストラップも切られていなかった。

フィルムBOXの開閉ボタンは重要なので、何かの振動で空いてしまわないのかと言う心配がある。
但し、かなり固くそうそう空かないと思うが。

電池を入れて直ぐに取り出してみたところ。
コンデンサーに電気が溜まり誤表示している。これは、ジャンク品も同じで、再び電池を入れれば正常に。

さて、このMAC-TELEのジャンク品と言うのは、どうもコンデンサーが経たっている感じがする。
だから、電池を入れた当初10秒位しないと反応が鈍い。
元々持っているMAC-TELEは、電池を入れると即反応してシャッターが切れる。
このMAC-TELEというのは、もともと反応がよいのが特徴だから直ぐに反応しないと、故障のきらいがある。

このジャンク品の場合、電池を入れっぱなしにしておけば多分問題はなさそうだ。
実際の感じでは、完動品とあまりを変わらない。
そして、購入価格は200円かと思ったら、150円だった。

今から思えば、何とか動きそうなのは電池が入っていて、完全にジャンクと思われるのは電池が入っていない感じがする。
この2機種、元々同じものを持ってるから使う事もないし使う気もない。
単なるオモチャというものだろう。
まあ、取説の必要もないのだから使う事は可能とはいうものの、撮っても感動がないというのは困りものである。
取りあえずのジャンク。
いつまで手元にあるのか、それは神のみが知る??なのかな。

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