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2009年8月

2009年8月29日 (土)

珍しい印章を発見・酒井子遠流の模刻か

最近、展覧会に行くと妙な印に出会う。
ここで見つけた印は、一人の作者が刻した印章である。
この頃、こういう印がよいとして「近代詩文」「かな」「前衛書」の作家が多用している。
Dsc01844_2



誰流の印なのかと知り合いの篆刻家に問うたところ、「酒井子遠」氏流の作風という。
酒井子遠氏(先生)を調べてみたら、既に物故作家で作品はそっくり。

酒井子遠氏は、創玄書道会にも所属していたらしいが、その後現代書作家協会にも所属していたようだから、前衛的篆刻家という種類の分類されるようだ。

元の酒井子遠氏は篆刻家で、篆刻の基本を押さえているところもあるのだが、元々篆刻家でない人物が真似るというのはどうか。

こんなものを刻する人物は非常に器用な人物なのだが、この印で鈴印してしまうと書家としては「?」と思ってしまうかも知れない。

種々の篆刻家のご指導、ご意見を仰ぎたい気持ちがする。
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衆院選の投票日前夜に思う

衆院選の投票日前夜に思う

今日の夕方、毎月の行事で青少年育成委員で市内のパトロールをした。
今回のパトロールは、何故だか酒とタバコの自販機を見回って、店の人に未成年に売っているかどうかなど‥‥コンビニ、酒店、ヤマザキストアなどを廻る少し時間の掛かることたった。
土曜日の夕方、夕立の雨がポツポツ降り始め子供などほとんど見かけない。
だいいち新型インフルエンザの影響で子供は朝体温計で熱を測ると学校から決められている。
その上、人混みの多いところに行くのは事実上禁止なのである。
それで今回はそんな調査だったのかも知れないが、自販機などはもっと別のところのものがあるのではないかと思ったりもする。
そんな夕方、地元の衆議院議員候補者は「候補者が自転車で廻っています」と大音量で呼びかけをして、その候補者は自転車の後ろに真っ赤な「本人」とデカデカと書かれた幟を立てて悠々と通り過ぎ去った。
もうこの候補は、余裕すら見られる切迫もしていないユックリしたウグイス嬢の声だった。その少し前には、別の候補が候補者の名前を連呼してあっという間に過ぎ去った。
選挙というのは、投票する前の選挙戦から何やら結果が分かってしまう様なこともある。金曜日に市役所に行ったら期日前投票所はいつになく一杯だった。
やはり、マスコミが宣伝しているとおり投票率は、相当高くなるかも知れないと思うものだった。一節には70%近くなる予想とか(静岡大学情報学部)。
何故なら、選挙にはあまり関心がない女房殿が今回は行くつもりになっているからだ。
それにしても、群馬の自民党候補者はあの「小渕」大臣を別として全員70歳以上だ。
実際、日本の中枢で何か民間から「社長」を選ぶと行っても不思議と70歳以上の人物であった。あの郵政の社長だって70歳を超えている。
その他の人物もそんな年齢の人達が多い。
又、今回の選挙に関連して「最高裁判所裁判官国民審査」が行われるのだがここでも高齢というか、70歳定年らしいからサスガ70歳以上の人達がなる事はないが、新任でほとんどが60歳以上だ。
中には、官僚の成り上がりの人達もいていつまでやるのかと思ったりもする。
要するに、今の世の中というものは日本の戦後・高度成長時代を上手く生き抜いた、成功体験のある年寄りが未だに日本を牛耳っていると言う事だ。
そのお年寄りの時代は事業をやれば10年で事業は2倍になり、ポストには不自由せず、リストラにもあまり遭わなかったはず。
その上の世代は、戦争やらGHQのパージで少なくて「老害」など感じず思った通りの仕事がやれた人達だ。
そう言う人達というのは、今や何処にでも存在して不思議なことに益々元気と来ている。
一般の民間では、趣味の世界という目立たないところにしか生息しないが、日本を動かす政界、実業界の上の方はこの人達で充満している。
役所も、終戦直後に計画した公共事業を見直すこともせず時代が変わったのに、未だに続けようとしている体質というのは「老害」と同じだろう。
若い人達から見れば、生活が良くならないのに一部の「あるところ」ばかりは美味しい蜜を吸っていると思われている。
当選何回、大臣もした衆議院議員候補者は、傍から見れば何十年も議員をやってこの体たらくか、何も変えられなかったではないかと皆思う。
自民党は、テレビCMなどに30億円も掛けたという。
今更自民党と言われても、「あの口の曲がった総理の顔」とか「高そうな背広とか」を見ると逆効果だという意見だとニュースに出でいた。
それは自民党候補が自分の名前を連呼しても全く無駄なのと同じだ。
庶民の反応は、自民党は何も変えられなかったではないかでしかない。
こういう風に、国民の感情・雰囲気が読めないというのが今の自民党でしかない。

日本の国の国民の「空気が読めない」と言うのが今の自民党だった。
かといって、民主党が国民の空気を読めているかと言えば、自民党より読めていない。

一番の問題は、日本の国をどうしようというのかという問題につきる。
要するに、安全保障だ。
外国人参政権問題も「税金を払っているのだから」参政権をやっても良いのではないかと言う議論が民主党、公明党などにある。
もしそうするなら「税金を払っていない人」から選挙権を剥奪しければならない。(田母神氏)
要するに、参政権問題は国籍に関することで、最高裁でも「外国人参政権」は違憲であると言っている。
何を考えいるのか、こういう人達というのが国を誤らせる。
そして、こういう問題を抱えながら「空気」という訳の分からない雰囲気で民主党に政権が渡ることになろう。

その国民の意図しない「空気」と言うものが、先の戦争に導いたと言う事は肝に銘じておく必要がある。
そして、そんな空気を導いてしまった政官の利権に群がった自民党の年老いた首脳達に最大の責任があるというものだろう。
その年老いた古い思想というものは民主党も同じおなの狢。
仮面が剥がれ、国民が失望するのにどのくらい掛かるのだろうかと思案するものでもある。

何故から、民主党は「政権交代」としか言わないではないか。

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2009年8月27日 (木)

「核廃絶」という言霊に酔う 共産党感覚と同じ民主党鳩山代表

「核廃絶」という言霊に酔う

共産党感覚と同じ民主党鳩山代表


‥‥【09衆院選】鳩山氏、「首相」就任後 国連で核廃絶演説へ オバマ大統領に「共鳴」‥‥という見出しが産経新聞Webに載った。(2009.8.27 01:20)
内容の出だしは、「民主党の鳩山由紀夫代表は26日、首相に就任した場合、9月下旬に米国のニューヨークで開かれる国連総会における演説で、全世界に向け『核廃絶』を呼びかける方針を固めた。」と言うもので、政治的に見て何の意味があるのかと疑問を投げかけるものだ。
内 容には「『オバマ大統領と一緒に核廃絶の先頭に立つ』との文言や『地球環境との共生』、『人類社会の未来』との表現も使って核廃絶の重要性を強調すること にしている。」と言うのだが、どこかで聞いた様な言葉だと思っていたら、共産党が「核の廃絶を目指す」とのスローガンで志位委員長がラジオ宣伝(文化放 送)していた。
そこで日本共産党のHPで「最近発表の政策・見解」と言うところを見てみると、「核兵器廃絶問題でのオバマ米大統領への書簡」と言うものがある。
その中で「核兵器が使われないことを保障する唯一の方法は、『核兵器のない世界』をつくることであり、大統領は、その大目標を世界の前に提起されました。」とあるのだが、別にオバマ米大統領は、米国の核兵器を廃絶するとは言っていない。
この点は、「新報道2001 党首討論抄録」で麻生首相が共産党の思い違いを指摘しているとおりだが、志位委員長というのは観念論ばかりで話にならない。

このオバマ発言に対して、あの田母神氏は‥‥「核廃絶」は米国以外の核の核廃絶で、米国以外の核廃絶又は、廃棄がなされれば相対的に米国の核の力が強くなる。‥‥と発言している。こんなことは、従来から米国が主張していることの延長線上にある。

だから、その鳩山代表も何か思い違いをしているのではないかと思われてならない。
そうして核廃絶を米国は言いながら、米国以外の国の核が増えればそれに釣り合うように増やしてきたと言うのが実態である。
そして、早い話核は数発も100発も同じようなもので実際は、持っているか否かと言う事だろう。(田母神発言)

元に戻ると、鳩山代表が国連で全世界に向け「核廃絶」を呼びかけても、日本は持っていないから「核の廃絶」などは出来ない。そうであるならば、核保有国「核の廃絶」をして貰わなければならない。
核保有国と言えば国連常任理事国なのだか、鳩山代表は「友愛」を持って中国に「核の廃絶」を訴えることが出来るか、インド、パキスタンに「核廃絶」を納得させることが出来るか。
まあ、誰が考えても笑い話にしかならない。
彼らが言うのは「安全保障上の理由から持つ必要がある」と必ず言う。その時、どういう反論が出来るのか。
‥‥と言うよりもそんなことを言う勇気も、政治力もないと言うのが真実だ。
その「全世界に向け『核廃絶』を呼びかけ」各国が一応拍手しても、各論になって拒否されたらどうするのか。
先に言ったように、日本には廃絶すべき核兵器がない。
そこで、「核保有国が廃絶しないなら日本は核武装する」と言うのならそれなりのインパクトはあるかも知れない。
しかし、社民党の主張をそのまま受け入れで(日本独自の)非核三原則を堅持し、法制化までしようとする国。
核武装は、その民主党の国是に反する。
要するに、靖国参拝廃止と、核武装禁止、核議論禁止と種々の政治的なフリーハンドをなくする。
民主党というのは、如何に自虐が好きなのかあきれる。

そう言えば、終戦記念日前後にNHKが核(兵器)についての賛否を問うていた番組があった。そこで思うのは、核兵器反対という人達は単なる観念論。
「核兵器反対」と言えば、「核兵器」が無くなると思っている様な人々、「核兵器」容認の人達は現実路線だった。
見たところ、反対派は髪の毛が白い人が多く、容認派は若い人が多かった。
本来、戦後民主主義的な思想の強いNHKだからどういう意図でやったのか分からない。どうせガス抜きだろうとと思ってじっくりなど見なかった。

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2009年8月26日 (水)

ため息が出る「鈴木美潮のdonna」の金大中氏礼賛記事

ため息が出る「鈴木美潮のdonna」金大中氏礼賛記事

2009年8月25日読売新聞夕刊掲載の「鈴木美潮のdonna」。Web版では、http://www.yomiuri.co.jp/donna/do_090825.htm で「少女の心熱くした金大中氏」と題して金大中氏を単に民主化指導者として礼賛している。
そして「金大中拉致事件」を切っ掛けにして「まさしく、金大中氏こそが私の政治的原体験で、このことがきっかけとなり、政治学を学び、新聞記者の仕事を選んだ。」という。

その金大中元大統領に関しての認識としては「詳細は、事件の翌年の1974年、子供向けの年鑑で知った。そこには、民主化のために軍事独裁政権と戦う金大中氏の姿があった。」とある。
しかし、政治記者として「仮面ライダーやウルトラマンがブラウン管の中のヒーローなら、金大中氏は、初めて出会った現実世界のヒーローだった。」としているのはどういう事か。
そして、大統領になった金大中氏に「ファンレター」再度を出すなどどう見ても単なるミーハーの有名人好きしか思えない。

本来なら「政治の世界」のこととして種々慎重であるべき時に、単に有名人好きというノーテンキな人物というのは自制心がないだけでなく、害毒でしかない。
かって、平成 14年2月1日~15年9月22日まで外務大臣をした川口順子氏(現参議院議員)。
まだ日本が経済援助をしていた頃のミャンマーへ外務大臣の歴訪として行き、ミャンマー政府に反政府指導者アウンサンスーチーとの面会を要求した。
ミャンマー政府は、日本の経済援助の圧力に屈し、しぶしぶ面会を承諾する。
その結果、何の成果を得るというのではなく単なる表敬訪問で、逢えて喜んでいる写真と記事か新聞に載った。
早い話、これも単なる有名人好き。
しかし、日本政府が承認している政権に対してその反政府指導者に面会する意味が判っていないほどの外交音痴。日本は、国際政治言う分野で何も分かっていないということを表す一面だった。

さて、金大中元大統領の件に戻ってみれば、大韓民国における「失われた10年」の主役の一人だっことは歴史として残った。
特に、北朝鮮に対する「太陽政策」によって多額の資金を北朝鮮につぎ込んだ。
「金大中は南北首脳会談の直前に現代グループが北朝鮮へ5億ドルを違法に送金をするのを容認した。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
その見返りが、南北首脳会談とそれによるノーベル平和賞だったことは間違いない。
荒木和博BLOGによれば‥‥
「自らがノーベル平和賞をもらいたいがために、膨大な韓国民の血税を使い、何も変わっていない北朝鮮を変わったと勝手に解釈して、金正日体制の延命に力を貸してきた人です。そのおかげでどれだけ沢山の北朝鮮の民衆が死に追いやられたことか。」と書かれている。

考えてみれば、「金大中事件」の時の大統領は朴正煕大統領だった。
実際、朴正煕大統領は「金大中事件」を切っ掛けにして結果として、夫人、大統領本人が暗殺されることになった。一方、暗殺されそうになった金大中氏は事件を切っ掛けに暗殺もされず大統領にまでなった不思議がある。
朴正煕大統領とは、元々日本の陸軍士官学校出身の知日派(親日派)で日本の政界とも太いパイプが繋がっていた。そのためにかその後もどう見ても不可解な「政治決着」というものが日本と韓国との間で行われ続けた。その一つが例の「河野談話」でもある。
そして、朴正煕大統領は日本との深いつながりから、韓国の近代化を成し遂げた。
その朴正煕大統領から見れば、金大中元大統領というのは左派思想を持つ危険人物というのは明白なことだった。
事実、金大中氏が大統領になって‥‥
「1980 年代から90年代にかけて、韓国政治の病根であった全羅道対慶尚道の「地域感情」も、元はと言えば金大中氏が自らの勢力を強めていくために煽り続けたこと の結果です。結局この人が大韓民国、あるいは朝鮮半島にもたらしたものはプラスよりはるかにマイナスの方が多かったと言わざるを得ません。」と荒木和博が 述べている。(同)
鈴木美潮記者は、
「訃報(ふほう)に接し、改めて金大中氏の人生を思う。決して恐れず、あきらめなかったその姿は、とかく楽な道を選びがちな今の私に、少女時代の熱い気持ちを思い出すよう呼び掛けているように思えてならない。」と書くのだか、本当だろうか。

大統領退任後、その個人の不正が追及されなかった大統領は、朴正煕大統領とこの金大中大統領くらいなものである。
朴正煕大統領は、
「一般論においては、政治面では目的の為には不当な手段も厭わないものの、私人としては清廉であると評価されつつある。」
「1999年にはアメリカの雑誌『TIME』で『今世紀もっとも影響力のあったアジアの20人』に韓国人から唯一選ばれている。」
(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
と言う風に、暗殺と清廉によってであり。
金大中大統領は、金で買ったと言われるものの、極論を言えばノーベル平和賞受賞者であったからである。

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2009年8月25日 (火)

世代交代の遅れた自民党は、巨大な恐竜か

世代交代の遅れた自民党は、巨大な恐竜か

衆議院選挙まであと1週間を切った。
新聞では「期日前投票305万人、前回衆院選の1・5倍」(読売新聞Web)でいわゆる今まで投票しなかった人たちが投票をしている様な感じだ。
一方、候補者を見ると自民党は、70歳を過ぎたベテランと言えば聞こえがよいが、世間一般から見れば「孫もいる年寄り」が政界に未練たらしく立候補している様に見える。
しかも、その人達が国会議員になって何をやってきたのか、例え今回当選しても当選すればしらばくれて今まで通り「何様」ということ以外思い浮かばない。

要するに今の自民党は、年寄りばかりの集団で日本の高度成長時代を謳歌し、年金にも不安はなく後は、功成し遂げて「勲章でも」もらって引退したいという人達。
はっきり言って、今の50代以降の人達から見れば日本の国の「老害」が、まだ権力の座から去りたくないと騒いでる人達としか思えない。
彼らの時代は終わり、従来型の価値観が崩壊しているのに全く気づかない「巨大な恐竜」の様である。
その若い人達から見れば、その巨大恐竜は勝手に絶滅してもらっても構わないが、自分たちを引きずり込まないでくれと思っている。
だから、散々見慣れた「年寄り顔」がバイクに乗ろうが、宣伝カーに乗ろうが、大集会を開こうが「今だけ」と白けたものだ。

そこで、自民党の候補者がもっと若ければ、従来型の自民党政治を打破するかも知れないという思いに気づく。
そして、もしそうなら自民党も世代交代をするかも知れないという淡い期待が湧く。
しかし、実際は若くても彼らが「過去官僚」だったりすると「若・年寄り」で若かろうと歳を取っていても関係なく忌避する気分がある。

一方、民主党は候補者は若くて良さそうだが、‥‥‥あの金持ちでいながら「しみったれ」の鳩山、過去官僚の岡田、ミニ角栄の小沢と来て、社民党に慮って(おもんぱかって)反日と来ている。
国歌、国旗に反対して、もし首相になったら首相公邸には国旗を掲揚しないのか、閣僚の部屋には国旗を置かないのかと思ったりする。
実際そんなことが起きても不思議がないし、当然靖国神社には参拝しないと福田元首相の様に「外交カード」を捨てしまっている愚かさ。
だから、鳩山氏と言うのは選挙区が群馬県とはいうものの群馬県人でない、元々お坊ちゃんの福田元首相止まり。
今頃になって、靖国に代わる施設だなどと外交音痴、福田氏そっくり。
その一端が見えたのが、例の国旗を使って民主党旗を作った一件だ。多分、諸外国の日本に敵対する首脳は大笑いだろう。民主党の支持者の一端の馬脚が見えた瞬間だ。
何故なら、今度の日本の首相は「愛国者」でないと見て取るからだ。
昔から、「家訓」「社訓」を掲げる家、会社はロクナところではないという。
何故なら、「家訓」「社訓」を掲げなければ何をしでかすか分からないという性悪説によっているからである。
だから「友愛」と掲げる人物こそは絶対に「友愛」がない。
よくよく見れば「友愛」とは、金持ちの自身は高みに置いて、国民、国家を奴隷として他国に差し出す人達しか思えない。
その国民、国家を奴隷として売り渡す一面が既に週刊誌の組閣報道で暴露されている。

その閣僚枠に連立の社民党、国民新党から入れるという。
しかし、それは国民に対する裏切りだろう。
何故なら、世論調査で見る限り社民党、国民新党などの支持は極めて低い。
国民は民主党に投票しても社民党に投票する訳ではない。
その国民の支持が極めて低い政党の意見を聞いたり、閣僚にしたりするのは本来民主主義の原則に反する。
社民党などは常に「少数意見」を聞けと言う。
しかし、民主主義国家である以上、少数意見に頼ることは多数決の原則は反している。
社会主義者・共産主義者は「少数意見」で「多数意見」を制することをしている。

その少数の一部に意見が国民を支配したのは、ボルシェビキによる暴力革命だった。
ロシア革命でソ連共産党の支持は30%程度、それを海軍の水兵を扇動して時の政府を壊滅させ政権を握り、その実働部隊は「反逆罪」で粛正する。

今国民が思うのは「年寄りが牛耳る」日本社会ではなく、もっと風通しの良い世界だ。
風通しが悪いのは、小泉首相が辞めた後規制緩和の反動で、より多くの規制が何の議論もなく「あっという間に」生まれた。
国民の目から見てみれば、なぜ国会の場で議論しないのか不思議なくらいだ。
国民の代表者でない官僚が勝手に法律を作って規制し、それによって天下り機関が出来
不都合になっても、弊害が出ても責任は取らない。
民主主義国家でありなから、国民の知らないところで規制が出来、国民はそれを防ぐことも出来ない。
不都合であると行政訴訟を起こしても、裁くのが官僚の裁判官ときているからほとんど絶対に負ける。何故なら行政は「間違いを起こさない」と官僚裁判官は思ってるからだろう。
だから日本には、憲法に保障されている三権分立はない。
国民を規制する行政に限って言えば、行政府と党国会議員は一体であるし、それに対して不満と国民が騒いでも司法は門前払いだ。
そして、無理を押し通して失敗しても、官僚は、その職務を辞めれば「一切知りません」と押し通すか、「間違っていない」と強弁するのが常識になっているではないか。

何時も言う様だがあの「総量規制」でさえ、間違った判断だったと反省の弁は聞いたことがない。

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2009年8月22日 (土)

今年のTDL・TDSへの旅の総括

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ その5

東京ディズニーラントとシーへ毎年泊まりがけで行っていて感じること。今年は、お盆のという一番混んでいる時に掛かっているが、昨年はゴールデンウィークだった。
当たり前の話だが、こんな混んでいる時には行かない方がよいのは当たり前である。
しかし、子供の休みの関係から一般の休みの時にしか行けないのは事実。

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そして、感じるのは子供の成長によって乗るアトラクションが変わると言うことでもある。当然、好き嫌いというものもありそのうちには行くこともなくなるかと思えたりもする。特に、今年は3日間の内ほとんどが東京ディズニーラントだった。初日の東京ディズニーシーの方は、再入場はするが一旦3時には切り上げている。

要するに、シーの方ではアトラクションが少なく、それに殺到するから益々乗れないことになる。
多分アトラクションは、あと2-3は増やす必要があるかも知れない。その結果として東京ディズニーラントに比べてFP取得の間隔(FPを取って次のFPが取れるまで)が長く、朝早出しても思ったより多く乗れない。

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その点、アトラクションが多い東京ディズニーラントの方は、FP取得間隔が短い。
それでも、このお盆シーズンだと初回モンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のFPを取った時は3。
「ビックサンダーマウンテン」だった時は12時頃のFPを取れば4。(2時半でシーへ)
それに対して、シーでは3時で途中退場したものの2だった。


今回も東京ディズニーシー・ホテルミラコスタに泊まったのであるが、東京ディズニーラントに行くとなると利用価値が半減する。
それは、ホテルミラコスタに泊だとオープン前にゲート内に入れると言うことで、楽々アトラクションに一つぐらい多く乗れる。
一方、東京ディズニーラントは「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス」と言うものが出来ているから一般入場者よりも早く入場出来るとはいうもののメリットは少なかった。(8月31日まで)
何と言っても、ディズニーホテル宿泊とオフィシャルホテル宿泊とは値段が違いすぎる。オフィシャルホテルだと、直前になれば宿泊費のダンピングがあったりするのだか、ディズニーホテルなどはあり得ない。
あの何時も空いているディズニーアンバサダーホテルでさえ値引きはない。
それでいて、TDS & TDLへの入場に関して、特段メリットがあるのはこの8月現在は東京ディズニーシー・ホテルミラコスタだけで、ディズニーランドホテルは単にディズニーランドに近いだけである。

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但し、ディズニーリゾートのHPによると

「2009年9月1日(火)から2010年3月31日(水)の間、開園15分前の東京ディズニーランドへご入園いただくことができます。(※期間中の土日祝日、および特別営業時間帯は除きます。 ※チェックイン日当日のご利用はできません。)」
【ご入園いただけるエリア】ワールドバザールおよびトゥモローランドの一部エリア
【ご利用いただけるアトラクション】「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」

と言う事で、9月以降平日ならディズニーホテル宿泊者は、「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」に先に乗れるという具合になっている。多分土日はこの8月と同じように「専用のエントランス」だけなのだろう。
9月以降は9時開園だから、8時開園の夏のオンシーズン開園のシフトを思えば8時45分に特別開園しても大差ないと言うもの。
「モンスターズ・インク“ライド&ゴーシーク!”」というのは、入場口から見えるところでこれが幸いした。

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つくづく思えば、8月のTDS & TDLなんぞは行くべきものでは無い感じがする。
そして、子供が幼稚園の年中組だった頃、子供の誕生日に合わせて家族で初めて行った思いを起こすと何時も何か甘酸っぱい感じを思う。

子供も女房殿もみんな歳を取った。
運動不足の妻は脚が痛いと悲鳴を上げ、子供は元気いっぱい。小生は脚など痛くならないが、寄る年波相応に「疲れた」なのである。

少し前の記憶で元気いっぱいだった人が目の前から消え、再び見たら驚くほどの「年寄り」になっていたり、黄泉へ消えていっている。
時は流れ、自分だけの観念がその流れから取り残されてとは、何かのマンガで見た映像のようだ。

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年中行事の家族旅行もいつまで続くか、取りあえず今年からは本当はなかったはずだった。
さて、来年のTDS & TDLへの旅行はあるのか。
それはその時になってみないと分からないと言うものだ。

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デジカメを買わないのは、次のデジカメを買う準備をしているからと言う現実

デジカメを買わないのは、次のデジカメを買う準備をしているからと言う現実

最近電気屋のデジカメコーナーを覗かなくなった。
覗かなくなったというのは嘘で、新型のカメラを見れば触ってみるしどうかなとも思ったりもする。平成21年8月21日もヨドバシガメラでリコーGRD IIIを触ってきたばかりである。
新型のデジカメを買えばその時点から、旧型のカメラはお蔵入りになる。これは従来からのお決まりのようなものだった。
新型が出れは欲しくなって何とかして買っていたのに、最近新型のカメラを買う気がない。何故なら、新型カメラに劇的なアドバンテージがなくなってきたことによる。
確かに、新型になれば旧型に比べて圧倒的に使いやすくなっている。
だから何やら頭を使わずにカメラ任せで納得できる画像が出てくる。
だからといって、今持っているFinePix F100fdをF200EXRに直ぐに買い換えるかと言えばそうはならない。確かにF200EXRの方が間違いなく良く写る。
かといって、FinePix F100fdで良く写らないかと言えばそうでもないところにカメラの不思議さがある。
要するに、オートで撮るかある程度マニュアル補正をしなければならないか、というところに尽きる。
今年の正月ニューイャー駅伝でPentaxのK10DとSONYのα700で撮り比べたことがある。
結果は、後発のα700の圧勝で当然と言えば当然の結果に終わった。
実際のところ、このα700である程度思い通りの写真が撮れるようになってきた。
‥‥とはいうものの、「Dレンズ」ではないトキナーのATXやタムロンのSPなどでAFは兎も角も、AEを外して「白飛び」した経験が多数ある。
今では、「D」レンズ以外使わない様にしているから極端な事にはならないが、最近流行の白飛び傾向にある。
従来、デジ一眼レフカメラなどは、上手く撮れなかったものを色々苦労して癖を掴んで思い通りの写真が撮れるようになって、と言うところがあった。
しかし、今ではそんなカメラは少なくなった。その理由は、見たまま写るカメラを消費者が求めるからである。
そして、その後押しをしたのがデジ一眼レフカメラでは、大方CMOSセンサーになってしまったからである。
ダイナミックレンジが広く取れるようになって、白飛びしなくなった。
従来からのデジ一眼レフカメラは、初期モデルほど白飛びしないように、かなりアンダー目、はっきり言って「真っ黒」に写る。
初期モデルのPentax ist*Dなどまともに撮れるようになるまで苦労したものだ。

デジ一眼レフカメラというのは、そのPentax ist*Dから入った。
その後進化したと言え今のところK100D、K10Dまで来て止まってしまっている。
K10Dが出でから1年でK20Dが出て、K20Dは筐体がK10Dと似ていたからマイナーチェンジ版と見られて、結果失敗作だった。
今は、K-7と起死回生を狙った製品が出でいるが、これを買ったらK10Dは完全にお蔵入り。場合によってはα700でさえお蔵入りするかも知れない代物だ。
かといって、K-7を買って何か有効に使えるかと言えば心許ない。
要するに、Pentax K-7を買って元を取れる稼働率から計算すれば価格comの最安値¥108,900(税込・body単体)でも高すぎる。
それで、しばらくK10Dを延命することにした。

その延命策としては、縦位置グリップを付けることで電池の不安定さの解消。
そして、K10D・20D共通のバッテリーグリップ D-BG2と言うものは、製品末期の備品として結構投げ売りされていた。


7月中旬、8月上旬、8月中旬と定期的に限定価格が出で来るというものも不思議なものだ。こういう投げ売り価格が出るというのは、大方マップカメラ、フジヤカメラ、荻窪さくらやみたいなところで、知っている人だけが帰るという代物。
そう言えば、Pentax ist*Dの縦位置グリップも製造中止後にチャンプから7,980円程度で買った。しかし、買ってから何回持ち出したのかは覚えていないくらいわずかなものだった。
SONYα700の縦位置グリップは、α700のボディを買った時におまけで付いてきた様なもので、いつもながら妙なつきあいである。
但し、その昔の銀塩カメラ時代では、ミノルタα7とキャノンEos7の時は、わざわざ高いお金を出して買った記憶がある。
まだネット通販が発達する前のことだったが。
今、メインとしてα700を使うのであるが、元々「Dレンズ」をあまり持っていない上に、購入計画もない。
何故なら、SONYの方はいずれフルサイズに移行するつもりだからである。

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2009年8月19日 (水)

東京方言に気づかない・寺島尚正 ラジオパンチ!のCM

東京方言に気づかない・寺島尚正 ラジオパンチ!のCM

文化放送で間違いやすいので共通語に入っていない語意をCMで流し続け未だに気が付いていないでいる。
それは、明日(あす)、明後日(あさって)に続く言葉。
関東一円では、続くのは「やなあさって」、「しあさって」と続く。
しかし、東京だけが逆で「し明後日」、「やな明後日」。
これは、東京方言で非常に間違いやすい。別に東京の言葉が共通語でないというのは当たり前の話で、東京の言葉だから全て正しいとは限らない。
特に、関東で同じような言葉を話しながら通じないこともあるのである。

以前、その順番について放送局に問い合わせがあったようだった。
そこでは当時の落語家・月の家 圓鏡(5代目)氏が、落語では「し明後日」、「やな明後日」の順番だと結論づけたのだが、実際は不適切だろう。
落語は、江戸の言葉だからそれで正しいかも知れないが、放送で言う共通語とは違う。

所謂東京弁というのは、元々利根川の上流地域の言葉に近く、昔は利根川に沿って住民が移動してようだ。
だから、東京下町あたりは関東でも「言葉が汚い」「語尾が強い」と言われる「前橋」あたりの言葉に近いし、一般的には、八甲田雪中行軍遭難事件の遭難しなかった方を率いた弘前第31連隊の福島泰蔵大尉の郷里の言葉に近い。
確か、利根川沿いに墓があったはず。
八甲田雪中行軍遭難事件とは、あの新田次郎の小説「八甲田山死の彷徨」で有名なあの日露戦争を前にして行った八甲田雪中行軍遭難事件である。
映画では徳島大尉として、高倉健(弘前第三十一連隊)が演じたが、東北弁を話していたのには笑えた。
福島泰蔵大尉は、今の伊勢崎の出身で元高崎連隊所属だった。

話はそれたが、こういう微妙な表現違いというのは、東京地域だけで言うのなら良いが放送という広範囲に流布するときは問題がある。
従って、NHKでは「しあさって」という表現は避けているはずである。

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「ビックサンダーマウンテン」3回乗りでTDLの旅終わり

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ  その3

平成21年8月13日お盆に突入の日、ホテルミラコスタをExpressCheckoutで出発することにした。朝7時過ぎにはフロントに電話して荷物を取りに来てもらい、入り口にCheckoutという札を掛けておくだけ。
ベルさんに聞いたら、今霧雨が降っているという。傘は?ホテルのがありますけどお持ちになります?という。面倒なので、折りたたみ傘をリュックに入れて行くことにした。
しかし、実際帽子を被っていたから出すことはなく単なる荷物になるだけだった。
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昨日の通り、専用入り口で待っていると、雨が降っているせいか少ないような気がする。

しかし、8時開場の頃には多くなった。

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開場して、今日は何故か入場した人達が違うと感じた。何故なら、早く入ったはずなのにドンドン抜かれて行く。

今日の予定は、「ビックサンダーマウンテン」のFPを取って、直ぐに1回目のライドである。
「ビックサンダーマウンテン」のFPは、8時50分。
一番だから、割と早い。ライドの方は、8時20分には出てきた。
50分になったら、「スプラッシュマウンテン」のFPの予定。

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その間は、朝食と言うところだかまだ霧雨は止んでいない。
スプラッシュマウンテンのFPは50分に取って、10時05分。

「ビックサンダーマウンテン」の2回目のライドで出て来たのが9時10分。
まだ次まで時間がある。
スタンバイだと既に150分待ち。

色々時間をつぶして「スプラッシュマウンテン」
にライド。もうこの頃には、結構気温が上がってきた。
次のFPを何を取ろうかと思ったら、「ホーンテッドマンション」がシステム故障で一時閉鎖。
それでまたまた「ビックサンダーマウンテン」のFP10時15分。
この時は、この時間でスタンバイ170分待ち。
今度のライドの時間は、11時30分~12時30分。

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「ビックサンダーマウンテン」の3回目のライド。

11時30分からの「クール・ザ・ヒート」これも正に水をぶっかける。

しかし、この時点でお父さん暑さ負け。




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ミクロアドベンチャーの時点で、お父さんはバテ気味状態。
またまた時間つぶしでスターツアーズなど。
そんな感じで、午後2時半にはTDL(東京ディズニーランド)を後にした。
要するに、これからTDSに行く。


2009_0813tdl0101 2009_0813tdl0103 これで名残惜しきTDLともお別れ。
幾ら残っていても、アトラクションには乗れないし、大して日陰もないのでねぇ。
昼間のディズニーランドホテルというのも、妙な感じ。

TDSに着いてみると、スターライトチケットという午後3時から入場出来る列にたくさん並んでいる。
実際、スターライトチケットでも4,000円以上するからもったいない気がする。
後は、ショーを楽しむだけというものだろうが、アトラクションは閉園間際に乗ろうというものだろうか。

そこへ我々の家族がぶらぶらと入って行くのだが、普通のチケットを持っている人はどうぞというものの、チケットを見せろと言うのだから妙。

家族が見せたから、そのままとチケットを入れたら当然すんなり通って、出ようとしたら突然キャストの止められた。

お陰で、しこたま足をバーで打ってしまった。
キャストはチケットを見て「失礼しました。」で終わり。
よそ見していたキャストが不注意なんだよ。
スターライトチケットで入るわけないのは、見てりゃわかるだろうというものだ。
後で抗議してやろうかと言うくらい腹が立った。
冗談だか。
2009_0813tdl0112 TDSもTDLと同じように水を掛けている。
少なくとも、消毒した水道水だろうなぁと思ったりして。

この水を掛けるというのは、何やら段々激しくなってきたように思う。
又、入り口ではいろいろやっていたが、人が多くて何も出来ない感じ。
ブロードウェイ・ミュージックシアターへBBB・「ビッグバンドビート」を見に行くのだが、未だに中止。
但し、お盆に入ったから代わりに  ディズニーの仲間たちとダンサーによる約15分間のミニショー「ショータイム・フレンズ」と言うものをやっていた。
行ったら結構列が多く、余裕では入れたが通路際には座れなかった。
何故通路際が良かったのかというと、サービスでミッキーなどが走り回って握手などしていたからだ。
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終わって、子供がまだ帰りたくないと言うので、エレクトリックレールウェイでポートデスカバリーまで行き、ぐるりと一回り。
当然アトラクションは、長蛇のスタンバイで何も乗れるはずもなく、オミアゲ品を少々買って、マーメイドラグーンで一休み。

こっちは、ここで水をカブ飲みなんだなぁ。クーラーが効いているから入り口の通路では寝ている人、寝転ぶ人ばかり。
この暑さで何時間も並んだら本当に嫌になるよねぇ
そして、こちらもホテルに戻り荷物を受けって、夕闇迫る5時30分には出発。
暗くならないうちに外環自動車道まで抜け、関越のSSまで来たら真っ暗になっていた。
それにしても、毎回首都高速は迷う。
カーナビでこちらだよと言われても迷うのは困りもの。
そして、日産のカーナビは又も、小菅JCTで混雑して渋滞が見える道へ誘導する。
2年ほど前、高速がだいぶ空いている時にこのカーナビ通り行ってみたことがある。
確かに距離は短いが、都心に入って行くだけに信号があったり、複雑な経路で疲れた時には運転したくないと思う道だった。

自宅周辺には、午後8時前には到着。
お盆割引きで1,600円だった。行く時は通勤割引きで2,000円だったけどね。

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2009年8月17日 (月)

紫舟作・読めない題字・読売新聞「言葉のアルバム」

読売新聞の金曜日夕刊に「言葉のアルバム」というコーナーがある。
このコーナーの題字を「紫舟」という書道家という女性が書いている。
毎回、この題字を見ると気分が悪くなるのだがこれはお盆の頃だったから、読売書法会の「本格の輝き」と朝刊に載った当てつけではないかと思えたりする。
以前、この題字に使われている「印」について述べたことがある。
印に刻してあるのは「紫」だけで妙なものである。元々、本人が名字を公表しておらず「紫舟」で通しているからまた妙なもの。
そして、以前書いたように偶然この印を使ってしまったとも思ったが、本人のHPを見てもこれともう一つの印しかない。
しかも拡大してみれば良く分かるとおり、良くも恥ずかしくなく鈴印出来ると感心してしまうくらいなものである。
書作の雅印を見れば、これを書いた人物がどれほどの感覚、技量を持っているか分かってしまうことがある。
だから、書家はそこそこ文句のでないような印を使うのであって、印でケチを付けられるようではお里が知れると言うものであろう。

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さて、今回の「題字」は読めなかった。
1字目の「貴」は、紫舟氏が勝手に作ってしまった文字で古典には存在しない。強いて辞書を調べてみたら「張旭吉詩四帖」に似た形の文字があるが、草書であるし第一書き順が違う。
初めの第一画など何つもりだというものだ。
次に「女」も繋げて書いてあるので全く分からない、強いて言えば「め」の字なのだかそうにもなっていない。
そして極めつけは、繋がっての「の」。

この書き方は、産経新聞で「今日の言葉」を書いていた中国人の女流書家と同じ書き方である。要するに、漢字とかなを分けて書いていない。
中国人では、かなという考え方がないのは仕方がないとしても、近代詩文・調和体を書く常識として、はっきり分けるというのが原則だ。


それを勢いで書いてしまうと言うのは、独りよがりでしかない。

やはり以前、読売新聞に掲載された女流書道家で全く違う文字を書いて、「別の読み方」をさせていたのがあった。
それが、前衛のように読めなければ、題名として良いとしてもはっきり読めてしまうのに勝手に「途方もない読み方」にするというのは驚いたものだ。
本人曰わく、その本来の文字では考えている事を表現出来ないのだそうな。

スキルのない自称書家という人たちというものは、高校レベルの文字感覚、書で止まっている。

そして、読売新聞では「本格の輝き」と新聞見開き中央にでかでかと掲げる書団があるのに、一方で「本格の輝き」が泣くように書の題字がある。

それにしても、毎週金曜日になると「いやらしい・品のない」題字を見せられて、苦痛の連続と感じる人がいることを編集者は気がつかないのか不思議なものだ。


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2009年8月16日 (日)

モンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"に乗る

モンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"に乗る

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ  その3

TDS & TDLの2日目、今度は難敵TDLのモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"に挑戦する。今回は、今年に出来たアトラクションに乗らないと来た意味がないと言うか、どうしても乗っておく必要がある。
早朝からTDLの前に並んでいる人たちもこのモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のPFを取るのか、一番で乗るためであろう。
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例の「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス・通行証」を試す時である。
前日11日に20,507歩も歩いたから、12日はユックリしたかったのであるが、7時30分にはリゾートライン・東京ディズニーランド・ステーションに降り立った。

9時オープンのTDSの入場者待ちの少なさに比べて、「おっ」と驚くほどの人並み。
これでは、その後に付いたらモンスターズ・インクのFPを取れるかどうか、取れても並ぶのにどれだけ掛かるのかと思いやられるものだ。

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ところが「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス」というのは、駅の真ん前というかTDSの正面の入り口でここはいつもは空いていなかったのではないかと言うところ。
これもディズニーランドホテルが出来たお陰というものだ。

但し、ホテルミラコスタの様な優先入場というものは無いからディズニーランドホテルに泊まっても有り難みは相当薄い。
TDLでは例え1分でも入場が早ければ劇的に違う、と言うくらい秒単位で入場を争う。
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だから、5分でもゲートだけでも通過されてくれれば、8時オープンと同時にアトラクションに走れる。しかし、実際はそうなっていない。
それでも、8時のオープンと共に開場すると入り口が多いのと、当然人数が少ないから進みが早い。大して気を揉むことなく入場出来た。5分以内にはモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のところにいた。
入場同時に、みんなは走る走る。

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行く方向は同じワールドバサールの横の道を走ってモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"へだ。
行ってみたら、もう「黒山の人だかり」続々と並んでキャストがロープをシンデレラ城方向に張り始めている。一瞬ためらったが、よく見たらまだ思ったより多くないし列の進みが早い。
今回、記録によれば8時18分(の印字)にモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"のFPが取れて、13時25分だった。

以前だったら、入場して長い行列や黒山の人だかりのPF待ちの人を見て嫌になる雰囲気なのである。
時間は、本当に8時18分だったのかなぁ~~。携帯電話記録だと14分なんだ。
それで「ビックサンダーマウンテン」に駆け込んで8時20分。
30待ちでライド。
出てきたのが8時55分。
こんな朝は、ビックサンダーマウンテンは見ているうちに60分待ちに。出てきたら90分待ちだった。多少入り口から遠いと言うのも狙い目ではある。
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それにしても、モンスターズ・インクFP待ちは、待って見ているうちに午前中の時間から12時を廻り13時になったのはあまり気分が良くない。

但し、FPの機械は6-8台あった上に係員がバーコードリーダーで直接読み取らせていたから進みは早く、8時30分を廻るとPFが終了するという話があるが大方50分頃のようだ。
次のFPが10時15分。
スプラッシュマウンテンのFP、ホーテッドマンションのFPで終わり。既にお盆休みは始まっているから大混雑というのは仕方がないものだ。
予定のモンスターズ・インク"ライド&ゴーシーク"
例の、ライトでモンスターを探し出すというもので、光が当たると出で来るのか、単に出で来るのか分からない。こう言うのは1回乗れば「そんなものか」というもの。

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その他のアトラクションは、ピーターパン(連れのみ)、ガジェットのコースター、カリブの海賊、ジャングルクルーズ、遠くからの「クラブ・モンスターズ・インク・笑いってクール!」ぐらい。







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それにしてもモンスターズ・インク・笑いってクールは、ホースで水をぶっかけるヤツ。
本当にずぶ濡れになる。そう言えば何年か前抽選に当たって、シンデレラ城の前に座ったことがある。
その時は、レインコートを着込んでいたと今でも思い出す。



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12日17,021歩。

やはりTDLは歩く距離が少ない。

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「お盆」15日に送り盆の慣習のある家々


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「お盆」15日に送り盆の慣習のある家々

8月になったかと思ったら今日2009/08/16はお盆の「送り火」である。
本当は、うちでも今日お墓参りに言って「送り火」と言う事になるのだが、我が家の伝統で15日に送る。だから13日に「迎え盆」で15日に「送り盆」という1日少ない。
母の実家でも同じだったのだが、母がお嫁に来てもうちでは同じだったそうな。
1日早い理由というのは、昔のことだが使用人を多く使っていた大農家(元名主など)の素封家では、16日に使用人に暇を出して「盆」を送らせたという慣習からだという。
母の実家も何代も変わって、もう農家ではなくなってしまったし当然使用人もいない。しかし、その盆を送るという習慣だけは残っている。
一方、我が家の習慣としては何故15日に送るのかは誰も教えてくれなかったし、言わなかった。
うちの親戚では、迎え火にもならない11日から盆の準備をする家があってそう言う家では当然16日に送る。

‥‥とはいうものの今年は、11日から遊びに行ってしまったのでうちの迎え火は14日だった。お墓参りには「花」がつきものなのだが、今年はこの花を買うのに苦労をしてしまった。そのわけは、10年以上前からの知り合いのお花屋さんに買いに言っていたのが、今年の3月末で止めてしまったからである。
それで、墓参りの途中花屋を探すと中々見つからない。
シャッター通りの中央商店街にあった花屋は当然今はなく、少し足を伸ばして行った名前を知っていた花屋は「盆の花」などは置いていなくて葬式の花作りに忙しそうだった。
結局、廻りに廻って最近出来たスーパーお盆用の花を買って墓に持っていったが、正に「しょぼい」。
墓場の花の貧弱なほどみすぼらしいものは無いが、他の墓の花がこの連日の暑さでほとんど枯れていたから「瑞々しいだけが」取り柄。
送り盆に家族で行ったら、花を買ってくれば良かったと‥‥‥
今度の彼岸には立派に「花を飾ろう」と思ったのは、少々の慰めというものだった。

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2009年8月15日 (土)

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ その2

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ 
その2

今年のお盆休みに出かけることを想定していなかったのが、偶然予約が取れてしまって予定が11日から13日まで。
11日は台風と早朝の地震と相まって散々な日だったはず、本来午後にでも着けばよいと考えていた節もあったのだが、朝6時前に出発した。Img_1108_2
台風とはいうもののその時は雨が降っていなかった。
関越高速と外環道を走って、実際雨が降ってきたのは首都高速6号へ入った時で、大雨を予想していたのに拍子抜けだった。
以前は、平井大橋手前あたりで大渋滞という筈なのだが、多少小菅JCTあたりでのろのろになったくらいだ。Img_1102_2
それにしても日産のカーナビは「川口JCT」から銀座方面への近道を必ず選択する。
そちらは渋滞だろうと表示が出ているのに、高速では絶対に渋滞を回避しない妙なカーナビなのである。
兎に角今年は、GPSレーダーGL957がカーナビに続けて分岐、合流、パーキングエリアと言ってくるから、煩いくらい確認は良く出来て目を覚ましてくれるというもの。
そして、小雨の中午前9時5分にホテルミラコスタに到着。
ホテル入り口ゲートに係員かホテルの人がいないのは、妙とはいうもののそれはホテルミラコスタのオープン当初の感じだ。
昔は、ゲートを通過するのに入館証みたいなものを送ってきた。
しかし、最近のPC予約自動配信メール受付だと、メールの控えのコピーか「予約詳細」の印刷をするしかない。
9時を廻って既にTDSはオープンしてしまっているのだが、ホテル内ロビーでは何を待っているのかそこら中のシートは占拠されたまま。
ホテルミラコスタのロビーというのは、何時も子供が走り回っていたりして、いきなり高級ホテルのイメージを崩すというのがこういうところだ。
逆に言うと、まともな格好をしている人ほど浮いて、何しに来ているのか訝るくらいである。
小雨、このまま3時くらいまで雨と言う事も考えられたから、今回無理して「3-Day MagicPassportSpecial」と言うものにした。
発行時間を見たら9時24分だったからTDSには、9時30分には入場していた。
Img_1089_2
ホテルミラコスタでパスポートを買うと言うのは最近のことで、今回のようにディズニーホテルでしか特別バージョンのものは買えない。
いずれにせよ今まで何回もあった台風のTDS、TDL。
2001年10月中旬に来たときは季節外れの台風でTDL・2日間土砂降りだった。
翌年の6月は梅雨に入った日に到着したし、子供が小学校へ入った時も初日が台風で、ずぶ濡れ。1日目は早々に引き上げてイクスピアリで買い物という嵌めに。
但し、夜9時過ぎに台風が去った後5分待ちで乗った「センター・オブ・ジ・アース」から見た夜景が綺麗だった。Img_1096_3
そんな感じて「センター・オブ・ジ・アース」を目指すものの、雨のため70分待ちでFPは13時以降。
それではと「インディージョーンズ」の12時前後のPFをとって、その頃には段々雨が止んできたのでレイジングスピリッツへ。
やはり台風の時は、室内のアトラクションというわけか、最近そんなに混んでいない筈の「インディージョーンズ」が結構混んでいた。
「レイジングスピリッツ」に並んだ時は雨も止み、15分待ちで直ぐに乗車と思ったら、あっという間に長い列になった。Img_1109_3
朝食を済まし、「マジックランプシアター」で時間をつぶしている11時頃には青空が出て、あれれなのである。
待ち時間に携帯電話のワンセグを見たら台風が逸れている。
10時半前に「レイジングスピリッツ」のPFを取って「インディージョーンズ」。Img_1110_4
エレクトリックレールウェイでブロードウェイ・ミュージックシアターへわざわざ行ったら「ビッグバンドビート」は、出演者の病気で休演中だとのこと。
今度は、PFの時間が来たのでトランジットスチーマーラインでまたまた「レイジングスピリッツ」へ。
結局、3時からイクスピアリに買い物に出かけ4時30分から入れるホテルミラコスタの部屋へと言う次第。Img_1124_3
それからアラビアンコーストの「ボンファイアーダンス」が18時40分から、よく見えなかったのでそのまま待って一番前に出で19時55分から。

こんなので1日が終わってしまった。
お盆休みというのは、早出でFPを取りまくって終わりと言うのが原則だから、大してアトラクションに乗れないのは仕方がないもの。 Img_1132
翌日12日は、TDLには「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス・通行証」があるからそれに期待というものであった。Dscf1119_2
2009/08/11の万歩計・20507歩。

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2009年8月14日 (金)

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコスタ その1

TDS & TDL イン・東京ディズニーシー・ホテルミラコス その1

今年の夏、11日の台風一過の後連日晴れマークが続く。正に、梅雨明けが8月11日にずれ込んだ感が強い。
今から考えれば8月11日というのは思い出深い日だった。それはなんと45年も前のことだったから忘れてしまったと言うのも仕方がない。
それはさておき、今年の夏の旅行は8月1日に急遽9日以降の1週間にミラコスタ(Miracosta)が取れないかという家族の願いから、東京ディズニーリゾートのバケーションメーカーを覗いたことから始まる。
丁度14日前からのキャンセルが反映されたのか、11日からストカナやベネチアンサイトのスーペリアル、トリプルルームが結構空いていた。
いわゆるキャンセル待ちで予約が取れた感じなのだか、「キャンセル待ち」だったから2泊が中心で、1泊というのは少なかった感じがする。
東京ディズニーリゾート系のホテルというのは、ホテルミラコスタが出来た2001年にディズニーアンバサダーホテルに泊まった。
古いことを蒸し返すようだが、このディズニーアンバサダーホテルというのは、宿泊料金はホテルミラコスタと変わらないものの最低レベルのサービスのホテルだった。
正面玄関に車を着けられないから、荷物は車に入れたままか直結する駐車場から自分でホテル内に持ち込む、又自分で持って行くという次第。
その上、TDS、TDLには繋がっていないし、ミッキーマークの連絡バスはいくらも乗れないから客を積み残して平然と出発。
うちでは幼稚園年中組だった子供だったから、幼児としては怖い乗り物が多いTDS、TDLでは、まあそれでも良かった。
しかし、翌年からホテルミラコスタにしか泊まっていない。
どういう訳か、ホテルミラコスタの方がまともなリゾートホテルの感じがある。
今では接続して立体駐車場を完備したから駐車場まで自分で車を置きに行くが、2002年当時は正面玄関に車を乗り付け、荷物と車を預けてそのままTDLへ入ることが出来た。当然、今でも部屋まで荷物持っていってくれるサービスは変わらない。

2002-3年頃泊まったホテルの部屋としては、ポルト・ パラディーゾ・サイドスーペリアルームの「ハーバービュー」という内訳が細分化されていなくて、全て同じ料金の頃。
半年前の朝10時に一番で予約が取れた時でさえ今で言う「ピアッツァビューの部屋」しか取れなかった。
その後諦めて、今では北側の入り口に面したストカナサイドに泊まっている。
ここ二年不思議なことに、同じ位置で入り口の地球が見えるところだった。Img_1098

実際、毎年のように行っているとパラディーゾのショーを見るつもりもないのでストカナで充分である。
この一番安い部屋でさえ、二泊でルームチャージ\110,000(\55,000×2)。その上、駐車料\3,000が加わる。
今回、出発直前に調べたところによると同時期ギリギリ1週間を切る時点で3人、1泊でヒルトン東京ベイで\37,000程度だった。
だから、\36,000程度のメリットがなければホテルミラコスタに価値がないと言うものかも知れない。

ホテルミラコスタのメリットとは、元々疲れても直ぐにホテルの部屋に帰れ、リゾートラインに直結していることぐらいだっが、最近の種々のサービスが充実してきた。
それは、昨年のゴールデンウィークに経験したことで「ホテル専用ゲートからの早朝の入園」のみならず、スチーマーラインの上ぐらいの橋の先まで入場出来たことである。
同時に、午前中に行われるショーに早くから並べ特等席で見られることであった。
Img_1154
それに今回は、ホテルミラコスタなどのディズニーホテル宿泊者のみ、TDS、TDLの両方を利用できるパスポートが発行されることになったこと。
そして、ディズニーランドでディズニーランドホテル専用の入場口が設けられたことである。
実際使って見て、結局3days magic passportで3日目だけTDS、TDLの両方に入園したが、1-2日は入園しなかったから3人分5,400円無駄になった。
一方、「ディズニーホテル宿泊者専用のエントランス」は、「通行証」が必要でホテルで宿泊者のみ配られる。
実際利用してみると8時開門は同じでも入園口が多く、秒単位の時間を争う開園直後では、FPを取る分には圧倒的に有利であった。Img_1153

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2009年8月 9日 (日)

サイゴンの火焔樹・副題・もうひとつのベトナム戦争 ・牧 久 (著) を読む

サイゴンの火焔樹・副題・もうひとつのベトナム戦争 ・牧 久 (著) を読む

その1

ベトナム戦争に関する著作はたまに気がつくと読んでいるのだが、それは自分の青春時代に散々騒がれたことからだろう。
大学時代どこかの講習室の廊下に「反戦のポスター」が貼ってあったのを今で思い出すのである。どんなポスターだったかの黒地に「No!Nixon」だったかも知れない。
しかし、1975年(昭和50年)にどこかの赤い国旗を掲げた北ベトナム軍の装甲車が大統領官邸の門を壊して侵入し、国旗を掲げたのはTVでも散々報道された。
そして、その後のポートピープルの報道。ベトナムのカンボジア侵攻。
北ベトナムがベトナムを統一してのその後、ベトナム戦争の実態が明らかなにるにつれ、TVでも二夜連続に亘る特番がなされた。
米国を非難した米国マスメディアは沈黙を守り、逆にベトナム戦争批判を繰り返したジェーン・フォンダは自己批判をする羽目になった。
そして、日本ではあれほど騒いだ「べ平連」は、南ベトナム陥落以降全く知らぬふり。正に蛙の顔に何とやらであった。
思えば1970年頃は、小田実氏は東大助手で代ゼミの英語講師をしていた。
聞くところによると、英語授業より米国批判の講義の方が多かったと当時の受講生から聞いた。但し、小生は講習を受けたことがないので確認しようがない。
いずれにせよ、そう言う似非反戦家の扇動にも乗らなかった。
1970年と言えば、70年安保で大学紛争が激化した頃だった。

そして、今回某ブログの紹介もあってこの「サイゴンの火焔樹・副題・もうひとつのベトナム戦争」を読んでみることにした。

以前に読んだ本は、「ベトナム革命の素顔・タイン ティン(著)、中川 明子(翻訳)」(2002)であって、ドイモイ政策後であっても共産党の特権階級としての腐敗。
何の知識もない共産党員の妻が突然大病院の院長になったり、各種の搾取。ベトナムという国の共産革命とは何であったのかの疑問を解くものであった。
その他は、 ベトナム戦争の「戦後」中野 亜里 (編集)2005。
この中では、「第2部ベトナムの戦後と関係諸国、第1章日本から見たベトナム戦争とその戦後(渡部恵子・読売新聞英字新聞部記者)」では、ベトナム戦争を知らない世代による「推測」。
どう考えても、小生などの認識とは全く別なベトナム感。そして日本の歴史に対する無知が日本断罪を行っている。

「サイゴンの火焔樹」は、牧久という当時日本経済新聞記者が1975年3月陥落直前の南ベトナムへ「サイゴン・シンガポール特派員」となり、9月29日朝国外退去命令が出て、10月31日朝強制退去した8か月の記録である。
持ち出せたものは、身の回りの衣類、アオザイ人形と小さな漆塗り2点のオミアゲと30米ドルのみ。
その間、陥落後記事を南ベトナム臨時革命政府の目を盗んで日経新聞に送り届け、その日経新聞に送った記事が300ページまでの主要な内容になっている。
実を言うと、ここまでの記事というものは実際本を読まずとも以前TV特集で充分おさらい済みであった。
だから、読んでいてその内容を再度確認すると言うものだったのだが、南ベトナム臨時革命政府との折衝、記事は概略掌握していたものの牧氏のスクープ記事だから初めて聞く話もあった。
実際、その南ベトナム臨時革命政府の首脳の希望とベトナムの真実の姿を報道してしまったために「危険人物」「スパイの嫌疑」をかけられ強制退去になった。
しかし、あとで判ったことかも知れないが南ベトナム臨時革命政府としては、牧氏の報道をかばい通して、最終的にはハノイの共産党本部の命令によったらしい。

そして、後半第2部「歴史に翻弄された人たち」に書かれている在留元日本兵について言及している。
感じるところ前半の第1部は、自身のベトナム特派員としてのメモワールとして当然としても、100ページもある第2部が本当は書きたかったのではないかと思う節がある。
それは、ポートピープルの真実とその背景であり、出会った元日本兵(第2章元日本兵と民族解放)である。
その中で、元日本兵は南と北に別れて存在していることを述べ、その人達が元日本の特務機関出身だったりすることを明らかにしている。
それによって、日本経済新聞の牧氏の日本で掲載された記事は全てハノイでチェックされていたことが明にさせている。

1940 年9月日本軍が仏印(フランス領インドシナ)に進駐するのは、ヴィシー政権(親独)下のフランス領である。日本は、このヴィシー政権と協定を結んで「蒋介 石への援助ルートを絶つ」(蒋援ルート)と言う名目で進駐した。‥‥軍事に関しては日本、政治経済はフランスが主導する。
日本が降伏した2日後の1945年8月17日以降、ベトナムではベトミン、フランス軍、中国雲南軍、国民党軍がベトナム北部で戦闘が繰り返され、日本軍の将兵と武器の争奪戦が行われた。
こ の中で、ベトミン軍の中核になった脱走日本兵は約4,000人だという。(大森実・「ホー・チ・ミン不倒の革命家」)この日本兵は、ベトミン士官学校の幹 部養成に関わり、軍事教練もした。その後暫時引き上げが始まって、最終的に残ったのは7-800人といわれている。(サイゴン寿関係者)

この辺のところは、小生としては断片的にしかよく知らない。
しかし、イントネシアにしろベトナムの初期のベトミンにしろ中核となって戦ったのは旧日本兵だったし、日本軍が残した大量の武器弾薬、物資だった。
この軍事物資によって中国共産党八路軍は強力な軍隊を組織できたし、ベトミンは民族解放の助となった。

ベトナム戦争の「戦後」中野 亜里 (編集)2005
「第2部ベトナムの戦後と関係諸国、第1章日本から見たベトナム戦争とその戦後(渡部恵子・読売新聞英字新聞部記者)」
では、○年表の出来事ではなく
で「また、私事になるが、ベトナム人の義父(筆者の夫はベトナム人)が、私の友人に問われるままに、『仏印進駐時代に日本軍が、米の徴発の猶予を願い出たベトナム人を軍刀で袈裟懸けに切ったのを見た』というのを耳にしたことがあった。」と言う部分がある。

戦後日本の教育として、反戦と共に旧日本を嫌悪する教育を行った。
それと同時に、日本の過去の歴史というものをある種の一辺倒の考え方に固定した。
それは、あたかもGHQが日本人に与えようとしたWarGiltProgramそのままに過ぎない。
しかも、日本人の軍事に関する無知というのは救いようのないレベルまでに達してしまっている。
「軍刀で笠懸斬り」‥‥例の虚構「100人斬り競争」を思わせるではないか。
軍人の持っていた軍刀とは、大方指揮刀でなまくらだったのは有名である。

そして、ベトナム共産党のなどの共産主義者に共通なのは、人に助けてもらっても助けてもらったとは決して言わないことだ。

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2009年8月 8日 (土)

穂村弘氏の「『受け取らない』重圧…」の「気くばりのなさ」の疑問

穂村弘氏の「『受け取らない』重圧…」の「気くばりのなさ」の疑問

読売新聞平成21年8月4日(火)夕刊「いま風・火曜日」に穂村弘氏の「『受け取らない』重圧…」・配られるマナーという記事があった。

最近の読売新聞を見ていると、尻尾を出さない朝刊に比べて、あまりたくさん見ていないと思われる夕刊に時々妙な事が多い。
毎週金曜日には、例の「紫舟」という自称女流書家が見るに堪えない題字を書いて、悦に入っているし、鈴木美潮記者のdonnaでは度々カリスマ記者の馬脚を現したりする。
読売新聞2009/07/14夕刊掲載「鈴木美潮のdonna」というコラムでは、読売書法会の先生方は事実上コケにされて見るも無惨だった。
それで今回は「マナー」と言う事なのだが、穂村弘氏は「駅前などにティッシュを配っているひとが立っていると、緊張する。」‥‥そして、「受け取らない決意を固める。」とある。
内容はたわいもない事で、ティッシュをもらっても「花粉症でもない私はティッシュを使う機会がほとんどない。」
それで、「鞄の底に放置されたティッシュは半年もかけて、少しずつぐじゅぐじゅになってゆく。捨てるにも気合いがいるのだ。」
こんな事は、文章に書いて人に見せるなど馬鹿馬鹿しい事だ。子供が夏休みの宿題での作文だったに間違いなく良い点は付かない。
もらったティッシュは、必要がなければまとめて箱にでも入れておけばよいのであるし、最近ではこのティッシュを使った日常使用に使えるケースだってある。
何も「鞄の底に」詰め込んで持ち歩く必要もないのだ。
小生など実際、ティッシュはかなり使う。
パソコンプリンターのインクの詰め替えには新聞広告を下敷きにするとしても、最終的にはティッシュ。そして、このインクの詰め替えこそ「エコ」だ。
その他、CD・DVDの清掃なら何やらそれこそ「鞄の底に放置されたティッシュ」の活躍の場は大きい。但し、ティッシュにはローションが入っていることもあるので注意。
まあそれは兎も角も、穂村弘氏はそんな事を言っているのではない。

「普段ティッシュを配っているひとが、渡される立場になったとき、どうしているのだろう。正解を教えてもらいたいものだ。」
という実に馬鹿馬鹿しいことなのだ。
この歌人でもある穂村弘氏と言うのは、簡単なバイトでもやったことがないのだろうかと不思議に思うことである。
何故なら、「ティッシュ配り」というのは、大方バイトだからだ。
大きなダンボール、2-3箱全部配れとかいうもの。全部配ってそのバイトは終わる。
配れなければ、何時までも立ちん坊をしていなければならないというものだ。
そうであるならば、気軽にもらってあげると言うのが「親切心」と言うものだろう。
だから、穂村氏の質問の回答は迷うことなくは、「喜んでティッシュをもらう」なのだ。
物事を考える時、常に他人の立場において考える。
その昔NHKの鈴木健二氏が「気くばりのすすめ」の本を書いていたが、実際「気くばり」が出来るようになるというのは、欲がなくなってある程度年を取ってからなのかも知れない。
逆に言えば、「気くばり」が出来ない人というのは若いのかも知れない。

この文章では「マナー」を説いているのだが、実は「気くばり」というマナーを欠いてしまっていることを暴露したお粗末なものだった。

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2009年8月 7日 (金)

夏休みの準備・バージョンアップ・GPSレーダーGL957と電源

お盆休みを前にして、漸くカーナビのバージョンアップをした。
これは、購入から車検までの間に1回だけカーナビの地図ソフトのバージョンアップが出来るというもの。
昨年、カーウィングスに関連して不具合が生じて、旧バージョンのカーナビ機能だけは12月にバージョンアップした。
このバージョンアップによって、カーウィングスの不都合は解消されかつ、ウィルコムのデーター通信端末でCDの曲名も付けられるようになった。
それから今回では、地図ソフトの更新も含めてだから北関東自動車道で伊勢崎の先から「空」を飛ばなくて済む。
鯉沢バイパスも正常に走れる。但し、それはそこまで行かなくては分からないもの。それで違ったのは、起動するとカーナビが挨拶する事ぐらいなものだ。

但し、次回有料ではいくらかと聞くと25,000円位とバカ高。性能の悪いオプションカーナビというのは全くぼったくるものだ。

ホンダならデーター通信を通して常時更新してタダ。全く日産というのはどうかしている。それだけでなくもカーウィングスもサービスが悪化して使えないものになっている。

近年、ジェームスなどの車用品店の広告がよく入るのだか、訳の分からないレーダー探知機があった。それは、コムテックGP-XX01というもの。
メーカーのHPを見ても掲載されていない代物。それで最新型と言うではないか???。実際よくよく見たら「指定店モデル」という量販店用のGL847の変形モデル。要するに、他店、ネットの安売り商品に対する対抗品。これなら性能が変わらなくても違う商品ですと高く売れる。
そしてもこの手のものは、バージョンアップにはパソコンとUSBで直接繋いで行うもの。もともと後発の手段だったのでmicroSDを使わなくて済む便利さは良い。

但し、それも機器を車から取り外してと言う条件がある。
だから手軽で良いと言うものの車から本体を外すか、ノート型パソコンを車の中に持ち込まないとバージョンアップが出来ない。
その上、外せば直流12Vの電源がいるし結構やっかいな代物だ。
そんなこんなで、HPを調べていたらGL957だけでなく全てに対して「2009/7/1」の更新データーが掲載されていた。
だから、最新の物を買ったとしてもこの更新しなければ、2009/3/2配布のもので「2009/1/27」というバージョンである。
GL957は、以前のモデルから踏襲しているMicroSDカード更新。

ところがこういう古いタイプは今や持っていない。旧式対応だからmicroSDが2GBまでという古いタイプであるとがミソ。
しかし、今こういうものは、激安になっていたのでベイシア電気の広告にあったKingstonの698円のmicroSDを買う事にした。そこで車を30分もアイドリングしておく無駄を考慮して電源を探す事にした。実は‥‥‥

Img_1086 電源は、アマ無線をやっていたから腐るほどある。
腐ってしまったものもある。その中で色々探していて見つけたのが‥‥

それで「秋月電子」の12V-2AのACアダプターを使う事にした。

改造したスイッチング電源では怖しいなぁ。

近年と言っても、随分前からだが、スイッチング電源が発達してこんな高性能の電源が出来ている。

これに、シガーライターソケットを接続して電源とする。

ダウンロードしたファイルをSDに単にコピーすれば済む事なのだが、ダウンロードファイルにはコピーソフトが付いてきている。
要するに、SDをフォーマットして必要ファイルをコピーするというもの。
実際大きなお世話のようなソフトで、デジカメのバージョンアップをやっている身としては、何ともまどろっこしい。

但し、やり付けない人には良いかも知れない。
それで、SDを本体にセットしてバージョンアップ。
説明書では15分とあったが、その頃は82.5%程度だった。

だから20分あれば終わっていたのだろう。
あっけないと言えばあっけない。
いずれにせよ、これで最新型になった。
しかし、色々な物を持っていないと結構面倒な仕掛けのバージョンアップだった。

Img_1082

昔のシリーズ方式。
即ち、トランスを利用した安定化電源。

ハンディトランシーバー用のDC13.8V-3Aと10Wモービル機用の4A電源。

4A用は何故か故障。
だから、今はDC13.8V可変30A電源を利用している。

5A電源もどこかにあるのだが現在しまい亡くしている。

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2009年8月 6日 (木)

第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会  そのIV

第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会  その4

○福富玲茜先生(篆刻)



篆刻の揮毫会というのもおかしなものと言えばそうである。
従って、篆刻の手順を説明するという事になっている。

Dsc01582




彫る印面に草稿を描く。

印刀を見せて、これで刻します。



2009_0721mai0039
最後の黒い部分を刻して終了。


2009_0721mai0044

これで完成ですが、去年と比べてどことなく簡易な気がしました。

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Broachのクソブロクここに極まる

8月になって、Broach版のブログにとうとう接続できなくなった。そして、プログ投稿してもサーバーに跳ね返されて接続できませんで一巻の終わり。

それでは、プログという利点は一切ない。HPを立ち上げた方がまだマシというものだろう。

夏になって、サーバーの負荷が大きくなったのではなく、単にダメになってきたにすぎないのではないか。この一応有料ブログのお粗末。

第一、画像は今時300MBしかアップロード出来ない。

驚くほどのものだ。

【障害情報】Broachに接続しにくい状況について

Broachスタッフのマサヤです。
お世話になっております。
現在Broachのシステムにおいて、何らかの原因により設備に過負荷状況が断続的に発生しており、このため接続しにくい状態が発生しております。
ご利用の皆様に多大なご迷惑をおかけいたしましたことを深くお詫び申し上げます。
より詳しい情報が分かり次第、随時情報を載せていきます。

【対象】
Broachシステム全体

【発生日時】
2009/07/26頃から

【障害原因】
現在調査中

【障害内容】
断続的にBroachに接続しにくい状況が発生

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2009年8月 4日 (火)

第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会 III

第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会 
その3

種家杉晃(漢字)先生‥‥神奈川・創元

からだ全体を使って揮毫してます。
主催者側から使っている筆は高価なのではと言う問いに、中国から毛を仕入れたものを日本で加工しているのでさほどでもないとか。


完成作品です。
揮毫したのは、会員賞を貰った作と同じ文字とのこと。
1回だけの揮毫でしたが、もう一枚書いて欲しかった感じがします。

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2009年8月 2日 (日)

NHK・名将の采配「城濮の戦い」 (最終回)

名将の采配「城濮の戦い」 (最終回)

NHKの番組では、晋の国王・「重耳の名采配」をなどと言っているが「城濮の戦い」を直接指揮したとは史書には書いていない。
この古代春秋時代、直接作戦指揮をしたらしいのは800年続いた楚の名君中の名君・荘王くらいなものである。
小君子を別とすれば、当時の晋などの大国では宰相が軍隊の指揮を執ることが多い。
「NHKの名将の采配」は第4回から見てきたが、番組評にあった「正確な時代考証」によりなどと言うのは大嘘であった。戦争シーンを単純にするのはよいとしても、その本質や実態を説明しないのはどう考えても粗雑としか思えない。
さて、主題の「城濮の戦い」、一口で言えば晋の全軍の大軍でもって、少ない楚軍の遠征軍を滅多打ちにした一方的な戦いであった。
その戦いの趣旨は、晋軍は楚軍を如何にして全滅に近づけるかであって、勝利の趨勢は決まっていたというもの。
NHKの名将の采配では、晋軍は戦車約700乗で約7万。楚軍の戦車約700乗で歩兵を晋軍を上回ると説明し、9万人と設定した。
しかし、楚軍兵力は史記に記されていない。
「春秋左氏伝」によれば、楚軍全軍のうちの中軍の将・子玉を差して批判したものがあって、「300乗以上の兵車」と記しているものがある。
宮城谷昌光氏は、小説「沙中の回廊」の中で推定で楚軍は兵車300乗で兵力約3万、同盟軍の陳軍、蔡軍を加えても約4万に満たないと推定している。

もともと宋を攻めている楚軍に対して、斉と秦が楚の成王を説いて宋の攻撃を止めさせたことから始まるのが「城濮の戦い」の前哨というものである。
しかし、その時楚軍の中軍だけが宋の商丘を離れず晋軍を追撃しようとしたのである。
楚の成王は、中軍の将・子玉(令尹・宰相)に撤退命令を出したもののそれに従わず、根負けした成王は、撤退途中の陳と蔡軍を引き返させて子玉に付けてやったというのが史書に書かれている史実である。

そして、楚軍を待ち構えていたのが晋軍全軍の7万、斉、秦、宋連合軍2万5,000。
合わせて9万5,000である。
だから戦いに参加したのは晋軍のみであって、他の連合軍はお手並みを拝見とばかりに高みの見物なのである。
楚軍は、包囲されないように城濮の崖下に布陣して戦った事で分かるように、劣勢である。但し、それでも晋軍と戦ったのは、混乱の時代が長かった晋軍というのは軍隊が劣勢であって、かつ晋の重耳が晋公となってまだ日が浅く、その配下の重臣達を甘く見たと言うのが真相だろう。
昔から言われている通り、「1匹の羊に率いられた1000匹の虎より、1匹の虎に率いられた1000匹の羊の方が強い」とはよく言ったものである。

「行政書士の権限逸脱」大阪弁護士会、NHKドラマにNG」(2009年7月30日03時09分  読売新聞Web)と言うのがあった。
「NHKが4~5月に8回放映したドラマ『コンカツ・リカツ』で、行政書士役が離婚問題をアドバイスするシーンがあり、大阪弁護士会(畑守人会長)が『弁護士以外が報酬目的で法律事務を取り扱うことを禁じた弁護士法に違反する』としてNHKに抗議書を送っていたことがわかった。‥‥中略‥‥ドラマの行政書士役については「法的手段や法律解釈に踏み込んだ見解を示し、行政書士の職務権限を逸脱している」と主張している。」

今更行政書士が出で来るのも妙なものだと思うのだが、行政書士という資格は確か試験、その他弁護士、司法書士、弁理士他、「20年(高等学校を卒業した者は17年)以上公務員(又は特定独立行政法人、特定地方独立行政法人)として「行政事務」に相当する事務に従事した者(第2条第6号)・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」で行政書士会に登録しなければならない。

只、実際の話をかって聞いたところによると、大学の一般教養を終了していれば取得出来る県もあった。
はっきり言って、行政書士とは昔から言っている「代書屋」。
要するに、難事の相談などないからこの代書屋に頼まなくても本人が申請すれば済む事。
公官庁の書式がネット上に掲載されている現在、仕事はどうなのかなと思ったりする。
NHKもいい加減にして欲しいものである。

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第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会  2

第61回・毎日書道展・会員賞受賞作家による揮毫会
その2

二番目は、佐藤有苑(漢字)先生です。
‥‥六友・茨城。
佐藤先生は筆を忘れたので、新しい筆で書きます。
‥‥‥と墨の濃度を気にしながら、一枚試し書きをして書き始めました。



横にある紙が、試し書きのもの。
多分、筆と紙の感じを確かめたのかも知れません。



今記憶をたどってみると揮毫者の紹介はあまり記憶にありません。
但し、漢字部門3人の受賞作品をコピーしたパンフは配られました。


鈴印して完成です。



次回は、
種家杉晃(漢字)先生です。

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