« 書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生 | トップページ | Windows 7 Upgradeするごとに不具合発生 その5 »

2009年11月26日 (木)

第41回日展 を見た・思う その2

第41回日展 を見た・思う その2

日展を見たか?と色々と触れ歩いたら、見たという人は「招待券」をもらったら!という人達ばかりだった。なんだ小生のようにわざわざ入場券なんて買わないのかと言う感じなのである。
実際、後から伝(つて)を頼ると「招待券」が出てくるようなこともあって、日展の人気のなさというものを思い知らされる。
考えてみれば、毎日書道展が展覧会の他に特別展示「篆刻家 松丸東魚の全貌」と言うようなそれだけで1,000円以上の入場料を取ってもよいような展示などはない。
第40回日展でも別に特別展示があったとは覚えていない。
分かりやすく言えば、個展でも何十万人も呼べる大作家がいなくなったのにかかわらず、相変わらず昔のママと言うことだ。
出品者が変わってもそして、時代が経ることに制度化されたシステムで小粒になって行く日展。しかも、書道に限らずある限定した作家しか出品しない、入選しない展覧会だから益々絞られてくると言うものだろう。
昔、地方の県展(美術展)で出品点数が多くなったからと落選を増やして、入選するだけで入賞と同等な価値を見いだそうとしたことがあった。
それで、落選を多くしたら結果出品者が激減、そして二度とその出品者は戻ってこなかったという。地方の官展の様なものは文化奨励というものもあるから、純粋に厳しく査定すると言うもの考えものである。
他方、書道は日展に出品するのはいわゆる読売書法展と毎日書道展の一部の人達。
現代書は、日展の項目にないからいわゆる伝統書。読売書法展の「本格の輝き」と言うものだ。
但し、「本格の輝き」を宗教文化・文明(過去準拠型の中国宗教文明)とか呼んだのは(社)全日本書道連盟の講演会(全日本書道連盟が18年2月16日に会員向けに行った講演会)で講演した公文俊平先生(多摩大学情報社会学研究所所長)。
要するに、宗教だから何も変わらない。
それはその書文化だけでなく、そのシステムも変わらない。
世の中が変化してもその中は、10年一日のごとく。
書の現代書とは、大字書、近代詩文、刻字、前衛書だがそう言うものを排除するというのは、キリスト教が宗教裁判で「異端」として排除してきたようなものである。
世の中の変化について行けないものというのはいずれ滅びることになる。
芸術一般では、全てに後継者がいるかどうかと言う事に尽きる。
実際のところ今の書道の大先生のナンバー2というのが育たないと言う事もある。
大書団で二番手、三番手が容易に育つところがあるではないかというと、そう言うところは所詮他の社中を潰す結果となる。
何時の代も恐竜のような巨大生物だけが生き残っても、生活が成立しない。
日展を見てみれば、大した目玉もないのに「日展」でございと見得を切っている「裸の王様」を見る思いである。
そして、書道界は危機感を持って活動しているところもあると言うものの、一般には書道が大隆盛していた頃の「体格」のまま、従前通りと社会から逃避するように過ごしている。
何か少しは、変わるのかと毎年思えば何時も何も変わらない。
うちの社中でも今年の春には、「書を止めたい」という人達ばかりだった。
理由は、「歳を取った」「上手く書けない」「賞が取れない、見込みがない」「年金暮らしで金がない」など色々である。
これは今のデフレ世相の反映そのままだが、こういう社会性がないと言うのが宗教文明と言われる社会である。
本来「去る者は追わず」と言うのは趣味の世界ではお決まりのようなものだが、去る者を引き留めなければならないと言うのが今の現状の窮状を象徴している。

|

« 書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生 | トップページ | Windows 7 Upgradeするごとに不具合発生 その5 »

日本の経済・金融議論」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 第41回日展 を見た・思う その2:

« 書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生 | トップページ | Windows 7 Upgradeするごとに不具合発生 その5 »