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2009年11月25日 (水)

書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生

書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生

2009/11/23の勤労感謝の日は、書道芸術院創立記念日となっていて、毎年上野精養軒で14時頃から記念講演会がある。
この講演会というのは、毎回驚くほど有意義なものでお金を掛けて出かけて行っても価値があると思うものである。
今年は、二松学舎前学長 石川忠久先生。
演題は「対句の面白み」。
話は簡単に言えば漢文の話。先生曰わく、戦前は漢文というものは必修科目だったという。
だから、国語の他に漢文という独立の教科があったそうな。
そして、その漢文の先生というのは例外なく怖い先生だったとか。
そう言われれば、昔の人は書道で書く詩文は大体読めたらしい事は分かるし、漢詩だって創作して書いたりもしていた。
それで創作の漢詩というものは、時として読めないものがあると言われていた。
何故読めないのかというと勝手に解釈して漢詩を作ってしまうために、読み方が一様でないと言う事らしい。
そう言えば、少し前に「書道の新聞」に漢詩の創作の話が出ていた。
そのうちバックナンバーを当たって読んでみようと思うのだが、こういう先生というものは大体中国語の「読み・書き・会話」が出来る先生である。
事実、石川忠久先生も東大の中国文学科をご卒業されて中国語も堪能であらされるが、実は大学ではまともに勉強せず、中国語を教えることになって学び直したと言っておられた。
但し、語学である以上毎日のように使わないと忘れるそうで、中国へ行った時は帰国する頃になって感覚が戻ってくるという。
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漢文というのは、実際は高校2-3年の時に少し習い、少し分かったと思ったら先生が替わって、簡単な入試程度の漢文しか分からなくなってしまった。
そして、今では粗方忘れてしまった。
こういう勉強も継続してやらないと全く駄目で、大学時代ドイツ語をやりながら大学院入試ではドイツ語の部分は白紙だった様なものである。
もっとも、ロシア語の方は講座を取って読み方を少し習って止めてしまったと言うくらいだから語学はダメ。
それで、ドイツ語もロシア語も実際何かに使ったかと言えば何も使っていない。そして、今では辞書を片手にしてもドイツ語が読めるかどうか怪しいものである。

講演会の本題は、「対句の面白味」は、律詩の規則というものである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で律詩を調べてみたら
「2句1組で「聯(れん)」を構成している。律詩は8句なので、4つの聯から成る。順に首聯(起聯)、頷聯(前聯)、頸聯(後聯)、尾聯(結聯)と呼ばれる。頷聯と頸聯はそれぞれの2行が対句になるという決まりがある。
また押韻は偶数句の句末でなされ、第1句は押韻してもしなくてもよい。換韻はなされない。各字、各句、各聯同士で平仄に一定の規則がある。」
と書いてあって、粗方この規則を説明されていた。
「平仄(ひょうそく)」の規則性とか、いろいろと説明されたのだが短時間の講義だと中々わかりにくい。
Dscf0431_2
その他、昔の人は漢字に訓読み音読みをつけて、漢文を全て読めるようにしてしまったというのは大発明と言われていたが、それは漢文を習った時に思った。
しかし、石川忠久先生が漢詩を中国の言語で発音すると漢文というのはやはり中国の言葉だと実感する。
そして、先生が言われるのは中国の言葉は時代を経るごとに少しずつ変わって行き、昔の「音」が日本の音読みに残っていると言われた。

漢字は、元々漢字圏だった韓国ではハングル語になって使われなくなったし、中国でも簡体字になって随分と変わって元の字がどんなものなのか分からない様なものになった。
日本では、漢字がまだ残っているというのは「訓読み」という偉大な発明によって「表意文字」としての効用が大きい気がする。
そして、戦後MacArthurのGHQ下で一時期漢字の廃止と言う事も考えられたらしいが、その結果として簡略された文字になった。
Dscf0436
しかし、最近ではパソコンの普及によって難しい文字も大して厭(いと)わなくなったから時代の変化というものは面白いものである。

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