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2009年12月 4日 (金)

簡単な歴史に学ぶデフレ経済を読み解く  その2

簡単な歴史に学ぶデフレ経済を読み解く  その2

経済の歴史というので少し古い事をから述べて行こう。
今民主党が来年度から廃止する予定の暫定税率というのは、1973年(昭和48年)に起きた石油ショックを契機として、税収を確保するために臨時に田中角栄氏が議員立法という形で作られたものである。
だから政府は、石油ショックによる一時的な税収不足を賄うためと称し、道路特定財源として数年間徴収するという名目で始めたものである。
従って、暫定税率なのである。
ガソリン税が上がった翌日、55円/Lのガソリンは82円/Lとなった。
しかし、その暫定税率というものが土建行政の利権と結びついてしまったために石油ショックという景気が回復しても無視された。
実は、この暫定税率・道路特定財源というものが、それ以降日本政府に対する不信感を持たせる結果となった事は否めない。
その第一次石油ショックは、高度成長時代というものを終わらせ、公害問題の拡大化と合わせて軒並み企業の新卒採用中止が相次いだ。
実は、この石油ショック後の混乱期は、土地ブームの終焉を意味して政府は国土法などの規制を強化して宅地開発を抑制した。
今では、笑い話のような特別土地保有税や特別土地取得税というものが存在したなどどう考えても正気は思えない。
税制では、短期譲渡、長期譲渡の他に超短期譲渡という税区分を作り不動産に関する規制を強化したと言うのが、1975年(昭和50年)以降である。
そして、それからバブルまでの約11年間が不動産不況という時期である。
この様にしてみると、第一次石油ショックが起きて以降徹底して不動産というものを日本政府というか当時の大蔵省、マスコミは攻撃してきたのである。
その不動産取引について最大限の攻撃というのが、あのバブル潰しの直接原因になった銀行局長通達「総量規制」であったのは誰でも知るところでもある。
お陰で、20年先に起こる筈だった不動産需要の減少というものが一挙に押し寄せた。
しかし、ハブル崩壊後の平成になっても経済評論家、当時の大蔵省、経済企画庁、日銀と全て「景気循環論」を取っていたから救いようにないものだった。
そして、「失われた10年」の頃になって、「景気循環論」ではない「デフレスパイラル」に入りつつあると白状せざる終えなかったのがメディアに登場した経済評論家だった。

そのバフル経済の時、世間一般の人達、財界人など、そのバブル経済を潰そうなどと思った人はいなかった。
までは考えられない事だが、就職活動などというのは皆無に近く、面接に行けば高級ホテルのディナーに招待されて全員合格などと言うのは当たり前で、何社に断りを入れるかと言うのが話題になったものだ。
この様に民間の会社が好景気を謳歌する中で、ねたましく思ったのが「官僚」と東大を中心とする御用学者。そして、自ら膨大な利益を得ていながら「思想的に」批判を強めたのが朝日新聞を中心とするマスコミ各社。
なんの事はない、役人と学者は「好景気を享受できない」不満とやっかみを覚えたのであり、そして、そこに共産主義的な思想が横たわっていた。

昔から、土地などの不動産に対して政府やマスコミ、学者が攻撃性を帯びるのは何故なのかと思っていたことがある。
なんのことはない、その後多少の知識を得たら「共産主義」の基本だった。
なぜなら、土地を所有するという人々というのは共産主義が創世された欧州マルクスの時代では、貴族しかいなかった。
その貴族が敵だと言うのが共産主義の一解釈だか、ボリシェビキによるロシア革命の革命家「プレハーノフ、ツェレテリ、チヘイゼ、ポトレソフ、ジェルジンスキー、ルチャルスキー、レーニン」などは貴族出身者であるから馬鹿馬鹿しいものである。(「人物ロシア革命史・鈴木肇・恵雅堂出版2003」)
米国では、土地の所有者は貴族であり排斥すべきものという事にならなかったのは、土地が有り余っていた広大な国新興国家だったと言う事もあるかも知れない。
実際、欧州では今でも大土地所有者というのはほとんど元貴族階級であって、昔は庶民は土地を持てなかったという事があった。ロシアでは農奴がいたくらいである。
ちなみにフランスのシャルル・ド・ゴール国際空港(L'aéroport de Paris-Charles-de-Gaulle)の元の土地所有者というのは3人だった。
そして、戦後の農地解放を見れば、土地の所有がGHQ内部の共産主義者にとっていかに目障りだったかと言う事が如実に分かる。
これはヘレン・ミアーズ(Helen Mears)の「アメリカの鏡・日本」(Mirror for Americans: JAPAN)伊藤延司 訳という書物に書かれていることでもある。(1949年日本占領連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが日本での翻訳出版を禁じた衝撃の書。)

この様に、戦後の日本の官僚、共産党の東京大学支部ものあるような東大の偉い学者先生とその薫陶を得た人達は、国民の70%が不動産を所有して「資産」としているものに対して永延として攻撃を掛けて来たのである。
バフル潰しでは、建設経済研究所常務理事だった長谷川某氏は「不動産は資産として認めない、価値のないものにする。」というような話をする始末。
「資産」と認めないのなら、なぜ昔から「財形貯蓄」という不動産購入資金を貯める預金などあったのか聞いて見たいものだった。

さて、第一次石油ショック後は、高度成長期の好景気が嘘のように大不況が襲った。
しかし、デフレにはならなかった。
なぜなら、不動産は上がることはあっても下がることはなかったからである。
なぜ下がらなかったのかと言えば、政府が土地の供給を数々の税制を導入して制限したからであった。
土地の供給を押さえることによって土地価格の下落を誘うという経済の原則・「需要と供給」を破ると言うのが、バフルの時でも発揮された日本の国の日銀や経済学者姿である。
そして、バブルの時、旧国鉄の広大な所有地を売りに出すという話はマスコミの猛反対にあって潰されたが、その後の土地下落によって国民に大きな負担を強いた責任は誰も取らなかった。
しかし、第一次石油ショックのころはハブル期の様な融資規制という憲法違反に抵触しそうな事はやらなかった。
‥‥とはいうものの、国土法というある一定規模の取引きでは、土地の価格を政府に問い合わせて価格(市場価格の80%程度)を決めさせるという異常な形態今で見てもおかしい。
そして、あの「総量規制」(1990年3月発令)が法律ではなく通達だったというのは、国土法というのが資本主義経済にそぐわないと言う事が分かっていたからであり、かなり違法性の強い劇薬だったと言う事を象徴している。
その総量規制は、バフル崩壊後の1991年12月には一旦停止されたが、廃止をすることに対して反対が多く、廃止されたのは失われた10年になってからである。

そうして、第一次石油ショック以降のバフル発生までの約10年というのは、高金利時代であった。
第一次石油ショック直後の高度成長期の住宅ローンというのは、あまり良く整備されていなかったせいもあるが、信用金庫だと年利10%を超えるなど当たり前だった。
住宅金融公庫融資が無抽選で誰でも借りられるようになった頃でも住宅ローンは7%~8%の金利だった。
簡単に言えば、1,000万円25年ローンを借りて月額支払いが75,000円くらい。その上かなりの所得制限もあった。
この様に、バブル以前というのはインフレ時代で不動産という国民の資産は毎年含み益として増え、預金という現金は一時期複利で年利10%で回せた。
国民に金があれば、デフレは起きないと言うのは当たり前だろう。
現在EUなどが回復基調であるのは、ひとえに元々高金利で国民に金があると言う事と、国の主要産業が軍事産業で日本の国のように民生品を扱うのと違い景気に左右されにくいと言う事である。

その3へ続く。

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