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2009年12月14日 (月)

ベゾブラゾフ同盟案の眉唾文書・和田名誉教授の歴史的無知 ・和田名誉

ベゾブラゾフ同盟案の眉唾文書・和田名誉教授の歴史的無知

2009年12月07日(月)共同通信伝として
日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見」として、あのいわく付きの「和田春樹東大名誉教授が発見した。」と報じた。
その内容は、

「和 田名誉教授はロシア国立歴史文書館(サンクトペテルブルク)で、皇帝から信頼された大臣待遇の主戦派政治家ベゾブラーゾフの署名がある1904年1月10 日付の同盟案全文を発見。同盟案は『ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだ けだろう』と分析、『ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する』ことなどを提案してい た。」

と言うもの。

説明としては「日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。」と言うもの。

この和田春樹東大名誉教授、北朝鮮による拉致被害者を否定し続け、竹島問題では日本の歴史を否定して韓国の言い分をそのまま言う様な親ソ、親北朝鮮、その他、その他の歴史的事実無視のとんでも「あっち系」の人物である。
そんなことを報道するマスコミも大方耳学問でしか学ばない不勉強。
多分日露戦争開戦前夜が書かれている司馬遼太郎「坂の上の雲」の第2巻も読んでいまい。
第2巻を読んでいれば、その時の雰囲気というものが良く分かるものである。
ところが、司馬史観ではウイッテ伯爵(蔵相)の「ウイッテ伯回想記」を中心に述べているから一方的であると批判する向きもある。
しかし、ソ連崩壊と共に旧ロシア時代の文献が開示されて、2005年の頃に新資料発見という日露戦争史が数多く出た。実際それをいくつか読んでみた。
それによれば、ロシア側の戦争被害の実態や旅順攻撃のロシア方の見方等なるほどとは思わせるたが態勢には影響がなかった。
今回、同じく2005年4月に出た
日露戦争史・20世紀最初の大国間戦争・中公新書 横手慎二
http://book.asahi.com/review/TKY200506140207.html
を元に読み解いてみよう。
この日露戦争史は、1990年代になって解禁されたアレクサンドル・スヴェーチンという軍事思想家の日露戦争論「最初の段階にある20世紀の戦略」【(1937)、1938年処刑による封印。】をよりどころにして書かれている。

ベゾブラゾフという名前については、「坂の上の雲」の第2巻に書いてあるとおり、元近衛騎兵連隊大尉でロシア皇帝に取り入って戦争と侵略を吹きかけた強硬派の人物して有名である。
そして、1902年にはウイッテ伯爵(1903年8月蔵相解任)はこのベゾブラゾフに追い落とされ、ニコライ二世に取り入って200万ルーブルという金をせしめ極東に林業開発会社を設立した。
この間、1903年にはロシアが満州から撤兵せず、清国政府に7か条の要求をしている。
但し、清国政府は要求を拒否し露清交渉の内容は国際的な批判をあびた。
そんなこんなでベゾブラゾフは、1903年5月19日に宮廷顧問官に任命されている。
1903年7月1日から10日まで「旅順会議」と言うものがツァーリ、アレクセーエフ提督(関東州長官)、クロパトキン、ベゾブラゾフその他の実力者を一堂に集めて極東政策を協議させた。
この会議で、クロパトキン(陸軍大臣)は「満州と遼東半島の権益を守ることに優先させる」と言う事で一致し、強く戦争を支持したベゾブラゾフは事実上失脚するのである。
その会議での決定とは要約すると
1、朝鮮半島は実行を見合わせ、満州とは同列に扱わない。
2、満州においてはその権益を守るために軍隊を常駐させる。
3、日本を孤立させるために、満州では清国政府が一部を除く都市を外国人に開放することを認める。
この内容は、日本政府に伝わりロシアは戦争回避に動いたと政府首脳は思われたが、7月28日には、ラムズドルフ外相に対して「極東に於ける両国各自の特殊利益を確定するを期して」という交渉を行っているが、事実上拒否。(手交8月12日)
その間に、アレクセーエフ提督が新設の極東太守府長官就任し、極東地域の全軍、行政権、外交権を掌握するに至った。
10月3日ローゼン公使から手交された回答
内容は省略。
10月末に日本の対案が手交。
11月2日日本の対案を拒否。満州権益はロシア専権。韓国権益は日本の権益を制限しロシアの権益拡大を要求。
12月11日ロシア対案が手交。日本の要求をほとんど拒否。
12月16日日本・元老院会議「満韓交換論に基づく妥協の可能性を探る」
12月23日第三次案をロシア側伝える。
12月29日ロシア側は御前会議。
1904年1月6日ロシア側対案が小村寿太郎に手交された。
その内容の一部には
「満州及びその沿岸は日本の利益範囲外なることを日本に於いて承認すること。
同 時に、露国は満州の区域内に於いて、日本又は他国がその清国との現行条約の下に獲得したる権利及び特権を享有することを阻碍(そがい)せざるべきこと」と いう一文が含まれていたが、中立地帯についての条項であり、日本が韓国領土において「戦略上の目的に使用せざること」という既定を復活させる条件である。
分かりやすく言えば、11月2日の対案の亜流である。
1904年1月13日日本の対案を提示。
ロシア側は、28日に会議を開き決議を上奏というも28日になると先延ばし。
日本は、1904年2月6日外交の断絶。
この様な経緯を見れば、1904年1月10日のベゾブラゾフの同盟案など何の価値がないものであることが分かるであろう。
なぜなら、この「ベゾブラゾフ同盟案」に書かれている「満韓交換論」というのはロシアで完全に否定されている事実がある。
しかも、この時はベゾブラゾフは失脚中であって、ロシアの中枢にはいない。
そして、ロシア側の最終的な態度として手交の際、ラムズドルフ外相は、戦略目的で韓国領土が利用されないことと、直接勢力行動の範囲に緩衝地帯を設定するという事を望んでいると述べられている。

結局のところ、ロシアは満州には一切手を触れさせないで後には併合し、韓国も後にはその一部とするという意図が見て取れる。
しかも、その方針は一貫して変わらなかったことが分かるものである。
何の権限もないベゾブラゾフが何を考えようと無意味というものでないか。

だから、司馬史観でいう「窮鼠猫を噛む」とは正にこのことなのである。

国際政治学では「セキュリティ・ジレンマ」という専門用語があるという。
これによれば、日本がロシアに戦争を仕掛けるというのは当然という解釈と言うことが成り立つ。

そして、こんな無意味なベゾブラゾフ同盟案を探し出して、騒ぎ立てるあの「お騒がせ」和田春樹東大名誉教授と言う人物は、全く歴史も調べもしないと言うノーテンキには驚かされるというものだろう。
そして、日露戦争な関する開戦の部分ではあらためて司馬史観というものは間違いない事は事実が証明するものである。

歴史をいろいろと研究すると、実はあのハルノート、パールハーバー攻撃と大東亜戦争突入も日露戦争開戦とそっくりである。
MacArthurが日本が開戦したのは「Security」のためであると米国の公聴会で発言したことは、歴史を鑑みれば至極納得するところでもある。

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