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2010年1月16日 (土)

小説「坂の上の雲」を読み直す・その14

小説「坂の上の雲」を読み直す・その14

小説「坂の上の雲」の第3巻において、原作者の司馬遼太郎のロシアの貴族世界とロシア軍の認識というものは違和感がある。
「その13」で説明したとおり、ステバン・オーシポウィッチ・マカロフ中将の経歴に関してもいい加減なものだった。
近年は、ネット社会だから一々書物で探す必要がないために、「どうもそうではないらしい」と言う事は直ぐ分かる。
但し、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』だからといっても間違いなどは数多くある。それでも、当たらずとも遠からずなのである。
又、原作者司馬遼太郎氏の認識違いというのは言語である。
はっきり言えば、ロシア貴族は「ロシア語」を話さなかったということに尽きる。
ネットでは、「ロシア貴族」で検索すれば直ぐに出て来ることで、「ピョートル大帝(1689即位)の西欧化政策以来、帝政ロシアでフランス語が宮廷語とされた」とある。
17世紀、18世紀という時期のヨーロッパではフランスが最強国であるばかりか文化的にも文明の中心をなしていた。
従って、当時の宮廷人は共通言語としてフランス語を話した。これは、中東のスルタンでもそうであったし、プロセイン、オーストリアでもそうであった。
(一生まともにフランス語が話せなかったルイ15世の王妃、マリー・レクザンスカは別(落ちぶれ貴族だったためか))

実は、「坂の上の雲」では第2巻「列強」でこのピョートル大帝について書かれている。
そこには、「ロシアをピョートル以前とピョートル以後に大別することもできる」とある。
それを司馬氏は「ピョートルがやった上からの文化大革命」と称している。
このピョートルは、野蛮で遅れていたロシアに進んだ技術と西欧文化を導入した事である。
それと同時に、西欧の宮廷慣習をもロシア宮廷に導入した。
その象徴として小説に書かれているのが

「今後、ひげをはやしている者には課税する」
「みな長靴下をはけ」と西欧風の服装にさせた。

要するに、フランス語が宮廷語になったのがこの時期であると言われる。
そして、長年フランス語がロシア宮廷で使われるうちに、ロシア貴族の中にはロシア語がまともに話せない貴族もいたと言うことである。
何と言っても、ロシア語は「野蛮な言葉」としてロシア皇帝によって排除されたのだから当然の帰結というものだろう。
それならば、軍隊では都合が悪いかと思えばそうではない。
将校の内緒話は兵には分からないし、元々最下級の兵士は占領国から連れてきた兵士だからロシア語が通じない。
それで、命令は下士官に伝えられ、下士官が兵士に命令を翻訳して伝えるという具合である。
そして、その下士官とは何か。
将校は貴族であって、荘園領主である。兵士をその小作人から出すとなると、領主としては困るから征服地域の農民と言う事になる。
そして、下士官は自作農である‥‥というより、小作人の農民出身者の兵士が下士官になると国家から土地を拝領して自作農になるのである。
従って、下士官になれば小作人から脱出することが出来、その上頑張ればそれを維持することも可能であったと言う事である。
こんな風に、種明かしをしてしまうと司馬氏描いている「坂の上の雲」というのはロシア側から見ると妙な部分が出て来ると言うものである。
しかも、貴族社会と一般民衆とは言葉か違うのであるから士官学校など平民が入れなかったと言う事も頷けるものである。
「その13」紹介した部分。
先ず、秋山好古が騎兵少将になった後、ロシア陸軍の大演習に参観武官としてニコリスクへ出向いた時、浦塩港(ウラジオストック)で。
皇族待遇で儀仗兵に出迎えられて‥‥

「ミルスキー大尉が、きれいなフランス語で好古に話しかけてきた。かれはこの日本の少将がフランス語に堪能だということを、あらかじめ知っていた。」
‥‥中略‥‥
「ロシアの将官はことごとくといっていいほどに貴族の門閥に属し、当然ながらフランスの宮廷的な優雅さを身につけている。」

‥‥‥‥の部分は、ミルスキー大尉は通常の言葉で貴族と思っている秋山好古に話したのであって、大した意図はない。
その後、秋山好古は竜騎兵のウォルノフ大佐や多くの騎兵と面談をしているし、リネウィッチ大将やアレクセーエフ提督にも旅順で会ってしまっている。
その偵察旅行について、こう書かれている。

『いまハバロフスクの総督代理に任じておられるリネウィッチ大将とは、わしは天津在任中、さかんに往来して親しくしてもらった。ここまできてリネウィッチ大将にあいさつしてゆかぬというのは、‥‥‥‥』
わざとフランスの田舎なまりをつかい、のんきそうな顔であくまでも言い張ったから接待委員たちはこまってしまった。‥‥‥

ここまで書いているのに司馬氏は鈍感だったようだ。

さて、この様に見てくると第3巻「風雲」冒頭に、広瀬武夫が「(貴族の間で)もっとも人気のある外国武官だった。」と書かれている理由が良く分からない。
しかも「海軍士官のあいだだけでなく、宮廷の婦人たちのあいだですら、広瀬は人気があり」とは怪しすぎる。
続けて、「そのなかで、当時ペテルブルクの貴族になかできっての美人といわれたアリアズナ・コヴァレスカヤという娘に熱烈な求愛を受けたりした。

広瀬武夫というのは、ロシア語は話せたがフランス語が流ちょうに話せたという記録はない。司馬氏は、「日本人としては、ロシア文学をロシア語で読むことができたごく初期の人々の一人であろう。」と解説し、アリアズナ・コヴァレスカヤ(ウラジミーミロヴナ・伯爵令嬢)との往復書簡では、「彼女がロシア語で詩を書いて送り、広瀬がそれに対し、漢詩で返事をし、ロシア語の訳を付けたりした。」とある。第3巻「旅順口」
これを読んでみると苦笑せざる終えない。
なぜなら、「アリアズナは文学的教養の高いむすめで、その知性と美しさはロシア海軍の独身士官のあいだでの評判であった、‥‥」とあって、普通の貴族の令嬢ではない。

広瀬武夫は、貴族の象徴であるロシア宮廷語を話す人物ではなく、野蛮なロシア語を話す人物である。特に貴族の女性などは、ロシア語はあまり上手ではなかったに違いない。
そして、「ロシア文学をロシア語で読むことができた」と司馬は書くが、その昔はラテン語であり、次にフランス語最後にロシア語で書かれたというのが本当である。

この様に考えれば、アリアズナはハニートラップであることが想像できる。
ロシアはヨーロッパでないというところもあるが、このハニートラップに関しては充分ヨーロッパである。
貴族階級では女性も「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)・貴族の義務」をたたき込まれ実践するというのは、甘ちゃんの日本では考えられないことであろう。
そして、広瀬武夫とアリアズナが常識なら相当な関係にあったというのとは間違いない。もし、司馬氏が言うようにプラトニックラブ程度のものだとしたら、広瀬は「男色家」としか思えないではないか。
そして、アリアズナが努力もせずに、広瀬武夫と(肉体)関係を持てなかったとしたら、アリアズナには相当厳しい制裁が待っていることも常識でもある。

このハニートラップのかけ方というのも、伝統的に同じ方法がとられているらしいというのは凡そ想像できるところである。
それは、「宮廷の婦人たちのあいだですら、広瀬は人気があり」で分かるとおり、掛ける相手に女性を選ばせる手法である。
それで、広瀬は「その知性と美しさはロシア海軍の独身士官のあいだでの評判であったアリアズナ」を選んだと言う事である。

事実、二次大戦の時のロシア駐在武官だった将軍(少将)はハニートラップにかかって、子供まで作り戦後その娘が日本に尋ねてきたという話しもある。
しかし、当時の日本陸軍は鈍感で問題にされなかったという。

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