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2010年3月14日 (日)

3人の若手女流書道家のそれぞれと書道理論とその優劣の???

3人の若手女流書道家のそれぞれと書道理論

週刊新潮の「結婚」という欄に書道家「矢部澄翔」と言う記事が掲載されていた。この矢部澄翔氏も芸能人か文化人並かと改めて思う次第である。
最近耳にした話では、「秋、酒蔵にて」と言う部分で「群馬県前橋市にある山賀煉瓦倉庫‥‥」と前橋まで来橋したと言うことであった。
実際、群馬篆刻協会会長の阿部先生に案内状を見せて貰ったために、結構記憶にあるものである。
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この矢部澄翔氏というのは、プロフィールを見ると‥‥日本教育書道藝術院同人 審査会員とか、東京書作展(東京新聞主催) 委嘱とか全くメジャーではないところに所属する書道家である。
東京書作展が、毎日書道展の維持団体である「東京書道会」とは一切関係がないというのは、東京新聞主催と言うところからもよく分かるが紛らわしいものである。
又、東京書作展が今年で32回(2010)と言うところから見ると、読売書法展が27回目になることから戦後の書壇の歴史からはほとんど外れている団体であるらしい。
しかし、書作品を見てもある程度のレベルに達している事は間違いない。
それは、HP上の雅印を見てもよく分かることである。
兎も角、慶事なのでおめでとうは言っておこう。
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一方、上毛新聞3/9に「黒を撮る」と言う特集があった。
この中で「書道家・木村怜由(36)東京都」が「黒を語る」として一文を載せている。

「すべての感情 表現できる
人の心に響きわたる色だ。すべての色の要素を備え、どんな色にもたどり着く。情熱、静寂、光-
白と黒で成り立つ書の世界にも無限の色彩が存在する。
白は何ものにも染まらない、いわば神の色。そのように純粋でありたいと思っても、人はエゴや葛藤を抱える。誰もが持っている闇の部分をも許容するから、わたしたちは黒がいとおしかったりするのだろう。
人の心にスッと入り、すべての感情を表現することができる。「ことば」を届けるのは墨の黒がいい。
わたしは、この色ひとつで世界に行ける。」

この文章を読んで「なんだこりゃ」と思ったのは、散文詩的だったからである。
逆に言えば、全く文章になっていない。何か書いてあるのか今回新聞紙面から抜き出して初めて分かったというのは笑えない冗談である。
さて、書道家・木村怜由氏というのは、初見で全く知らなかったのだが、群馬県伊勢崎市出身などと新聞に書いてある。
プロフィールを見ると‥‥創玄書道展一科秀逸受賞とあって、創玄書道会準会員らしいことが分かる。毎日書道展 詩文書部 6回入選、プラス秀作入賞歴ありというところ。
だから、毎日展では会友にもう一歩、創玄展ではその上に審査会員、二科審査会員、一科審査会員、役員作家とまだまだ見透しが付かない状態でもある。
近代詩文作家だから、それなりの書作品は書けるようだが先日までの創玄展を見に行きながら、実際の作品を見損なったから何とも言えない。
しかし、あまり淡墨を使わない書作家に墨の話を聞いても繊なるかなと言うものである。なぜなら、近代詩文書作家のかなりの作家が、墨滴を使って固形墨のなんたるかを知らない事が多いのである。
但し、最近の墨滴というものはかなり良いものが多く、元々の古墨・固形墨をすり下ろした様なものまである。こんな場合では、近年の質の良くない固形墨より何倍もマシなのである。
いずれにせよ、このレベルの書道家に墨に関して書かせるというのも酷であろうと思う。実際、見てみると書の理論に通じてる先生というのは少なく、結構自らの感覚で書いている先生方が多い。
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だから感覚を伝授するというのはかなりの修行を必要とするというものである。
丁度、坂本龍馬が江戸に出て、北辰一刀流の千葉道場に入門した。この理由は、北辰一刀流ならば5年10年修行をしなければならないところが、3年足らずで修行を終えると言う当時の流行だったからである。
その理由というのは、今で言えば剣道の上手くなるマニュアルを作ったからに過ぎない。

さて、3人目とはあの「優れた書家とその作品をたたえるために創設された」手島右卿賞第5回受賞者である。
誰でも知っている「龍馬伝」の大作者、大書道家の紫舟氏である。
それで江戸東京博物館で開催される特別展「龍馬伝」のパンフを貼って置いたが、隣にある文は読めるだろうか。
2010/03/14研究会があって、うちの社中の人達が集まって見せたが読めなかった。

これは、読売新聞3月12日夕刊に掲載された「いま風」の言葉。
こういう漢字かな交じり文というのは、書の世界では「近代詩文」とか「調和体」という分野にあたる。ついでに言うと矢部澄翔、木村怜由氏などが得意とする分野でもある。
この分野の特徴というか、原則というのは先ず読めること。
読売書法展などては連綿などに関しても厳しい規定があるだけでなく、中学生でも読めるというような「可読性」を重視している。
先ず、 「ウかんむり」に心の文字。なんと読むのか分からない。
実は、こんな文字はない。ちなみに、わざわざ「書道字典」を調べてみても見つからなかった。その理由は、「関心」と二文字であると言う事だという。
ところが「関」の文字の門構えの略字と言うか、行草で使う「門」が違う。
大きな「ちょん」は本来なら「点(、)」なのである。
しかも門構えの中に入るものも、元はと言えば略字。
続く「心」と言う文字も心許ない。
続いて「尊」。
これも間違い字。なぜなら真ん中の酒に似た部分に一本棒がない。まさか草書でもあるまいにこんな程度の行書で省略しない。なぜなら、この棒も元々の省略型なのである。
そして、その尊の上の「ワ」なんじゃこれだが、察するところ横の文字の門構えに合わせた?? それとも人間の「和・輪(ワ)」を表現した??‥‥そんな馬鹿な‥‥なのである。
しかし、この人物の可笑しさは、「龍馬伝」の「伝の文字の最後の止め」から尻尾が出でいるところの説明で‥‥‥。
これは、今日教えて貰ったのだが、「坂本龍馬が人を一人も殺さなかったから、最後に筆を払わず、止めた」というのだそうな。
~~普通そんな説明を聞いたら「大笑いなのだが」‥‥「冗談じゃないの?!」というものである。だから、この詩文でもこんな説明文が添付されている。
「集まってきたやわらかい思いやりを書きました」‥‥なにそれ だろう!
一文字一文字が品が悪く、抑揚に掛ける展開。
そして、最後の行も全く読めない。
なぜなら、文字を読む法則を崩して、下から上に読み上げる。
はっきり言って、書の感覚、文字は中学生並というところなのである。
これを上記の女流書家・矢部澄翔、木村怜由の両氏とを同列に並べて、比べるのはいささか失礼に当たるとは、HPの作品を比べてみれば明らかなのである。
そして、文字を書くというのは、文字その物の「抑揚」と文字が書かれた全体の「抑揚」という二つの要素で組み合わさって、いわゆる近代詩文という日本的な書というものが完成する。
ところが、以前産経新聞で中国人の女性の書家に「今日の言葉」というものを書かせたことがあった。実はこれがほとんど読めなかった。
なぜなら、中国には「かな文字」が無いからで、「かな文字」が漢字になったり、又強弱、大小もないからよけい分からない。
そして何に付けても、単調で大陸的な「大雑把」というのは、中国人が書く墨絵と全く同じ雰囲気だったのである。
やはり何か国民性というものが、書画には現れるのではないかと言う気がする。
先日東京都美術館で「刻字展」も観覧してきたのだが、日本、中国、韓国という色分けでまとめてあったのを見ると、案の定「中国、韓国」というのは大陸的な感じが強い。
これから見ると、紫舟氏の書作というのは日本的と言うより、中国、韓国的な書作に近いと言うものであろう。
少なくとも日本人的な繊細な心遣いを思わせる書作ではないと言う事である。

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