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2010年3月11日 (木)

渡部昇一著「裸の総理たち32人の正体」と吉田茂編 その2

渡部昇一著「裸の総理たち32人の正体」と吉田茂編 その2

前 回のその1で、片岡鉄哉著(スタンフォード大学・フーバー研究所上席研究員)・英文原著「The Price of A Constitution」(Tailor&Francis New York,Inc)、日本版「さらば吉田茂-虚構なき戦後政治史」1992年(絶版)、復刻改訂版「日本永久占領」1999年(絶版)を紹介した。
渡部昇一著「裸の総理たち32人の正体」と同著「日本の歴史7戦後編(戦後混迷の時代に)」は、この片岡鉄哉著「日本永久占領」を何やら参照したような記述が散逸される。
しかし、参考文献にも紹介されないように片岡論調には否定的と言うより、無視する非常に不思議なものになっている。
簡単に言えば、占領下の日本国憲法、講和条約と戦後の混乱期の謎に迫っていない。

一方、片岡鉄哉著「日本永久占領」1999年は、「さらば吉田茂」1992年版を改題と言う事になっている。しかし、「一部訂正・加筆の上文庫化」とあるとおり結構微妙な部分で大幅改訂されていた。
特に「訂正・加筆」がされていたのがサンフランシスコ講和条約前後の状況の描き方で、はっきり言って事実が大幅削除されていた。
似たようなことは「聞き書き・宮澤喜一・回顧録」御厨(みくりや)貴・中村隆英編(岩波書店、2005年)に書かれていて、この回顧録の方が生々しい部分がある。
但し、例によってほとんど参考にならない回顧録であることは間違いない。
なぜなら、肝心なことを御厨貴・中村隆英という元・現東大教授達が聞いていないからである。
本を読み進んで行くと、朝鮮戦争の部分で中村氏が妙な文献を紹介する。
それは、あの和田春樹「朝鮮戦争全史」(2002年・岩波書店)で、その紹介というのは‥‥「非常にバランスが取れた本だという気がしました。この人は六カ国語もできますし、アメリカ、ソ連あたりのドキュメントをずいぶん見ていまして、いい本のように思います。」
と紹介する。
見知っている人なら大体分かりそうなものだが、今や和田春樹氏の言動、著作というものはほとんど信用が無い。何と言っても北朝鮮による「拉致問題はない」と言い続けていた人物として有名であるからだ。
それを「いい本」と言い切ってしまうのは、そちらの方の範疇に入る人達、2005年になっても和田春樹氏を評価しているナイーブな岩波人と言う事だろうか。
なぜなら、ジャーナリスト萩原遼氏の和田春樹氏『朝鮮戦争全史』(『諸君!』二〇〇二年九月号)への反論などかあるからである。
そして、最近では以前のエントリーで述べたように
2009年12月07日(月)共同通信伝として
「日本、ロシア主戦派の同盟案黙殺 日露戦争直前、新史料発見」として、あのいわく付きの「和田春樹東大名誉教授が発見した。」と報じた。
その内容は、
「和 田名誉教授はロシア国立歴史文書館(サンクトペテルブルク)で、皇帝から信頼された大臣待遇の主戦派政治家ベゾブラーゾフの署名がある1904年1月10 日付の同盟案全文を発見。同盟案は『ロシアが遼東半島を越えて、朝鮮半島、中国深部に拡大することはまったく不必要であるばかりか、ロシアを弱化させるだ けだろう』と分析、『ロシアと日本はそれぞれ満州と朝鮮に国策開発会社をつくり、ロシアは満州、日本は朝鮮の天然資源を開発する』ことなどを提案してい た。」
と言うもの。
説明としては「日露戦争開戦1カ月前、ロシア側の主戦派の一人と考えられていた政治家が戦争を回避しようと日露同盟案を準備しているとの情報を得ながら、日本政府が黙殺していたことを示す新史料を、和田春樹東大名誉教授が7日までに発見した。」

これに関しては、エントリー「ベゾブラゾフ同盟案の眉唾文書・和田名誉教授の歴史的無知」として論破しているが、本当にこれに関して著書を出すのかと言うものなのである。

多少話は逸れたが、こんな風に岩波人が当たり障りのないように、宮澤喜一氏に聞いているから当然核心部分き何も書いていない。
なんとこの中村氏は、和田春樹「朝鮮戦争全史」を引いて「あれを見ましても、対日講和との関係ということになると和田さんも調べきれなくて、書いていないんです。」と‥‥冗談じゃないよ、都合の悪いところは書かなかっただけと言うものではないか。
そして、その部分の宮澤喜一氏の発言も回りくどいものの、「日本永久占領」に書かれている事実を補完するものとして参考にはなる。

そして、もう一人の御厨貴先生も妙なことを言っている。
「聞き書き・宮澤喜一・回顧録」p139
御 厨「私は昭和26(1951)年の生まれですから、まったく占領期は知りません。全部教科書的に習っただけです。やはり僕らは、戦前の軍部が悪かった、軍 国日本は悪かった、それにくらべたら民主化された占領というのは非常によかったんだ、というふうに、小学校の頃から対比させて習いました。」

この話、本当にそうなのかなと実は疑問なのである。正直言えば、小生は御厨氏とは同世代人であり、同じ頃の空気を吸っていたからである。
それは、小・中学校の頃から戦後の部分というのは、ほとんど習わなかったという記憶が鮮明なのである。
確かに教科書には書いてあった。しかし、書いてあることは矛盾ばかりだった。
なぜなら、占領中に日本国憲法の公布?、GHQの検閲。憲法には言論の自由があるはずなのにない。
これはオカシイと思わないのは、少々いかれている。
しかも、学校の教師は日本国憲法の公布くらいまででそれ以降は説明もしなかったのだ。
なぜなら、教師は戦前前後を過ごしてきた人達でり、戦争に行ってきた人、又軍隊に慰問に、軍事工場に勤労動員してきた人達だからだ。当然、回天などの特攻隊の生き残りの教師もいた。
中学では、数学教師は元陸軍大尉で中国戦線での戦い方を説明するし、英語教師も元陸軍中尉だった。国語教師は、師範学校時代に海軍軍人に憧れて~などなどの話しもあった。
当然、父は戦争へ行った世代だから、戦争時代の話というのは何度も聞いた。
多分、御厨貴先生というのは、よく教科書を読んで勉強をして、父母の話も先生の昔話にも耳を傾けず、小説も映画も見なかったに違いない。
高校の頃は、あの大江健三郎の著作を散々読まされたから、70年安保の頃には60年安保を題材にした大江氏の著作も読んだ。
「セブンティーン」(第一部)。‥‥第二部の「政治少年死す」は著作から消されて不明。
これでなんと70年安保の呪縛が溶けたと言うのも、面白いものである。
御厨先生は、多分高校生の頃に起きた中国の文革を絶賛し、赤い表紙の毛沢東費語録をむさぼるように読んだ人達の仲間なのではないか。
それにしても、未だに呪縛というかマインドコントロールが溶けていないと思われるのはどうしたことなのか不思議なものだ。

いずれにせよ、全ての著書で共通しているのは吉田茂氏は、講和条約締結と共に引退すべきだったということが書いてある。

「聞き書き・宮澤喜一・回顧録」
では、あの白州次郎氏の言葉として、宮澤喜一氏が紹介している。
他の著書でも宮澤喜一氏は、講和条約前後の吉田茂氏の言動に関して疑問を呈していることから同意見と見られる。
「帰りの飛行機の中で吉田さんに『あなた、これで辞めなさい。あなたの仕事は終わった。一番いい時期だから辞めなさい』というわけですね。それは吉田さんは気に入らないわけですよ。ずいぶんいろいろなときに、そう言うことはいっている。」

「日本の歴史7戦後編(戦後混迷の時代に)」
p190「吉田首相は日本の名誉を守り抜いた形でサンフランシスコ講和条約を結び、そこで辞めておけば、後々まで神のように語られただろうといわれているが、‥‥」

「日本永久占領」
p238「吉田は講和を花道に引退し、政局を一新して、後継首相による再軍備と憲法改正に道を開くべきであった。」

事実、サンフランシスコ講和条約後の吉田首相の行為というのは、小生が見ても不可解なところが目立つ。
次回、種々の検討をしてゆく。

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