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2010年3月29日 (月)

産経皇室担当記者「学習院初等科学級崩壊」の皇室批判と雅子妃バッシング

産経皇室担当記者「学習院初等科学級崩壊」

の皇室批判と雅子妃バッシング

敬宮(としのみや)愛子さまをめぐる問題は、もう週刊誌では取り上げられない様になったが、月刊誌では妙な形で取り上げられていた。
それは、今、雑誌「諸君」が休刊になって保守派に脚光を浴びつつある月刊「WiLL」という雑誌。
民主党支持者や社民党支持者なら手に取るのも汚らわしいと思われているのが、この月刊「WiLL」である。
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この5月号に「愛子さま不登校問題の核心」と題して産経新聞記者・大島真生氏の記事が掲載されている。
この大島真生(まなぶ)氏は、産経新聞社会部宮内庁担当記者(多分・遊軍)で「愛子さまと悠仁さま・本家のプリンセスと分家のプリンス・」愛子さまと悠仁さま (新潮新書・2007/09/18)という本を出している。

宮内庁担当記者であるから、皇室に対して寛容かと言えば決してそうではないらしい。
そのどちらかと言えば批判的であると感じるのは、昭和43年生まれという第二次ベビーブーマーの後、皇室を何とも思わない親に育てられた世代の様に感じる。
その妙な客観性というのは、そんなことは当たり前だろうと思われる皇室内の格差を「愛子さまと悠仁さま・本家のプリンセスと分家のプリンス」という本に表していることである。
いずれにせよ、その前段階はさしおくとして、記事を読んで行くと前段の3-4ページというのが共同通信の配信と思われる・2010/03/17の地方紙「東宮職発表 批判やまず」「止められなかったのか」とほぼ同じ趣旨なのである。
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そして、雅子妃に関しては週刊現代の「雅子妃はモンスターマザーなのか」と同じ様な記事になっている。
そして、3ページ目からは愛子さまの深刻に問題となっていることから目を離し、学習院の対応の事実を無視して、「いい意味でも悪い意味でも『プロの対応』だった」と評価しているのである。
実は、この大島氏は、皇室批判をするために論点から逃げている。
それはこんなところである。

「おつきや警備の人間を多く従えている愛子様がどんな存在なのか、天皇家というものがいったいどういう存在なのかは理解できなくとも、‥‥中略‥‥自分たちの母親や教師たちが、愛子様への対応がどこか違うことも、もう分かる年頃である。」

そうであれば、愛子様に対する「粗暴」というのは知っていてわざとやってる事になる。
そこには、天皇家に対する敬意や尊敬などみじんも教えていないと言うことが見て取れるではないのだろうか。
だから、本来なら学習院とその親の問題につきるというものである。
ところが、そんな分かりきったことを書いてしまうと批判にならないから、書くだけですらりと逃げている。
この辺まで読み進めて行くと、書いている記者が皇室という重要性や尊敬の念というものを一切持ち合わせていないというか、そう言う概念がないことが分かってくる。
なぜなら、本文の書き始めから「3月5日、宮内庁の野村一成東宮大夫が、定例会見で愛子さまの『不登校』を公表した。」と書き始めている。
元々題が「愛子さま不登校問題の核心」という敬称も一切つけない粗野な書きぶりから、その姿勢というものが推察されるのは分かりきったことでもある。
このどう考えても日本国憲法を間違って解釈し、皇室を敬う心を持っていない記者は、4ページ目の中盤にとうとう無知をさらけ出すというか、どうしようもない神経を暴露してしまう。
それは、‥‥‥

「すくなくとも、入学時、ご夫妻から『特別扱いはしないでほしい』と言われている以上、愛子様の『不安感』だけで、いきなり『問題児』とされた児童を叱責、処罰するといったことはすべきでない、とは考えて当然だろう。」

この文章は誰に対しているのか、これだけでは分からないと言うほど、敬称も何も略してある。普通の感覚なら「ご入学」とするし、皇太子、皇太子妃のことを「ご夫妻」とは宮内庁担当記者のみならず一般人でも絶対に言わない。
簡単に言えば、皇室の皇太子、皇太子妃も一般の庶民と変わらないと見ている感覚がありありと分かるのではないか。
そして、その文章の内容が「特別扱いはしないでほしい」と言うのを文字通り受け取るというのも産経新聞の記者ともあろう者が無知のほどがある。
なぜなら、「特別扱いはしないでほしい」と言う意味は、元々皇室を敬う神経が国民や周囲にあってという前提であり、本当に「特別扱いはしない」などと言うのは有り得ないことである。
だから次の見出しで「必要とされる『社会性』」という変な正義論を振りかざす。
分かりやすく言えば、皇室を庶民のところまで引きずり落すという感性であって、そうでないと理解できないというものである。
だから、皇室批判としてこんな部分が出で来る。

「学校側に大きな『落ち度』があったようには見えないが、結果的に学習院にとってこの『事件』は大きな打撃であり、『イメージダウン』となったことは間違いない。」

要約すれば、皇太子殿下妃殿下夫妻が東宮大夫を通して学習院に文句を言ったのが悪かった、泣き寝入りをすればよかったと言うことである。
だから続いて、雅子妃殿下に対するバッシングを始め、将来皇后になるのを不適と警戒して、説教を垂れている。
我々庶民でもこんなことを言われたら、「あんた何様だと思っているのか」と誰でも感じてしまうようなことを書き連ねている。
しかも、昔の事情すら知らないくせに、どこからか仕入れた小賢しい説教というのは次の部分である。

「皇后の社会性こそが、妻に選ばれた要素だったのだ。陛下は皇后によって、生まれ育った狭い世界から解放されたのである。美智子皇后は、陛下の輝きを引き出す名『助演女優』なのだ。
雅子妃と皇太子殿下にも同じことが言えよう。」

‥‥どこか左派系のアジビラのような文章にも、当然「妻」が出来た。
ここまで来て、この産経新聞記者大島真生氏の馬脚がとうとう見えてしまったのは、本人は気づいているのだろうか。
この大島真生氏と言うのは、皇室というのは単に有名俳優の夫婦ぐらいにしか思っていないと言うことなのである。そうでなければ、今までの皇室無視の言論というものが成り立たない。
それから最後まで雅子妃のバッシングが続くのだが、本来の敬宮愛子さま不登校問題と言う部分は一切触れていない。
そして、不登校問題の核心と言うものが雅子妃の社会性のなさ、皇后となるには不適格と烙印を押した上、「アドバイスできる人材を」と良く分からない事を言っている。
最後に、雅子妃に対して再び「したたかに皇太子殿下を支える、名『助演女優』になっていただきたいものだ。」と言い、以下の言葉で締めている。

はっきり言って、大島真生氏が長々と詭弁を弄して述べた主題である。

「宮内庁にも、心から皇室の未来を思い、身を挺しても『殿下、妃殿下、そうはおっしゃいますが‥‥‥』と、言える人材が配されることを願ってやまない。」

ここまで来ると笑ってしまうではないか。
なぜなら、この大島真生氏のような皇室を敬うことなどさらさら無く、精々有名俳優一族、有名人くらいに思っている人達が増えてくる以上、「殿下、妃殿下、そうはおっしゃいますが‥‥‥」と言われて泣き寝入りしていれば、皇室のノーブレス・オブリージェは失われてしまう。
今や、皇室を国民から金を貰って暮らしている有名人の一族くらいにしか思っておらず、皇室を敬う観念がない人々が増えているのが問題なのである。
特に今の民主党政権に至っては、天皇陛下さえ幹事長の下僕としか見ていない。
この大島真生記者もその例外ではないのは、著書で皇室の金の問題を扱っているから明白である。
そしてそう言う親たちが増え、子供に対して「皇室を敬う」と言うことを教えずに、単に勉強が出来ればよい程度で、本当のしつけがなされていない。
敬宮愛子さまをつかんで、下駄箱に頭を突っ込ませようとするなどの粗暴な「男の子」でさえ、しっかりと言い聞かせれば本来良く分かるはずなのである。
ところが、それが出来ないと言うのが親や学校の問題であるのは今も昔も変わらない。
事実、小生が小中学生の頃は、高学年になってもそんな陰で粗暴な振る舞いをする児童、生徒などがいて、学年一の美少女と謳われたM嬢や気になる女学生がしきりに狙われた。
その粗暴な行為を同級生の女子学生や男子学生などが守る日々が続き、最終的に担任教師に申し出た。
しかし、教師の叱責には最後まで「証拠がない」とその生徒・児童は認めず白を切っていたし、最後にはクラスの生徒たちの実力行使で止めさせることになった。

今、昔のように「剛」の児童、生徒というものは、少子化で一人っ子などが多く、極めて少ない。
そして、小生の子供が、もし敬宮愛子さまのようなことになったら、親として間違いなく学校に出かけて交渉するであろうというのは、時代が違ったからである。
戦後のベビーブーマーの頃の時代というのは、家族兄弟も多く、町内の空き地には必ず子供たちのテリトリーがあった。
そこでのガキ大将というのは、それなりに社会性と喧嘩の仕方というものを学んでいったが、今はそんなところはない。
昔なら、喧嘩や悪戯には常に手加減されたし、必ず何人かいた「アブナイ」直ぐ切れる児童生徒というのは、見張りが付いて「てなづけて」問題を起こさぬよう押さえていた。
実際、それでも問題は起きたが今は、小さな事件、喧嘩が大問題になる。
以前、転勤族の新聞記者の小学生の女児童が同級生に殺傷されて亡くなると言う事件があった。
犯人は、いわば「アブナイ」と思われた女児童ではあったが、防ぐことは出来なかったと言うのが今の世の中なのである。
大島真生氏の思想では、子供は社会や学校で「自由放任主義的」に育てると言うのかもしれないが、今の時代子供は実の親が身を呈して育てるのである。

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