« syuun の不思議な少年時代 その21 Episode 1 その1 | トップページ | 民主党政権の半年を振り返りその宗教的本質を悟る »

2010年3月22日 (月)

syuun の不思議な少年時代 その22 Episode 1 その2

syuun の不思議な少年時代 その22 Episode 1
その2

昭和31年、32年の頃の物価というものはどんなものだったのだろうか。これを考えないと月謝や寄付金の金額というものは良く分からない。
そして、月謝というものは毎月父母が直接幼稚園に持っていったものである。
今や幼稚園や保育園などに行かない就学前の子供などはいないが、その昔というのは幼稚園に行くと言うのは、言わば上層階級のまねごとだった。
だから、時として長屋の子供も人によっては無理して行ったのである。
又、公立の保育園というものには、特別な事情がない限り入園することはほとんど出来なかった時代でもある。逆に言えばコネで何とかなった時代でもある。
大学だって、例えば日大の紹介入学制度という(正規のルートとしての)裏口入学が無くなったのは、昭和44年なのである。
だから、昭和30年代の東京六大学では金を積めば正規の合格者として、入学できる大学がいくらでもあった。
日本が形式上独立してから10年、昭和30年代初頭というのは今から想像できないコネ社会でもあったと言うことでもある。
そして、当時は保育園も少なかったのは当然として、市の規模で幼稚園すら2つぐらいしかなかった。あっと言う間に増えたのは昭和30年代半ばになってからである。
当時の物価‥‥毎日道の交差点で売っていた自転車の納豆売りの価格は、一袋5~10円。
瓶入り牛乳(中身のみ・瓶の返還の条件)は、10円。ヨーグルトは15円だった。
結構乳製品というのは高くて、バターは細長い棒状の100gが80円後~100円くらいだったか?6pチーズの半欠け(高価なので半分に切って貰う)が15円、後に25円くらいだったか?
これは、たまに買いに行かされたから覚えているがその他は、あめ玉が2~3個で1円くらいだった。
黒砂糖をふくらし粉(重曹)で含ませて固めた大きな「かるめ焼き」、これが5円だった。
ちなみな小生の父親の給料が手取りで16,000~18,000円だった頃の話。
今の価格から考えると10倍にもなっていないものもあるとは言うものの、凡そ20~25倍の違いはある。ただバターなどの乳製品が驚くほど高かったと言う事が分かる。
理由は、電気冷蔵庫の無かった時代で、氷を使った冷蔵庫を利用するしか無く、冷蔵するのが難しかったという理由が大きいかもしれない。

幼稚園に入園したのが4月のいつ頃だったのかよく覚えていない。
だが、風の強い晴れた決められた日に、母に連れられて、入園料と、月謝を払いに行った。
そして、そのまま園舎の方に行って、脇の入り口から単に大広間・講堂で他のみんなと並ばされて、K園長先生の祝辞を聞いたらしい。
そして、クラス分け。
初めて母と別れて不安で一杯だった時、クラスの先生が「母親と同じ目」をしていたから、直ぐに不安が払拭されたというのは驚くべきものだった。
この先生には、本当に良くしてもらった。
ならばどんな風に、と言っても何も説明出来ない。要するに、母のようにと言うだけである。
幼い子供というのは、母親の目だけ見ていれば不安もなにも感じないというのは、本能のようなものだろう。
その母と最初に幼稚園に踏み入れたところとは、幼稚園の事務所兼昼間の園長の居間というところだった。実は、そこから園長の自宅へ通じるドアがあったものの、誰もそんなドアがあるなど知るよしもなかった。
その事務所兼園長室は、昔の商家の入り口ようなところで、広い土間に杉板のスノコが敷いてあって、その先に障子で仕切られた畳敷きの10帖くらいの部屋があった。

その入園のお金を払いに行った時、「月謝だけではないのですよ寄付を払ってください」と言い終えたところ、K園長は奥の園舎ら呼ばれてどこかに消えてしまった。
そこで、母はそこにいた事務を執っていた教師に「幾らぐらい払えばよいのですか?」と聞くと、困ったような顔をしながら、「月謝の半分くらいで」と言っていたような気がした。しかも、それが毎月のようなのだ。
要するに、月謝という帳簿に付ける金額の他に、簿外でなにがしかの金を払うと言うわけ。
そして夏休みまで4ヶ月は、月謝と寄付を一緒に母は持っていたと後に言っていた。

その時の幼稚園の授業とは、午前中は年中、年長組を講堂というか大広間に一同に集め、多くて3人程度の先生が指導して、お遊戯やら何やらの時間つぶし。
午後は、個別のクラスに分かれて絵を描くとかの自習だ。時として、絵本を読んでいなさいと渡されてそれだけと言う事もあった。
何と言っても、毎回同じものでは飽きてしまう。それで、誰もいないから騒いでいると言っても、話をしているくらいなもの。
そこにK園長がやってきて、「うるさい」とか注意に来るが先生は不在だ。
なぜなら、幼稚園の先生の半分は朝から園児そっちのけで事務をしているのである。
特に経理担当の先生などほとんど教室には顔を見せない。
分かりやすく言うと、園児を教える先生はいつも不足というのがこの幼稚園だった。
午前中は、少ない先生で全体を一まとめにし、午後のクラスに分かれてからは一人の先生が何組も掛け持ちという具合。
だからいつも先生はK園長を気にしていたし、園長が不在と言う時は先生も事務で拘束されないので、のびのびと何でもやれたというものであった。

この幼稚園というのは、後から知ったのだが夏休みや冬休みになった頃に、内緒の不思議なプログラムが組まれていた。
それが何であったのかは良く分からない。しかし、後から考えてみるとK園長がちらりと漏らすことがあって推察できるというものだった。
年中組の時、と言っても2年保育が基本の頃だったから、1年次の時の夏休み前だったか、あまりに自習が多いので母が苦情を先生に言ったことがあった。
そんなに絵でも描きたいのであれば、夏休み中の○月の○○日から絵の先生が来て教えていますから来てみてはどうですか‥‥但し、午後の2時くらいですが。

それでその時期に母が幼稚園に行って、聞いて見た。
それは、午後2時か2時半くらいだったら「絵の教室」に来てもよいとのこと。
後から聞いたら、午後1時から3時までだったそうな。
分かりやすく言えば、午後2時にでもなればK園長は帰ってしまうので誰が来ても分からないと言うものだった。
それで1日目は、2時半頃に行ったらもう終わりだった。
その時、以前から顔だけ知っていた「坊ちゃん風」の「いけ好かないような」男の子が、「ずいぶん遅く来たでじゃないか、もう1時からやっているんだぜ」。
「だから飽きちゃって、終わりにするところだよ」
「そう、やるなら、そこんとこ、塗っといて!」
2日目は、もう少し早く行くことにしたのだが、そこでこのプログラムの趣旨が分かると言う次第になった。

以下 その3へ

|

« syuun の不思議な少年時代 その21 Episode 1 その1 | トップページ | 民主党政権の半年を振り返りその宗教的本質を悟る »

syuun の不思議な少年時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: syuun の不思議な少年時代 その22 Episode 1 その2:

« syuun の不思議な少年時代 その21 Episode 1 その1 | トップページ | 民主党政権の半年を振り返りその宗教的本質を悟る »