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2010年5月23日 (日)

子育ての概念が抜け落ちた「少子化問題」と「男女共同参画」その2

子育ての概念が抜け落ちた「少子化問題」と「男女共同参画」その2

この「少子化問題」と言う問題に関しては、若い男女を早く結婚させろとか、引き合わせるような「お見合いオバサン」をつくれという話しもある。
実際、現在では結婚しない若い男女と言うのが問題である。それて、最近は婚活とかのTV報道があったりする。そんなことを昔公共団体が「お見合いパーティ」の様なことを行った事があったものの形式だけという役人根性丸出しのものもあった。
そんなときはカップルが出来る分けもないし、元々出席する女性陣がサクラだったりするから随分とバカにしたものだったと参加者に聞いたことがある。
最近では、そんな馬鹿な事もなくなったかも知れないが、「婚活」で頑張る方ならまだマシである。
だから頑張らさせるには、この婚活も「仕事と思え」と結構割り切らせる必要がある。

ところがこの「少子化問題」ということを大上段に掲げたものというのは、結婚適齢期の男女を結婚させよと言う話は出て来たためしがない。
常に議論されるのは、結婚している共稼ぎの夫婦が子供を作って、共稼ぎを如何にして続けられるか、そして子供を産んで母親になった女性労働者を如何にして出世させられるかと言う話につきる。
この後半は「男女共同参画」になり、日本の発展のために労働者確保として女性が必要だとか、お金が稼げるとかと言う話になる。
そして、子どもの面倒を見なくても仕事をして金を稼ぎ、(大)企業労働者として社会に参画し、同年代の男性の出世頭と互して管理職に就けるかと言う話が続く。
その「子どもの面倒を見なくても仕事をして」と言うところに、保育園の充実とか「子どもは社会で育てる」と言うような話になる。
一方、保育園の待機児童云々とか、働きたいのに子どもを預けられないとかというのは、実は正社員ではなく非正社員の口であることを誰も述べていない。
これは、何か妙な気がしてならないのではないか。
確かに、種々の理由で金銭的に奥さんが働かなければならない理由は多多ある。
ところがそう言う特殊事情のケースはあまり述べられていなか隠して議論がされている。
そして、その特殊ケース以外において、仕事が大切とか仕事上キャリアが大切とは言うものの子育ての大切さと言うことは一切書かれていない。
想像するに、そう言う言動をする人たちというのは、ほとんど子育てをしていないか、子育てをしなくて良かった人達で、仕事をする上では幸運で、充分なキャリアを持てた人達である。
そして今少子化で一人っ子などが多くなった場合、特にある程度高齢で子どもを産んだ母親はどうしているのか考えてみる。
そんな母親というのは、例外なく専業主婦になったりする。
その専業主婦の子育ては、1歳を超えて幼稚園に入る前は幼児用のカルチャースクールや英語のプレスクール。
3歳になって幼稚園に行く、朝9時30分に園児バスを待ち又は送り、昼過ぎ2時にはバスを待つかお迎え。午後はピアノ教室やバレエ教室など。
そして、小学校受験をする場合には受験塾に行く。
小学校に入学すると、送り迎えと言うことは無くなるものの今度は学習塾、続けてきたお稽古ごと。
3、4年になると中学受験のための専門塾に通う。当然ピアノなどのお稽古事もある。
そして、これにはすべて母親の送り迎えが必須なのである。
これは単に通うだけのことで、実際は家に帰ってからの自宅学習、レッスンなどの指導、生活習慣の管理などが付きまとう。
中高一貫校へ進学すれば、より厳しい学習が待っているし、高校受験を控えれば希望校入試のためには、より高い勉学が必要になる。

事実、こんなことを確実にこなすというのは余程しっかりしているお母さんでないと中々務まらないかも知れない。
しかし、近年ではこんなことをふつうにやっているかも知れないのである。

女性に働け働けと言っている人達は、確かに仕事上の達成感や金銭的な余裕又、名誉も与えられるかも知れない。
しかし、自らも子どもの世代に戻って一緒に遊び、泣き笑うというある意味その時期でしか味わえない幸福感というのは味わうことが出来ない。
Syuunなどの親も昔の人だから、あまり旅行や大きな遊園地などに毎年連れて行ってもらった記憶はない。
大人になってから、自らも子どもに帰って子供用の遊園地や遊び場に行くというのは、親となった大人が自分の子ども時代を、もう一度リセットして楽しむ事になる。

なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス
「なぜ女は昇進を拒むのか――進化心理学が解く性差のパラドクス」(スーザン・ピンカー (著), Susan Pinker (著), 幾島 幸子 (翻訳), 古賀 祥子 (翻訳) ) と言う本がある。
この本を読む限りにおいて、「少子化問題」と「男女共同参画」を主張する人達というのは何か特殊な人種であるかのように感じる。

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