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2010年8月 7日 (土)

8月13日またあの日が近づく日航ジャンボ機が墜落事件

8月13日またあの日が近づく日航ジャンボ機が墜落事件

8月に入ってから群馬県の地方紙上毛新聞で「日航ジャンボ機墜落事件」の特集をしている。題して「御巣鷹・日航機墜落事故から25年」
上毛新聞とは、映画「クライマーズ・ハイ」の舞台、モデルとなった新聞社でもある。
映画のロケは、前橋駅の直ぐそばの前橋東急イン(現・前橋ホテル)と向かいの山一証券が入っていた空きビルを使って行われた。
映画の出演者が、ホテルと向かいのビルを往復する毎日だったと述べていたことを思い出す。
事故は昭和60年(1985年)8月13日で、言われてみればもう本当に25年になる。
しかし、あの頃のことは地元の人間として今でも良く覚えているし、バブル経済が始まる直前の不況の時期だった。
8月13日夕刻、日航ジャンボ機のニュースが伝えられたのだが、まだ日の明るい内にジェット機の異常なエンジン音を当時高崎にいた小生の妻は聞いていたという。
夕方のニュースは、日航ジャンボ機行方不明、長野群馬県境に墜落というようなことだった。
上毛新聞の「御巣鷹・日航機墜落事故から25年」を見ると当時は、携帯電話ないのは当たり前としても、アマチュア無線機すら持っていなかったらしい。
携帯電話に関しては、その10年後(1995・平成7年)あの阪神大震災の時、当時の村山首相の秘書官は携帯電話(ポータブル電話)の電源を切っていたというくらい後のことである。
新聞社ではさすが地元の上毛新聞の記者が早く、生存者を見つけたときには現場に居合わせたと特集記事には書いてあった。
その時は、地元の消防団の後について山を登ったと言うが大した体力である。
しかし、事故当時の夕方は、墜落場所が群馬県側の県境のどのあたりか判らないことから出動が遅れ、少し遅れたら自衛隊の車両(群馬県には、自衛隊の基地がある)で駐車場が埋まっていて入れなかったとかいう。
その記事によると、鬼石の向かう道が報道機関の車で身動きが取れなかったという。
車がすれ違うことが出来ない様な道が続く場所へは難儀したろうと思いやられるものなのである。
この時、警察の動きは結構遅かったようでもあるものの、深夜に動き回れる場所でもないと言うのも確かなところである。
フジテレビの「ニュースレポート11・30」、日航ジャンボ機が墜落した御巣鷹の尾根からの、スクープ映像。
当時の記者が書いていたのは、放送の衛星中継というのが始まったばかりの頃。
その重い中継器の荷物を持ちながら、こちらではないかと先に行った報道機関とは別の方向から登って出くわしたぶっつけ本番だったという。

その後の遺体確認には、前橋医師会会長の太田氏、前橋歯科医師会会長の森下氏などが中心になって行った。
そして、不思議なことに両氏共にその後僅かにして癌に倒れて亡くなっている。

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