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2010年8月15日 (日)

左翼バネが露出した終戦記念日・東京裁判史観の読売社説

左翼バネが露出した終戦記念日・東京裁判史観の読売社説

今年のお盆は土日になったからいろいろと面倒な事になった。お盆の帰省ラッシュも高速道路は1,000円だから何時もの大渋滞でも驚くどころか当然であると言える。
それにしても、今年の靖国参拝の国会議員は多かった。一方、菅政権の閣僚は示し合わせて靖国神社への参拝を見送ったと読売新聞には書かれている。
「超党派の『みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』(会長・尾辻参院副議長)は、メンバーの41人が参拝した。政党別では、自民党26人(会派離脱中の尾辻氏と衛藤衆院副議長を含む)、民主党11人、たちあがれ日本2人、みんなの党と国民新党が各1人。自民党からは、谷垣総裁や大島幹事長、安倍元首相らも、同会とは別に参拝した。」(読売新聞Web)
昨年は麻生総理は靖国参拝をしなかったのだが、報道によれば今年もしなかったようで、やはり首相にするべき人物でなかった様な気がする。
そんな読売新聞がどんな社説を書いているのかというと非常に妙なものだった。
「終戦の日 平和な未来を築く思い新たに(8月15日付・読売社説)」
それは、全体の三分の二は終戦時のあまり左翼が言おうとしない事実を羅列して、朝日新聞社説のようなどうでも良い社説なのかと思ったら、一転して読売らしからぬ論調になった。
それは、朝日新聞が社説でよく使う手法で事実ごもっともと言うことを書きながら、実際は反対な事を主張する。
その部分はここからで

一方で、日本も過去の誤りを率直に認め反省しなければ国際社会からの信頼は得られない。
 日本は世界の情勢を見誤り、国際社会からの孤立を深めていく中で無謀な戦争を始めた。中国はじめ東アジアの人々にも多大の惨害をもたらした。」

と言うように、一転して日本の自虐史観を振り回すようになる。
先ずその反省をすると言って、70年近く前の何を反省するのかである。その70年前など今の日本国民のほとんどは生まれてもいない。
そして、その「反省すれば」、「国際社会からの信頼は得られる」と言うのであろうか。
又、その国際社会とはどこの国を指しているのか。何故なら今の日本は世界中から信頼される国として評価されている事が何回も報道されている。
多分、読売社説氏が示す「国際社会」とは例の特定アジアという「中国、韓国、北朝鮮」と解釈するしかあるまい。
そう言う観点からすると、次の「日本は世界の情勢を見誤り、‥‥」も単純にしすぎる。
同じように単純なのが「中国はじめ東アジアの人々にも多大の惨害」であって、これも一方的な東京裁判史観の断罪であろう。
‥‥と次に読売社説氏の本性が出る。

「読売新聞では戦後60年を機に、昭和戦争の戦争責任の検証を行った。その結果、東条英機元首相ら極東国際軍事裁判(東京裁判)の『A級戦犯』の多くが、昭和戦争の責任者と重なった。」

「昭和戦争」とは、読売新聞が作った造語である。なぜ正式名称として現在でも政府が認めている「大東亜戦争」と書かないのだろうか。その上「昭和戦争の戦争責任の検証を行った。」のなら米英と戦争状態に突入したのが海軍の真珠湾攻撃であった事を忘れいてないか。東条首相は陸軍大臣と参謀総長を兼任しても海軍の暴走は押さえられなかったと言っているのである。
兎に角、そんなことは問答無用なのが、「東京裁判史観」になる物言いということになる。
そう言うように、筋書き以外の異論を排除すると言うのが「東京裁判」であって、そのままに異論を排除するのが「東京裁判史観」である。
そして次に国民の反対にあって沙汰闇になったものを持ち出す。

今年は民主党政権になって初めての『終戦の日』でもある。菅内閣の閣僚全員が、靖国神社への参拝はしないという。
 菅首相は、靖国神社に『A級戦犯』が合祀(ごうし)されているため、『首相在任中に参拝するつもりはない』と語っている。
 民主党は昨年の政策集で、新たな国立追悼施設の設置に取り組む考えを表明していた。誰もが、わだかまりなく戦没者を追悼できる恒久的施設の建立に向けて、本格的な議論を進めていくべきだ。」

「国立追悼施設の設置」この件に対して、既に菅首相は検討しない事になっているから、多分この社説は大分前の書かれたものであろう。
そして、国民も賛成しないし「わだかまりなく戦没者を追悼できる恒久的施設の建立」など笑止という多くの論文も出でいることだから、なぜこんな事を持ち出すのか不思議なものなのである。
多分、そういう事情を考慮しない又は無視する。これは大新聞としては欠陥だ。
そして最後に結ぶ結論なのだが、「平和」、「世界平和」という言葉が安易に用いられている。

「今年も東京・九段の日本武道館で、政府主催の全国戦没者追悼式が行われる。歳月は流れたが、戦争の記憶は日本人の胸に深く刻まれ、語り継がれている。
 『終戦の日』は、過去の歴史を踏まえつつ、国際協調の下、世界平和のため積極的に行動する決意を新たにする日にしたい。
 そのことが先の大戦で亡くなった人々の遺志を生かすことにもなるはずである。
(2010年8月15日01時10分  読売新聞)」

ここでなぜ「平和」と言う言葉を正確に定義しなければならないのかと言うと「2009年12月10日、米国オバマ大統領ノーベル平和賞の受賞の際の演説」(日本の「8月の平和論」に欠けているもの2010.08.13(Fri)古森 義久)によって、「平和」とは厳密に規定されてしまったのである。
ここで引用すれば

「平和が単に戦争のない状態を指すならば、『奴隷の平和』もある。国民が外国の支配者の隷属の下にある、あるいは自国でも絶対専制の独裁者の弾圧の下にある。でも、平和ではある。
 もしくは『自由なき平和』もあり得る。戦争はないが、国民は自由を与えられていない。国家としての自由もない。『腐敗の平和』ならば、統治の側が徹底して腐敗しているが、平和は保たれている。」

読売新聞の社説を見ると如何に古い自虐史観、東京裁判史観に凝り固まって、現在の日本を見ないという有様とである。
「先の大戦で亡くなった人々の遺志」は、靖国神社を否定する読売社説とは多分相容れないだろう。妙な馬脚や矛盾を現す社説なのである。

多分、今から30年、40年前以上前に書いた社説をそのまま丸写しにしているのではないかという印象すらある。
但し、40年以上前の読売新聞は、巨人が勝つと一面トップだったスポーツ新聞だったかも知れない。

オバマ大統領のノーベル平和賞受賞演説全文(朝日新聞)

(以下、平和の部分の抜粋)
そこで私は二つ目の点、我々が求める平和の本質について語りたい。なぜなら、平和は単に目に見える紛争がないということではない。すべての個人の持つ尊厳と生来の権利に基づく公正な平和だけが、本当に持続することができるのだ。

 この知見こそが、第2次世界大戦後に世界人権宣言の起草者たちを後押しした。荒廃の中にあって、人権が保護されないのなら平和はうわべだけの約束にすぎないと、彼らは悟ったのだ。

 それなのにあまりにも頻繁に、これらの言葉は無視されている。一部の国では、人権はいわば西洋の原則であって固有の文化や自国の発展段階の中では異質のものである、という間違った主張をもとに人権を維持しない口実にしている。そして米国では、自らを現実主義者と称する人々と、理想主義者と称する人々との間の緊張が長く続いてきた。その緊張が示すのは、狭い国益を追求するべきか、世界中で我々の価値を押しつける終わりのない運動をするべきなのか、という厳しい選択だ。

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