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2010年9月12日 (日)

「前高、高高定期戦」群馬県立高崎高校の現在の校舎、校庭は如何に

前高、高高定期戦」群馬県立高崎高校の現在の校舎、校庭は如何に

2010/09/11、四十数年ぶりに群馬県立高崎高校の正門を通った。
高崎高校は、昔と同じ場所に一見大学のキャンパスではないかと思わせる広大な敷地と、年月を経た木々がその歴史を物語る。
それは、旧制高崎中学という今で言えば短大に相当する位置づけが感じられるのである。
一方、我が母校前橋高校は通った文京町の校舎は、前出のように生涯教育センターという意味不明な箱物に生まれ変わり、校舎は赤城の麓の方に移転したものの今や住宅街の中にある。
しかし、その場所の歴史の薄さと元の敷地から見れば広くなったとは言え、高崎高校の様に車で乗り入れられるほどのものではない。
未だに、校舎、敷地に至っては新制高校の枠から一歩も出でいないと言うのが前橋高校の雰囲気である。Dsc00557
さて、校門を見てみると「高前定期戦」という馬鹿デカイ品のない掲示がある。
昔の記憶によれば、前橋高校では「高前定期戦」などと言ったためしがなかった。
言うとすれば「前高、高高定期戦」、「定期戦」、「高高定期戦」である。
この定期戦は昔2年に一回だった記憶がある。
だからその「前高、高高定期戦」では、高校1年の時に高高に行ったのである。そして3年の時は、高高が前高に来た。
そのバスから見た高高生徒というのは、白い二本線の帽子を被り、足はゴム草履。
高崎駅まで歩いて行く生徒と言うのは、高崎近郊の山の中だからそんなものかと思ったものなのである。Dsc00551
今の校舎が出来る10年以上前は、木造の汚い校舎であちこち穴だらけ、ゴミだらけ。
要するに蹴り破ったという壁があちこちにあった。
職員室の前あたりを通ったら、何学年のだか忘れたが成績順の席次が全て張り出されていた。
ろくに授業など行わず、試験前になったら何十ページの先のページを指定して、「今度の試験はここまでだから自分で勉強しておくように」という出鱈目な教師ばかりだった前高とは大違いだった。
それで、試験結果を張り出したら「冗談じゃネーよ」とつるし上げを食うのが教師になる。いずれにせよ、前高と高高とは基本的に校風が違うというのは不思議なものなのである。そして、高高の校章は「亀の子」マークなのだが、昔はそれに二本線が入っていた校旗のこともあった。それは、帽子と同じスタイルのもので今では帽子も被らないから見ることはないだろう。Dsc00561
その二本線というのは、旧制前橋中学の第2分校を示すもので、「1897年3月 群馬、甘楽、碓井、利根、新田、多野の6分校が置かれる。」とある。
それが1900年から1912年にかけて
群馬‥‥高崎高校
甘楽‥‥富岡高校
新田‥‥太田高校・分離1900年。

碓井‥‥安中高校
多野‥‥藤岡高校・分離1901年
利根‥‥沼田高校・分離1912年  と言うわけである。
それで昔の話を聞くと、前中で落第すると高高へ転校、それでもダメだと太田へ転校。
いよいよダメだと沼田(分校)に転校して卒業したという話を聞くのであった。Dsc00555 

さて、その「前高、高高定期戦」。それは昭和42年の秋である。
TBSラジオ深夜放送の番組パックインミュージック。その木曜日深夜(1967,08-1982,07-野沢那智/白石冬美)ナチチャココンビの始まりの冒頭を飾ったのが「前高、高高定期戦」物語である。
ちなみに、文化放送の深夜番組「レモンちゃん」ことあの「落合恵子」、今ではTV朝日系の朝の番組で「砂かけ婆(すなかけばばあ)」のコスプレで有名だが、それは昭和45年以降である。Dsc00565
そこに投稿したのが当時1年で同級生だった小田君。
高高の校舎は観音山の麓にあって、当時はまだ整備されていない何やら鬱蒼とした雰囲気があった。前橋高校の正門の道路は当時としては珍しく完全舗装であったのに、高高の前、周辺は未舗装だったから余計に「山」を感じさせたのである。
それで高高の生徒を山猿と言ったかどうかは覚えていないが、相当カチンと来たはずなのである。
そして、それに対して高高の生徒がうまく反論出来ない。小田君の文章は褒め殺しも含めそれほど優れたものだった。
その深夜放送での「前高、高高定期戦」のヒートアップは激しく、高高では「小田を探せ」というなぶり殺しも辞さない雰囲気であったのは、同じクラスだからよく知っているのである。
そして、本来3学年で行う騎馬戦は、1学年だけで中止となった。
それでも多少の乱闘騒ぎで、腹を蹴られたとうちのウマの先頭は言っていた。
当時の高高というのは、前高に比べ相当にバンカラが強く、紳士的ではなかった人物が少なからずいたと言うのは事実だろう。Dsc00559

その「前高、高高定期戦」では、そのアウェーで負け、前高が多少負け越したというのは良く覚えている。
その後のホームで勝ったものの、対戦成績今でも延々と前高が負け越している。
いずれにせよ、北大(北海道大学・当時国立一期)へ進学したはずの小田君の消息は知れない。
卒業名簿にも確かな消息は記されていない。
過去は遠くなりにけりなのである。

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