« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月

2010年12月31日 (金)

その2 坂の上の雲・司馬史観を再考する「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗・著

その2 坂の上の雲・司馬史観を再考する「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗・著

司馬史観では陸軍悪、海軍善という戦後の歴史観を反映している部分もあり特に大量の戦死傷者をだした旅順攻撃に対する乃木希典批判が多い。
確かに初戦に於いて、種々の稚拙な部分があったとはいえこれは当時の参謀本部自体が官僚主義、秘密主義に陥り状況を掌握しなかったという部分もある。
しかも、旅順要塞というのは典型的な近代要塞で、当時の日本軍は全く知りもしなかったのであるから仕方がないところであろう。
その詳細は、各種の本、論考によるとしてこの様に人的な大損害を悪と見る風潮というのはその1で述べたように「二次大戦以降と言うよりベトナム戦争などの近代戦争の史観によって述べられている」ことである。
事実として、ヒットラーが従軍した第一次大戦のベルギーのイープル(Evil)の塹壕戦(約120万人の戦傷・行方不明者と約50万人の戦死者)をモデルとした小説がある。
小説「鬼将軍」(The General・1936年・セシル・スコット・フォレスター(Cecil Scott Forester)。この小説は、ヒットラーも絶賛したという。

この小説では、主人公カーズンが騎兵隊の中佐という資格でありながら、司令部が全滅して上官不在になったために、一時的に旅団を指揮する。
その後に新陸軍が編成され臨時の少将に抜擢、師団長になる。(騎兵が馬を下りて塹壕に立て籠もり、重機関銃で応戦するという秋山好古と同じ戦い方をする。)
イープル戦はまだまだ続くところで、あまりの多くの戦死傷者が出るため攻撃を逡巡した司令官は更迭され、戦死傷者の増大も全滅も覚悟の将軍が抜擢されて行く。
ここでは新たな新軍団が編成され、軍団長に補され(戦時の)中将に昇進。
この様に、戦死傷者や損害の多さではなく戦争に勝つと言うことのみ評価されるのが一般的風潮であった。そしてその将軍は猛将として尊敬された。
この戦死傷者の多さをものともしないというのは、第二次大戦のパットン将軍まで受け継がれている。映画「パットン大戦車軍団」でその様子が描かれている。 ブルーレイお試しパック『パットン大戦車軍団』(初回生産限定) [Blu-ray]
ちなみに、第一次大戦で日本は日英同盟の関係から英国から陸軍の派兵を要請されたのは、第2次、第3次イープル戦の頃と思われる。
その頃では英国では兵士が枯渇してカナダ、オーストラリアなどの英連邦の将兵を動員して塹壕戦を展開した。
湖沼地帯で戦車は沼地に嵌って動けず、そこへ完全要塞化したドイツ塹壕の前に繰り広げられる全滅の惨劇である。
日本はこの時陸軍を出していれば間違いなく全滅に陥ったろうということは間違いない。

「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗の日露戦争では「奉天会戦」の部分に焦点を当てている。
「坂の上の雲」では奉天包囲の最左翼「最弱部隊」である乃木希典第三軍の増援部隊「後備第一旅団」の壊滅のシーンを描いて、ことさら乃木の無能ぶりを描いている。
しかし、この増援部隊の全滅、敗走については別宮暖朗氏は、「総司令部が翼端である第三軍の運動方針や部隊編成について、全く考慮を払わなかった結果でもあった」と述べている。
いずれにせよ、旅順要塞を陥落させた猛将というイメージはロシア軍に浸透していたであろうから、ロシア軍の包囲網は縮まると共に急遽ロシア軍の全面撤退による勝利ということになった。
旅順要塞の陥落がなければ、日露戦争に於いて勝利はあり得なかったであろうとは、同じく別宮暖朗氏が述べるところである。
そして、陸戦においては乃木大将の第三軍によって日露戦争の事実上の勝利をもたらしたのであって、乃木神社と海軍の東郷神社が出来ると言うのもあながち分からぬものではない。
「帝国陸軍の栄光と転落」では、学校秀才でしかない参謀たちの硬直した考え方に対して、「参謀たちの作戦の失敗を補う将軍が一体、幾多帝国陸軍にいたことか。乃木希典(山口)を筆頭に、小川又次(福岡)、黒木為楨(鹿児島)、梅沢道治(宮城県仙台)、秋山好古(愛媛)は決して忘れてはならない将軍であろう。」
と述べている。(出身は筆者註)
秘密主義に徹して失敗した井口省吾満州軍参謀(静岡)、秋山好古に戦後黒溝台の激戦の作戦失敗をなじられた(「坂の上の雲」にあり)松川敏胤満州軍作戦参謀(宮城県仙台)。
昭和の社会主義化した陸軍と別宮暖朗氏が述べる変質は、こういう陸大出の学校秀才から生まれたと以後に書かれている。
ちなみに、井口省吾は陸軍大学校長として「長州関係の教官の追い出しや合格させなかった」など東条英機と共に長州など旧軍閥排除に力を注いだ人物として有名である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月30日 (木)

坂の上の雲・司馬史観を再考する「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗・著

坂の上の雲・司馬史観を再考する「帝国陸軍の栄光と転落」別宮暖朗・著

その1

NHK版「坂の上の雲」が年末に放映されることによって、日清・日露戦争以降の日本の戦争史について種々の本を再度読んでみることにした。
今回の別宮暖朗氏の著書は、日清戦争から昭和期の支那事変あたりまでを網羅している。普通、別宮暖朗氏と言えば、司馬史観「坂の上の雲」の歴史批判で有名で多くの著書がある。そう言う著書を一々読まなくても、この「帝国陸軍の栄光と転落」の日露戦争奉天会戦を読むとある程度氷解するところがある。
司馬史観で一番問題なのは、戦争史観が二次大戦以降と言うよりベトナム戦争などの近代戦争の史観によって述べられていることである。
そして、全8巻もあることから日露戦争のロシア軍の実態が小説の中に突然出てくると言う奇異な部分もある。
ロシアの貴族制度とその社会、そしてそこから派生する軍人貴族。
正確には将校は全て貴族というロシア社会は、日露戦争を記する著書にはほとんど取りあげられていない。
この点フランスの近世貴族社会を研究していた関係上その延長線上でその実態を知ることになったと言うものの、不思議なことに日本ではそう言う貴族制度というものには無理解である。
従い、「坂の上の雲」、「帝国陸軍の栄光と転落」なども当然貴族制度というものは取りあげていない。
日露戦争を語る上で、ロシアの貴族制度というものと(日露戦争などの)辺境に投入される軍隊が、新たな領土になった(ポーランドなどの)新植民地軍であるという点も余り指摘されていない。
「坂の上の雲」では後半、このロシアの植民地軍のことは多少出で来ると言うものの戦役では皆無になっている。
そして、そのロシア貴族というものを誤解しいるためにロシア軍人に日本の軍人と同じような投影をして実に妙なロシア軍人が出来上がる。
その結果として、なぜその様な行動をするのか言い換えれば軍事行動の根拠が曖昧になる。

「坂の上の雲」の司馬史観で糾弾されているのが旅順攻撃を行った第3軍乃木希典大将である。
これは、本の「あとがき」でもかなり言及されているもので、この史観というものが戦後史観というものである。
日露戦争というのは、第一次大戦前において近代戦の典型的なモデルとなっている。
そのために多くの観戦武官が日露戦争を参考にして、後の独ソ戦「タンネンベルクの殲滅戦」に繋ぎ、英国は秋山好古の騎兵隊を真似して騎兵に「機関銃部隊」を付属させた。
その英国の騎兵隊が第一次大戦では、秋山好古が馬を下りて歩兵として戦ったと同じ行動をした。特に黒溝台の激戦では一部塹壕戦になったのと同じ戦い方をした。
「帝国陸軍の栄光と転落」の別宮暖朗氏はボトルアクションの薬莢式ライフル銃が普及したために騎兵が役に立たなくなったと述べている。
確かにそうではあるが、これは重機関銃が射撃の主流となった第一次大戦の話である。
以下 
その2へ

旅順攻防戦の真実―乃木司令部は無能ではなかった (PHP文庫)
帝国陸軍の栄光と転落 (文春新書)
日露戦争陸戦の研究 (ちくま文庫)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月28日 (火)

シグマ17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM を買ってみた

1293217833
年末α55によるビデオ撮影のために「シグマ17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM 」を買った。α55は、1,600万画素のデジタルスチールカメラなのであるものの、AVCHDというフルハイビジョンが撮れる数少ないデジ一眼である。
カメラとしての性能は、普及機ながら秒10枚連射という曲がりなりにもCanon EOS-1に匹敵する性能を持つなど、クラスを超えた性能もある。
それ故に、静止画でもそこそこの性能を発揮すると共に、高画質の動画が撮れるカメラとしてこの秋に購入した。

1293217824

但し、その動画性能に問題があって、ボディ手ブレ補正を効かせたままだと20℃だと約9分の連続撮影。(動画記録時間に関するお知らせ)
又、夏場の30℃だと6分となっている。
手ブレ補正が「切」の場合は、約29分、約13分になるため、場合によってはどうしても手ブレ補正を切る必要がある。
それで手持ち撮影を踏まえて、手ブレ補正レンズ「シグマ17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM」を買ったという顛末。
この範疇には「17-50mm F2.8 EX DC OS HSM 」という上級のものや、「18-50mm F2.8-4.5 DC OS HSM」という安くて定評のあるレンズもある。
17-50mm F2.8 EXは、「OS HSM」(Optical Stabilizer手ぶれ補正・超音波駆動のモーター)なしの旧型レンズを持っているのでパス。

1293217850
又、50mmというのはやはり使いにくいので70mm(105mm相当)にした。
このレンズ領域としては、SONYの「DT 16-105mm F3.5-5.6 SAL16105」というレンズがあって、全ての領域をカバーしてしまう。
そして、SAL16105と言うのが「Vario-sonnar T*」並という高性能なものなので、動画以外では出る幕がないという現状でもある。
それを敢えて買わなければならないと言うのがやはり種々の問題であるかもしれない。

1293217843
1293217815


そんなことは兎も角、シグマ17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSM使用感を考えてみる。
大きさは、写真で見るとおり図太くOS搭載というのがなまじのものでないことが分かる。
SAL16105もそこそこ大きなレンズなのだが、このSAL16105がかわいく見える。
そして、α55に着装したときの不格好さというより大砲を付けているような印象がある。その描写力というのは、α55の背面液晶だとSAL16105の方が明らかに良いように見えるのだが、PCモニターで拡大すると全然分からない。

1293468544

そして、ボディ内手ブレ補正を使った場合は、余計判別しにくい。
シグマ17-70mmのOSを使った場合は、やはり微妙な差は出てくるものの誤差範囲のような気がする。
又、前ピン、後ピンの関係では、シグマ17-70mm もSAL16105も同じ傾向を示して50mm程度のところで前ピンになる。
こんな風に比べてみると、やはりSAL16105の抜けの良さというのは特質されることがよく分かる。
OS(Optical Stabilizer)は、デジ一眼レフでは歩きながらの手ブレ補正があまり効かないのと同じようにシグマ版もほとんど効かない。
元々動画撮影を手ブレ補正の範囲に入れているわけもないから当たり前でもある。
だから、そういう特殊な手ブレ補正はα55のボディ内手ブレ補正の方が良く効くような感じがある。
従い、一旦止まって合わせると「ピタッ」と手ブレ補正が効く感じがあるのは動画撮影でも分かるくらいである。
近年のAPSサイズの交換レンズというのは、大方どんなレンズを買っても割合にシャープに写る様になったと感じている。
確かに、上級レンズを使えばそれなりなのだが、デジタルカメラの進歩と共にレンズの特性を補正すると言うこともある。
今回は、シグマ17-70mm F2.8-4 DC MACRO OS HSMと純正で上級のSAL16105を比べてしまった。
結果は、レンズ特性が互いに事実上F4くらいからなので、シグマでもそこそこ絵になる。
又、シグマは前ピン気味という定評があるものの、前ピン、後ピンも絞り込まれるので今はあまり影響が出ない。
だから動画も、写真も撮ると言うときはシグマで、写真だけそして少しの動画も撮ると言うときはSAL16105と言うことになる。
しかし、レンズ一本で済ませようとしたら結構重い荷物になってしまったところがある。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月26日 (日)

NHK版「坂の上の雲」第9回広瀬、死す‥ の妙な部分

NHK版「坂の上の雲」第9回広瀬、死す‥ の妙な部分

NHK版「坂の上の雲」というのは、NHK版日清、日露戦争と名付けてしまった方が良いのではないかと言うほどの改変ぶりである。
特に、「日本では開戦を知った律(菅野美穂)が季子(石原さとみ)を心配して秋山家を訪れる。気丈に振る舞う季子だが、律に用心棒になってほしいと頼む。(あらすじより)」と言う部分は、原作にはないNHKの創作である。
そして、どう考えてもそんな場面は明治という時代としてはあり得るはずもないだろう。
この第9回の冒頭、実際は第8回の最後のシーン。
「1904(明治37)年2月5日、連合艦隊司令長官・東郷平八郎(渡哲也)のもとに封密命令が届けられた。(同)」という部分で、山下(源太郎)軍令部参謀大佐が「封緘命令」を持ってくる。
この時間なのだが原作の第3巻(全8巻)には「東京を夜発ち、佐世保には翌5日の午後6時30分についた。」と書かれている。
そして、この封緘命令の開封日時は「明治37年2月5日午後7時15分」とあるのである。
NHK版では「午後5時」と言うことをわざわざ見せて5時になっているが、どういうワケなのか分からない。
そしてその後の「各隊指揮官、艦長。旗艦に集まれ」は午前1時(6日)である。
そのあと「仁川襲撃」は飛ばされて、駆逐艦群による旅順口奇襲作戦は描かれている。
ここで、巡洋艦パルラーダ(6731t)の当直士官、「任官早々の若い少尉の物語」が駆逐艦攻撃で擱座(かくざ)した戦艦ツェザルレウィッチ配属のポリス・ヴィルキツキー少尉に置き換えられている。
それにしても、本来なら二十歳そこそこの少尉がいい加減年寄りじみて、同じく17歳のアリアズナが30歳前後の熟女(当時でいえば)と言うのも幻滅するものである。
今回は、「旅順口閉塞作戦」だから「旅順口外の海戦」は一切省かれてしまっている。
しかし、そう言う攻防の中で「旅順口閉塞作戦」が展開されるのであるし、後の黄海海戦も起こってくる。
そして、この「旅順口閉塞作戦」のシーンとしては、有馬先任中佐参謀と少佐広瀬武夫の言葉がゴチャゴチャになっているからおかしな部分というのが又出て来てしまう。
有馬中佐は
港口に達することが出来なかった天津丸の後続の閉塞船がやってきたとき
「『右へ、右へ』と有馬は船上から後続船によびかけた。広瀬の報国丸は面舵(おもかじ)をとり‥‥以下略」となっている。
ところが、この「右へ、右へ」の部分でNHK版では広瀬が「右へ、右へ」と言う。
もし言わせるのなら「面舵一杯(英:starboard スターボード・右舷方向に曲げる)」だろう。
船を操艦している訳だから「右へ、右へ」では何だか分からない。
そして、広瀬少佐はカッターボートの右舷最後部にすわっていたのが、「広瀬が消えた、巨砲の砲弾が飛び抜けたとき(原作)」の通り記していたが、後半は原作とは違いソ連崩壊後に情報公開で出て来た事実を映像にしている。
実際、日露戦争の研究書などか公開されると共に、広瀬少佐の遺体とポリス・ヴィルキツキー少尉らしき人物が写っている写真がある。
そして、広瀬少佐はカッターボート上の戦死ではなく閉塞船の甲板での戦死とかかれているも、司馬遼太郎の「坂の上の雲」が書かれた頃はそんな事実は分からなかった。
しかし、この広瀬少佐(中佐)の話というのは、どうも胡散臭い。
軍神になったから妙な事が多いのかも知れないし、「坂の上の雲」でもそれを踏襲している。
特に、アリアズナとの関係が微妙である。
実は、当時の日本海軍では広瀬がハニートラップに掛かったまではないかと疑われて、ロシアから帰国後閑職に置かれたと言うのが真実であると言う説がある。
そして、その汚名をそそぐためにわざと危険な閉塞参戦に参加したらしいのである。もしそれが本当であるとすると、アリアズナとの妙な繋がりは益々妙なものになる。
そして、「坂の上の雲」で描かれている広瀬とは別の人物像というのが浮かび上がる。
但し、昭和の陸軍ではハニートラップに掛かって、ロシア人女性に子供まで作らせた駐在武官(少将)は何のお咎めなしだった。
それにしても、秋山真之が軍艦の甲板上で干し豆を食べてその殻が飛び散るというのは、やはりおかしい。
「坂の上の雲」では、そんなとき秋山真之は昼寝をするのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月25日 (土)

年末年始に掛けての展覧会に思うことと、USB3.0でのマッハUSB

年末年始に掛けての展覧会に思うことと、USB3.0でのマッハUSB

この12月は何やら大忙しだった。
まだ2010年は終わっていないものの、どういうワケか25日が大晦日みたいな様相を呈している。事実、年末までにしなくてはならないことの大部分が片付いてきた。逆にいつもは終わっている年賀状が片付かないという妙な事になった。
そんな年賀状を書く暇がないというのは、このクソ忙しいときに関係する展覧会などがあるということだろう。
常識として、書道なら絶対に年末になど展覧会はしないものなのである。
なぜなら、書道というのは「道」と付くから何となく「行儀見習い」風のところがあって、他人の迷惑にならないというような雰囲気がある。
だから、年が改まった年始早々に書道の展覧会があるというのは、そう言う何か伝統に対する思いやりのような気分である。
‥‥と言うことは、年末ぎりぎりまで展覧会をやるなどと言うのは暇人のやることであり、お行儀に反すると言うことだろう。
そういう革(あらた)まった表彰式、授賞式という出来事というのは、普通は節分が終わってから早々にあることが多い。
やはり昔の太陰暦に関係するのか、1月の展覧会の表彰式というのは似つかわしくない。
だからこの展覧会での表彰式は書展では、なるべく華やかに正装をしてくると言うのか常識となっている。
元々男は華やかではないが‥‥毎日展の会員賞だと男でも会員賞の印の生花を胸に挿すから、それなりになってはいる時もある。
ここで、書だけでなく絵画や写真などの複合展覧会・市民展になると一転して目を剥くことなどが何回もあった。
近年この授賞式はホテルの大広間で行われるからさほど目立たなくなったし、そもそも審査員の側なので受賞者に名前を連ねる事も無くなった。
それだけでなく、壇上というものがないから目立たなくなったようで目にすることはない。
その昔、書の関係で賞を貰う人は、女性では着物が多かったし少なくとも正装の感じがあった。それが、絵画では着物は皆無で、精々余所行(よそゆ)き止まり。
男性では、見苦しくない普段着程度。
そして写真になると、「普段着」すぎて照明係のスタッフかと思われる格好であった。
それも名前を呼ばれて壇上に駆け上がったりと言う始末。
ここまで来ると、表彰式というのも台無しで実に後味か悪いものだった。

いずれにせよ、近年、こういう「表彰式、授賞式」には何回も出席する機会があったものの、自身が何かしかの賞を貰うという段階はすぎてしまった。
かといって、「ご苦労様でしたで賞」という「○○功労賞」というものを貰うには年が若すぎるし、大した功労もないので貰うと言うこともない。
もし万が一手違いで間違って貰えば、種々面倒に巻き込まれたり、後ろ指を指されたりするからこの世界というのは中々難しいのである。
自分の父親は、大正生まれだったから何か叙勲というもの欲しがっていた。
しかし、元々戦前は三井系の軍事産業の幹部社員であったし、戦争から帰ってきた戦後は国家公務員として勤続25年しかなく生前叙勲などはあり得なかった。
亡くなって国から貰ったものは「正7位」というお笑いぐさの受位だった。
これは最下級の方の受位だったから、戦後高等文官試験が無くなった直後の「大臣名の二級官試験合格者」としては甚だご愁傷様なのである。
そう言えば師匠の横堀艸風というのは、元々裁判所の書記官だった。
その上甲種合格だったから戦前の軍人生活が長く金鵄勲章を二つ(功四級・功五級)も持っていた。
そのために戦後になって、(MacArthurの)パージにあったかどうかは聞いていないとはいうものの、書道関係においては大澤雅休の高弟であったのに、後輩弟子の後塵を拝した事は間違いない。
それでも最晩年に群馬書道協会の会長になったし、生前叙勲で勲五等瑞宝章をもらっている。
話は、がらりと変わるというより関係ないことで、USB3.0でHDDのベンチを「マッハUSB」を導入してみて再度計測した。
「マッハUSB」や「ターボUSB」というのは、多少早くなる気分というものだがデーターを取ると面白い感じになる。


左がマッハUSB適応のもの。
USB3.0
実際、HDDのベンチより早いからどんなものなのか良く分からない。
近年のマザーボードを見たら既にUSB3.0が標準装備されていた。
ツクモのUSB3.0の欄を見たら、既にカードリーダーにも対応品が出でいるから今後検討課題でもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

神の国に殉ず 上 阿部牧郎 著を読む その1蘆溝橋まで

神の国に殉ず 上 阿部牧郎 著を読む その1蘆溝橋まで

この小説は副題に「小説 東条英機と米内光政」とある様に東条、米内を中心として支那事変にいたる背景のみならず日露戦争などを通して東条英機と米内光政の伝記的なものである。
しかし、冒頭の「県人会」の項目は板垣征四郎陸軍大臣就任(昭和13年(1938年)6月19日近衛内閣)であり、その後に1年前の蘆溝橋事件(1937年7月7日支那事変)から改めて始まる。
そして、中国が日中戦争の発端として喧伝する蘆溝橋事件などは単なる小競り合いにすぎず、実は上海事変(第2次)が本当の日中戦争(日支事変)であることを改めて政治史を通して紹介している。
大方この辺までを読むと、結果を知っている者としては何やら重苦しくなるのは誰もが感じることではないだろうか。
多分、読む方としてはこの辺で諦めてしまうのだろう。
この小説は、戦争の戦闘史を描いているのではなくあくまでも当時の陸軍、海軍内部での政治史である。
黄文雄氏は、日中戦争について「日中戦争は中国の内戦に対する日本の人道的道義的介入であった。中国のブラックホールに日本は巻き込まれたのである。‥‥‥」と述べている。
その中国のやり方というのが日本軍を徴発し、その軍が乗ってこなければ単独旅行中の軍人(1937年8月9日上海陸戦隊第一中隊長大山勇夫中尉と斉藤要蔵一等兵が虹橋飛行場付近で中国保安隊に殺害される)、それでも効果がなければ無防備な民間人邦人を攻撃して敢えて徴発するというものである。
年月を経たとしても、北清事件が事実上延長戦の形で展開されていると言うのが中国の事情であったと考える。北清事変の時は曲がりなりにも清朝政府が健在だったが、中華民国蒋介石政権も軍閥の一つにすぎず、自治政府などが乱立している。
都市国家、城壁国家という古代に戻ってしまったというのが北清事件以降の中国の状況である。
そして、日本が中国の徴発に乗ってこないので邦人虐殺に着手した最大なものが通州事件(1937年(昭和12年)7月29日・北京東約18キロ)である。
親日派の「冀東防共自治政府」の長官の妻は日本人だったと言うから虚を突かれた。
この後に支那駐屯軍は、北京周辺の中国第29軍を追い払って北京周辺の邦人約4,000人他を守った。
この時期に当たって、関東軍参謀長の東条英機中将は参謀長でありながら東条兵団を組織して、内蒙古へ進撃(職名 戦闘指導所長)。
その後、参謀本部第一作戦部長を追われた石原完爾少将が関東軍参謀副長に就任し、東条参謀長と対立する。
この東条英機の感覚を考えると、二二六事件の青年将校の一般的に言われている考えとよく似ている感じがする。そして、当時の石原完爾の戦略的な考え方とは違い「バスに乗り遅れるな」という競争主義や時代と共に、変わる中国の軍事情勢の無知など現代の政治家に通じる侮りというものがある。
当時の超エリートだった幼年学校・士官学校・陸大という陸軍参謀というのが、非常に狭い視点でしか物が見られなかったことが推察される一面である。
そして、満州事件を起こした石原完爾という人物の非凡さと言うものは中盤に書かれているとおり、「幼年学校・士官学校・陸大」という超エリートを超越していたことを物語る。

国民党軍などの中国軍は、必ず防備が手薄になった拠点に攻撃を仕掛けてくると言うのが常套手段である。常套手段と言うよりこれは当時の日本以外の軍事的な常識というものだ。
だから通州事件は、日本の第二連隊が移動して110名の守備隊しかなくなったところで保安隊によって攻撃された。
同様に上海事変(第二次)というのは、日本租界に海軍陸戦隊司令部に約4,000人の隊員しかいなかったところである。
そこにドイツは軍事顧問団を派遣すると共に、強力なトーチカと膨大な武器輸出と共に上海の日本租界などを攻撃した。
これは「当時ドイツからの軍事顧問として国民党で働いていたファルケンハウゼンの計画にそって、国民党軍は上海租界を攻撃(ウィキペディア)」と言う風に、周到に計画され中国側から仕掛けられたものである。
従って、日本が三八式歩兵銃というライフルしか持てず、銃弾も節約していたのに対して中国軍はドイツのシュマイザーなどの軽機関銃やイギリス製の高性能の武器を使っている。
又、毒ガスを多く用い、銃弾もダムダム弾という今では禁止されている殺傷能力の高い物だったりもする。
持っている拳銃自体もドイツ製で、馬賊がモーゼルを持っているシーンは昔の映画ではよく見られたものである。
こういう実態で人なと見えないところから銃弾が飛んでくるような近代戦なのに、百人斬り裁判で裁判長が日本刀で「百人斬り」を実行したと認めるような白兵戦中心だと思われた記事があったことがある。
しかも、今の仙谷官房長官など中国に「悪いことをした」と言うような引け目と同時に、当時の中国人は「文化の遅れた軍事的に無力な人達」と考えている節があるというのは事実と反する。
そして、本当は彼ら左派人士とみられる人達というのは、相当当時の中国人をバカにしているのだと思えてならない。

ここまでの経緯に対して石原完爾参謀本部第1部長の話が出ている。
1、「蘆溝橋事件が拡大し、日本軍が北京天津地区を制圧したとき、石原は満州との国境線まで兵を引いて蒋介石と和平交渉をするべきだと主張してやまなかった。」
2、「上海の陸戦隊を撤退して、居留民の財産を肩代わりしても、『戦争よりは安くつく』とさけんで陸軍の派兵を拒もうとした。」
石原完爾は成し遂げられなかったが鉄人であると述べられている。
結局それが事実上の参謀本部の主(ぬし)である石原完爾が参謀本部を辞めることになった。
この上海事変の時の米内光政は、「鉄人どころか煩悩のかたまりである」と述べられていると共に、「和平を徹底追及すれば『世論』の袋叩きになり、海軍を追われたかも知れない。」とある。

さて、今の感覚で見てみれば石原完爾が「満州との国境線まで兵を引いて蒋介石と和平交渉」との主張に対して、ある意味実行しても上手くいったかどうかは疑問である。
なぜなら、中国人というのは本書でも数々と指摘されているとおり約束を守らないし、引けば押してくるというものだからである。
その感覚で言えば石原完爾の案の通り満州国境まで引けば、次は満州と言う事になろう。
しかも、歴史上のイフはあくまでも想像の域を出ない。
一方、上海事変に関しては、今なら世界の趨勢として石原完爾の意見と同様な態度を取るであろう。
そして、歴史上のイフを考えてみれば実行していたら日中戦争は起こらなかったかも知れない。しかし、その時の世界というのはアジアで独立国というのは日本と東南アジアのほんの一部であり、インドは英領であるし、インドシナは仏領‥‥。
この時代にあって今のような対応が出来たかどうかは疑問でもある。

そうであるならば、上海事変以降において「南京を落とせば戦争が終わる」という幻想を勝手に抱き、南京攻略戦に突入していった軍部の戦略眼のなさと甘さを考えてみなければならない。
こんなところで冒頭の県人会に戻り、次に米内光政と東条英機の幼少からの伝記が始まる。

ここで冒頭の県人会。
支那事変(日支事変と昔の人は呼んだ)が佳境に入ったとき、日本の軍部の首脳が東北地方
特に岩手県盛岡周辺又は出身者であることである。
これらの人物を書き出してみると

満州事変立役者‥‥
板垣征四郎陸軍大臣・中将(関東軍高級参謀後・大将)盛岡
石原完爾少将(後・中将・参謀本部作戦部長)山形県西田川郡鶴岡

東条英機中将(関東軍参謀長・陸軍省次官‥後首相)父親まで盛岡
米内光政中将・海軍大臣(首相)盛岡
山屋他人海軍(予備役)大将・盛岡
及川古志郎海軍中将(第三艦隊司令官)・盛岡
と言うように、陸海軍の中心的な人達がほとんど東北地方なのである。

奈良・平安時代の征夷大将軍から日露戦争まで、藤原系の将軍に関東武士団(蝦夷)の実行部隊というのが当たり前だった。
ところが、満州事変以降、日支事変など「蝦夷」の将軍に対して「蝦夷」の実行部隊という編成になっている。特に、東条英機などは旧薩長軍閥を徹底的に排除するのを使命としていた。
平安時代後期の奥州(東北地方)を舞台とした前九年の役、後三年の役という取り留めのない奥州戦を見てみれば、どう考えても戦略を持って戦争を戦ったという意味合いはない。そして、そう言う感覚が引き継がれたのが東北地方出身の日支事変前後の日本軍隊というものであろう。
ちなみに、徳川幕府の徳川・松平家は藤原系の殿様、重臣に、関東武士の奉行、上士というのが常識である。
関東武士団というのは、戦闘部隊としても優秀だったが、能史であり官僚としても傑出していた。
教えられたことを学ぶ能力と、教えられたまま実行に移す能力というのは関西の藤原系では及びもつかない。
全国学力試験を見ても関西より東北の方が圧倒的に成績がよいというのは、この証拠ではあるまいか。
だから、彼らは陸軍士官学校などでは優秀な生徒に違いない。
優秀な生徒は往々にして学校秀才であって、「東大までの人」と「東大からの人」と揶揄されるように「謎解き秀才」というのは希有である。
「祖父たちの零戦」の戦闘機隊長、進藤三郎、鈴木實両氏は藤原系であって、海軍兵学校ではビリに近い成績で卒業した。
やはり学校秀才は軍人に要らない、有害であると思うことしきりである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月19日 (日)

NHK版「坂の上の雲」たまにのナレーションだけ司馬遼太郎・原作

NHK版「坂の上の雲」たまにのナレーションだけ司馬遼太郎・原作

NHK版「坂の上の雲」第8回日露開戦、今回ほど司馬遼太郎原作からかけ離れた回はなかった。
冒頭の秋山好古・騎兵訓練の様子はまだ良いとして、秋山真之の場面になったら女性の自転車練習になった。
このお見合いのような高橋是清が演出する女性の自転車漕ぎのシーン、これから真之の結婚するシーンまで原作から離れてNHK版の明治という時代。
NHKあらすじ
真之(本木雅弘)は八代六郎(片岡鶴太郎)の誘いで、華族女学校の生徒たちによる自転車レースを見学。レースに参加していた季子(石原さとみ)と再会する。7月、真之と季子は結婚する。」なぜこういう本筋とは関係のないシーンばかりを入れたがるのかというと、明治の日本陸軍について描きたくないということに相違ない。
だから、原作では秋山好古がウラジオストックに到着したとき、ロシア側は皇族待遇と思わせる様な儀仗兵まで出して歓待した。
ところが、NHK版では酒飲みシーンばかり。
そして泥酔して力比べとは、秋山好古も随分とノーテンキな人物に描かれている。

そして、憤懣ものと言うか馬鹿馬鹿しかったのは、秋山好古の言葉を一々大庭少佐と思われる人物がロシア語に翻訳していることである。
もしそんな人物が視察に来たとしたら、バカにされて誰も相手にしないだろうことは今の日本の外交を見ても明らかである。
こういう部分というのは、NHKがロシア貴族という貴族制度に無理解なのか意図的に秋山好古などの明治の軍人を「バカ」扱いしているかである。
事実として明らかなのは、貴族公用語のフランス語が堪能な秋山将軍は、ロシア側の感覚、常識で見ると少なくとも伯爵。
場合によっては侯爵という皇室に近い人物として見られたと言うことである。
そうでなければ、強引に日露戦争の舞台となる各地を視察出来るわけがない。
そしてこういうシーンは当然NHK版では無視して、ナレーションでも入れることはない。
それにしても、原作では一切書かれていない秋山真之の家庭生活をこれでもかと入れるのは不愉快でもある。
もうそれから完全に原作とは離れてのオリジナルの嘘ばかりというのは、酷すぎる。
しかも、登場する将軍が女々しいというか噸でもない人物に描かれている。
だから戦争準備で超多忙な山本権兵衛が、海軍省からわざわざ日本海側・京都まで東郷平八郎を訪ねて行くなど憤懣もの。
しかもその東郷中将が、太公望でもあるまいし魚釣りをしている。
小説では、東郷舞鶴鎮守府長官を東京に呼んで司令長官の辞令を交付する。
そして、前任者の常備艦隊司令長官・日高壮之丞が山本権兵衛に怒って短剣を抜いて取っ組み合いというまたまた女々しい醜態を見せる。
こんなわけがないしそんなことは当然小説にはない。
小説では精々「テーブルをつかんで怒り出し」と言う程度のものである。
そして無口のはずの東郷平八郎が結構雄弁というのは実におかしい。

今回はどういうワケだか原作にない秋山好古、真之の家庭生活ばかりである。前回は、正岡子規のことばかりだったから余程司馬遼太郎風なことは描きたくない事がよく分かる。
要するに、「坂の上の雲」ではないわけだ。
従って、秋山真之夫妻は佐世保へ夫婦で連れだって別れを惜しむという妙なラブシーンが展開される。
しかも貨客船ではあるまいし、軍艦がそのまま一般人の目の前で見えてしまうというのは多分当時はどうだったのか疑問なところである。しかも艦名まで明かしてしまう。

次のシーンは「サントペテルブルク」の明石元二郎大佐なのだが、なんと日本公使館へ現れて領収書を渡すと言うのだから仰天である。情報屋が領収書など書くはずもなく、しかも内容が分かったり漏れたら情報屋は命がない。
小説では、明細書をつけて最後に精算したはずだ。
しかもこの明石元二郎大佐は少々異常である。
なぜなら拳銃の銃口を公使に向けて話をするなどあり得ないからだ。
続く御前会議も妙なシーン。
ロシア側にはどういうワケか「戦争を欲していない」と言うことをわざと連発させている。
しかも、ロシア皇帝が日本に対して譲歩せよと言うような「電報」を出したという話は聞いたことがない。
事実は、ロシア外相が討議の決議をツァーリに上奏して裁可を仰ぐと言って、兵力増強の引き延ばしを計っている。

それにしても、明治維新を経たとは言えこの頃の人達は江戸時代に生まれた人達ばかりである。
そんな気骨のある明治人が、レディファーストでマイホームパパの驚くほど女々しいというのは非常に違和感がありすぎる。
どんな風に女々しいのかというと、今の仙谷官房長官のように女々しい「柳腰」さんなのである。
しかも、現代ではあるまいに女性とデートしたりなどとんでもなく逸脱している。
こんな感じだと、NHKは何を意図してわざわざ司馬遼太郎の「坂の上の雲」のドラマを作ったのが良く分からない。
悪意を見てみれば、原作の気骨ある明治人を貶めて小説「坂の上の雲」の意識を喪失させようと企んでいると見ても穿った見方ではないと考えたりもする。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「西尾幹二のブログ論壇」を読む

「西尾幹二のブログ論壇」を読む

1292713564
この著書は、近年の問題点に関する西尾氏の著作とそれに対する論考及び反論、書評なとからなっている。
そこで読み進めて行くと、かねてより保守派と偽装していたであろう有名な論客、東大教授、国連大使など。
かれらが似非保守派という戦後民主主義者、売文業、自己保身の亡者であることが明らかになる。
彼ら日本の論客は、米国の占領政策の延長を望む戦後利得者の人達の意に沿う形で、国民を洗脳しようとする。ところが、その洗脳が効かなくなってきたというのがインターネットネットによる情報共有である。
即ち、論客達が従来の情報や資料を独占してその種を元にオブラートに包んだ言論を国民に流す。そのオブラートに包まれたものの中身は、国民には一切分からず国民はそのまま受け取るしかなかった時代。
そう言う時代というのは国民は判断せず、判断は「マスコミ御用論客」や「国の偉い人達」に任せるということであった。
しかし、戦後の国民は米国の「奴隷の平和」という洗脳教育と共に「過度の民主主義」と言うものを徹底的に教育した。
ここで「過度の民主主義」の功というのは情報公開、国民参加というところで花が咲いたものの、「奴隷の平和」を推進する反日の人達の多くの指導層を作り上げた。
そう言う学校の先生の言う事を良く聞いて成績の良かった学校秀才は「反日」的になり、親や父母の昔話ばかり聞いて育った凡人は愛国者になった。
その「日本人性悪説」という米国が植え付けた反日、反日本という概念が典型的に現れたのが東京大学という学校秀才が集まるところであったというのは当然として不思議ではない。
その論拠にこの数ヶ月の間に日本の政治で「日本人性悪説」、即ち国民不信という言動を散々見せてくれたのが民主党現政権であった。
ここで明らかになるのは、どう考えてもおかしな言動というのは決まって東京大学卒という肩書きをもつ閣僚、議員たちであることである。
それは、それは西尾氏が指摘する大江健三郎氏だけの問題ではない。

西尾幹二のブログ論壇

現在日本を取り巻く情勢は、小泉政権時代の数年前とはすっかり様変わりしている。
その緊迫感は国民にも波及するだけでなく、数々の失政の民主党とその逆ギレした彼ら政府の国民に対する不信感。
民主主義という選挙で選ばれたはずであるのに、その政策失敗を棚に上げて返す刀で主権者国民に対し不信感を募らせる。これは、彼らが自分たちだけの支持者による限定的な民主主義を標榜してると言うことを現す。
「西尾幹二のブログ論壇」というのは、この様な日本を取り巻く不穏な空気が醸成される前夜の日本に巣くう欺瞞を炙り出すものである。
1292713559

1292713568

尚、この著書は発売日までに届く予定らしかったが発売日の朝18日手に入った。
そして、この「西尾幹二のブログ論壇」の執筆者の中に不肖Syuunも含まれている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月18日 (土)

群馬県立前橋高校同窓会創立100周年記念 同窓画家・書家作品展

群馬県立前橋高校同窓会創立100周年記念 同窓画家・書家作品展

群馬県立前橋高校は、創立133年(群馬県で初)になるものの同窓会の創立は100周年(明治44年)になるという。
この前中・前高同窓会創立100周年記念事業と言うことで、画家、書家の作品展が行われた。
会期  平成22年12月16日から26日まで(AM9時~PM6時まで)
会場  前橋元気プラザ21 1階 にぎわいホール

画家は14名の作家だが、13名は物故作家で70作足らず。
書家は、10名で物故作家は1名。作品は各1点で10作品。

2010/12/18 覗いてみたのだが、宣伝を一切していない割には良く観覧者が結構いる感じがある。
展覧会の常として、ポスターや案内状があれば高崎その他からでも案内状を出せたと思うのだが残念である。
A先生は、展覧会の常として「会場当番」というものは如何にという感じであったが、絵画担当の人が誰かを頼むようである。

書道展というのは、手作りという部分が多いので何でも動員される。
そのために、展覧会のプロのようになるのだが、絵画関係ではそういうことはないらしい。

今回、クチコミで聞いた開幕式(オープニング)の様子を収録した。
スピーチ
前橋高校同窓会長   曽我 孝之 氏
前橋高校校長      吉野   勉 氏
前橋市教育長      佐藤 博之 氏
書道部門担当      西林 乗宣 氏
美術部門担当      川隅 俊郎 氏

| | コメント (0) | トラックバック (0)

I-O DATA わけありビッグバン 目玉商品 その2

I-O DATA わけありビッグバン 目玉商品  その2

YouTubeプレーヤー「RockTube(ロックチューブ)」

昨日の目玉商品は完売になりました。
それでもまだまだ良いものがあります。
メルマガで通知がありました。
●◎こちらはメルマガ限定クーポン!◎●
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ボーナス特価!大人気の「net.USB」が¥500引き♪
  USBデバイスサーバー(net.USB)         「ETG-DS/US」   ¥3,980
  ⇒クーポン利用でさらに¥500引き!   【クーポンコード:PklNsmdOQdE1】
icon
icon icon
ETG-DS/US 通常価格¥6,980 のところ ¥3,980 icon

◎録画用カセット オトクな2個セット。バックアップにも、もってこい♪
  日立Wooo向け録画用カートリッジ 500GB 2個組
                     「IVAV-500X2」  ¥21,980
  ⇒クーポン利用でさらに¥2,000引き!  【クーポンコード:XPkSh7m1poK3】

  ☆★ クーポンコードはこのメルマガにのみ記載されております。☆★
  ★☆     ご購入の際にお忘れなくご入力くださいね。    ★☆
icon icon

YouTubeプレーヤー「RockTube」

┏━━━━━━━━━▼▽▼ お求めはこちら♪ ▼▽▼━━━━━━━━━┓

   新ファームウェアリリース記念で☆今だけポイント10%還元!☆

  ◎自動ビデオキャッシュ機能搭載 YouTubeプレーヤー
   「RockTube(型番:CL2-001LP)
      ¥9,800(☆今だけ10%還元☆)⇒【¥980分ポイント】
      《さらに¥2,000割引》クーポン進呈で"¥7,800"に♪

      ご入力お忘れなく!⇒【クーポンコード:fYi54cBUqE9K】
          【実質 ¥6,820と超お買い得!】

YouTubeプレーヤー「RockTube」
YouTubeプレーヤー「RockTube(ロックチューブ)」

icon icon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月17日 (金)

I-O DATA わけありビッグバン 目玉商品

I-O DATA わけありビッグバン 目玉商品

数量限定のワケあり品です。通常保証・サポート付きなので安心! ただいま¥3,000以上送料無料、代引き手数料無料!ぜひお求めください。  icon  

2010/12/17金曜日は、I-O DATA の商品更新です。
20時オープン
今回、多くの目玉商品が出でいます。
多分1時間で売り切れになると思うので早い者勝ちです。
たとえばGV-MC7/VS
            通常価格¥11,800 のところ
            ¥3,980

これは、6,980円で買ったのですよ。いい加減に嫌になりますねぇ。

外付ハードディスク USB接続外付ハードディスク
1.5TB HDJ-UT1.5
              通常価格¥16,800 のところ
              ¥8,980
これはこいつです。

Amazonでも良い値段をしていますが、電機屋だと18,000円します。

買うためには、会員登録が必要です。

数量限定のワケあり品です。通常保証・サポート付きなので安心! ただいま¥3,000以上送料無料、代引き手数料無料!ぜひお求めください。  icon

リンクから行けます。

icon icon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月16日 (木)

I-O DATA USB3.0/2.0・ USB3-PEXのCystalDiskMark 検証

I-O DATA USB3.0/2.0・ USB3-PEXのCystalDiskMark 検証

USB3.0を導入してみたところ、メーカーでは5Gbpsと書かれているのだが実はこの数値は規格値。
BUFFALOの場合「USB3.0対応外付けHDD『HD-HU3シリーズ』の場合、USB3.0接続時の実効値は、123.4MB/sです。」とある。
それでベンチマークを測ってみたら124.4MB/sと言うことで、BUFFALOのHDDと同じようになった。

Acer・Aspire M5802 ASM5802-A48の場合、チップセットが一世代又は、二世代古いマザーボードなので当然PCI-E1.0×1だから2.5Gbps。
調べてみると「PCI Express 1.1で1レーンあたり250MB/s、PCI Express 2.0でその倍の500MB/s」と言うことで250MB/sと言うことになる。
しかし実用として、HDDが200MB/sのスピードが出るわけではなく当然400MB/sと言うのもあり得ない。
だから、現状の数値で正常と言うことになる。

今回、数度IODATA HDJ-UT1.5を接続してみたが、USB3.0接続をさせる場合は認識に多少時間がかかる様である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月15日 (水)

I-O DATA USB3.0/2.0・ USB3-PEXを導入

1292442424

激安パソコンAcer・Aspire M5802 ASM5802-A48USB3.0を導入してみる。
今回変な気を起こして、拡張性の怪しいAcerのデスクトップパソコンにUSB3.0を導入してみることにした。
購入したのは、USB3-PEXという多少旧型になったインターフェイスボード。理由は、I・O DATAにUSB3.0対応のHDDがあったのと、 USB3-PEXが安く売られていたと言うことだけ。

1292442420

実は、Aspire M5802 ASM5802-A48に拡張できたかは、買ってからと言うお粗末なもの。拡張するに当たって、メクラ版になっていた蓋をねじ切るという荒技も必要だったりして全く妙なケースなのである。

取り付け方法は、YouTubeにアップしておいたのでそちらに譲るとして、いつもの通りUSB2.0の3.5倍の速度は出でいない。

1292441714

1292442429


これは、PCのマザーボードの性能などに関係したりするから、こんなものなのではないかという感じ。

但し、HDD転送テストをする限り巨大ファイルは圧倒的に早い。小さいものは、「マッハUSB」が2.0効いて大きな差というのは見えにくい。
3.0の方もマッハUSBを適応したらどうなるのかは、その後にテストしてみる。

1292441710

1292441718



このUSB3.0は今のところOSの標準ドライバーでは動かない。従って、他のメーカーのUSB3.0機器で正常にUSB3.0の動作をするかどうかの保証はない。
見ると他社製もNECのチップを使っているので、何とか動きそうだと思うが分からない。



BUFFALO PCI Express x1用 USB3.0対応インターフェースボード IFC-PCIE2U3

I-O DATA PCI Express接続 USB3.0/2.0インターフェイスボード USB3-PEX2
I-O DATA USB3.0/2.0インターフェイスボード USB3-PEX
icon icon
今使っているパソコンで超高速転送を実現!新規格USB3.0対応でUSB2.0の10倍速くなる

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月14日 (火)

がっかりする・塚本版「光武帝」上、中、下

がっかりする・塚本版「光武帝」上、中、下

読売新聞朝刊に「草原の風」と言う題で光武帝・劉秀の物語が宮城谷昌光氏の作で連載されている。これを毎日楽しんで読んでいるというもの新聞小説だから中々進まない。
それでいっそのことと塚本靑史の「光武帝」を読んでみた。
ところが、冒頭から劉秀が出で来ない。代わりに出で来るのが「遅昭平」(女性)と「力士都」(若者)という架空の人物。
古代中国の人名で三字名というのがあったかどうか忘れたが、珍しい方ではないだろうか。
結局物語は、ポイントポイントでこの二人「遅昭平」という曲馬団の擲箭(てきせん)の名手と赤眉の頭目になった「力士都」のたわいもない物語になる。
後半では、この赤眉の頭目は漢の偏将軍となって戦局を左右する連弩部隊の指揮官となる。ところが、こういう一人で操作出来る連弩を扱う部隊というのがこの頃で出来たのか?昔十八史略を読んだときの記憶にはない。
戦闘描写としては、火縄銃の相手に近代的な重機関銃を向けるような光景である。
弩という弓の強力な様な飛び道具というのは、中国戦国時代に斉の国、孟嘗君(田文)の食客だった孫臏が弱兵だった斉軍の武力補強の為に使った。
携帯出来る連弩というのは、ウィキペディアを見たら後年の三国の時代、蜀の諸葛亮孔明によるものとあった。諸葛亮孔明は名目上種々の器機を発明していると三国志には出ていた。
‥‥と言うことで、この塚本版「光武帝」というのは歴史考証無視の小説である。
そう思って見れみれば、中国人の商人がいつ頃かの日本のへなちょこ商人ににているし、言葉使いも「劉元様」、「劉秀様」とか「李軼か‥」とかフルネームで一々呼ぶなど現代の常識から考えてもおかしな物言いである。
普通は、官職を用いて呼ぶのが今でも当たり前だろう。
こういう呼び方の変なのは、NHK版「坂の上の雲」でも散逸されるところで、小説そのものの価値というものを著しく下げている。
そう言う宜い加減な小説だから最後の方で、真定王を策略に掛けて抹殺するのだが、そのトラップに瓶に入れた油という記述がある。
江戸時代でも高価だった油は、キリストと同世代の頃だとどんなものだったのか余りに想像出来ない。
そして、物語は好き合っている遅昭平と力士都が邯鄲陥落と共に姿を消し、光武帝の全国平定を待たずに物語は終わってしまう。
実際は、漢の皇帝に即位してから有力な反漢軍と戦い、有力武将を失うと共に中国の人口が激減するほどの殺戮が繰り返される。
そう言うところがない単なる光武帝を背景にした、三文恋愛小説にもならない中途半端なものという歴史小説は、読むに価しないかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月13日 (月)

Syuun作品解説 SONYα55によるフルハイビジョンAVCHD

Syuun作品解説 SONYα55によるフルハイビジョンAVCHD

第61回群馬県書道展も2010/12/13閉幕になりました。
総出品点数は2,453点と発表しています。公募は1,900点、入選は1,672点と言うことですが数年前から100点以上の減少になったようです。天田研石展覧会運営委員長は、「少子高齢化の影響と思われます」と書かれています。芸術部門というのは、毎年減少傾向になっているようです。

今年は、自分の作品を動画で残しておこうと言う試みから、展覧会に出品した作品は全て解説付きでYouTubeにアップロードすることにしました。
そして、墨象、前衛書という分野においてどのような評価をするのか、又どのように見たらよいのかという見方を紹介するという一面もあります。

そして、本当によい作品というのは「毎日見て厭きない」、そして「毎日見て新しい発見がある」と言う作品であろうと思っています。
そうであるなら、一目見てある程度分かると言うのが「書」と言うものです。
戦前教育を受けた人達というのは、漢文などは読めて当たり前でした。NHKで再び放映始めた司馬遼太郎の「坂の上の雲」。

主人公、秋山好古などは漢文はお手の物であったことなどは、師範学校の試験が漢文だったと言うことから見ても分かります。
そんな時は去って、今や漢文などはほとんど読めません。しかも、簡易な漢文の作り方という手法が氾濫しているために、読める人でも読めないと言うこともあるようです。
伝統書も今や読める書ではなくなってきているというのは、時代の変化でしょう。

YouTubeでは、ある程度の県展の雰囲気と第3部 第3期の委員(審査会員)室の様子を通して、作品解説を行っています。

アフレコではないので、考え、考え、話しているので詰まったりしています。
これを見て、他の書作品がどうなのか評価することが出来ればと考えています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月12日 (日)

NHK版「坂の上の雲」第2部はやはり司馬遼太郎・原作ではなかった!!

NHK版「坂の上の雲」第2部はやはり司馬遼太郎・原作ではなかった!!

NHK版「坂の上の雲」第2部第7回「子規、逝く」
前回の第6回「日英同盟」は、原作では第3巻。
NHK版では原作通りというわけではなく、つまみ食いをして都合のよいように解釈する。
前回の北清事変のところで「日露両軍がもっとも人数が多く、主力をなした。」というのは、なんと原作にそのまま書いてあった。
原作「坂の上の雲」は新聞小説なので、原作の初期の方では誤認などが多い部分もある。
ロシア貴族に対する認識も小説後半には微妙な違いを書いているものの、書いて発表してしまった部分では大きな訂正はない。
但し、ロシア軍に対する誤った認識というのは正確に描写をし始めても、誤認は続いて終わっている。
このNHK版では、第7回を原作第2巻後半と、3巻を元に物語を展開しているから、見ている方としては、これは司馬遼太郎原作のものではないとはっきり分かる。
この「子規、逝く」では、原作にある子規の部分をつなぎ合わせて番組の過半が子規の物語。
この部分というのは、原作ではたった16ページのあっさりとしたもの
ところが、原作にない子規の墓参りや子規の妹の律の「共立職業学校」の正門で真之の待ち伏せ。
何やらNHKでは最善を尽くそうとした日本と日本軍人が大嫌いなようである。
原作第3巻は、「権兵衛のこと」と一つの章を上げて、日本海軍の大改革を成し遂げた山本権兵衛。この人物を第8回日露開戦でどの様に取りあげるのか注目するところである。
又、原作にない児玉源太郎が乃木希典を訪ねると言うのも非常に奇異な感じがある。
そして、高橋英樹が演じる大男の児玉源太郎。
原作には「開戦へ」(第5章)で「歳のころは五十くらいの小柄な男である。‥‥中略‥‥せいぜい小学校の分校主任といったような男だった。」と風采が上がらない児玉源太郎の容貌を書いている。
だから、渋沢栄一に会いに行ったとき事務所の受付がその貧相な人物を怪しんで、渋沢栄一に取り次がなかった様な事が書かれているのである。
NHK版では、当然原作にはない司馬遼太郎が大嫌いだったと言われる乃木希典の私邸(農家)に児玉源太郎が尋ねて来るシーンがある。
ここまで来るともうNHK版の「坂の上の雲」は見たくない気がするのである。
それにしても、原作の司馬版「坂の上の雲」に比べてNHK版は全くと言ってよいほど高揚感がないのはどういう事だろうか。

第6回では、日露戦争の行方では全く影響もなかった広瀬少佐のロシアでの原作にない又、史実とは違うのではないかという活躍を中心にする。
第7回は同じく「坂の上の雲」の小説の中では筋の「傍系」に属し、坂の上の雲に昇って行く内に振り落とされて行く人々の代表としての子規。
余裕のある小説の中での筋としては有効だが、一旦短い映画になったら簡単に済ませる、又はカットされると思われる部分の拡大。
その結果として、原作ではわざわざ書かれていもことを省略して明らかに物語の筋をぼやかせるという手法なのではあるまいか。
あらすじに桂内閣の内務大臣として、財政面からロシア戦の準備を進めることになった児玉源太郎(高橋英樹)は、休職して那須で暮らす陸軍中将・乃木希典(柄本明)を訪れる。乃木は児玉から国の窮状を聞き、陸軍への復帰を決意する。
過労が重なり、胃腸を病んで入院した真之を季子が見舞った。同じように見舞いに訪れた律は、その様子を見てひそかに病室を後にする
。」

と言う部分がある。前半は先に述べた部分だが、「季子」の部分。
原作では、第三巻「風雲」で
「真之はこれよれ三カ月前、東京府平民、宮内省御用掛稲生真履の三女季子と結婚し、芝高輪の車町にすんでいる。」と書かれているぐらいなものである。
原作を大幅にカットして、原作とは別な部分を多く取り入れたり、話の筋とは関係のない部分を拡大したり全くやりたい放題のNHK版。
最近頓に思うのは、秋山真之分する本木雅弘が背が高すぎ、そして妙にわざとらしくて違和感がある。
史実通り、もう少しズングリムックリしたかっこ悪い秋山真之だったら現実味が出たかもしれない。

http://www.cocolog-nifty.com/login/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月11日 (土)

デジキャプチャーIO DATA GV-MC7/VSでテレパソにする

デジキャプチャーIO DATA GV-MC7/VSでテレパソにする

先月の11月は、エコポイントで液晶TVの争奪戦が行われたという報道があった。
12月に入って、9日頃に公務員のボーナスが支給されるというのでこの10日から電気屋のみならず多くの広告が入った。
その中で、景品欲しさにダイレクトメールが来た電気屋に出かけていった。
しかし、何が安いのかよく分からない。よくダイレクトメールを見たら10%引きという表示とはいうものの、この時期になって値段が下がっていないものもある。
こんな時は、目玉商品として広告に載っているものしか当てにならないというのは、失敗による経験則である。
それにしても、以前行ったときは山と積まれた液晶テレビは姿を消しているばかりでなく、TVの展示品が何やら寂しくなっているから今度何を売るのかと思ってしまう。
そんなところで、PCで液晶テレビ並みにフルハイビジョンの地デジが見られないかというのは、昔からPCをやっているものからすれば当然こと。
ところが、地デジチューナーを内蔵している市販のPC用の液晶モニターというのは、TVをメインにしてPCモニターをオマケとする傾向が強い。
簡単に言えば、安物の液晶テレビにPC用モニターをつけた、PCでも使えるようにしたというものである。
それは元々地デジTV付きのモニターというのは、液晶TVがメインで使う事が多いと言うことなのであろう。
それでいて、液晶テレビもPC用モニターもフルハイビジョン高品質でと言うと驚くほど高価。
確か、ナナオのVAパネルのFORISあたりは100,000円以上していたはず。
そんな高価ものは出せないし、一年前にFlexScan EV2334W-TBKというフルハイビジョン対応23型液晶ディスプレイを買ったから何とか活かせないものかである。

それで、IO DATA製のGV-MC7/VSというWindows Media Center専用の製品を購入することにした
その理由というのはソフトがOS・Windows7の標準であると言うことで安定していると言うことにつきる。
IO DATAのWebサイトには
「Windows 7搭載パソコンに接続することで、パソコンがテレビやハードディスクレコーダーに変身!地上・BS・110度CSデジタル放送をハイビジョンで視聴・録画ができるようになります。番組ガイドからの録画予約や、データ放送、タイムシフト再生にも対応。」とある。
そして、このWindows Media Centerを快適に使うためにはGV-MC7/RCKITというリモコンを使わなければならないと言うのでこれも購入しておいた。

基盤を見るとチューナー部に「SONY」のロゴとIO DATAのオリジナルの印刷が入っている。チューナーはSONY製だから、全体がSONYと言うことでもないだろう。
取付は簡単で、GV-MC7/VS サポートソフトも最新の1.07だったのでCDをそのまま稼働させるだけで完了。
それにしても、このGV-MC7/VS サポートソフト随分と得体の知れないものでWindows7が16ビットのファイルが多すぎると言う警告さえ出た。
それは、再起動で収まる。

あとはWindows Media Centerにプラグインとして入った設定をして行けば完了。
あっけなくテレパソに変身してしまったものである。



I-O DATA Windows Media Center専用 地上・BS・110度CSデジタル対応TVキャプチャ PCI Express GV-MC7/VS


I-O DATA Windows Media Center専用リモコン GV-MC7/RCKIT icon icon

IO DATA GV-MC7/XS(専用リモコン付)13,200円 ポイント660 icon

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月10日 (金)

SONYサイバーショット DSC-HX5V互換電池考

1280345646

DSC-HX5Vを7月に購入して丸々5ヶ月。今回ほど酷使したコンパクトデジカメもほとんどないくらいな感じである。
酷使したと言っても毎日業務で使うわけはないから、今まで旅行などにしかろくに使わなかったカメラに比べてと言うことである。
だからデジ一眼レフで2~3,000枚も撮影する頃には、後継デジ一が2台くらい出でいる計算になる。体よく言えば、数あるデジカメに写真が分散すると言うことである。
それはスチール写真という部分では、ポジは別として既に銀塩のネガ撮りを超えてしまったと言うことでもある。
いずれにせよ、DSC-HX5Vというのは簡単にハイビジョン映像が撮れると言うところが最大の売りであろう。

事実として、久々のビデオ映像を見させてくれた。そして、カメラでビデオを撮るという最大の利点というのはビデオを撮ってると見られないことである。
それに反して小型で小さい電池しか搭載していないコンパクトデジカメの欠点は、電池の問題が大きい。
このDSC-HX5Vでビデオを撮ると決めたときに、SDHCは信頼のあるメーカーの16GBにして、互換電池を2個購入した。

1280776374

それでも多少多めに映像を撮ると言う場合、上手く電池を充電してやらないと3個でも足りないことがあった。

1284334688

元々付属していたNP-BG1。これは旧型製品で今は発売されていない代物。
そして、残量検知のチップが入っていないから残量時間が分からず、結局上手く使えない代物となった。だから、使おうとするときには電池マークが点滅して不可と言うことが多い。
高速充電器も買ったし、純正品より高性能という妙な互換電池も使っての動画。


1284664544
最終的にα55に移行するのだが、この小ささで明るいところではα55とまでは行かなくともかなり迫れるというのは、やはり動画用のサブとしての機能は健在であった。

1291066135



軍艦島上陸動画 完全版 DSC-HX5Vで撮る動画 3

SONYサイバーショットDSC-HX5VとSDHC・動画編集2

ロワジャパン製NP-FG1 モバイルチャージャーを使ってみる

Cyber-shot DSC-HX5Vで本格的に撮るハイビジョン映像AVCHD

Cyber-shot DSC-HX5Vで夜景を撮る

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 9日 (木)

加藤陽子教授のさっぱり分からない「1930年代に似た空気」

加藤陽子教授のさっぱり分からない「1930年代に似た空気」

毎日新聞 2010年12月5日東京朝刊に「時代の風:日中の情勢に思う=東京大教授・加藤陽子」という妙な記事がある。なぜ妙なのかというと副題が「1930年代に似た空気」だからである。
この加藤先生の著作は「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」と言う著作で有名だが、以前のエントリーで疑問符が付くところの一部を述べておいた。
そこでNHK版「坂の上の雲」第2部では北清事変の連合軍について「日露両国が最も人数が多く主力をなした。」のナレーションがあり、史実と違うと指摘しておいた。
そして、そのナレーションの根拠は何かと調べてみたらこの加藤本であるかのようにみえる。
NHK版「坂の上の雲」第2部のうち北清事変の条項を加藤本で見てみるとこんな風に書いてある。
「ロシアは中国の首都である北京にもたくさん兵を出していました。ロシアは、列国の連合軍(日本も参加していました)が義和団を鎮圧するまで、自分の権益を守るためだよ、ということを理由に軍隊を出すのです。」(それでも、日本人は『戦争』を選んだ)
史実と違うNHK版「坂の上の雲」の情景がそのままではないか。
そして今度は「満州事変から日中戦争へ」(岩波新書)という自書を持ち出している。
ここでこの本の書評として「『満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)で描いた1930年代の雰囲気が今と似ていて怖い、というものだ。」という他人の感想を借りて「日本の雰囲気が怖い」という。
正確には「中国の雰囲気が怖い」という様なのだが、そう考えるとどうも整合性がかみ合わない。
そして加藤流にどこが怖いのかというと
「世界不況と国際秩序の変動期にあって、社会の構造や制度がそれに追いつけない時、国民は心情のレベルで国内外の情勢に対応するようになる、とのパターンが似ているのかもしれない。」と述べているものの具体性はないからこれでも分からない。
これはどこの国に対して言っているかも不明だが、「国民」という言葉が出てくるから「日本」に対して言っていると取ってよい。
更に読み進めて行くと
「30年代と今の空気が似ていると気づいた読者であれば、そのきな臭さの一半が、今の中国の外交姿勢に起因していることにも気づくだろう。現在の中国は、外交に黒白をつける思想を持ち込んでいるといわざるをえない。日本の戦争によって最も惨禍を被った国だからこそ、日本の過誤の過程を最もよく見てきたはずではなかったのか。」
‥‥と言うところで加藤氏の「1930年代の雰囲気が今と似ていて怖い」の説明が終わってしまう。
その前に満州事変からの事柄をかいつまんで説明しているのだが、やはりそれと「似ていて怖い」と言うところが分からない。
加藤先生に指摘されるまでなく、一貫して言えることは、日本と対比して中国というのは約束を守らない国であることである。それと人治国家と常々言われている様に法治国家でないと言うことである。
しかも今と1930年代と大きく違うのは、中国は日本に留学して知識を得た知識人が多くの指導層を占めたことである。
‥‥と言うことは、中国に対して「雰囲気が今と似ていて怖い」と言っているのではない様なのである。
他方、現在の民主党政権は、中国を日本の宗主国と言うように一部で述べているだけでなく、誤った歴史観を持って対応したのが外交上の失敗に繋がったと国民は見ている。
笑止なのは、中国からたくさんの文化を貰ったと何百年前の話を持ち出すものの、日本から金も文化も知識も中国に渡った明治維新以来のことは一切無視しているということである。
そして、この加藤氏の歴史観で大きな間違いというのは、中国というのは歴史的に2000年以上単一国家として繋がっているわけではないと言うことである。
だから北京オリンピックで中国が何千年もの歴史を吹聴したが、そんなことは全くの嘘だとうことである。
現に、清朝というのは満州族が興した国であり、元朝はモンゴルだから中国という観点ではおかしい。
そして、それは中国の「王朝が」単に中国大陸の一部を一時的に支配したと言うことにすぎない。
結局推察するに加藤氏が言ってる「1930年代に似た空気」というのは日本の現状のことだろう。
そして、「怖い」というのは加藤氏の信条とは違う観念の人達が国民の7割を占め、自分たちが少数派であると自覚したことではないか。
そして、それは「岩波派」に代表する左派人士が、日本が右傾化している叫んで中国に媚びを売っているシーンと重なるのは単なる。
悪戯なのかと思わせるものがある。

それでも、日本人は「戦争」を選んだ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 7日 (火)

突撃「カメラ大中古市」in前橋グリーンドーム 冬の陣

1291576139
今年も冬のカメラ大中古市が12月5日に行われた。
その行われたのが今年は前橋グリーンドーム・サブイベントエリア。
分かり易く言えば、前橋の屋内競輪場の地下と言うところである。それだから割合行きにくい場所で結構歩きでがある。
それにしても「突撃」などというと「突撃マッキーバー」などという米国の幼年学校のTV映画を思い出す。その映画は、私立の陸軍幼年学校のいたずら生徒マッキーバーの話。それでどういう理由で「突撃マッキーバー」なのか今もって不明。それにしても昔は米国のTV映画ばかりだった。
いずにせよ「カメラ大中古市」というのは、朝10時には長い列が出来ていてオープンと共にジャンクカメラ会場で「獲物」を探す。
今回は、多少で遅れた部分もあって10時半に会場到着。
ところがいつもの場所とは違い、異様な雰囲気で赤や青の色の入った新聞を持った人達がゾロゾロと歩く。
そうこの日は、競輪の開催日だった。こういう開催日の交通整理の警備員というのは実に親切。なんと言っても「お客さん」だからね。
‥‥と入口に近づくと既に何やら大きな袋を下げた爺様達が出て来る。
こういう時はいつも嫌な予感とか雰囲気が漂う‥‥とはいうもののそれはいつもの通り。
何やら大きな箱とかを持っているのが何かと見れば、写真用の大きな額。そう写真展用の額を大量に買っている。
会場に到着して、財布以外持ち物は入口で預け中古カメラ用品を覗く。
‥‥と、黒山の人だかりで既に近寄れたような感じはない。第一、何が置いてあるかさえ見えない。
次の部屋のジャンクカメラも似たようなもので、しかも展示の仕方がロの字状になっているから益々よく分からない。
銀塩ジャンクカメラも最近では、プラのAFカメラや大分傷んだカメラが結構高い。
昔の金属製のカメラというのは使えなくとも結構それなりに収集箱に収まる一方、最近のプラAFカメラは新品購入用のジャンク用への待機になる。
以前にはメカニックな旧式銀塩カメラが沢山ジャンクに出ていたから、下取りに出しても良いか!!と金属カメラを出したことがあった。
ところが翌年から大幅に値上がりして最後には見かけなくなって慌てたものである。
超ベテランだと同一種のカメラをいくつも買って、良いところを組み合わせて正常に動くカメラを作るそうだ。
しかし、そういう趣味はないしジャンクカメラも何か値段が上がってきたので今回は、用品だけにした。

1291733514

買ってきたのは、ロープロのカメラバック2点
ノバ160AW、TLZ1。その他ハクバの本皮製カメラ用レザーストラップ2点。
VANGUARD Casa5Aというカメラポーチ、Product Imageエツミ 照明用品 デジタル撮影ライトセット4 E-1808、携帯用撮影ブース、写真用紙、プリンターインクBCI7eRなど。こういうところに並んでいる物は、ほとんどがワケあり品である。
ライトセットなどは、返品商品で開封品であると言うし、写真用紙は廃番品。
カメラポーチは小さすぎて、売り物にならなかった返品商品。
BCI7eRなどは、使うプリンター現行商品ではCanon PIXUSPro9000 Mark IIしかないという代物。
その他三脚も売っていたが、展示品のぼろぼろの物だったり不良品だったりする。
今回、どういうわけかハクバでバックを大量に持ち込んでいた。
ロープロなどは、廃番品やら売れなくて返品された物などこれもワケあり品。

昨年買った、タムラックのバックには付属品がない物もあった。(付属品がある物を買ってきたが、結構ワケあり品にしては高かった。)

1291733519
今回の成果というのはやはり、ロープロノバ160AWと言うところだろう。
小さい割に良くできていて、大きなズームレンズを入れても余裕があるし、レインカバーが内蔵されていると言うのもミソである。

1291733524

但し、あまりにしっかりしている分カメラの取り出しが瞬時というわけに行かないのが欠点。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 6日 (月)

SONY α55テスト撮影とDSC-HX5Vとの大差

SONY α55テスト撮影とDSC-HX5Vとの大差

今回α55のテスト撮影をしてみました。GPSに関してもアシストデーターが入ると格段に検知能力がアップします。それに比べたらDSC-HX5Vの方はのんびりしています。
初め動画で比べてみたところ、α55は静止画と大差なかったの対してDSC-HX5Vは動画と静止画は別物という印象です。

1291576106

そして、写真を撮ってみると昔のCanonの絵作りに似てきている感じがします。
ペンタックスがK20DからCanonに似た傾向の絵作りになってきているというのはデーターが示す通り。それがK-7に繋がりますが、まだまだ余裕を残したアンダー気味の傾向があります。
一方、銀塩ネガフィルム系絵作りのSONYα700からいきなりα55になると、非常にコントラストの強い感じがします。

1291576114


感じとしてはα700の写真を思いっ切り補正したと言うものでしょう。
そして、最近のデジ一眼の傾向としてはPCで見た印象と「お店プリント」で出で来る印象と余り変わらないと言うことでしょうか。


1291576120

メーカー名 : SONY
機種 : SLT-A55V
露出時間 : 1/10秒
レンズF値 : F3.5
露出制御モード : プログラムAE
ISO感度 : 1600
対象物の明るさ : EV-2.3
露光補正量 : EV0.0
開放F値 : F3.5
レンズの焦点距離 : 16.00(mm)
レンズの焦点距離(35mm) : 24(mm)
緯度(N/S) : N
緯度(数値) : 35゚ 3842.036 [DMS]
経度(E/W) : E
経度(数値) : 139゚ 4438.988 [DMS]


1291576127


メーカー名 : SONY
機種 : SLT-A55V
露出時間 : 1/30秒
レンズF値 : F3.5
ISO感度 : 4000
対象物の明るさ : EV-2.1
開放F値 : F3.5
自動露出測光モード : 分割測光
緯度(N/S) : N
緯度(数値) : 35゚ 3842.419 [DMS]
経度(E/W) : E
経度(数値) : 139゚ 4440.469 [DMS]


又、強烈な画像解析エンジンを使っているために手作業で補正しても余り変わらないのか、フジの様に「お店プリント」では、「画像補整」をキャンセルする機能が搭載されているのかは未確認。
K7で撮った写真も「お店プリント」で見た目通りだったので、何かK10Dの時のようなどんな写真が出てくるかどうかというわくわく感はありません。
ほんとPentaxK10Dは、アンダー目で失敗したかと思われた写真が芸術作品並みだったのには驚いたものです。

DSC-HX5V

1291576133

メーカー名 : SONY
機種 : DSC-HX5V
露出時間 : 1/8秒
レンズF値 : F3.5
ISO感度 : 800
▼GPS情報
GPSタグバージョン : 2,2,0,0
緯度(N/S) : N
緯度(数値) : 35゚ 3839.749 [DMS]
経度(E/W) : E
経度(数値) : 139゚ 4434.44 [DMS]

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 5日 (日)

NHK版「坂の上の雲」第2部やはり日本軽視だった

NHK版「坂の上の雲」第2部やはり日本軽視だった

NHK版「坂の上の雲」第2部第6回日英同盟
NHKが日英同盟と北清事変をどの様に説明するのか、描くのかと言うことが注目されたのが今回。
断っておくと、NHK版「坂の上の雲」は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」ではない。
共通しているのは、登場人物と歴史的な筋だけである。
だから、広瀬大尉とアリアズナの話など司馬版では出てこないし、アリアズナ自体、史実でも誰だか確定されていないし直接そう言う人物はいない。
従って、広瀬大尉とアリアズナとの話はNHKの創作と言うことである。
その北清事変、別名義和団事件についてこんなナレーションがある。
「日露両国が最も人数が多く主力をなした。」
そんな話は聞いたことがないと言うより史実に反している。ロシアは確かに人数が多かったが、略奪に忙しく北京解放には間に合わなかったのである。
この北清事変に関して日本は軍隊を出し渋っていた為に一番後から参戦し、最初に北京に到着した言うことは明らかに無視している。
そして、その日本軍の参戦を強力に求めたのが英国であることも無視している。
それを補強するために、映像で秋山好古の部隊がロシア軍が略奪しているところを通過する場面が出で来る。
これだけを見ると北京解放後、ロシア軍の後から日本軍が到着したように見える。
しかも、事実上の戦争だというのに住民が逃げずに略奪を受けているのは不思議な光景である。
中国というのは、有史以来極めて戦争慣れしている国民である。
軍隊が来れば持って逃げられない本当に大事な物は、壁に埋め込んだり地中に埋めるのは常識でほとんど逃げてしまうから誰もいない。
従って、略奪というのが堂々又ラクラクと出来るのである。
そして、柴五郎という重要人物を登場させないと言うのも司馬版「坂の上の雲」に従ったと言う言い訳も考えられるもののNHKの意図がありそうである。
NHKはどうも日本の功績とその軍隊の規律の高さ、そして英国との絡みが日英同盟に繋がると説明したくなかったようである。
なぜなら、日英同盟を結ぶにあたり中々難航していた時、伊藤博文がロシアと接触するという揺さぶりのために締結にこぎ着けたという司馬版にある日英同盟の真の部分を一切描いていない。
NHK版の「坂の上の雲」では、ロシアが北清事変以降撤退せず居座りつつけて英国では香港、日本では朝鮮半島の権益が危うくなった背景もはっきりしない。
しかも北京議定書は説明されていない。
この北京議定書の内容を説明してしまうと、NHKとしては都合か悪いと言うものだろう。

「清国で義和団が蜂起、各地で外国人が襲われ、鉄道や外国商社、電信所が襲撃される。北清事変のぼっ発だ。8か国が連合軍を組織し、北京在住の外国人救援に向かう。騎兵大佐の好古(阿部寛)も北京に出征する。しかし、同じ連合軍のロシア兵たちが市街地で略奪をする光景を目の当たりにする。(NHK坂の上の雲 あらすじ)」

それにしても、ロシア貴族がロシア語を話すのは非常に「違和感がありすぎ」なのではなかろうか。
特にロシア貴族の公用語のフランス語をロシア皇帝が使わ無いと言うのもあり得ない。
ロシア語というのは、ロシアの庶民が使う言葉で「下品な言葉」として蔑みられているワケだから、ロシア貴族の娘(17歳)であるアリアズナが使うと言うのも又下品というものだろう。
史実の様に、ロシア貴族が全てフランス語を話している情景を見れば、ロシア公債がフランスでよく売れたことも分かるはずなのである。
そして、これはNHKのミスなのだろうが広瀬少佐(進級)が小村寿太郎との対談で中佐の階級章をつけていたのには笑った。後のシーンは全て少佐だったが。
広瀬少佐というのは、司馬版「坂の上の雲」では余り登場しない人物なのでいろいろと妙な事が多いし、行動そのものが良く分かっていない部分が多い。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2010年12月 4日 (土)

影法師 百田尚樹 (著)の読み始め・時代考証無視?

影法師 百田尚樹 (著)の読み始め・時代考証無視?

最近時代劇映画が流行って、多少時代劇の小説でも読んでみようかと思ったのがこの小説。‥‥と種々調べてみると 藤沢周平の「風の果て」のパクリ本、リメイク版との書評もある。
そこで少し読んで行くと妙な部分が出て来る。
江戸時代に北陸の小さな茅島藩8万石ということなのだが、上士に出合うと下士は草履を脱いで土下座するという風習だという。
それで、主人公に関わりのある人物が槍で殺されてしまうのだが、これは悪い冗談だろう。江戸時代に参勤交代の行列にあっても、町民は道を空けることはあっても土下座などはしない。「下に~、下に~」と言って参勤交代に出たのは御三家だけだし、江戸中期以降はそれもしなくなった。
そして例え上士だとしても、下士を含めた武士にたいして刀を抜いたら、切腹を覚悟しなければならないのが江戸時代の話。
そういう風にしなければ、たかが8万石の小藩は持ちこたえられぬはずがない。
そして、そんな風習があれば間違いなくお取りつぶしになる。
しかし、作者はなぜ8万石という中途半端なものにしたのかよく分からない。江戸時代の藩というのは、石数によって大きな区別があった。
それこそ、駕籠に乗れるかどうかから、駕籠の装飾、江戸城のどこまで駕籠で行けるかなど。その区切りはまず5万石。次は10万石、15万石と格式が上がって行く。
そういう区別から言えば、8万石というのは10万石に満たないために妙に背伸びしたがるような藩があったことがある。
さて、相手に刀を抜かれて斬り殺された方は、刀の柄に手を置いて抜くそぶりで殺されていなければお家断絶もあり得た。そして刀を抜いた方は、理由を問わず切腹というのが常識。
そういう時代考証から言うと、小説冒頭から疑問符が付いた小説である。
しかも、下士だったものが城代家老まで大出世するというのだから、少し読んだだけで益々おかしい。
なぜなら、下士というのはどんなに優秀で出世しても「与力」止まり。
要するに、奉行所の次官までである。
それならば、下士が上士に入り婿でなれるのかと言うと、まず難しい。
それは、藩長の許可が降りないためである。
養子、縁組みというのは、基本的に格が同格でなければ許可されなかったから格違いというものはあり得ない。
こんな感じでの時代考証無視の小説、この先が読めるのかと心配になっている。
元の 藤沢周平の「風の果て」‥‥、こういう「昔は机を並べていたのに」晩年になったら、月とすっぽんになっていたという小説は結構山とある。
渡辺淳一の直木賞受賞作「光と影」では、西南戦争の田原坂の激戦の後、病院で同じ負傷を負った将校の対比を描く。
その一方は寺内寿三郎(正毅)、後の日清日露戦争時代の陸軍大臣・大将、総理大臣。
こういう小説なら結構種にはつきないと言うものかも知れない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 3日 (金)

「世の中意外に科学的」櫻井よしこ著の妙な部分

「世の中意外に科学的」櫻井よしこ著の妙な部分

以前のエントリーの「日中韓 歴史大論争」で櫻井よしこ氏が妙なことを言っていた。それでその元になる本を手に入れてどんな表現をしているのか検証してみた。
その部分というのは、「世の中意外に科学的」第3章「人間の科学、そのミクロとマクロ」第一節「本当の病気の日本病」p113である。
ここでこんな表現がある。
「日本で最も多いリンパ球の型は、モンゴル共和国の南部の人々の型と共通である。日本で二番目に多い型は、韓国で一番多い型と共通である。つまり、私たちの祖先がモンゴル人であり、韓国人であることだ。となれば私たち‥‥中略‥‥歴史問題で謝罪せよと迫ってくる韓国人の人々への想いもやわらいでいく。‥‥‥‥私たち日本人は、本家というより分家のような立場なのだもの、本家への感謝は忘れてはならないのだ。」
ここで、いわゆる戦後の自虐史観というべき事柄があの櫻井よしこ氏にして染みついているというのは、どういうことなのか不思議なものなのである。
もし、日本人のルーツに韓国人、朝鮮人が入るとすれば白村江の戦いなどが説明できまい。日本へ文化が入ってきたのは、朝鮮半島を経由した陸路ではなく中国から直接の海路だったことは歴史を見てみればはっきり分かる。
‥‥というより戦後の自虐史観に毒されていなかった頃にはそう教わった。
事実として、日本の文化にあって朝鮮の李朝にはないと言うものなどは、朝鮮半島には染料がなかったことから見て朝鮮半島経由というのは嘘であることが明白だろう。
詳しくは、「日韓がタブーにする半島の歴史」などに譲る。

この「本当の病気の日本病」という部分を読むと何やら妙に引っかかるところが散逸する。それは、日本人が単一民族であると述べている部分で、確かに縄文人や弥生人は特殊であったろう。そして渡来人が「7世紀頃までの1,000年間に、数十万から100万人規模」にのぼっていたはずという。(佐々木高明著・「日本の歴史 1 日本史誕生」)
この7世紀というのが例の大化の改新、白村江の戦い(663)。
実は、8世紀以降も渡来人が続々と日本ら訪れている証拠がある。
それは多胡碑である。
その碑文には、和銅4年3月9日(711年)に多胡郡が設置され、通称「羊」と呼ばれた種族に土地を与えている。
現代語訳(ウィキペディア)
弁官局からの命令である。上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。郡の名前は多胡郡とせよ。これは和銅4年3月9日甲寅に宣べられた。左中弁・正五位下多治比真人。

太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊。」
この「羊」というのは中国の東南部に住んでいた「羌族」の別名で、遠くは太公望を祖とした。
簡単に言えば、日本の藤原系の大本の種族といえば分かりやすい。
日本では、関西系と関東系で明らかに違う。
そんな違うのに日本を単一民族というのは妙なものだと思うものである。
12世紀、源頼義の奥州赴任(1051年)頃までに藤原勢力が元々の蝦夷征討を完了する。
今人々の体型を見ても、源氏、平家系の藤原系と元々の関東武士の末裔とは大いに違う。こんな部分は結構 「世の中意外に科学的」でなかったりするものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 2日 (木)

カメラレンズのメンテナンス、「クリンボーイ」を使う

カメラレンズのメンテナンス、「クリンボーイ」を使う

今回SONYα55を買ってしまったので、ミノルタα7(フィルムカメラ)と同時に発売されたAF24-105・3.5-4.5Dでは大分辛くなってきた。
なんと言ってもα55 は1,600万画素、α7Dなら問題なかったレンズも今回更新することにした。
‥‥とは言っても購入したのがSONYα700が発売された2007年の時のセットレンズ(DT 16-105mm F3.5-5.6 SAL16105)だから、レンズ購入としては周回遅れと言うことになる。
1291314245
このレンズは、何となくカメラのキタムラに寄ったら半値以下で投げ売りされていた。
これは早速サルベージしなければ、と勇んで買ったとはいうものの展示品の上、長期在庫品。
多分α700が発売されたときに一緒に展示されて、α700が製造中止と共に撤去されたから残ってしまったと言うものだろう。
実は、4年も前から少しずつ値段が下がっても高いレンズなので誰も手を出さなかったし、これが買えなくてSIGMAの18-50F2.8EXなどを買ったのである。
こんな風に紆余曲折を経て手に入れたとはいえ、店のショーケースから出したとき一瞬購入をどうするかと思われるほど埃がたまっていた。
マニュアルフォーカスをする部分のゴムは白化してかなり風が悪い。
それで何とかメンテナンスをと考えて綺麗にしてみることにした。
1291314153


使うのはカネヨ石鹸の「クリンボーイ」。
これは、メンテナンスをする人にはおなじみなもので、ホームセンターなどで売っている。価格は、298円というお手頃価格。
「クリンボーイ」の詳細を調べてみると水を使う必要がなく、元々成分として水が含まれているという。
今回、これを綿棒につけて清掃してみた。
1291314158 1291314163
原液は、歯ブラシで丁寧に塗りつけ綿棒でこすると言うもの。
布を使うという方法もあったのだが、相手がゴムなのでなかなか都合が悪い。又、余分な洗浄材はティシュペーパーで随時拭き取るという気の長いやり方である。
綿棒には、結構黒い油と埃の混じった汚れがついていて、白濁というのが埃と空中の油分に原因があるようである。
1291314169 1291314216
仕上げは、やはり綿棒にアルカリ電解水を付けて、界面活性剤をよく落とす。
そして、乾かして終わり。


1291314226
こんな感じで、元の新品の輝き(?)に戻ったという次第。


1291314237
それにしても、ミノルタ時代のレンズではなかなか綺麗にならないものもあった。
1291314255

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »