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2010年12月 3日 (金)

「世の中意外に科学的」櫻井よしこ著の妙な部分

「世の中意外に科学的」櫻井よしこ著の妙な部分

以前のエントリーの「日中韓 歴史大論争」で櫻井よしこ氏が妙なことを言っていた。それでその元になる本を手に入れてどんな表現をしているのか検証してみた。
その部分というのは、「世の中意外に科学的」第3章「人間の科学、そのミクロとマクロ」第一節「本当の病気の日本病」p113である。
ここでこんな表現がある。
「日本で最も多いリンパ球の型は、モンゴル共和国の南部の人々の型と共通である。日本で二番目に多い型は、韓国で一番多い型と共通である。つまり、私たちの祖先がモンゴル人であり、韓国人であることだ。となれば私たち‥‥中略‥‥歴史問題で謝罪せよと迫ってくる韓国人の人々への想いもやわらいでいく。‥‥‥‥私たち日本人は、本家というより分家のような立場なのだもの、本家への感謝は忘れてはならないのだ。」
ここで、いわゆる戦後の自虐史観というべき事柄があの櫻井よしこ氏にして染みついているというのは、どういうことなのか不思議なものなのである。
もし、日本人のルーツに韓国人、朝鮮人が入るとすれば白村江の戦いなどが説明できまい。日本へ文化が入ってきたのは、朝鮮半島を経由した陸路ではなく中国から直接の海路だったことは歴史を見てみればはっきり分かる。
‥‥というより戦後の自虐史観に毒されていなかった頃にはそう教わった。
事実として、日本の文化にあって朝鮮の李朝にはないと言うものなどは、朝鮮半島には染料がなかったことから見て朝鮮半島経由というのは嘘であることが明白だろう。
詳しくは、「日韓がタブーにする半島の歴史」などに譲る。

この「本当の病気の日本病」という部分を読むと何やら妙に引っかかるところが散逸する。それは、日本人が単一民族であると述べている部分で、確かに縄文人や弥生人は特殊であったろう。そして渡来人が「7世紀頃までの1,000年間に、数十万から100万人規模」にのぼっていたはずという。(佐々木高明著・「日本の歴史 1 日本史誕生」)
この7世紀というのが例の大化の改新、白村江の戦い(663)。
実は、8世紀以降も渡来人が続々と日本ら訪れている証拠がある。
それは多胡碑である。
その碑文には、和銅4年3月9日(711年)に多胡郡が設置され、通称「羊」と呼ばれた種族に土地を与えている。
現代語訳(ウィキペディア)
弁官局からの命令である。上野国の片岡郡・緑野郡・甘良郡の三郡の中から三百戸を分けて新しい郡を作り、羊に支配を任せる。郡の名前は多胡郡とせよ。これは和銅4年3月9日甲寅に宣べられた。左中弁・正五位下多治比真人。

太政官・二品穂積親王、左太臣・正二位石上尊、右太臣・正二位藤原尊。」
この「羊」というのは中国の東南部に住んでいた「羌族」の別名で、遠くは太公望を祖とした。
簡単に言えば、日本の藤原系の大本の種族といえば分かりやすい。
日本では、関西系と関東系で明らかに違う。
そんな違うのに日本を単一民族というのは妙なものだと思うものである。
12世紀、源頼義の奥州赴任(1051年)頃までに藤原勢力が元々の蝦夷征討を完了する。
今人々の体型を見ても、源氏、平家系の藤原系と元々の関東武士の末裔とは大いに違う。こんな部分は結構 「世の中意外に科学的」でなかったりするものだ。

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