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2011年3月 5日 (土)

試験カンニング事件に見る京都大学のリベラル度

試験カンニング事件に見る京都大学のリベラル度

2011/03/04の全国紙の一面は「仙台の予備校生逮捕」の写真入りの大報道だった。
これを見て違和感を覚えなかっただろうか。前エントリーでは「春の珍事」と書いたとおり、大した事件ではない。人一人が亡くなるような凶悪事件でもない。たかが京都大学他の入試でカンニングをしただけのことである。
京都大学の告発は「偽計業務妨害」だと言うのだが、試験監督は業務ではなかったのかと言うものだろう。それは試験には「カンニング」の防止のためにも試験監督がいるわけで、「カンニング」対策も試験業務に入る筈である。
そんなことはないと言うのなら、入学試験では「カンニング」は行われない、試験監督に「カンニング」防止は無いということになる。

産経新聞(3月1日)では、「甲南大法科大学院の園田寿教授は、入試業務を不正な手段で妨害したとして偽計業務妨害に問われることについて、『入試問題が流出して入試全体のやり方について支障が生じているので、業務を妨害されたとして罪に問うのも妥当』だとコメントしている。(J-castニュース)」
しかし、今や特殊法人とはいえ民間企業になった教育機関・旧国立大学‥‥本来「自己責任」に任せられている企業で産経新聞の様な意味合いを感じる国民はどれだけいるか疑問だ。
それは、国民から多くの抗議が京大に届いていることからそうは思わなかった人達が多くいると言うことである。
なぜなら、大学の入試における単なるカンニングという良くありえる事に対して、大騒ぎして逮捕までさせてそれこそ裁判にかけ罪を問うという。
そのカンニングをした予備校生が被る不利益と大学側の不利益を考えれば、「不合格」と言うだけで充分であると言うのがおおかたの考えである。
不合格となれば、1年間の苦労もかかった費用も全部水の泡になるのである。
一方、大学としては単なる入学試験業務の一環にすぎない。
本来、大学自治を重視して外部の権力を排除した京大であるから、大学の中で対処すべき問題である筈である。
「京大の広報課では、被害届けを出した理由について、『大学では携帯電話のデータ照会ができませんので、司法の協力を求めることにしました』と言う。(前出)」
こんなところは教育機関ではない。
そうして、京大側のずさんな試験監督状況が明らかになるにつれ、京大側の自己責任転嫁と言うことが明らかになった。
京大が本来求められる教育機関であるなら、こういうカンニングした受験生が直ぐに分からなくてもいずれ分かることは見当がつく。
もっと広範囲に考えれば、入学させて勉強が出来なければ落第させれば良いことで、入学できてしまえば何となく卒業出来てしまう制度にも問題がある。
そうして、報知新聞の京大正門の写真を見て驚いた。
いつの写真か分からないが古くはないはずだが「大学を反戦のとりでに」という看板が立てられている。
「大学を反戦のとりでに」‥‥この言葉が何を意味するのかと言えば、「非武装中立論」であることぐらい気がつく。
そして、こんなものを堂々と正門に掲げさせて平然としている大学というのも正にリベラルを絵に描いたような「戦後民主主義者」の集まりであると思えてならない。
そうして都合の悪いときは大学の自治という事で反権力として立ち向かい、弱いものに対しては国家権力を使うというのはやはりリベラルの幼児性と言うものを見せつけられる。

もう呆れてここで終わり。

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