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2014年6月 6日 (金)

ダルタニャン 「砂丘の戦い」1658年

ダルタニャン 「砂丘の戦い」1658年

1658年6月14日早朝5時、テュレンヌ旗下のフランス軍は行動を開始した。しかし、ドンファンのスペイン軍は朝5時は戦闘開始時間ではないと無視した。
このスペイン軍には、フロンドの乱で亡命したコンデ大公軍とジェームズ2世(ステュアート朝)の王党派亡命軍が加わっていた。

ものの本にはコンデ公が
「30分以内に戦いに負けるところが見られるぞ」とグロスター公ヘンリーに言ったという話しがある。
このスペイン軍はこのダンケルク包囲の援軍を送るにあたり、行軍に支障をきたした砲兵隊を残して進撃してくるほどのいい加減さであった。
スペイン軍は、海と運河に挟まれた小高い砂丘の上に陣取った。

フランス軍の攻撃は、8時に開始された。
それは小高い砂丘に対しての 海岸寄りの砂浜から。ここにイギリス海軍の艦砲で援護されたフランス軍、イギリス軍歩兵が突撃。
この攻撃で、騎兵を率いたジェームズ軍は突撃を繰り返したが敗走するばかりであった。
仕方なくスペイン連合軍は予備部隊も投入するも、今度は戦線の反対の運河側からテュレンヌの砲兵隊が威力を発揮した。
この挟み撃ちによってスペイン軍は崩壊し、約4時間で戦闘は終わってしまった。

この戦闘での損害は甚大で、イギリス王党派のジェームズ軍は、二個連隊全滅、近衛連隊降伏(投降)という惨憺たるもの。
ここでジェームズやグロスター公ヘンリーは戦闘の混乱にかろうじて逃れたのがせきのやまだった。
ここでフランドル地方を転戦していたダルタニャンは、歩兵部隊を指揮(ルテナント・士官)しておりこのダンケルク包囲戦にも参加した。

ダンケルクは、「砂丘の戦い」のあと10日で陥落し、ダンケルクは英国との協定通りイングランドに引き渡された。

この時に、ダルタニャンは近衛銃士隊隊長代理候補になった。(但し、官職は購入する規定)
この時の近衛銃士隊隊長代理は、マザランの甥、銃士隊隊長は国王。
マザランの甥の近衛銃士隊隊長代理(プレ・キャプテン・ルテナント)は戦闘に参加しないので、事実上ダルタニャンが精鋭部隊の近衛銃士隊を率いたことになる。

この後テュレンヌ旗下のフランス軍は、フュルヌ、ディクスモイデ、内陸部のイーペル、アデナールデなどを攻略。
ここでテュレンヌ旗下のフランス軍に進撃停止命令が出た。
それは、摂政アンヌ・ドートリッシュがルイ14世が回復した機会にと対スペイン和平を望んだと言うことである。
それは1658年6月14日ダンケルクを攻め落とした前後のことで、カレーにいたルイ14世が熱病にかかって瀕死の状態になった。
そして、6月29日には危篤状態になる。
それが物の本には「アンチモンを秘蔵のワインに混ぜたもの」を飲ませたら回復したというから良く分からない。
そして、元気になると看病していたマリー・マンシーニと共にパリへ帰ってしまったという。
ここでマリー・マンシーニとは、マザランの姪のマンシーニ三姉妹の1人である。
このマンシーニ姉妹とルイ14世との係わり合いは深く、先ず1654年オーランプ・マンシーニをクリスマスの女王に指定したことから関係が明らかになった。
ここでオーランプ・マンシーニが王妃になるかもしれないと言う噂が流布され、アンヌ・ドートリッシュが激怒した。(モットヴィル夫人 伝)
この結果としてオーランプ・マンシーニは、即座に結婚させられソワッソン伯爵夫人として宮廷に残る事になった。(後に 宮廷の女官長)

イギリスでは、1658年9月3日にイギリス・護国卿オリバー・クロムウェルが病没し大転換になる。

そして、ダルタニャン物語 第3部 「ブラジュロンヌ子爵」に続くのである。

尚、この熱病にかかったルイ14世の話として、鉄仮面の話やルイ14世が入れ替わったという小説などがある。
とかくルイ14世に関しては出生から種々の疑惑があり、大革命の時にブルボン王朝外の王族の墓(バロアその他)が徹底的に破壊し尽くされたために今では検証しようがない。

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コメント

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

投稿: 履歴書の書き方の見本 | 2014年7月25日 (金) 08時56分

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