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2015年5月15日 (金)

小説Syuun の不思議な少年時代 その36 (昭和47年1972)

今年も5月の連休がすぎ、今までこの時期に何をやっていたのかと考えたら高校時代まで何も思いつかない。
その昔のゴールデンウィークと言っても単なる飛び石連休で、4月から新年度が走り出したあとのほんの少しのお休みという感じだった。
だから今とは様相が違う。

 

「小説Syuun の不思議な少年時代 その35」では昭和39年、1964年という東京オリンピックの年で非常にトリッキーな年でもあった。
だからその部分はあとにして、一挙に10年後に飛んでしまうことにした。

 

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昭和47年という年の4月には、調べてみると外務省機密漏洩の「西山事件」があり、5月には沖縄返還。テルアビブ空港で日本赤軍乱射事件など70年安保の残滓が残る春先だった。
これは結構ハッキリと覚えていることだが、関心事ではなかった。

 

静岡大学工学部2年生になった頃の出来事としては夕方5時半までの本格的な専門科目が始まったこと。それと静岡生活もあと一年という片足が浜松に向いたなんとなく投げやりな感じだった。
元々静岡大学工学部を選んだ理由は理学、人文、農学、教育学部をもつ総合大学で少なくとも教養課程が静岡の(静岡キャンパス・大谷)本校で行われていたことである。
これを工学部生から言わせると「夢の世界」と言い、浜松の工学部のことを「忍耐の世界」-何と呼んだのかは忘れた。
その後工学部は統合になって全て浜松になってしまったが、「夢の世界」とはあながちウソではない。
それは、静岡とは「美人の宝庫」と言われていたからである。
その美人の宝庫と呼ばれた静岡なので、さぞかし美人が多かろうと言うことだったが確かに地元静岡の女性、女子学生にはその後見た限りでは、東京の銀座でも余り見かけない美人さんが多かった。
だから今まで見た美女の10人中で静岡がらみの人が一番多い。
そんな普段の美人さんなら着物が似合うだろうと、成人式に出かけていったらどこにも見当たらない。
静岡では江戸時代に華美を咎(とが)めて、美女を静岡から追い出したというよく分からない伝説を聞いたことがある。成人式の和服をみれば「さもありなん」という印象であった。

 

種を明かせば、静岡の女性は丸顔で洋装はよく似合うが、髪を結ってしまう和装は全然似合わないと言うことであった。

 

そんな美女達に突然出会うことになったのが1972年5月であった。
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取りあえず身近なところから挨拶して、一番綺麗どころの前まで来て、


ビールを継ごうとしたら、


「未成年なので・・・」

またかよ~と言う感じて断られる。

確かに大学1年生は未成年だよな。


しかし、何しに来たのよ!
高校生の合同ホームルームじゃないいんだ!


とりつくヒマがないので・・・

「女子大というと・・・どこ??」と聞くと

むっとした雰囲気で

「県立女子大です。」

「あ!   !!!!!静岡女子大ね!!!!」

とこのとき気がつく。


あとで確かめたところ「女子大」とは県立女子大(後の県立大学に統合)をさすようで、確かに県立女子大学の外は短大だけだった。

それに髪の毛の長い女性は苦手だな、こういうタイプは結構「お高い」んだ。
特に一年生だし。

「髪の毛・・・腰まであるの?」
「いえ、まだそこまでは・・」

と横を向いて首を振り、長い髪を振ってみせる。

それは確かに紺色のスカートと清楚な白っぽいブラウスの対比で色っぽいけど・・・


その仕草はどこかでやったことがあるの???と言いたくなる。

充分男を意識していることがありあり????


・・・・とはいうものの、腰まで髪の毛の長さは充分ありそうである。


「何学部?」

「文学部」

「地元? 自宅通学?」というと

こっくりさんのように頷く。

「どこ?」
「清水です」と女子学生。

「清水だったら近いものね」

(大学は、日本平の北側にあり清水寄)



卵型・・・か

地元静岡の娘らしく小顔、丸顔系だが、卵型の方が正確だろう。
身長は、160cmを切るくらいか静岡の女性はあまり背が高くない。




「どういうグループ?」

「出身高校が同じとか、同じ学科とかです!」


・・・・清水西高(女子校・旧清水高女・当時の有名進学校)かな?
・・・・静岡城北高校(女子校・旧静岡高女・当時の難関校)じゃないのね??



地元だから自宅通学というのは当たり前なのだが、通常この時点で「打ち切り」という感覚が出てくる。

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話が続かず、何かいやそうだったので

 

だんだん嫌味な質問・・・・・

話すことなどなくなって


目が宙に浮いている???

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「何で静大の教育を受けなかったの?」

「文学部がなかったから」


・・・・・人文学部があるではないかと言いたかったが、当時としては偏差値65~70ぐらいで高すぎ・・

「今月合コンはどことやったの?」

「先週 教育学部の人と・・・」

「ふ~~ん・・・・」

ますますいやな雰囲気になる。

 

結局それ以上話も続かず、名前も聞き出せずに退散。
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「話が続かないなぁ」と幹事の飯島にいうと

「自宅通学ばかりだからね、相手にならないよ!」という。

今なら携帯やスマホ、メールのやりとりも出来るが、自宅通学だと「親」を通さないとと言うハンデがつきまとう。

 

「なんか女子大の学生というのは雰囲気ちがうんだなぁ」

「それと・・・・・・あの娘(こ)見た目によらず結構・・・・・・・・あれなんなんだなぁ」

飯島「・・・・・・・・」

「結構・・男慣れしているよ!!!!!!」

「見た目じゃ分からないからね・・」

 

「教育学部の方はもっとフランクなんだが・・・」

 

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静岡大学工学部、教養課程2年になると週4回専門科目の授業と学生実験が始まる。
この専門科目の授業は80キロ離れた浜松の工学部から教授が出張してくるのである。
80キロと言っても新幹線で25分(当時)、東海道線で1時間であった。
それにしても朝8時40分から夕刻5時35分まで授業があるといささかいやになる。

 

そんな5月の連休後に「合コン」があるという回状が回ってきた。
「相手は女子大1年、金曜日の5時から静岡市内のいつものとこ。会費3,000円+参加希望者は記名のこと。-飯島」

「5時なんて、間に合わねぇじゃないか!」と友人・浜田に言いながら
授業終了後にあらかじめ調べておいたバスの時間割にしたがって、バス停に走った。
合コン会場に着いたのが午後6時を少し廻ったぐらい。

タクシー利用の先着組は、数名で一方、女性陣は銀行の受付宜しくテーブルに整列しているではないか。

いやな雰囲気と鋭い目線がピリピリとする。

「おう!」

という目線が飯島からくる。

飯島は、授業を途中で「あとは宜しく」と抜け出して5時には会場について、なんとかなだめていたようで。

「もうすぐ皆くるから・・・・・・・・」

と、そのあとタクシーに分乗した連中が到着。

6時半を廻ると後発の連中がぼちぼち到着して、ようやく合コンらしくなった。

しかし、依然として「ペルシャ猫」の軍団のようでにこりともしない。

気に入った学生がいなかったのかなと思うが、一番最後に到着したと思われる加藤の回りに女子学生の人垣が出来ている。


この背が高く男の目で見てもかなりイケメンの加藤君。

どうもこの美女達はめざとく「イケメン」は注目していたようで、

その取り巻きの女子学生と突然奇声を発すると、

突然「ペルシャ猫」が猫じゃらしに注目するように振り向く。

それでもお高い今なら「読者モデル」という雰囲気のこのロングヘヤーの女子学生は、席を移動すると言うこともなく男どもに背を向けて何やら友人とおしゃべり中。

何話しているのとその話の輪に入ろうとしたところ、そのロングヘヤーの女子学生は、突然なにやらショルダーバックをのぞき始めた。

・・・と少し腰を浮かしたと思ったら、もう時間なのでと立ち上がってあっという間に消えてしまった。


時間が7時を廻った頃であった。

 

その行動に触発されたか7時半ころにはめぼしい大半の女子学生は帰ってしまった。

 

残ったのは、加藤君に取り巻いていた数人の女子学生のみ。
加藤君は何か歌でも唄っているようでもある。

 

実はその加藤君というのは、ふだんは女性にも興味を示さない無口な人物。
だが酒を飲むと豹変するのでこういう場合は手が付けられない。

 

男どもは30分でお開きになったのでは仕方がないので、多少粘ったものの再度の飲み直しに行くものと、タクシーに分乗して帰る者とわかれた。
それでタクシー待ちをしていたら・・

 

「暑いから」
「歩いて帰るぞ」
と突然又、叫声が加藤君から発せられた。
それにつられて
「一緒に行く!!~~~~~~~~~」
と3名ほどの取り巻きの女子学生が長身の加藤に飛びつかんばかりの勢いで賛同。

「それは止めろよ」

「清水市だろう!」

(清水市はその後静岡市に合併)


取り巻いていた静岡の人としては長身でスマートな、一番可愛い娘(こ)はさすがにいやな顔をして、タクシーを拾いあっという間に消えてしまい・・・

加藤は、

「出かけるぞ」

「歩いて帰るのだ!!!!!」

と言い張って歌を唄いながら3人の女子学生を連れて出かけてしまった。



なんとも気分の悪い合コンだった。

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そんなこんなで、うたかたの「夢」もあれは何だったのかというほんの少しの出来事。

 

その上に、名簿交換は断られたそうな?


しかもあと1年で浜松だからと今の生活は「仮の住まい」。


彼女でも作って、何か心残りを残して浜松に行くのも面倒というのが何となくの心情でもあった。

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5月も下旬にきて、

幹事をやっていた飯島が

「この前は悪かったな・・・」

「いろいろな事情があったのだよ・・・・」

「こんどの開学祭に教育の国語科と模擬店をやることになった!」

「2年生だけどな」

「この前の合コンに参加したヤツだけに声をかけてるんだ!」

「来週の6時から寮(片山寮)で打ち合わせをやるから」

「・・・・・・・・・・・・・」

「寮生が絡んでるのだが、心配ないよ」




開学祭というのは、6月1日でこの日は休校日だ。

去年は、晴天だったことぐらいしか覚えていない。

一般学生から見ると「寮生」というのはなんとなく敬遠することが多い。

その理由は、70年安保では各学生寮が過激派の拠点になった。
それは1971年の春に教養部自治会が中核派(?)から民青に変わるまで続いた。

それに嫌気をさして1972年には、多くの学生が退寮して多くの空き部屋が出たということも事実である。


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飯島というヤツは、どこからこういう情報を仕入れてくるのか不思議なものである。

こういう飯島に限らず、工学部の学生にはいろいろな有益情報を仕入れる「ヤツ」が多くて、瞬時にクラス全体で共用する。

実はそれが進級や卒業して行く上での糧であって、有益な情報を仕入れられないヤツは、恩を売った友達を作って何とか教えてもらうか、脱落して行くしかないという現実がある。


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