« 小説Syuun の不思議な少年時代 その36 (昭和47年1972) | トップページ | FUJIFILM X-T10、PENTAX K-3 IIなどの新型カメラに思う »

2015年5月17日 (日)

小説Syuun の不思議な少年時代 その37 (昭和47年1972)

------------------------------

片山寮

--------------------

授業はいつも通りの5時35分に終了。
急いで教養部の第1食堂で済まして片山寮へ向かった。

静岡大学というのは、来たるべき東海地震の津波対策として日本平の西側の稜線の上にある。
日本平を清水側からぐるりと巻いて、東西に走る高速道路も静岡の旧市街地を守るために作られているのは周知の通り。
その高速道路を遙か眼下に見下ろす位置のあるのが、教養部B棟の第1食堂である。
この教養棟でさえかなりの標高差を持っているところ、その上に図書館、第2食堂があり、理学部、教育学部などの施設がある。
片山寮は、その教育学部の左手谷間にある体育館、テニスコートをはさんだもう一つの山の上である。
体育の授業で山頂の野球場へ行くこともあるが、ぼやぼやしていると教養棟から休み時間にたどり着けないこともある。
片山寮はそれと同じくらいの距離があると言って過言ではない。

http://www.shizuoka.ac.jp/access/map_shizuoka_20150213.pdf

だからこういう学生寮というのは行きにくいし、自治寮ということもあり勝手に入ると文句を言われることもある。

国語科・・・片山寮には「ミス片山寮」と言われた国語科の高田真理子嬢がいたはずだ。
しかし退寮してしまっているので関係ないだろうし、元々小学校教育課程の国語専攻だったか、教心(教育心理)の国語専攻だったかよく分からない。

そんなことを考えながら、とぼとぼと山道を登って行くのはなんとなくわびしい。

-----------------------------------
午後6時を回ったくらいでようやく寮について、何やら入って行くと

「ここだ ここだ」という大声の呼び声が聞こえる。

見れば飯島が窓から手招きをしている。

「勝手に入ってくるとうるせえからな!!」

「まあ、俺も今来たところだ」

「そっちの玄関から入って、回って来いよ」

・・・と周囲に聞こえるような声をだす。

何か雑然とした部屋に入ると、日焼けしたがっしりした感じの女子学生が二人。
一見して、国語科ではなくて体育科じゃないのかと思ったりして・・・
それに飯島と見知った顔がちらほら。
こういうことが好きな加藤や浜田も先着。

飯島が
「こちら・・・・」




「国語科の佐藤です。」

「佐伯です。」とてきぱきと応える女子学生。

「こっちは」と指さして

「浜田です。」

「加藤です。」
「望月です。」

「それとあとから来た」

「荒木です。」

「それでは模擬店では何を出すかですね」と飯島
「あ! 一応司会させていただきます。」
「何か案は??」

「・・・・・・・・・・」沈黙

「一応考えてみたのですけれど・・・」と佐藤嬢

何だ初めから決まっているじゃないか・・・というかベテランがいて助かったという感じ。

「まずは焼きそば」

「それと・・・・『おでん』を考えています。」

「少し時季外れかもしれませんが、他の模擬店と同じものだと困るので・・・」

「それと、焼きそばは夕食代わりなので利益は出ない計算です。」

「模擬店でみんなに働いてもらうわけですから、利益をださないと意味がありません。」


「『おでん』だけだと厳しいので他に何か対案はありませんか??」

 

なんか昔の学級委員長の話みたいだと思っていたのだが

「・・・・・・・・・・」沈黙

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「それで『焼き芋』なんかはどうでしょう」

「季節外れついでで、他の模擬店ではどこも出さないと思うので」

「・・・・・・・・・・」沈黙

「内容は任せるよ」と飯島

「それとここにいない子で3人くらい下ごしらえをするのだけど、手伝ってもらいたいんです。」

「寮の方は俺かやるよ」と飯島

「俺は料理が得意だから手伝うよ」

とイケメンの加藤が言うと

佐藤嬢がぎらりとにらんで

「それで よろしく!」

「そのほか料理の運搬をやってもらいたいのですけど・・・」

「自動車部だから車を調達してくるから」と言うと

「それもよろしく!」と佐藤嬢

いつの間にか飯島に代わって佐藤嬢が取り仕切って

「模擬店は6時からだから、お昼頃に寮に集まってくれれば」

「売る価格は、原価計算して決めることにしますから」

「そんなところで・・・・今日は」




と佐藤嬢が言い切ってなんとなく終了。

大して時間は掛からなかったが、寮を出ると夜はとっぷりと暮れていた。


飯島は
「去年は国語科だけでやったんだけど、男手が無くて困ったので今年は手伝ってやることにしたんだ」


・・・と言いながら送り出して、
「ちょっと別に寄るところがあるから」と寮に戻ってしまった。

この片山寮も建てて2年ほどしか経っていないはずなのに、学生運動の時に荒れたからかなり痛んでいる。
帰り道を見ると、人っ子一人いない山道のまばらにある街路灯も何か寂しい。

・・・と見ると浜田がバイクに乗っている。


「あれ!! バイクに乗ってきたのか??」


「あったり前じゃないか、こんな山の上に歩いてこられるか!」・・・・と京都訛り丸出しでいう。


「加藤は、自転車?」

「登ってくるのはきついが、帰りは楽だからね・・・」

と何かうれしそう。

・・・・・・・・・というとあっという間に二人は闇に消えてしまった。

そのあとには誰も続いて出て来ない。

寮生だったのかなとも思ったが、「帰り道を急がないと」と早足で急いだ。

-----------------------------------------------------------------------------------------
ここまで述べて、当時の状況を説明しておかないとよく分からない部分が出てくる。

1972年当時の静岡大学とその周辺地域は、2015年とは全く違う様相である。
当時は高度成長時代であって、大学の教授も10年経つと組織が2倍になると言っていたものである。
また、今静岡市と清水市は合併して政令指定都市静岡市だが、当時はそうではなく静岡県立大学も合併前の県立静岡女子大、薬大、女子短大(浜松)に分かれていた。

その一方、静岡大学は一期校、二期校時代の二期校であり関東、関西と分けると関西に分類される大学であった。
関西に分類されるというのは、大半が関西出身者が多くとりわけ愛知県出身者が多い。
正確には、名古屋に近い中部圏である。

そして、一期校、二期校の分類では関西には一期校が多く、そのほとんどが旧制高校、高等師範、高等工業、高等商業であったのに対して、関東(中部以北)では、旧帝大系と少しの旧制高校が一期校となっていた。
従い、学制としては関東(中部以北)に分類された静岡大学は、旧制静岡高校、浜松高等工業を母体としているものの関西系分類では妙な二期校であった。

こういうふうに関西ではほとんどが一期校の分類の中で、関西圏に入る静岡大学というのは京阪、名古屋地域の旧帝大系の大学の滑り止めという関係にあった。

また、工学部、理学部、人文学部(現・人文社会科学部)、教育学部、農学部も組織変更されて今現在はそのままの組織として残っていないし情報学部は存在もしていない。
この中で大きく違ったのが工学部と教育学部であり、特に教育学部は別物という印象が強い。
当時の静岡大学教育学部は、静岡、浜松、沼津の師範学校を統合した関係から定員約650人の大所帯であった。

教育学部を卒業すれば教員になれた時代で、学年トップクラスの女子学生が教育学部を目指すことがまだ多かった。

今では医学部を目指すのが普通だが、戦後のベビーブーマー世代であった当時では入学定員が少なかったこともあり、余程優秀でも現役で医学部に合格するということは稀だった。

従って、ここに登場する教育学部の女子学生というのは、ピンキリとはいうものの今なら医学部へ進学しているような女子学生が多かったという認識がある。

特に数人ずつしかいなかった、理学部、人文学部、農学部の女子学生はとてつもなく優秀だった。

--------------------------------------------------
1972年6 月1日開学祭・模擬店。サッカー場
--------------------------------------------------


当サイト特別の「PowerDVD 15 Ultra版が10%オフとなるクーポンコード」を公開

333



サイバーリンク公式オンラインストア

クーポンコード
----------------------------------
「PDVDJP10
」で10%オフ

------------------------------------------------------

|

« 小説Syuun の不思議な少年時代 その36 (昭和47年1972) | トップページ | FUJIFILM X-T10、PENTAX K-3 IIなどの新型カメラに思う »

syuun の不思議な少年時代」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 小説Syuun の不思議な少年時代 その37 (昭和47年1972):

« 小説Syuun の不思議な少年時代 その36 (昭和47年1972) | トップページ | FUJIFILM X-T10、PENTAX K-3 IIなどの新型カメラに思う »