« 第53回妙墨会書展を観覧 | トップページ | CyberLink PowerDirector 13で編集する「第67回毎日書道展・表彰式」 »

2015年8月 9日 (日)

神風特攻隊記事・空母バンカーヒルを大破させた戦果

Book1


8月になると未だに70年前の記事が出て来たりする。
2015/08/08の読売新聞地方版には、特攻隊で戦死した高崎(旧碓氷郡、八幡村)出身の小川清少尉(特進で大尉)の記事が載っていた。
端的に言うと遺品が米国から戻ってきたという記事なのだが、実は2001年の話である。
この小川清少尉と昭和隊第3小隊長の安則盛三(中尉?)は、1945年5月11日「菊水6号作戦」で沖縄侵攻中の米国の最新正式空母バンカーヒルを大破させた戦果。
これは、特攻末期の戦果としては最大級のものであった。
その戦闘状況がかなり良く分かっているので、ある意味有名なことで、実際「特攻」という700ページくらいある著書に詳しい。
この遺品は、バンカーヒル乗員の一人ロバート・ショックによって保管されたらしいことも著書にある。(日本語版p395・第23章敵空母 見ユ、その他)
実は詳細な記事も後半に掲載されている。

この新聞記事を見ると後半妙な記述がある。
この部分はあとで述べることにして概略を説明しよう。

Pc0051


時は米軍が沖縄戦でこの空母バンカーヒル、エンタープライズから攻撃隊を出撃させていた。
沖縄周辺では「海上レーダーサイト」と言ってレーダーを搭載した駆逐艦を、ぐるりと配置して日本軍機を警戒していた。
従って、米海軍を攻撃するためにはこのレーダーを持った駆逐艦を破壊しないと全く近づけない状態であった。
夜間攻撃でもレーダー搭載の夜間戦闘機が存在したために偵察機さえ近づけない状況であった。
その間この空母バンカーヒルからは、地上部隊支援のためにアベンジャー(TBF雷撃機・小型爆弾・ロケット弾・ナパーム弾を翼下に搭載)が常時発艦していた。
戦艦「大和」(1945年4月7日沈没)、「武蔵」や空母「瑞鶴」を撃沈するなどの日本艦隊に甚大な損害を与えた疫病神の雷撃機であった。
実際に戦艦「大和」への攻撃には、この空母バンカーヒルからのアベンジャー雷撃機が大挙参加している。

この戦艦「大和」への攻撃では、大和他軽巡洋艦一隻、駆逐艦四隻が撃沈され、米国側は、航空機10機、搭乗員12名だけだったという。
その後日本の「菊水1号作戦」が発令され、空母バンカーヒルに殺到するのだが40機の特攻機が撃墜されている。

***************************************
「菊水6号作戦」昭和隊第3小隊
***************************************

1945年5月11日午前6時45分頃鹿屋基地を発進。(全9小隊)
昭和隊第3小隊・指揮官・安則盛三
一番機(101)安則盛三(師範学校・満州)
三番機(33)小川清(早稲田)
二、四番機・石崎健三(立教)、篠原惟則(立教)

琉球諸島沿いを飛行し、午前8時過ぎに沖永良部島上空。
レーダーピケット駆逐艦を探して、進路を南へ。
その一方、沖縄南方の空母バンカーヒルでは、攻撃機の収納と次の沖縄攻撃準備に余念がない。
バンカーヒルの飛行甲板には、整備済みの攻撃機が所狭しと並べられていた。
その艦載機には、30口径、50口径の銃弾や爆弾、ナパーム弾が搭載され、燃料は満載。

上空には、空母群護衛の戦闘空中哨戒(CAP)の艦載機が飛行していて、特攻機と見ると撃墜したりしていた。実際沖縄付近上空で一式陸攻とそれに積まれた桜花をその日に撃墜していた。

これら攻撃機は、燃料不足のために空母バンカーヒルに帰還。
バンカーヒルでは、次の攻撃機の発艦準備中で着艦の余地が出るまで、その他の偵察機などもバンカーヒルへ着艦するために上空で旋回しながら待つと言う状況であった。

午前10時の時点でも約20機が上空を旋回中である。
その直後3機の特攻機が雲間から現れ、3時の方角から150m間隔で連なってバンカーヒルへ向かってくる。


********************************
一番機(101)安則盛三
********************************

10時2分、上空旋回中の米攻撃機(CAP)が2キロ先で急降下を続けている特攻機を発見。
米攻撃機がバンカーヒルへ警告をする間に安則盛三一番機が爆弾を投下。

投下された500Kg爆弾は、飛行甲板を貫き、第3エレベーターよりわずか後方の地点を貫通、格納庫の天井を突き破り左舷測壁に穴をあけ、バンカーヒルから6mほど離れた海上で爆発した。
爆弾の破片は、格納庫に飛散し格納庫内の航空機燃料タンクが誘発。

安則盛三の零戦52型機は、機銃掃射をしながら急降下から緩降下に移り、着艦するような体制で甲板上の航空機に激突。
混み合った飛行甲板は炎上し、安則機は飛行甲板を一掃すると共に炎上する1機のコルセア機と共に海中に落下。


******************************
三番機(33)小川清
******************************

小川機は、バンカーヒルの後方で急旋回し約70度の角度でバンカーヒルの中央に突入した。
突入の途中、左翼先端に40mm機関砲の直撃を受けかなり吹き飛んだが翼はそのままだった。激突の直前炎に包まれたが、そのまま激突。
小川機自体の激突による被害はそれほど大きくなかった。
その零戦の突入に先駆けて500kg爆弾を投下。
バンカーヒルの甲板で最も脆弱な場所、アイランドと飛行甲板の交点に投下された。
小川の爆弾は、直径15m程度、深さで言えば三階層にも及ぶ部分を破壊した。飛行甲板には巨大な穴が空いた、


********************************
その他の特攻機
********************************

小川の突入があった30分後、右舷側を高速で低空飛行している。
零戦は、バンカーヒルの飛行甲板より低い位置に向かって突進。
全艦(約10隻程度の艦)がこの零戦に向かって一斉射撃。
曳光弾が命中を示す火花を散らし、20mm機銃による攻撃で搭載の爆弾が爆発。
これはバンカーヒルにダメージを与えることなく撃墜された。

*****************************
5月14日26機の特攻機が艦隊に接近。
その内19機がCAP機(Combat air patrol・戦闘空中哨戒)に撃墜。
6機が対空砲火で撃墜されたものの富安俊助中尉の1機だけ突入に成功。
空母エンタープライズの全部エレベーター付近に突入して、甲板をねじ曲げ空母の艦載機が全て破壊されて戦線離脱。

ドキュメンタリーの「特攻」に書かれている記述によると
特攻で17隻の艦船が沈み、198隻が損傷した。そして、空母エンタープライズ、イントレピット、バンカーヒルのように損傷を受けた艦船の多くは二度と戦場に戻らなかった。

米国の戦略爆撃調査報告書では、
1945年4月6日~6月22日の78日間に、日本軍の特攻によって艦船26隻が沈み、164隻が損傷したと記録されている。
全期間を通じた被害は、空母36隻(内正規空母16隻)を含む288隻に及び、34隻が沈没した。

Pc0061


********************************
新聞記事でおかしな点は、「清さんのゼロ戦に搭載された爆弾が不発弾だった可能性が考えられる。」という部分。

史実としては、「特攻」で述べられているとおり500kg爆弾は不発弾ではなく大穴を開けている。

どうも特攻機というのは、爆弾を積んだまま空母などに突撃するとでも思っているのだろうか。
信管の先端には風車が取り付けられていて、爆弾が投下されるとこの風車が風圧を受けて回転し、安全装置が解除される仕組み」と調べると書かれている。

従って、爆弾は投下されないと不発弾になる可能性が高い。

そもそも特攻機は撃墜される可能性がある、しかし投下された爆弾を撃墜すると言うことはあり得ない。
小川清機は、爆弾を投下後に突っ込んだのであって、激突死はしているもののバラバラに吹き飛んでいるわけではない。

記事を書く人も少しは、当時の武器の性能ぐらい知ってほしいものである。
そして、特攻は実はかなり戦果を上げていて海軍とすれは戦艦大和一隻の乗員より多い程度の犠牲者だった。
世の中で思われている「特攻攻撃は戦果があがらなかった」という常識とは随分と違うものである。


Pc0041


|

« 第53回妙墨会書展を観覧 | トップページ | CyberLink PowerDirector 13で編集する「第67回毎日書道展・表彰式」 »

消え去った郷土歴史・閨閥の歴史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 神風特攻隊記事・空母バンカーヒルを大破させた戦果:

« 第53回妙墨会書展を観覧 | トップページ | CyberLink PowerDirector 13で編集する「第67回毎日書道展・表彰式」 »