「真田丸」のも終わったが歴史のウソホント
ものみな上がる年末の最終週になった。
来年は日曜日からという変則?なので何か税金の支払いが早くなったのかと思ったら、日曜日の関係で1日遅くなった。
大昔に事業をやっていたときに、金融機関の支店長が「金利というのは元旦でもかかるから良くできている。(仕事している) 」と訳の分からないことを言っていた。
要するに借金などするなよと言うことである。
今は事業で連帯保証人になって、借金をすると言うような危ない生活はしていないからこういう点は気が楽である。
そもそも少ない資金で運用するならともかく、大金を借りて相続対策で畑にアパートを建てようという業者の口車に乗ったら最後、最終的に身ぐるみ剥がされることになる。
これが今は太陽光発電だったりするとは言え、いつも言うように甘い言葉は悪魔の言葉である。
そう言う年末、月曜日の26日から「3円の値上げになります」とガソリンスタンドから悪魔の囁き。
こんなの毎週ではないかとドル円相場を見たら117円まで下落している。
OPECは、減産すると合意しているはずだから年明け早々に値段が下がるとは思えない。
それで午後からバイクと車などで何回もガソリンスタンドを往復する羽目になった。
土日特典のティシュー箱をもらってきたから、スタンドまで行くガソリン代ぐらいにはなった。
だからといってそんなにガソリンが入るわけではない。
ガソリンをがぶ飲みする10年前の車を使わないようにして、節約したからこんなもので済んでいる。
車を買い換えればと言うものの先立つものがないし、欲しい車がない。
日産も山下敏男先生がデザイナーだったときは、欲しいかなと言う車があった。
しかし、今はない。
ネットでちらりと見てみるとNHKの大河ドラマ「真田丸」が終わった感想が書かれていた記事があった。
近年虚構が多すぎる「NHK大河ドラマ」は余り見たことがない。
大昔に見た「花の生涯」、これはモノクロの時代で古すぎるが記憶に残っている。
しかし、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたあとの話はなかった。要するにそこで終わる。
実はその後が悲劇で、井伊直弼の行列のお供で生き残った藩士は小物に至るまで切腹、斬首されたという話がある。
話は戻るが、「真田丸」の主人公・真田信繁(幸村)、かなり英雄として持ち上げられている。
しかし、真田信繁が元々戦術家として有名であったと言うことは当然ながら一切ない。
徳川家康との第一次上田合戦(1585)の時には、上杉景勝の人質となっていて不在。
初陣が北条氏討伐の小田原攻めの時。
東山道軍の一員になっていた真田軍は、八王子城壊滅(皆殺し)に余勢を持って忍城攻防戦に参加している。
このとき中山道に繋がる忍城持田口は、主力の石田三成軍がなぜか攻撃方を置かずに空けておいた。
この理由は定かではないが、多分豊臣秀吉からの指示であったかもしれない。
ここに真田軍先鋒隊を率いた真田信繁が突入する。
ところが相手の小宮山(小宮)源左衛門忠昌の罠にまって全滅してしまう。
忍城方の総大将は小宮山弾正介忠孝で武田一門なので、武田軍団の最精鋭部隊と戦ったとはいえ敗戦は敗戦。
はっきり言えばこの戦いの唯一の大敗北。
この忍城攻防戦を検分したのが徳川家康で、城の備えを大絶賛しているという話がある。
これから徳川家康は、真田信繁は戦下手という認識は強く持っていたはず。
この家康の認識があったので、関ヶ原のあとで「昌幸と信繁は高野山配流」に止まったと言うことが納得が行く。
要するに実害はないという認識だろう。
その後に大阪冬の陣では、零落(落ちぶれてる)していた上に真田信繁は役立たずというとうことが広く知られていたはずである。
大阪冬の陣でも誰も真田信繁の話に耳を貸さないわけである。
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