« 第69回毎日書道展・公募鑑別審査始まる | トップページ | 第69回毎日書道展役員作品出品完了 »

2017年5月29日 (月)

お寒い限りの書道を始めて35年経って思うこと

10


公募の書道展に出品してもう35年くらいにはなる。

書歴には学生時代の「書写」の時代は入れないが、関わりと考えれば40年以上になる。

それで師承が亡くなってから25年位経っていることに気づいて愕然とする。

明治の時代に生まれ育った師承の時代と、昭和の高度成長期にギリギリ間に合わなかった世代。

そして平成の今の子供たちを見ると、それこそ隔世の感がある。

1980年代、公共のカルチャースクールなどは大盛況で、書道も絵画も応募を断る方だった。

それが5-6年で閑古鳥が鳴くようになり、やがて講座そのものがなくなった。

今となっては笑えるが、FAXが最先端で業務用FAXが50万円もした頃である。

その頃から「ワープロ」が流行し始め、あっという間にパソコンになり平成の時代の子供はスマホになった。

パソコンが流行る前、漢字を覚えるのが難しいから「減らそう」と言う動きもあった。

しかし、パソコンになるに当たって「漢字」というのは非常に読み書きに便利でますます難しい漢字も使われるようになった。

こういう変遷で、書道(書写)というのが学校の現場から徐々に排除され特にパソコン時代に教育を受けた人は、書道(書写)に忌避感が多い様である。

・・・と言うより書が書けない。

***************************

また世間一般でも(芸術としての)書道と(学校で教える)書写との区別が付かない情報弱者の前橋高校のOBがいて、6年前の展覧会で散々非難を浴びた。

こういう人物に何を話しても「問答無用」と全く理解しようとしないのは、どこか「某国」に人間そっくりであると最近の読んだ本からそう思う。

そういうことに関して米倉大謙先生(筆心会書展に展示あり*当時は群馬大学学芸学部助教授)はどんなものだったかと50年以上前を思い出してみる。

それは現在の群馬教育書道展(一般社団法人 群馬県書道協会)という、小生も審査員(会員)に名を連ねる展覧会を見に行ったときのことである。

その時は公立の中学生か小学生の頃。

階段付近で、小柄なハンチング帽子の男の人と、いかにも附属小学校(群馬大学学芸学部)の児童と思われる制服とバッチの小賢しいグループに会った。

この附属小学校児童というのは、かなり生意気で俺たちは「附属だ」という顔と態度をしているので嫌いだった。

附属中学の生徒も、公立中学の生徒を見下した態度で「この野郎」と思ったこともあったが逢わないようにしていた。

それが前橋高校の制服を着るようになったら、この附属中学の生徒も何か「コソコソ」した態度になったから制服の威力は面白い。

ちなみに、群馬大学教育学部附属高校はない。

その「小柄なハンチング帽子の男の人」とは、後に付いていったら米倉大謙先生と知った。

その小賢しい(こざかしい)児童は、「先生これはなんですか?」と「推薦」という賞名の作品を指さして叫ぶ。

児童「これは何ですか? 先生」

米倉大謙先生「横堀先生のところかな?」「あっ違うか!」

児童「こんなのもあるのですか?」

米倉大謙先生「そういうのもある。」

そしてその半紙作品がどんなものだったかは、全く覚えていない。

しかし、当時の自分でも「書写」の文字ではなかった位しか分からなかった。

中学一年の正月の競書大会。

会場に行くと、回り中は手本を出して何かの文字一生懸命練習をしている。

それが何か知らないのは一緒に行った小林孝君と見知った生徒。

それで書く「題」が出されて、手本を仕舞いなさいという試験管の声で、手本が「題」そのものだったことに気がついて、それ以降興味が薄れてしまった。

「題」が分からないはずの書道の競書の世界にも不合理がある。

***********************************************************

近年は、スマホ時代になったから書道人口の減少が収まらない。

明治時代、かなの故大沢竹胎先生は弟子が1,000人いて、人力車を教場の外に待たせて何件かの教場を毎日廻って教えていたという。

それが何か身体を悪くしたか、突然止めしてしまったという話を師承の横堀艸風先生から聞いたことがある。

大沢竹胎先生は、書家としては早死にの方で余り弟子が残っていない。

残っているのは、今で言う「近代詩文」で少数である。

特に、「カリスマ」の書家の大先生が亡くなると「どさっと」展覧会に出品しなくなるというか書道を止めてしまう人が多い。

東北の方でこの「カリスマの書家の大先生」が亡くなって、いつも年賀状が届いていた先生に年賀を出すと、返事に「書道は止めました」とあったりする。

書家も高齢になれば亡くなるのは当たり前としても、その先生に次ぐNo2の先生に同じカリスマ性がないと危機的な状況になる。

うちの横堀艸風門下・艸玄会は、先生が亡くなったあと何とか半数の脱落で済んだ。

後に大島佳水先生から、艸玄会は県展(審査)委員が沢山(10人程度)いたから持ったがうちは大変だったと言われたことがある。

それでも県展(審査)委員のほとんどが既に鬼籍に入ったり引退したりして、新たに委員になったひとを入れて多少残っている程度になった。

時は移って横堀艸風門下の直弟子は全て県展(審査)委員にはなったが、当番審査員が廻ってくるかは定かではない。

既に弱小社中になってるので、当番審査員も「会長を無視して」直接会員に接触してくると言う「手」が入ってしまっている。

これで先が見えたとはお寒い限りである。




1日一回クリックお願いします。


人気ブログランキングへ

詳しくはこちらを参照 icon

2017_5_25


詳しくはこちらを参照 icon ---------------------------------------------------------

ブログランキングに参加しています。


人気ブログランキング

|

« 第69回毎日書道展・公募鑑別審査始まる | トップページ | 第69回毎日書道展役員作品出品完了 »

書道家のお仕事・書論など」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: お寒い限りの書道を始めて35年経って思うこと:

« 第69回毎日書道展・公募鑑別審査始まる | トップページ | 第69回毎日書道展役員作品出品完了 »