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2017年5月10日 (水)

朝鮮半島有事に新聞投書欄に見る新聞の姿勢

Ginza201712


新聞の投書欄のある特定の位置にある投書は、その新聞の主義主張を表すことが多い。

今は読まなくなってしまった朝日新聞では、新聞記事では書けない意見を本文の論説を書いても良さそうな大学教授が「公務員」とか名乗って書いていたことがあった。

有名な活動家は「主婦」だったり、「会社員」だったり「自営業」だったりとその職種を言い換えると言うこともあった。

そういう投書欄、意見欄というのは大方新聞の主張と異なることは掲載されない。

地方紙ではそれほど極端ではないとはいえ、特定の位置には地方紙の記者によく知られている人物などの寄稿が載ることも多い。

しかし、そう言う投書欄に寄稿するというのは65歳以上の高齢者がほとんどで、寄稿しても採用されることはない小生などはこういうブログを書くわけである。




それで5月9日の上毛新聞「みんなのひろば」では、その指定席に憲法論議が書かれていた。

こういう投書欄では、「平和国家」とか「平和憲法」と書いてあると全て同じ内容なので読まない。

しかし、韓国で「親北」という大統領が誕生して韓国と北朝鮮の連合国が誕生しそうな勢いである。

 

こうして名目上でも朝鮮半島が統一されれば、38度線は竹島の位置まで南下する。

 

元々韓国軍は、不思議なことに日本を仮想敵国にしていて日本が装備を調えるとそれに対抗する傾向があると言われる。

 

そして、統一なら国連軍という在韓米軍は不要になり在韓米軍の存在意義がなくなり撤退
する。

 

しかも財閥解体や親日派の財閥解体を政策方針にしているから、経済も破綻する可能性も高まる。

 

そんなときに日本はどうするかという問題である。

その投書欄はこんな風に書かれている。

ただし、冒頭のみを紹介引用する。


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**********************************

「憲法は平和国家の指針

1947(昭和22)年5月3日に日本国憲法が施行されてから70年。今も改憲、護憲に向けた行事や集会が全国各地で行われている。日本国憲法は太平洋戦争の当事者としての反省の上に立って、平和、人権、民主主義を基調とし、争いのない世界を作る国家の指針として定めたのである。
その基本が憲法9条の戦争放棄、軍隊不保持ではないだろうか。・・・・以下意味がないので省略。」(73歳)

**********************************************

 

この文章は、いわゆる護憲派の憲法9条信者と思われる投稿で、書かれている位置からして新聞社の意向にあった投稿と推定できる。

こういう護憲投稿の突っ込みどころが多いのは、先ず「平和」と述べる平和の定義とそれに続く「平和国家」の定義だろう。

実を言えば「平和国家」という意味はない。

平和とは、単純には「戦争をしていない状態」を表すもので「停戦状態」に近いし、そう言う「戦争と戦争との間の期間」と定義されることもある。

すると「平和国家」とは、戦争をしていない国家になる。

戦争をしていない国家とは、スイスとか北欧の中立国になるが、ここは武装中立国で主要な武器輸出国でもある。

スイスは、国民皆兵で24時間で20万の軍隊を動員できるという軍事大国で、各家庭に武器庫があり、日本の街の津々浦々にある「山車」のように町内に戦車や装甲車がある。

要するに平和国家を定義することが出来ない妄想である。

次に、「1947(昭和22)年5月3日」と言えばGHQの占領下で、検閲があって言論の自由はなかった時。

だからこの文章に「国家の指針として定めたのである。」の主語はない。


なぜなら国民によって制定されていない。

今では、GHQによる「日本国憲法の英語の原文」も確認され、しかも起草した人物もおおよそ特定されている。

そして日本国憲法の上にマッカーサー条例があり、日本国憲法にたいする批判は検閲によって封殺されていたという事実が分かっている。

ところが今から30年ほど前に、産経新聞誌上で当時の上智大学教授、故渡部昇一先生が日本国憲法は米国(GHQ)から押しつけられたという記事を書いた。

そうしたら大阪大学の教授だったか「日本国憲法は自主憲法」でGHQはアドバイスに乗っただけという反論をした。

ここで驚くのは「GHQによる占領憲法」であると言うことが延々と隠されていたという事実であった。

これが2-3回も論争として掲載されたのだが、それから暫くして米国の公文書館の情報公開によって日本国憲法はGHQが作ったことが明らかになった。

この記事は読売新聞一面に掲載されたと思う。

ところが、中学校時代の社会科教科書に芦田修正と原文の英語が載っていて今更という感があった。

それで当然渡部昇一先生の話が正しく、自主憲法と言っていた某教授が赤っ恥をかいたわけで今では笑い話である。
こういう投稿を見るとその時点から全く変わっていないと思える。

そう言うことをこういう護憲派の人にぶつけると、「良いものは良いのだから」という返事が必ず帰ってくる気がする。

また、日本人が「認知してきたのだから」ともいうかもしれないが、これは先に述べたとおり自主憲法であると思わされてきたという事実がある。

そう言うと「紀元前73年の起きた『スパルタクスの反乱』」を思い出すものである。

これは映画にもなった。

必ず死ななければならない奴隷の剣闘士スパルタクスが反乱を起こしたもので、その反乱軍に奴隷の身分ながら貴族の「家族同然」という人物も参加した。
映画ではそう言うところも描写されていたが、「奴隷」という身分に嫌悪したとあった。

このことから思えるのは、紀元前73年の奴隷においても名目を重視する。


今では国民の意思ではない国際法に違反した占領憲法は、改憲すべきと思うがパソコンをも見ない時代になると思考停止するのか不思議なものである。


詳しくはこちらを参照 icon


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