春夏秋冬・四季を感じなくなった寂しい日々
4月になった。
4月1日のエイプリルフールなどというのは、午後になって気がついたぐらいで、もうそう言う事柄を気にしなくなった。
そして3月31日までの喧噪から一転して静かになったし夕方、道もそれほど混まなくなった。
実を言うと「あれ4月になっちゃった」と言う印象が強いのだが、4月になったからと言ってYahoo!の期間限定5ポイントが消失するくらいである。
楽天ポイントならガソリンを31日入れに行って、期間限定ポイントも全て使えたから無駄はなかった。
こんな細かいことをやっているのも不景気のせいである。
お笑い芸人 鉄拳のパラパラ漫画ではないが、自分は変わらないつもりでも周りが勝手に動いてゆく。
それで鏡をよく見てみれば年相応に頭が白くなり、歳をとっている。
他人もそんなふうに見ているのかは分からないが、書道界だけはいつも変わらないしいつものメンバーがそろう。
不思議なことに書道をやっている先生というのは余り歳をとらない。
それは10年も会っていなくて、突然会えば年齢を感じることもあるものの実はそうとも言えないこともある。
この辺のところがいろいろと難しい。
いずれにせよ、見た目とは関係なく歳をとれば疲れやすくなるし頑張りも聞かなくなる。
医者からの脅しもあって、ウカウカしていられないというのが今である。
その昔、母が自分の年老いた母(祖母)の手をみていたことを思い出して、自分も同じような「よぼよぼ」の手になるのだな、と考え深く言ったことを思い出す。
その母を送ってもう19年目、兄を送って54年目。
何か随分と遠くの未知の世界へ来てしまった感が強い。
ライトノベルの異世界ものではあるまいし、そんな仮想現実というものでもない。
とにかく季節を感じなくなってきたというのも慣れ親しんだ自然が徐々になくなってしまったと言うことに尽きる。
小さいときから走り回った庭には、春には花(桃の花)が咲き、松葉ボタンという小さな草花を楽しんだり、4~5月はサツキが満開で大昔には新聞社が写真を撮りに来たこともあった。
それからあじさいと花菖蒲の時期になり、夏には枯山水みたいなものがあった庭にトカゲが湧いていた。
蝉の声、それが蜩(ひぐらし)となってトンボが飛び、秋が来る。
その秋には柿、びわなどがなった。
紅葉、そして冬。
1年か終わる。
しかし、今はその全てがない。
多少子供の頃の面影を残していた近くの木々も伐採されて周囲に何もない。
これでは四季を感じなくなるわけである。
1日一回クリックお願いします。
Please vote.
---------------------------------------------------------
*************************************
ブログランキングに参加しています。
Please vote.
| 固定リンク
「消え去った郷土歴史・閨閥の歴史」カテゴリの記事
- 激動の夏、似非保守王国の群馬(2025.08.17)
- 第75回前橋七夕まつり を見る(2025.07.14)
- 「第73回前橋七夕まつり」に出かける(2023.07.09)
- 鼓笛吹奏楽パレードの発祥・前橋まつり(2022.10.19)
- 中央商店街だけのささやかな前橋七夕まつり(2022.07.08)


















コメント