お盆明け・でもうちは15日に送った
8月16日はお盆明けで、普通は16日の夕方にお寺に行く。
しかし、以前書いたように我が家は15日に送る習わしになっている。
それで何か特別のことがあるのかというと何もないから16日でもよいと思うもののそういう習慣である。
16日は、昼過ぎから猛烈な雷雨があったので実は15日で今年は良かったという感じもある。
母が埼玉県からお嫁に来て、どうなのかと思ったら実家と同じだったという。
実は、親戚もそういうところが多くて何かの風習なのかもしれない。
その理由を大昔に母に聞いたことがある。
しかし、個人的な考えとして実例を挙げたのみだった。
昔のことと言えば、自分が生まれる前のことで母の昔話に登場する人物に不明なことがある。
その時には当然亡くなっているけれど。
その人物の存在が突然消えていて、整合性がとれないことがあった。
その話が50年以上経った法事で従姉妹から昔話として聞かされて納得がいった。
母の昔話に出てきていた人物は、戦争中に母の実家に疎開していてというか親戚中がその家に住んでいた。
終戦間際に従兄弟2人が危ないから駄目だという家の前の堀で泳いでいたという。
その中に兄がいたかと考えていたら、昭和20年生まれだからまだ1歳にもなっていないし、母の実家にいたかどうかも分からない。
実家とは、周りに堀を巡らし西北には迷路となっている竹林がある3,000坪もある一種の野城のようなもの。
結果として赤痢になったのだそうだ。
そこで、体力の劣っていた年寄りが亡くなり従兄弟などの子供は何ともなかったという。
だからそこで亡くなってしまったから突然消えたわけである。
その他、妙なことは自分が生まれる直前ことで親戚から言われたことがあった。
それはたわいのないことで、母のお腹に小生がいたときに母は悪阻が相当酷かったと言う話。
そんなことは、生まれて母から一度も聞いたことがない。
「生まれたときは、苦労せずに簡単に生まれたよ」という話だけ。
ほんと 何だそれは・・・である。
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