お盆でいつも思うことと、映画マトリックスの仮想現実
お盆が近づくと何となく嫌だなと思うことは、8月11日が近づくことである。
8月11日と言っても、誰にも分からないから言うと小生の兄、19歳の短い一生の命日である。
1964年オリンピックの年の夏、今と変わらないうだるような暑い日、気温37℃。
当時あった市民プールでもう3時近くなるから帰ろうと促した小生に。
50mプールサイド横の「向こう側(幅25m)まで泳いだら帰るよ」といったので、振り向いたらもういなかった。
プールに行くのにいったん帰ってきて、どうしたのと聞いて目を逸らしたらもういなかった。
それでその言葉を最後に、兄の声を聞くことはなかった。
そして8月12日は日航機墜落事故である。
今年は10日に群馬県の防災ヘリ墜落の報道では地方紙一面記事であった。
どう言う訳かこの「お盆」に呼ばれるのか余り良い感じがしない。
今年は娘もお盆に帰ってこない。
お彼岸にも帰ってこなかった。
女房殿と迎え盆でお寺に行って、
女房が「もうここに来るのは私たちで最後になるかもね」と何となく言う。
娘も結婚して苗字が変わってしまえば、代々続いたお墓も継がないかもしれない。
そうするといずれ無縁仏になって整理されてしまうのかと何となく思う。
家の仏壇を見れば、実家にあった仏壇は幅135cm位あって広げると襖二枚分必要だった。
その実家は相続と絡んで壊してしまったから、今はいわゆる団地サイズというよりミニサイズになっている。
こういうミニサイズだから、お花を買ってきても入らない。
お線香は今は昔と違って開放されていないから、お線香も焚かない。
よって、仏壇にお供え物がない。
今なら甘いものなどだが、女房殿は食べないので下げてきても小生が全部一人で食べなければならない。
しかし、多少ダイエットしているので今は食べられないから、結局お供え物がない。
そういう当たり前の習慣を子供に伝えないからいずれ消えてなくなる。
だからこの時期、鬼籍に入ってしまった兄や両親を思いやるしかない。
近年Yahoo!知恵袋などをのぞいている。
その回答者が何か変だなと思ったら、皆高齢者だった。
少なくとも40歳台ぐらいに偽装しているものの、言っていることが古い。
困ったことは、自分が見知っていた時代の価値観でしか物事を見られないのは仕方がない。
しかし多少見え隠れするのは、
「えらい誰それが言っていた」
「えらい小説家の先生の小説にこの事件のことが書いてあった」
「週刊誌に載っていた」
「NHKやテレビで報道された」
こういういわゆるえらい他人様が言っていることが正しい。
今やネットで調べれば直ぐに「正解」が分かるのにそういうことは否定する。
単純に見れば物事を自分で考えない。
そう思ってみれば高橋洋一先生が、今ネットで調べれば容易に分かることを調べないで「役所に聞いたこと」だけを報道していると批判している。
これではコペルニクスになれないわけで、不思議な世の中になったというより映画「マトリックス」の世界にように目覚めてきた人が増えたと言うことだろう。
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