母の思い出を書こうかと悩む昨今
最近花粉症で多少疲れてくるとパソコンの文字が見えなくなる。
これはドライアイになっているようで、花粉症専用目薬をつけると「パッ」と見えるようになったりする。
眩しいからとブルーライト専用の眼鏡をかけると、今度は薄暗くて見えないなんいて言うこともあって全く始末が悪い。
先日、4月に開催される「第14回ぐんま女流書道展」と言う案内が来た。
出品者は、群馬県展(審査)委員の先生方なので大方県展審査員クラス全員が出品していような感じがある。
それで2月の書道芸術院展で準大賞を受賞した先生・・少し珍しい名字の作家を探してみたら見当たらない。
群馬県書道展の名簿を見たらまだ公募段階だった。
群馬県展で委員になるには、特別早くて20年。
相当一所懸命にやっても30年も掛かるというのが相場である。
それでもうすぐ委嘱作家という上位特別賞常連組でもなさそうなので、「ぐんま女流書道展」に出品できるまでにならないのではないかと思ったりもする。
それにしても書道界というのは高学歴の女性が多い。
自分は男で進学校と言われた高校に進学したために大学に進学するのは当たり前だと思っていた。
事実100%進学しているのだが、当時の大学進学率は30%に満たない。
特に女性は20%程度で、短大に人気が出て進学率が50%までになるのは15年~20年後である。
書道界には高学歴でしかも優秀な女性が多いというのは、学校の先生だった人が多いからと言う側面がある。
しかも今なら東大や医学部に進学するレベル、進学校トップクラスの女性が教育学部に進学したという時代背景がある。
しかし実社会とでは例外だという事に気づかないことが多い。
それと高校の有名進学校ごとにまとまっていたりする。
こちらの理由は、実は高校レベルでなく高校の先生の門下生だけで集まったらそこの高校中心になったという違うレベルである。
そんなことを考えていたらところで、50年前の話を思い出してそこに登場する「母」について考えてみた。
どこに行っても「キラキラ」と輝いて、小学校へ入る頃まで子供ながらまともに見られなかったこともあった。
今にして思い返してみれば、息子だから親子という縁もあったが、そうでなく同世代親子度はなく別人として逢ったらどうだったのかと思ったりもする。
そうだとしたら間違いなく接点はないだろうと思う。
ところが、今まで生きてきて母と同じ感覚を幾分持った女性に幾人も合ったことがある。
恋人にも友人にもならなかったが、何となく感じるところがあったのかもしれない。
そのうちで一番近かったのが今の女房殿である。
ただし、感覚は似ているとしても母が「表」とすれば「裏」である。
母のように物怖じせず誰とでも直ぐ友達になり、多趣味で行動的でというわけではない。
どちらかと言えば「引きこもり」で女性の武器も使わない。
そんなことから少々変わった母の半生を書いてみようかと思い込んでいる。
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