萩原朔太郎・旧制前橋中学時代の卒業写真発見
2019年5月9日の地方紙の一面は、「旧・前橋中巣立つ朔太郎」であった。
単純には、旧制前橋中学時代の卒業写真(明治39年1906)に萩原朔太郎(1900年入学)が写っていたというだけ。
それで多少奇異と思ったのは卒業写真とは言え、教員の羽織袴を除いてみんな「学生服」である。
そうというのは、前中・前高同窓会誌、創立140周年記念特別号Iの表紙の明治43年の前中生が全て羽織袴だったことである。
みんな学帽を被って「かなり偉そう」な雰囲気だが、この朔太郎の卒業写真に写っているOBも海軍兵学校の生徒かと思わせる厳しい雰囲気がある。
母校のOBとは言え明治時代の人なので、萩原朔太郎は余り詳しくは知らない。
前橋に移り住んだのは、父親が群馬医専の教官として赴任してということを聞き及んでいる。
記事によると1904年に学業不振で落第しているという。
新聞記事によると卒業写真の持ち主は、朔太郎を評して「あいつは不良だった」とのこと。
実を言えば、前橋高校時代に朔太郎を評して名物国語教師のK先生は余りよいことは言っていなかったように記憶する。
前橋高校時代に言い伝えられていたことは、「落第」しそうになると分校である旧制高崎中学(現・高崎高校)へ転校するという。
それで落第を逃れて旧制高崎中学を卒業していたら、前橋文学館は高崎文学館と名前を変えて存在することになったろう。
しかし、記事を読むと「1902年(3年)に同校の級友らと同人誌を発行」とあって、旧制高崎中学へ行くわけにはゆかなかった事が窺える。
今回前橋高校時代の話に興味を持ったのは、約30年振りに前橋高校のクラスの同窓会をすると言う話になってるからである。
この分では、クラス会の情報収集のために7月の同窓会には何十年振りに行ってみないとならないかもしれない。
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