3月の行事・小学校の卒業式や入学試験1
東京都・首都圏の外出自粛勧告を受けて、「マスクがない」と昨日娘から電話がかかってきた。
そうかと言っても地方でもマスクが店頭から消えて2か月近く経ち、買えるわけではない。
それでもと使わなかった在庫と手持ちの一部を宅配便で送った。
これで何とか1か月くらいは持つだろうが、その後になったらこちらとしては完全に在庫切れになる。
花粉症対策として常時マスクは用意しているとは言え、何か月も使えるほどは持っていない。
それにしても急に新型コロナウィルスの影響が増して、5月まで深刻になりそうである。
そんな中、令和2年3月26日(木)は小学校の終業式だった。
2日前の24日は県下の小学校の卒業式だった。
例年の様に多くの小学生と思える親子連れを見たわけではないとはいえ、卒業式後の風景が新聞に少し出ていた。
それは10年以上前の娘の頃と同じようだが、小生の場合の大昔となると1学年5クラスで約220人もいた頃だったから全く様相が違う。
それでも2年前のベビーブーム世代よりはかなりましとはいえ、大変な時代だった。
小学校は、数年の前に取り壊された校舎が4年生の時に完成した。
しかし、学校には講堂や体育館に相当する施設がなく毎日朝礼では校庭に4年生以上の児童が並んだ。
4年生以上というのは、全校生徒では2,000人近くいたから校庭に並びきれなかったからで、卒業時には1,000人を切った筈で全校生徒が並んだ。
それで卒業式は教室内で椅子に座って、校内放送で校長先生が訓示を述べ校歌メロディも流れたような気がする。
その後は「仰げば尊し」をクラス全員で歌って解散したとおもう。
今のように両親などが来るなどと言うこともなく「あっけない」ものだった。
小生など嫌だった思い出から断ち切れると喜び勇んで校門を出て、家に向かった記憶がある。
ところが後から誰も続いてこない。
それで引き返したら校門のところで別れを惜しんでいる同級生がいて、なぜなのかなと思った。
同じ中学に進学するのならまた中学で会えるし、別の中学に進学する児童は親しくもなかった上に少ないので、その光景の映像だけをとどめた記憶がある。
その頃に桜の花は咲いていたのかといえば全く記憶にない。
前橋では4月の入学式直前でないと通常には満開にはならない。
その満開の想い出は、4月の新学期の始業式で早く帰ったとき、桜の木の下に「針金でできた」ゴム鉄砲の露店があった。
その露店はお昼頃には撤収するのでなぜかと聞いたところ、先生に怒られるので・・・
とのことだった。
幼稚園は今でいう「年長組」の時、「病気」と称して引きこもりで卒業式だけ出席したようなものだったから小学校の記憶は不思議とよく残っている。
しかし、当然ながら楽しい想い出というのは記憶から消えて、心に強く残ったことだけが今でも記憶の引き出しからいつも出てくる。
記憶というものはそう言うものである。
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