春~夏 小説Syuun の不思議な少年時代-その39-8 1967年(昭和42年)
小説Syuun の不思議な少年時代-春~夏その39-8 1967年(昭和42年)
2019年版(前橋高校)学校案内を見ると実態はともかく、高校の授業でいかにもよく教えてくれるような雰囲気を醸し出している。
しかし、今では有名大学に進むには補習塾や現役高校生対象の予備校に、生徒が通うというのが定番だと子供の受験を鑑みて思う。
50年以上前では、大学受験用の勉強は高校では行わないと教師が公言する。
高校は4年間だと思ってくれれば良いと言うのである。
当時の教師は大方戦前の大学を出ているか、戦後直後に卒業している場合がほとんどであった。
昭和42年に東京教育大学を卒業して、最初に前橋高校に赴任した新任数学教師の桜井直紀先生などは例外であった。
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前橋高校1年次、48人×9クラスのうち何組だったかは正確に覚えていない。
古い瓦葺きの2階建木造校舎は8教室で、1クラスだけ中央の本部棟の1階だった。
小生のクラスは体育館に近い1階だったので4組くらいだったかもしれない。
担任は、英語の森永先生。
教室での着席位置は1年から3年まで名簿順で、2年からは目が悪いと言って席を替わってもらっている。
しかし、1年の時はまだ眼鏡をかけていないので名簿順であった。
着席は、
相川-浅見-阿部-荒井-新井-飯島・・・・
横は、岩崎と内山くらいしか覚えていない。
こんな具合でクラス全員の名前を覚えるのに1年位かかるとは言うものの、2年になったらほとんど忘れている。
従って、顔と名前が一致するのは後になれば自分の席のまわりだけという世界になってしまう。
その中で1年間でほとんど会話もしなかった名簿順1番の相川君をよく覚えている。
それは、自己紹介が突拍子もなかったからであった。
その自己紹介は「うちの姉はプレイガールで夜遅くしか帰ってこない・・・・」と言うことから始まる。
それで本人の自己紹介はよく分からなかったし覚えていない。
確かに女装させたら「可愛くなるかもしれない」と思ったことも確かである。
前の席は色白の阿部君、その時の身長は小生と余り変わらず今とは別人である。
後ろの席の新井君は、試験間近でもないのに休み時間に新聞広告の裏を使って必死に数学の勉強をしている。
(他人には不干渉なので、誰も気にしないが・・)
当時の前橋高校の(表面上の)風潮は、「受験勉強などはしない、高校生活は有意義に??」というもの。
それで理由を聞いてみると・・・
「今、窓から飛び出したくて仕方がないので・・・勉強をして気を紛らわせている。」
という。
・・・「ここは1階だろ」というと「それはそうだが・・・」と奇妙な会話に終始する。
南どなりが、夏休み過ぎの作文で現代国語の亀島先生に褒められた名文家の内山君(応援団) 。
そうして、夏休み以降の前高高高定期戦で話題になる人物は3列目以降の後の方の席でほとんど知らなかった。
こんなふうに学校の授業は遅遅として進まなかったものの、試験だけが先行していた。
そうこうしているうちに「文化祭」の話になった。
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