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2023年3月20日 (月)

46-小説Syuunの不思議な少年時代第46回・1967年(昭和42年)

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二本線のある体育着が高高。

46-小説Syuunの不思議な少年時代第46回・1967年(昭和42年)

★前高・高高定期戦2

--深夜放送の幕開け・パックインミュージックの後始末--

慌ただしい昼食の後、午後一番の騎馬戦に備えて準備をし始めた。

体育着に着替えて明るい校庭に出て行く中で「お手洗い」に行くことになった。

不案内な高高校舎で、廊下に出たところ西の方(奥)から級友が来たので「お手洗い」はどこかと聞くと、「廊下の奥に行ったところにあるよ」と言う。


昔の木造校舎の小学校を思わせる板張りの暗い廊下を西に数人で歩いて行くと・・・

たくさんの短冊や大学受験に向けたスローガンが貼ってある部屋があった。

その先から出てくる級友がいて「ここがお手洗い」だという。

高高のお手洗いは「綺麗なのだな」と思い帰り際に廊下の短冊をみた。


どうもそこは職員室の前のようで、よく見ると「○○大学合格 ○○○○(君)」という少ない短冊のほかは、「東北大学合格○○名」、「群馬大学合格○○名」という数枚のものがあった。

当時は「大学」とは国立大学を示し、裏口入学や入試で学費の外に寄付金、学納金、学債購入が必要だった私立大学は大学とはよばれていない。

廊下の窓側には、模擬試験結果と思われる順位、点数、名前が張り出されていた。

B4用紙何枚にも及んで、過半以上の人数のようであった。

「全員ではないのか?・・・そうでもないような」という声が聞こえる中・・・

人数などを正確に見ようと思ったときに邪魔が入った。


こういう職員室前の張り紙は、前橋高校では全く見たことはなかったので実は驚いていたものであった。

前高だったら「○○大学合格 ○○○○(君)」という短冊だったら張り切れないだろうし、まして模擬試験結果など張り出されたことはない。

こういう張り紙などは進学校とはいえ、いわゆる二番手高校以下に見られる傾向で当時ダントツトップの前橋高校では全く見られないものであった。


正確に言うと、前橋高校では教師は大学受験に関して無関心で

「高校は大学受験の予備校ではない」

「大学受験は自分で勉強しろ」

と公言しながら、進路結果は学校や教師の成績という無責任なものだった。


邪魔が入ったのは、前高の先生が来たからで

「ここで何をしている」という。

「お手洗い」に行った帰りですと誰かが言うと・・

「お手洗いなら向こうにある」といって職員室に入っていった。


それでそそくさと待機室(教室)に帰ってきた。

あそこは職員用のトイレ(お手洗い)だったかと思った。

(2年後に高高に来たときは、生徒用のトイレの張り紙があった。)



体育着に着替えて校庭に出て騎馬戦に備えていると実行委員が来て、騎馬戦は1年生のみになり3回戦をするという。

又、各馬には前高・高高の審判がつくと説明した。

騎馬戦に出場する1年生が集まるまだ試合が始まる前に

「小田を探せ」という声が高高から何回も発せられた。

小田君に大丈夫かと聞くと


「隠れているから」といった。


小田君は騎馬戦で馬の左足をすることになっていて、顔が見られないようにして参加した。


****************


★1年騎馬戦1回戦

 


結果はあっという間に負けてしまった。

その理由は、前高が普通の態勢で高高に臨んだのに対して、写真のあるように高高が足を蹴り上げた暴力を振るった。


それで前高が怯(ひる)んだすきに騎馬を足止めし、後方の対峙していない遊撃隊という別の騎馬が後ろから回って帽子を取って回った。

審判がいたはずだが、帽子を取られたかどうかを確認するだけだった。

 

★1年騎馬戦2回戦

2回戦目は対戦する騎馬の数が合わず結構ゴタゴタした。

理由は、前高は高高の態度に嫌気をして2回戦目の騎馬が2騎辞退。

その一方、高高は1回戦を戦った騎馬3騎が居残りして3騎多くなった。

しかも審判の言うことを聞かず居残ったことによる。

それで、妥協策として前高は3騎補充して、高高は2騎崩して数合わせをしたという顛末。


●詳細経緯

前高は終わると一斉に全ての騎馬を崩して2回戦組と交代する。

その中には腹を抱えた友人がいて、「腹を蹴られた」と歪んだ顔をしていた。

こういう中で高高の余りの暴力に嫌気をして前高では2騎が辞退した。


しかし、双方2回戦の組が騎馬を組んだところで、騎馬戦の2回戦はなかなか始まらない。

それは前高と高高で騎馬の数が合わないからである。

現状、前高は2騎棄権、高高は、後方の(遊撃隊の)3騎が騎馬を崩さず居残っている。

それで騎馬の数をあわせるため、審判が前高の棄権した2騎の補充として一回戦組から加えた。

北側の(観戦者)人混みから出てきた生徒が、にやりと笑って「任せろ」と前側に整列した騎馬の後方で2騎が騎乗。

審判は、3騎多い高高の方に「一回戦から居残った騎馬」を崩せと説得して1騎が騎馬を崩した。

高高の後方の一回戦から居残ったのは2騎に減った。

高高の1回戦からの残留騎馬が審判の言うことを聞かずかなり手こずっている。

高高では2回戦めに交代した2回戦組の騎馬が辞退することはなく、当然まだ騎馬が多い。

審判はもう一度数を数えて高高の残った後方2騎を崩すように再び説得していた。

しかし、高高は2騎全てを崩すことを拒否しているようで、1騎を残すことで決着が付いたようだ。

これで高高の一回戦から居残りの騎馬は1騎に減った。

このように高高の1回戦からの残留騎馬が審判の言うことを聞かず、残り1騎に減るのに時間がかかった。

高高の騎馬が1騎増えたので、数あわせで前高は新規に1騎追加することになった。

新規の騎馬1騎は今度は南がわで観戦していた一回戦残留組が、後方外側で騎乗した。

互いに設定より1騎ずつ多くなった前高、高高の騎馬の数が揃(そろ)った。


★試合開始

試合開始とともに対峙していた正面の騎馬がぶつかると前高は高高の足蹴り攻撃を防御。

高高の騎馬と対峙していない遊撃隊2騎が一挙に後方の高高の1回戦から残る騎馬1騎に駆け寄る。

その後から追加された前高3騎目の遊撃隊が高高の騎馬外側からの帽子を3個奪取。

高高の遊撃隊1騎に対して、前高の2騎が襲いかかったので直ぐに帽子を奪取。

その後は混戦となったものの既に過半の帽子を奪取して体勢は前高の勝利。

そのまま前高が勝った。


さて、3回戦と思ったところ3回戦は中止となった。

実施していたら多分乱闘騒ぎになっていたかもしれない。

結果、騎馬戦は引き分けとなった。

以降、騎馬戦は前高-高高定期戦対戦に入れられていない。

結果、前高-高高定期戦騎馬戦の最後となった。


そして、1回戦の騎馬戦に参加していた小田君は、2回戦の準備でゴタゴタしている中どこかに消えていなくなった。

それにしても高高は、小田君の名前のみならず騎馬戦に参加するという情報をどこから入手したのか実に不思議だった。

その後の競技である「綱引き」で高高は妙な動きをして騎馬戦での疑義が深まった。

それは1年生だけが参加するという競技に「上級生が参加していないのか」ということであった。

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騎馬戦2回戦終了直後、前高の騎馬が試合開始の定位置に戻ってゆくとき。

既に帽子を取られても戦っていた高高の騎馬1騎が、この戻ってゆく騎馬1騎に後から襲いかかって帽子を無理矢理むしり取った。

このとき、髪の毛も少し抜けて顰蹙(ひんしゅく)をかったことであった。


阿部先生の情報によると・・・

後年になって、この高高の騎馬で帽子をむしり取った生徒が、「小田の帽子を取った」と言っているようであった。

しかし、小田君は1回戦の騎馬の足で参加して2回戦には参加していないし、帽子を取られた前高の生徒は小田君より背が高く顔も余り似ていない。

何か思い違いをしているのではないだろうか。



 

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