学問・資格

2009年3月 8日 (日)

女性の特質を無視する女性化学者の「男女共同参画」談義

日本化学会「化学と工業」2009年3月号Vol62-3に‥‥
「女性化学研究者・技術者のワークバランス」
「日本化学会男女共同参画推進委員会が目指すもの」

という「委員長の招待席」というコラムがあった。
コラムと言っても、変形A4型冊子の3ページを割くほどの堂々としたものである。
ここで「男女共同参画」と言う言葉が出てくると、又例のあれなのかと言うと正に紛れもない。
なぜなら「なぜ、いま、男女共同参画なのか」という書き出しを見れば、単なる人数合わせの「男女共同参画」だと言うことが良く分かる。
その書き出しはこうである。
「最近、新聞や雑誌で『男女共同参画』という用語をよく目にします。“女性小国”として世界に知られる日本がようやく男女平等社会を目指し始めたのです。‥‥‥」
中略
「日本では、この数値目標が2005(平成17)年の男女共同参画基本法(第2次)の実現目標『2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%にする』として、ようやく日の目を見たのです。いま、“202030”は、男女共同参画のキーワードの一つになっています。」
それで、日本化学会の場合は、全理事27人中1名。
「30%は夢の数値と言えます。」と言うのだが、女性正会員数の割合が8%と言う数字でどう考えても無理な話だ。
続いて、学生会員に占める女性割合は19%でその人達が正会員になって活躍することを期待するという。
期待するのはかってだか、実際その様には行かないと言うのが実態なのではないかと思う。先ず第一に、学生会員の内のほとんどは企業に勤めると学生会員を止めると言うことである。
なぜなら、日本化学会に関する企業ならば会社が加盟しているために個人加入する必要がないことと、日本化学会に関係しないところならば会員でいる必要がないと言うことである。
そして、委員長の世代では工学部に占める女性の割合は、一学年で0~10というのは相場であり偏差値が高い方に行くほど0に近い。
そして、研究者になるのはわずかな例外以外、皆無に近い。
理由は、多くの男性の中で女性1人くらいだと良くもてると言うことだ。
又、噂に聞いたのは、当時の名古屋工大には女子学生がいなかったのだそうな。

理学部化学科、農学部農芸化学科と言っても、学部全体数が少ないだけでなくやはり女子学生が少なかった。
理由は簡単である。
親元を離れて就職しなければならなかった、そして仕事がきついイメージの上に待遇が良くなかったことにつきる。
当時、地方のトップ高校で主席1番でも、地元の教育学部に進学して小中の義務教育の先生になったのである。
そして、教師になれる安定した職場環境があったし、一般公務員に比べ待遇が良かった。
それが、今は地方では教員の職がない状態になって、高校でトップなら医学部へ進学するようになった。
東大だとか有名私大に進学するのは、二番手以下である。
なぜなら、今や東大や京大を出でも「お笑い芸人」や「タレント」になる有様だからだ。
弁護士‥‥と言っても、今は年収200万など当たり前の世界。
医者なら地元に住めて、その上勤務医で最低年収1200万。
場合によっては税抜きでだ。
‥‥と言うわけで、医者の世界に女性進出したお陰で女医が結婚と共に開業して、病院を去るような事になって医師不足に拍車をかけたのかも知れない。

一方、旧国立大学、特に駅弁大学の理・工学部は今や女子学生で一杯だ。‥‥と言っても昔に比べての話。
なぜなら、この手の「駅弁大学の理・工学部」。
その昔、共通一次試験と呼ばれた試験が始まる前の「一期、二期」と呼ばれた頃は偏差値で60~65~67もあったところが軒並み偏差値50。
聞けば、「駅弁大学の理・工学部」に進学すると、馬鹿にされる世の中になったと言うのだ。今や、理系よりも文系の方が、そして旧国立より公立の方が偏差値が高いという全く逆の現象になった。‥‥有名私大と比べてはお話にならないが。

こんな今の風潮から見れば、今後女子の学生会員が大学の研究者として残るというのはごく希だと推察される。
要するに、正会員として残らない。
もし、この委員長の思惑通りにふやしたがったら、化学者の待遇を劇的に改善するしかない。
年収1000万以上の上に、地元勤務。
こんなことは、まあ100%あり得ない。
なぜなら、化学者と言いながら資格を持った専門職でなく、所詮労働者であるからだ。
その資格というのは、単に化学系の大学を出たという程度。
薬学部を出で薬剤師の資格を持っていた方が何倍も有効だ。但し薬学部は6年生になってしまったが。

そして、著者の委員長氏は、化学に留まらず「研究者に占める女性割合の国際比較」で日本は最下位(13%)だと述べている。
表を見てみれば、最上位からラトビア、リトアニア、ブルガリア、ポルトガル、ルーマニア、エストニア、ロシア、スロバキア、クロアチアまでが40%を越えるところ。
見てみれば、旧共産国だったりロシアから独立した小国だったりする。
いっそのこと割合でなく人数で示して欲しいものだという「割合」の魔術というものだ。
しかも、近年この国々からノーベル化学賞などを取った人はいない。
ノーベル賞というのは、ほとんど米国でその中に幾人か混じる程度である。
だから、ここの挙げた「研究者」の多くが学者と言うより「教師」に近いのではないかと思われるものである。
実際の統計というものは良く分からないが、科学、技術の分野では性別よりも「実力」であって、実力がないのに「指導的地位」につこうとすると、‥‥
「早大松本教授のIUPAC副会長辞任と本会の対応について」と日本化学会誌「化学と工業」Vol59.8August2006/の「お知らせ」に掲載されている様なことになる。
(2006年6月28日に日本学術会議を通じて、国際純正・応用化学連合(IUPAC)副会長辞任。女性として初めてのIUPAC会長に就任する予定であったというから結構大事件。
尚、IUPACは、世界66か国が加盟する化学の世界組織であり、この分野では「国連」に相当する。松本教授は研究費流用事件から、論文捏造まで発展していろいろと疑惑がもたれる人物である。)
過去のエントリー
(言語能力と実験研究‥女性科学者の擬問http://pub.ne.jp/Indianinkworld/?entry_id=266592)

本コラムでは、女性がどの時期に子供を産んで子育てをしてというシミュレーションをしているが、かなり無意味に近い。
なぜなら、著者の様に優秀な研究者がいたとしてという前提の元、多くのハードルがあるからである。
そして、米国の女性研究者にも触れているが、女性の体力の差というものは、欧米人とは大きい。
又且つ、研究者というのは所詮体力勝負だと言うことにつきる部分には不思議と言及していない。
まあ、言及すれば「男女共同参画」という趣旨に沿わないという訳なのだろうか。

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2009年2月 4日 (水)

子供の進学と昔の勉強法との違いに戸惑う スパムコメント削除

子供の進学と昔の勉強法との違いに戸惑う

2月になって動き出した事の一つに子供の進学がある。
中学生となるとすると、もう学校訪問という案内が出回って、授業から部活までを見て中学校生活の予定を立てる。
こんなことは、自分の頃などにはなかった。
何故なら中学校へ行けば「進学、受験」ということばかりだったからだ。
戦後のベビーブーマー直下の世代としては、部活などやっていると「進学出来ないぞ」と脅されたものだった。
実際は、バレーボールの選手をやっていて学年(約540人中)で時として、成績一桁の人物(その後、工学博士)もいたから実際はどうなのか分からない。
今は、「部活」は必修での様で、それも目立った成績を残せないと良い内申書にならない‥‥高校に受からないと言うのだから困ったものだ。
しかし、それで矛盾するのは、そんな程度の部活では大学へ行くのには全く関係ないという事だ。
小生の兄の時代では、時代をもっと遡るからTV以前、ラジオの時代だ。
それで当時「電気部」というクラブがあって、十数人の弱小クラブは、兄(部長)が受験で退部する頃には50人超の大組織(最終的には掌握不可)になったという。
こんなものは、受験には関係無い時代だった。
昔を見れば、高校受験は内申書などあって無きがごとしの試験一本勝負だった。
それで、大方の受験合格範囲というものを決められて、最終的には滑り止めを受験合格して上で、本人の希望でトップ校を受けた生徒がいた。
だから純粋にトップ校不合格というのは、極めてまれだった。
それで、当時の我がクラスでは前高には5人受験で全員合格。前女は6人受けて4人合格。絶対受かると思われた1人が落ちて、落ちると思われた1人が合格。
その後は、トップの女子学生2人は医者と教師になったし、落ちて滑り止めで止まった1人は、当時の前女でも学年50番以内でないと入れないと言われた大学に入り今は教師をしている。要するに中学時代の成績そのままになった。
今ならはあり得ないだろう。
そんな部活の苦労をしなくても良いと言うのなら、中高一貫の公立校がある。
いわゆる実験校という部類で、来期で創立6年目‥要するに試験で受かった全生徒が揃う。
元になった高校というのは、今は廃校の憂き目だが理系進学が叫ばれていた頃に全国に理数科という特別進学クラス(昭和43年群馬県で初めての理数科を設置)が作られた県立高校(平成21年3月閉校)だった。
その第一期生は、前高、高高よりも偏差値(当時はなし)が高かったが、前橋から進学した話は聞かなかった。それが、石油ショックと共に理数系ブームが去ると閑古鳥が鳴き始め、普通科と変わらなくなって、実は前高、高高よりも完全にランク落ちの高校であるが故に事実上消滅した。
HPを見たら、18年度まで生徒を募集して、21年3月に卒業して廃校だった。
何やら英語教育を重視していた高校のようだが、歴史が浅くて(昭和38年創立)知名度が無い高校というのはあまり行きたくないものだ。
今年の四月から中央中等教育学校という実験校へ完全に生まれ変わるが、何やら難しい問題もあるのかなと思うものだ。
それは私立の中高一貫校とは全く違う成り立ちと組織構成というもの。
私立中高一貫校は、中学1年から高校の授業のようなカリキュラムを組んで、高校1年か2年で全授業終わらせるのがお決まりになっている。
ラサールみたいに成績順に席が決まるというえげつないところもあるからかなり厳しい。ところが、公立校はそうはいかない。
但し、受験がない分妙な勉強に強いられないが、結局予備校に通ってダブルスクールを強いられることになる。それでも普通の公立中学よりまだマシというものかも知れない。
一番の問題というのは、進学率というもの。
ここ3年の大学進学率の推移で、希望者が激減する可能性がある。
初期の適正試験は、小論文重視であったために、数学が特に弱いという噂がある。
そんな試験が3年続き、近年は突如一般の中高一貫校並程度の試験になった。
そして、小論文は今やオマケの順番づけというものだ。
多分採点は、適正試験I全問正解+αを予備合格ラインとして、それ以下は適正試験IIを採点しない可能性がある。要するに、適正試験I重視。
書道の審査でも、国家試験の審査でも数値という客観的なものが出ないものは、早めに合格と不合格を選別するというのは常識だ。
入試試験だから最終的には全部採点するとしても、適正試験I重視なら適正試験IIを採点してそちらが満点でも関係ないと言うものだろう。
それが試験の現実というものだ。

さて、その昔小生の頃は、群馬大学の附属中学が中学校から50人程度募集していたから、ここが「お受験」だった。
実際、東大合格者、有名大学医学部進学者の何人かは間違いなく附属中学出身者だった
しかし、ベビーブーマー世代が卒業していった後、優秀な子供ばかり集まり教育実習校として相応しくないという理由だか、小学校からのみの募集になった。
それで、現在前橋、高崎からの「お受験」は群馬県立中央中等教育学校と言う事になる。
今のところ、前橋、高崎の小学校から1人程度しか受からない高難度の学校(受験倍率約5倍‥開校時約10倍)なのだが、小学校の成績優秀者が全て受験しないところがミソ。

要するに、卒業すれば新設校であるし、母体となった群馬県立中央高校も2番手の高校であるからだ。
廃校‥‥又は発展的廃校もあり得るし、群馬県立中央中等教育学校のステータスは「元の中央高校ね」と言うものだからだ。
それで、高校は伝統高へと言う話しも聞く。

それにしても、「東大合格生のノートはかならず美しい」という本の話を聞いて、「なぜ」と思ったのは、大分古い人間だと言う事を思い知らされるものだった。
何故なら、昔は再び開いてみるノートなどあまりなかった。
高校時代、英語で100点しか取らなかった秀才のノートには落書きしか書いて無かったし(全て頭の中)、第一サブノートなど作っている暇がなかった。
それが、今の学生はノートを作る。
要するに予備校や塾で教えられた受験テクニックのノートというものだろう。
昔、前高ではまともに教える教師はいなくて、雑談で授業は終わり試験範囲は、開いてもいない教科書のページを言うだけ。
教えていないところは(全て教えていないが)、自分で勉強してくださいだ。
昔、今のような塾があったなら、楽だった。
その教師がその後高校の校長になった。
その下で、数学教師をしていたのが当時の同級生というのは皮肉なものだ。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
中央中等教育学校の関係者と思われる 人から コメントをいただいたので紹介する。
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
(一部修正してあります。)


公立中高一貫校も、バリバリ先取り学習(高3までの内容を高2までに終わらす)をします。
「中央中等」もそうですよ。
ちなみに、中央中等の一期生の模試の平均偏差値で、高高(高崎高校)をわずかながら上回り、前高(前橋高校)に次ぐ2位になっているようです。
進学実績も期待できそうです。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

この書き込みは、あるところからの調査の結果「香蘭女学校(東京都品川区・中高一貫校)」生徒と見られる「スパム書き込み」でした。
但し、香蘭女学校の生徒らしいと言う事にしておきます。
改めて、お詫びします。

結果は、来年分かると思いますけどね。

しかし、中央中等は今高二までで、今の高三は中央高校の生徒。
高二で大学の模試などやるのかなと思ったりもする。
そして、前高、高高も一学年は、320人程度で、昔から下位三分の一は「三流校並」と言われているところ。
それから見ると、中央中等は低すぎやしないか。
少なくとも、前高、高高よりもダントツに高くないと釣り合わない筈なのだが。
こんな疑問がある。
そして、中高一貫の私立高校並みの授業と言うが、私立校は「公然の秘密」としてやっているので、高校の授業を中学でしてはならないのが決まり。
別の言い方をすれば、中学でやる授業を終えて高校の授業を補講でする分には関係ないというもの。
公立校がどこまでやれるのかと言うものがあると同時に、受験校として「制度設計」されていないという部分があることは、群大の附属中学と同じ矛盾がある。

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2008年9月19日 (金)

無能な教育者の常套句「知徳体、総合力の育成」

無能な教育者の常套句「知徳体、総合力の育成」

公教育に関して、いつも問題になるのは結果を大切にするのか、又は過程を大切にするのかと言う事である。
わかりやすく、理系大学の卒業論文で例を引いてみる。
‥‥‥と、学部卒の卒業論文はその研究が成功しなくても卒業研究で失敗と書き、卒業研究発表会でその経緯を説明すれば卒業は出来る。
これは、研究をしたという実績を重視するもので、これが教育の「過程」である。
一方、大学院の修士、博士となると「修士論文」、「博士論文」は全てサクセスストリーになる。要するに「結果」重視。
より分かり難くなったかもしれないので、高校レベルまで下げると、上手い授業をする教師と授業中いっぺんでも教科書を開かず雑談ばかりしている教師との違いに見られる。
そして、不思議なことに「有能な教師」は無能な教師によって常に非難されていたりする。
なぜなら、同じ試験をやって平均点が10点以上違うからだ。
その上不思議なことに、そう言う「無能な教師」ほど発言力が強く、かつ出世をするという事がある。
挙げ句の果てに、「有能な教師」にまともな授業をさせない事にもなる。
それでは困るというので、その「無能な教師」に「良い授業」をやれと意見すれば、「学校は大学受験」の為ではない、学校ではクラブ活動などで情操教育をするものだ、とのたまう。
それでいて、大学進学率には興味津々だから不思議なものだ。

この様に見てくると、当たり前だが、教師として無能な人物ほど教育した結果を公表されることを拒む。それは、ろくな授業をやっていない現れなのだが、彼らは教育は学力ではない「結果ではない」という。
それでその教育によって‥‥というか情操教育なり、体育なりによって生徒、児童が成長したかと言うことに関しては調べようがない。

9月18日、大阪府教育委員の井村雅代氏(北京五輪シンクロ中国代表ヘッドコーチ)と、木戸湊(あつむ)氏(元毎日新聞大阪本社代表)が、今月末の任期満了を前に退任会見を開いた記事を読むと色々と面白い。
基本的には、両人は経歴からいわゆる「左派人士」に分類されると思うが、井村雅代氏は元中学教師を経験後、コーチの他教育委員を12年もやってきたと言うから考えさせられるところがある。
そして、橋下知事への反論として‥‥

「教育委員がお飾りだったら、暇でないのでやめている。実態を知らずに言っている。」「(知事と)話し合う場がないのに、簡単に『ビジョンを言え』『ハイ』とはならない」
としている。(共同)
又、井村委員は「学力テストの結果を公表すれば悪い波紋も出てくる。何でも公表すれば平等という考えは間違い」と主張し、「公表を求めるだけでなく、市町村教委をサポートする策を考えてほしい」と要望した。(産経)

このことからも見ているように、井村雅代などは教育としての「結果」を出すというのではなく、「教育をした」という経過を見ていると言う事である。

不思議なことに、シンクロコーチとして結果重視してきたはずなのに、一転「教育」と言うことになると思考停止するようだ。
いっぺんでも教師をするとそう言う思想が染みつくのかもしれないが、昭和25年生まれという学生運動世代の人の思考は知るよしもないと言うところだ。

この「学力」より「知育」と言いながら「自由放任主義」として何もしないのは、例の「ゆとり教育」に通じる。

吹田市の阪口市長は「吹田市の阪口善雄市長が19日、田口省一教育長に、非公表を支持する考えを伝えた。阪口市長は『限られた教科の点数だけでは公教育の成果は計れない。(点数公表をめぐる)ばかげた議論には付き合えない』と橋下知事の姿勢を痛烈に批判した。」
「点数至上主義よりも知徳体、総合力の育成に力を入れていきたい」と強調。(産経)

‥‥とあるように、この学力より「知徳体、総合力の育成」というのは、以前からの学力不振に時に使われる、逃げ道の常套句だというのが図らずも証明された感がある。

昔から言われているのは、日教組の勢力が強いところは教育レベルが下がると言うこと。以前、文部科学省と日教組は「手打ち」したことが報じられていた。
文部科学省と日教組は「手打ち」は、お互いの共通する思想が似通ってきたと言うことであり、又事なかれ主義というものだ。
そう言えば、それは例の「ゆとり教育」頃だったかもしれない。

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