日記・コラム・つぶやき

2014年1月 1日 (水)

2014年の年頭に思うこと・元旦にOLYMPUS・STYLUS XZ-2 を買う

Book2 2013年は、2月の節分とともに今までの「匿名ブログ」から「実名ブログ」へと変更した。
この変更というのは、ある意味世の中の流れを感じたからであった。
そして、不思議なことに多くの効用ももたらしたような気がする。この匿名ブログからの変更というのはひとえに「著作権」という問題につきる。
端的には、「著作権」を明確にすると言うことである。

例えばYouTubeの動画を公開した場合、小生の書作品が動画の中に登場した場合でも著作権を持っているのかと言うことを問われることが多い。
この点、名前を公表するとか自身の作品であると著作権を入れ込むことによって、こういう妙な勘ぐりは避けられることも多い。
その他当然として、書作自体を公開しておくと言うこともある。

カメラメーカー: SONY
カメラモデル: ILCE-7
レンズ: FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS
撮影日時: 2014-01-01
焦点距離: 70mm (35mm 換算焦点距離: 70mm)
絞り値: f/7.1
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 100
露出補正値: +0.30 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.3 (Windows)


かっては匿名ブログゆえに、著作権侵害に対して対策がとれなかった。それで実害がなかったのであれば問題ないのだが、今でも実害が続いているというのは困りものである。

いずれにせよ「実名ブログ」になったお陰で種々のオファーがあったりもした。
その一方で、昨年のゴールデンウィークから足が痛くて歩けなくなってしまった。これは歩きすぎるとその内に疲れて「内股」になると言うのが原因と分かった。しかし、完治するまで4~5か月掛かった。
昨年は、毎日書道展(東京展・国立新美術館)の陳列委員に選ばれなかったのが幸いした。
いずれにせよ慌ただしく過ぎた1年であり、この年になって毎日宿題を出されている心境になったものであった。

書道芸術院秋季展もかっては、秋季展委員を毎年のように委嘱されて10月の冒頭は銀座に毎日のように通うこともあった。
しかし、こんなことも数年前からなくなったし、当然出品依頼と言うこともないから他の用事に没頭できたのは有り難かった。

ここのところの10年と言わず5年くらいの間でも、意図しない軌道修正を迫られることがあった。それで軌道修正して始めたことが不思議と「当たって」一歩後退二歩前進ではなく三歩も四歩も前進したような気がする。

ある目標に向かって走り出し、まわりを見回せば一緒に走っている人ばかり。みんな「凄そうなスタイル」をしているなと思うも、脇目を振らず走り続けて振り向いたら周りに誰もいなかった。(皆と違う方向へ進んだ可能性もあり!!!!!!)
こんな経験は、軌道修正したときに必ず経験することである。

そんな感じで昨年は脇目も振らずに走り続けてきた。
今年は、思ったこともできなかった反省から、4月の消費税増税もあって少し疲れたかなという予想である。

*******************
昨年の10月の日展第5科(書道部門・篆刻)の「審査を巡る不正」の内部告発から始まった日展問題。
この件に関しては「第三者委員会」(公益社団法人日展第三者委員会)報告が平成25年12月5日付けで発表され、12日付けで日展のWebサイトに掲載されている。
このWeb上の第三者委員会報告は、既に報道されて判明している書道関係者の実名を黒塗りしてある不完全なものである。
しかし、その他の詳しい日展5科の実態が手に取るように分かる。これはやはり日展に渦巻く内部の批判というものがかなり大きいものであることが想像される。

日展騒動では、入選者が予(あらかじ)め決まっているではないかと「出品料」を返せということが数多くあったということも報道されている。
この「入選者が予め決まっている」と言うようなことを小生が「寝言」でも言うと、「それ!!!!御注進」と滅私奉公の腰巾着がいて、違法行為でも何でも犯す世界でもある。(日展とは関わっていないのでたとえ話)
日展騒動は、内部告発によって始まったが、実はこの第三者委員会報告にはその告発者の名前までしっかりと載っている。

その一方で1科~5科までの実態はほとんど分からない。
美術部門では、作品の写真が送られてきても受け取らないとか、金品も受け取らないとかということが書いてあったように思われる。
しかし、「日展、審査員が事前指導 洋画・工芸、自会派の多数入選 正副理事長会派も」(朝日新聞Web版2013年11月20日05時00分)
で報道されているとおり、「公募展の日展2科・洋画の分野で、審査員長の寺坂理事長を含む数人が所属会派の約30人に対して、作品を事前指導をしていた」。
「このうちの20人が入選、1人が特選だった」という。
しかも、この事前指導には謝礼を払うのだそうで、一説には10万円とのことだそうだ。
(報道で知る限り)

日展の5科の長老支配は言語道断であると思われるし、会員になるシステムも非常に不透明である。
しかもすべてに金銭が絡むとなると公益法人ではなく、完全な「日展ビジネス」ではないかと思わざる終えない。(報告でも指摘がある。)
今から30年前に師承の横堀艸風先生から聞いたところによれば(横堀先生が日展会員から聞いた実話を話した。)、日展で特選を取るのに一財産、審査員になるのに一財産と言われていた。
その一財産とは何かと詳しく聞いたら、「家の一軒分」だと聞いて驚いたものであった。それなら日展で会員になるには、特選2回、審査員1回で「3財産」。
この点は「第三者委員会報告」の「日展における書の問題」で取り上げている。

この報告では、「入選後・特選選定後の審査員への謝礼の禁止」。
その他「審査員資格」についてこんなことが書かれている。
「審査員資格について、書道会等芸術家団体の代表の地位を兼有している者が審査員を務めることは、社会通念に照らし審査の公正な実施を妨げる事情になると考える。
特に書において顕著なように、入選や特選の受賞が会派の価値を高め会派の入会者を増やしていくような経営(ビジネス)に直結する構造になっている場合には、およそ、審査員が芸術家団体の代表を兼していることは社会常識から判断して理解しうるものではない。
会派の代表を審査員に選ぶことをやめるべきである。」

日展は第三者委員会で提言されたから改正するとしても、日展は出直し的な大改革が必要であろう。


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2011年6月20日 (月)

さっぱり何を言っているのか分からない加藤陽子東京大教授の言論

さっぱり何を言っているのか分からない加藤陽子東京大教授の言論

多少古い話になるのだが、「毎日新聞 2011年6月12日 東京朝刊」に
「時代の風:原発事故、失敗生かすには=東京大教授・加藤陽子」というコラムがある。
この記事・コラムは、原発事故「検証委員会」の件についてであって、冒頭「委員長が畑村洋太郎氏だと聞いて、少しだけ明るい気分になった。」とある。
我々庶民から見れば、またも東大名誉教授という言わば政治とは関係ない学究の人たちばかり菅総理は選ぶのだなと思う。
ついでに言えば、またしても70歳の老人だ。
加藤教授から見れば、自分たちの「お仲間」が委員長だからある意味「ほっとする」というのは言われなくとも分かるものである。
そこで「お仲間」と言ってしまえばそこで終わりだから、「畑村氏は知る人ぞ知る『失敗学』の創始者」でと擁護する。
その擁護する前段で「(畑村洋太郎)氏が『原因究明を優先するため責任追及はしない』と語ったことで、早くも不安を抱いた方もいるかもしれない。」との話からである。

まあその「失敗学」を否定するものではないが、実際の話は失敗学とは全く関係ないところにあるのではないかと言うことである。
実は、この原発事故に関してはナポレオン三世の普仏戦争におけるナポレオン三世と、ナポレオン三世が捕虜になったあと、その皇后であるウジェニー皇后の戦争指導によく似ているのである。
要するに、原発事故の検討委員会というのは本来政治検証であると言うことなのである。
政治とその政策であるから失敗と共に責任という物がついて回る。
しかし、その責任追及というのは戦前のノモンハン事件以降、まともにやられてないというのは動かさざる事実である。

何度も書くように、あのバブル潰しによる経済衰退の検討だけでなく責任追及も当然されていない。分かりやすく言えば「みんなほおかむりして」しらばっくれてしまったのである。
なぜしらを切ったのかと言えば、NHKから経済評論家、経済紙、経済学者、日刊紙、官僚、政治家まで全て、バブル潰しを良しとした言論を流布したからである。
分かりやすく言えば、政治、経済の中枢がバブル潰しが日本にとって正しい選択である判断したからである。
我々から見ればそれこそ責任者出でこいなのだが、時の橋本蔵相は責任追及さえされずに総理になり、第2の消費税増税という失敗を繰り返す。
正に、昭和の陸海軍の生き残った将軍そのままの構造というのは、変わっていない。

丁度、今消費税増税とか復興増税とか散々推奨する日刊紙や政府の委員会など。
かれらはその通りに実行して、日本がそれこそ経済的廃墟になったとしても全く知らぬ存ぜぬで責任すら取らないと言うのは知れたことである。

こんな風に書いてくると、加藤教授が延々と畑村洋太郎東大名誉教授の「失敗学」を説明しても無意味であると言う事がよく分かる。
そういう観点から言うと、
そこには人間の関与と、入力と出力をつなぐ仕組みやカラクリがあったはずなのだ。要因と結果をつなぐカラクリ。それを浮かび上がらせる失敗学は、タフで優れた手法だといえるだろう。」というのは、今追及されている原発事故とは直接関係ないことが分かる。

なぜなら、一番の問題点として原発事故に関して政治が絡み、そしてそもそもその原因が「核アレルギー」から来た安全神話を崩さないための不用心にあることである。
そして安全に原発を運用しようとしたら、より安全を強固にしなければならない。しかし、安全を強固にする工事をすれば「安全神話」が崩れるというジレンマが生じるというものである。
少なくともあの福井県知事の原発再開を認めないと言う態度を見ても「核アレルギー」が如何に強いのか明白である。
そして「原発事故は起こらない」ということを主張すれば起こらないと思い込む一種の狂信的考え方と言うものにも警告をしなければならないはずだ。

ところがこの加藤教授は「原因究明の前には責任追及も後回しにされるゆえんを説明してきた。それは、最も有効に知識化しうるよう情報を取り出すためだった。」と書くのだが、どうも視点がずれている。
それは、原発事故に対する純粋な作業にのみ係わる事ならばその通りだろうが、実際そんなことは追及されていない。
現場は、出てきた状況に対するモグラ叩き、トライアンドエラー(試行錯誤)で延々と作業をしているだけである。
そして最後に「主観的な情報こそが、実のところ将来起こりうる事故や失敗を未然に防ぐワクチンとなりうる。失敗学の勘所は、実のところ歴史学のめざすところと同じだ。」と言い放つのだが「嘘つくな」である。
なぜなら、加藤先生が延々と実際の現場とは関係のない失敗学を述べているのは単に菅総理の擁護論でしかない。
そして、「歴史学」の失敗は政治による失敗で有り、責任追及をされない限りその失敗というのは明らかにされないというのは文字通り歴史が証明している。

前出のナポレオン3世とウジェニー皇后はイギリスに亡命し、3世は二年後に死去。
英国の士官学校にいたその息子ナポレオン・ウジェーヌ・ルイ・ボナパルト(ナポレオン4世)は、ウジェニー皇后の反対を押し切ってアフリカの植民地に渡り、簡単なパトロールで現地人に殺された。
要するに、ナポレオン3世一族は歴史によって、十分責任をとらされた。

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2011年3月14日 (月)

罹災しない地方も大パニックの月曜日と菅政権の忠犬ハチ公

罹災しない地方も大パニックの月曜日と菅政権の忠犬ハチ公

2011/03/14の朝は「停電第一グループ」というTV報道で、朝から電気が来ないのかというところだったが、中止になった。(実は第5グループと後に判明)
他方、子どもの給食は1週間お休みという一斉メールが来て、弁当には飲み物必須となる。
500mlペットポトルを買ってこいという「命令」で‥‥‥。
どうせ今日は、仕事にもならないのでスーパーに1週間分のペットボトル500mlを買いに出た。今日も道が込んでいるなと思いきや、1キロ前から大渋滞。
それで、またもや脇道にそれてスーパーセンターにたどり着くと10時を少し廻っただけなのに、その駐車場はおろか従業員が使っていると思われる未舗装の駐車場まで満車。
中に入ってみて、既に大渋滞を起こしてるレジを後ろに見て目当てのものはあるかと心配になる。
こういうペットのお茶とか、生鮮食料品というのは余り減っていなかったが、停電を受けてのガスコンロボンベなどは売り切れの表示。
全く無くなっているのは、インスタントラーメンとお米など。
売り切れ続出という食パン、パン類は山と積まれたカートが来て大補充。
考えてみれば11日の午前中に大潟村に産直のお米注文して、当日発送のメールをもらったがまだ届いていない。
昨日のヤマト運輸Webで調べて見ると送り状番号は未登録のままで不明。
米がない‥‥‥というのは実に困ったことなのである。
それで街の中の米屋に寄ったら何もなし。
店主の言い分は「こんな時ですから」であった。
ところがその時、偶然携帯電話を見ると産直の発送元からメールが届いていた。
ヤマト運輸で近々発送するとか。ヤマト運輸のWebでは、送り状番号が登録されて「調査中」になっていたから、明日くらいには発送になるのか?
兎に角、11日を境にして被災地より遠くのこの地まで、ひたひたとパニックは迫ってきた。通販は人件費の安い東北地方にコールセンターや倉庫があったりして、ほとんど停止状態になっている。
そんな感じで今や通販どころか種々の店の商品さえ無くなってきている。
うちでは、11日に発送されたPCのOSも現在行方不明と言うより発送登録さえされていない。果たして何時届くのか分からない状態になっているのだが、届かなかったらどうするのかと考えることしきりである。
そんなこんなで生活に追われ、被災ニュースばかりで政治欄をみている暇など無いのだか、いろいろと妙なことが浮き彫りになっている。
それはどんなところかというと、各国の救援隊の到着の様子である。
たとえば朝日新聞Webで「台湾の救援隊、2日待たされ到着 日本、中国側に配慮か」という記事がある。それは、各国の救援隊が到着する中で、韓国(12日)、中国の救援隊(13日)が到着するのを待たせてから受け入れた(14日)という話し。
しかもなぜか他の救援隊は放映されないのに、TVでは放映された。
ところが、それだけではなくて「国賓待遇の救助隊って…中韓をなぜ特別扱いするのかっ!」という記事があって、韓国、中国の救援隊のみ「それぞれ、高橋千秋副大臣と伴野豊副大臣が出迎えたという。」
しかももこの中国の救援隊は、14日には現地には向かっていないという話しもある。
実際のところは、空母ロナルド・レーガンの乗務員が被爆していると言うから、外国の救援隊は実際どこまでやるのかというと疑問になりつつある。
それにして、菅政権は「ここまでやるか」という忠犬ハチ公ぶりを韓国、中国に見せるというのはやはり異常な政権というものだろう。

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2010年12月25日 (土)

年末年始に掛けての展覧会に思うことと、USB3.0でのマッハUSB

年末年始に掛けての展覧会に思うことと、USB3.0でのマッハUSB

この12月は何やら大忙しだった。
まだ2010年は終わっていないものの、どういうワケか25日が大晦日みたいな様相を呈している。事実、年末までにしなくてはならないことの大部分が片付いてきた。逆にいつもは終わっている年賀状が片付かないという妙な事になった。
そんな年賀状を書く暇がないというのは、このクソ忙しいときに関係する展覧会などがあるということだろう。
常識として、書道なら絶対に年末になど展覧会はしないものなのである。
なぜなら、書道というのは「道」と付くから何となく「行儀見習い」風のところがあって、他人の迷惑にならないというような雰囲気がある。
だから、年が改まった年始早々に書道の展覧会があるというのは、そう言う何か伝統に対する思いやりのような気分である。
‥‥と言うことは、年末ぎりぎりまで展覧会をやるなどと言うのは暇人のやることであり、お行儀に反すると言うことだろう。
そういう革(あらた)まった表彰式、授賞式という出来事というのは、普通は節分が終わってから早々にあることが多い。
やはり昔の太陰暦に関係するのか、1月の展覧会の表彰式というのは似つかわしくない。
だからこの展覧会での表彰式は書展では、なるべく華やかに正装をしてくると言うのか常識となっている。
元々男は華やかではないが‥‥毎日展の会員賞だと男でも会員賞の印の生花を胸に挿すから、それなりになってはいる時もある。
ここで、書だけでなく絵画や写真などの複合展覧会・市民展になると一転して目を剥くことなどが何回もあった。
近年この授賞式はホテルの大広間で行われるからさほど目立たなくなったし、そもそも審査員の側なので受賞者に名前を連ねる事も無くなった。
それだけでなく、壇上というものがないから目立たなくなったようで目にすることはない。
その昔、書の関係で賞を貰う人は、女性では着物が多かったし少なくとも正装の感じがあった。それが、絵画では着物は皆無で、精々余所行(よそゆ)き止まり。
男性では、見苦しくない普段着程度。
そして写真になると、「普段着」すぎて照明係のスタッフかと思われる格好であった。
それも名前を呼ばれて壇上に駆け上がったりと言う始末。
ここまで来ると、表彰式というのも台無しで実に後味か悪いものだった。

いずれにせよ、近年、こういう「表彰式、授賞式」には何回も出席する機会があったものの、自身が何かしかの賞を貰うという段階はすぎてしまった。
かといって、「ご苦労様でしたで賞」という「○○功労賞」というものを貰うには年が若すぎるし、大した功労もないので貰うと言うこともない。
もし万が一手違いで間違って貰えば、種々面倒に巻き込まれたり、後ろ指を指されたりするからこの世界というのは中々難しいのである。
自分の父親は、大正生まれだったから何か叙勲というもの欲しがっていた。
しかし、元々戦前は三井系の軍事産業の幹部社員であったし、戦争から帰ってきた戦後は国家公務員として勤続25年しかなく生前叙勲などはあり得なかった。
亡くなって国から貰ったものは「正7位」というお笑いぐさの受位だった。
これは最下級の方の受位だったから、戦後高等文官試験が無くなった直後の「大臣名の二級官試験合格者」としては甚だご愁傷様なのである。
そう言えば師匠の横堀艸風というのは、元々裁判所の書記官だった。
その上甲種合格だったから戦前の軍人生活が長く金鵄勲章を二つ(功四級・功五級)も持っていた。
そのために戦後になって、(MacArthurの)パージにあったかどうかは聞いていないとはいうものの、書道関係においては大澤雅休の高弟であったのに、後輩弟子の後塵を拝した事は間違いない。
それでも最晩年に群馬書道協会の会長になったし、生前叙勲で勲五等瑞宝章をもらっている。
話は、がらりと変わるというより関係ないことで、USB3.0でHDDのベンチを「マッハUSB」を導入してみて再度計測した。
「マッハUSB」や「ターボUSB」というのは、多少早くなる気分というものだがデーターを取ると面白い感じになる。


左がマッハUSB適応のもの。
USB3.0
実際、HDDのベンチより早いからどんなものなのか良く分からない。
近年のマザーボードを見たら既にUSB3.0が標準装備されていた。
ツクモのUSB3.0の欄を見たら、既にカードリーダーにも対応品が出でいるから今後検討課題でもある。

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2010年8月13日 (金)

イトーヨーカドー前橋店 お盆閉店にして思う

イトーヨーカドー前橋店 お盆閉店にして思う

イトーヨーカドー前橋店は、このお盆16日で閉店する。
阪神大震災の後だったか前橋からはダイエーが撤退、そして同じ系列のハーフアンドトップが撤退。その後西友が鞍替えした西武デパートが撤退し、今度はイトーヨーカドー前橋店。10月には前橋サティが撤退する。
前橋には、都市型スーパーはなくなり、都市型のデパートと言われるのはスズランだけになった。Dsc00269
前橋から撤退するスーパー企業は、いずれ衰退するというのは妙なジンクスで、逆に前橋より広域で言うと北関東から出た企業は発展する。
考えてみれば、ヤマダ電機は前橋、ビックカメラは高崎、ベイシア・グループは伊勢崎と安売で全国展開した企業が多い。
東京、千葉などの首都圏で有名な「マツキヨ」とか「ドンキホーテ」など、北関東へ来たら値段の高い部類の店になるという具合。だから企業としては厳しいが、そこで鍛えられればどこへ行ってもそれほど困難でもないと言うところだろう。
ダイエーの撤退は、元々の本体のビジネスモデルが崩れた理由だが、西友の撤退は市場を甘く見た結果だった。
元々前橋に進出したのは西友だった。その(前橋)西友だったころは、かなり調子が良くて繁盛した。それで気をよくして西武に衣替えして値段を上げた途端、閑古鳥と言うのが西武だった。
前橋サティは、やはり元々のニチイが潰れたのが大きくそれから商品が減り、商品の回転が悪くなり、イオンに比べて値段が高くなって自滅?
イトーヨーカドー前橋店はどうだったのだろうか。
イトーヨーカドー前橋店が出来たときと言うより、出来る前には色々妙なことがあった。
それは、前橋の中心商店街の店主が異常なほど大反対したことである。
反対であると前橋商工会議所の玄関にピケを張った。分かりやすく言うと、立て看板を立て簡易テントを立てて立て籠もり反対したのである。
それで、イトーヨーカドー前橋店の出店は数年遅れたし、店舗面積も減らされて3階くらいまでしかなかった。それが4階まで増やされ5階に飲食店やカルチャーセンターに移ったのは中央商店街にあった前三百貨店が閉店した後だった気がする。
中央商店街がイトーヨーカドー前橋店の駅前進出に反対した理由というのが、駅から離れたところにある中央商店街のお客を駅前に取られると言うことだった。
今なら、そんな世迷い言など夢のような話だが、当時の中央商店街が繁栄していたかと言えば怪しいものだった。
しかし、あまりに強烈な反対はその後の企業の進出を鈍化させた弊害が大きかった。
そして、イトーヨーカドー前橋店の出店と共に商工会議所のピケを張った商店は一目散に店を売って逃げ去ったらしい。
中央商店街の地盤沈下は急速に進むが、その理由というのが商店主が郊外に自宅を造り、又は問屋になって問屋街に移ってたしまったことである。
後継者は店を継がず、貸店舗になった。いわゆるシャッター通りの始まりである。
その中央商店街のシャッター通り化が始まると共に、販売戦略に失敗した西友が撤退。
イトーヨーカドー前橋店は影響を受けなかったものの、食料品は元々割り高だか、あるとき衣料品を中心にして品物のランクを上げた。
それは、品物は多少良いが値段は2倍。丁度ユニクロの逆を行く手法であるこれで売れるはずがない。
決定的だったのは、ケヤキウォークが歩いて5分のところに出来た事だった。
このユニー系のアピタを中心にして出来たケヤキウォーク。
元々がアピタだから、全てイトーヨーカドー前橋店の一ランク下。
ベイシアに比べ相当食料品も高い。これでどうかと思ったら、2年も経つうちに食料品でイトーヨーカドーはケヤキウォークに負けた。これは売り場スペースの問題とは思うものの、あっと言う間に勝負か突いた。
イトーヨーカドー前橋店からは、パン屋、本屋、旅行代理店、テナントの撤退が続き今日を迎えることになる。Dsc00278
ダイエーの撤退直前には、食料品の賞味期限切れでもそのまま売っていたようなことがあったが、イトーヨーカドー前橋店はそんなことは無い。
しかし、商品がなくなるとお客が来なくなるという逆回転は止まりようがない。
そして、閉店セール。
もう随分前からやっているが、在庫処分だから新しいものは仕入れず倉庫にしまってあったようなものばかり。
今日はもう最終だからみんなワゴンセール。
それだってろくなものは無い。やはり西武の閉店セールの方がまともなものがあった。
別の言い方をすれば、ろくなものを売っていなかったわけだ。

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2010年7月23日 (金)

人間歳をとると昔のことばかり考えロクなことがない

人間歳をとると昔のことばかり考えロクなことがない

ここのところ7-8年は、この夏場に上京するために新幹線に乗ることが多い。
そんなときは昔の思い出が湧き出てくるものだが、古い記憶の中では上越新幹線ではなく東海道新幹線なのである。
東海道新幹線に乗っていた頃は、上越新幹線は完成ていない頃だったし悪い記憶なども無かった。
上越新幹線で上京する時、ここ10年はうつらうつらとしている程度でたまにあの時は嫌だったと思い出すくらい。
そして今ではあの頃には、元気で生きていた親も会社も企業も何もかも雲散霧消なのである。
今それで済むのだから全て解決して現在があると言うものの、いろいろと妙なことを考えたりする。
一転して、世の中を見回してみれば以前も言ったとおり世の中が止まってしまっているような感がある。
子どもは夏休みに入ったし、妙な天候不順もなく正常に梅雨明けがあった。
有楽町のカメラ屋を見ると、液晶テレビを買ってエコポイントの申請の手続きを聞いていたりする老夫婦が居たりするものの、思ったほどレジには並んでいない。
これはどこの電気、カメラ屋も同じ。
考えてみれば、ネット族とそうでない人達という二分化がされている。
ネット族は、インターネットで情報を仕入れて安いものを探し当てたりする。
小生もネットでものを随分と物を買うのだが、それと同時に機器の不具合に対する対処法などをネットで調べて助かったことが多い。
それはネットで買うときは自己責任が多く付きまとうからである。
事実、パソコンにしろ何にしろ種々のサポートというものの窓口(サポートセンター)がほとんど役に立たないという現実に行き当たる。
PCのDellなとではサポートセンターは中国の大連だったりして、妙な気分になることも多い。
だから、そう言うのは初めからサポートなどを当てにしたらロクなことがない。

それにしても携帯電話やPCに来るメルマガは「楽天」の広告ばかりである。
それもほとんど興味のない無駄なものばかりで、たまに「ポイント○○倍」とあったりしたら「リボ払い」にしろという「大損」のお誘い。
これでは「リボ払い」詐欺だと言いたくなるが、それも自己責任。
そんな楽天が「社内の公用語を英語にする」だって!!

「日本企業をやめ、世界企業になる」と宣言し、「世界で事業を成功させるには、スタッフレベルの英語のコミュニケーションが重要。海外の優秀な人材を獲得するためにも必要」などと語った。」という。

「現在1%程度の海外の取扱高を将来的に7割まで引き上げたい考え。楽天は2010年から、既に会議や文書の一部のほか、社員食堂のメニューまで英語にしてい‥‥‥」

楽天にしろ、ユニクロにしろ何を考えているのか知らないものの、消費社会というのは先進国では米国と日本だけ。
楽天は現実には「仮装商店街」を貸しているだけでほとんど物を売っていない。
日本だから成功できたビジネスモデルで英語版Amazonが存在する米国その他ではどうか疑問だろう。
そして楽天とAmazon(直売)で同じ商品があったとき、明らかにAmazonの方が送料無料で安いことから考えて、楽天のビジネスモデルというのは国内ではもう限界なのではないか。
こういうふうに、英語圏へ進出しようとしているのは既に企業の限界に来ていることなのであろう。
そして、その英語圏というのはいわゆる発展途上国しか無く、現状では単価が安くて儲からないと言うのが現状のはず。
日本が消費国でなくなるというのは、消費税の増税とイコールなのだが、高度成長期の良き昔の企業しか知らない財界の爺様は、消費税増税賛成して法人税を下げたいという主旨だったらしい。
しかし、消費国でなくなれば企業そのものの存在も無くなるかも知れず、この人達も何を考えているのか。

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2010年5月16日 (日)

書道芸術院・恩地春洋会長・辻元大雲理事長就任祝賀会

書道芸術院・恩地春洋会長・辻元大雲理事長就任祝賀会

2010/05 /15夕方4時半から上野精養軒で「恩地春洋会長・辻元大雲理事長就任祝賀会」が開かれた。
参加者は、財団理事、評議員、役員その他、院展・常任 総務、総務という書道芸術院の役員と来賓。
それだから何時もの帝国ホテルで開催されるほどの大人数ではない。逆に言えば、大方の知り合いばかりで、‥‥年齢も来て‥‥粗方知り合いが役員になったので‥‥また合いましたねと言う感じなのである。

ここで式次第を多少略して記載してみると‥‥
                              ○司会  半田藤扇
1.開会のことば‥‥‥‥‥常務理事 大野祥雲
2.就任挨拶
                  会   長 恩地春洋
                 理 事 長 辻元大雲
3.財団役員紹介
    (来 賓紹介)‥‥27名
4.祝    辞
     財団法人毎日書道会専務理事  寺田健一 様
     五禾書房                桑原  喬 様
     青木会計事務所長          青木泰國 様
5.乾   杯
     財団法人毎 日書道会事務局長  糸賀靖夫 様
6.祝   宴
7.閉会の言葉‥‥‥‥‥常務理事 小竹石雲
……………‥‥‥‥‥‥
開 会が「ことば」で閉会が「言葉」になっているものは原文に沿った。

15日は、朝早くから種々の都合で東京フォーラムに出かけで、取りあえず終わって駆けつけてみたら開会から20分近く経過していた。
やはり4時にセミナー会場から出るべきだったのだが、中々そう言う雰囲気でなかったから‥‥まあ いいかで遅刻した。
こういうレセプションに遅れて行くと言うのは、初めてなのでどうやって入ったらよいのかな‥‥と思っていたら、丁度来賓の方が 後から来てようやく入れた。
‥‥と今度は、受付がないから場所が分からない。
それで、手招きで行ってみると左方の最後列‥‥正に一番後 ろ。
遅れてきたから丁度良かったが、昨年の10月辻元大雲毎日書道顕彰受賞祝賀会の時も後ろの方だった。
何でこんなに後ろの方なのかなと その時尋ねたら、申し込みが後だったのでは??と言われた。
それで今回は、通知が来て日をおかずに申し込みと共にお金を振り込んだ筈なのだが、結果は、変わらなかった。
結局、申し込みは早さには関係がなかったと言うのが実証されたというものである。
そして、宴会が始まれば席に座っ ているワケではないのでどこの席でも関係がないし、写真を撮るにも、前に出るからこれも席に関係がないという‥‥まあ何だかなのである。

祝賀会が終わって、出口で恩地先生、辻元先生が参加者を出迎えて握手をした。
恩地先生の力強い握手、辻元先生の(女性向けの)優しい握手であった。
特に女性と握手をするの優しくが基本、結構難しいのがこの握手。

いや、握手というのはどんなときでも難しいかった。
それで、 大学時代に当時の恩師の教授や留学帰りの助教授の先生にいろいろと教えて貰ったのが握手の仕方。
特に外国人は強く握ってくるそうで、こちらも強く握らないと痛い思いをするとか。
それで、意志を示すために「強く握る」のが礼儀なのだそうだ。
但し、女性にそんなことをしたら叱られる。
そして、恩地先生の力強い手での握手というのは、不思議と何か大きな感じと感銘を受けた のは今回の印象的な出来事だった。
不思議なもので、どんなときでも最後のひとときが重要なことがある。
そんな お開きだった。

それにしても今年はリーマンショックから 二年目。
Syuunのところにもようやくその影響が出始め、うかうか何にでも付き合っていられなくなった。
世の中、「一歩先は断崖」と言う言葉があって、明日何が起きるかどうか分からない時代なのである。
但し、今日の祝賀会を見ると、書道界というのは十年一日のごとく不況の風もどこ吹く感じなのだなぁ~と感嘆する。

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2009年11月25日 (水)

書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生

書道芸術院創立記念日・講演会 石川忠久先生

2009/11/23の勤労感謝の日は、書道芸術院創立記念日となっていて、毎年上野精養軒で14時頃から記念講演会がある。
この講演会というのは、毎回驚くほど有意義なものでお金を掛けて出かけて行っても価値があると思うものである。
今年は、二松学舎前学長 石川忠久先生。
演題は「対句の面白み」。
話は簡単に言えば漢文の話。先生曰わく、戦前は漢文というものは必修科目だったという。
だから、国語の他に漢文という独立の教科があったそうな。
そして、その漢文の先生というのは例外なく怖い先生だったとか。
そう言われれば、昔の人は書道で書く詩文は大体読めたらしい事は分かるし、漢詩だって創作して書いたりもしていた。
それで創作の漢詩というものは、時として読めないものがあると言われていた。
何故読めないのかというと勝手に解釈して漢詩を作ってしまうために、読み方が一様でないと言う事らしい。
そう言えば、少し前に「書道の新聞」に漢詩の創作の話が出ていた。
そのうちバックナンバーを当たって読んでみようと思うのだが、こういう先生というものは大体中国語の「読み・書き・会話」が出来る先生である。
事実、石川忠久先生も東大の中国文学科をご卒業されて中国語も堪能であらされるが、実は大学ではまともに勉強せず、中国語を教えることになって学び直したと言っておられた。
但し、語学である以上毎日のように使わないと忘れるそうで、中国へ行った時は帰国する頃になって感覚が戻ってくるという。
Dscf0429
漢文というのは、実際は高校2-3年の時に少し習い、少し分かったと思ったら先生が替わって、簡単な入試程度の漢文しか分からなくなってしまった。
そして、今では粗方忘れてしまった。
こういう勉強も継続してやらないと全く駄目で、大学時代ドイツ語をやりながら大学院入試ではドイツ語の部分は白紙だった様なものである。
もっとも、ロシア語の方は講座を取って読み方を少し習って止めてしまったと言うくらいだから語学はダメ。
それで、ドイツ語もロシア語も実際何かに使ったかと言えば何も使っていない。そして、今では辞書を片手にしてもドイツ語が読めるかどうか怪しいものである。

講演会の本題は、「対句の面白味」は、律詩の規則というものである。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で律詩を調べてみたら
「2句1組で「聯(れん)」を構成している。律詩は8句なので、4つの聯から成る。順に首聯(起聯)、頷聯(前聯)、頸聯(後聯)、尾聯(結聯)と呼ばれる。頷聯と頸聯はそれぞれの2行が対句になるという決まりがある。
また押韻は偶数句の句末でなされ、第1句は押韻してもしなくてもよい。換韻はなされない。各字、各句、各聯同士で平仄に一定の規則がある。」
と書いてあって、粗方この規則を説明されていた。
「平仄(ひょうそく)」の規則性とか、いろいろと説明されたのだが短時間の講義だと中々わかりにくい。
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その他、昔の人は漢字に訓読み音読みをつけて、漢文を全て読めるようにしてしまったというのは大発明と言われていたが、それは漢文を習った時に思った。
しかし、石川忠久先生が漢詩を中国の言語で発音すると漢文というのはやはり中国の言葉だと実感する。
そして、先生が言われるのは中国の言葉は時代を経るごとに少しずつ変わって行き、昔の「音」が日本の音読みに残っていると言われた。

漢字は、元々漢字圏だった韓国ではハングル語になって使われなくなったし、中国でも簡体字になって随分と変わって元の字がどんなものなのか分からない様なものになった。
日本では、漢字がまだ残っているというのは「訓読み」という偉大な発明によって「表意文字」としての効用が大きい気がする。
そして、戦後MacArthurのGHQ下で一時期漢字の廃止と言う事も考えられたらしいが、その結果として簡略された文字になった。
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しかし、最近ではパソコンの普及によって難しい文字も大して厭(いと)わなくなったから時代の変化というものは面白いものである。

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2009年11月24日 (火)

第41回日展 を見た、何やらがっかり

第41回日展 を見た、何やらがっかり

2009/11/23勤労感謝の日は、例年日展を見る習慣がある。
昨年第40回の日展を見てどうも感心しなかったので今年は止めようと思っていたら、400円引きの「第41回日展 入場割引券」が新聞広告に入っていた。
実際は、これだけでなく日展のHPに入場割引券(http://www.nitten.or.jp/waribiki.html)があっただけでなく、携帯電話でそのサイトのクーポンを示せば400円引きの800円では入れる。
それで朝10時少し過ぎに国立新美術館に到着したが、実際のところ「ハプスブルク展」を1,500円出して見ようか迷ったところである。
そこは、700円の昼飯代の足しを考えて日展にしたが、後から思えば「ハプスブルク展」の方が良かったかも知れない。
実際中世、近世欧州の歴史を調べていると「ハプスブルク」関係の文献、写真なども見ることはあって大方予想が付くとはいうものの現物は見たことがないのである。
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日展と言えば、「日本画」と普通は思い付くから昨年のように日本画が1階全部かと思ったら1階には洋画と日本画のメインがあった。
2階は、日本画、洋画、彫塑、工芸。書道はいつもの通り継子扱いで3階のフロア。
しかし、日展というのは出品点数の関係から見れば書道で持っている筈だから随分と悲惨なものである。
その悲惨な状態の日展第5科。
いつもの通り、毎日展の公募サイズ程度の作品が3段掛け?
特に今年は、何やら同じような文字が目立って全体が同じ社中展の様。
以前、多少ニジミを聞かせたような作が多いこともあったが最近は見られない。
今回、伝統書の日展、日展のスローガン「日展は、美しいあなたをつくる。」と言う事からどんな印泥を使っているかいくらか見てみた。
その昔の印泥と言えば「美麗」という種類の印泥だったのが、最近は毎日展では大分明るい朱色になったから、日展はどうかというものであった。
まず篆刻で見ると、黒っぽい色の美麗らしき派は10点に1点くらいで、書作品でもかなり少なかった。
実際はその美麗印泥でも多少鮮やかなものと、どす黒い「くすんだもの」までいろいろとある。(最近の美麗印泥は、粗悪品になって鮮やかさが無くなってきている)
実際、鈴印する時印泥の種類など、どういう神経を使っているのかいろいろと疑問に思う。
偉い先生などだと、鈴印をお弟子さんがすることもあるからいろいろなのだろう。
しかし、平入選ではそんなことは無い??又は逆に本人が鈴印しないで師匠がしてしまうと言うこともあるかも知れない。
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実際小生もここ何年か美麗印泥というのは使ったことがない。
今、主に使っているのは、高式熊・精品で、気分が向いたら西冷印社の箭鏃(せんぞく)その他、丹頂などを使っている。
美麗だと一両装通常1,500円程度だか、高式熊、箭鏃、丹頂だと30~40割引きのバーゲンで買って5-6,000円くらいはする。
実際見てみると、高式熊、箭鏃の様な感じが多いが、篆刻家だと実際中国から特別なものを取り寄せると言うこともあって良く分からない事も多い。
それにしても、日展入選なのに鈴印がまともにされていないものも多く、あきれるものもあった。

今回の日展を見ての感想は、第1科の日本画家に始まって全体に展示が窮屈というかそんな感じがした。
第5科の書はギュウ詰めなのは明かというものであるが、第1科~5科まで全体に掛け替えでもして作品をもう少しゆったりと展示が出来ないものかと思う。
そして、都美の頃では、券は二枚になっていてもう一回見られると言うものだったが、新国立になってから1日だけ。
実際、日展の顔と言うべき日本画も、都美でやっている頃より余り見るべきものがないような感じがする。

「日展は、美しいあなたをつくる。」ではなく、「くすんだ貴方を作る」のではないかと思えたりもする、何やら期待はずれの日展だった。

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2009年11月18日 (水)

洗車をすると翌日雨に、閑になると病気をする不思議

洗車をすると翌日雨に、閑になると病気をする不思議

11月16日は、薄曇りで風もなくそこそこの日だった。
車の洗車というのは風のない日というのが最適で、風がないからワックス掛けで埃で車を擦らないで済むと言うこともある。
そう言う時は、必ず翌日は雨。空の雲行き「うろこ雲」から容易に察しが付いたが、翌日出かける予定もなしで、よくやるものなのである。
簡単に言えば、雨になる前日は天気がよいという事につきる。
そして、今年の秋はある程度暇になった。
ヒマになったのは、例の県展事業部をクビになったからと言う事だが、10月初頭からの秋季展も現場作業中心で自宅に持ち込んでやると言う宿題もなかった。
夏場は、例の毎日書道展の陳列で多忙というものだった。
新美(国立新美術館)ばかりだと結構疲れるし「美味しい水」が飲めるわけでもない。
そのためか盆の頃には何ら胃腸の調子を崩した。
正確には、胃の調子なのだがこれが直ったり又ぶり返したりで、とうとう10月まで尾を引いた。
10月に入れば秋季展だったり、岩手、宮城、山形への旅行だったり騙し騙し。

結局、胃酸逆流?胃酸逆流炎?とは言われなかったが、「ファイバーを飲め」と散々脅される始末。
それなら胃腸科で検査してくれとはいうもののそんな面倒な事はしないらしい。
それで最終的に多少強い薬と言う事で「パリエット10mg」という錠剤を二週間飲んだ。
医者からの説明書には、「胃酸の分泌を抑える薬、消化器潰瘍、胃潰瘍、十二指腸潰瘍の薬」とある。
薬が切れた二週間目に胃腸科に出かけたところ、もう止めたらと言う話し。
2か月は飲めるから調子が悪かったら「また飲んでね!」、「但し効くまで3日かかる」とか。効くまで3日かかるというのなら‥初めから言ってよ‥なのである。
医療費を払う時、1,310円の筈が2,040円。
年寄りの看護婦さん「胃酸逆流炎と言われませんでした?」
そう言われたら、2,040円なのだそうな。結局いつも通りの1,310円を支払って‥‥
またもらってきてから、3日目に調子が良さそうと思って止めてみたが薬が切れるまで3日。
何故か、3日目の夕方には多少気持ちが悪くなるから不思議なもの。
まあ別に、むかつくこともないし、胸焼けがすることもないから多少我慢していたら段々元の調子に戻ってきた感がある。
やはり、無駄な薬というものは百害あって一利なしか。

そうしてまだ調子が良かった9月中旬に申し込んでいた、特定健康診査「特定健診」と「さわやか検診」という集団検診。
その当日というのが11月16日だった。
今回は、何か虫の知らせか初めて「胃カメラ」を飲む予定になっていた。
朝8時半からの検診受付の「医療センター」。
一般病院ではなくて、健康診断専門だから流れ作業で進む。
「胃カメラ」、結果異常なし。
実際自分の胃の中がテレビ画面に映し出されるのだが、妙に変色しているところも何もなかった。
まあこれで、調子が余り悪くなければそのまま自然治癒(?)に任せる?
そのうちまた結果が出たら胃腸科にでも行ってみるかと言うところだ。
それにしても検診が終わったら、B、C型肝炎の血液検査をやったのだとか。
結果は「陰性」だった。
約14年前血液検査をしたら「C型肝炎の抗体がある」(精密検査で陰性)と言われたのだが、最近は相当精度も上がって簡単に分かるようだ。

いずれにせよ、今年は秋口から野暮用が多くなったが多少ヒマになった。
ヒマになったから今まで放置していたパソコンのメンテナンスに時間を費やして、パソコンの突然のフリーズの原因を突き止めて修理したり、バージョンアップしたり5年間程度の後始末。
その一方で、胃腸の調子が悪いと何もする気が起きないというのは不思議なもの。
それで胃腸は、寝ていれば治るというのではないからまたまた困りものなのである。

巷で良く効くことは、退職すると突然病気になったりして場合によっては「大病」をしたりする。
実際、退職する頃というのはそれなりの歳だか、不思議なことに退職して2年以内に従兄弟の様に突然死したりもする。
まあ別に、退職をしたりする商売ではないので「退職して」直ぐあの世に行くと言う事は無いのだろうと思うが、胃腸関係では聞けばあちこちから「○○炎」「○○潰瘍」と言う話が出る。
医者に行けば、もう歳なのだから無理しないようにと諭される始末。

先週、イオンに行ったら店員さんに娘を「お孫さんですか」と‥‥‥
妻~~~「私、娘です!!」と‥‥‥

「お姉ちゃん系」のキャピ・キャピの服の専門店で、娘の服の支払いにCCカードを出しての話だが、孫にしては少々大きすぎないか‥‥
それにしても、今流行のマスクをしていると本当に「爺さん」に見えるのかと思ったりもする。

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