映画・テレビ

2011年6月13日 (月)

第64回書道芸術院展表彰式ダイジェスト

第64回書道芸術院展表彰式ダイジェスト

平成23年2月に行われた第64回書道芸術院・中央展。この中央展に付随して表彰式、祝賀会が2月5日に行われた。
今年は、東日本大震災で仙台の東北展が中止になり、結果陳列されない作品などが多く出ている。それで少なくとも、表彰式の一部でも公開してその雰囲気を味わって貰えればと思っている。
尚、表彰式中の尾形先生は仙台在住である。
書道展というのも千差万別で、国立新美術館で展覧会が行われるという書展もあった。しかし、その表彰式となると帝国ホテルで大々的に行う表彰式というのは圧巻である。

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2010年8月 8日 (日)

映画「しあわせの隠れ場所」(DVD)を見て

映画「しあわせの隠れ場所」(DVD)を見て

映画「しあわせの隠れ場所」は、マイケル・ルイス著のノンフィクション「ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟」を映画化したと言うことである。
ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟

米国人が好きな一つのサクセスストリーで、映画自体は「第82回アカデミー賞主演女優賞」、「ゴールデングローブ賞:主演女優賞 (ドラマ部門)、放送映画批評家協会賞:主演女優賞、全米映画俳優組合賞:主演女優賞」というサンドラ・ブロックの女優賞総なめの作品となっている。
ス トリー自体は、「全米アメリカンフットボール・リーグNFLのマイケル・オアー選手の激動の半生。もっとも貧しい家庭出身のホームレス同然の生活から、ア メリカン・フットボールの有力プロ選手になった少年の実話を映画化した感動的な人間ドラマ。」というWebでの説明で書けば終わりである。
そこに、裕福な白人の里親の出現や米国の名門私立高校、アメフトの環境などがあってなにかほろりとする映画でもある。
映画自体は、高校卒業の頃の話から一挙に2年前の私立高校に転入させる場面に戻る。
こういうカトリック系白人の名門私立高校に、ホームレス同然の黒人生徒が転入学すると言うのも日本ではあり得ない妙なところがある。
米 国では30年位(?)前に、有色人種の人達に積極的に奨学金を与えて大学に行かせるという制度があった。それによって、今ではオバマ大統領の様に多くの学 者、政治家、軍人、弁護士などに有色人種が進出し、今では黒人が無教養で貧乏という話でことではなくなった。よく言われるのは、気をつけるべきは貧乏な黒 人や白人というのだそうな。
実際のことは原作を読んでみないと何とも言えないものの、そう言う名門校に入ってしまったために、上流階級と言われる富裕な人達に出会う。
ここで思うのは、どんなにスポーツで有望選手になりそうでも勉強が出来ないとクラブにも入れないと言うことである。
高校に入ったときの学力はGPA(Grade Point Average、グレード・ポイント・アベレージ・学生の成績評価値)0.6。(F)‥‥前の公立高校評価は(大甘のD)
要するに落第点で、これだとアメフトにも参加出来ないと言うことなのだそうな。
それで、徐々に勉強をさせて1.75(B~C)程度まで上がってくる。
つい最近まで日本では「お馬鹿タレント」がそのお馬鹿ぶりを売りにしていたが、その中にはスポーツで有名選手だった人物もいて日本との大きな違いがある。
ここで、少し注目すべきことは主人公のマイケル・オアー選手が大学を優等(A)で卒業していることである。
高校での有名選手や大学での有名選手であっても、一般的には学業不良ではまともに卒業出来ないどころか、試合にも出られないことがあると言うのが米国でも常識であることを思い起こされる。
要するに、米国では厳しくてスポーツ選手というのは一種の使い捨てというところがあるそうだ。
昔の映画で「ワン・オン・ワン(1977)」というバスケットボールを題材にした映画があった。これはウェスタン大学というバスケットボールの名門校にスポーツカー(日産フェアレディZ)と奨学金をもらって通うことになった話し。
大学に入ると、優秀な大学院生の女性の家庭教師やら、何もしなくてもアルバイト代が貰えるお小遣いなどの数々の特典が与えられていた。
それが、大学のバスケットボールというレベルについて行けなくて、レギュラーメンバーにもなれず成績は低迷。
すると、大学側はこの主人公の追い出しにかかる。
家庭教師を辞めさせて学業不振(D)なら先ず試合に出られず、次に退校が待っていると言う次第。
映画ではバカではないと言うことを示すことになり、何とか大学とバスケットボールに残ることが出来る。
そこでも示されたのは、ここでもスポーツ推薦選手でも学業不振だと奨学金停止や退校もありうると言うことである。
この映画「しあわせの隠れ場所」では、大学の「スポーツ推薦」NCAA1部校の奨学金を得るためにはA、GPA2.5以上の学力をつけるために家庭教師を雇って達成する。
それが僅か2年間だと言うから驚くべきことがある。
この主人公マイケル・オアーは一旦覚えたら忘れない記憶力というのだから、凡才の小生などからは想像も付かない。
日本でもこういう映画のように、スポーツ選手でも成績を重視するというと言うことになったら現在のスポーツ界は存在するのかと思う。
本来、一流選手がバカであるはずがなく、只勉強をしなかったかさせなかったということに過ぎないかもしれない。
しかし、そう言うスポーツ選手の世界というのもお馬鹿タレントを見る限りそろそろ終わりにしてはと思ったりするものである。

昔聞いた話、あの元江川投手・現野球解説者は栃木の作新学院出身だが、当時群馬の強豪校(県立)前橋工業で採ろうかという話があったという。
しかし、公立高校であったために推薦入試の検討から、成績が悪すぎて推薦出来なかったそうであった。
その前橋工業は後ろ盾だった佐田建設が左前になり、その後前橋工業出身の社長が自己破産するに至って今では往年の見る影もない。

そんなことはどうでも良いが、「しあわせの隠れ場所」という映画を見て原作も読みたくなった気がする。
映画では高校卒業まで、あとは本人の実写の写真で済ましているのは、大学以降のマイケル・オアーの活躍は有名なのだろうという憶測が出来る。
現実として、もう少しマイケル・オアーのアメフト選手としての活躍という説明があっても良かったかなと思う。
原作は、大学1年まであり、また種々の人間哲学が書かれていると言うので違った話になっているのかも知れない。
ブラインド・サイド アメフトがもたらした奇蹟

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2009年9月22日 (火)

「小人症」のインド女性を見せ物にしたフジテレビ

「小人症」のインド女性を見せ物にしたフジテレビ

2009年9月22日フジテレビの番組で、「どこよりも超スゴい!ギネス世界記録公認!びっくり超人100連発」と言うのを19時からやっていた。
その中で「新記録ラッシュだSP!」テレビ欄では「(1)初登場!身長62cmの世界最小インドの美女」と書かれているのだが、実際は15歳の高校生なのに身長が62cmしかない女性だった。
こういう人達というのは、一般には「小人症」と言うのではなかったろうか。
ネットで調べてみるとインドやスリランカでたまに見られるらしい。
それを番組では、早い話「見せ物にして」日本にわざわざ連れてきて高校を訪問させたり、街を廻ったり、番組に登場させたりしていた。
「可愛い」と叫んで‥‥まるで人間扱いしているとは思えない。
その境遇を不思議なことに、本人は何も話していないし誰も聞いていない。
そして、「小人症」である本人が好んで自己の境遇で満足していないと言うのは間違いないはずで、そう言う事を無視してその人を扱うというのはどういう事なのだろうかと思う。
そのインドの女性がなぜそう言う身体になったのか、又何か治療でもすることが出来るのかと言うことも不明のまま。

一般に言われている「下垂体性小人症」の場合、「脳の下垂体の前葉から出る成長ホルモン分泌が低下」が原因だとしている。
しかし、実際は種々の原因があって多分検査してみないと何とも言えないのかも知れない。
但し、「下垂体性小人症」だとしても、10歳以下から治療しないと難しいかもしれないという。
だから、本来「どこよりも超スゴい!ギネス世界記録公認!」などと言うところに出すべきに事柄でない気がしてならなかった。

そして、そんなことも考えていなかったのか、出演者も何を考えて応対していたのか不思議なものだった。
いずれにせよ、目を背ける「フジテレビの番組」だったのは間違いない。

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2009年6月 8日 (月)

世襲は政治家ばかりか芸能界まで蔓延る

最近の世襲は政治家ばかりか芸能界まで蔓延る

近年、自民党では世襲政治家、二世議員の禁止などと言うようなことを言い出しているが、芸能界では、二世芸能人ばかりの話題だ。
タレント、明石家さんま(53)と女優、大竹しのぶ(51)の長女という鳴り物入りの話題性で、芸能界デビューしたIMALU(19)(産経新聞)」
いきなり「米映画『ザ・スピリット』では、物語のキーワードとなる“究極のDNA”つながりで、宣伝キャプテンに任命された。」とある。
いろいろと新聞各紙のインタビューでは持ち上げているのだが、写真を見る限り「あっそう」と言う感じた。
以前は、二世芸能人と言う事をマスコミには黙って芸能界進出して、名前が売れて、実力を認められてきてから、誰々の「娘、息子」と言う例が多かった様に思う。
しかし、最近は初めから二世芸能人で名前を売るから、どう見ても実力というものは後から、ダメならバラエティタレントでと言うものなのだろうか。
何と言っても、井上和香が嵯峨京子の娘だとは気がつかなかったものな。
もっとも、最近は嵯峨京子と言っても誰も知らない時代にはなった。
そして、二世タレントだと紹介する時に、プレゼンが要らないから楽なのだと言うが、実は二世タレントで成功している例というのはあまり多くない。
少し前にTVかラジオで、加山雄三の娘「梓真悠子」はモデル(女優)だと言うが、ほとんど売れていないモデルだったと酷評していた。
梓真悠子も既に結婚して二人の男の子の母(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)と言うから、今ではあまり活躍していないのは確かである。
政治の世界のように今まで政治に関して全くの素人で、父親の地盤を継いで何年も経たずに国務大臣になるなど、国民から見れば素人でも大臣は務まる。
官僚の言いなりかと、苦々しく思ったりもする。
それに比べて、芸能界は本当の実力の世界。
今有名な司会者業でプロダクションもやっている関口宏。
この関口氏の父親は、名優佐野周二。大昔、俳優としてTVにも出たが大根役者でどうしようもなかった。
子供は、父親の仕事に関して門前の小僧で、ずぶの素人とは常に違う。だから、二世芸能人と言えども、全くの素人から見れば大分違うしチャンスも多い。

そ して、芸術の世界というものは耳学問、「門前の小僧」と言うものは、全くの素人とは確かに何倍も違う。だから、書家の二世とは書作の次元が違ったりして、 中々太刀打ちが出来ないと言う事が多い。その上偉い先生から見れば、誰々先生の子と言う事でそれこそ「プレゼン」、紹介が要らないと言うものである。
本当に、血縁も縁故もない全くの素人からと言うのは、どこの世界でも苦労するものだ。

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2009年3月19日 (木)

占いによる藤原紀香、陣内智則の離婚報道に思う

占いによる藤原紀香、陣内智則の離婚報道に思う

藤原紀香、陣内智則の離婚‥‥
結婚の時の過去エントリーを探してみた。
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の結婚はなんでー??」2006.11.15
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の12月結納・入籍報道」2006.12.4
「〈占〉女優、藤原紀香と陣内智則の「年内(入籍)はない」2006.12.6
「〈占〉女優、藤原紀香と陣内智則の12月10日結納」2006.12.11
「〈占〉藤原紀香の結納返し「パネライ」の時計」2006.12.12
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の2月25日の結婚」2006.12.13
「〈占〉モテ男・陣内智則(の女性遍歴・田丸麻紀・及川奈央・森下千里)」2006.12.14
「〈占〉藤原紀香と陣内智則のフロリダ婚前旅行を切る」2007.1.5
「〈占〉藤原紀香と陣内智則のフロリダ婚前旅行 その2」2007.1.7
「徳光和夫司会の披露宴は8割離婚・和田アキ子言明」2007.6.6
「〈占いも〉ハッピーハッピーの名前の下品さ」2007.6.12

ここで延々と藤原紀香、陣内智則はいつ離婚するのかと言う暗示をかけていたのだが、和田アキ子氏がいう「徳光和夫司会の披露宴は8割離婚」というのは図らずも当たってしまった。
ブログエントリーでも書いたが、和田アキ子氏というのは神がかり的で、恐ろしいほどの「直感力」の持ち主。やはり間違いはなかった。
又、「〈占いも〉ハッピーハッピーの名前の下品さ」2007.6.12の項目で
「実は、藤原紀香だってそうだ。陣内との間に子供が生まれて、初めて『神様』が夫婦と認めたと言うことだ。これは、前世で夫婦でない場合の特徴だ。」と分析している。
藤原紀香が仕事を辞め、陣内氏のサポートに廻ればという趣もあるが、陣内智則氏よりも藤原紀香氏の方が芸能界では格上。
最近やらない派手婚で藤原紀香は、ランクアップして仕事が増えたということがあった。
実際は無理な話なのだが、なんと「東国原英夫宮崎県知事(そのまんま東)」の実例もある。
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の2月25日の結婚」2006.12.13
のエントリーでは、「兎に角、なるべく早く二世を作り『運勢』の転換を図るのが先決だろう。」と助言をしておいたが、藤原紀香氏には助言をする「占い師」が付いているようで無視されている。

元々の結論は
「〈占〉藤原紀香と陣内智則の結婚はなんでー??」
のエントリーで「『蒙乱の卦』‥‥大凶。やめておいた方がいいね。」で結論づけているのだが、種々の条件で易断をすればするほど悪い卦が出るというのはやはり結婚は無理だった。
結婚を続けると言うなら、先に言った通り藤原紀香は一旦仕事を辞め、サポートに廻り子供を作ってと言うのか正しかった‥と言うよりそれしか道はなかった。
しかし、実際は全く逆なことをやったために陣内智則氏は大化けせず、単なる人騒がせな結婚に終わったと言うものだろう。

順調に結婚生活をおくる人の関係というのは、どこかに良い卦が出るものだ。

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2009年1月27日 (火)

映画・俺たちは天使じゃない(1989)を見て

映画・俺たちは天使じゃない(1989)を見て

「俺たちは天使じゃない(1989)」と言う映画を思い出して見てみた。
確かVHSで撮っておいたはずだが、探すのも面倒だったのでDVDを借りてみた。
‥‥と見ると内容が違う。
どうも日本公開版と初めから出だしで違う。
刑務所のシーンというのは記憶にない。
取りあえずDVDを見終わった後でよくよく考えてみると、キリスト教圏とそうでないところで編集を変えて別の映画にした感じがある。
実際DVD版になると意図的に再編集される場合が多い、たとえば「パットン大戦車軍」では、主人公パットン将軍は強烈な「反共主義者」であった状況とそれによって、一時左遷された状況がカットされている。
朝鮮戦争の野戦病院を背景にした「マッシュ MASH」では、多数の手術のシーンや韓国人の手伝いの青年の徴兵検査を逃れるシーン。笑えるフットボールの練習のシーンなど多数。
「戦 争と平和」では、Natasha(ナターシャ)役のオードリー・ヘップバーンが自殺未遂シーン、アンドレイ(公爵)の領地がNapoleonに占領され破 産するシーン。ナポレオンのモスクワ占領の大幅カット。ナポレオンのモスクワ占領の大幅カット。フランス贔屓のロシア貴族たちと大歓迎会などと、ロシア貴 族の逃走シーン。アニタ・エバーグ扮するエレン伯爵夫人(主人公ピエール(伯爵)の夫人)の凍死シーンなど。
どういう理由なのか分からないが、実に不思議なものなのである。
さて、この「俺たちは天使じゃない(1989)」の場合は、そう言うカットではなく全く違う話に作り替えられていると言う事だ。
だから、日本で公開された映画で辻褄が逢わない部分が多くあり、DVD版の方も妙なところがある。
ここで、少しずつ思い出しながら違いとストーリーを思い出してみよう。
最初に出で来るのは脱走した後からで、一方町の方は見捨てられ、うらぶれた何の変哲もない町。
そこにあるのは修道院なのだが、隣町に有名な修道士二人が立ち寄ったらしいという噂を院長は聞く。それで院長は町の発展のために隣町まで迎えに行くという。
その有名な修道士は数ヶ月前から放浪の旅に出て、神出鬼没かつ奇跡も起こすとの評判だった。一方の修道士は「説教の名人」もう一人は「宗教理論の権威」と言う人物。
しかし、誰も顔は知らない。時は1935年、昭和10年の背景だ。
写真を撮るというのは今ほど簡単ではない。修道士が写真館などに行くのかと言うものだ。
DVDでは著書に二人の顔写真が印刷してあったが、宗教理論書に顔写真があるというのもおかしな話で、日本公開版にはなし。
その脱獄囚は、町に入って服を盗むのだが、適当なものが無くて干してあった修道士の服を盗む。それに洗濯ハサミが付いたままだった。
DVDでは、普通の服で修道院で着替える。
そして、修道院の服は黒。
DVDでは、修道士が一貫して白い修道服だったのに、脱獄囚が一貫して黒い修道服だったのは不自然だった。
日本語版では、修道院長が不在になったのに、院長風の人物や違った服を着ていた僧がいたのは不自然だっが、DVDでは「修道院長」と「司教」と言う組み合わせになっている。

いずれにせよ、脱獄囚は修道服を着て町に突然現れ、修道士に見つけられ間違われた。
‥‥この方が現実味がある。
そして、DVDの中に出で来る「男色」の修道士は、日本公開版では勉強熱心な修道士。
ジム(ショーン・ペン)扮するブラウン修道士は、「説教の名人」と言う事で説教に選ばれる。
但し、普段からろくな説教を聞かされていないので観衆は疎ら。
それであの有名な「説教」をする。
そこで、町の住民は驚いて聞き入るという感じ。
後の展開は、ほぼ同じだが最後のシーンは、二人で国境を越えて逃亡してしまうと言う事。
そして逃亡した後、修道院長は町に二人の修道士が来て、その後南に戻った噂に聞いて驚いて戻ってくる。
それで、あの修道士が説明するというもの。
そして、町にはあの有名な修道士が来たという噂で、辺境の町に多くの人達が見物に来て大賑わいのシーンで終わり。

今度VHSを探してもう一度確認しようと思う。

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2008年12月31日 (水)

綾瀬はるか・主演映画「僕の彼女はサイボーグ」

綾瀬はるか主演映画「僕の彼女はサイボーグ」

この年末、綾瀬はるか主演映画の「僕の彼女はサイボーグ」のDVDを見た。
この映画に興味を持ったののは、紀伊國屋書店のDVDコーナーでデモを見ていたからなのだが、どうも初めのシーンしかなかったようだ。
ストーリーは韓国映画のリメイク版という事で、あまり期待せず事実見てみてると粗雑というか、日本人的な叙情が少ない直接的な部分が多いTV映画のようだ。
DVDの初めにやはり「綾瀬はるか」主演の「ICHI」という女座頭市(瞽女)の予告シーンがあった。
最近の座頭市の映画としては北野武監督の「座頭市」(2003年ヴェネチア国際映画祭・監督賞他多数)がまだ記憶に新しく、何やら設定が妙ながする。
「綾瀬はるか」主演の「ICHI」は「瞽女(ごぜ)を扱った物語」という事なのだが、映画公開中という事で見ていない。
さて、「僕の彼女はサイボーグ」では、綾瀬はるかの胸が高いモデル体型がサイボーグというか人造人間体型に合って中々であった。
映画は、綾瀬はるかのための映画のようで、多くの映画評の通り綾瀬はるかが驚くほど綺麗に見えたという事は、間違いない。
しかし、以前フジテレビ系の「はねるのとびら」の「ほぼ100円ショップ」(5月28日放送)に、ゲストとして(映画『僕の彼女はサイボーグ』)キャンペーンを兼ねて綾瀬はるか・小出恵介した。
CFでは度々見ていたが、こういうTV出演だと妙な映像トリックを使わないので結構素顔やらその体型が分かる。
そこでの印象は、映画ではその大柄なモデル体型というのはあまり分からないが、実物を見たら違った印象なのだなと思うことしきりだった。
何故なら、身長は165cmと公表しているがヒールを履けば170cmを越える。
驚くほど顔が小さくて、座高が低いから座れば小柄に見えるが立ったらビックリという感じ。
実社会にいたら、どうかなと言う気がする。
その昔、TVCMなどに出ていたモデルさんや女優さんを近くで見た事があった。
実際見ると、TV映像とのギャップに驚かせるものがあり、あまり垢抜けなくてパットしない女優さんなどが実際は驚くほど綺麗だったりする。

映画は、最後に多少どんでん返しがあるのだが、唐突に綾瀬はるかの二役の別の女性が出現してしまうのには誰もが違和感があるようだ。
「時にかける少女」のTV版でも、過去の次元に知り合った、又深い関係にあった人物が10年20年後に、別人として現れるというラストシーンがある。
その続編を思わせるシーンだが、日本映画だとこういう風に終わる。
少なくとも、この韓国映画風の直接的な表現では物語は終わらない。
恋愛映画だけでなく、こういう映画というものは今後どうなるのだ、と思わせるシーンで終わるというのがハリウッド映画を含めて一般的なのではないか。
そんなところが無かったのがこの映画を駄作、B級映画にしてしまった気がする。
映画というのは、ある意味ラストシーンで決まるということもある。
あの『シェーン』(Shane)アラン・ラッド主演「1953年、パラマウント映画製作」のラストシーンは、「シェーン! カムバック~」
永遠に残るラストシーンではないか。

再度言うようだが、この映画では普通誰も着ないような、そして着ても似合わないような綺麗な衣装を着て、魅力的で可愛い綾瀬はるかが出演する映画であるという事だ。

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