書籍・雑誌

2014年1月 1日 (水)

いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ ・古森義久 (著)を読む

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「いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ」と古森氏がアメリカのオバマ政権に対して警告する。古森氏と言えば、米国在住で「アメポチ」として米国を非難しないので有名だった。
しかし、ここでこの古森氏が米国に対して「注意を促す」というのは余程のことであろう。
この著書では、民主党政権のオバマ大統領のリベラル姿勢が、二期目に入って上院議員時代に逆戻りしはじめていると警告している。
米国のリベラルと日本のリベラルとの違いは、米国のリベラルというのが「大きな政府」、「社会主義化傾向」を示すものである。
「社会主義化傾向」であるから当然従来の事柄に対して種々の規制を行うのに対して、「同性愛」や「避妊中絶」には自由を主張する。
そして、オバマ政権では高所得層への増税を主張している。これで年間所得25万ドル以上の世帯への所得税を33%から38%・・・と引き上げる措置を就任早々の2009年1月に予算案に盛り込んだという。
年間所得25万ドルというのは、日本では大会社の社長でも年収数億円ということは希であるから高いように思われる。
しかし、日産のゴーン社長やSONYの元外人社長など軽く億単位の年収をもらっていることから見れば、米国での成功者の年間所得25万ドルは安いかもしれない。
米国の場合、元々「アメリカン・ドリーム」という思想があって、成功すれば高額な所得と豊かな暮らしが保証された。

「オバマケア」という国民皆保険制度やおよそ年収2500万円の収入に対する所得税などは、日本から見れば、既に行われている。(日本1,800万円超-40%)
すると日本というのは既に米国から見れば「社会主義国」なみと言うわけである。

こういうリベラルという面に対して、米国の古き良き時代「アメリカン・ドリーム」や「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」と小さな政府、規制のない社会を標榜するのが保守派である。
そして、保守派というのは共和党系であって、既に米国下院では共和党に過半を占められてしまっている。(2011年の中間選挙)
第二期目の選挙では、民主党と共和党とは得票率で実は僅差で、小生の考えでは既に拮抗していると思われる。

要するに米国では、オバマ大統領の政策は米国民の半分が指示していないか無関心であることであろう。

ここで表題の「いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ」というのは、オバマ政権というのが完全に内向きになっていると言うことである。
そしてその影響は軍事費の削減に現れていて、海外展開している米軍の規模を縮小している。
(4年間で800億ドル国防予算削減)
これによって、日本の防衛や安全保障は米国に任せておけば良いという時代は曲がり角に来ていると主張する。
オバマ大統領の「アメリカらしさ」の放棄はこういう安全保障にまで波及している。
(第3章 日米同盟が変わる)

こういうことで、オバマ大統領は直接には言及していないけれど、尖閣諸島で軍事衝突が起きても米国は手出しをしないというスタンスを取っていると思われる。
それは、中国寄りとも言えるし「パンダハガー」という、中国に米国製品を買ってもらうという市場としての価値を求めている。

こんなことから見ると「太平洋戦争」前夜のルーズベルト大統領の民主党、今の米国民主党とは全く変わっていないと言うことがよく分かる。

そうであるならば、未だに先の戦争の戦後体制と日本は「悪い国」という概念の固定を押しつけてくることは間違いない。
ところが日米同盟を強固にして、尖閣諸島防衛もしっかり守ると言うものでないことが弱いところでもある。

米国が守ってくれないのに、米国の言うことを逐次聞いていては国が守れないというのは当たり前のことで、先の「安倍首相の靖国参拝」と言うことが絡んでくる。


いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ (幻冬舎新書) [新書] 古森 義久 (著)

************
こういうふうにオバマ政権というのは、米国の意見の半分を代弁しているというだけ。
それでいて、日本の防衛に関しては及び腰であるなら日本としてもそれなりの立場を取らなければならない。
そして、小生が考えるところに寄れば「安倍首相の靖国参拝」は、米国政府に関する踏み絵だったのではないかと思う。

米国大使にキャロライン・ケネディ氏を任命して、ついこの前まで新聞雑誌、テレビなどが人気を煽っていたりしていた。
中には「ケネディ・ファション」が流行るかもしれないと「アメポチ」ぶりを表すマスコミもあった。
しかし、公式行事でのドレスコードも守れないだけでなく「靖国問題」での無能さを露呈してしまった。

その一方で、この「いつまでもアメリカが守ってくれると思うなよ (幻冬舎新書) 」に見るマスコミ問題を見ると、米国は間違いなく日本国民の民意を見誤ったのではないかと思う。
それは、駐日アメリカ合衆国大使館のFacebookが抗議で炎上していると言うことからも明らかである。
そして、日本のマスコミは、米国の報道機関などを引用したりしているのだが、この米マスコミは、完全に民主党寄りで米国の実情を伝えていない。

こんなふうにして、米国が核の傘どころか日本そのものも守ってくれないのではないかと言う疑惑を警告したと言うのが、この「安倍首相の靖国参拝」の意義なのではないかと思われる。


★米国は、日本の国民世論を読み違えたことに気づいて、既に「靖国問題」での報道を修正している。
それと共に、日本は有力な同盟国であると言うことも再度強調している。
(2014/01/01現在)

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2009年3月 3日 (火)

雑誌「諸君!」の意図的・休刊疑惑はありや

雑誌「諸君!」の意図的・休刊疑惑はありや

今日のニュースには、「文芸春秋のオピニオン誌の月刊「諸君!」が、5月1日発売の6月号で休刊することが3日、分かった。」(産経新聞)
「諸君!」と言うのは、実は最近書店で売っていないことが多い。
あっても1冊か2冊程度。
この現象は、ここ2-3年のことなのである。
この手の保守派の雑誌というのは、最近では公立図書館にも置いてあるようになって大分普及してきたように思う。
しかし、本屋に売っていないのであれば販売部数が増えるはずがないと言うものだろう。
ここで穿った見方をすれば、発行部数を徐々に減らして意図的に廃刊したのではないかという疑惑だ。
なぜなら、本家「文藝春秋」は元々保守派の雑誌と言う事になっていたが、左派系の雑誌が廃刊になったために今では、保守派の最左派、左派論壇と呼ばれるようになってきた。
この様な疑似保守派、左派系論壇の特徴というものは、物事を大上段に取り上げるものの最後は尻つぼみで結論を言わないというところにある。
だから、「それでなんだ」と問い詰めたいところなのだが、結局曖昧にして逃げしてしまう。
残るのは、大上段に構えた中身の伴わない「見出し」だけである。これではゴシップ週刊誌と同じではないかと言うものだが、「文藝春秋」も似たようなところがある。
それに比べ「諸君!」は、はっきり物を言う雑誌というか、はっきり物事を言う論者の文章が掲載されている。
そうは言うものの保守派と今では似非保守派と変貌した論者のまだらな論壇である。
「諸君!」でも以前は「保守派」として通用した人達が、時代の変化、又隠されていた真実が明らかになるにつれ「左派人士」に数えられるようになっている。
以前は、秦 郁彦氏なども「諸君!」に保守派論客として登場して喝采を博したものだが、よくよく読み返してみると本当は妙だったりする。
そのためか、その人達の追求が昨今「諸君!」(例、「田母神俊雄=真贋論争」を決着する / 秦 郁彦 西尾幹二)紙面でもなされている。
そして、保守派論壇誌でありながら「保阪正康  ナショナリズムの昭和(41)」という昭和史の虚構を掲載し続けているというのは実に妙であった。
保阪正康氏の「ナショナリズムの昭和」が虚構であるというのは、マッカーサーによる検閲によって言論統制されていた新聞、雑誌を端にして論考をしているからである。
そしてその検閲に協力するか、GHQの検閲を恐れて事実をねじ曲げた世情、政治をそのまま昭和の「本当の歴史」として綴っている憤懣さに尽きる。
これは、西尾氏が批判している秦 郁彦氏などと同じトラウマに毒された人物で、同じ様に新たに明らかになった歴史的な事実を無視する。
それで、日本に不都合と思われるところは、不確実なものまで積極的に取り入れる姿勢である。これは、正に東京裁判史観というものなのだろう。

こんな風に穿った見方をするとすれば、今では論壇「左派」になってしまった「文藝春秋」の政治認識に対して、「諸君!」は右に寄りすぎていると思ったのではないかと言う事だ。

実際、「諸君!」を出している文藝春秋社というのは、妙な会社だと思ったもので、休刊、廃刊となれば、やはり「諸君!」論調には耐えられなかったかと思うものである。

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2009年2月17日 (火)

「ホームレス中学生」麒麟・田村裕氏のお寒い精神構造

「ホームレス中学生」麒麟・田村裕氏のお寒い精神構造

2009年2月16日日本放送「テリーとたい平 のってけラジオ」に麒麟・田村裕氏が登場した。
題して「1ヶ月のホームレス生活から印税2億円の結末は」なのだが、特集テーマは、「スペシャルプログラム『これで人生大逆転!幸せつかむ3つの魔法!』」
田村裕氏の「幸せつかむ3つの魔法」とは、
・ピンチはチャンス
・ノープライド
・笑顔
と言うのだが‥‥   
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
田村裕さんの幸せつかむ3つの魔法】
1.ピンチは、チャンス→
「何で俺が・・・」と嘆く前に、「こんな体験めったに出来ないぞ」と思えるように
2.ノープライド→
プライドを持たずに全てをさらけ出せば、道は開けると知った。
3.笑顔→
結局、楽観主義が大事。どんな状況でも笑っていられるようにと思っています。

「テリーとたい平 のってけラジオ」HP2009/02/16版より
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
麒麟・田村裕氏というのは、「ホームレス中学生」という自叙伝で有名になって、お笑い芸人としては、元々余り知られていなかったような人物だ。
それで「ホームレス中学生」から一躍時の人となって今に至る。
しかし、小生は「ホームレス中学生」を読んでいない。
なぜかと言えば、TVなどにで出て来た麒麟・田村裕氏と書評で大好評な「ホームレス中学生」の主人公とは違うのではないかと思うことだ。
そして、ラジオでその生き方などを聞いてみると益々違うと思わざる終えない気がする。
本の書評の95%のまでが、「高評」で「田村さんの優しさ、謙虚さ、人柄が感じられて好感が持てます。」と言うような事が大方一致する。
その他の少数が、どうも脚色しすぎではないかという実際の事柄との乖離を指摘する。
例えば、「破産」という事になって「差し押さえ」の紙が貼られたとする。
しかし、 実際に生活に必需品というのは差し押さえすることが出来ない。なぜなら、憲法で保障されているからである。例えお金があったとしても、「生活費」と言う名目ならこれも保障される。
だから、「ホームレス中学生」本人の学校の教科書などのものなど、差し押さえの対象にもならない。だから、何も持たずに野宿するというのは考えられない。
又、他の兄弟もしかりなのである。
して、もっとおかしいのは社民党党首「福島みずほ」氏が(子供が18歳になったら家族解散式をすると常々)主張するように、父親が「家族の解散式」をやって蒸発してしまうことだろう。
そんなことはともかくも、麒麟・田村裕氏と言うのが今時珍しい境遇で育った事は分かる。
そして、その境遇から学んだことが上述の3箇条なのかと思うとうら寂しいものがある。又「書評」にある通り、田村裕氏は「他人による施しによって」助けられたのであって、
そのような助けを受けられない、より過酷な境遇で成功している人物もいるからある意味幸運と言うべきなのではないだろうか。
考えてみれば、親戚は縁者はいないのかだろう。
実に不思議な家族なのだ。
TVでの印象で非常に妙だったのは、日テレ系の「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」で「相続」と言うことに関しての議論だった。
題材は、「相続」の禁止の否か。
田村裕氏は、森永卓郎氏も太田光氏と同じように「相続」禁止派に属し、子(孫)に残すものはないとか、子供は無一文で‥‥と言うような事を言っていたような気がする。
相手は、狂言師の和泉元彌。
伝統芸能だから、先祖伝来衣裳の継承など伝統芸能と「相続」とは切り離せないものがある。そこで衣裳などは、太田光の「和服を洗えばよい」という無知な発言に苦笑という馬鹿な場面もあった。
ここで、森永卓郎氏もオモチャ博物館のようなものを作って実際「相続」とは縁が切れそうもない人物だが、言行不一致の人物であるが故に無視する。
しかし、この田村裕氏は和泉元彌氏の意見を聞いて呆然としていた顔が忘れられないのである。
さて、「ピンチはチャンス」‥‥何か意味が違うのではないかと小生なら思う。本来この体験から何か別の「考え」が普通浮かぶはずなのではないか。
この言葉はよく言う事なので、多少軽薄感を覚えるというものだ。
2.ノープライド
これも微妙に違う。
ノープライド‥‥とは、本来「誇り、自尊心、矜持(きょうじ)」と言うものは、本来持っているからこそ一時的に捨てられるのであって、人はその「プライド」を取り戻そうと努力すると言うのが本来の姿だ。
そして、その「ブライド」が捨てられない、「馬鹿になりきれない」からろくな事にもならないと言うこともある。
しかし、「ノープライド」ではない。
そして、「テリーとたい平 のってけラジオ」のHPでは「プライドを持たずに全てをさらけ出せば、道は開けると知った。」と書いてあるが、実際はそんなことを言っていない。
言っているのは「プライドを持たない」「貧乏は怖くない」なのである。
別の言い方をすれば、「人に集って(たかって)生きる」と言うことである。
依存心が強く、「奴隷の平和」を享受するのを本望とすると思えてならない。

そして、3.笑顔。
これだけは良しとしよう。

ここので書いてくるとやはり妙だと思うのは、田村裕氏は多少嘘をついているか、つかされていると言うことだろう。
書評に戻れば「優しさ、謙虚さの人柄」なのだが、どう考えても決して「優しく」ない。
なぜなら、「相続」の場面でも見られたように、自分の子供にも辛い思いをさせても構わないと言うふしがある。
それは、「貧乏は怖くない」と主張することであって、本当は「怖い」に違いないのである。
そして、もし過去の自分と同じようなことが起きれば、自分を守るために容赦なく自分の父親と同じように「家族を捨てる」という事も想像させてしまう。
はっきり言って、田村裕氏の父親も「自分だけが可愛いエゴイスト」。
田村裕氏は、種々のインタビューを聞いてみても「感謝する」「恩返しをする」という言葉は聞こえなかった様な気がする。
そして、田村裕氏が言っていたのは、「ホームレス中学生」の印税で家を父親にプレゼントするという事だけである。
結局、田村裕氏というのは「身びいき」で、自分から何か貢献しようという感じが見られない。当然、世の中の役に立ちたいという「矜持」は見られない。
女性から見たら、こんな人物に将来を託すとは思わないだろう。
理由は、今まで述べてきた事で事足りるのである。

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2008年10月 9日 (木)

書道芸術院秋季展 2008その4 図録届く

書道芸術院秋季展 2008その4 図録届く

2008.10.9
書道芸術院秋季展も終了して、あと少しで1週間と言うことになる。
そんな少し忘れた頃に「図録」が届いた。



ああ、いつもの作品集かと思って開いて驚いた。
なぜなら、写真の色が薄い。本来農墨で書いたはずの作品が、青墨ないしは淡墨になってしまっている。
中には、超農墨で書いてあるはずなのに、光に墨が反射して半分灰色に‥‥とはどんな写真の撮り方をしたのだろうと思う。
以前は、6×7のリバーサルで撮ってあるような事が多かったが、毎日書道展の写真撮影を見てもキャノンのEOS1Dというデジタルカメラだった。
それをノート型パソコンでモニターして、リモートコントロールする。
だから、色がおかしいと言うことはほとんどあり得ない。



作品集は、この様に何やら全体に薄ぼけている。
写真は、これでも黒く写っている方で、実際に会場で撮った写真を見ると一目瞭然だろう。



こんな風であると、作品集を見る限り、実際の作品との乖離が甚だしくなって、賞をもらった人より入選の方がよく見えたりする。
何と言っても、書は黒いところは黒くないとおかしいものである。
それでいつもの業者が作品集を作っているかと思ったら、別の業者だった。



但し、作品集も黒ばっかりだと品がないが、薄ぼけた作品集だと何か拍子抜けがする。
そして、よくよく見ると作品集の厚みが薄いし、あとの住所録も省いてある。
要するに、経費節減というのは、作品集にも来たか‥‥というもの。
実際、デジカメで作品の写真を撮るとしても、結構画素数の大きなものでないと詳細が写らないと言うこともあった。
もっとも、最近のデジカメはコンパクトカメラでも1200万画素くらいあるから、新聞の取材でも使えるというものだ。

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2008年8月27日 (水)

ハリー・ポッターと死の秘宝 日本語版への疑問  その2

ハリー・ポッターと死の秘宝 日本語版への疑問
  その2

「ハリー・ポッターと死の秘宝」の静山社の日本語訳。
原書を読むと「なぜ」という事ばかりなのだが、特に目に付くのが原作者ローリングが二つの意味で使っている言葉である。
たとえば、第25章 Shell Cottage(シェル コッテージ)。
この訳は「貝殻の家」。
しかし、Shellはシェルター(英:shelter)という造語があるように単なる貝殻ではない。しかも、Cottageは「別荘。コテージ。」と訳されるように洒落た別荘の様なもの。
確かに貝殻のように白く輝く家に相違ないが、だからと言って「貝殻の家」と訳されると何やら貧相ではないか。
そして、不思議なのは原書で「大文字」なっている固有名詞などが固有名詞扱いしていないこと。
「その1」で示したように「Millamant`s Magic Marquees」を固有名詞として扱わなかったと同じである。
その大文字を無視した部分を示してみる。

第21章 The Tail of the Three Brothersから
(英国版原書p331)
So the oldest brother who was a combative man,asked for a wand more powerful than any in existence: a wand that must always win duels for its owner,a wand worthy of a wizard who had conquered Death!So Death crossed to an elder tree on the banks of the river fashioned a wand from a branch that hung there,and gave it to the oldest brother.

分かりやすくするために、なるべく直訳で訳してみると‥‥‥

「それで、闘争的であった一番上の兄は、存在するどんな魔法の杖よりもいっそうパワフルな魔法の杖を求めた。
常に、その所有者のために決闘で勝たなくてはならない魔法の杖。
「死神」を征服した魔法使いにふさわしい魔法の杖!
それで、「死神」は川の土手のニワトコの木に行って、そこに下がっていた枝から魔法の杖を作って、最年長の兄に与えた。」

ここで、Deathと大文字で書かれると、「死」ではなくて「死神」と辞書には書いてあるし、その様に理解している。
しかし、訳文では『死』なのである。
ここで『死』と訳してしまうと後で出てくる「master of Death」 ‥静山社日本語訳では「死を制する者」が曖昧になる。
「master of Death」とは、死神のマスター(主人)、即ち「永遠の命」ということである。

又、第32章の「The Elder Wand」。
これも一貫して「ニワトコの杖」なのだが、確かに上述の通り「ニワトコ」の枝から作ったものだが、「the Elder Wand」となったら「ニワトコの杖」ではおかしいのではないのだろうか。これもelderとは一般には「高齢者、年長者」の意味だ。
‥‥とすれば、兄弟の年長者の最強の魔法の杖を意味して、単なる「ニワトコの杖」では物語が散漫になる。
しかも、後半では「」も付かないニワトコの杖で表現している。
たとえば、

I`m putting the Elder Wand,‥‥‥

の訳も「僕はニワトコの杖を‥‥」だ。
伝説的なElder Wandはもそんなに軽いものではないと物語を読むと誰でも思うのだが、訳者どう思ったのだろうか。

ちなみに、訳者はあとづけで「児童書」と言い放って、かなり無理な訳も言い逃れする気なのだろうか。
しかし、原書はアダルト版と児童書版とあるのだが、中身は一緒だ。
それにしても、何か日本語訳を読むと全く面白くない。
なんと言っても毎度言うように情景が浮かんでこない。

原作者ローリングは風景を描くとき、この小説に出で来る情景を過去の映画の一シーンの一部を切り取ったような風に書いている。
そんな状況が思い浮かべば、本当にイメージが膨らむものだ。
しかし、平易な日本語文に変えられたら何も分からないと言うものではないか。

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2008年8月19日 (火)

ハリー・ポッターと死の秘宝 日本語版への疑問  その1

ハリー・ポッターと死の秘宝 日本語版への疑問  その1

「ハリー・ポッターと死の秘宝」の静山社による日本語版を読まれた人も多いだろう。
日本語版が発売されてそろそろ1ヶ月経つ。小生もネットショップに予約していたから発売日の朝、宅配業者から本が届いた。
発売されて読みたくて直ぐに読んだかと言うと、梱包を解いて中身を確認したまま実は「積ん読」であった。なぜなら、既に原書「Halley Potter and the Deathly Hallows」は読了していたからである。
日本語の題の「死の秘宝」と言うのも妙な題だとそのうち考えて行くが、まず日本語版を読み進めて行くと「あっという間」に読めてしまうものである。しかし、残るのはスジだけ。その小説の情景というものがさっぱり浮かんでこない。だから映画になって「ああ~あんな状況なのか」と改めて再確認するという馬鹿な事が起こる。
それでなぜ読者のイメージが膨らまないのかとここで少し重箱の隅を突いてみたいと思う。
その重箱の隅の隅は、第一章「The Dark Lord Ascending」日本語版「闇の帝王動く」から。まず、ルシウスの大豪邸の表現。
原書では「handsome manor house」これを「瀟洒な館」と表現している。
確かに間違いない訳なのだが、本文でも分かるように「館」とは英国で見られるように貴族の城と言うものである。普通辞書を引けば「manor house」とは「領主の館」と言うもので普通の民家とは別物である。日本人なら英国貴族の城とは想像せず飛ばしてしまうかも知れない。
次に、時間いっぱいに到着する二人のDeath Eaterに対して、「遅い、遅刻すれすれだ」と闇の帝王が発言する。
しかし、原書では「You are very nearly late.」と如何にも貴族じみた言葉で、粗野な言葉遣いをしていない。実はそう言う貴族階級の実に嫌みったらしい言葉遣いが帝王の凄みを感じさせている。
そんな感じて、第三章のダーズリー家のバーノンおじさんのイライラ感が伝わってこなかったし、色々な重要ポイントで外すのはどういう事なのだろうか。
例えば、第7章「アルバス・ダンブルドアの遺言」でジニーとのラブシーンがある。この小説の唯一のラブシーンなのだが(実はもうひとシーン有)、前提の結婚式の準備の喧噪・誕生日の慌ただしさが背景になってここが成立する。
そこで変なのが「ミラマンのマジック幕‥‥‥とってもいいテントよ。以下略‥‥」と言う部分の訳。原文は「Millamant`s Magic Marquees」要するに今で言う宴会専門業者というもの。せめて「ミラーマン・魔法テント社」ぐらいの表現ならよく分かる。
そして、ジニーとのラブシーンでの最高潮の部分。
「私、そういう希望の光を求めていたわ」
原文は、「‘There’s the silver lining I’ve been looking for,’she whispered」で非常に素晴らしい表現なのである。実は、Every cloud has a silver liningという英国のことわざから来ているフレーズで単に「希望の光」ではないことがわかる。
日本語版では、短縮してしまったために、ジニーがハリーと別れるのに悲しくしようがない意味合いが薄れている。
実は、小生も最初「そこには、私が探し求めていた『明るい希望』があるのね。」と訳したが、やはり「そこに一縷(いちる)の『明るい望み』があるのね、私、それを探していたの」の方が情感がこもる。
ここの部分を原文に当たって訳していたので日本語版から見ると「つたない訳」だが、雰囲気を分かって欲しい。
…………………………………………………………………

「ハリー、ちょっとの間、ここに来ない?」それは、ジニーだった。
ロンは、突然止まった。しかし、ハーマイオニーは、ひじで突いて彼を連れて行って、
2階までロンを引っ張っていった。

ビクビクした感じで、ハリーは、ジニーの後について彼女の部屋に入った。
彼は、以前にも一度もその中に入ったことはなかった。
そこは、小さく、しかし明るかった。

壁には、魔法使いバンド「ウィード・シスターズ」の大きなポスターがあった。
他には、全魔女クィディチ・チーム「ホーリヘッド・ハーピーズ」のキャプテン、グエノグ・ジョーンズの写真。
机は、果樹園に面した開いた窓に面して置いてあった。
そこでは、ハリーとジニーは、クィディチでロンとハーマイオニーと両側に分かれて一回対戦したことがあった。そして、そこには、今や大人数を収容する真珠のような白い大きなテントがある。
てっぺんの金色の旗は、ジニーの窓の位置まであった。

ジニーは、ハリーの顔を見上げて、深呼吸して言った。
「17歳、誕生日おめでとう。」
「いゃ~ ありがとう」

彼女は、彼をなめいるように見ていた。しかしながら、ハリーは、彼女に振り返る事は難しかった。それは、まぶしいライトを凝視するようだった。

「良い眺めだ。」彼は、窓の方を指し示しながら弱々しく言った。
彼女は、これを無視した。彼は、非難は出来なかった。

「私、あなたに上げるものを考えることが出来なかったわ」と彼女が言った。
「君は、僕のために何も手に入れなくても良いのだよ。」
これも、彼女は同じく無視した。
「私、どんなものが有用なのか分からなかった。あまりに大きくないもの、なぜなら、あなたがそれを持って行くことが出来ないであろうから。」

ハリーは、彼女をちらりと盗み見た。

彼女は、涙ぐんでいなかった。それは、ジニーに関して、多くのすてきなことの中の一つだった。 彼女は、滅多に泣き虫でなかった。

ハリーは、6人の兄弟を持っていることが彼女を強くしたに違いないと、時々思っていた。
彼女は、ハリーに、より近くに近づいた。

「それで、それから私、考えたの。私を覚えていて欲しい何かをあなたにもって欲しいって。あなたが行動しているどんなときでも、あなたが休んでいるときも、もし幾人かの『ヴィーラ』に出会ったときでも、あなたには覚えていて欲しいの。」

「僕は、デートしている機会なんて、ほとんどあり得ないだろうと思うよ。正直なとこ。」
「そこに一縷(いちる)の『明るい望み』があるのね、私、それを探していたの‥‥」彼女はささやいた。

そして、それから、彼女は前にハリーに一度もキスしたことがなかったように、彼女はハリーにキスをした。
そして、ハリーは彼女にキスを返した。
それは、ファイヤー・ウィスキーを越える幸せに満ちあふれた、忘却の状態だった。

彼女は、世界中で唯一の現実のものだった。ジニー、彼女の感触、彼女の背中の手、彼女の長い、甘く臭う髪。
彼らの後ろのドアが、バタンと音をたてて開いた。
とたん、彼らは飛び退いて離れた。
「おぅ、ごめんな」とロンが鋭く言った。
「ロン!」

………………………………………………………………………
ハリーというのは、少し内向的で皮肉屋の面がある。
このシーンではハリーは照れくさくて、部屋中を眺め回し窓から外を見ていて、中々ジニーに目を合わせようとしない。別のシーンで見つめ合ったりしているのにである。
‥‥そんな雰囲気を出して訳出した。
実は、「found it difficult to look back at her」をどう訳すかで多少意味が違ってくる。
look backは、辞書で調べると「振り返る・振り向く」で「見返す」という事は書いて無かった。
日本語版では、「見つめ返す」の表現になっている。
以下原文‥‥

‘Harry,will you come in here a moment?’It was Ginny.
Ron came to an abrupt halt,but Hermione took him by the elbow and tugged him on up the stairs.Feeling nervous,Harry followed Ginny into her room.
 He had never been inside it before.It was small,but bright.There was a large poster of the wizarding band the Weird Sisters on one wall,and a picture of Gwenog Jones,Captain of the all witch Quidditch team the Holyhead Harpies,on the other.A desk stood facing the open window which looked out over the orchard where he and Ginny had once played two-a-side Quidditch with Ron and Hermione,and which now housed a large,pearly-white marquee.The golden flag on top was level with Ginny’s window.
 Ginny looked up into Harry’s face,took a deep breath and said,
‘Happy seventeenth.’
 ‘Yeah...thanks.’
 She was looking at him steadily;he,however,found it difficult to look back at her;
it was like gazing into a brilliant light.
‘Nice view,’he said feebly,pointing towards the window.
 She ignored this.He could not blame her.‘I couldn’t think what to get you,’she said.
‘You didn’t have to get me anything.’She disregarded this too.‘I didn’t know what would be useful.Nothing too big,because you wouldn’t be able to take it with you.’
 He chanced a glance at her.She was not tearful;that was one of the many wonderful things about Ginny,she was rarely weepy.He had sometimes thought that having six brothers must have toughened her up.She took a step closer to him.‘So then I thought,I’d like you to have something to remember me by,you know if you meet some Veela when you’re off doing whatever you’re doing.’
‘I think dating opportunities are going to be pretty thin on the ground,to be honest.’
‘There’s the silver lining I’ve been looking for,’she whispered,and then she was kissing him as she had never kissed him before,and Harry was kissing her back,and it was blissful oblivion,better than Firewhisky;she was the only real thing in the world,Ginny,the feel of her,one hand at her back and one in her long,sweet-smelling hair.
 The door banged open behind them and they jumped apart.
‘Oh,’said Ron pointedly.‘Sorry.’
‘Ron!’

それにしても、上巻の中で最も酷いものは「Trace」と「Deluminator」に尽きるのではないかと思う。
「Trace」は、日本語版では「臭い」と表現する。
Traceこれは「未成年者魔法・追跡魔法」とでも言うべきもので「臭い」という表現では違和感がありすぎないかというものだ。Tracerには曳光弾という意味があって、臭いではおかしい。単に「追跡魔法」でも良かったのではないか。
「Deluminator」は、ロンが貰ったダンブルドアからの遺産。
これを単に「灯消しライター」と訳してしまうところに何やら、軽薄感がある。
なぜなら、第1巻で違う表現で出ているからだ。
その他、ロンが下品な言葉を散々放つが、「Merlin`s ‥‥‥」の部分で最初はそれなりの「言葉」の表現だったのが、その後いきなり「マーリン‥‥」が出てきても何を言っているのか分からないだろう。
Merlinというのは、英国アーサー王時代の魔法使いで、知っている人は知っていても何を意味するのか分からぬというもの。
下品な言葉だから、どうでも良いと言うものではない。

こう書くと大した事ではないと思うかも知れない。しかし、全般的にこんな調子で訳されると原文の良さが伝わってこない。
当たらずとも遠からずの訳ではあるが、日本語版は、大方細部を省略して単純な言葉にしてしまっている様な気がする。

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2008年7月24日 (木)

『日本経済を襲う二つの波』リチャード・クー著・クーが絶対書かない日本の処方箋

R・クー氏は以前経済に関して、妙なことを言っていた。
それは、クー氏が米国籍を持っていたかどうか忘れたが、忠誠心から第一に米国の利益を考え、次に日本経済などをその原則から踏まえて発言すると言っていたことだった。
だから、本来日本の利益になるものの、米国の利益にならなければそう言う助言はしないと言うことだ。
そう言う観点から見ると、クー氏の著書にはすっぽりと何かが抜け落ちていることが分かる。
かって、中曽根元首相とレーガン大統領が「ロン・ヤス」関係を作ったとはいうものの、そんな甘い話ではない。
本当のところは、日本から「金と軍事技術を含む技術」を無制限に米国に供与するという密約(?)であって、その通り日本は米国に言われるままに米国に投資し、技術を注ぎ込んだ。

しかし。現実問題として日本がいつまで米国に資金提供できるのかと言うことである。一方日本と同様に中国米国に資金提供してきた。
ここで、叩けば借金までして金を出す日本より、まだまだ金を出せそうな中国の方が魅力的と言うことだろう。

すなわち、クー氏が言わないことは、日本が米国から資金を回収することである。
米国から資金が逃げれば当然サブプライム問題は長引くし、益々米ドル不安は高まる。当然、ドル安となって事実上投資している金は紙くずに近づく。
そもそも、世界が米国に注目するというのは、米国は消費社会であると言うことに尽きる。
そのために国民は、預金もろくにせず消費に走り、世界にその金がばらまかれたと言うことなのだが、その元々の金が日本の投資資金だとしたら目も当てられないのではないか。

日本に資金が還流すると言うことは、日本の金利が米国より上回ることであって、そのことにより「リスク」を考えれば、一斉に日本の資金が国内に戻ることを意味する。
そして、それはデフレの終了を意味する一方、米国は金融不安から抜けられないことになる。
要するに、基軸通貨として維持することが出来なくなると言うことだ。

クー氏は絶対に米国の不利になるような経済政策は言わないのが分かる。

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2008年7月23日 (水)

原書HalleyPotter&the deathly hallows「ハリー・ポッターと死の秘宝」を読んで

HalleyPotter&the deathly hallowsの原書版を読んで思うことがあった。
‥‥但し、ネタバレなし。
「ハリー・ポッターと死の秘宝」は、巻の最終章に相応しい。
だから今まで、何の説明もなく突然出てきた事柄の説明をしている。
当然、Halley・Potterについても多少の素性も明らかになる。
なんと言っても、第1巻「賢者の石」のグリンゴッツ銀行に多額の預金があるというのが不思議ではなかったか?
そして、「名前を言ってはいけないあの人」は、なぜ名前を言ってはいけないのかなど。

こんな風に見てゆくと、第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」という題名の「賢者」というのがおかしいにに気づく。
当然、原題には「賢者」などと言う表現は使っていないし、解決編第7巻から読み取れることからも、誤訳に近い。
又第5巻ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団Harry Potter and the Order of the Phoenixの訳もおかしいし、 第6巻ハリー・ポッターと謎のプリンスHarry Potter and the Half-Blood Princeでは、重要な意味合いが薄れてしまう。
第7巻ハリー・ポッターと死の秘宝 Harry Potter and the Deathly Hallowsの題名の訳も直訳に近く、やはり変だ。

第7巻では、Order of the Phoenixが当然活躍するが、決して騎士団ではないことが分かる。
もし、騎士団だとするとダンブルドアは国王又は、それに準じる人物になってしまう。
事実、Orderというのは日本語になじまない階級社会から来る言葉で、日本語で言えば「結社」ぐらいなもの。
正確には、「レジスタンス」だ。

この様に、原文に当たると色々な疑問がわき上がる。
それにしても、各種のブログに第7巻のネタバレ「あらすじ」が書かれている。
しかし、この訳に誤訳が多いのには驚かされた。
どうしてそんな訳になるのか、後半重要な部分に関連することなのになぜという部分が多々あった。

「あらすじ」のブラフでと言うこともあるが、結構「原書」に書いていない事も「飛躍して」書かれるというのは、驚きであった。
だから、そんなあらすじを読んでから、そんなことが書いてあったのか確かめる様なこともあった。

実際、訳本が出版されてしまうので、途中から日本語訳をせずそのまま読んだために、実際結構読みミスと言うところもあるものだと思うが‥‥
あらすじを書く以上ね。
今日朝8時に、宅配便で「ハリー・ポッターと死の秘宝」(静山社刊)が届くことになっている。

自分が読んだ原文とどのくらい違った訳になっているか、そのうちボチボチと読もうと考える。
しかし、原書と何やら散漫な訳本とは、基本的に違う物である考えるものではある。

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2008年6月23日 (月)

これが大学生が読むべき本か?

「古今東西の名作から大学生の読むべき50冊」

(東海大学湘南キャンパス・シンポジウム・パネリストは文学部文芸創作学科の教員5人と芥川賞作家の川上未映子。事前に提示されていた150冊以上のなかから公開でセレクト。定番の作品からやや異色のものまで50冊が出そろった。
東海大からは教授の辻原登、長谷川櫂、山城むつみ、准教授の堀啓子、室井光広の5氏が登壇。)(産経新聞)


‥‥これは高校生が読む50冊かと思った。

中には、高校の授業で習うものや読んでも仕方がない様な本もいろいろとある。
夏目漱石の「吾輩は猫である」など中学時代から何回も挑戦して結局最後まで読めなかった。
その代わり、「坊っちゃん」は小学校から高校まで何回か読み直した。
なぜなら、小中高と年齢が進んで行く内に、評価、内容を再確認するからだ。
日本の本に大江健三郎の本が抜けているのは面白い。大江健三郎の「死者の奢り」から一連の短編小説というのは高校時代に何やら読まされたものだ。
それにしても、あの悪文の代表と言うべき文章は、反面教師として良い勉強になったものだ。多分こんな本を選んだ選者というのは何を考えているのかね。
この大江健三郎の作の中で「ゼフンティーン」という作は、全く別物といえる大江作でやはり是非読んでおく必要がある。
しかし、この選者では誰も知らないかもしれない。
そして、あまり読みたくない本ばかりというのは、元々150冊を選んだ段階で省かれているのだろう。
大学生が読むべきなのかはよく分からないが、伊藤整の「氾濫」など確か高校生で読んでいた。

「海外」とした作品は、大方映画になったり、ダイジェストで知られているものが多い。
カフカの変身は中学生の頃、但し感想文を書かされたから何度も読まされた。こんなものは、実は面白くない。
不思議なことに、「三国志」が入っていない。
これは、中国というものを論じるとき又、人物を論じるときの基本だ。
高校時代に全部読んでしまったのか、もっとくだらない小説が入っているからそうではないだろう。
読んでおくものとすれば、雑誌諸君に掲載された
「中学教師に薦める・必携・現代教養の一〇〇冊・一国の文化水準は、中学生の読書の質にあらわれる――。純文学から冒険活劇まで、青春の日にこそ読むべき本を、世代を超えて語り尽そう」
の中に入っていた「戦争の嵐」The Winds of War (1971)ハーマン・ウォーク・も入っていなかった。
ジョン・ルカレ[Le Carr´e,John]「寒い国から帰ってきたスパイ」などは少しカルトすぎるか?
いずれにせよ、現代社会の考察する本がないのは、そう言う感覚がない人達のものだろう。

そして、「危険な関係(ラクロ)」‥‥こんなアンシャンレジーム末期のフランスを描いた本。
これは、そのときのフランスの時代背景を知らないと結構深い意味が分からない。
法服貴族と武闘派貴族の違いが分からなくて、本が読めるかと言うものだ。
多分選者も中身は分かっていまい。

■学生が読むべき50冊

【日本】

 万葉集▽源氏物語(紫式部)▽平家物語▽徒然草(吉田兼好)▽おくのほそ道(松尾芭蕉)▽歎異抄(唯円/親鸞)▽心中天網島(近松門左衛門)▽山椒大夫・高瀬舟(森鴎外)▽吾輩は猫である(夏目漱石)▽たけくらべ(樋口一葉)▽武蔵野(国木田独歩)▽金色夜叉(尾崎紅葉)▽瘋癲老人日記(谷崎潤一郎)▽病床六尺(正岡子規)▽きりぎりす(太宰治)▽堕落論(坂口安吾)▽遠野物語(柳田國男)▽様々なる意匠(小林秀雄)▽豊饒の海(三島由紀夫)▽富士日記(武田百合子)▽第七官界彷徨(尾崎翠)▽春宵十話(岡潔)▽「いき」の構造(九鬼周造)

【海外】

 紅楼夢(曹雪芹)▽千夜一夜物語▽イリアス(ホメロス)▽聖書(旧訳・新訳)▽ハムレット(シェークスピア)▽嵐ケ丘(エミリー・ブロンテ)▽インドへの道(フォースター)▽フィネガンズ・ウェイク(ジェイムズ・ジョイス)▽ナイン・ストーリーズ(サリンジャー)▽タイタンの妖女(カート・ヴォネガット)▽幸福論(アラン)▽危険な関係(ラクロ)▽感情教育(フローベール)▽赤と黒(スタンダール)▽夜の果ての旅(セリーヌ)▽失われた時を求めて(プルースト)▽ファウスト(ゲーテ)▽資本論(マルクス)▽ブッデンブローク家の人々(トーマス・マン)▽精神分析入門(フロイト)▽変身(カフカ)▽ドン・キホーテ(セルバンテス)▽ゴッホの手紙▽魅せられた旅人(レスコフ)▽白痴(ドストエフスキー)▽カラマーゾフの兄弟(ドストエフスキー)▽戦争と平和(トルストイ)

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これが大学生が読むべき本か?

「古今東西の名作から大学生の読むべき50冊」

(東海大学湘南キャンパス・シンポジウム・パネリストは文学部文芸創作学科の教員5人と芥川賞作家の川上未映子。事前に提示されていた150冊以上のなかから公開でセレクト。定番の作品からやや異色のものまで50冊が出そろった。
東海大からは教授の辻原登、長谷川櫂、山城むつみ、准教授の堀啓子、室井光広の5氏が登壇。)(産経新聞)

‥‥これは高校生が読む50冊かと思った。

中には、高校の授業で習うものや読んでも仕方がない様な本もいろいろとある。
夏目漱石の「吾輩は猫である」など中学時代から何回も挑戦して結局最後まで読めなかった。
その代わり、「坊っちゃん」は小学校から高校まで何回か読み直した。
なぜなら、小中高と年齢が進んで行く内に、評価、内容を再確認するからだ。
日本の本に大江健三郎の本が抜けているのは面白い。大江健三郎の「死者の奢り」から一連の短編小説というのは高校時代に何やら読まされたものだ。
それにしても、あの悪文の代表と言うべき文章は、反面教師として良い勉強になったものだ。多分こんな本を選んだ選者というのは何を考えているのかね。
この大江健三郎の作の中で「ゼフンティーン」という作は、全く別物といえる大江作でやはり是非読んでおく必要がある。
しかし、この選者では誰も知らないかもしれない。
そして、あまり読みたくない本ばかりというのは、元々150冊を選んだ段階で省かれているのだろう。
大学生が読むべきなのかはよく分からないが、伊藤整の「氾濫」など確か高校生で読んでいた。

「海外」とした作品は、大方映画になったり、ダイジェストで知られているものが多い。
カフカの変身は中学生の頃、但し感想文を書かされたから何度も読まされた。こんなものは、実は面白くない。
不思議なことに、「三国志」が入っていない。
これは、中国というものを論じるとき又、人物を論じるときの基本だ。
高校時代に全部読んでしまったのか、もっとくだらない小説が入っているからそうではないだろう。
読んでおくものとすれば、雑誌諸君に掲載された
「中学教師に薦める・必携・現代教養の一〇〇冊・一国の文化水準は、中学生の読書の質にあらわれる――。純文学から冒険活劇まで、青春の日にこそ読むべき本を、世代を超えて語り尽そう」
の中に入っていた「戦争の嵐」The Winds of War (1971)ハーマン・ウォーク・も入っていなかった。
ジョン・ルカレ[Le Carr´e,John]「寒い国から帰ってきたスパイ」などは少しカルトすぎるか?
いずれにせよ、現代社会の考察する本がないのは、そう言う感覚がない人達のものだろう。

そして、「危険な関係(ラクロ)」‥‥こんなアンシャンレジーム末期のフランスを描いた本。
これは、そのときのフランスの時代背景を知らないと結構深い意味が分からない。
法服貴族と武闘派貴族の違いが分からなくて、本が読めるかと言うものだ。
多分選者も中身は分かっていまい。


■学生が読むべき50冊

【日本】
 万葉集▽源氏物語(紫式部)▽平家物語▽徒然草(吉田兼好)▽おくのほそ道(松尾芭蕉)▽歎異抄(唯円/親鸞)▽心中天網島(近松門左衛門)▽山椒大夫・高瀬舟(森鴎外)▽吾輩は猫である(夏目漱石)▽たけくらべ(樋口一葉)▽武蔵野(国木田独歩)▽金色夜叉尾崎紅葉)▽瘋癲老人日記(谷崎潤一郎)▽病床六尺(正岡子規)▽きりぎりす(太宰治)▽堕落論(坂口安吾)▽遠野物語(柳田國男)▽様々なる意匠(小林秀雄)▽豊饒の海(三島由紀夫)▽富士日記(武田百合子)▽第七官界彷徨(尾崎翠)▽春宵十話(岡潔)▽「いき」の構造(九鬼周造)

【海外】
 紅楼夢(曹雪芹)▽千夜一夜物語▽イリアス(ホメロス)▽聖書(旧訳・新訳)▽ハムレット(シェークスピア)▽ケ丘(エミリー・ブロンテ)▽インドへの道(フォースター)▽フィネガンズ・ウェイク(ジェイムズ・ジョイス)▽ナイン・ストーリーズ(サリンジャー)▽タイタンの妖女(カート・ヴォネガット)▽幸福論(アラン)▽危険な関係(ラクロ)▽感情教育(フローベール)▽赤と黒(スタンダール)▽夜の果ての旅(セリーヌ)▽失われた時を求めて(プルースト)▽ファウストゲーテ)▽資本論(マルクス)▽ブッデンブローク家の人々(トーマス・マン)▽精神分析入門(フロイト)▽変身(カフカ)▽ドン・キホーテ(セルバンテス)▽ゴッホの手紙▽魅せられた旅人(レスコフ)▽白痴(ドストエフスキー)▽カラマーゾフの兄弟ドストエフスキー)▽戦争と平和(トルストイ)


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