消え去った郷土歴史・閨閥の歴史

2017年1月 1日 (日)

ニューイヤー駅伝2017inぐんまを撮影

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例年元旦の朝を彩る「ニューイヤー駅伝」事、「全日本実業団対抗駅伝競走大会」が群馬県前橋市の群馬県庁を起点として開催された。
これがいつから群馬で開催されたのかと調べてみたら「第32回1988年1月1日」と29年前。
以前は随分西の方で開催されていたようだ。
しかし、東京から近く関越高速だと前橋インターから直ぐに中心部に入れるから交通の便は良い。
しかし、毎年9時15分スタートとはいえ風が強くて結構冷えるのがいつもの通りである。
とはいえ、今年は多少暖かかった。
動画と写真の両方を取っている。

2017newy2


カメラメーカー: SONY
カメラモデル: ILCE-6000
レンズ: E PZ 18-105mm F4 G OSS
撮影日時: 2017-01-01 09:17:06 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 40mm (35mm 換算焦点距離: 60mm)
絞り値: ƒ/4.5
露出時間: 0.0031 秒 (1/320)
ISO 感度: 100
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

昨年までは何のカメラを使ったのか思い出せないが、動画はSONY NEX-6だったかもしれない。静止画の方はなにだったかな??
この駅伝が群馬県庁に戻ってくるのが14時くらい。
このときの写真は、Nikon1J5を使っていたが今年はX30で中速度連写した。
こういうコンデジで連写が出来るようになったとは、時代も変わったものである。


2017newy3


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カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X30
撮影日時: 2017-01-01 14:12:00 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 28.4mm
絞り値: ƒ/4.0
露出時間: 0.0025 秒 (1/400)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)


ここ毎年こういう喧噪に包まれて元旦の朝を迎え、神様に初詣、お昼を食べてお寺へ御札をもらいに行くという例年の行事である。
前橋というのは寂れて行くと言われている景気の良くないところである。
そもそも為政者の戦後の市長が20年以上も続けこの辺から停滞が始まった。
その後に助役をしていた人が2代続き、その後合併した郡部出身の市長が市街地の空洞化をさらに進めた。
こういう何十年にも渉り、なにもしなかったので出遅れてしまった。
また今は観光地でもないのに、屋外広告の規制なども始めて前橋市内に金が落ちないのを推進している。
特に年明けに街を廻ってみると、建物があったところが空き地になっている。
これは年寄りが亡くなって跡継ぎは東京などに出ているから住む人もいない。
それで、相続も絡んで売却してしまうか場所が良いところだと駐車場になったりする。
今役所は、公共機関を使うことになっているから市役所周辺の駐車場はパートさんが利用していることが多い。
しかし、給料が安いから高いところは借りる人がいなくて、料金がダンピングされる。
こんなことで、前橋市の景気は良くならないわけだ。

2017newy7

カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X30
撮影日時: 2017-01-01 14:21:48 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 7.1mm
絞り値: ƒ/4.0
露出時間: 0.0033 秒 (1/300)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

しかし、このニューイヤー駅伝なとがあると選手は宿泊するから多少お金が落ちる。
それがこちらに廻ってくれば良いが、そんなことはない。

そんなわけで前橋や群馬で商売が出来れば、全国どこへ行っても成り立つというものである。
思えばヤマダ電機は前橋、ビックカメラは高崎、J!NSも発祥は前橋だったよなと思う。
この年末年始、レビュー機が送られてきてまともに休めないというのは辛いところである。


詳しくはこちらを参照 icon

2016_12_29_2



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2016年11月20日 (日)

1か月早い忘年会・あの「高畑」ホテルで開催

Fujifilm_food100


平成28年11月19日(土)小学校時代の同窓会が開催された。
幹事のある先生(学校の先生ではない)が「ピーチの会」と名付けた小さな集まりは、クラス横断的な地域の集まりになっている。
だからその昔は、学校の周囲2-300mに住んでいた同窓生になる。
時は変わり元の場所には住んでいないというのは殆どで、東京から実家に一時立ち寄る口実になっていたりする。
同窓生の中には、小中高と同じクラスになっていない人もいるし、幼稚園と小中学だったりと様々。
それで二つに分かれた二次会では、小学校時代の裏話や思い出などを繰り出してゆく。
こういうときになると不思議なことに、記憶の箱に収まっていた蓋が開いて妙なことを思い出したりする。
小学校時代のアルバムを開いてみると、3つの中学に分かれたこともあってその後の痕跡が全く思い当たらない人も多い。

Fujifilm_food101


カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X30
撮影日時: 2016-11-19  PM09:13:24
焦点距離: 7.1mm
絞り値: ƒ/2.0
露出時間: 0.067 秒 (1/15)
ISO 感度: 800
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: はい (オート, 赤目軽減, リターン検出)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

戦後のベビーブーマー直下の世代なので、上級生が卒業して55人クラスが45人クラスに編成替えとなった。
その4クラスから5クラスに編成替えになるときに、どの児童が元の組に残るかと言うことがあった。
そこで内々にクラス替えを申し出た人は、他のクラスに6年から移った児童もいた。
そんな昔のことがあっという間に浮かんでくるのだが、「やはりあの人は先生のお気に入りだったか」と思い出したりする。
今の時期になると、人生のある意味での成功者とそうでない人とはっきりと分かれる。
成功者が良い大学を出て、有名企業に就職してという意味ではないと言うところがミソである。
そしてその時の嫌われ者の先生に気に入られたその時優秀だった児童が、その成功者の内に余り入っていないと言うのもご愛敬である。

宴会は、先生の設定で「高畑」事件があったホテルでやったのだが、昔はしゃぶしゃぶなどをやっていたところであった。
今は居酒屋で、量が少ない、不味い高いと三拍子揃った二度と行かないような店だった。

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2016年10月10日 (月)

お祭りで忙しいときにSONYα6500が出た

20161


この3日間、7、8、9日とお祭りとその前夜祭でクタクタになってしまった。
山車を引くと言うこともやるのだが、最近はマンション住民が増えたから敢えてやる必要もなくなった。お祭りの寄付は5,000円、その昔の5,000円といまの5,000円とでは随分と感覚が違う。
しかし、5,000円の寄付をする人は班としては少なく子供がいる家庭と独居老人とでは全く違う。それでも5,000円を寄付しておけば祭りにはコソコソではなく、堂々(個人の気持ちで・・)と参加できるような気が起こるものである。
山車を引くと行っても、中心は小学生以下のお囃子である。所詮爺さんは、金さえ出せばどうでも良い存在というわけである。
実のところ自分としては、こういう山車でお囃子などをやったことがない。それは山車は戦争の空襲で焼けてしまっているから何もなかったと言う理由である。
前橋市も今や旧郡部も市になったから、ものすごい立派な山車が登場することもある。
歴史がなくなってしまったような都市というのは、哀れなものである。

20162

カメラメーカー: RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
カメラモデル: PENTAX K-3
撮影日時: 2016-10-09 14:28:32 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 85mm (35mm 換算焦点距離: 127mm)
絞り値: ƒ/5.6
露出時間: 0.0050 秒 (1/200)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 絞り優先 (セミオート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

20165


20166


それで今年もいつもの通りマーチングパレードを2日間の午前と午後に4回撮影した。
8日は、晴れたので準備万端だったのは良かった。しかし、撮影場所に登場するまで15分~20分もかかるので待っているのが疲れてしまう。
9日の午前中は雨であった。なんでこういうときに雨が降るかなと思うところで、何とか曇りで開催されその分かなり遅れた。
午後は、少し遅れてしまい多少失敗。やはり予想通り早めに出発したようであった。
マーチングパレードの話は、動画編集の時にするとしていつも思うのは、この動画をマルチカムで撮影するのに画像の色合いなどが違ってしまうことが多い。
それでSONYかPanasonicのカメラに統一するかと考え、SONYα6300でも欲しいかなと思っていた。
とはいうものの10万円を越すカメラをおいそれと買うわけに行かない。
買ってみてもテレビに映してみるには良いとしても動画編集には向かないと言うこともある。
実際には、SONYα7 (α7 ILCE)を持っていて動画も撮っていた。ところが動画編集が重いのと、映像が圧縮されるためにあまり綺麗ではなかったので止めてしまっている。
それでSONYα6300はどうか、α6300というのはどうも妙なカメラではあった。
SONYα6000のプラボディがマグネシュウム合金になり、数々の細かい点が改善されたというものの値段が倍というのは頷けない。
それがSONYα6500になって、5軸ボディ内手振れ補正、タッチパネルなどが追加されて漸く他社のカメラ並になった。
価格コムでは、SONYα6500のブリッジ版がα6300だと言われている。
それにしても無理してSONYα6300などを買わなくて良かったと思った。
事実前橋のヤマダ電機では、展示品さえなかったのだから売れない商品だったのだろうと想像できる。

20163


20164

カメラメーカー: RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
カメラモデル: PENTAX K-3
撮影日時: 2016-10-09 15:01:35 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 75mm (35mm 換算焦点距離: 112mm)
絞り値: ƒ/5.6
露出時間: 0.0050 秒 (1/200)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 絞り優先 (セミオート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)


それで多分SONYα6500が発売されると大量のα6300が中古市場に流れると予想される。
現に富士フイルムのX-T1の中古品が今満載である。
60,000円前後で新同品と言うが77,000円程度で新品がまだ買える。
色々と考え物である。
しかし、こういうカメラなどを買うのは勢いというもので、迷っているうちはまず買うことは無理である。
それで新しいカメラと今持っているカメラと比べてみて、過剰な仕様になっていると思う。一台のカメラで何でもしようと思うから過剰になる。
そうかといって、中古で一世代前のカメラを買ってもいずれ何か飽き足らなくなるのではないかというのが恐ろしいことである。

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2016年5月 8日 (日)

「桃井小学校校舎お別れ見学会」に参加する

Mknoi6


昭和36年に改築された「前橋市立桃井小学校」の鉄筋校舎が、耐震性の問題や中央小学校(廃校)との統合に伴い解体されることになった。
前橋市立桃井小学校の名称が残るのは、群馬県で最初に出来た小学校でもあるからである。
廃校になった前橋市立中央小学校の方は、2-3月頃に「羽ばたき会」と称してお別れ会をしたらしい。

Mknoi2


Mknoi3


解体される校舎は、改築記念碑(昭和37年8月1日)によれば

**********************************
面積3785.90平方メートル
工事費 5,888万円
起工 昭和35年10月22日
完工 昭和36年9月15日
**********************************

Mknoi4

カメラメーカー: Panasonic
カメラモデル: DMC-LX100
撮影日時: 2016-05-07 14:31:06 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 18.6mm (35mm 換算焦点距離: 41mm)
絞り値: ƒ/3.2
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)


Mknoi5

実を言えば、小学校4年の秋に完成したこの校舎で2年半を過ごしている。
4-5年の時は、51人程度のクラスでもあり、しかもできたばかりなのでワックス掛けをさせられたり管理が非常にうるさかった。
団塊の世代というベビーブーマーが卒業して、教室が余ったので6年は5クラス編成になった。
クラスの人数が減ったので4-5年の時の圧迫感から解放されたものの、新たな第一歩を感じる小学校時代。
最後1年は、はみ出しの「嫌われ者のクラス????」の5組だった。
そんなことで、余り良い思いでは残っていない。
それどころか、嫌な思い出や、今で思えば多くの失敗の思い出ばかりが残る。

Mknoi1

カメラメーカー: Panasonic
カメラモデル: DMC-LX100
撮影日時: 2016-05-07 14:24:38 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 12.5mm (35mm 換算焦点距離: 28mm)
絞り値: ƒ/4.5
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

広い校庭に突き出した職員室からは、今と違って校庭が全て見渡せた。
それこそ何か悪いことでもしていれば一目瞭然だった。
それが、その後の少子化で校庭の西に保育園が移ってきてしまったり、テニスコートだったところに体育館ができていたりする。
だから、卒業写真に残っている他の校舎は既になく、西に広がっていた校庭も校舎があった東に広がる別の風景になっている。
要するに小学校を卒業した時の面影は余り残っていない。

Mknoi8

カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X-A1
レンズ: XC16-50mmF3.5-5.6 OIS
撮影日時: 2016-05-07 15:53:04 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 16mm (35mm 換算焦点距離: 24mm)
絞り値: ƒ/5.6
露出時間: 0.0024 秒 (1/420)
ISO 感度: 200
露出補正値: +0.33 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

この見学会には、他の年代グーループとして20-30人集まっているところもあるようだ。
しかし、一番高齢なのが我々か?
・・・・・・と言うことで、この機会を利用して簡単な同窓会をしようという話があり、見学会、ホテルでの宴会と合わせて延べ13人が参加した。
当時の学年全体では200人以上の卒業生がいたのだが、今と違って学区や進学した中学も違うと言うこともあった。
それで集まったのは、東京から駆けつけた数人を含み皆同じ中学に進学した第一中学校の同窓生で、第三中学校や附属中学に進学した同窓生はいなかった。
第一中学校の方はここ何年かで全体同窓会をしているので、ある意味顔見知りで集まりやすかったと言う理由もある。
それで色々昔の話になると中学校時代の話も混じったりするのだが、今ここにいないのは中央小学校だったり、城南小学校出身者だったりする。
出身小学校によって、当時は多少地域差というものがあり現在でも多少その影響はあるように思える。
それで小学校時代の卒業アルバムを見てみると、思いの外消息も分からない人が多い。
自分の歴史もそろそろ忘却の彼方へ去って行くのかといろいろと考えさせるものである。


Mknoi9

カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X-A1
レンズ: XC16-50mmF3.5-5.6 OIS
撮影日時: 2016-05-07 15:53:11 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 50mm (35mm 換算焦点距離: 75mm)
絞り値: ƒ/6.4
露出時間: 0.0025 秒 (1/400)
ISO 感度: 200
露出補正値: +0.33 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

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2015年10月12日 (月)

第67回前橋まつり・開催される・天候不良

20151


平成27年10月10日~11日、前橋まつり(群馬県前橋市)が開催された。
前橋まつりは、前橋市の三大祭りの一つである秋祭りである。

しかし、地方紙の上毛新聞ではほとんど取り上げられていないというのはこの時期イベントが多いからなのかもしれない。
今年は、余り天候に恵まれず10日の夕刻から曇り11日の午前11時頃まで雨が降った。しかし、鼓笛吹奏楽パレード(小学生マーチングバンド)の時は、雨が止んで普通に開催された。

20154

カメラメーカー: SONY
カメラモデル: NEX-6
レンズ: E PZ 18-105mm F4 G OSS
撮影日時: 2015-10-10 11:13:22 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 77mm (35mm 換算焦点距離: 115mm)
絞り値: ƒ/4.0
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 100
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7 (Windows)

・・・この鼓笛吹奏楽パレードの全映像は、編集してYouTubeにアップロードする予定。11日の夕方からは晴れてきて、本日12日は晴天である。
それなので動画が何となくくすんでしまっている。
しかし、ほぼ無風状態だったので音は何とか採れた感じはある。

こういう山車を引くと言うことも今は様変わりしている。
前橋は、前橋大空襲で街の中心部が焼けてしまっているので古い由緒ある山車は旧郡部にしかない。(但し県庁周辺などは、ほとんど焼け残っている。)
だから高崎市の山車の方が何倍も立派なものが多い。

20158


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カメラメーカー: RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
カメラモデル: PENTAX K-3
撮影日時: 2015-10-11 15:10:11 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 29mm (35mm 換算焦点距離: 43mm)
絞り値: ƒ/4.0
露出時間: 0.0016 秒 (1/640)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 絞り優先 (セミオート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7 (Windows)

とはいうものの町内の祭りに参加するとハッキリ言って、若い人達で名前を知っている人がほとんどいない。

山車は小学生以下の子どもが太鼓をたたいたりする。
街の中心部は空洞化して、うちの子どもが小学生の時は「育成会(子供会)」という町内組織が消滅していた。
その後マンションができて増えそうだったが、子供がいる世代が入居しなかったりして増えなかった。
それが数年前に新しいマンションができてあっと言うのに大人数に。
だから、こういうお祭りに行っても知らない人ばかりだったりするのである。
もともと小学生以下の子どもがいない家庭からは、町内の役員か組長にでもなっていない限り出で来ることはない。
だから世代交代と言うわけだ。

20155

カメラメーカー: RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
カメラモデル: PENTAX K-3
撮影日時: 2015-10-10 17:25:23 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 18mm (35mm 換算焦点距離: 27mm)
絞り値: ƒ/4.5
露出時間: 0.077 秒 (1/13)
ISO 感度: 1600
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 絞り優先 (セミオート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7 (Windows)

20156


カメラメーカー: RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
カメラモデル: PENTAX K-3
撮影日時: 2015-10-10 17:36:24 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 20mm (35mm 換算焦点距離: 30mm)
絞り値: ƒ/5.0
露出時間: 0.800 秒
ISO 感度: 1600
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: 絞り優先 (セミオート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7 (Windows)


これから後10数年もすると、この子ども世代が中高生以上になって、また子供がいなくなってしまう。
こういうことの繰り返しというのは、昔ながらの団地のようである。


20152

カメラメーカー: SONY
カメラモデル: ILCE-7
レンズ: FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS
撮影日時: 2015-10-11 14:51:20 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 28mm (35mm 換算焦点距離: 28mm)
絞り値: ƒ/8.0
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 200
露出補正値: +0.70 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7 (Windows)


20153

カメラメーカー: SONY
カメラモデル: ILCE-7
レンズ: FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS
撮影日時: 2015-10-11 15:43:15 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 67mm (35mm 換算焦点距離: 67mm)
絞り値: ƒ/8.0
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 200
露出補正値: +0.70 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: はい (オート, リターン検出)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7 (Windows)

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2015年8月 9日 (日)

神風特攻隊記事・空母バンカーヒルを大破させた戦果

Book1


8月になると未だに70年前の記事が出て来たりする。
2015/08/08の読売新聞地方版には、特攻隊で戦死した高崎(旧碓氷郡、八幡村)出身の小川清少尉(特進で大尉)の記事が載っていた。
端的に言うと遺品が米国から戻ってきたという記事なのだが、実は2001年の話である。
この小川清少尉と昭和隊第3小隊長の安則盛三(中尉?)は、1945年5月11日「菊水6号作戦」で沖縄侵攻中の米国の最新正式空母バンカーヒルを大破させた戦果。
これは、特攻末期の戦果としては最大級のものであった。
その戦闘状況がかなり良く分かっているので、ある意味有名なことで、実際「特攻」という700ページくらいある著書に詳しい。
この遺品は、バンカーヒル乗員の一人ロバート・ショックによって保管されたらしいことも著書にある。(日本語版p395・第23章敵空母 見ユ、その他)
実は詳細な記事も後半に掲載されている。

この新聞記事を見ると後半妙な記述がある。
この部分はあとで述べることにして概略を説明しよう。

Pc0051


時は米軍が沖縄戦でこの空母バンカーヒル、エンタープライズから攻撃隊を出撃させていた。
沖縄周辺では「海上レーダーサイト」と言ってレーダーを搭載した駆逐艦を、ぐるりと配置して日本軍機を警戒していた。
従って、米海軍を攻撃するためにはこのレーダーを持った駆逐艦を破壊しないと全く近づけない状態であった。
夜間攻撃でもレーダー搭載の夜間戦闘機が存在したために偵察機さえ近づけない状況であった。
その間この空母バンカーヒルからは、地上部隊支援のためにアベンジャー(TBF雷撃機・小型爆弾・ロケット弾・ナパーム弾を翼下に搭載)が常時発艦していた。
戦艦「大和」(1945年4月7日沈没)、「武蔵」や空母「瑞鶴」を撃沈するなどの日本艦隊に甚大な損害を与えた疫病神の雷撃機であった。
実際に戦艦「大和」への攻撃には、この空母バンカーヒルからのアベンジャー雷撃機が大挙参加している。

この戦艦「大和」への攻撃では、大和他軽巡洋艦一隻、駆逐艦四隻が撃沈され、米国側は、航空機10機、搭乗員12名だけだったという。
その後日本の「菊水1号作戦」が発令され、空母バンカーヒルに殺到するのだが40機の特攻機が撃墜されている。

***************************************
「菊水6号作戦」昭和隊第3小隊
***************************************

1945年5月11日午前6時45分頃鹿屋基地を発進。(全9小隊)
昭和隊第3小隊・指揮官・安則盛三
一番機(101)安則盛三(師範学校・満州)
三番機(33)小川清(早稲田)
二、四番機・石崎健三(立教)、篠原惟則(立教)

琉球諸島沿いを飛行し、午前8時過ぎに沖永良部島上空。
レーダーピケット駆逐艦を探して、進路を南へ。
その一方、沖縄南方の空母バンカーヒルでは、攻撃機の収納と次の沖縄攻撃準備に余念がない。
バンカーヒルの飛行甲板には、整備済みの攻撃機が所狭しと並べられていた。
その艦載機には、30口径、50口径の銃弾や爆弾、ナパーム弾が搭載され、燃料は満載。

上空には、空母群護衛の戦闘空中哨戒(CAP)の艦載機が飛行していて、特攻機と見ると撃墜したりしていた。実際沖縄付近上空で一式陸攻とそれに積まれた桜花をその日に撃墜していた。

これら攻撃機は、燃料不足のために空母バンカーヒルに帰還。
バンカーヒルでは、次の攻撃機の発艦準備中で着艦の余地が出るまで、その他の偵察機などもバンカーヒルへ着艦するために上空で旋回しながら待つと言う状況であった。

午前10時の時点でも約20機が上空を旋回中である。
その直後3機の特攻機が雲間から現れ、3時の方角から150m間隔で連なってバンカーヒルへ向かってくる。


********************************
一番機(101)安則盛三
********************************

10時2分、上空旋回中の米攻撃機(CAP)が2キロ先で急降下を続けている特攻機を発見。
米攻撃機がバンカーヒルへ警告をする間に安則盛三一番機が爆弾を投下。

投下された500Kg爆弾は、飛行甲板を貫き、第3エレベーターよりわずか後方の地点を貫通、格納庫の天井を突き破り左舷測壁に穴をあけ、バンカーヒルから6mほど離れた海上で爆発した。
爆弾の破片は、格納庫に飛散し格納庫内の航空機燃料タンクが誘発。

安則盛三の零戦52型機は、機銃掃射をしながら急降下から緩降下に移り、着艦するような体制で甲板上の航空機に激突。
混み合った飛行甲板は炎上し、安則機は飛行甲板を一掃すると共に炎上する1機のコルセア機と共に海中に落下。


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三番機(33)小川清
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小川機は、バンカーヒルの後方で急旋回し約70度の角度でバンカーヒルの中央に突入した。
突入の途中、左翼先端に40mm機関砲の直撃を受けかなり吹き飛んだが翼はそのままだった。激突の直前炎に包まれたが、そのまま激突。
小川機自体の激突による被害はそれほど大きくなかった。
その零戦の突入に先駆けて500kg爆弾を投下。
バンカーヒルの甲板で最も脆弱な場所、アイランドと飛行甲板の交点に投下された。
小川の爆弾は、直径15m程度、深さで言えば三階層にも及ぶ部分を破壊した。飛行甲板には巨大な穴が空いた、


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その他の特攻機
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小川の突入があった30分後、右舷側を高速で低空飛行している。
零戦は、バンカーヒルの飛行甲板より低い位置に向かって突進。
全艦(約10隻程度の艦)がこの零戦に向かって一斉射撃。
曳光弾が命中を示す火花を散らし、20mm機銃による攻撃で搭載の爆弾が爆発。
これはバンカーヒルにダメージを与えることなく撃墜された。

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5月14日26機の特攻機が艦隊に接近。
その内19機がCAP機(Combat air patrol・戦闘空中哨戒)に撃墜。
6機が対空砲火で撃墜されたものの富安俊助中尉の1機だけ突入に成功。
空母エンタープライズの全部エレベーター付近に突入して、甲板をねじ曲げ空母の艦載機が全て破壊されて戦線離脱。

ドキュメンタリーの「特攻」に書かれている記述によると
特攻で17隻の艦船が沈み、198隻が損傷した。そして、空母エンタープライズ、イントレピット、バンカーヒルのように損傷を受けた艦船の多くは二度と戦場に戻らなかった。

米国の戦略爆撃調査報告書では、
1945年4月6日~6月22日の78日間に、日本軍の特攻によって艦船26隻が沈み、164隻が損傷したと記録されている。
全期間を通じた被害は、空母36隻(内正規空母16隻)を含む288隻に及び、34隻が沈没した。

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新聞記事でおかしな点は、「清さんのゼロ戦に搭載された爆弾が不発弾だった可能性が考えられる。」という部分。

史実としては、「特攻」で述べられているとおり500kg爆弾は不発弾ではなく大穴を開けている。

どうも特攻機というのは、爆弾を積んだまま空母などに突撃するとでも思っているのだろうか。
信管の先端には風車が取り付けられていて、爆弾が投下されるとこの風車が風圧を受けて回転し、安全装置が解除される仕組み」と調べると書かれている。

従って、爆弾は投下されないと不発弾になる可能性が高い。

そもそも特攻機は撃墜される可能性がある、しかし投下された爆弾を撃墜すると言うことはあり得ない。
小川清機は、爆弾を投下後に突っ込んだのであって、激突死はしているもののバラバラに吹き飛んでいるわけではない。

記事を書く人も少しは、当時の武器の性能ぐらい知ってほしいものである。
そして、特攻は実はかなり戦果を上げていて海軍とすれは戦艦大和一隻の乗員より多い程度の犠牲者だった。
世の中で思われている「特攻攻撃は戦果があがらなかった」という常識とは随分と違うものである。


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2014年8月29日 (金)

日本の歴史の闇を解く・古代・近世戦国時代を中心にして・序

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日本の歴史の内でよく分からない、つじつまの合わない歴史というのは数多く存在している。古代という分野で見ると672年の壬申の乱という大海人皇子(天武天皇)の政変がよく分からない。
そして、この天武天皇系は、48代称徳天皇(女帝)で断絶し、天智天皇系のかなり遠い縁者である光仁天皇(49代)で、元の天智天皇系に戻るという不思議なことが行われている。
そのほかに聖徳太子がなぜ天皇になれなかったのかということ。
これも諸説あって一概に断定できないが、多分「天皇になれない理由」というのがあるのではないかと考える。
実を言えば、推古天皇、聖徳太子の時代は563年(欽明23)に朝鮮半島の任那が滅んで・・・(日本書紀・任那には、10国・加羅国、安羅国、斯二岐国、多羅国、卒麻国、古瑳国、子他国、散半下国、乞湌国、稔礼国を含む・「知っていますか・任那日本府」を参照)、・・・その復興とそれに絡む戦乱が絶えなかった時代である。
新羅による「任那の調」という朝貢が大和朝廷(倭国)に対して行われる(日本書紀)ものの、旧任那10カ国との間に新羅との戦乱が663年の「白村江の戦い」まで続くことになる。
そして、その時代は天智天皇の時代になり壬申の乱に繋がるというわけである。

 

こういう風に任那日本府との絡みを見てみると、出雲大社で見るとおり、倭国は東進して出雲を攻略し大和朝廷になったとき元の九州に倭国の政権をそのまま残したと考えざる終えない。
要するに九州政権説である。
この九州政権というのは、主に朝鮮半島政策が中心で軍事政策を担当した物部氏などが活躍している。
ウィキペディアには、こんな記述がある。
「用明天皇が2年ほど皇位に在ったが、用明2年4月乙巳朔癸丑(4月9日)(587年5月21日)に崩御した後、穴穂部皇子を推す物部守屋と泊瀬部皇子を支持する蘇我馬子が戦い、蘇我氏の勝利に終わった。」これで大和朝廷側の物部氏は衰退するのであろう。

 

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上野三碑との関わり
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しかし、726年に建てられた上野三碑の一つである「金井沢碑」には、物部君牛足という人物が刻まれていていわゆる「九州政権」との繋がりを濃くしている。

 

この問題は、以前に多胡碑のところで多少書いているのだが、金井沢碑も任那との関わりを持っていることが想定される。
※多胡碑は、任那の軍事組織であった鍛冶屋の「羊」こと羌族(別名を羊族)の代表が、多胡郡を貰った記念碑である。
元々、石碑という文化は、日本にはなく任那などの朝鮮半島に由来すると思われる。
しかしながら、島国国家というのは英国がフランス、オランダ当たりのヨーロッパ大陸から追い出されたのと同じように、古代大和政権も半島から撤退している。

 

そこで、その任那日本府に関わる人達が、蝦夷討伐で荒れる関東という地に配置されたというのはおおよそ想像がつく。
その蝦夷討伐軍の中心人物が上毛野君氏である。
この上毛野君稚子は白村江の戦いの陸戦で、主力軍の前軍の司令官として従軍している。

 

ここで気がつくのは、○○君という「君」の名称で、皇族又は皇族に準じる物部氏などの大豪族に付けられるものでいわゆる「九州政権」に絡む呼称ではないかと想像している。

 

このことは、「金井沢碑」というのが三家氏という豪族が自分の家系を記したもので、三家氏の元に「他田君(おさだのきみ)目頬刀自(めづらとじ)」とあることである。
刀自とは、正妻で一族を束ねる立場であって、「大和政権」の中にも出てくる。
ものの本によれば、蝦夷討伐に臆した上毛野君氏を正妻である刀自が奮い立たせたという話もある。

 

ここでやはり、他田君とあって三家君でないことに注目したい。

 

三家氏は、皇族又は皇族に準じる他田君から正妻を貰ってこの地を支配したということである。

 

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日本の歴史の闇を解く戦国時代
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日本の歴史の闇を解く戦国時代に関しては、関ヶ原の戦いの直前に武田の遺臣に人気が出て多くの武将が召し抱えたという理由。
特に井伊直政は、武田の遺臣を多く召し抱えて武田の「赤備え」に似せた「井伊の赤備え」を創設したことはよく知られている。
このことが実は、豊臣秀吉の小田原城攻めの一環である忍城攻防戦(現・埼玉県行田市・大将・石田三成)の結果であったというのとは、以前に述べた。
要するにその武田の遺臣とは、小宮山弾正介麾下の小宮山軍(成田氏・戸塚城)である。
(小説・のぼうの城 など)
このときに持田口攻防戦で、真田幸村が小宮源左衛門忠昌(弾正介の嫡子)の「持田丸」守備隊によって大惨敗する。
これが大坂冬の陣の武田式用兵の真田丸に繋がる。

 


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2014年7月11日 (金)

第64回前橋七夕まつり始まる

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前橋市の三大祭りの一つの七夕祭りが平成26年7月10日から始まった。
10日、11日は、台風のために飾り付けが中止されたり、イベントが中止されたりした。
しかし、11日は台風一過で風は強いものの晴天。
メインのイベントは、12-13日なので詳細は後日となる。
こんなことで今日11日は、七夕飾りは何となく簡素で、のために高校生が目立つ程度だった。

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カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X-A1
レンズ: XC16-50mmF3.5-5.6 OIS
撮影日時: 2014-07-11
焦点距離: 16mm (35mm 換算焦点距離: 24mm)
絞り値: f/5.6
露出時間: 0.0048 秒 (1/210)
ISO 感度: 400
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.5 (Windows)

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カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X-A1
レンズ: XC16-50mmF3.5-5.6 OIS
撮影日時: 2014-07-11
焦点距離: 16mm (35mm 換算焦点距離: 24mm)
絞り値: f/5.6
露出時間: 0.0024 秒 (1/420)
ISO 感度: 400
露出補正値: +0.33 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.5 (Windows)

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2014tanabata1

カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X-A1
レンズ: XC16-50mmF3.5-5.6 OIS
撮影日時: 2014-07-11
焦点距離: 21.1mm (35mm 換算焦点距離: 32mm)
絞り値: f/5.6
露出時間: 0.0042 秒 (1/240)
ISO 感度: 400
露出補正値: +0.67 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.5 (Windows)

2014tanabata2

カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X-A1
レンズ: XC16-50mmF3.5-5.6 OIS
撮影日時: 2014-07-11
焦点距離: 21.1mm (35mm 換算焦点距離: 32mm)
絞り値: f/5.6
露出時間: 0.0063 秒 (1/160)
ISO 感度: 400
露出補正値: +0.33 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.5 (Windows)


デル株式会社

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2014年7月10日 (木)

何十年ぶりで合う前橋市立第一中学校学年合同同窓会と幹事の一員として思う

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平成26年6月、7年ぶりとなる前橋市立第一中学校同窓会が開催された。前回の同窓会は、中学校主催の同窓会でいわゆる幹事学年であった。
このときは、卒業生530人くらいの内200人くらい集まったから大変なものだったが、今回は106名だった。
前回は挨拶する主催者側の中学の同窓会役員などは見たり聞いたりしたこともない人達で、卒業生の方が新聞に載っていたりする有名人だっだという笑える話があった。


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同窓会開催の経緯
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最初の学年合同同窓会から7年、平成25年年末に同窓生のT先生が突然電話をかけてきて「同窓会をやる」という話になった。
それからなにも音沙汰なしで、突然5月の連休に同窓会をするという噂が聞こえてきた。
その話も実は流れたらしく、4月中旬突然に6月におこなうという同窓会の通知が来た。
この同窓会といってもクラスでするのではなく学年で行うから、各クラス12組の幹事代表を集める必要があった。
そして、同窓会通知等はホテル側が行うとして、詳細はクラス単位で出席者を掌握する。
この辺が面倒なので幹事会が開かれているのである。

それで同窓会の内容はどうなっているのかという印象だった。
5月になってT先生から幹事会が5月17日にあるから・・・と開催されるホテルに行くことになった。
そこで幹事会に出席してみるとO社長が幹事会の主導をしていて、当日の進行表まで作られていた。
その中には、ビンゴゲームやら100円総取りとか、幹事賞とか業界の忘年会の様相。
書道のレセプションは、入賞者が一言ということもあるのだがそういうことは進行表に入っていない。
その中で、集合写真は小生Syuunが撮ることになり、撮影場所はホテル側からのアドバイスでホテルの教会堂になった。
それでこの集合写真を小生が撮らないということになったらどうもホテル側で撮るらしいことが後で推察された。(事前にはホテル側から、出席者のカメラで撮るということになっていた。)

1112

カメラメーカー: NIKON CORPORATION
カメラモデル: NIKON D700
レンズ: 17.0-35.0 mm f/2.8
撮影日時: 2014-06-14 18:17:06 +0000
焦点距離: 25mm (35mm 換算焦点距離: 25mm)
絞り値: f/2.8
露出時間: 0.050 秒 (1/20)
ISO 感度: 800
露出補正値: +0.67 EV
測光方式: マトリックス
露出: 絞り優先 (セミオート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: はい (オート, リターン検出)
画像方向: 標準
色空間: sRGB
ソフトウェア: Adobe Photoshop Elements 12.0 Windows


多少、話は逸れるが同窓会当日はホテル側でスナップ写真を撮っていた。
このホテル側で使っているカメラがNikonD700というフルサイズながら2008年の1287万画素のカメラ。
これで100人を超す集合写真を撮るにはかなり力不足である。


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カメラメーカー: SONY
カメラモデル: ILCE-7
レンズ: FE 28-70mm F3.5-5.6 OSS
撮影日時: 2014-06-14
焦点距離: 31mm (35mm 換算焦点距離: 31mm)
絞り値: f/4.0
露出時間: 0.017 秒 (1/60)
ISO 感度: 400
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: はい (オート, リターン検出)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.5 (Windows) 


そんなこんなで、当日は小生はカメラマンで各組の集合写真を撮っていたからあまり同窓生とは話さなかった。


1chub3

カメラメーカー: FUJIFILM
カメラモデル: X-A1
レンズ: XC16-50mmF3.5-5.6 OIS
撮影日時: 2014-06-14
焦点距離: 16mm (35mm 換算焦点距離: 24mm)
絞り値: f/3.5
露出時間: 0.020 秒 (1/50)
ISO 感度: 800
露出補正値: -0.33 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
色空間: sRGB
GPS 位置: undefined, undefined
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.5 (Windows)

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終わっての感想
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こういう同窓会をやっての問題点は、誰が出席しているかと言うことと、その本人が分からないことである。
なぜなら、昔のままの若々しさを残しているのならまだしも、とてもお爺さん、お婆さんになってしまった人とまだもういっぺん再婚でも出来そうな若々しい女性なと・・・

わかりやすく言えば、同窓生なのに老若男女の集団なのである。
それであとから指摘されて、「あの人も参加していた」ということを聴かされる。

それにしても、同窓生だというのに知らない人が多すぎる。
高校が同じだと、高校の幹事学年の時に逢っている場合があるのでかなり分かる場合が多い。
その一方そのときに撮った写真を改めて見てみれば、たとえ話してみても共通の話題というのがないと気がつく。
事実、自分のクラスの同窓生とは「今何してる」というところで終わってしまっている。
なぜなら、皆「後ろに長い過去という尻尾」を持っていて触れられてはまずいことでもありそうだからである。

この7年間に亡くなってしまった人も結構多い。
次はいつ頃、誰が幹事になってやるのかは分からない。
いずれにせよ、何か怖いもの見たさと言うことかもしれない。

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2014年1月22日 (水)

<アーカイブ>忍城の南、持田口に位置する小宮家の謎

「のぼうの城」の舞台・忍城攻防戦の秘密を探る

1590年・小説「水の城」「のぼうの城」の舞台・忍城攻防戦4

忍城の南、持田口に位置する小宮家の謎
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●小宮家の初代は小宮忠昌(源左衛門)と小宮家に伝わる家系図にある。
ここで寛文12年壬子9月3日卒というメモをもらったのだが、寛文12年とは1672年でこれではあまりにも長生き過ぎる。忠昌の妻は慶安2年(1649)の卒と記されているので、寛文ではなく寛永の間違いではないかと思っている。
その一方で二代目の義明(勘右衛門)が寛永元年(1624)卒で、こちらが寛文の間違いでこの二つを入れ替えると整合性がとれる。
そこで初代は小宮忠昌(源左衛門)の卒を寛永12年(1635年)として考える。
いずれにせよ小宮忠昌(源左衛門)、元の名、小宮山忠昌(源左衛門)は家系図から忍城城主成田氏長を主君とする成田氏の家中の人物であることが分かる。

●この小宮山忠昌の父親は誰かというと家系図から小宮山忠孝(弾正介)である。
この小宮山忠孝(弾正介)とは、行田市史・上巻・成田家分限帳にあるとおり、武州足利郡戸塚の戸塚城(小宮山城ともいう・川口市東戸塚)主である。
この小宮山忠孝(弾正介)は元和元年丁巳8月8日卒(法号・宝持院金峯道剛大弾門)と言うことで大阪夏の陣以後に亡くなっている。

この小宮山忠孝(弾正介)は、武州足利郡箕田郷に居住し、忍城主成田氏の旗下として200貫の知行(石高500石)として足立郡戸塚を領地としたとある。

●この小宮山氏によって築城された戸塚城は、小田原城攻めのときは全て忍城へ引き上げ空城になっていたという。
そうであるとすると、小宮山忠孝(弾正介)は旗本として城主成田氏長について行かない限り忍城攻防戦に参加したはずである。
現実問題として、戸塚城の守備隊が豊臣軍との開戦前に城主成田氏長について小田原城籠城戦に参加する可能性は無い。
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●そして小宮山忠孝(弾正介)は、戸塚城を築造するにあたりかなりの軍勢を持っていたはずであり、持っていなければ城を築ける分けは無い。
又、なぜ武州へ来たのかと言えば、この小宮山忠孝(弾正介)の父親は、小宮山友晴(内膳正)であるからである。
小宮山友晴(内膳正)は、武田勝頼の「使番十二人衆の一人」の侍大将で武田一門である。
即ち、天正10年に甲州天目山へ永蟄居の身ながら単騎で武田勝頼にはせ参じ、討ち死にした事が知られている。

その際に、内膳正以外の一門をいち早く甲州街道から(織田の勢力範囲以外の)関東へ落ち延びさせ、元々厚誼のあった成田氏を頼ったと言うことである。
この小宮山氏というのは後の武田武士狩りを思えばかなり慧眼であったと言わざる終えない。
武田氏が滅んだあとに甲州では武田系の武士や一門の武田狩りが厳しく行われて根絶やしにされたというのは有名な話。
事実元々新田源氏の系譜のSyuunの一族も、蜘蛛の子を散らすように遠い昔に甲州街道を通って、織田の勢力範囲から逃れ今の埼玉県の山側に避難したことが名字の分布から分かる。
北へ逃げた方は、善光寺あたりで止まった人と富山まで逃げた人というのも同じく氏名分布から分かる。(既に書いたことがある。)

従って、元の甲州に代々住んでいると称する武田一門、武田武士というのは事実上あり得ないと言うのが真相である。
根絶やしにされた武田武士の文物を受け継いだとか、ということが真相であろう。

●「忍城の南、持田口に位置する小宮家の謎」
この小宮家が位置するのは、行田市の「忍城今昔地図」にも載っていない忍城の城外である。正確には忍城のほぼ南に位置し「忍城今昔地図」に丁度書かれていない部分に当たる。
そして、それは持田口の外あたりである。
この小宮家から戦後まもなくまで関東一円を見渡すことが出来たというし、外へ通じる道は小宮家の前しかなかったらしい。
記憶を辿れば、その道幅は東京オリンピック以前までは小型タクシーがやっと通れるような道幅しかなかった。

●この小宮家の母屋が作られる前には敷石から城郭があったらしいと言うことを書いた。
ここでもし、この小宮家が忍城を守るための出城としての役目をしていたら忍城の持田口というのは非常に強固な防衛戦を敷いていたことになる。
石田三成は、持田口を封鎖しないで三方を囲んだ。
この意味は、持田口の防備が特に堅いとみたのではないかと考えられなくもない。
そうであるから、真田軍の突撃隊が攻めてきても跳ね返されたと言うのが真実ではないか。

そしてそういうことが良く分かっていた石田三成というのは、決して城攻めが下手な武将ではないと考えられるものである。


小宮姓の元になった忍城攻防戦の真実

「のぼうの城」の舞台・忍城攻防戦の秘密を探る

1590年・小説「水の城」「のぼうの城」の舞台・忍城攻防戦5


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中央の女性二人のうち左が母、右が祖母。(撮影は、Syuun RICOHオートハーフ)


●忍城攻防戦というのは後世の伝えられる事柄には非常に秘密が多く、明らかに嘘とわかる分かるデタラメなども散逸される。
そのいい加減な話というのも、当時の人たちにしては当然あり得ないことであったから「与太話」として笑って済ませられたものも、時が経ってあたかも真実のようになる。

●この小宮家に関して書いている小生(Syuun)との関係は、母がこの小宮家の出と言うことである。
そして小さい頃に、祖母や伯父などに種々のことを聞いて見たりまたは、子どもだと思って無視されて聞きかじったことが沢山あるからである。
それだけでなく、時代は移り母も含めて伯父叔母の全ては鬼籍に入り、小宮家の話を知る人もほとんどいなくなってしまっている。
それで、多少は残しておこうと言うのがこの「忍城攻防戦の真実」である。

その中には「おまじない」という小生には良く分からない何百年も伝承されてきた病気を治す術があって、このことも多分親族では誰も知る人はいない。

祖母の晩年にこの「おまじない」の術を母に伝えようとしたのだが、「教えても良いというお告げ」が一回だけあり、それを当時迷信嫌いの母が拒否した。
それでその「おまじない」の術は(小宮家では)絶えてしまった。

●この忍城攻防戦において、今まで述べてきたように忍城の事実上総大将は、戸塚(別名・小宮山城)城々主、小宮山弾正介・忠孝。
実行部隊の指揮官は、小宮山(小宮)源左衛門・忠昌である。
この後の小宮源左衛門に似た人物が小説にも現れるというのは偶然ではないだろう。

●この忍城攻防戦の結果というのは、関ヶ原の戦いの直前において種々の影響をもたらし、その影響だけが現在に伝えられているという妙なことである。
そして、この忍城攻防戦では主力としては小宮山弾正介・忠孝旗下の戸塚城兵という元武田武士団であることは間違いない。
そして当時の農民というのは兵農分離されているわけではなく、槍や鉄砲なども持っている人達である。この武器などが国民から取り上げられた本当の刀狩りは、時々「拳銃などが倉から見つかったと言うように」実は戦後になってからである。

こういうふうに、農民というのを単に畑仕事をしている人たちだと考えると言うのは平和ボケしてしまった今の日本人なのかも知れない。
実を言えば江戸時代の農民や農村というものを学校の教科書でさえまともに教えられていない。
教えられているのは搾取される「かわいそうな農民」という共産主義思想でしかない。
だから江戸時代の「士農工商」という言葉の意味も歪曲して教えられているような気がする。
ここで断っておくと、「士農工商」の農とは「名主・庄屋・郷士・地侍」と呼ばれる元々の豪族のことである。
そして、そのほとんどが江戸初期のではどこかの大名に仕えた侍でもあった。

●この忍城攻防戦の結果としてどう言う事が起こったのかというと、この戦いに参加した元の武田武士団の仕官が決まったと言うことである。
この関ヶ原の戦い前の於いて、武田武士に人気が出で多くの家中に召し抱えられたという史実は有名である。
小説「水の城」にも
「徳川家康は、攻め手側にいた家臣からもその話を聞き、強く望み、実際、多くの忍城の武将たちは一族郎党、足軽らとともに徳川家に雇われるようになった。」
と書いてある。
*成田氏長も福井城1万石(会津若松)、そして野州烏山3万7千石の城主になっている。
そして「甲斐姫」はその武勇伝によって秀吉の側室になったのではなく、当然その「忍城攻防戦」の勇姿にあやかったと言うものである。

こう言う話というのは、あの忠臣蔵の直ぐ後の「仕官の話しが多くあった」話とよく似ているように、「武勇」と言うのが一つのステータスである。
武士というのは、常に心は戦場にあるという心構えを持つというのは、江戸時代をも通じて幕末でもそうであった。
NHKの「龍馬伝」で主演した福山雅治氏の坂本龍馬の様には「へらへら」と笑うというのは「常に心は戦場にあり」という心構えからは正にあり得ない。

そして、この成田氏家中ではあまりに当主成田氏長が不在の時に勝ちすぎてしまったからその内部でも粛正が密かに行われた節がある。
だからその後当時の城代、成田長親はいらない嫌疑をかけられて放逐され、小宮山源左衛門・忠昌は、「山を捨て」小宮になったと言われる。
即ち、成田氏家中には「小宮山」という人物はいなかったと言うことになったのである。

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又、持田口を守った出城が後の小宮家の屋敷になるのだが、当時の大戦(いくさ)名人と謳われた真田昌幸がここを攻めた。
この先攻隊が真田幸村であった。
ここで真田幸村はかなりの苦戦をすることになるのは事実の通り。
そしてこれが大阪冬の陣の「真田丸」に繋がるとは誰も予想はしていないのだが真実である。
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そして、小宮源左衛門・忠昌が帰農する事になり、その元の出城を屋敷とする。
その縁者は、その武勇を羨望して「小宮姓」を名乗ったと言うのが、関東での小宮姓の元である。

そして、この小宮氏に対して代々敬意を払うと言うのが暗黙の了解であった実例がある。それは小宮家の菩提寺「真言宗 智山派 医王山 遍照院」と言うのが鍵である。
この遍照院「慶長9年(1604年)徳川家康により薬師堂領として25石の御朱印を賜」とあり徳川家康も敬意を払っているだけではない。

この遍照院の隣の「臨済宗 妙心寺派 鷲峰山 大蔵寺」は、「文政6年(1823年)子孫の松平忠堯(タダタカ)は忍(行田)に移封された際、駒形の遍照院の南隅に寺を移し、現在に至る。」とある様にわざわざ隣に移している。

これはなぜかと以前小宮家の当主に尋ねたところ「小宮家に敬意を払って」という答えが返ってきた。

ちなみに、成田氏は水上公園北の「曹洞宗 平田山 清善寺」であって、遍照院に対して城の反対側である。

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