消え去った郷土歴史・閨閥の歴史

2019年5月 9日 (木)

萩原朔太郎・旧制前橋中学時代の卒業写真発見

Saku20190509_4081


2019年5月9日の地方紙の一面は、「旧・前橋中巣立つ朔太郎」であった。

単純には、旧制前橋中学時代の卒業写真(明治39年1906)に萩原朔太郎(1900年入学)が写っていたというだけ。

それで多少奇異と思ったのは卒業写真とは言え、教員の羽織袴を除いてみんな「学生服」である。

そうというのは、前中・前高同窓会誌、創立140周年記念特別号Iの表紙の明治43年の前中生が全て羽織袴だったことである。

みんな学帽を被って「かなり偉そう」な雰囲気だが、この朔太郎の卒業写真に写っているOBも海軍兵学校の生徒かと思わせる厳しい雰囲気がある。

Saku20190509_408

母校のOBとは言え明治時代の人なので、萩原朔太郎は余り詳しくは知らない。

前橋に移り住んだのは、父親が群馬医専の教官として赴任してということを聞き及んでいる。

記事によると1904年に学業不振で落第しているという。

新聞記事によると卒業写真の持ち主は、朔太郎を評して「あいつは不良だった」とのこと。

実を言えば、前橋高校時代に朔太郎を評して名物国語教師のK先生は余りよいことは言っていなかったように記憶する。

前橋高校時代に言い伝えられていたことは、「落第」しそうになると分校である旧制高崎中学(現・高崎高校)へ転校するという。
それで落第を逃れて旧制高崎中学を卒業していたら、前橋文学館は高崎文学館と名前を変えて存在することになったろう。

しかし、記事を読むと「1902年(3年)に同校の級友らと同人誌を発行」とあって、旧制高崎中学へ行くわけにはゆかなかった事が窺える。


今回前橋高校時代の話に興味を持ったのは、約30年振りに前橋高校のクラスの同窓会をすると言う話になってるからである。

この分では、クラス会の情報収集のために7月の同窓会には何十年振りに行ってみないとならないかもしれない。


 

 

 

お得なセットがあった。
2019/05/07現在約3,000円お得。こちらを買っても良かった。


 



人気ブログランキング

 

サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア

ブックオフオンライン【PC・携帯共通】

icon

 

 

サイバーリンク Power2Go 12

 

サイバーリンク公式オンラインストア


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.
人気ブログランキング

 

ビックカメラ.com

ディノス オンラインショップ

 

| | コメント (0)

2019年4月 9日 (火)

一斉の高校の入学式の姿を見て思う

Gx7301480

平成31年4月9日(火)の夕方、5%バーゲンの日だったのでショッピングモールへ出かけて行った。

前橋女子高の横の道を通ったら、前橋駅へ向かう親子連れ、お父さんまでいる家族連れもあってさすが「前女」と思わせるところがある。

駅の近くのショッピングモールへ行けば、別の制服親子連れや知らない制服、そして制服が間に合わなかったのではないかと思われる親子連れなど多数。

小生は、子供の写真を撮ってくれということで参加した小学校の卒業式しか経験がない。

子供の中学校の入学式前夜は、制服のスカートの丈が長いと子供が泣きわめいて、しかたなく制服のスカートの少し短いものに取り換えたと女房が述べていた。

入学式を終えてみれば、「みんなスカートの丈が長かった」とそれで収まっている。



記憶をたどれば、学生服の袖は折り返すくらいだったものがあっと言う間に買い替えるようになり、女子の昔など床に擦りほど長いスカートが見る見るうちに短くなって卒業するころには人により「ミニ」近くなっていた。


それで高校の入学式。

前橋高校は昔の「天川校舎」で高校に続く道のみ舗装されていた。

その理由は、いつだったか天皇陛下がお立ち寄りになったことがあったとかである。

高崎高校は、定期戦に行ったとき周り中砂埃舞う未舗装だった。


そして3年後の卒業式には行かなかった。

理由は、国立大学第1期の試験日に隣接していたからでもあるものの試験前から「欠席」としていた。

今にして思えば、70年安保の真っ只中5分程度で終わったと言うから行ってもよかったのではないかと思う。



ショッピングモールでは、直ぐ隣くらいに位置する前橋商業高校の生徒が多かった。

昔の天川町に前橋高校があったならば、かなり多くの前高生で賑わったかもしれない。

しかし、今は東の「下沖」にそれこそ「島流し」になっているので見ることはない。

娘を思えば、この高校の新入生が3年後に同じ笑い顔ができるのかと本当に寂しい気がする。

うちの場合は「溺れる前にうまく逃げ切った」からよかったとしても、複雑な気分でもある。

母校の前橋高校の2019年の進路実績はまだ公表されていない。

昨年(平成30)の進路実績が「18年問題」と絡んで大幅に悪かった。

それで平成27年には、現役合格率が69%だったのが30年は58%と4割以上が浪人することになった。



第1次ベビーブーム世代はどうだったのかと思いを馳せるものの現役が30%未満だったのではないかと思う。

一浪を「ひとなみ」と呼んでいたが、今のように現役学生の補習予備校や総合のプライベート塾などがなかった時代。

高校側でもう少し進路指導を上手くすればと言うより、全くやっていなかったから「浪人」と言う憂き目に遭ったのであろうと思う。

その後の第2次ベビーブーム世代とは、いわゆるバブルの頃である。

予備校が繁盛して、予備校の講師で話題が絶えなかった。

第1次の頃の進学率25~30%未満が、今の水準と同じ60%くらいまで上がった頃。

文系女子の浪人など昔はほぼ皆無だったのが、このときは当たり前にいた。

私大バブルが発生して、これは今に至る。

この浪人だが、「浪人して成績が上がるか」という質問。

今では常識になっていることで「ほとんど現状維持」、悪くすれば現役で受かっていた大学にも受からない。

まして、現役で落ちた大学より上のランクの大学に合格するというのはレアケース、例外といわれている。



大学入試は試験の点数「1点」を争う。

大学時代、学生アパートの隣の部屋の住民は理学部生だった。

一期校の受験は京都大学で、「絶対受かった」と思ったら落ちたという。

後に試験結果を開示して貰ったらそれこそ「1点差」で落ちていたという。

その1点に何人もいるわけで、浪人をすると言うのはそのあと「1点」を取るためである。


しかし、第1次ベビーブーム世代の受験はその他の時期とは全く違っている。

それは、昭和28年生まれくらい以降人口が激変して昭和30年生まれ頃にピーク時の半分まで減少をする。

だから医学部など多浪をすれば、自然と合格しやすいということがある。

事実、大学4年を卒業、または中退して「共通一次試験」が実施される前、医学部を再受験した友人が多数医学部に合格している。



それで冒頭の「高校の入学式の姿」を見て思うのは、今大学入試というのは激変期でセンター試験が廃止されて別のものになるし、英検なども必須になる。

国立大学の入試も多様化になるだろうし、私立大学は定員厳格化の影響が計り知れない。

また私立大学は、特別入試(AO、公募、指定校推薦など)が60%を超えて主流になり、一般入学試験組は負け組になる。

娘は第3次ベビーブーム世代にあたるものの、こういう混迷から避けられた分幸運だったかもしれない。

ちなみに、モールで見た群馬県立前橋商業高校から指定校推薦で毎年3~4名 慶応大学へ進学します。

その他有名大学多数で、時代は、昔と今では違う。

前商の生徒(掲示板)に言わせると「下剋上」の世界だそうです。



人気ブログランキング


 

サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア

ブックオフオンライン【PC・携帯共通】

icon

 

 

サイバーリンク Power2Go 12

 

サイバーリンク公式オンラインストア


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.
人気ブログランキング

 

| | コメント (0)

2019年3月22日 (金)

母の年譜を確かめるとともに、苦しかった25年間を思い返す

161000142_1




平成31年3月21日(木)の葬式で、久々従姉妹に会ったので昔の事を聞いてきた。

それがその昔のことを聞ける人がたった1人になってしまっている。

葬式に来た従姉妹のうち2人は義理であるし、喪主の従姉妹は
当時小田原に住んでいて接点がない。

また、もう一人は小生より年下なので生まれる前の話は聞けない。

それでも記憶の断片を聞き出して、多少母の年譜に修正を加えて年譜の完成が近づいている。

母や叔母が生前ならいろいろ聞き出せたとはいうもののもう20年前後前に鬼籍に入っている。

そういう健在の時は、特に何か記念となる行事で経歴を書く機会でもなければない。








自分の軌跡はどうかと思えば、はっきり言って何もない。

書道をやっていたとしても誰も評価はしないし、有名になる要素もない。

社会的になにか貢献したと言うこともない。

曾祖父の時代のように相場で大儲けして、今で言えば億単位の金を寄付できるというわけではない。

その曾祖父の功績も公的な役職を持っていなかったために、全て他人の功績に置き換えられて歴史から消されている。

それで歴史は常に勝者の歴史であると言われるように、小市民としては細々とブログを書くというわけである。





母の年譜を作って行くと随分と昔のことが思い出されてくる。

実のところ、自分の生まれ育った家にいるのが延々と嫌だった。

物心ついたときは、父が公務員試験では上位の資格を持っているのに「いじめ」にあって荒れたことがある。

後々見れば「いじめられっ子」体質だと分かったが子供だったし。

それから大正時代の家督相続で父が相続したものがほとんどなくなったり、それの対応と延々続く祖父との争い。

家の入り口の借家は、借家人が出奔して何年の空き家になっていたところ、行くところがなくなり突然戻って「また貸し」をして金を稼ぐ始末。

兄の高校受験の頃には、嫌がらせのように靴を縫う工業用ミシンの設置場所として貸して、その音に会話もできない。

それに対して貸した祖父は何も言えないというていたらく。






それ以前には、祖父は近所の写真屋の紹介で「金を貸してくれ」とせがまれる。

銀行でも貸さない、街金でも貸さない不良なもの。

当然、貸さないというと。

金のない人間が「金がないのか」と啖呵をきって、結局貸してしまう。

当然金は返さないので、愚痴ったりする始末の内弁慶。

金を貸して恨まれるというのは全く割に合わないものである。

**************************





大学へ行くのでこの家から出ての約10年間何とスッキリしたことか。

何のしがらみもなく、自分の責任だけで判断でき行動できることがどんなによかったかである。

その貸家を処分するのに父の死後5年もかかり、延々と続いた不良債権と思われるものを処理するに5年。

父の仕出かした後始末を含めて約25年処理にかかった。

これだけで、30歳台、40歳台は終わってしまっている。

こんなことは、小さい頃に夢に見たことで何となく分かっているものの実際に遭遇してみると大変だった。








人気ブログランキング


 

 

 

 

サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア

 

 

 

ブックオフオンライン【PC・携帯共通】

 

 

icon

 

 

 

 

サイバーリンク Power2Go 12

 

サイバーリンク公式オンラインストア


1日一回クリックお願いします。

Please vote.

 

 


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

 

 

 

*************************************

 

 

ブログランキングに参加しています。



Please vote.

 


人気ブログランキング

 

 

 

| | コメント (0)

2019年3月18日 (月)

高校・大学進学の春の思いで

161000800


先週まで花粉症で目が痛くてパソコンが見られなかった。

それで思い出して花粉症専用眼鏡をかけることにした。

こんなものとは言え、こんなに快適だったかとつくづく思う。

それにしても先週は市民展と群馬書作家展で3日ほど出かけたので、結構「お疲れ」になってしまっている。





新聞では、高校の合格発表の写真が載っていた。

高校は未だに合格者を張り出すのかと思ったら、中学生はスマホ禁止だった。

昔はどうだったと女房に聞いたら、「合格者は全部新聞に載っていたのよ」という。

だから高女などに落ちたら全て分かってしまう。





その頃今でも思い出すのは、2月下旬に塾の友人と高校を見に行こうと足を伸ばした記憶である。

当時、北側に桑畑が広がる中にあって高校は今は移転してないが、西側からは未舗装の農道に面していた。

その手前が連れが進学する高校で、「あそこに行くのか」と言われたことを今でも思い出す。
それ以降、その友人とは1回も逢っていない。

実のところ同じ中学だったのかも覚えていない。




「大学の合格者なんて群馬テレビで放送してたし。」


そういえば、高校は覚えていないが大学の合格者は新聞発表になっていた。

兄など合格通知や合格電報が来るより新聞発表の方が早かったこともあった。

兄の時代1964年ではほとんど全ての大学の合格者が新聞掲載されたが、小生の時代では、国立大学は全てだったが慶應義塾大学やその他一部の大学の合格者は載らなかった。

それでも知り合いがどんな大学に進学したのかというのが粗方分かった。

テレビで大学の合格者の放映は、記憶を辿ると見ていたこともあったものの、その時は知り合いもいなかったから流れていると言う程度だった。

今は、予備校や補習塾に行っていると広告で載せられることもあって、それで分かったりするから妙なものである。




今の子供は卒業名簿もないので小中学の同窓会もしない。

高校はLINEでホームカミングのように大学入学した9月の夏休み最後に案内が来たらしい。
家の娘など高校で仲のよい友達も作らなかったので「課題が忙しい」で参加しなかった。

それ以外ネット上ではこの3月、実に静かなものだ。

静かというのは余りバーゲンなどは、やっていないことで、必死になって何か買わねばという雰囲気でないことである。





人気ブログランキング

詳しくはこちらを参照 icon

2019_03_19


詳しくはこちらを参照 icon

サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア サイバーリンク公式オンラインストア

ブックオフオンライン【PC・携帯共通】

icon

サイバーリンク Power2Go 12

サイバーリンク公式オンラインストア


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.


人気ブログランキング

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年3月 8日 (金)

母の思い出を書こうかと悩む昨今

Coffee1000610


最近花粉症で多少疲れてくるとパソコンの文字が見えなくなる。

これはドライアイになっているようで、花粉症専用目薬をつけると「パッ」と見えるようになったりする。

眩しいからとブルーライト専用の眼鏡をかけると、今度は薄暗くて見えないなんいて言うこともあって全く始末が悪い。




先日、4月に開催される「第14回ぐんま女流書道展」と言う案内が来た。

出品者は、群馬県展(審査)委員の先生方なので大方県展審査員クラス全員が出品していような感じがある。

それで2月の書道芸術院展で準大賞を受賞した先生・・少し珍しい名字の作家を探してみたら見当たらない。

群馬県書道展の名簿を見たらまだ公募段階だった。

群馬県展で委員になるには、特別早くて20年。

相当一所懸命にやっても30年も掛かるというのが相場である。

それでもうすぐ委嘱作家という上位特別賞常連組でもなさそうなので、「ぐんま女流書道展」に出品できるまでにならないのではないかと思ったりもする。



それにしても書道界というのは高学歴の女性が多い。

自分は男で進学校と言われた高校に進学したために大学に進学するのは当たり前だと思っていた。

事実100%進学しているのだが、当時の大学進学率は30%に満たない。

特に女性は20%程度で、短大に人気が出て進学率が50%までになるのは15年~20年後である。

書道界には高学歴でしかも優秀な女性が多いというのは、学校の先生だった人が多いからと言う側面がある。

しかも今なら東大や医学部に進学するレベル、進学校トップクラスの女性が教育学部に進学したという時代背景がある。

しかし実社会とでは例外だという事に気づかないことが多い。

それと高校の有名進学校ごとにまとまっていたりする。

こちらの理由は、実は高校レベルでなく高校の先生の門下生だけで集まったらそこの高校中心になったという違うレベルである。




そんなことを考えていたらところで、50年前の話を思い出してそこに登場する「母」について考えてみた。

どこに行っても「キラキラ」と輝いて、小学校へ入る頃まで子供ながらまともに見られなかったこともあった。

今にして思い返してみれば、息子だから親子という縁もあったが、そうでなく同世代親子度はなく別人として逢ったらどうだったのかと思ったりもする。

そうだとしたら間違いなく接点はないだろうと思う。

ところが、今まで生きてきて母と同じ感覚を幾分持った女性に幾人も合ったことがある。

恋人にも友人にもならなかったが、何となく感じるところがあったのかもしれない。

そのうちで一番近かったのが今の女房殿である。

ただし、感覚は似ているとしても母が「表」とすれば「裏」である。

母のように物怖じせず誰とでも直ぐ友達になり、多趣味で行動的でというわけではない。

どちらかと言えば「引きこもり」で女性の武器も使わない。

そんなことから少々変わった母の半生を書いてみようかと思い込んでいる。



人気ブログランキング



ブックオフオンライン【PC・携帯共通】

icon

サイバーリンク Power2Go 12

サイバーリンク公式オンラインストア


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.


人気ブログランキング

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 9日 (水)

2019前橋・初市まつり。ダルマ市

20190446


例年1月9日に開催される「初市」、ダルマ市が今年も開催された。

規模は毎年小さくなると言うより、既に小さくなっている。

小生の子供時代に比べれば五分の一くらいだろうか。

今年はまた何か縮小された。

まず「市神様」の行列は簡素になって、福の神などの部分がなくなった。

そういえば、消防音楽隊のパレードを見なかった。

しかもいつも全体像として写真を撮る歩道橋が閉鎖されている。

20191000483

Make Panasonic
Model DC-G9
Software Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)
Exposure Time 0.0016s (1/640)
Aperture ƒ/9.0
Exposure program (Auto)
ISO equivalent 200
Exposure Bias none
Metering Mode Matrix
Flash Fired No (enforced)
Focal Length 27.0mm 54mm=35mm equivalent
Color Space sRGB
White Balance Auto
Focal Length (35mm) 54
LensModel LEICA DG 12-60/F2.8-4.0
Date 2019-01-09 10:30:22 (no TZ)
Lens LEICA DG 12-60/F2.8-4.0


20190452


20191000498


20191000496



実を言えばというか以前に書いたかもしれないが、ここ数年ダルマを買うことを止めてしまった。

それこそ何十年も買い続けてきたものの、子供が大学に入ったのを境に興味がなくなってしまった。

縁起物とは言え、御利益はほとんどない。

御利益を願えば直接神社などに行った方が100倍は御利益がありそうである。

20191000491


20191000492


20190454

Make Canon
Model Canon EOS KISS M
Software Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)
Exposure Time 0.0050s (1/200)
Aperture ƒ/6.3
Exposure program (Auto)
ISO equivalent 100
Exposure Bias +0.33EV
Metering Mode Matrix
Flash Fired No
Focal Length 11.0mm
Color Space sRGB
FocalPlaneXRes 6514.657980456026
FocalPlaneUnits 25.4
White Balance Auto
LensModel EF-M11-22mm f/4-5.6 IS STM
Date 2019-01-09 10:40:33 (no TZ)
Lens EF-M11-22mm f/4-5.6 IS STM

20190458



もう少し興ざめする話は、このダルマ市で買ったのは子どもの頃だけ。

ここ何十年も知り合いに頼んで特注するのが常であった。

この初市の時に文房具屋で福袋を出したり、在庫処分品を安く売っていたりする。

昨年ここで1,000円の電卓を買ったら非常に良かったので、今年も買っておいた。

システム手帳がボロくなってきたので、システム手帳の入った福袋はないかとみているが「大人向け」福袋はここ何年も見ていない。

店に入ると、アウトレット品があった。
アウトレット品--箱無し、保証なし、時として「キズ」ありのもの。

そういえば昔もあって買ったことがあった。

Amazonで38,000円位で売られていたペリカンの万年筆が8,700円(税抜き)あって、どうかと思ったらプラスチック部分に「キズ」が2カ所ぐらいあると言う。

後から見たお爺さんが欲しそうだったので、買わずに帰ってきた。

自分が長年使っている万年筆を見たら、キズなんか入っていないよなと思う。

だから買ってきたら結構気になったかもしれない。

ただし、最近万年筆を使う機会はほとんどない。

20191000490


20191000501


20191000503


20191000507


20191000509

Make Panasonic
Model DC-G9
Software Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)
Exposure Time 0.0016s (1/640)
Aperture ƒ/8.0
Exposure program (Auto)
ISO equivalent 200
Exposure Bias none
Metering Mode Matrix
Flash Fired No (enforced)
Focal Length 31.0mm 62mm=35mm equivalent
Color Space sRGB
White Balance Auto
Focal Length (35mm) 62
LensModel LEICA DG 12-60/F2.8-4.0
Date 2019-01-09 11:11:29 (no TZ)
Lens LEICA DG 12-60/F2.8-4.0




人気ブログランキング


 

ブックオフオンライン【PC・携帯共通】

icon

サイバーリンク Power2Go 12

サイバーリンク公式オンラインストア


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.


人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月16日 (木)

お盆明け・でもうちは15日に送った

Xc151505


8月16日はお盆明けで、普通は16日の夕方にお寺に行く。

しかし、以前書いたように我が家は15日に送る習わしになっている。

それで何か特別のことがあるのかというと何もないから16日でもよいと思うもののそういう習慣である。

16日は、昼過ぎから猛烈な雷雨があったので実は15日で今年は良かったという感じもある。



母が埼玉県からお嫁に来て、どうなのかと思ったら実家と同じだったという。

実は、親戚もそういうところが多くて何かの風習なのかもしれない。

その理由を大昔に母に聞いたことがある。

しかし、個人的な考えとして実例を挙げたのみだった。



昔のことと言えば、自分が生まれる前のことで母の昔話に登場する人物に不明なことがある。

その時には当然亡くなっているけれど。

その人物の存在が突然消えていて、整合性がとれないことがあった。



その話が50年以上経った法事で従姉妹から昔話として聞かされて納得がいった。

母の昔話に出てきていた人物は、戦争中に母の実家に疎開していてというか親戚中がその家に住んでいた。

終戦間際に従兄弟2人が危ないから駄目だという家の前の堀で泳いでいたという。

その中に兄がいたかと考えていたら、昭和20年生まれだからまだ1歳にもなっていないし、母の実家にいたかどうかも分からない。

実家とは、周りに堀を巡らし西北には迷路となっている竹林がある3,000坪もある一種の野城のようなもの。

結果として赤痢になったのだそうだ。

そこで、体力の劣っていた年寄りが亡くなり従兄弟などの子供は何ともなかったという。

だからそこで亡くなってしまったから突然消えたわけである。




その他、妙なことは自分が生まれる直前ことで親戚から言われたことがあった。

それはたわいのないことで、母のお腹に小生がいたときに母は悪阻が相当酷かったと言う話。
そんなことは、生まれて母から一度も聞いたことがない。

「生まれたときは、苦労せずに簡単に生まれたよ」という話だけ。


ほんと 何だそれは・・・である。



人気ブログランキング


詳しくはこちらを参照 icon

2018_08_04

 

詳しくはこちらを参照 icon

サイバーリンク PowerDVD 17


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.


人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年8月15日 (水)

平成30年度・前橋市戦没者追悼式・戦後73年

Xc151020296


8月15日は終戦記念日で例年のとおり「前橋市戦没者追悼式」があった。

戦没者の遺族一員になっているから一般には父親か兄弟かである。


しかし、戦没者の兄弟だとそろそろ鬼籍に入っている人も多く、父親だったら戦後生まれの小生は生まれていない。

その戦没者とは、父親の双子の兄(大正3年生)である。


それも日華事変か日支事変の頃の戦死だったと聞いていて、詳しくは調べていない。

伯父は、旧制前橋中学(県立前橋高校)を卒業して、早くに招集された。


その一方、父は旧制前橋商業(県立前橋商業)を卒業して、高等学校として旧制明治学院(明治学院大学)。


そして立教大学を卒業した。

Xc151020299



父になぜ旧制前橋中学に進学しなかったのかと聞くと、小さい頃から「双子」「双子」と散々いじめられたので中学に行ってまでいじめられるのが嫌だったからという。

二卵性双生児で、余り伯父とは顔が似ていないが双子には相違ない。

それで父は明治学院(現在・明治学院大学)の頃か不明だが肋膜炎(胸膜炎)になった。



正確には「結核菌による胸膜炎」らしいのだが詳しくは知らない。

それでその頃の手術は、肋骨を切り取って肺の患部を押しつぶすと言うようなものだったらしい。


胸に大きな傷跡が残っていた。

この胸膜炎の痕は、延々と健康診断にかかって精密検査を晩年余儀なくされたようだが、問題はなかった。

伯父の方は、なぜ大学進学しなかったのかは全く情報がないので分からない。



当時の常識で、旧制中学から旧制高校を経て大学などに行く人は希だったことは間違いない。

しかし、その結果は戦後まで生き残るか戦死してしまうかの境目だったかもしれない。



それでも父は、昭和19年2月高崎15連隊に召集されて、パラオのペリリュー島守備隊に配属される予定だった。

このペリリュー島守備隊とは、玉砕したところで父共に召集された召集兵で生き残ったのは3人だと言っていた。

生き残ったのは、「胸に大きな傷跡」があったのと同時にレントゲンで陰があったからで、ペリリュー島守備隊に配属されなかった。

その後にそれでも輸送船に乗って、東京湾を出るところで「サイパン陥落」の報で輸送船が引き返したり、英語ができたので終戦に備えて、広島の原爆投下1週間前に横浜に転勤になったりして生き延びた。

これも立教大学を卒業していた数少ない兵隊だったという理由である。

今から思えば、当時の大学を出たか出ないかで生死を分けたのではないかと思っている。

それで除隊時には、上等兵(ポツダム)になっていた。



人気ブログランキング


詳しくはこちらを参照 icon

2018_08_04

 

詳しくはこちらを参照 icon

サイバーリンク PowerDVD 17


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.


人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年4月 2日 (月)

春夏秋冬・四季を感じなくなった寂しい日々

20185


4月になった。

4月1日のエイプリルフールなどというのは、午後になって気がついたぐらいで、もうそう言う事柄を気にしなくなった。

そして3月31日までの喧噪から一転して静かになったし夕方、道もそれほど混まなくなった。

実を言うと「あれ4月になっちゃった」と言う印象が強いのだが、4月になったからと言ってYahoo!の期間限定5ポイントが消失するくらいである。

楽天ポイントならガソリンを31日入れに行って、期間限定ポイントも全て使えたから無駄はなかった。
こんな細かいことをやっているのも不景気のせいである。

お笑い芸人 鉄拳のパラパラ漫画ではないが、自分は変わらないつもりでも周りが勝手に動いてゆく。
それで鏡をよく見てみれば年相応に頭が白くなり、歳をとっている。

他人もそんなふうに見ているのかは分からないが、書道界だけはいつも変わらないしいつものメンバーがそろう。
不思議なことに書道をやっている先生というのは余り歳をとらない。

それは10年も会っていなくて、突然会えば年齢を感じることもあるものの実はそうとも言えないこともある。
この辺のところがいろいろと難しい。

いずれにせよ、見た目とは関係なく歳をとれば疲れやすくなるし頑張りも聞かなくなる。

医者からの脅しもあって、ウカウカしていられないというのが今である。

その昔、母が自分の年老いた母(祖母)の手をみていたことを思い出して、自分も同じような「よぼよぼ」の手になるのだな、と考え深く言ったことを思い出す。

その母を送ってもう19年目、兄を送って54年目。
何か随分と遠くの未知の世界へ来てしまった感が強い。

ライトノベルの異世界ものではあるまいし、そんな仮想現実というものでもない。

とにかく季節を感じなくなってきたというのも慣れ親しんだ自然が徐々になくなってしまったと言うことに尽きる。

小さいときから走り回った庭には、春には花(桃の花)が咲き、松葉ボタンという小さな草花を楽しんだり、4~5月はサツキが満開で大昔には新聞社が写真を撮りに来たこともあった。

それからあじさいと花菖蒲の時期になり、夏には枯山水みたいなものがあった庭にトカゲが湧いていた。

蝉の声、それが蜩(ひぐらし)となってトンボが飛び、秋が来る。

その秋には柿、びわなどがなった。

紅葉、そして冬。
1年か終わる。

しかし、今はその全てがない。

多少子供の頃の面影を残していた近くの木々も伐採されて周囲に何もない。

これでは四季を感じなくなるわけである。




人気ブログランキング


 

サイバーリンク PowerDVD 17


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.


人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月25日 (日)

卒業風景が毎日、新聞掲載される3月

18dvd03011


土曜日24日の地方紙の一面に小学校の卒業式風景が載っていた。
随分前から小学校の卒業式だけ着る「晴れ着」のような制服が売られていて、うちの娘も10年近く前にはスーパーで一日限りの服を買った。
中学からは制服だから本当に着る機会はない。


子供の卒業式というのは、今保護者として両親が出てくることも多い。
既に取り壊してしまってない講堂兼体育館で、一人一人呼ばれて卒業証書が渡されるわけだが、これは一学年50人程度しかいないから出来ることである。

それで終わって記念写真だなんてやっている。
うちの子は何となくその輪には入れないというか、浮かぬ顔をしているのかと心配したことがある。
実はもう一人そういう仲間に入らないような子がいて、これは中等教育学校にただ一人受かった子だった。
母親と並んで何となく嬉しそうなのは目に残った。
しかし、その後の噂は聞いたことがないし知らないとも言う。


うちの子が浮かぬ顔していたのは、その後の大学入試の時にその中から現役で東大2人、国立大学医学部1人進学したのだという。
それで何となく不安を覚えていたのかもしれないが、「誰も知っている人がいない」ところへ行きたいとは漏らしていた。
実際、6年後の大学入試では文字通り「誰も知っている人がいない」大学に進学した。
そう群馬県人は他にほとんどいない東京の大学だった。
「言霊」は迷信とは言うけれど、何となく「言霊」通りにことが進んでしまうというのは不思議なものである。



それで昔は卒業写真があり、その下に住所が書いてあった。
しかし、今は卒業名簿すら作られないから子供は小中高の同窓会も開かれない。
それでそんなものがあったからと言って、参加するかどうかは分からないものの、小生と同じで小中高と学校は嫌いだったようである。

振り返って自分の小学校の卒業式はどんなものだったのか。
実のところ大昔で覚えていない。
卒業生は、220人くらいだから卒業式では名前を呼ばれただけだろう。

そもそも団体が集まれる体育館もなかったので、各教室に待機してそれこそ校内放送での卒業式だったかもしれない。
とにかく呆気なく終わって、これで自由になった風で学校を直ぐに飛び出したような気がする。
それほど余り好きになれなかった小学校生活である。


ところが、自分あとから誰も出で来ない。
それで、「早すぎたか」と思って、もう一度校門まで戻った。
戻ってみれば、校門当たりで沢山の卒業生がたむろして別れを惜しんでいる。
どうせ半分は同じ第一中学校で、校舎が焼けで仮住まいになっている第三中学校は少ない。
群大付属中学校に進学する卒業生は、さっさと帰ったようで余り見当たらなかった。

ただ一人だけ大泣きしていたFという子がいて、こんなに感情をあらわにするのと驚いたのを今でも覚えている。

それで中学の卒業式の時はどうだったのかというと、今はない体育館で名前を呼ばれて立った覚えがある。


その時の校長が言った言葉は「運、鈍、根」だった。



そんなことを覚えているのは、PTAの役員だった母が「中学生に言う言葉か」と言っていたからである。

3月中旬以降なかなか席を長く空けていられない。
それで色々なことが思い浮かぶというものである。




人気ブログランキング

詳しくはこちらを参照 icon

2018_03_22

詳しくはこちらを参照 icon

サイバーリンク PowerDVD 17


1日一回クリックお願いします。

Please vote.


人気ブログランキング

---------------------------------------------------------

*************************************

ブログランキングに参加しています。



Please vote.


人気ブログランキング

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧