書道家のお仕事・書論など

2017年6月16日 (金)

JAF Mate冒頭の変なもの「甲骨文字」

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JAFの会員になると「JAF Mate」という会員誌を送ってくる。

JAFに入っていると車が故障したときになど便利と言うことでもう20年近く入会しているのだが、実のところ1回も使ったことはない。

それでJAFとの繋がりは、この「JAF Mate」という会員誌だけと言ってよい。

この会員誌の1ページ目を開いたときに、昨年からか妙なデザインしたものになった。

7月号は「文字と眼差し」とあるから「文字」らしい。

よく見ると変な雅印も押してある。

7月号は、「甲骨文字」の「雨」という文字を書いたと解説文に書いてあるのだが、甲骨文字には見えない。

「書道辞典」で調べてみたら間違っていて、勝手に解釈してデザインしたようである。





書いている「華雪」と名乗る女性の「書家」と称する人物。

こういう名前を見ても書道家に「名字」をつけないのは、大方「龍馬伝」で「賞」を貰ったS女史と同じとみる。

賞と言っても、間違い字、書き順の違った文字を見抜けない審査員が審査したからそのレベルというのはしれたものである。

こういう類いの書家は、「makishoji(今城昭二)の書道・篆刻ブログ」の今城先生が「ないないづくし」と呼んでいたかどうかは定かではないがそうだろう。

「ないないづくし」とは、師承がいない、書の知識がない、書の技量がない・・・・・雅印がない・・・とまでである。



そうとみると「華雪」女史の経歴には師承が述べられていない。

他の人のブログを見ると5歳の時に「玉記久美子」先生に習って20歳まで通ったと言う。






しかし、「玉記久美子」先生というのは全く経歴不明。

「華雪」女史の書歴も競書誌に載ったくらいなものであるようだ。

それで「他の人のブログ」に使われている筆が紹介されている。

それを引用すると********************

「左から順に、華雪さんが10歳の時に自身で彫った篆刻「華雪」。
毎日使っている小回りが利いて書き心地のいい2本の「一番身近な細筆」。
くじゃくの羽を束ねてつくられた「くじゃくの筆」。
小学生の頃、華雪さんの髪の毛でつくった「体毛筆」。濡れると自身の髪の毛と同じクセが出るそう。
『THREE TREE JOURNAL』トップページのスライドバナーの「丁」の字を書いた「ペンキ用の刷毛」。
「日」の屏風の制作でつかった「日本画用の刷毛」」

*******************************

 


この筆、驚くなかれ全て洗っていない。

しかも見る限り、みんな安物の「ちびた」穂先のすり切れた筆。

羊毛でもなさそうな、練習用の筆にしか見えない。

持っている書道関連本は、これも引用すると**********************


「上から、華雪さんが影響を受けた書家・井上有一氏の全文集『書の解放とは』(芸術新聞社)と『生きてい る井上有一』(UNAC TOKYO)の一ベージ、写真家・繰上和美が撮影したポートレート。

下の2冊は、華雪さんが書道教室で玉記先生に文字の成り立ちを習った字典、白川静編纂の『字統』(平凡社)と『常用字解』(平凡社)。」

********************
 



篆刻家を自称している割には、篆刻字林なんか持っていないのね!!



もっとよく見てゆくと、書いている動画がある。




穂先もほとんど見えないくらいというか、根本でカットしてある筆の付け根もって紙を擦っている。

この書き方どこかで見たと思ったら、T氏が揮毫したときに使った穂先をバッサリ切った筆と同じである。

早く言えば、マジックインクのデカいヤツ。

こんなの筆じゃないね。

ところで、書いてある文字らしきものは、こういう筆で擦ったものだから末端が荒れていて「甲骨文字」ではない。

甲骨文字というのは、亀の甲羅に熱した熱い鉄で焼いたものだからこういう字体にならない。

1




一応、かなり創作的な毎日系の西川翠嵐先生(書道芸術院展 常任総務審査会員)の甲骨文字の例を出しておいた。

著書も篆刻も含めていくつか出版していてAmazonに載っている。

但し、書評は最低である。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

これは見るだけ、買わないように****


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2017年6月15日 (木)

PowerDirector 15で編集中・創立70周年記念役員作家巡回展

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4月始めに開催された「創立70周年記念役員作家巡回展併設北関東総局展」の記録配布用DVDの編集が行き詰まっている。

PowerDirector 15の編集で分かるとおり、作品研究会の午後の部の時点で1時間を超えている。

DVDの予定は、40分程度だったが午後の部も全部入れたら、2時間でも収まらない。

・・・と言うことは、かなりの部分、挨拶などはカットしないとならないようである。

動画編集は、取りあえず全ての映像を並べないと話にならないので徐々に並べなければならない。

作品研究会だけで3時間、その他を入れればどれだけ動画を見直し、不要と思われる部分をカットしなければならないか気が遠くなるからボチボチである。

それでなるべく映像時間を短くしたいというのは、実はDVDの書き込みエラー対策でもある。

1時間以内なら、150枚焼いて何とかノーエラーかもしれないが、ハイビジョンで1時間50分以上になると必ず何枚かはDVD周辺部で読めないエラーが出る。

それに焼くのに1枚4-5分。

5分として5x150=750分----12時間30分もかかる計算。

これだと焼くだけで1週間はかかる。

最終的にどこかの部分を削除せざる終えない。







 

それにしても午前の作品鑑賞会で、墨の話が少し出ていた。

 



聞いていて、宿墨にして・・・・からの意味不明な部分が多くてよく分からない。

 

宿墨にした墨の話というのは、誰も企業秘密で実は明かさないというのが基本である。

実を言えば筆者もどんぶり一杯というか、ボール一杯の墨を作っている。

 

毎日書道展の作品はすでに出品してしまったので、今作っている墨は秋の群馬県展からの作品用1年分である。

だから、突然席上揮毫してくれと言われても墨がない。


大体席上揮毫で使っている墨は、9割方墨滴で中には手刷りという先生も居るものの、刷って直ぐ使えるものである。

宿墨による墨つくりというのは、どこかのTVドラマ「私失敗しないので・・・」というわけに行かないのが常である。

昨年は、足が痛くて墨のケアが出来なくて墨つくりは失敗している。

失敗しているから墨ができないというのではなく、できたのが半年後である。

その余り上手くできなかった墨で、

群馬県書道展、前橋市民展、書道芸術院展、毎日書道展

の作品を書くわけだから、ある意味嵩がしれている。

当たり前だが、そんな失敗した墨で書くわけに行かないからもっと前に作った保存用の墨を足して書く。

それでますますろくな作品は書けない。

この墨つくりというのを普通は教えないのに、社中で「教えてくれ」というので教えた。


こういうのは、非常に良くない。

なぜなら、こういう墨を作るという部分から作品制作は始まっていて作者の自主性を損なうからである。

そのためか師承の横堀艸風先生は、墨の作り方は当然教えないし、作品を作っているところも見せない。

横堀艸風先生の師承である大沢雅休先生は、手本を書いているのも見せなかったという。

手本は、書き上がると障子を少し開いて「ぽい」と放り投げてくると、今にも目に見えるような風景が浮かび上がる。

書いている書は、前衛書道だから書く人たちが同じ傾向の作品を書いたのでは、単に形をまねているだけなので作品に「命」が吹き込まれない。

これが前回言ったように「心」がない作品である。

よく「良寛の書が好き」という話を聞く。


見れば変哲のないようなヒョロヒョロとした文字だが、「心」がある。

「命」がある。

その「良寛の書」をまねて書いた作品が、「良寛の書」に似ても似つかず全く別の作品になると感じるのだがどうだろうか。



「創立70周年記念役員作家巡回展併設北関東総局展」で西林乗宣先生が、うちの社中ではお弟子さんが「すき勝手に書いている」と述べていた。

もう30年以上前に師承の横堀艸風先生のところに作品を持って行くと、先生の作品と似ていない作品を全て選んでいた。

心に中で「それ失敗なんですけど」と叫ぶのだが、実は旨く書けたと思う作品はゴミ箱行きかどこかに仕舞ったが未だに陽の目を見ていない。

それで今は作品構成や雅印の位置等も教えてしまっているのだが、これも実は「よくない」と思っている。


今まで述べているように作品が画一化するからである。



そうかといって「柊雲理論」の「作品構成」というのは、他人の作品を批評するときには大いに役に立つから面白いものである。


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2017年6月 8日 (木)

「学童保育」や「無料学習塾」は貧困化のサイクル??

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読売新聞に「安心の子育て 学童保育」と言う記事が「くらし」欄に連載されている。

この学童保育というのは、どこかで聞きかじったかもしれないが経験したことはない。

今調べてみたら法制化されていて、「放課後児童支援員」と言う専門資格が2015年に新設されていた。

言われてみれば昔の新聞記事に小学校が終わってからそのまま居残って、近所の年寄りに見てもらうというのがあったような気がする。

自分の子供ではどうだったかと記憶をたぐってみても、そういう学童保育ということは思い当たらない。

この保育園の延長のようなものは、保育園と同じで「スタッフ不足、低賃金が原因」とあった。

「解説」で「足りぬ保育士 争奪戦」と言う記事があって同じ構図である。

地方紙では、「学びのカタチ」の特集で学童保育ではなく放課後の学習塾「無料指導・学ぶ権利 誰にでも」という変な記事があった。

こちらは「格差と機会」の項目なので「学童保育」とは違った視点である。

こちらの無料学習塾は、ボランティアで会場も一定せず次に「資金 人材確保に課題」とあって「無料」という限界が出現している。

連載後半、学習塾になり月額5万円以上の学習塾などの出費、最終的に就学前の幼児教育になってしまうのでなんだか分からない。

このように学童保育のような話が、無料の学習塾から最終的に高額な学習塾に変わってしまうのは妙な話である。

無意味な正論を言えば、「学習塾ではなく学校でもっと良く教えるべきだ」というのがある。

実際大昔はそうだったし、家に帰ってきて教科書をよく読めば参考書を買わなくてもみんな分かった。

親に教えてもらえた?

親は戦前教育だったから全くと言って役に立たなかったのがその昔である。









その後のゆとり教育で、教科書は薄くなって教科書だけでは全く分からない。

実のところと言えば、中学受験をするのでなければ塾も必要なかったし、うちの子供も小学生時代は普通の塾に入っていない。





ところが、週刊誌誌上ではお受験という「小、中学校受験」というのがある。

この場合は「学童保育」とは真逆で、親は付ききりで塾の送り迎え自宅での予習復習に費やす。

以前に中学受験で灘校、麻布、開成など何校も受験するドキュメンタリーがあった。

その親の頑張りというのは異常としか思えないが、うちの子だったら多分燃え尽きて駄目だっろうと思うくらいである。

この子供たちが将来東大などに入って官僚になったり、大企業の役員になったりして今の文部科学省の役人になったり末恐ろしい。




いずれにせよ地方紙で「格差と機会」なんて述べているが、「学童保育」や「無料学習塾」と言う時点で既に格差が付いている。

こんなことを書いている地方紙の記者だって、「格差を体現している」みんな「早稲田大学出身」だろうと突っ込むのは置くとして何となく変だ。

何か「学童保育」や「無料学習塾」は、学歴という一生どこかについて回るブランドとは異質な気がする。

エスカレーター式に有名大学に入れるところだと、「小、中学校受験」で半分終わる。

難関だった中高一貫校に入学しても、地域の偏差値70の高校に入学してもある一定の割合で必ず落ちこぼれがある。


この中学受験を経験したりして、最終的に義務教育と高校の集大成として大学受験がある。


だからここで上手く志望の有名大学には入れるとは限らないのが現実。

こういう大学受験までの12年間どういうふうに子供と接してゆけば良いのかというのか親の務めだが、結果はどう帰ってくるのか分からない。



ちょっと話題が逸れたが、子供が小さいときは子供に手を掛ければ必ず成果があると思っていたことがある。

これは半分正解であった。


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2017年6月 4日 (日)

書論・「書は人なり」

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昔から「書は人なり」と言う言葉がある。
これが「書き手の人格の反映」とされるのは鎌倉時代からだという。
しかし、最近では手書き文字というのは自分の住所と名前ぐらいしか書かなくなった。
書道展での記名では、銀座でやる展覧会などでは姓号しか書かない。
その理由は何なのか分からないが、そんなところに記名する書家は名前だけ見れば分かるというのかもしれない。
特に最近は、個人情報にうるさくなっているから毎日書道展で公募入選は名前だけである。

実のところ自分の住所が書きにくく、住所を書かなくても良いというのなら大助かりである。
それで「ちょいと」目立つようなサインをしてくる。
但し、関口虚想先生みたいに、二行にわたってサインするほどの度胸はない。

こんなふうに自分の名前しか書かなくなっているから、今鎌倉時代からの「書は人なり」ということはないようだ。

一応書家と名乗っていれば、そこそこの文字は書くから平安時代に見られる「プロのお仕事」で、「書は人なり」とは言えない。

その「書は人なり」も書道家だと展覧会で作品を発表する為に非常に良く表すことも多い。
「日展」だと「カーボンコピー」なので判らないではないかと突っ込みが入るが、日展作家でも社中展、グループ展では個性的な作品を書く。
毎日書道展系は、全て個人の創作なのでこういう個性や「書き手の人格の反映」というのは良く出ることがある。
良くあるというのは、ワザと判らないようにする場合もあると言うことで、この辺書道家はプロなので数々かき分けることができる。
そんなかき分けがどの様にできるのかというと、他人の「書風」をまねて創作してしまうことである。
オリジナルではないからデザイン性としては優れているが、「空虚」で心が入っていない。

これだと幾らでも本心を隠せるが、見ている方からだと「模倣しかできないのか」と思われてしまう。

そこまで極端ではないとしても、師承の作風をまねて書いていれば似たようなものである。
それでその師承の作風を脱したところに本当の創作作品ができるのだが難しい。


62

カメラメーカー: Panasonic
カメラモデル: DMC-LX100
撮影日時: 2017-06-04 15:23:44 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 10.9mm (35mm 換算焦点距離: 24mm)
絞り値: ƒ/4.5
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 200
露出補正値: なし
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

その「書は人なり」だか、実際はその人の体型や顔かたちも反映することが多い。

先日、毎日書道展事務局役員懇親会で逢った鳥取の名越蒼竹先生、競書の手本を書いてみていつの日か「自分の文字は細い」と感じたそうだ。
それで気をつけて太くしようとするものの中々上手く行かないという。
そんな話を聞いて身体を見てみれば、細身の高身長の大男で顔も結構尖った顔をしている。


名越先生の手本をみて、なるほどそうだと合点が行く。

大先生の話で恐縮だが、故今井凌雪先生は、NHKの書道講座を担当されて(NHK趣味講座 書道に親しむ)その臨書などとてもすばらしいと誰でも感じる。
そして、今井凌雪先生が好きなのは「良寛の書」だといい良寛ふうの作品を書いていた。(NHK)

しかし、乞食坊主で自閉症、夢も希望もない良寛とは余りに境遇が違い過ぎて、何となく良寛的な悲壮感や絶望感がでないのではないかと感じたことがある。
但し、「(NHK趣味講座」しか見ていないので本当のことは判らない。

この「書は体を表す」の方が、結構しっくりすることがあって細い人は、細い文字を書くし「丸っこい」ひとは、同じく「丸っこい」か優しい文字を書く。

そうかといって、大字書や前衛書は全く当てはまらない。


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2017_6_22


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2017年6月 1日 (木)

書論・公募展・前衛書を書くためには?

12


書にはお勉強のための書写という「書」がある。

ここで「芸術としての書、創作の書」を「書道」として、他を「書写」と定義しておく。

世間一般には、この「書道」と「書写」の区別がほとんど付いていない。

書写とは、文字そのもので教科書にある手本をそのまま写す。

高校生ぐらいになると少し高度になって、古典の臨書、特に楷書などを書いたりする。

それが「書道」になると一転して「創作書道」になる。

ここでの高校の臨書から「創作書道」の過程は飛躍していて繋がらない。

特に毎日書道展などの公募展に出品すると間違いなく落選になる。

臨書というのは、西林乗宣先生が言われるように人によって「解釈」が違って異論が多くあるという。

もし臨書なら、創作的な臨書というのが良いとは言われるが公募展には適さない。
それで公募展だから直ぐに創作で書けと言われても誰も書けるものではない。
そう言う場合の初心者は、先生が一生懸命手本を書いてくれてそれを書き写す。
これもいわば書写のようなものだが、問題は正解がないと言うことである。

ある先生が師承の横堀艸風先生に条幅の手本(漢字)を書いて貰って、そのままを写して持っていったら全文朱墨で真っ赤になったのを見たことがある。
それで次に直して貰った通りに書いていったら、また全く同じ。
結局、自分で考えて書いて持っていったらそのまま通ったと言う話がある。

それで伝統書なら手本があるから良いが、前衛書だったらどうすべきか。

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前衛書を書くためには
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前衛書を書いてきた作品を見るとほとんど例外なく黒い線で何やら読めない文字を書いてくるか、淡墨でよれよれの線を引いてくるかである。

もともと開祖の横堀艸風先生の作品も知らない世代なので、横堀風のみじんもない。

前衛書は、半紙に書くわけではないから紙面をそれなりに埋めなければならない。

それで、淡墨や濃墨で線を引くというのがどう言うことなのかと言うことが分かっていない。

書を習い始めた頃は、楷書から始めた筈である。

それで楷書の条幅作品を書いたのかと言えば、定かでない。

それをいきなり行草体で条幅作品を手本なしに書いて、上手くかけるわけがない。
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そんなことをやっているのが、内の社中の県展公募レベルの「前衛書を書いてくる人たちの多く」である。

書というのは、古代中国からの成り立ちで、国家の公式文書や永久に残したい碑文は全て楷書で書かれている。

何時の頃か、行草体が先で最後に楷書体が作られたという誤った話が伝わったことがある。
しかし、その「楷書体がなかった筈の時代」、その頃の碑文に楷書体があるからその説は論破されている。

行草体というのは、手紙などの私文書である。

私文書であるから多少崩れていることもあって、それが芸術性で楷書体よりも増してくる。


それで現代中国の書を見ると、書は教養であって芸術ではない。
従って、多くの文字を書く方がより勉強をしているから評価が高いという。
しかし、現代中国というのは100年も経っていない。
その前の清朝はどうかと言えば、「女真族」の一派満洲族による征服王朝で、満洲語を第一公用語にした。
第二公用語は、元王朝からの共通言語のモンゴル語である。
こういう時代を経てしまっているためにモンゴルの征服王朝である元王朝(公用語、モンゴル語)以前で漢字の文化がある程度止まってしまっている。
こういうローカルな文字となってしまった漢字と言うのが真実である。


いずれにせよ「行草体の条幅作品」なら、そう言う文体の強弱という日本こらいの伝統が入り込んでくる。

それならその法則に従う必要がある。

それが出来なければ、楷書の条幅作品というもともとの基本に戻れば良いのである。

楷書の条幅作品なら紙全体に書かれる。

紙全体に隙間なく前衛書としての墨を入れて行けば良いわけで、毎日展ではそう言う作品もある。

要するに前衛書は、紙全体に黒く墨を塗りたくるというのが基本である。
その上に立って、余白や線などを使っての「行草体の条幅作品に通じる」作品になる。

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振り返って、横堀艸風先生はどんな作品を書いていたか。
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比喩でいうと「どこにもいない青い鳥」である。

艸風先生の作品は、懐に「青い鳥」がいて、それをパッと放してその姿を写し取るというもの。
その青い鳥は見る間に飛び出すものの、一瞬で消えて見れば元に戻っている。

それで艸風先生の弟子の作品はどうか?

残念ながら「青い鳥」はいない。

だから作品の中にも当然「青い鳥」はいないで、時として籠だけが残る。

止まり木なんか書いても仕方がない。

正に空虚である。

筆者小生はどうかと言えば、同じように「青い鳥」なんか飼っていない。

飼っていないから、飛ばしようがないので、背中にいる自分の分身をひょいと放り投げて何とか描く。

しかし、最近その分身も毒を食らって体重が増して重くなったから、「ひょいと放り投げた」と思ったら足下にドサリと落ちたりする。

要するに最近は、落ちた「分身」を何度も投げる仕草をするものだからろくな作品は書けない。


さて、ここのところの「青い鳥」とは何かと言えば「作者の心」である。

書は作者の心の反映、投影がなされていないものは、どんなにデザインがよくても駄作である。

この心が入るというのは難しいもので、師承の作品そのままに優れた書を書いても「心」は当然入らない。

古い自分の作品を顧みると、30歳代、40歳代の作品は「早く空に飛び出したい」心境を表していたし、50歳代は「空虚な世界を冷静な第3者の目で見下ろす」だった。

そして、60歳代は「もういっぺん飛び出そうとしたら、躓いて足下に落下」または「力不足で飛び出せなかった」というふうに見える

前衛書というのは、実に難しいものである。


詳しくはこちらを参照 icon

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2017年5月31日 (水)

第69回毎日書道展役員作品出品完了

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毎日書道展の作品が完成して、表具屋に持っていった。

これで出品者としては完了である。

あとは表具屋さんがまとめて6月20日までに出品票、26-27日作品本体を国立新美術館に搬入する。

今年の作品は、今までの作品とは違った趣旨で作成したので思いのほか難しかった。

・・・・というのは、飯島俊城先生に瓦の雅印を作っていただいたのでこれを使って見ようという「印」から出発したからである。

その印は、大きさ27mm角の白文(文字が白く出る)というかなり大きめで目立つもの。

その印を押せる作品というのはどんなものかと思ったのだが、頭が混沌として何も浮かばない。

それだけでなく、墨の状態はどんなものかという要素もある。

その印に負けないだけの墨の強さも必要とはいえ、今年はうっかりして墨作りが遅れてまだ出来ていない。

それで昨年作った墨と2年前に作って失敗してしまった墨を混ぜ合わせて強さを出すことにした。

しかし、墨を混ぜ合わせても実際は大量の墨を使って見ないと全くどんな結果になるか分からない部分がある。

ここは、ある程度の許容範囲を設定して予測する。

作品の構想・・・・???

いつもは漠然としたイメージが浮かんできて、文字を選ぶとそのまま自然と図案が決まる。

そして頭の中に描かれている作品をそのまま書くだけで良い。

そう考えても全く構想が浮かばない。

こんな時は作品集を開いてみる。

近くにあったのが創立65周年記念書道芸術院展作品集。

みればもう鬼籍に入ってしまった先生や書を止めてしまった先生などの作品が並び、書の世界の変遷に驚く。

毎年の毎日書道展作品集を見ると、会員賞、「わたし素敵でしょ」と主張している作品が並ぶ。

そう言う「とり澄ました作品」は参考にはならない。

そうかといって、捲ってみれば自分の作品の失敗作が目に付くから「どん引き」になってしまう。

自分の作品で気に入って額に入れてとってある作品や、賞を取った記念の作品などを思い起こしてみれば「みんな傍観者」の様な作品である。


そこには何も感じられないから記憶に残るという作品でもない。

そうかと言って「気持ち」を込めれば重い作品になるから、「エイヤ」と気持ちを遠くに飛ばすような分身として放つ。

だから現実味がない。

その重い作品というのは、一見何の変哲のないような作品だったりするものの暫くすると「ズシン」という重いものを投げかけてくる。




******************************
青森県八戸の故名久井裕三先生の作品(前衛部門)は、いつも「真っ黒」であった。

時々赤い点があることもあるが、紙が破れたり、墨で縮んだり、寄れたりしていても全て真っ黒。

これは一体何だろう。

「書」が書いてないではないかと何時も観覧者から訝る声が聞こえるようであった。

それであるとき書道芸術院前衛書部の「泊まりがけの研究会」で特別に揮毫してもらったことがあった。

すると作品作りは、何かの言葉を延々と書いて行く。

文字を書いては書いて、塗りつぶして行くわけなので微妙な濃淡が出る。

それでも何回も書いて行く。

だから真っ黒になる。

「なぜ 真っ黒なのですか?」

という質問に
「まだ明かりが見えてこないから」
と。

こんなのが重い作品である。

要するに作品の中に作者の「重たい思い」が込められている。

日展の説明会で
「書は、見て感じて欲しい」、「作者の思いを感じて欲しい」と説明を受けたことがある。

しかし、そういう作品というのはそうそう書けるものではない。

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参考
 名久井裕三遺作展 前衛の根源的な思考
https://mainichi.jp/articles/20160324/dde/014/040/020000c
2016年3月24日

履歴引用
「名久井裕三さんは1924年、八戸市生まれ。和井田要さんに師事。黒潮書道会を創設。2000年、八戸市功労者表彰受賞。毎日書道展名誉会員、書道芸術院参与会員。13年、死去。遺作展が初めての個展となった。約70点。」

 

作品の概要も引用

「紙面のほとんどが真っ黒。白く小さな穴や線、黒いしわ。赤い落款印。「黒の線に白の余白」といった書の常識を真正面から覆す作品群である。」

****************************************************

 

実は、身近にその「作者の『重たい思い』」を感じさせる作品を書く先生がいる。

それはさらりと書かれている作品なのだが、絶対に忘れられない。

その「作者の思い」は何かと言えば「作者の泣き笑い」である。

別に言えば、作者の「人生の一ページ」である。

そういえば、故恩地春洋先生の師匠である川崎白雲先生の遺墨展の作品はやはり「ズシン」と重たい感じがした。

それも重くて立ち上がれないくらいもの。

そんなことを考えてと思うが、体重は重いが人間が軽いのでそんなものは書けそうもない。

それで先ず「題」から考える。

なぜか頭に浮かんだのが「蜂」。

それで「蜂」の篆書と偏(へん)と旁(つくり)を考慮して種々展開して行くのだが、やはり「頭が混沌」としてくる。

図案を描いているとますます混沌とした図案になる。

そういえば、蜂が飛んできて追い回されて「混沌」として気になったと考えれば・・・
で作品を書く。

それで題名は「混沌」いや元々「蜂」だから似ても似つかぬ「蜂」になった。

そして、そもそもが「大きさ27mm角の白文の印」のためだから何とか収まった。

たとえどんなに良くできたと自負しても、どうせ会員賞の候補にもならない。

毎日書道展関連の推薦作家も既に次世代になったから、群馬県展では今でも「若造」の扱いなのに書道芸術院では、「老人」の扱い。

しかし、よく見れば小生などより上の後期高齢者が中心になって大活躍している。




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2017年5月29日 (月)

お寒い限りの書道を始めて35年経って思うこと

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公募の書道展に出品してもう35年くらいにはなる。

書歴には学生時代の「書写」の時代は入れないが、関わりと考えれば40年以上になる。

それで師承が亡くなってから25年位経っていることに気づいて愕然とする。

明治の時代に生まれ育った師承の時代と、昭和の高度成長期にギリギリ間に合わなかった世代。

そして平成の今の子供たちを見ると、それこそ隔世の感がある。

1980年代、公共のカルチャースクールなどは大盛況で、書道も絵画も応募を断る方だった。

それが5-6年で閑古鳥が鳴くようになり、やがて講座そのものがなくなった。

今となっては笑えるが、FAXが最先端で業務用FAXが50万円もした頃である。

その頃から「ワープロ」が流行し始め、あっという間にパソコンになり平成の時代の子供はスマホになった。

パソコンが流行る前、漢字を覚えるのが難しいから「減らそう」と言う動きもあった。

しかし、パソコンになるに当たって「漢字」というのは非常に読み書きに便利でますます難しい漢字も使われるようになった。

こういう変遷で、書道(書写)というのが学校の現場から徐々に排除され特にパソコン時代に教育を受けた人は、書道(書写)に忌避感が多い様である。

・・・と言うより書が書けない。

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また世間一般でも(芸術としての)書道と(学校で教える)書写との区別が付かない情報弱者の前橋高校のOBがいて、6年前の展覧会で散々非難を浴びた。

こういう人物に何を話しても「問答無用」と全く理解しようとしないのは、どこか「某国」に人間そっくりであると最近の読んだ本からそう思う。

そういうことに関して米倉大謙先生(筆心会書展に展示あり*当時は群馬大学学芸学部助教授)はどんなものだったかと50年以上前を思い出してみる。

それは現在の群馬教育書道展(一般社団法人 群馬県書道協会)という、小生も審査員(会員)に名を連ねる展覧会を見に行ったときのことである。

その時は公立の中学生か小学生の頃。

階段付近で、小柄なハンチング帽子の男の人と、いかにも附属小学校(群馬大学学芸学部)の児童と思われる制服とバッチの小賢しいグループに会った。

この附属小学校児童というのは、かなり生意気で俺たちは「附属だ」という顔と態度をしているので嫌いだった。

附属中学の生徒も、公立中学の生徒を見下した態度で「この野郎」と思ったこともあったが逢わないようにしていた。

それが前橋高校の制服を着るようになったら、この附属中学の生徒も何か「コソコソ」した態度になったから制服の威力は面白い。

ちなみに、群馬大学教育学部附属高校はない。

その「小柄なハンチング帽子の男の人」とは、後に付いていったら米倉大謙先生と知った。

その小賢しい(こざかしい)児童は、「先生これはなんですか?」と「推薦」という賞名の作品を指さして叫ぶ。

児童「これは何ですか? 先生」

米倉大謙先生「横堀先生のところかな?」「あっ違うか!」

児童「こんなのもあるのですか?」

米倉大謙先生「そういうのもある。」

そしてその半紙作品がどんなものだったかは、全く覚えていない。

しかし、当時の自分でも「書写」の文字ではなかった位しか分からなかった。

中学一年の正月の競書大会。

会場に行くと、回り中は手本を出して何かの文字一生懸命練習をしている。

それが何か知らないのは一緒に行った小林孝君と見知った生徒。

それで書く「題」が出されて、手本を仕舞いなさいという試験管の声で、手本が「題」そのものだったことに気がついて、それ以降興味が薄れてしまった。

「題」が分からないはずの書道の競書の世界にも不合理がある。

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近年は、スマホ時代になったから書道人口の減少が収まらない。

明治時代、かなの故大沢竹胎先生は弟子が1,000人いて、人力車を教場の外に待たせて何件かの教場を毎日廻って教えていたという。

それが何か身体を悪くしたか、突然止めしてしまったという話を師承の横堀艸風先生から聞いたことがある。

大沢竹胎先生は、書家としては早死にの方で余り弟子が残っていない。

残っているのは、今で言う「近代詩文」で少数である。

特に、「カリスマ」の書家の大先生が亡くなると「どさっと」展覧会に出品しなくなるというか書道を止めてしまう人が多い。

東北の方でこの「カリスマの書家の大先生」が亡くなって、いつも年賀状が届いていた先生に年賀を出すと、返事に「書道は止めました」とあったりする。

書家も高齢になれば亡くなるのは当たり前としても、その先生に次ぐNo2の先生に同じカリスマ性がないと危機的な状況になる。

うちの横堀艸風門下・艸玄会は、先生が亡くなったあと何とか半数の脱落で済んだ。

後に大島佳水先生から、艸玄会は県展(審査)委員が沢山(10人程度)いたから持ったがうちは大変だったと言われたことがある。

それでも県展(審査)委員のほとんどが既に鬼籍に入ったり引退したりして、新たに委員になったひとを入れて多少残っている程度になった。

時は移って横堀艸風門下の直弟子は全て県展(審査)委員にはなったが、当番審査員が廻ってくるかは定かではない。

既に弱小社中になってるので、当番審査員も「会長を無視して」直接会員に接触してくると言う「手」が入ってしまっている。

これで先が見えたとはお寒い限りである。




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2017年5月28日 (日)

第69回毎日書道展・公募鑑別審査始まる

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平成29年5月26日より毎日書道展公募鑑別審査が始まった。

この鑑別とは、入落であって審査員の半分以上の手が上がらないと「落選」という厳しい審査である。

中には誰も押す人がいなくて「0」点という事例も多々あると言うから心して作品を作らなくてはなるまい。

その初日、書道芸術院の「第69回毎日書道展当番審査員及び事務局役員」懇親会が六本木で開催された。

毎日書道展事務局役員も5年ぶりで、昨年まで毎年春から夏にかけて足が痛くて歩けなかったから役が回ってこなくて丁度良かった。

それで10年くらい事務局役員をやっていて、こういう懇親会というのは初めてである。

東京都美術館で毎日書道展が開催された頃は、陳列の時に都美のレストランで毎回宴会(無料)があった。

国立新美術館に移ってからも、2-3年は陳列終了後に近くのホテルで宴会があった。

その後には懇親会と言っても、会費制の自腹で段々ショボくなった。

これもご時世で、20年以上前に書道芸術院の事務局委員になっていたときは、結構豪華なものだった。

それが年々寂しくなって、10年以上経ったら呼ばれなくなったので今はどうしているのかは分からない。

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3



それは兎も角も、今回の懇親会には事務局役員の末席ながら4,000円会費を払って参加してみた。
席の前は名越蒼竹先生、牧 泰濤先生で、全く話していることが見えてこない。

山陰支局?

名越蒼竹先生は、鳥取県。

牧 泰濤先生は、大分県だから。

出席者は、おおよそ30人。

当番審査員、事務局役員を入れると50人くらいとは言え全員26日に在京しているわけではない。

当番審査員の先生でも出席していない先生もいるというより、翌日27日も審査があるわけで、通いできていれば参加できないわけだ。

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何となく話が見えてこない居心地悪い中を耐えて20時。

慌てて、六本木ヒルズの隣の地下鉄日比谷線六本木駅に駆け込んで東京駅へ。

そして、予定どおりの新幹線に乗り込んで帰ってきた。

6


2

カメラメーカー: Panasonic
カメラモデル: DMC-GX8
レンズ: LUMIX G VARIO 14-140/F3.5-5.6
撮影日時: 2017-05-26 16:33:19 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 14mm (35mm 換算焦点距離: 28mm)
絞り値: ƒ/3.5
露出時間: 0.0080 秒 (1/125)
ISO 感度: 200
露出補正値: +0.66 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

それでも六本木の富士フィルムスクウェアに行って、カメラの操作方法やレンズについて説明を受けてきたから多少成果はあった。

7

カメラメーカー: Panasonic
カメラモデル: DMC-GX8
レンズ: LUMIX G VARIO 14-140/F3.5-5.6
撮影日時: 2017-05-26 16:39:27 (タイムゾーン情報なし)
焦点距離: 17mm (35mm 換算焦点距離: 34mm)
絞り値: ƒ/3.7
露出時間: 0.010 秒 (1/100)
ISO 感度: 200
露出補正値: +0.66 EV
測光方式: マトリックス
露出: プログラム (オート)
ホワイトバランス: オート
フラッシュ使用: いいえ (強制)
ソフトウェア: Adobe Photoshop Lightroom 5.7.1 (Windows)

それにしても富士フィルムスクウェアのブースにいた、お化粧で真っ白のコンパニオンの様な担当者。

単なる案内係かと思ったら、カメラの詳細に説明をしてくれて驚いた。






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2017年5月 8日 (月)

5月の連休明けで無駄な多忙

Ginza20171


朝のテレビで全国的に黄砂が降ったが、関東では前橋というようなことを言っていた。
それで連休中に、ガソリンスタンドの洗車機に掛けておいた車が「真っ黄色」だった。
これで雨でも降られたら、折角600円でツルピカ洗車が掛けられたのが無駄になるところだった。
これは朝から羽根はたきで丁寧に落とした。

・・・・とは言っても今日出かけたのはバイクである。
バイクシーズンなど年に何度もないから、乗れるときに乗っておかないと一年中埃を被ることになる。
とは言っても、この連休中バイクツーリングでどこにも行っていない。
とかく格好だけで安いバイクというのは、高速用のETCをつけるだけで買った値段の1割以上かかってしまう。
そんなに使わないETCだから、遠乗りはしないと言うわけである。


とにかく、連休明けというのはいそがしい。
毎日書道展の公募作品も直ぐにまとめて送らなくてはならないし、その他研修会やら宴会やらの申込み、連絡もある。

やり残している「書道芸術院創立70周年記念役員作家巡回展併設北関東総局展」のDVDも動画の構成を考えている段階で、まだ始まっていない。

Ginza20172



それにしても昨日Panasonicのミラーレスカメラのモニター調整に時間を潰して、何とかLUMIXGX8も使えるようになったと言う感じになった。
これから後は、使わないカメラを下取りに出して整理するかを考えている。
しかし、新しいカメラは中古も新品もほとんど値段が変わらないので、新品だと下取りを出しても中々手が届く範囲にならない。
中古価格の値下がりと新品の値段の値下がりとの相関関係を見ながら考えようと思っている。
6月中旬には、又いつもの中古カメラ市があるので不足部品はここで仕入れることにする。
いずれにせよ手持ち資金との兼ね合いだが、2-3月の帳簿と領収書を点検していたら領収書は食料品しかなかった。


2月からあっという間に5月の連休明けになった気がするところ、よく考えたら今年の2-3月は書道の展覧会が数多くあって結構いそがしかった。
それで多少疲れて4月はゆっくりとしたと言うわけで今になっているわけだ。
だから、仕事がたまっている。

この前も書いたけれど、10年一日、同じような日は来ない。

あそこの家には人がいたはずなのに空き家になっていたり、お店があったはずなのに普通の住宅になっている。

それどころか立派な店舗ビルが建っていたのに更地になっているとか、自分は歳をとっていないような感覚なのだが回りはやはり年月が過ぎている。

たまに訃報欄に昔の同級生が載るようになると、自分も歳をとっているはずで端から見ればいい加減にジジイなのだろうと思う。





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2017年2月21日 (火)

ZARDデビュー25周年で自分の年齢の事実を知る

Zad3620


2月上旬にZARDデビュー25周年で何やら雑誌やCDが出ていた。
調べたら「ZARD デビュー記念日に25周年・究極オールタイムベスト」という全52曲収録版(税込¥3,996)。
ZARDのCDは手元に4枚あって、あと1~2枚くらいは引っ越しをしたときに仕舞い無くしている。

その内に探せば良いと思うのだが、これが中々見つからない。
しかし、坂井泉水は亡くなってしまっているので何やら物寂しい感じがある。

こういう古い曲を聴いてみると、必ず何やら昔のことを思い出すのだがLP世代ではなくCD世代なので余り思い出さない。

これは時代の差というかLP時代からCDになって、多少音楽というものから遠ざかったからであろうか。

いずれにせよ2月になってもうすぐ3月である。

前年でやり残したものは、節分以降には残さないで終わらせておくと言うのが鉄則。
それなので、今日予防接種や健康診断で「検査しておいてくれ」ということなどやっておいた。
お陰で、1日がそんな残務で終わってしまった。

それで最近思うことは、自分の行動に対して常に感覚的に「遅延」があるということである。
行動というのは、受験の試験答案を書くように時間配分をして決めてその通り行動する。ここで遅延があると予定時刻に遅れてしまう。
それで余裕時間を加味するところ、その余裕時間が無くなるということである。

平成29年2月19日東京都美術館から日本橋高島屋へ向かうのに広瀬先生(舟雲・武蔵野大学教授)と同行した。
それで広瀬先生、ゆっくりと歩いているのに驚くほど速い。

気を抜いていると置いて行かれそうになっている自分に気づき、昔はそんなことはなかったと思う。
考えてみたら、最近銀座でも女性に抜かれることもある。
元々歩くのはかなり早い方だったのだが、遅くなってきたようだ。

こう言う歩き方というのは、遺伝で父は小生が若い頃でも歩いて行くのに追いつかなかったことがある。

年齢を重ねるごとにそう言うこともなくなったが、今度は自分の番が回ってきたと感じる。

いつまでも若いと思っていたら、いろいろなところが鈍くなっていたり、動作が緩慢になっていたりとよくよく注意しなければならないと思う。


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